第96話 来た 見た 勝った

 WBCが始まった。

 ここのところ連覇している日本であるが、そもそも開催から二大会連続で優勝しているし、はっきり言ってまともに戦力を出せば普通に勝てるのは分かっている。

 出場している選手たちも、完全に全力を出すというわけではない。

 またチームを率いる角山も、計算をして試合を進めている。


 この組から決勝トーナメントに進むのは、日本とベネズエラと見られている。

 中国と南アフリカが安牌とはよく言われているし、今年はイスラエルもそれほどは怖くないチームなのだ。

 かつてはWBCで世界ランキング上位の韓国や台湾に勝利したこともあるが、それはユダヤ系メジャーリーガーが参加したため。

 今回も元メジャーリーガーなどがチームを構成しているが、投手力が決定的に薄い。

 対してベネズエラは、現役メジャーリーガー投手の出場はないが、3A選手を多くそろえていて野手には現役がいる。

 ピッチャーもバッターも今後を期待される選手がいて、平均年齢が日本よりも若い。


 球数制限に象徴されるように、MLBが心配しているのはピッチャーの消耗だ。

 よって野手はまだマシと考えてか、それなりの選手を送り出してきたのだ。

 大会一日目、日本は南アフリカと対戦する。

 当たったらそれで一勝プレゼントなどとも言われる南アフリカだが、それでもここのところレベル自体は上がっているらしい。

 一が二になっても百には勝てないのだが。




 東京ドームのブルペンで、直史は完全に気を抜いていた。

 WBCにもコールドがあり、どうやら日本の第一戦はそれで終わりそうであったからだ。

 東京で行われるリーグ戦は、それぞれの国が五日間で四試合を行う。

 日本は初日に南アフリカ、二日目にイスラエル、四日目にベネズエラ、最後が中国という順番だ。


 本日の日本の先発は、前回の大会でも選ばれており、どうやっても緊張などしそうにない蓮池。

 先発のマスクを被るのも、樋口ではなく竹中だ。

 これは同時にはいなかったが、同じ大阪光陰出身ということも考慮しているらしい。

 そして少なくとも竹中なら、蓮池の期待に応えるぐらいのキャッチャーではある。

 出会い頭のような一発はあったが、それ以外はどんどんと三振を取っていくピッチングだ。


 五回の時点で15点差か、七回の時点で10点差がついていれば、そこでコールド。

 蓮池は自分ひとりで片付けるつもりであったのかもしれないが、さすがに球数制限に引っかかる。

 そこから金原に交代して、金原のリリーフ適性を確かめるような状況になった。

 最終的に六回が終わった時点で16-1と日本がコールド条件を満たし、まず初戦を飾った。


「う~ん……」

 今回の日本代表監督である角山は、嬉しい悩みを感じている。

「味方が強すぎてどう評価すればいいのか分からん」

 コーチ陣も頷いている。


 第一戦の記者会見も終わり、ホテルに戻ってミーティングが始まる。

 ホームだからドームでやっても良さそうなものであるが、日本だけがというわけにもいかないのだろう。

「まあ一発を食らったのはいい。後に影響しなかったしな」

 あそこからさらに蓮池はギアを上げていったと思う。


 打線も普通につながって、特別なことをしなくても勝てた。

 純粋に単純に、全ての部門で日本の方が力で上回っていた。

 それえも野球はやり方次第で勝てるスポーツなのだ。

 戦力差が圧倒的なので、そのやり方も使えなかったわけだが。


 


 日本代表は当然ながら、決勝トーナメント出場とその先に見える優勝を狙っている。

 とりあえずこの第一ラウンドのリーグ戦で重要なのは、格下を取りこぼさないこと。

 そしてべネズエラに勝つことだ。


 トーナメントにどこが出てくるかは、各国のメンバーの中でもピッチャーの品揃え、そして一戦目を見ればだいたいは分かる。

 首脳陣は気が早いとも思われるかもしれないが、既に決勝で優勝することを逆算して、ピッチャーの運用を考え出した。

 重要なのはこの第一ラウンドであるリーグ戦では、ピッチャーの球数制限が60球であること。

 そしてトーナメントの準々決勝と準決勝が、80球であること。

 決勝だけは100球まで投げていい。


 また登板間隔は、50球以上投げたら中四日以上、30球以上で中一日。

 球数に関係なく連投したあとは一日空けなければいけない。

「佐藤、また決勝だけ先発で使えないかな?」

 角山の提案に、今さらの話ではあるがコーチたちは難しい顔をする。

 この場合の佐藤というのは、言うまでもなく直史の方である。


 球数制限のルールを考えると、準決勝の翌日に決勝となるが、実は日本が一位通過で入るトーナメントの場所であれば、実際には一日の休みがある。

 準決勝で30球未満で抑えることが出来たら、決勝では100球まで投げられる。

 それが無茶とは誰も言わない。

 日本シリーズの連投完封は、誰の記憶にも新しい。

「そもそも球数制限というのが、佐藤にはあまり関係ないようです」

 ピッチングコーチが直史と話してみたところ、直史はその試合の中で本気で力を込めて投げるのは、多くでも20球程度ということだった。

 あとはコンビネーションを使っていけば、八割から九割程度の力で打ち取ることが出来る。

 なんだかんだ言ってピッチャーにとって一番消耗が激しいのは、全力でのストレート。

 変化球主体の直史は、だから自分は大丈夫というのが理屈であるらしい。


 どういう理屈だ。

 首脳陣にはプロの世界では他のポジションでも、過去にはピッチャーの経験がある者が多い。

 それにプロの世界でも、ピッチャーとは味方としても敵としても、関わらないことなどありえない。

「抜けるところでは力を抜いて、クリーンナップでは本気で投げるというなら、昭和の頃にはやっていたと聞くが……」

 直史のコンビネーションは、コースと球種をコントロール出来さえすれば、八割程度の力でもバッターは打ち取れるし空振りも取れる。

 そして変化球による肩肘の消耗はほとんどないという。


 考え方が他のピッチャーとは、全く違うところから出ているのだ。

 そしてそれで結果を残しているのだから、否定することは出来ない。

「中学校の頃や高校生の頃は、キャッチボールなどで300球ほど毎日投げ込んでいたそうだしな」

 今なら絶対にどの学校でも、そんなことは許可しないだろう。

 だが直史は、単なるキャッチボールなら、300球が500球でも壊れないと言った。

 もちろん実際はマウンドに立って、キャッチボールと変わらない程度の負荷のボールは投げたが。

 そして肝心の全力投球は、10球から20球程度。

 だがこれは案外、科学的には間違っていなかったりする。


 陸上の短距離走と、ピッチングは似ている。

 最後に跳躍するという点では走り幅跳びもそうか。

 短距離の選手はジョギング程度を調整のようにして走り、実際の短い距離はそう何度も繰り返して走るわけではない。

 直史のピッチングはフォーム調整を第一に考える。

 だからこそ疲れずにパワーを消耗せず投げることが出来る。

 省エネ投球というのは、打たせて取る球数節約だけではない。

 一球一球の球の中に、どれだけ力を節約してパワーを乗せることが出来るか。

 それが直史のピッチングというものだ。




 日本の属するグループは、準々決勝を日本で行う。

 そして移動の時間もあるため、準決勝との間が長い。

 一位で通過出来たとしたら、中四日の時間が取れる。

 準々決勝で投げた直史が、準決勝で投げることは可能だ。

 そして準決勝でクローザーをして、決勝で先発することは不可能ではない。


 実際にやるかどうかは話は別だ。

 ただその選択肢もあるというだけで。

「イスラエル戦、使いますか?」

「どうかな。点差次第で変わるし、ベネズエラのために残しておきたい気もする」

「展開次第ですか」

 中国にはもう、勝てることを前提で対戦する。

 そして問題は、準々決勝でどこと当たるかだ。


 日本がBグループに属していて、Aグループのチームと準々決勝は戦う。

 準決勝はAグループかBグループか、勝ち残った方だ。

 台湾で行われるAグループは、台湾とキューバが有望視されている。

 どちらも野球強豪としては有名であり、特にキューバはMLB級の選手がいる。


 ちなみにベネズエラとキューバが中南米なのに、どうして台湾と日本のグループに属しているかは、微妙な問題が存在する。

 ベネズエラはまだしもキューバの場合、下手にアメリカにいる期間が長ければ、亡命してしまう可能性があるからだ。

 そんな理由があるのかと思われるかもしれないが、オリンピックに出た選手がそのまま亡命したという例は、他のスポーツも含めてそこそこある。

 スポーツの世界でも政治とは無関係でいられないらしい。

 中国が台湾ではなく日本のグループに入っているのも、そういう配慮が影響しているそうな。




 グループB、日本の第二戦は、イスラエルとの対戦。

 日本は武史が先発し、誰か先発的選手をもう一人はさみ、最後に峠という形を考えている。

 峠はそのプロでのキャリアのほとんどを、リリーフとして過ごして来た。

 キャリア的にも国際戦を経験していて、充分な信頼がある。


 武史はスタミナのことを度外視し、ブルペンでしっかり肩を作ってから先発のマウンドに上がる。

 普段は50球ぐらいから肩が暖まり、150球までは球威が衰えないが、60球で交代しなければいけないなら意味はない。

 だから最初からギアを上げておいて、相手のバッターを圧倒しようという考えである。

 確かに武史のこういう起用は、間違っているとは思わない。

 だがイスラエル相手に武史を使うのか、という単純な疑問はある。


 うっかり属性の持ち主ではあるが、直史を先発として使わないなら、日本代表の中で一番パワーのあるピッチャーは武史だ。

 ならばグループ戦最強の相手、べネスエラ相手に先発が常識的だ。

 そちらに直史が投げるなら、兄弟でリレーをさせた方が話題的にも美味しいだろう。

 ただ左バッターの多いベネズエラ相手には、左バッターに強い細田を先発させるつもりらしい。

 そういうことを聞くと、ボールが日本のものを使うなら、やはり真田にいてほしかったな、と思うのだ。


 この試合もまた、日本の圧勝であった。

 五回を投げて無失点であった武史に、津末が一イニングを投げる。

 そして七回を峠が投げて、スコアが12-1というところで日本のコールド勝ち。

 今回はキャッチャーが樋口であったが、直史は最後までブルペンでも座ったままであった。

 暇である。




 一日空いて、そしていよいよベネズエラとの対決。

 ここで初めて日本は、一方的ではない試合を行うことになる。

 国際戦でも弱いチームは弱いと、初めての国際戦経験者は思っただろう。

 もちろん強いチームは強い。


 左の細田を相手に、序盤からヒットが出ていた。

 ただホームランを打たれることはなく、日本の攻撃も序盤は沈黙。

 お互いがお互いのピッチャーを、攻略しきれないという事態であった。

 明日の中国との試合は、これまでの様子を見る限り、誰が投げても勝てる。

 だからこの試合、日本は専門のリリーフ陣を投入するつもりだったのだ。


 二巡目に捕まった細田は一点を失う。

 そしてここで日本は、やはり左の毒島を投入。

 細田とは違うパワーピッチャーに、ベネズエラのバッターはついていけない。

 そして日本側も打線が爆発した。

 西郷のホームランから、連打が続いて一挙三点。

 3-1と逆転したのである。


 日本はここから、短い継投を繰り返していく。

 明日の中国戦を考えて、連投の出来る30球以内の登板だ。

 その甲斐あってベネズエラの追加点を防ぎ、日本は逆に一点を追加して4-1とスコアは変わる。

 ちゃんと出番は来るのかなと思いつつ、直史は準備を始めた。


 ベテラン陣がいないとはいえ、日本のオールスターに近いメンバー。

 なんだかんだ言ってこれが強いのは、内野の守備がしっかりしているからではないか。

 九回の表に、ベネズエラの最後の攻撃を迎える。

「佐藤」

「はい」

 そして直史はマウンドに登る。


 東京ドームでの国際戦は、けっこう久しぶりだなと思う直史であった。

 満員の観客の中、どうしても欠けた部分がある。

 第三戦にしてようやく出番が来たということもあるが、いまいちモチベーションが上がらない。

 そう考えつつも普通に、ツーアウトまでは到達してしまった。


 そして最後のバッターに、普通にチェンジアップを振らせて三振。

 これにて日本は無傷の三連勝である。




 第一ラウンドのリーグ戦は、翌日の中国との対戦が最終戦であった。

 直接対決の勝敗から、既にこのグループからは日本が一位、ベネズエラが二位と決まっている。

 そんな気の緩みもあったのか、先発の阿部はポコポコと、散発的に打たれながら点を取られた。

 ただし日本の打線も、何人かはスタメンの交代はあるが、普通に中国のピッチャーは打っていく。


 ベネズエラはフィジカル的には、日本よりも優れていたかもしれない。

 ただし圧倒的に日本の方が、細かいところまで技術があった。

 そして中国にしても、圧倒的に技術も戦術も足りない。

 阿部の場合は単に、国際戦未経験ということが大きかったのだろう。

 

 考えてみれば阿部は、甲子園にも出ることなく、そのまま素材枠でプロ入りしたのだ。

 早々に戦力とはなったが、プロの中で投げるというのと、日の丸を背負って投げるのとでは、プレッシャーに差があったのか。

 ただし崩れきらないところが、技術で抑える日本のピッチャーと言えよう。

 球数制限のところで、昨日は投げていなかった峠が出てくる。


 七回を終えたところで、14-4のコールドで、日本は勝利。

 終わってみれば危なげのない、全勝での第一ラウンド突破であった。




 グループAは台湾が一位で勝ち進み、予想通りキューバが二位で勝ち残った。

 このキューバとの対決を日本で行い、台湾とベネズエラの勝った方のチームとは、アメリカにおいて準決勝を行う。

 もし台湾が勝ったなら、いっそのこと日本でやればいいのではとも思うが、そんな急には予定は変えられない。

 NPBのオープン戦は、東京ドームでも行うからだ。

 決勝トーナメント準々決勝、キューバとの対決は、中三日で行われる。

 このあたりからはさすがに、日本も相手を甘く見るわけにはいかない。


 球数制限で投げられないのは阿部だけで、あとは全員が特に問題はない。

 そしてこの間に日本代表は、地元の利を活かして自宅に戻ることが出来る。

 もちろん夜にはホテルに戻っていないといけないわけだが、樋口などは嫁成分を補給にいった。


 このあたりでも特に注意されたのは、料理や飲み物である。

 基本的に用意された物か、ホテルの自動販売機で買った物しか飲んではいけない。

 また食べ物に関しても、用意された物しか食べてはいけない。

 国際大会においては、薬物が混ぜられることを注意しなければいけないのだ。

 その薬物というのは下剤や睡眠薬などではなく、むしろプラスの薬物である場合もある。


 禁止薬物を尿検査で調べることがある。

 それにわざと引っかからせるために、薬物の混入をしてくるのだ。

 もっともWBCはそれほど厳密にやってくることはない。

 それでもチームから何人かは、指定されて尿検査をされる。

 日本代表などはそれこそ薬物には忌避感があるし、詳しい用法なども知らないのでやるはずがない。

 だが日本代表の飲食物にそういったものを混ぜて、主力選手の失格を狙う可能性はある。

 これがオリンピックであれば、さらにその確率は高くなっただろう。




 球技などは比較的、フィジカルよりも技術が大切になる。

 だがそれでも野球などは、MLBで薬物問題が大騒ぎになったし、今でも様々な方法で検査をかいくぐっているという噂がある。

 おそらく大介なども、それを疑われるだろう。

 あの体格であのスペックというのは、どうしてもおかしいので。


 薬物など使っては、コントロールが利かないだろうに、と直史は考える。

 パワーよりもコントロールを重視すれば、筋力増強剤などは必要ないのだ。

 ただし昔のMLBは一時期、完全に薬物に汚染されていた時代があった。

 別に野球だけではなく、あらゆる競技に蔓延していた時期とも言える。


 負の側面というのが、スポーツにはある。

 別に薬物だけではなく、無理な負荷による故障も、スポーツの負の一面だろう。

 直史はコントロールが利かないことは、大学時代にもう懲りている。

 自分の武器は、コースだけではない全体のコントロールだと、はっきり分かっているのだ。


 負の側面の話などを聞きながらも、WBCは進行する。

 スーパースターの少ないWBCは、それでも日本の試合では満員を記録していた。

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