第77話 エースは限界を口にしない

 負ける言い訳になる要素は揃っている。

 相棒と言えるキャッチャーは負傷で出られず、まだキャッチャーとしては未熟な三年目と、この決戦で組まなければいけない。

 そしてその相棒は、バッターとしても非凡な実力を持っていて、肝心のところではいつも勝ち越しの点を取ってくれていた。

 援護の打撃力低下、援護のリード力低下。

 そして三連敗という圧倒的な逆境。

「それでも」

 それでも直史なら、なんとかしてくれる。

「まさかマジでそんなことを言われるようになるとは思わなかった」

 さすがにここまでマイナス要素がかかっていると、世の中の因果律が、負けろと言っているような気がしてくる直史であった。


 一応この事態を想定していた直史は、岸和田相手に投げ込んで慣れさせ、そして樋口を交えて三人で攻略法を考えていた。

 とにかくライガースは、大介を封じなければどうにもならない。

 データマンまで集めて色々と確認するが、このデータというのも厄介なのである。

 たとえば単純に、大介は外角の球をヒットにすることが多い、という事実がある。

 だが母数を考えてみれば、内角に投げたら長打になっている。

 本来ならデッドボールになるようなボールさえ、上手く体を開いて打ってしまう。

 プロ入りして以来、色々とおかしな成績を生み出している大介であるが、死球の少なさは逆の意味でおかしい。

 一度も死球を受けていないシーズンが多数、つまりかわすか打ち返すかした回数が圧倒的に多いのだ。


 外の球でストライクカウントを稼ぐ。

 だが大介を相手にするには、いかに考えを柔軟にするかが大切である。

 はっきり言ってボールの球威だけで勝負できるのは、上杉だけである。

 武史でさえ正面から大介と戦えば、負ける回数が多い。


 不思議なことにシーズン中の大介は、四割前後ほどの打率でしかない。

 だがこれは強力なピッチャー相手でも、敗戦処理の投手が相手でも、あまり変わらないのだ。

 つまり相手が強ければ強いほど、大介も強くなる。

 そして勝たなければいけない場面でこそ、大介は勝つ。

 お前、世界観が違うから少年マンガ行ってろ、と言いたくなるような存在だ。




 その大介を相手に、直史はレギュラーシーズンでは九打席勝負して全て凡退、ようやくこの間はヒットを一本打たれた。

 だがおそらく大介が直史の引き出しを、どんどんと開けて行く方が早いだろう。

 直史はさすがに、これ以上の選択肢を含むピッチングのコンビネーションを持っていない。

 ただしペテンにはめるような手段は、まだいくつかある。 

 トルネード投法などもその一つであったが、おそらくはもう通用しないだろう。

 踏み込みを深くしたフラットなストレートも、リリースした瞬間に見抜かれるか。

「化け物ですか、あの人は」

 ヤクザ顔の岸和田も引きつる大介のスペックであるが、今さら何を、というのが弁護士と警察官僚志望であった男のコンビである。


 直史ならば打ち取れる。

 ただ一人で勝負するのは分が悪い。

「基本的に最終的な判断はナオがするが、お前もしっかり考えてサインを出していくんだ。そのためのコンビネーションをいくつか教える」

 そして樋口は、直史にとってのみ使用可能なコンビネーションを徹底した。

 ここで勝ったとして、日本シリーズにおいても、直史と組むのは岸和田になるからだ。


 岸和田は直史のコンビネーションの豊富さに驚く。

 事実上直史には、投げられないコンビネーションがほどんとない。

 サウスポーの使うような、変化量とスピードのあるスライダーを、シンカーで投げることはさすがに無理である。

 またフォークにしても、充分に空振りは取れるが、そこまで必殺という具合ではない。


 ただ、幾つかの球は本当に魔球だ。

 一番最初に言われた、スルーと称されるジャイロボール。

 スピードや落差、角度も自由自在なカーブ。

 チェンジアップは上手くピッチトンネルを通ってくる。

 特に減速の多いチェンジアップは、ストレートとリリースの時点で見分けがつかない。

 あとは右打者には有効なスライダーか。


 トルネードや、フラットなストレート、アンダースローなどから投げるボールも見せたが、これは通用しないだろう。

 ただストレートは、上手くコンビネーションの中で使えば、充分に使える。

 これらの変化球のほとんどを、岸和田が構えたところから5cmも動かさないところに投げてくる。

 ストラックアクトをしたら確実に、全てを抜いてしまうだろうというコントロール。

「ここまで自由自在に投げられたら楽しいそうですね」

 岸和田は何の気なしにそう言ったのだが、直史は遠い目をする。

「速いストレートが速すぎて捕れない、曲がる変化球が曲がりすぎて捕れないと言われたら、ピッチャーはどうすればいいと思う?」

 岸和田はインテリヤクザなので、白い軌跡を読んでいた。

 なので直史が中学時代、一度も勝利投手になったことがないのを知っている。


 前に球が速すぎてキャッチャーがいないため、野球を辞めてバスケに転向したという選手がいた。

 武史の場合は単純に、野球よりもバスケの方が面白いと思ったからだが。

 ピッチャーは確かに重要なポジションだが、それを活かせるキャッチャーがいてこそ輝く。

 岸和田はそれを胸に、直史のボールには慣れていったのだった。




 そんなやりとりがあった後で、本日の試合である。

 クライマックスシリーズ最終戦。勝敗はアドバンテージを含めて、三勝三敗。

 ペナントレースを制したレックスが連勝し、瞬時に王手をかけた。

 しかしそこから扇の要が脱落し、逆にライガースが三連勝。

 見ている分には面白いだろうな、と思う程度の皮肉な気分には、直史もなっている。


 初回のまっさらなマウンドに登る。

 大歓声をシャットアウトして、直史は集中力をグラウンドの中にとどめる。

 誰が見ていようが、それは関係ない。

(しかしまあ、こんなのをあと四年もするわけか)

 試合前からうんざりとする直史は、少なくとも全くプレッシャーとは無縁の存在であった。


 来年は樋口が復帰しているから、もっと楽な試合になるはずだ。なったらいいなあ。

 FAを取っても樋口は地理的要因により、関東から出るつもりはない。

 あるとしたらNPB自体が再編されて、新潟に新球団が誕生でもした時であろう。

 その時は肩を壊した上杉を追って、絶対にレックスを去るだろう。


 ただ大介は、来年以降もここまで勝ち進めるだろうか。

 野球はチームスポーツで、フロントのGMがとち狂ったり、正捕手が欠場したりすれば、途端にチーム力が落ちる。

 ライガースは真田が今季でFA移籍することが濃厚と言われているし、スターズは来年一年は上杉の復活は無理だろう。

 味方のレックスさえも、西片がいいかげんに年であるし、佐竹をどれぐらい強く引きとめるか、そのあたりにも問題がある。


 今年一年は、直史と樋口でレックスを100勝のチームとして、ライガースは大介が70本のホームランを打った。

 さすがに他の球団もこれに、どうにか対処はしてくるだろう。

 特にセパ両リーグの金持ち球団は、少しでも自軍の増強と二強の弱体化を計るため、FA戦線で本気で取りに来るはずだ。

 ただレックスの場合、樋口をどうにかしない限り、ピッチャーはいくらでも育成してしまうような気もする。


 四年間。

 残り四年間、レックスはどう戦力を充実させていくのか。

 この一年寮生活を送っていた直史は、そもそもプロというのは二軍でも、化け物ばかりだということが分かっている。

 フィジカルの出力の素質は、自分よりも上回っている者が多い。

 ただ伸び代は本当にいくらでもあるな、とも思うが。

 それを上手く伸ばしてやることが出来る、選手が少ないのだ。




 試合が始まった。

 今年のセ・リーグの勝者を決める、本当に最後の試合。

 直史としてはある程度ちゃんと大介とも対戦したのだから、普通に他のピッチャーで勝ってくれて良かったのだ。

 なにしろ前の試合から、中四日である。

 先発としてはまだ吉村がいるのだが、彼はライガース戦には弱い。

 いまだに高校時代のトラウマが残っているのだろう。


 他にも色々とピッチャーはいるのだが、それでもこうなるのは必然だろうな、と直史は思っていた。

 中四日と言っても、投げたのはせいぜい100球。

 そしてブルペンで待機しながらも、実際に投げたのは岸和田に向けた投球練習だけであった。

 ライガースを止められるのは自分か、あるいは武史だけと考えたのだろう。

 だが武史は過去二年やらかしているので、最後の試合を任せるのには不安が残るはずだ。

 そもそも武史なら中三日である。


 そんなわけで納得した直史が投げたボールは、先頭の毛利をあっさりと三振でしとめた。

 ストレートのスピードを調整して、上手く錯覚を作り出した。

 そして二番の大江も、内野フライにしとめる。

 毛利はともかく大江は、直史にとってはそこそこしとめやすいバッターだ。

 さて、では序盤のラスボスである。

 ここからどんどんとレベルが上がって改造されていって、三打席目あたりには手が付けられなくなるだろう。

(四打席目は回さない)

 バッターボックスの中に、小さな巨人が立っている。




 大介を打ち取るために必要なものが何か、直史はちゃんと分かっている。

 問題はそれが可能なピッチャーが、あまりいないということだ。

 緩急。

 そしてそこから生まれる、タイミングのギャップである。


 この場面で、一番大介が予想していない球は何か。

 初球はこれを投げると、岸和田にも言ってある。

 二球目に何を投げるかは、この初球への対応次第だ。

 ど真ん中ストレート。

 いつぞやの打ち頃ではなく、直史の出せるMAXスピードである。

 つまり本来なら、大介にとっては打ち頃のスピードだ。


 大介のバットは振り遅れて、左の方向にボールは切れていった。

 とりあえずほっと一息であるが、さすがに大介もこれは予想外であったらしい。

 極端に言えばピッチャーがバッターを打ち取るのに必要なのは、バッターの対応しきれない配球で攻撃することである。

 上杉は反応しきれないスピードで勝負する。武史などもそういうパワーピッチャーだ。

 直史も150km/hが出せないわけではないのだが、スピードはあくまでもコンビネーションの中で考えるもの。

 なので二球目は、一番速度が遅く、それでいてゾーンに入ったカーブ。

 大介は振らなかった。


 スローカーブの軌道と落差、キャッチング位置であると、審判によってはストライクに取らなかったりもする。

 だがそういった審判の傾向も、ちゃんと調べた上でのピッチングだ。

 ツーストライクと追い込んだ。

 これで使えるボールは多くなったが、最後に空振りを取るのはまた難しい。


 考え方の違いで、三振までは取る必要はない。

 出来れば最終打席までは、空振り三振にならないような、そんな打たせて取るピッチングがしたい。

 一応は序盤は、球種をある程度制限する。

 そして投げ込んでいくが、大介はあるいはカットし、あるいは見極めて、直史の選択肢を狭めていく。

(めんどくさすぎるぞ、このバッター!)

 高校時代は散々助けてもらっていたが、敵に回ると本当にめんどくさい)


 ただしそれは大介にとっても同じことで、直史からヒットを打つのは難しく、それどころか極端に少ない三振を、直史によって取られている。

 要するにどちらも、強いピッチャーで強いバッターというわけだ。

 大介にしても本当に好物なのは、ストレートが主体の本格派ピッチャーだ。

 だが直史のような完全な技巧派は、また違った味がする。

 お仕事の中で趣味を貫く、贅沢な人間が大介である。




 外で勝負したい、と直史は思っている。

 だが一番大介から逃げていく変化のシンカーも、そこまでの変化はない。

 大介は打てる球であれば、本当になんでも打ってしまう。

 しかし前の球の残像は、確実に頭の中に残っているはずだ。

 そういう時にはバッターボックスを外して、一度リセットしている。


 組み立てた後のスルーでさえ、バットには当ててきた。

 投げられるコンビネーションが、どんどんと消えていく。

 ただ今のスルーを布石にするなら、使える球が一つある。

(沈む球の後は、ストレートが打ちにくい、と俺が思ってると思ってないかな)

 そして狙い目は、大介の膝元へのカットボール。

 あえて変化量は少なく、手前までは分かりにくいように。


 ストレートとのわずかな差で、バットはボールの上を叩いた。

 そこからスイングスピードで持っていくが、ファーストが横っ飛びでキャッチする。

 さすがストレートに強いバッターは、守備でも速い打球には強いのか。

 まずはファーストゴロという形で、直史の勝利である。


 本人は勝ったとは思っていない。

 自分が狙ったとおりに、バッターに打たせることが出来たら、それはピッチャーとしての勝ちだろう。

 だが直史はもっと、ボテボテのゴロになることを狙っていたのだ。

 あのコースは抜かれていたら長打になっていた。

 結果だけを見て勝ったと浮かれているわけにはいかない。




 ベンチに戻れば樋口と一緒に岸和田を挟んで、作戦会議を行う。

 岸和田は本来打てるキャッチャーであるが、ここでは完全にキャッチャーに専念してもらうため、八番を打っている。

 大介のバッターボックスの中での雰囲気。

 それは相対している直史と、一番身近な岸和田が分かりやすいはずなのだ。


「空振りが取れないですよね」

 自分は空振りしていたスルーを、ああもしっかりとカット出来る。

 そのあたり飛ばす力より、当てる力の方が秀でているように見えるのが大介である。

 だが実際は天才的に当てるのが上手いため、パワーも存分にボールに伝わり、長打になるというのが正しい認識だ。

 他のホームランバッターと比べても、明らかに三振の数が少ない。

 直史も大介相手となると、空振りではなく見逃し三振の方が多くなる。


 意識の間隙を突かなければいけない。

 そしてそれを見取るのは、一番近くで呼吸さえうかがうことの出来るキャッチャーぐらいだ。

「次の打席も上手く、タイミングを外していかないといけないよな」

 そうやって相談していく間に、レックスの一回の攻撃は終わっていた。

 真田は前に投げてから、中六日経過している。

 あるいは条件は、直史よりも恵まれているかもしれない。


 とりあえず確かなのは、この試合もまた投手戦になりそうということだ。

 真田が相手だと、疲れる試合が多い。

(まあでもこの試合は、12回まで投げれば引き分けでも勝てるわけだし)

 ペナントレース優勝のアドバンテージが、ここでもきいてくる。


 ただし、もしもそうなった場合、パーフェクトに抑えても大介とはあと三回対決しなければいけない。

 ヒットでもエラーでも、三人出たら四回だ。

 これが直史の義務では、あるが、それにしても辛い相手だ。

(なんとか一点だけでも、先に取ってほしいもんだが)

 そんなことを考えながら、二回のマウンドに登る直史。

 相手は高校時代に甲子園で対決し、大学では先輩だった西郷。

 こいつもまた味方であれば頼もしいが、敵に回すと途端に面倒になるバッターだ。


 本当に運が悪い。

 こちらは樋口を欠いているのに、向こうは万全の状態の真田か。

(でもまあ、レックス打線はそこそこ、右打者の方が多いしな)

 対左の決戦兵器である真田であっても、そのあたりわずかに打開策はあると思うのだが。


 ライガースの打線は封じてみせる。

 だからどうにか一点は取ってほしい。

 淡々と投げているように見えても、直史の中にはそれなりの焦りに似たものはあった。

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