第75話 挫跖
※ ほぼ同時系列ですが、飛翔編47話の方がやや展開は先です
×××
ファイナルステージ第一戦を余裕で勝ったレックスは、アドバンテージを含めてこれで2勝0敗となる。
あと一つ勝って、そして引き分けでも一つあれば、日本シリーズ進出が決まる。
第一戦で直史は、それほど多くも投げることなく完投した。
もし六戦目までもつれこんだら、また先発として投げてもらうかもしれない。
あるいはここから三連敗などしたら。
正直考えにくい事態であるが。
パ・リーグの方もシーズン優勝を果たしたジャガースが、まず先手を取った。
そういったことも踏まえたうえで、レックス首脳陣は先のことを見据えてピッチャーを運用していく。
第二戦の先発は武史。
対してライガースの先発は村上である。
村上と武史の間には、一方的な因縁がある。
それは武史が早稲谷に入学したことによって、村上の公式戦での登板機会が、極めて少ないものとなってしまったということだ。
同学年には直史がいて、四年生がようやく卒業して出番が増えると思ったら、同じサウスポーの化け物が入ってきた。
佐藤兄弟によって村上の大学野球生活は、極めて暗いものとなった。
それでも見ている人は見ていて、下位指名ながらライガースが獲得。
ちなみにレックスのスカウト鉄也は「こいつも取っておくべきですよ」と熱弁したのだが、既に吉村と金原が、サウスポートしては存在したため、優先度が低かった。
これまでのスカウト実績を考慮して、下位の支配下登録で指名しようと思ったら、先にライガースに取られてしまったという話である。
村上は大卒一年目から、それなりにライガースでは投げていた。
先発としては三度投げて1勝0敗。
そこからはサウスポーの中継ぎとして、多くの試合に登板することになった。
二年目にはほぼ先発ローテに固定され、17試合に先発。
7勝4敗としっかり勝ち負けをつけて、貯金を増やした。
五年目の今年も、先発と中継ぎの間を行き来したが、先発としては13試合に登板し、そこでは5勝3敗と勝ち星先行。
なにげに勝ち星の方が負け星より多いピッチャーというのは貴重なのである。
そんな村上であるので、自分がピッチャーとして武史に勝てるとは思っていない。
だがピッチャーとしての実力と、チームの勝敗というのはまた別の話である。
ライガースには大介がいる。
上杉からさえホームランを打った大介である。
ならば武史も打てると村上は思っているし、それはそれほど間違ってはいない認識だ。
ただしキャッチャーが樋口である。
昨日の己を反省しながらも、樋口は現実的なリードをする。
武史は初回からエンジンがかかっているタイプではない。
なので一番二番と上手く打ち取れても、三番の大介とはあまり真っ向勝負などしない。
ごりごりの内角を攻めるか、アウトローに外すか、アウトローに外れていくナックルカーブ。
とりあえずこの第一打席は、打てないコースに投げさせた。
ただ頭が痛いのは、ライガースの四番打者が西郷だということである。
ここもまた、まだ初回の武史では、勝負をかけるのは難しい。
チェンジアップとナックルカーブを外して、四球も問題のない攻め方をする。
西郷は外角も強いので、打てるだけなら打っただろう。
しかしここは素直に歩いて、次のグラントに任せる。
グラントのような打率の低いプルヒッターは、樋口の大好物である。
四球投げてファールフライを打たせてアウトと、結局は初回は無失点で抑える。
今日の武史の調子からして、おそらく三点あればセーフティゾーンであろう。
大介を抑えられるかどうかは、正直微妙なところだ。
プレイオフの大介はシーズン中よりもはるかに高いパフォーマンスを発揮する。
援護が必要だな、と考える樋口に、一回の裏には打席が回ってくる。
昨日完投している直史はさすがに、今日はリリーフもなしと寮のテレビで試合を見ている。
二日ほど休めば、ベンチにまた入れられるだろう。
いざとなれば終盤に、クローザーとして使うつもりのレックス首脳陣である。
直史としてもそれには別に文句はない。
だがさすがに普段よりも、ピッチャーの起用はきつくなっていくのがプレイオフだ。
クライマックスシリーズが終われば、次はいよいよ日本シリーズ。
日本一の決定戦と言われても、今年がダメならまた来年と思える直史に、緊張感は全くない。
直史にとって特別だったのは、やはり甲子園だろう。
そして決勝を一人で投げ抜いたWBCだろうか。
あの試合以前から、直史は海外からも注目はされていたのだ。
しかし若手や3Aメインとは言っても、アメリカ代表をマダックスでしとめたあの試合は、世界の視聴者から見て驚異的であった。
あの決勝一試合で、直史は大介からMVPを奪い取ったとさえ言える。
今日の試合に勝てば、いよいよレックスは日本シリーズへ王手をかける。
直史は最終戦に先発するとして、中四日。
第一戦にはそれなりの力を入れたと言っても、渾身のストレートを投げた回数はさほどではない。
肩も肘も鍛えているため、最高出力はやや劣っても、その持続力には自信があるのだ。
テレビ画面の中で、武史が一回を抑えた。
大介と西郷との対決を避けて、グラントを封じている。
一つ間違えば一挙三点であるが、グラントは特定の順番でボールを投げれば、99%打ち取ることが出来る。
樋口は石橋を叩いて、大介と西郷を、事実上は敬遠をしたわけだ。
これは臆病ではない。
武史の立ち上がりがいまいちなのは、チームメイトも良く知っている。
それに完全に打てないコースにばかり投げたわけではないのだ。それを打たずに塁に出たというのが、二人の選択だ。
そして樋口の狙い通りに、グラントは打ち取った。
直史が考えているのは、あくまでもクライマックスシリーズまでである。
大介をどうにかすれば、自分の役目は終わりだと思っている。
戦力的に見てジャガースとコンコルズのどちらが来ても、おそらくレックスでもライガースでも勝てる。
問題が出るとしたら、ライガース相手に第六戦まで戦い、レックスの投手陣が疲弊する場合か。
しかしそれでも日本シリーズまでに、今年は四日の日程が空けてある。
四日あればどうにかなるだろうというのが、直史の考えである。
おそらくよほどのことがない限り、日本シリーズも第一戦は直史が投げることになる。
今年の日本シリーズは、パ・リーグ側の球場から開催される。
埼玉ドームも福岡ドームも、直史はそこそこ投げやすい球場だ。
そもそも神宮はホームランが出やすく、そしてマリスタは浜風が強い。
直史に馴染み深い球場であると、やはり甲子園が一番投げやすいのだ。
まだ決まってもいないのに、日本シリーズの向こうの球場を調べる。
埼玉ドームは交流戦で経験しているが、福岡ドームは未経験だ。
あまりホームランが出やすい球場ではないとも言われるが、それよりは慣れの方が問題だろう。
直史のピッチングはあまりに精密なため、球場のマウンドごとに、微調整が必要になってくる。
順番的に日本シリーズで投げるとしたら、直史は全てアウェイのマウンドに立つ可能性が高い。
すぐにアジャストする直史であっても、出来るだけ慣れたマウンドの方がいい。
第一戦を直史が、第二戦を武史が投げて勝つ。
そして舞台を神宮にして、そこで三試合を行う。
ホームで三試合のうち二試合を勝つのは、決して不可能なことではない。
都合のいいことを直史は色々と考えているが、その間にも試合は進んでいく。
ライガースの先発村上は、初回に一点を取られはしたものの、そこからはかなり安定していた。
(赤尾のリードか)
直史とは五ヶ月ほどしか一緒にプレイはしていなかったが、その後のことも良く知っている。
ジンや倉田などのキャッチャーも良かったが、おそらく一番プロ向きだろうなとは思ったものだ。
一言で言うと、樋口型のキャッチャーと言うべきか。
インサイドワークにも優れているが、機動力もしっかりとあるキャッチャー。
だが全ての分野において、樋口の方が優れている。
いや、性格の一致などもあるので、孝司の方が投げやすいというピッチャーはいたりもするだろうが。
ライガースは確かに去年もその前も強かったが、打線で落ちるのは七番八番と言われていた。
守備職人の石井に、キャッチャーぐらいは打てなくても仕方がないだろうとは、どうやら思わなかったらしい。
二軍の試合や一軍のわずかな試合で打って、くすぶっていた孝司を獲得。
これでキャッチャーのところで止まりがちだった打線は、スムーズに続くようになったわけだ。
大介と西郷を中核として、打てるバッターで打線を組んだライガース。
NPBの歴史の中でも屈指の勝率を誇っていたが、今年はとにかくレックスが強すぎた。
この試合もレックスのソロホームランで追加点が入り、どうやらこのまま終わりそうである。
(大介に四打席目が回ってくるかどうかだな)
六回までを投げて、武史は初回のフォアボール二つ以外は、しっかりとライガース打線を抑えている。
特に大きかったのは、大介の二打席目を、しっかりと抑えられたことだ。
さすがにノーヒットノーランというのは虫がいいだろうが、大介の三打席目をどうするか。
それで試合は決まるだろう。
試合は微妙に膠着したまま、終盤に入り込む。
七回の表、先頭打者は大介。
ライガースは一回に大介と西郷を出塁させたが、ここまで一本のヒットもない。
つまり武史は、ノーヒットノーランをやっている。
ここで大介を封じられるかどうか。
それが記録の達成のためには重要なことである。
(村上は降板したけど、ライガースはリリーフ陣もいいんだよな)
クローザーの若松、セットアッパーの植村、左の品川あたりの、勝ちパターンのリリーフ陣は強い。
六回の裏は村上の後を、オニールが投げてきた。
先発で投げていたオニールは、今季は怪我のため序盤と終盤ぐらいしか、活躍の機会がなかった。
そのオニールを、この回の裏にまで引っ張るのか。
この試合を捨てて、次の試合に万全を期すなら、ビハインドで使うピッチャーを投入してくるだろう。
ただここで撒けたら、もうライガースは一敗も出来ないどころか引き分けすら許されない。
どう判断するだろうかと、ライガースベンチの方ばかりを見ていたのが悪かった。
高めに外した武史のストレートを、大介は叩き返した。
そのボールは神宮のライトスタンドの、広告看板にまで達した。
「よっしゃ」
わずかではあるが、樋口のリードの精度が甘くなった。
ソロホームランで、点差は一点に縮まってしまった。
これで点差は一点。
そして最後の九回に、もう一度大介の打席が回ってくるのも確定した。
さらには武史の、ノーヒットノーランまでも消えてしまったのであった。
武史のいいところは、そのメンタルであると樋口は思っている。
打たれてもあまり悔しがらず、プレッシャーを感じない。
基本的に負けず嫌いでなければ、どんなスポーツであろうと上手くなるのは難しいはずなのだが、武史は本当に才能だけでプロをやっている。
それでも時々、しまったという苦い顔をしたりはするのだが、大介が相手であれば打たれても当然と思ってしまうのだ。
この場合は、それが助かる。
西郷にアベックホームランでも打たれたら、試合は振り出しに戻る。
だがそこはしっかりと抑えて、奪三振の数は増えていく。
七回の裏、ライガースがピッチャーをどう使ってくるかで、この試合の見方が決まる。
まだ一点差で負けている状態で、オニールをそのまま出してきた。
レックスは左が二人このイニングにはいるので、品川を出すならここだろう、と樋口は思ったりもする。
完全に捨てることは出来ず、かといって勝ちパターンのリリーフを投入も出来ない。
ライガース首脳陣の悩みは、こちらのベンチまで伝わってくる。
(まあ仕方がないか)
樋口としても、そう考えるだろう。
捨ててしまえばもう余裕はなく、しかし勝つのは難しい。
本来のリリーフ陣を使うとしたら、九回までに追いつけた場合か。
九回の表、大介に回るのだ。
そこでまたホームランが出たら、確かに延長に入る可能性はある。
だが、九回の裏には樋口の打順も回ってくる。
(俺にもあんなに無造作にホームランを打つ力があったらなあ)
今年30本オーバーのホームランを打っている樋口は、贅沢な悩みを胸中で呟いた。
七回の裏、八回の表、八回の裏と、お互に得点の入らない展開が続いていく。
なんだかんだと言いながら、スコアは2-1のままで投手戦の様相を呈している。
実際のところはお互いの守備が上手く機能していて、武史はともかく村上とオニールは、かなりその恩恵を受けていた。
そして九回の表。
この試合18個目の三振を奪った武史は、ツーアウトで大介と対峙する。
はっきり言って単に勝つだけなら、西郷に逆転ホームランを打たれる可能性を作ってでも、大介を敬遠してしまえばいい。
あるいは西郷まで敬遠しても、それはそれでいいだろう。
だがクライマックスシリーズの九回ツーアウトで、その選択は難しい。
ベンチとしてはおそらく、勝負するふりを見せつつ歩かせてもいい、というのが正直なところだろう。
樋口もそれが一番だと分かっているし、武史もこだわらないだろう。
しかし西郷の打力であれば、武史から逆転ホームランを打つことも、可能性としてはそこそこ存在する。
(一番いいのは二人歩かせて、グラントで勝負かなあ)
ナックルカーブとチェンジアップを使い、高めの釣り球で確実にアウトに出来るだろう。
しかしそこまで状況を複雑にしたとき、守備陣がしっかりと動いてくれるのか。
大介に打たれたところで、まだ同点だ。
確率の問題であるが、大介であってもここでホームランなど、打つのは難しいのではないか。
しかしプレイオフでの打率は、五割を超えている大介である。
そしてヒットを打てば、三本に一本はホームランとなる。
それでも樋口は勝負する。
脳をフル回転させて、この怪物バッターを打ち取るべく全力で考える。
まずはストレートを高めに外したが、これを振ってはこなかった。
大介なら打てたのではないか、と樋口は思う。そしてセンターフライあたりになっていただろう。
獲物を前にして、不用意には動かない。
一撃で勝負を決めるつもりなのか。
二球目のツーシームを、スイングしてきた。
ボールの上をこすって、その打球はバウンドし、樋口の太もものガードされていない部分に激突。
(いてええええ)
だがここで下手に痛がると、金的をやられたようにテレビに映ってしまう。
なんとか我慢して、ボールを戻して数度屈伸する。
三球目のナックルカーブは、ゾーンを横切ったが見逃された。
そして四球目は高速チェンジアップで、落ちてボールとなる。
カウントは並行カウントになって、ボール球をあと一つは投げられる。
(チェンジアップの後は、速い球だと思うよな)
その通りである。
要求されたボールを、武史はそのままに投げる。
ツーシームが大介の内角に入っていく。
二球目のツーシームの軌道が残っていて、下手に反応できるのが災いした。
樋口としてはホームランにならないだろう、という見込みでの要求だった。
鋭い打球は、そのままファースト守備のミットに収まった。
スリーアウト。
九回の裏を待たずに、レックスは第二戦も勝利したのであった。
アドバンテージを入れて、これで三勝となったレックス。
ライガースはもう、負けることはおろか引き分けさえ許されていない。
最悪でも第六戦に直史が投げれば、ライガースに勝てるだろう。
そう思っていた首脳陣に、悪い知らせがもたらされる。
九回、大介の最後の打席でファールになったボールは、樋口の大臀筋に激突。
これによって樋口は、肉離れとなってしまったのである。
軽度のものであるので、治癒の期間はおよそ二週間。
しかしながらレックスは、日本シリーズにすら至る前に、正捕手を欠いてしまうこととなった。
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