第74話 機械的な冷徹

 四回の表、大介のバットにより、直史のプレイオフパーフェクトという記録は途切れた。

 もっともこれから先、いくらでもそれを達成する機会はありそうであったが。

 その四回の裏、直史は自分にも打順は回ってきたが、一回もバットを振ることはなく三振。

 五回の表のマウンドに、淡々とした無表情で登る。


 佐藤直史は技巧派であり、バッターを変化球で翻弄することに長けている。

 その評価は正解であるが、充分ではない。

 変化球を主体としてコンビネーションで、確かに凡打を打たせることには長けている。

 しかし粘る相手に対して、決め球となるボールで三振を奪うことも出来るのだ。

 一試合当たりの平均奪三振率は12.45と、歴史的に見ても驚異的な高さなのである。

 上杉と武史のせいで、上位のシーズン記録がどんどんと塗り変わっているが。

 

 大介に打たれたヒットに触発されたかのように、観戦している者からは見えたかもしれない。

 この回も三者三振と、緩急を最大限に活かした上で、最低限のボール球だけで相手を封じている。

 空振りをさせることに愉悦を覚えるタイプではないのだが、それでもライガースは圧倒されていた。

 シーズンの過去の試合でも、相当数の三振を奪われて、ノーヒットに抑えられてきた。

 だがこの試合においては、もはやエラーの出る余地さえ与えない、という冷徹な意思すら感じる。


 あまりにも圧倒的で、あまりにも無慈悲である。

 シーズン中のピッチングは、手を抜いていたとでもいうのか。


 もちろんそんなわけはない。直史は常に全力であった。

 だが長いシーズンを戦うための全力と、もう終わりが見えているプレイオフでの全力は、その意味が違う。

 パ・リーグから勝ち上がるのが、ジャガースだろうがコンコルズだろうが関係ない。

 下手をすれば自分がいなくても、樋口がピッチャーを上手く誘導し、その攻撃を封じてしまうだろう。

 

 五回の裏には、レックスはまたも上位打線が回ってくる。

 またも一点を追加し、これにて点差は五点。

 かつて直史が絶対安全圏と言った六点差まで、あともう少しである。


 しかしこれは、両軍のピッチャーの性能差が、残酷なまでに分かってしまう試合であった。

 直史としてはやや多めの、五回を終わって61球という球数。それに対して大原は五割増以上の97球を投げている。

 だがそれよりも残酷なのは、直史が12奪三振であるのに対し、大原はまだ四つしか三振を奪っていないことだろうか。

 ただし大原は、直史によって心を折られることには慣れている。慣れたくはなかったが。


 敵であったときにはあれほど恐ろしかったのに、味方になると弱くなるというのは、マンガやゲームのあるあるである。

 大原にとって大介というのは高校時代のトラウマであり、しかしながらプロとしては何者も防ぎきれない、絶大な貫通力を誇る槍のようなものであった。

 上杉を相手にしてさえ、何本かのホームランを打つのを見てきた。

 だがシーズン中と、この試合を見て判断せざるをえない。

 佐藤直史の方が、白石大介よりも恐ろしいと。


 五回の五点差は、通常のピッチャー相手にライガース打線なら、まだまだ絶望する点差ではない。

 なのでレックスも通常のピッチャーではなく、もう少し直史を使わなければいけない。

 大原の役目は何点を取られようと、逆転の可能性を死守しておくことだ。

 それによって直史が消耗したら、後の試合が楽になっていく。

(本当にそうなのか!?)

 六回の表は、大原もバッターボックスに立った。

 しかし結果は三球三振。もちろん打っていくつもりであったが、全く歯が立たない。


 高校時代はどうだったろうか。

 白富東相手に敗北し、何度心を折られただろうか。

 それは主に大介の打棒によってのものだが、直史のこのピッチングはなんなのか。

 おそらくこれが、あの甲子園で大阪光陰が味わった、本当の佐藤直史だ。

 まさに機械のごとく、バッターを処理していく。

 この回も三者三振で、毛利が二球ほど多く投げさせることが出来た。




 この六回で、大原の球数は100球を超えた。

 しかしシーズン中は、150球を超えて完投したこともある大原である。

 仕事はとにかく、ライガースの他のピッチャーを休ませること。

 それにしても涼しい顔をして打席に立っている直史を見ると、故意にぶつけてやろうかとも思う。やらないが。


 どうにかこの回も無失点で終わらせて、そして七回の表が始まる。

 つまり大介の第三打席が回ってくるのだ。


 三振を奪いに来る直史、という珍しい姿を大介は見ている。

 ただし高校時代からも直史は、奪おうと思えばいくらでも、三振を奪っていたのだ。

 甲子園の決勝などでも、145km/hに満たない球速でありながら、20奪三振を記録したりした。

 大学時代にはリーグ戦で、法教や慶応相手に、一試合24奪三振の記録があるとも知っている。

(今度は本当の本気だな)

 さっきはストレートを打つことが出来た。

 だがスルーであれば、内野ゴロになっていたであろう。

 普通ピッチャーというのは試合が進めば進むほど、ボールの軌道に目が慣れたり、球威が落ちて打ちやすくなる。


 直史の場合は、慣れることがない。

 カーブ一つであっても、速度に角度に変化量。

 プロであってもそこまでは投げ分けられないのだと、プロの世界に入って知った。

 そしてプロで再会した直史は、さらにカーブの種類を増やしていた。


 高校時代、一年生春の大会を思い出す。

 直史が一番得意としていた変化球はカーブであった。

 その後にはスルーという分かりやすい魔球が手に入り、これにシュートだのスプリットだの、パームとスクリュー、そしてナックル以外は全て組み合わせてみせた。

 実際のところパームはチェンジアップの一球種と考えてもいいのだが。またスクリューはシンカーと似た感じで変化する場合もある。


 直史の変化球で存在しないのは、ナックルだけと考えた方がいい。

 あとは球種をどう言い換えても、期待通りの変化球を投げてくるのだ。




 高めのストレートで大江が空振り三振した。

(150km/hか。たぶん体感はもっと速いんだろうな)

 スローカーブを混ぜられただけで、10km/hは体感で速くなる。

 それでなくとも直史の投げ方は、タイミングが取りづらくて球の出所が分かりにくいのだ。

 基本的にそのあたりは、さすがに高校時代と変わっていない。

 つまりあのころは、そんな技術のみで、後のプロをばったばったとなぎ倒していたわけだが。


 これが三打席目の勝負。

 そしておそらく、この試合最後の勝負となる。

 下手をすれば今年最後の対決となる可能性すらある。

 いや、その可能性はそこそこ高い。


 二打席目、ストレートを捉えそこなった。

 わずかにミートが出来ておらず、バックスクリーン直撃とまでは行かなかったのだ。

 この試合に負けるとしても、ただ負けるのではダメなのだ。

 直史だって打てることは打てる。そういう意識を植え付けなければいけない。


 大介が恐れているのは、第二戦以降に直史が、クローザーに回ることである。

 レックスの先発陣は強力で、リリーフ陣も強力だ。

 セーブ王の鴨池は、二軍で長く投げていたが、四年前まではせいぜい一軍で谷間のローテをする程度。

 それが樋口が入った途端、いやさすがに一年目はそれほどではなかったが、武史も入った二年目から、完全に投手陣は再編された。


 年間46セーブという鴨池は、セーブ機会の失敗はあったものの、敗戦投手にまでは一度もなっていない。

 彼もまた、直史とは比べるべくもないが、無敗のピッチャーなのである。

(ナオと樋口がいると、勝手にチームが強くなるよな)

 大学時代のことを考えても、それは間違いではない。

 その強大になった、NPB史上最高の勝率を叩き出したレックスを、どうにか倒さなくてはいけない。

 ただレックスは、スタメンや投手陣の主力に、20代の人間が多い。

 外国人助っ人選びを間違えなければ、主力がFAを迎えるまで、今後三年ほどは覇権を握ることになるかもしれない。

 少なくとも直史のいる間は、圧倒的な勝利を築き続けるだろうと思える。

 



 ここで一点が取れるだろうか。

 そう考えていた大介に対して、初球に投じられたのは斜めのカーブ。

 球速も変化量もあるこのカーブは、斜めに入ってきた。

 ゾーン内なので反射的に打ってしまったが、ボールはライト側のファールスタンドへ。

(打てたんじゃなくて、今のも打たせるためのボールだったよな)

 今のをフェアグラウンドに飛ばすなら、もっともっと懐に呼び込んでからでなければいけなかった。

 球速があったのだから、打てなくはないと思ったのだ。


 バッティングとは即ち、タイミングである。

 このタイミングとミートにスピードを重ねることで、ボールを飛ばす。

 大介の場合、スイングスピードがNPBの選手の中でも最も優れている。

 小さな体格に、そして長くて重いバットを使っていながら、破壊力が出せるのは脅威である。


 一発狙いだ。

 結果的にはヒットまでになるかもしれないが、ホームランを打つつもりで立つ。

 カーブを初球で投げてきて、次は何を選択するのか。

 さっきはストレートを打ったので、またストレートというのは考えにくいか。


 二球目はアウトローへと。

(ストレートか?) 

 反応はするが、スイングまではしない。

 ここから少しでも変化したら、打てても凡打にしかならないと分かっているのだ。

 ただそれでも、ストレートと見て振り切った方が良かっただろうか。

 アウトローいっぱいのストレートはストライクとコールされた。

 

 追い込まれた。

 しかもここから、ボール球を三つも投げることが出来る。

 スライダーの使えるサウスポーであるなら、逃げていくボールを投げるだろう。

 直史も大きく沈みながら逃げるシンカーを使えるが、大介ならそれを追いかけてカットすることぐらいは出来る。

 スライダーでインローを狙われるとか、あとは落ちるボールを使われるとか、普通ならばボールゾーンに逃げていく球で、空振りを取りに来る。

 だが直史にそういった普通はあまり通用しない。

 そして大介にもそういった普通はあまり通用しない。


 おそらくシンカーなどを使えば、ゾーン内ならあっさりとスタンドに持っていくであろう。

 そこで樋口が提案したのは、まずは見せ球にすること。

 他のバッターに対してはここまでしないし、ここまでせずに打たれても仕方ないと考える。

 だが大介にはこれ以上ない配球をして、なんとしてでも打たせたくはない。


 既に一打席打たれているのだ。

 この打席を封じたとしても、打率は0.333となる。

 一流バッターの打率だ。あえて四度目の対戦を呼び込んで、0.250まで落とすことなど考えない。

 壮行試合のような、自分のプライドのためだけに投げるのではなく、これはもっとシビアな勝負だ。

 金がかかっているし、優勝がかかっている。

 指示がない限りは敬遠はしない。それはプロとしてあるべき姿ではないからだ。

 しかし自分以外の人間にも大きな損得が生じる場面で、わざと敬遠してもう一度勝負しようとは思わない。

 そもそもそんなに対決する場面を増やしてしまえば、それ以外の部分でも打たれる可能性が出てくるではないか。


 さっきはストレートを打たれた。

 だがまた樋口は、あえてストレートを要求してくる。

 直史は頷いて指定どおりのコースへ投げた。

 アウトハイ。大介は振ってくる。

 レフト方向へ飛距離は充分ながら、ポールを大きく切れていった。

(完全にボールゾーンでも、こういう場合なら振ってくるよな)

 樋口は大介の打席の傾向を、散々に調べつくしている。

 これでボールカウントを増やすことなく、大介の目に外の速球を印象付けられた。


 大介としても今の球を、振り切ってレフトスタンドに運べなかったのは残念である。

 思ったよりも伸びてきたのは、高めならば普通のことだ。

 それに高さは外れていたのだ。




 一度バッターボックスを外す大介。

 対して直史も背中を向けて、バックスクリーンを見つめる。

 5-0で勝っているという状況。

 ここで大介にホームランを打たれても、試合の趨勢自体は変わらないだろう。

 だがこの試合だけではなく、クライマっクスシリーズ全体と、それに続く日本シリーズを考えれば、打たれるわけにはいかない。


 与えるべきは絶望だ。

 大介ならばそれすらも楽しむだろうが、他の選手はそうはいかないだろう。

 直史が投げれば、絶対に大丈夫。

 もう何年も前に、レックスの当時の監督が言っていたことだ。


 振り向いたら、バッターボックスに戻った大介が、くるくるとバットを回していた。

 直史は樋口のサインを待つ。

 さほどの間もなく、サインが出された。

 前の外へのストレートの感覚は、今のわずかな間に脳裏から消し去ったと判断するのか。


 また音が消えていく。

 一つのポイントだけを狙って、スピンをかけるのだ。

 振りかぶった直史は、体をぐいとねじった。

 背番号をバッターに向けるようなトルネード投法など、今年のシーズン中は一度も使っていない。

 大介にはこけおどしだと分かるはずだが、その判断に0.001秒でも時間をかければ、それだけ対応にかける時間は割かれる。

 0.1秒でも長すぎる。

 ほんのわずかなタイミングの違いが、球速を補ってくれる。


 投げられたボールは、ベルトの高さの外角。

 本来ならばそれなりに、打ててもいいコース。

 しかしそのボールは、伸びながら沈んだ。

 そして大介のバットは空を切った。

 空振り三振。

 大介の脳裏から、ストレートの軌道は消え去っていなかった。




 九連続奪三振。

 本人の気づかないところで、またおかしなことを起こしている。

 続く西郷を内野ゴロにしとめたが、それを別としてもこの試合は既に17個の三振を奪っている。

 事実上この七回の表で、試合は終わったと言っていいだろう。

 そして首脳陣は色々と考えることになる。


 この時点で直史の球数は83球。

 普通のピッチャーであればかなり少なく、直史としては多めである。

 五点差もあるのだから、代えた方がいいのだろうか。

 ベンチの首脳陣は樋口の意見を求める。

「いや、最後まで投げた方がいいでしょう」

 大介を三振で打ち取られて、ライガースは明らかに戦意を失いかけている。

 このムードのまま最後まで迎えるなら、直史を降ろしてもいい。

 しかしライガースは下位打線でも、それなりの爆発力がある。

 直史ならば、もう最後まで投げきるだろう。


 首脳陣はもう遠い昔のこととして忘れているのかもしれないが、直史は甲子園の決勝で15回を150球以上投げて、その翌日も完封したようなピッチャーなのだ。

 それに大介と西郷の打席が終わったのだから、上手くコンビネーションだけで、残りのバッターは打ち取れる。

 ここまで直史は、ヒット一本を打たれたのみ。

 さほど価値のある記録ではないだろうが、プレイオフでのワンヒット完封というのは、それなりにネットでも記録されるようなものだ。

 この試合のスコアは、ほぼ芸術的な価値すらあるだろう。


 最後まで直史に投げさせる。

 そしてライガースの士気をさらに下げておけば、明日以降が楽になる。

 単純にこの試合だけではなく、直史の有効利用というのは、そういうものであるだろう。

(そもそもあと二イニングなら、100球以内に収められないかな?)

 絶望を与えるためには、打たせて取るよりも、奪三振がより望ましいのだが。


 ベンチに座る直史は、集中力を保っている。

 大介と西郷を片付けたところであるが、まだまだ気を抜いていない。

「完封でいいよな?」

「分かった」

 樋口の問いに、短く答える直史であった。




 この日、最終的なスコアは、5-0のままレックスが勝利。

 アドバンテージの分も合わせて、二勝目となった。

 直史は九回を投げて104球とマダックスは逃す。

 だが打たれたヒットは一本の、無四球無失策で、奪った三振は22個。

 シーズン中の先発登板自己最高15奪三振、リリーフで九回までを投げて奪った19奪三振を、はるかに上回る数字を残した。

 化け物は三振も、取ろうと思えば取れるのだと、周囲に知らしめた試合であった。

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