第58話 懐かしき甲子園

 レックスの一番西片は、ライガースの一番としても、長い選手生活を送ってきた。

 そのままこちらに骨を埋める覚悟もしていたのだが、知られている通り第二子の出産を機会に生まれ故郷の関東に戻った。

 対戦相手のレックスのリードオフマンとして、もう長く活躍を続けているが、それでもいまだに関西でファンは多い。

 その西片にとって、山田は育成から這い上がってきた、尊敬すべき後輩であった。


 ライガースのエースとしては、右の山田に左の真田。

 そう言われてもう何年も、安定して二桁勝利を続けている。

 39歳の西片と、34歳の山田。

 最盛期の身体能力はないものの、経験と技巧の果てにあるバッターと、円熟味を備えたエース。

 その勝負は純粋に素晴らしいものであり、山田もペース配分よりもまず、一人に対して集中力を持って対決する。


 西片はその日のピッチャーの様子を確認する、斥候型の一番。

 10球も使わされたが、どうにかファーストフライに討ち取って、次もまた厄介なバッターである。

 現在セ・リーグで最多安打の一位にいる緒方。

 右打ち名人と呼ばれ、最低でも進塁打を身上とする彼は、年間で併殺打に打ち取られることが、一度もない年がある。

 つなぎの二番かと言われると、しっかりライト前に落とすか、一二塁間を抜いていく。

 最低でも進塁打と言っておきながら、どれだけしっかりとヒットを打っていくのか。

 これでポジションはショートなのだから、地味に素晴らしい選手である。

 時折逆方向に引っ張って、長打も打ってくるのだ。そういった打ち分けもきくのだから、厄介なバッターである。


 甲子園優勝投手となりながらも、自分の本分は内野だと思っていた緒方。

 ショートを守ってもいたが、完全に野手一本に絞ったのはプロに入ってから。

 それでも本当にプロでショートとして一年目から定着し、高卒野手がショートで新人王を取ったのだから、その脅威度は極めて高い。

 長打力を二回り、それ以外を一回り小さくした大介、と言われたらその凄さが分かるだろうか。

 実際に今年は安打量産機となっており、チャンスの拡大や自分の出塁、そしていざという時の長打など、様々に活躍している。

 こいつをデッドボールで骨折でもさせたら、大介が最多安打のタイトルを取る可能性は高くなるよな、と思ってしまったりする山田。

 もっとも緒方は、デッドボールを避けるのも上手かったりする。


 その緒方もなんとかファーストゴロに打ち取り、そしてラスボス三番。

(こいつだよ)

 レックスはとにかく、三番打者までが三振しないし、球数を多く投げさせるバッターでそろえてある。

 今年の樋口の成績は、ここまで打率0.348 打点90 ホームラン33本 盗塁24 と完全に直史と大介さえいなければMVPレベルである。

 もちろんキャッチャーとしては、レックスの投手陣を完全に掌握している。

 走れるキャッチャーなどというふざけた存在だと思っていたが、移籍してきた孝司もキャッチャーのくせにかなり盗塁をしている。

 あとはボークを誘う走塁をする、フェニックスの竹中なども、走塁巧者である。

 キャッチャーの新しい時代かとも思うが、日本のキャッチゃーの職業範囲を考えるなら、そんな万能型はめったにいないはずなのだ。


 やたらと打つし、三振しないし、歩かせたら走るし、長打も打てれば、勝負どころで強い。

 大介がいなかったら、こんな選手がいるのはずるい、と言っていたライガースバッテリーである。

 大介がいる時点で、そんなことを言う権利を失っているのがライガースだ。

(どうします? 普通でいいですよね?)

(初回だしツーアウトだしな。樋口は第一打席はねちっこいバッティングをしてくるし)

 真ん中よりのストレートでも、最初の打席はそうそう振ってこない。

 その樋口の情報は、あえて樋口自身が作ったものである。


 困ったときのアウトロー病以上の、初打席の初球は手を出してこない病。

 それに意図的に感染させている樋口は、ここまで簡単に取らせていた第一打席のファーストストライクを、ここで収穫する。

 タメをちゃんと作った上で、しっかりと引っ張る。

 レフトスタンドに飛び込んだ打球で、まずは一点先制。

 安堵のため息をわずかに洩らしながら、樋口はダイヤモンドを一周する。


 大介の前を通る時に、囁いてきた。

「上手くペテンにかけたもんだな」

 それぐらいで怒る樋口ではないが、足を止めて言い返したいことは言っておく。

「野球においてはペテンにかけられる方が悪い」

 そして走塁を再開する樋口に聞こえないように「そうだけどな」と大介は呟いた。




 樋口は打つべき時に打つ男だ。

 直史はそう思っているが、樋口としては不本意であったのだ。

 本来なら打つべきは、もう一人ぐらいランナーがいる状態が望ましかった。

 ただ今日のライガースは、西片も緒方も、かなり丁寧に処理している。

 山田はそれなりの完投能力はあるが、それよりも確実に無失点に抑えて、終盤はリリーフで通すつもりなのだろうと思った。


 初回の初球を打つというのは、これまでにちゃんと布石を打ってきたのだ。

 プロのバッターであっても、最初のストライクは振らないと考えているバッターもいる。

 その日の球筋を見るという点では、そういうやり方もあるのか、と樋口も全否定はしない。

 だが、自分のやり方とは違うだけだ。


 ライガースは山田と真田、そして阿部がかなり計算の出来る先発だ。

 あとのピッチャーの中では、大原あたりがイニング数を投げるため、それなりに勝ち星も積みやすいピッチャーになっている。

 山田と真田は、かなり攻略は難しい。点を取れても悲観的に二点程度と見ておくべきだ。

 それが初回に、甘いボールを投げてきたのだから打ってしまうしかない。

(どうせプレイオフではあんなの投げないだろうしな)

 レギュラーシーズンのデータがプレイオフでは通用しないのは、この二年で痛感している樋口である。


 落としたくない地元開催で、直史に負ける。

 それが本当に効果的かどうかは、樋口としても疑問である。

 むしろライガースを、より強くしてしまう可能性すらある。

 ただレックスとしては、直史の不敗神話を消してしまうわけにもいかない。

 ヒットの一本か二本ほど打たせて、その上で無失点で勝つ。

(いくらなんでも都合が良すぎるな)

 ベンチに戻ってきた樋口は、チームメイトたちとハイタッチをかわしていく。

 その中で直史も、左の手を上げていた。

 お互いの手のひらの間で、音が生まれる。

「あと一点はほしいな」

「どうかな」

 このあたりは事実ではなく、あちらのチームがどう上手く士気を保つかによるのだ。


 これまでの二試合で、完全に直史に封じられてきたライガース。

 本拠地甲子園でも封じられてしまえば、さすがに心が折れる選手もいるだろう。

 だがおそらく大介は、負ければ負けるほど、リベンジに炎を燃やす。

 その炎を延焼させる手腕が、あちらの首脳陣にあるかどうか。


 燃焼しそうなものは、他に西郷や真田など、何人かいる。

 この試合で一点ぐらい取らせて一息つかさせるか、それとも一点を取られれば、嵩にかかって攻めかかるか。


 ライガースはファンの応援がすごいチームで、神宮でもかなりのライガースファンの姿を認めた。

 クライマックスシリーズの対戦は神宮で行われる。

 日本で一番過激なライガースファンの、応援の息の音を止めたい。

 だが最下位がどれだけ続こうが、時折の五位や四位で生き延びてきたのが、20世紀のライガースファンである。

 今の訓練されたライガースファンは、おそらくゴキブリよりもしぶとい。

「まあ長い目で見るのは我慢して、とりあえず目の前の試合に集中するか」

 樋口の言葉に頷く直史である。


 山田相手だとレックスの緻密な攻撃も、なかなか機能しにくい。

 浅野が大きな外野フライを打って、あわや連続ホームランかとも思ったが、甲子園の風はライガース有利に働いた。

 神宮なら入ってたな、と思いつつも、切り替えていく浅野である。




 マウンドに立って直史が思ったのは、そういえばライガースの選手以外では、オールスターで運が良くない限り、まっさらなこのマウンドには立てないんだな、ということであった。

 山田は自分の踏み込んだ跡を、ちゃんと戻してマウンドから立ち去っている。

 もちろん完全にではないので、おおよそその踏み込みなどは分かるが。

(育成上がりか。それでこれは、たいしたものだ)

 マッスルソウルズのチームメイトであった能登は、一軍で投げている。

 山中は同じチームなのでしょっちゅう顔を合わせるし、やはり一軍に上がってくることも多い。

 だがそれでも、チームの主戦力とまでは至らない。


 なぜ望む者に、その才能を与えないのかと、世界の不条理に想いを馳せる人間がいるかもしれない。

 だがそれは勘違いで、多くの人間に様々な才能は、平等に与えられる。

 その才能の使い道をどうするかが、人間に許されているのだ。

 直史の才能は、確かに存在する。

 だがその才能は肉体的なものよりも、集中力であると言っていい。

 

 柔軟で繊細な指先感覚、肉体全体の柔軟性、これらはある程度は先天的であるが、ほとんどは後天的に身に付けたものだ。

 速球にしても150km/hを高校生がバンバン出す時代に、一試合に数度しか150km/hを投げないのは、速球派としては成立しない。

 変化球の微少なコントロールは、まさに訓練の結果身に付けたもの。

 集中力と、コンビネーションを考える頭脳。

 この二つは先天的な才能と言ってもいいかもしれない。


 ライガースの一番は毛利。

 打率が高く、出塁率はもっと高く、選球眼に優れ、難しい球はカットする俊足の一番。

 初球のど真ん中などという甘いことはせず、いきなりアウトローにしっかりとコントロールする直史である。

 ストライクなど、いつでもいくらでも、難しいところで取れる。

 それが直史の最高の長所。


 プロであっても普通のピッチャーなら、フルカウントからは制球が乱れてもおかしくはない。

 フルカウントでなく、そもそもその日の調子次第で、制球のみならず全体が不安定になる。

 直史にも調子が悪い日はある。

 だがそういう時にでも、通用するピッチングが出来なければ、真のエースとは言えないだろう。

 試合はピッチャーに合わせて待ってくれたりはしないのだから。


 毛利としては高校時代から、どうしても対応できない対象。

 高校レベルで既に、相手を完全に屈服させる力を持っていた。

 今はさらにその上限が上がっている。

 つまり緩急の幅が大きくなっているのだ。

 



 ストライクを取られたあとも、ゾーン内に球は投げられる。

 高めに外したストレートを打つ。

 そのはずであったボールが来たのに、内野フライになってしまった。

 結局三球三振にはならなかったが、四球目でアウト。

 佐藤直史は体力お化けなわけではないと、大介も西郷も言っていたが、粘って球数を投げさせることも出来ていない。

 ライガースが勝つには、消耗戦に持ち込むべきだと、最終的な分析が出ていた。

 もっとも投手層はライガースの方が薄いのだ。その分をバッティングの優越でカバーしなければいけない。


 最後のストレートは149km/h出ていたが、それよりもずっと速く感じた。

 さらにホップ成分が、想像以上に高かった。

 カットしまくって出塁するというのは、プロにおいては見苦しいなどと言う人間もいるが、生活のかかっている状況でそんなことを言われても戯言としか思えない。

 結局のところ、ほとんど粘れていないわけであるが。


 そして二番の大江も、初球の内角球に手が出ない。

 あまり投げないはずのストレートで、初球の見逃しストライクを取っている。

 確かに打とうと思っていても、難しい球かもしれない。

 だが変化球よりは、まだマシだという数字が出ているのだ。


 二球目に速いカーブを投げられて、これを大江は打ってしまった。ツーストライクまでは見ていいはずであったのに。

 ショート正面で簡単に処理して、これでツーアウト。

 さて、ラスボスと勇者の最初の対決である。




 野球は統計のスポーツだ、と直史は信じている。

 だから選択肢が多ければ多いほど、打たれる確率も少ない。

 ほとんどのバッターはストレートか主に使う変化球のどちらか、あるいはどちらにも対応出来る能力を持つ。

 そして読みでもって、狙い打ちをしてくる。

 一般的にプロのバッターは、反射で打つ天才か、読みで打つ秀才か、天才が学習した化け物の三つである。

 

 ならば大介は、どれに当たるのだろうか。

 基本的にゾーンに入っていれば、そしてゾーンから外れていてもバットが届けば、どうにかバットコントロールでミートしてしまう。

 左打席と右打席では、やや感覚が違うが、それでも強打者であることは間違いない。

 大介は高校時代に、直史とジンのバッテリーと共に過ごした。

 140km/hのストレートが出せないピッチャーでも、コンビネーションで完全試合に抑えることが出来る、事実を知っている。

 そこからはちゃんと、身体能力に頼っただけではない、配球について学んでいる。


 プロ入りした時点で既に化け物だった大介だが、二年目はさらなる怪物になっていた。

 基本的にプロ入りした時点で完成していて、二年目にはパワーも変化もアマチュア以上のプロに、慣れたからこその成績だろう。

 その大介と、直史はプロ入り後、二試合三打席対決している。


 一本のヒットも打っていない大介が、勝っているとは言いがたい。

 だが一本のヒットも打たれていない直史は、削られているなと感じている。

 この試合、樋口が既に一点を取ってくれた。

 出来れば二点差がある状態で戦いたかったが、これはホームランを打たれても逆転されない点差だ。

 なので現在の対応力を見て、プレイオフを計算するために、対決していくのが合理的な判断だ。


 戦略的に考えれば、打たれてもいい状況。

 ただし直史は戦略よりも優先するべきものがある。

 それはピッチャーの意地や、プライドなどといったものではない。

 勝つことこそが最重要と、興行であるプロ野球とは、やや反する思考を持つ直史であるが、大介とは対決する。

 そのために直史は、プロの世界に来たのだから。

 わずか五年と区切られた時間。

 その中でどれだけ大介との対決の機会があるか。

 大介に、敗北を教えてやらないといけない。

 

(で、どうするんだ?)

(いや、リードするのはお前だろ)

(そうは言ってもなあ)

 大介はプレイオフに入れば、さらに危険な破壊力を発揮する。

 シーズン中の対戦では、色々と工夫をして打ち取っていた。

 大介が自己評価している以上に、直史は大介を危険だと感じている。

 負けてもかまわない、むしろ欠点を洗い出すための紅白戦。

 また負けたら恥ずかしいが、特に実害のない壮行試合。

 その延長で大介は、シーズンの前の二試合を戦ってきていると、直史は判断している。


 難しく考えすぎた。

(今は全力で抑えたらいい。プレイオフはプレイオフ用に、また違った全力で戦う)

(了解。じゃあ行ってみようか)

 バッテリーの間でピキーンと分かり合って、怪物退治はスタートする。


×××


 飛翔編31話に続く!

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