第59話 強さの理由

 レックスが今シーズンここまで圧倒的に強かった理由は、その投手力にあることは間違いない。

 だが投手をリードするキャッチャーの力は、さらに大きなものであったろう。

 それに何より、樋口は打てるキャッチャーだ。

 ウォリアーズの変態キャッチャー山下も、キャッチャーとしてはかなり打てる方だと言われていたが、樋口は確実に現在のリーグでは最高の総合力を持つキャッチャーだ。

 現時点で二桁勝利をしている先発が五人。

 他にも豊田の22ホールド6セーブ、利根の26ホールド、鴨池の43セーブ。

 ビハインド時やワンポイントで投げた星の41登板6ホールドなども、そのイニング数を考えれば貢献度は高い。

 勝ちパターンのリリーフにばかり目が行きがちであるが、ビハインド時にリリーフとして登板し、負け試合に力のあるピッチャーを使わないで済むだけでも、星には価値がある。

 さらにはそこから我慢して逆転し、2勝もしているのだから、ピッチャーには色々な使い方があるのだ。


 今年の新人であれば、左のサイドスローである越前は、14登板で6ホールド。これはシーズン序盤は使われなかった上での数字である。

 同じく大卒ルーキーの泊も、楽な場面ではあったが9登板し、試合を壊すことはなかった。

 なお吉村も故障がちながら貯金自体はしっかり作り、残り登板予定二試合で勝てば、また二桁勝利となる。

 二桁勝利が五人いて、しかも四人が15勝していれば、それはさすがに勝つだろう、という話である。

 さらに正確に言うなら、一人は20勝しているわけであるし。

 

 これほどの投手陣を、それでも突破してきたのが、今年のライガースであった。

 ただこれにはちゃんと理由もある。

 ライガースとの対戦では、あまり樋口の打率がよくなかった。

 おそらくライガースの強力打線を封じるために、キャッチャーとしてのリソースを多く割いていたからだろうと言われている。


 それはもっともらしい理由であるが、完全に間違った推測だ。

 樋口はレギュラーシーズン中は、ライガースのピッチャー相手に、打つよりも観察を主にしていたのだ。

 チームが独走態勢に入ってからは、さらに自分の打力を落としても問題はなかった。

 この二年、ペナントレースで勝ちながらクライマックスシリーズで負けていたのは、樋口も大変に反省している。

 ライガースの中でも真田、山田、阿部の三人の先発に、リリーフ陣では植山、若松、品川といったあたりは、自分なりの分析が必要だと思ったのだ。


 そしておおよそ、その分析は終了した。

 あとは活用の場面で、とりあえず一本打ってみたのだ。

(まあ、対処を完全に確立されてると思われるのもまずいけどな)

 樋口にとって野球は、頭脳ゲームである。

 もちろん最低限の戦力を備えていなければいけないが、それはドラフトやトレードに外国人などで、ある程度戦力は均衡している。

 問題はその戦力を、首脳陣が把握していないことである。


 武史が入る以前、樋口が正捕手に定着した年、レックスは久しぶりのAクラスになった。

 そして武史が加わって、一気に優勝した。

 もちろんこれは、他の球団の選手が怪我をしたりと、不確定要素もある。

 だがピッチャーの成績を軒並改善しただけではなく、故障さえも少なくしたのは、樋口の手腕である。


 もちろん樋口が全部一人でやってくれたわけでもないし、樋口でもどうにもならないものはある。

 一年目の吉村を抜擢して、前年の最下位から四位まで上げたコーチ陣。

 ただこの一年目からの酷使により、吉村は慢性的な故障状態にはなった。

 直史が入ったおかげでローテ陣が埋まり、ゆっくりと開幕以降に一軍合流し、今年は途中の離脱がない。

 一年目を体作りに使っていれば、もっと故障は少なかったと思うのだ。

 先発登板した試合はほとんどが、クオリティスタート。

 だがこれまたほとんどが、六回でマウンドを降りている。

 8勝2敗という数字は素晴らしいが、リリーフがいなければ勝ち星がつかない。

 一年目などはかなり、完投までしていたのに。




 この三年、ずっとリーグ優勝を争っているライガース。

 樋口の二年目はライガースが消耗していたこともあり、レックスが日本シリーズに進んで日本一になった。

 だがその後の二年間は下克上と、短期決戦には負けている。

 そんな短期決戦において必要なのは、圧倒的なピッチャー。

 武史に加えて直史が加わって、勝てる先発は増えている。

 

 不調になった豊田も、終盤になって復帰した。

 ここまでかなり投げていた鴨池を、しばらく休ませていておけるのも、プレイオフ対策としては必要なことだ。

 もっとも直史と武史は、リリーフのいらないピッチャーだが。

 この左右の二枚を持っていて短期決戦に勝てないなら、指揮官は切腹ものである。


 両者の首脳陣の動きを、直史と樋口は観察する。

 ライガース側は金剛寺がどっしりと構えて、島本が細かく動いている。

 投手運用は島本、それ以外は金剛寺と、役割分担はほぼ完全に分かれている。

「山田さんは調子はいいんだよな?」

「調子がいいから安易に初球を投げ込んだわけだ」

 もちろん不調であれば、それ以前に西片や緒方が打っている。

「そういやあの人は、メジャーとか考えなかったのかな」

「どうだろうな。体格的には向いてないわけじゃないと思うけど」

 そうは言ったが樋口は、色々MLBで活躍したりしなかったりする日本人選手の中で、とりあえず成功するための最低条件の一つを、山田は満たしていないのではないか、と思っている。

 それは耐久力である。


 MLBのシーズンは160試合が行われて、先発ピッチャーは中四日か中五日で回転する。

 その分球数制限やローテもしっかりと守られているが、日本の中六日に慣れたピッチャーにとっては、移動まで一斉に行うメジャーのシーズンは、過酷であると思うのだ。

 樋口にとって直史は、上杉と並んで傑出したピッチャーであるが、そのあたりがMLBでも、成功しないかもしれない理由となっている。

 本人は全く、渡米する意思などないと分かっているが。


 MLBに行けば伝説を残しただろうな、と確実に言えるのは、既に中五日でローテを回し、しかも130球前後は投げる上杉である。

 MLBの公式球でも投げられることはWBCで証明したし、体力も耐久力も抜群。

 何より球速が非常識である。

「今のライガースの選手だと、白石は別格として、阿部とせごどんあたりは通用するかな」

 樋口の評価は、特に責任もないので適当である。


 さすがに自軍のベンチ内で、自軍の中のMLBで通用しそうな選手、などという話題は出せない。

 だがもちろん樋口はそのあたりのことも、考えたことはある。

 金原、通用するだろうが、耐久力は微妙。

 佐竹、おそらく通用する。

 武史、通用するだろうが本人のモチベーション維持が問題である。

 リリーフ陣はおそらく、豊田は少しは通用する。

 野手はどうか? それはもちろん、自分ぐらいは通用するだろう。

 ただ樋口はMLB式のキャッチャーの使い方は、好きではないのだ。




 マイペースに雑談をしている間に、本日スタメンの小此木がヒットを打ったりしたが、追加点は入らずにチェンジ。

 四番の西郷から始まる、これまた強力なライガース打線。

 ただしライガース打線は、強力ではあるがそこそこ隙もある。


 直史の意見においては、厄介なのは一番毛利、三番大介、四番西郷の三人だ。

 他のバッターも長打を打てて打率も高いが、打線の中での脅威度は低い。

 一発を打てるという意味なら、確かに二番から七番までは、かなりの長打力がある。

 キャッチャーを孝司がすることになったので、よりその打撃力は増している。


 西郷は間違いなく、大学を経由してプロ入りし、成功したと樋口は思う。

 他に誰も投げられないはずのスルーさえ、帝都がシーナを使ってきた時のために、ある程度打つ練習をしたのだ。

 あらゆる変化球を、直史によって投げてもらった西郷。

 さらに武史のスピードにも対応し、六大学野球のホームラン記録を塗り替えた。


 それが敵になってしまうのだから、未来というのは分からないものである。

 だがその西郷も、試合の中のコンビネーションで、投げられる変化球はほとんど体験していない。

 紅白戦の時などは、直史はサボっていたからだ。

 サボって勉強していたのだから、注意する筋のものでもないだ。


 ただしバッピをしていただけに、西郷の苦手なコースや得意なコースも分かっている。

 一番得意とするのは、内角に鋭く切れ込んでくる球だ。

 普通なら腰が引けるはずの球を、しっかりとバットの根元で打って、スタンドにまで運んでしまう。

 もちろんストレートには強く、強いて言えばカーブに弱い。


 そう、カーブに弱い。

(スローカーブちょうだいな)

(あいよ)

 ぽんと上から降ってくるスローカーブを、見逃す西郷である。

 バットも振らずじっくりと、その球筋を見送った。


 これは確実に狙ってくるな、ということは分かる。

 西郷の場合反発力が低くなりがちのカーブでも、自分のパワーだけで持っていける。

 なので初球には見せたが、カーブはこれだけにしておこう。

 このあたりの認識が一致するのが、直史と樋口なのである。


 高めのボール球のストレートを打たせて、ファールでカウントを取る。

 そして最後に投げたのはチェンジアップ。

 下手に踏ん張らず素直に振って、空振り三振である。




 わざとらしい三振だったな、と思うレックスバッテリー。

 西郷は純粋なパワーだけなら、もちろん大介よりも上である。

 ただホームランを打つにも、レベルスイングから持っていく打ち方と、アッパースイングで持っていく二つのスイングを持っている。

 見た目だけならパワーバカの西郷。

 しかしそのパワーをどう使うかは、しっかりと分かっているのだ。


 五番のグラントは、予定通りにあっさりと三振。

 六番黒田もゴロを打たせて凡退と、この二回は10球しか投げずに終わった。

 ただ三回の裏の先頭打者は、白富東の後輩の孝司。

 西郷ほどの長い期間ではないが、直史のボールを知っている。


 それはおそらく関係ないだろうな、と直史は思っている。

 卒業後も練習に協力はしていたが、今の直史は球速が上がっている。

 イコールスピンをかける力も上がっているということで、変化球の変化も大きくなっているのだ。

 そもそも変化球の変化量を、ほぼ自在に操るのだ。

 少しだけ曲がるカットやツーシームは、打たせて取るためには必須のものである。


 四回の大介の二打席目が、やはり二度目の山であろう。

 集中力を高めていって、だがそこだけに全てを注ぎ込まないように、配分を考えておく。

 あとは脳にちゃんと糖分を送らなければいけない。


 人間の脳はその大きさの割りに、とてもエネルギーを必要とする器官である。

 直史は明らかに、他のピッチャーと比べても頭を使っている。

 樋口のリードに基本的に反対はしないが、それと全てを任せるのとは違う。

 また脳は、体の緻密なコントロールも担当しているのだ。

 姿勢の制御に脳が働いているというのは、有名な話である。




 三回の表、樋口の前でスリーアウトとなって、バッティングのプロテクターを外して、キャッチャーのプロテクターを装着する。

 キャッチャーからバッターへの切り替えと、バッターからキャッチャーへの切り替えがしんどい。

 相手を読むという点では同じなのだが、この切り替えだけでもエネルギーを消耗している感じはする。


 投げる直史以上に、樋口は脳を使っている。

 直史は完全に打撃を放棄し、ずっと同じ状態を維持しているのだ。

 対して樋口は、相手のピッチャーが強敵である場合、クリーンナップとしての仕事も果たさなければいけない。

 そして塁に出たら走塁もと、色々とやることが多すぎるのだ。


 ライガースの七番は、今季から正捕手となった赤尾孝司。

 直史の高校時代の後輩であり、プロとしては樋口よりも長い。

 ただ前に所属していたスターズは、尾田が長い間正捕手として活躍していた。

 そこから大卒の強打者捕手福沢が入ってきて、また二番手となるところにライガースへの移籍。

 現在は打率.280に12本というから、キャッチャーとしては相当に優秀な方の打撃だ。

 樋口はバッティングよりもインサイドワークを自分で重視しているだけに、孝司についても評価する。

 いくら福沢が正捕手になったとはいえ、こんなレベルのキャッチャーを同じリーグの球団に渡すスターズは、やはりフロントがおかしい。


 ライガースの打線の狙いは、次の八番石井でしっかり試すこととして、孝司に対しても樋口は、リードを甘くしない。

 インローにびしりとストレートが決まって、まずはストライクから入る。

 続いて内角の軌道から、外に逃げていくスライダー。

 こちらはスイングしたものの、変化についていけず空振り。

 あっさりとツーストライクに追い込めた。


 決め球にはストレートは使わない。

 カーブを打たせて、あっさりと内野フライ。

 残る二人はそれほど、打撃力は高くない。


 セカンドの石井は守備力と内野の統制、そして九番の山田は打撃も出来るピッチャーではない。

 この石井に対して高めのストレートを試してみれば、初球から振ってきてキャッチャーフライ。

 ストレートを狙ってきているのかと推測が立つ。まさか初球から振ってくるとは思わなかったからだ。

 続く山田も三振に打ち取り、三者凡退。

 とりあえず一巡目は、ランナー一人出さないパーフェクトピッチ。

 だが四回の裏は、大介にまで絶対に打順が回る。


 どうやって打ち取ろうかと考えつつ、バッターボックスに入る樋口。

 上手くバッティングの方に集中できないなと思いつつ、山田を観察する。

(この人ぐらいのピッチングが、やっぱり普通はエース級なんだよな)

 上杉や直史の他にも、武史や真田、そして160km/hを出せる日本人ピッチャーが大量にいる、今のNPBはおかしい。

 既にMLBに行っているピッチャーが相当数いてもこれなのである。


 集中しきれていなかったが、バットを一回も振ることなく、フォアボールで出塁。

 ノーアウトのランナーでありながら、走るつもりは全くない樋口であった。

 そのままレックスの攻撃は、後続が続かない。

 なんだかんだ言って山田も、ここまでヒット二本に抑えるピッチングをしているのだ。

 

 あと一点あれば、取れる戦術の幅が増えるな、と樋口は考える。

 ただ下手な余裕が出来るのもよくないのかな、とも考えたりする。

 四回の表が終わって、四回の裏。

 一番の毛利が、ベンチの前でバットを振っている。


 プロテクターを着けて、ベンチを出る樋口。

「そろそろセーフティあるかな」

 直史の問いに、可能性を考えて頷く。

「アメリカだとノーヒットピッチングをしている間は、バントヒットを狙ったらいけないとかあるらしいな」

「聞いたことはあるが、訳が分からんな」

 MLBの科学技術の恩恵は受けながら、実は一部では日本でも、それを凌駕する科学的なアプローチがあることを知っている直史である。


 この回、二度目の大介との対決。

 しっかりとその前の二人は抑えておかないといけない。

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