第55話 最後の対決

 ひょっとしたら、とは思っていた。

 お互いのローテーションの間隔。

 終盤における疲労回復と、天候などでのズレ。

 ライガースとの三連戦は、レックスが負け越したが、次のスターズとの25回戦。

 最後の対決で、直史と上杉のローテが噛み合ってしまった。


 ここまで直史は22試合に登板していた。そして20勝と1セーブ。

 一つだけ、勝ちも負けもホールドもセーブも、付かなかった試合がある。

 スターズ戦の、上杉との対決である。


 お互いの先発が12イニングも投げて、両チームランナーは一人も出せず。

 お互いがパーフェクトであったがゆえに、お互いにパーフェクトがつかなかった。

 パーフェクトで延長まで投げきるピッチャーが二人いて、ようやく成立するこの記録。

 おそらく他のどんな記録が塗り替えられても、この記録だけは塗り替えられないだろう。


 そもそも上杉との対決が、レックスは三度しかなかったということもある。

 上杉は中六日ではない変則ローテなので、偶然や雨天順延などで、当たらないことは考えられた。

 今年の場合は上杉が少し休んだことで、さらに偶然に対決が成立しなかったこともある。

 だが終盤、ここでは逆に雨天によって、上杉の登板がずれた。


 直史と上杉、レックスとスターズの、両エースの対決。

 今年二度目で、シーズンでは最後の対決。

 プレイオフのファイナルステージで対戦する可能性は、それなりにあると思う。


 前回の奇跡的な試合はまだ記憶に新しく、今度はどんな投げあいになるのか、ファンならずとも野球に関係している者は、注目している。

 今度の舞台は神奈川スタジアムで、当然のように球場は満員。

 たとえ球団関係者でも、もう直前になれば席は取れないという盛況具合である。

 だがそんな中でも、伝手とコネがあれば、VIP席を確保出来るのだ。

「こんなこともあろうかと」

 珍しく目に見えて得意げなセイバーに、瑞希と明日美は苦笑を返す。

 そしてイリヤは既に、試合開始前のグラウンドに視線を固定している。




 直史と上杉の間には、それほど親しい関係性はない。WBCなどで同じチームになったが、接触の時間自体が少ないのだ。

 これが武史であると、プロ入りしてからの年数と、嫁が親友同士ということもあって、それなりに交流があるのだが。

 しかし瑞希と明日美の間には、それなりの交流がある。

 白い軌跡の主演女優を演じたのが、明日美であったからだ。


 この二人には、他に似た部分もある。

 それは既に子供を持つ母親でありながら、どこか少女めいた清純さを感じさせるというところだ。

 明日美の場合は芸能界の中にいてさえ、失わなかった純真さ。

 そして瑞希の場合は、職業柄持っている正義感といったところか。

 実際は色々と黒い仕事もするのが弁護士なのだが、瑞希にはどうしても、潔癖な公正さを感じさせるところがある。

 汚れたと感じたとき、それが分かるというやつだ。

 本当の瑞希の性質は、善悪を超えた現実主義にあるのだが。


 現在の二人の関係というと。

「今日はうちの旦那様が勝つよ!」

 めらめらと闘志を燃やす明日美に対して、瑞希はあくまで冷静である。

「勝敗に関しては、引き分けの可能性が一番高いと思うけど」

 ノンフィクションを書く人間は、事実をそのまま記述する人間と、事実から自分の書きたいことを抽出する人間、そして事実を恣意的に歪めるどうしようもない人間の三人がいる。

 瑞希の場合は事実をそのままに、ただし注目する対象はある程度絞っている、というタイプだ。


 直史がプロ入り後も、瑞希の試合に対する視点は変わらない。

 あくまでも客観性を重んじて、だからこそその予想は外れない。

 本音を言えば、直史の方が少し有利ではないかと考えている。

 この終盤、上杉がやや調子を落としているというか、抑えているのが確かだからだ。


 ライガースとの対決で、お互いのエースと主砲が損傷した。

 だがローテで投げる上杉の方が、その影響を引きずっている。

 ただし、勝ち星は増やす。その範囲で少し手を抜いている。

 直史の場合は前回スターズ相手に投げた時は、ヒットとエラー一つずつの完封に抑えているし、前戦のカップス相手にも完封している。

 心配になるというか、不確定要素なのは、レックスの首脳陣が直史の、タイトルをどう考えているかということだ。


 22登板20先発20勝0敗16完封。

 勝ち星、勝率、防御率、最多完封で投手四冠。

 ただし最多奪三振は取れそうにない。

 上杉が休んだことや、武史も一度は敗北しているので、間違いなく沢村賞の大本命と言っていいだろう。

 ツーストライクに追い込んでからの奪三振率を考えれば、その気になればもっと三振も取れるだろうとは思われている。

 そして瑞希は実際に、それを本人の口から聞いている。


 だが直史は、自分の戦力を維持することを重視して、あえて打たせて取っている。

 なので試合時間は短いし、球数が極端に少ない。

 16完封のうち12試合は、100球未満で試合を終わらせているマダックスという名のものである。

 これはMLBの球数を少なく完封をしていた、グレッグ・マダックス投手から発生した呼び名だが、実は彼自身はそのMLBでの通算成績で、13回しか達成していない。

 直史は大学時代も、パーフェクトやノーヒットノーランをした試合の方が、しなかった試合よりも多かったため、NPBのレベルでもこんなことになるらしい。


 ピッチャーのルーキーイヤーで沢村賞を取った者はいるが、それが無敗であったのは上杉と武史だけである。

 上杉は19勝、武史は22勝。

 ただし上杉はシーズン終盤、クローザーに回っていたので、そこは仕方のないところもある。

 直史に先発が回ってくるのは、残り三試合か四試合。

 クライマックスシリーズを考えると、ファイナルステージからの対決とは言え、疲労を残しておきたくはない。 

 すると残り三試合全てを勝たないと、記録更新とはならない。

 武史はデビュー年、上杉が一時期離脱していたため、投手五冠を達成している。

 他では全て兄に負けている武史だが、奪三振だけは優っているのだ。


 直史自身がピッチングにおいてこだわっているのは、少ない球数で完封することだけだ。

 それの延長でノーヒットノーランを達成したり、パーフェクトを達成したりするだけである。

 前回の上杉との投げあいは、まだシーズンの前半。

 だがプレイオフを見込んで考えるなら、この試合は延長まで投げる無理はせず、リリーフに任せて勝敗つかずというのが、一番ありうると瑞希は思うのだ。


 直史ならそう考える。

 だがレックスの首脳陣までがそう考えるとは限らない。

 さらに言うならフロントからさえ、何か指示が出ているかもしれない。

 瑞希はセイバーに、率直にそれを尋ねてみることにした。

「レックスのフロントは直史さんに、何か数字を期待していたりするんですか?」

「少なくとも私は何も言っていないし、誰かが言っているとかは聞いていないですね」

 ポンポンと記録を作っていく直史に、フロントは大きな経済効果を期待している。

 だが直史の成績の活用はフロントが行うべきで、現場に口を出してしまうのは間違っていると考えるのがセイバーだ。


 そもそもオールドルーキーとはいえ、一年目でパーフェクト二回、ノーノー二回というのが、異次元の数字なのだ。

 何かと比較される上杉でさえ、11年でノーヒットノーラン三回、パーフェクト二回しかしていないのだから。

 もちろんこの数字は、NPBの史上一位の記録である。




 瑞希は元は高校野球の記録を書いていただけに、プロ野球との違いにも気づいている。

 トーナメントの高校野球がアマチュアにおいては一番盛大なだけに、日本人選手はほぼ全員が、一発勝負や短期決戦に慣れている。

 そんな視点からすると今の上杉は、短期決戦用の戦い方で、半年のシーズンを戦っているように感じる。

 武史などは馬力はあるが、樋口が上手く手を抜かせていて、それでも負けていない。

 上杉は長くスターズの正捕手であった尾田が正捕手を退いてからは、かなりの無茶をしているような気がする。

 

 この試合では、直史は負けなくてもレックスは負けるかもしれない。

 だがクライマックスシリーズでスターズが勝ち上がってきても、勝つのはレックスだろう。

 デビューから11年目の今年で、既に240勝をしている上杉。

 無理をせずに怪我をしないという前提があるが、不滅の大記録400勝を更新する可能性がある。


 しかし、勝つのは直史だと、瑞希は確信している。

 なぜなら何事もちゃんと根拠を持って考える自分が、直史に対してだけは、無根拠に全てを信じてしまえるからだ。

 それは単に惚れたがゆえの思考停止なのかもしれないが、直史が負けないと思うのは、当たり前のことだろう。


 二人の姿をセイバーは、一歩下がったところから見ていた。

 彼女はその生き方そのものが、ビジネス的である。

 効率のいい、経済的に無駄のない社会が、人類を幸福にする。

 いくらでも例外はあるが、彼女の持つ宗教は経済原則だ。


 MLBに行くつもりが全くない、二人の日本最強投手。

 その牙城を崩すなら、案外こちらから攻めるべきか、とも思う。

 上杉も直史も、地縁によって日本に縛られている。

 直史よりも上杉の方がそれは強固で、将来的に親の跡を継いで政治家になるなら、それは確かに重要視すべきものだ。

 もっとも上杉などは、今すぐに神奈川で立候補すれば、圧倒的な支持を得て代議士になれそうな気もする。


 だが、崩すのはここからではない。

 今はまだ、親切なお姉さんとしての仮面を外さない、アラサー女子のセイバーであった。




 スターズ根拠地での対戦だけに、先攻はレックスからである。

 先攻で先取点を奪えば、精神的な有利に立てる。

 だがスターズはホームでの試合を得意とする。

 特に上杉は今年、ホームでの試合で負けがない。

 元々まだ一度しか負けていないのだが。


 レックスの先頭西片は、なんとか上杉を崩そうと、セーフティの姿勢を見せたりする。

 だが上杉の剛速球は、それを真っ向から制圧する。

 当たってもコントロール出来ないと判断し、西片はバットを引く。

 上杉としては別に速すぎはしない、167km/hが球速表示に出ている。


 レックス打線の中で、もうすぐ40歳になるが、それでもスタメンでフル出場した、今年の西片。

 若いものの間でさすがに体がバキバキとしているが、それでもまだ戦える。

 バッティングにおいても長年三割をキープしている、優れたアベレージヒッター。

 そんなリードオフマンでも、上杉のボールは当てるのが精一杯だ。


 粘っていこうと思っても、チェンジアップを投げられて五球でアウト。

 一応最低五球は投げさせろといわれているが、それにも限界があるだろう。

 続いて打席に入るのは緒方。

 打率も出塁率も高いが、それ以上にヒットでチャンスを拡大させるのが上手い。

 長打力はさほどないが、その体格の割には外野を越えるボールは飛ばしてくる。

 つなぐことも出来るが、確実にランナーを進める二番。

 ただ今年はヒットの数が多くて、最多安打のタイトルが目の前にある。


 上杉のボールは、緒方に対しては手元で曲げてくる。

 基本的に内野安打よりも、ミートしてヒットを打つ、アベレージヒッターだからだ。

 レベルスイングでボールを打って、フライよりもライナーを意識する。

 それでヒットの数は増えるのだが、上杉相手には通用しない。


(それでも六球投げさせたか)

 三振した緒方を見て、ネクストバッターサークルから立ち上がる樋口である。

(球数を多く投げさせて、0-0のまま終盤にしたいんだよな)

 樋口は経験的に、延長に入ったら上杉のパフォーマンスが落ちるとか、そんな都合のいいことは考えていない。

 ただしどこまで上杉を投げさせるかは、スターズの首脳陣が考えることだ。


 スターズはクライマックスシリーズ、ファーストステージでライガースと対戦する。

 二勝した方がファイナルステージへ勝ち進むが、引き分けがあって五分なら、勝ち上がるのはライガースだ。

 そのためには上杉で確実に一勝し、さらにリリーフなどでもう一試合使わなければいけないかもしれない。




 今のレックスには、上杉を突破できるだけのバッターがいない。

 そもそも一番打率と打点を稼いでいる樋口が、最初から諦めているのである。

 正確には、諦めているように見せている。


 今年はこれまで三度、上杉との対決があった。

 直史が引き分けて、青砥と金原が負けている。

 青砥はともかく金原は、勝てる試合に使うピッチャーだけに、もったいなかった。

 最終的には樋口も、スターズバッテリーを読んで、一点は取るつもりでいる。

 だがそんな対応策があることを、シーズン中に明らかにする必要はない。

 シーズン中には上杉を打てなかった。

 その事実で向こうの警戒度を下げる。


 上杉は油断する人間ではないが、首脳陣とキャッチャーには油断が生まれる。

 そこで打つのが、バッターとしての自分の仕事だと、樋口は認識している。

 なのでこの打席も、一球だけカット出来たが三振。

 三者三振で、上杉の立ち上がりは終わった。




 直史は優先順位をつけて野球を行う。

 そのためにならば、記録などにこだわりはしない。

 高校時代の甲子園も、もっと全イニング完投する試合があれば、一度は本物のパーフェクトを達成していただろう。

 だが体力の消耗を防ぐことを重要視したため、防御率はともかく勝ち星や奪三振では、記録を作っていない。

 岩崎、武史、アレク、淳などに登板機会を譲っていた。

 全ては最終的に、全国制覇を成すために。


 このプロの世界においては、一番優先するべきは、大介との約束。

 大介に勝つために、直史はプレイする。

 しかしそれは隠した目的であり、一番はやはり優勝すること。

 レギュラーシーズンだけではなく、ポストシーズンのプレイオフで日本一になることを、最大の目的として考える。

 ならばこの上杉との対決も、さほど重視する必要はないのか。

 否。スターズがファイナルステージへ勝ち上がってきた時のために、直史を打てないという絶望を与えておかなければいけない。

 ただしそのためにどれだけの労力をかけるかは、また別の話である。


 一番バッターは見てきたため、三球目を内野ゴロで打ち取った。

 二番バッターは二球目で内野フライを打たせた。

 三番バッターは難しい球をカットしてきたので、四球目のストレートで詰まらせて内野フライ。

 合計九球にて、一回の裏のスターズの攻撃は終了。

 三者三振に対し、一つも三振を取らないという、両者全く別方向ながら、凄みを感じさせる投球内容。

(135球で九回ペースなら、勝也さんは疲れないだろうけど)

 樋口はベンチに戻る途中も、キャッチャーモードから切り替えて考える。

(ここのところ打たせて取るタイプのピッチングをしてるのは、さすがに疲れてるからかな?)

 プレイオフを考えるなら、そういったピッチングに移行するのも当然だろう。


 ファーストステージは先に二勝した方が勝ちで、一勝一敗一分や、0勝0敗三分などになると、二位のライガースがファイナルステージに進む。

 上杉の投げる試合では、しっかりと勝っておきたいだろう。

 だがライガースの打線を抑えるピッチャーは、スターズには他にいない。

 上杉にまず一勝させて、三戦目でもクローザーで使う。そんな無茶なことをすれば、さすがにファイナルステージに影響が出るのではないか。

(やっぱりライガースが上がってくるだろうな)

 そうは思いつつも、上杉のピッチングを見る樋口の目には、懐かしいものへの回顧が表れていた。

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