第46話 騒音

 パーフェクトを達成した時の直史の気持ちは、さっさと家に帰って風呂に入って寝たい、というものであった。

 エネルギー補給は試合中にもそこそこしていたので、空腹ではなかったのだ。

 ヒーローインタビューは小此木と樋口の肩を借りて、ふらふらになって疲れた、と眠い、という言葉を繰り返していたと思う。

 シャワーに放り込まれて少しは眠気が醒めたが、帰りの車の中では爆睡。

 気がついたら朝であった。


(体が重いぞ……)

 かけられたタオルケットをどかして、体のあちこちを動かすたびに、間接がバキバキと音を立てた。

 そうだ、昨日はいつも行っている、ストレッチを行っていない。

 それよりも何よりも、体と脳が休息を必要としていた。


 現在の自分の状態を確認しながら、ゆっくりと起き上がる。

 筋肉痛などではないが、関節に物が挟まっているように動きにくい。

 これが老化か、などと勘違いをしながらも、直史はゆっくりと体を動かす。


 体全体が重い。関節がパキパキとなったのも一度だけで、筋肉痛などではない。

 腱や靭帯が、おそらくは固まっているのだろう。

(中六日ある。とりあえず今日はマッサージに行こう)

 球団のマッサージももちろん上手いのだが、直史は都内にお気に入りのマッサージ師がいるのだ。

 ちなみに関西は大介に教えてもらったマッサージ師がいて、そちらのマッサージ師はなんでも拝み屋まで兼ねているそうな。

 直史はご先祖様の霊が強いので、何も心配はいらないと言われたことがある。


 食堂に下りると、テーブルに新聞各種を広げている小此木がいた。

「おはようございます!」

「おはよう……。何してんの?」

 だいたい分かっていたが、様式美として尋ねる。

「ナオさんの記事が全部一面ですよ!」

 おそらくさすがに関西では、そんなこともないのではないか、と直史は考えたりもした。


 それにしても、この時間で誰も他にいないのか。

「主役不在で騒いでた人たちは、全員二日酔いだと思いますよ」

 なるほど未成年の小此木には、飲酒を強制しなかったわけか。

 おそらく樋口あたりもさっさと愛の巣へ帰っていったのだろう。

 しかし今日も試合があるのに、まさか潰れてまともにプレイ出来なかったら、先発の佐竹がキレてもおかしくない。


 ライガースの先発は、6勝2敗のオニール。

 まだしもマシな方の相手ではあるが、今日のライガース打線が昨日の試合をどう捉えているか。

 ただ、今は直史には、休みの時間が与えられる。

 楽しそうに記事をスクラップする小此木であるが、直史としてはスキャンしてしまった方がいいのではとも思ったりする。

 ただ瑞希が資料をきっちりそろえるように、コレクションとしての楽しみもあるのだろう。




 直史の本日のメニューは、軽くランニングをしたあと、ストレッチとキャッチボールで終了。

 一軍のピッチングコーチが、二軍グラウンドへ様子を見に来る。

 なんなら一軍の練習に呼んでくれてもと思ったのだが、今日は半日以上オフになる直史は、色々と球団広報から話を持ってこられたりする。

 テレビ出演の依頼や、ラジオ出演の依頼が多かった。

 今の日本で間違いなく、一番声が聞きたいと思われているのが直史だ。

 歴史に名前を刻んでしまったというか、人間の限界のもう一方の境地を見せたと言おうか。


 上杉がルーキーイヤーに大活躍した時も、あちこちで引っ張りだこであった。

 甲子園における悲劇のヒーローが、プロ入り一年目で二度のノーヒットノーラン。

 話題性としては抜群であったが、直史の場合は大学や国際試合での圧倒的な成績に、一度野球から離れたというドラマ性も持っている。

「正直、少しぐらいは出てもらわないと、こちらがパンクします」

「一応私も芸能事務所にマネジメントを頼んでいるので、そちらを通すように言ってください」

 プロ野球選手が芸能事務所と契約をするのは、そういった管理を頼むためでもある。

 だが球団のフロントのさらに上、親会社からまで頼まれては、意外と世の中の権力に弱い直史は、波風を立てないほうを選ぶ。


 ただ、調整程度の練習をして、寮のテレビで若手と共に試合を見ていて、直史は呆れてしまった。

 レックスのピッチャーは佐竹、その初球はアウトロー一杯の、攻めたボールであった。

 だがそれを大介は、ライト方向に引っ張った。

 これは行ったな、というボールは、神宮球場のネットを越えた。

「マジか……」

 対戦相手とはいえ、この超特大ホームランに、画面の中の観衆は沸き立っていた。


 全く、こっぽっちも、折れていない。

 最初の二人は調子を落としているように見えたが、大介は一人で一点を取ってみせた。

「あのネットって越えられるものなんですね……」

「まあストレートだったからなあ」

「さすがにレフトのネットは越えないだろうけど……」

「パーフェクトやられたその次の日に、どうやって切り替えてるんだ」

 それが大介である。


 まだ、成長し続けている。

 プロ入り九年目の今年が、キャリアハイになるのはほぼ間違いない。

 上杉が10年で200勝をしたように、大介も八年で500ホームランを打った。

 この二人は間違いなく、野球の歴史にキャリア記録を残す選手だ。

 それに比べると直史は、その活動期間は五年となっている。

「場外でもポールに当たっても、ホームランはホームラン」

 直史は昨日の試合、あとわずかでもタイミングが合っていれば、大介の打球はホームランになっていたと思う。

 運が良かったのだ。

 そしていつまでも、運に頼ってはいられない。




 翌日の直史は、キャッチボールをした後に軽く投げてみて、自分の体のどこかがおかしくなっていることに気づいた。

 何がどうかと言えば、ストレートに体重が乗らない。

 変化球はおおよそ問題なく投げられるのだが、肝心のストレートが伸びない。

 二軍の室内練習場で投げていた直史は、すぐにそれを報告。

 急遽病院に向かうことになった。


 CTとMRIで確認したところ、以上はなし。

 ただし実際にそれを受けているキャッチャーも、球が来ないことを実感していた。

 試合前の練習で、わずかに樋口を借りて受けてもらう。

 感想は同じであった。


 以前にもライガース相手に投げたとき、途中でリリーフにマウンドを託したことはある。

 上杉と延長までパーフェクトで投げ合った時は、登板間隔を少し空けなければいけなかった。

 直史は球団に許可を得て、外部のデータ集積センター、SBCに向かう。

 サーモグラフィーに、耐圧感知、それらにカメラの映像も交えるが、これといった理由が分からない。


 ビデオ映像で比べてみると、わずかに首の角度が違っているかもしれない。

 直史としてはそう説明されても、いまいちよく分からないのだが。

 そこから今度は、都内の鍼やマッサージの個人営業の店に移動した。

 SBCでさえどうにもならない不調の人間を、違うアプローチでどうにかする、最後の手段である。


 老いた施術士は立った直史の手足を色々と動かし、そこから今度は筋肉をいじっていく。

 その手が、原因を発見した。

「首だね」

 ぐいと首を押されたとき、直史も鈍い痛みを感じた。

「強いストレスをかけられながら運動したことで、首の付け根が緊張している。それが回りまわって、首から下の動作を阻害してる」

 鍼を首や頭に何本も刺され、そして全身を暖められる。

 さらにその鍼を暖めて、緊張している首を完全に緩めた。


 終わった時には、頭がすっきりとしていた。

 なるほど、さすがは最先端のSBCが、最後に頼るだけのことはある、と思ったものだ。

「ただ首を緩めたことで、全身のバランスが狂ってるから、しばらくは理想の動きは出来んな」

 そのしばらくというのも、どれぐらいかかるかは分からないらしい。


 寮に戻ってきてピッチングをすれば、ようやくその意味が分かった。

 体が柔らかくなりすぎていて、フォームが完全に狂っている。

 次の先発は中六日のスターズ戦。

 上杉は投げてこないはずの日であるが、他のピッチャーとの投げ合いに間に合うか。

 調整には時間がかかりそうだな、と思う直史であった。




 大介はホームランを量産し、歩かされなければホームラン、という試合が少し続いた。

 直接対決では大介を封じた直史であるが、後遺症を考えれば、痛みわけどころか負けているかもしれない。

 テレビ出演の依頼や取材なども、今はそんなことにかけてる時間がない。

 自分のフォームを取り戻すのに、必死であるのだ。


 一軍の首脳陣としても、さもあらんと納得するしかない。

 直史の代わりなどは誰もいないが、だからこそ早く復帰してもらわないといけない。

 まずは一つローテを外して、復調するのを待つしかない。

 高性能であり、強力ではある。

 だがメンテもそれなりに必要なのだと、納得するしかない首脳陣だ。


 タイタンズとの三連戦に負け越した後、次のスターズ戦の第一戦に直史の代わりに先発したのは、星である。

 これまでのプロ生活で、先発として投げることは指で数えるほどしかない。

 だがロングリリーフで投げることが多く、体力はある。

 それにヒットをそれなりに打たれても、失点に結びつかないパターンが多いのだ。


 この日も六回までを投げて、二失点と上々。

 そして豊田はまだ復帰していないが、利根と鴨池が後続を封じ、第一戦を勝利。

 勝ちパターンで連敗を止めた。




 古沢と豊田という、先発とリリーフが一枚ずついない状況でも、レックスが極端に勝てなくなるわけでもない。

 新しい戦力を試してみると共に、樋口がしっかりとリードするからだ。

 鉄壁の投手陣を持っているチームは、確かに強い。

 だが真の強さのためには、若手が上がってくる環境も必要だ。


 主力が怪我などで離脱した時こそ、そういった選手にとってはチャンスなのだ。

 プロ野球界は、椅子取りゲームである。

 ローテのピッチャーは通常六枚で、チームによってはその六枚目を色々と変えたりしている。

 レックスは六枚を固定してはいるが、吉村などは怪我で数試合は離脱することがある。

 選手層の厚さも、強いチームの条件だ。

 競争の激しさを示すものであり、また誰かが調子を落としても、その穴を埋めることが出来るのだから。


 そんなレックスも今年、FA権が主力に発生したりする。

 また直史に、武史や樋口など、年俸を上げなければいけない選手も多い。

 もっともこの数年のレックスは、観客動員やグッズ収入など、親会社ともあいまって黒字続きだ。

 これをどれだけ分けて還元するかが、フロントの課題となっている。

 

 単純な金銭の問題だけなら、フロントのセイバーがいくらでも用意できる。

 問題は金ではない選手だ。

 それに引きとめだけではなく、補強もしないといけない。

 特に西片は年齢的に、もう引退してもおかしくない。

 センターの広範囲を守れる選手、しかもバッティングも良ければ、FA市場でも獲得したいものだ。




 そして絶対に油断できないチームが、また勢いを強めてきていた。

 直史がパーフェクトを達成した二日後、今度は上杉がパーフェクトを達成したのである。

 史上二人目となる、パーフェクトの複数回達成。

 この時代のセ・リーグのバッターは気の毒である。

 この二人に加えて、武史や真田など、傑出したピッチャーと戦わなければいけないからだ。

 もっともこれと戦って、記録を出し続けているのが大介である。

 間違いなくMLBでも通用すると、太鼓判を押されている。

 だが大介だけではなく、しっかりと打っている選手はいるのだ。

 ただ最近はどの球団も、外国人補強にはあまり成功している印象がない。


 スターズとの三連戦、残りの二試合は意外な決着となった。

 いや、三戦目は上杉が投げてきたので、負けても当然とも言えたのだが。

 とりあえず第二戦は佐竹が投げて、途中までは互角の戦い。

 だがリリーフに交代してから、レックスは勝ち越しを許してしまった。

 豊田一枚がいない状況が、大変に痛い。

 

 そして次が、金原と上杉の対決。

 直史はパーフェクトのご褒美にローテを一回飛ばしてもらったが、上杉は変わらずに中五日で投げている。

 この登板間隔で投げ始めた時、上杉を壊す気か、と散々に言われたものだが、怪我で離脱した三年前を除けば、二年連続で32先発。

 そして壊れることもなく、武史にややタイトルを取られることもあるが、基本的には毎年沢村賞である。


 この第三戦も試合の頭から、かなり飛ばしていく上杉。

 そこまでやらなくても勝てるだろうに、と樋口などは心配してしまう。

 ただ、これが上杉なのだ。

 直史と大介の対決を見て、そして直史のピッチングを見て、奮い立つのは当然である。

 今年もここまで、15勝1敗。

 直史が無敗でなければ、間違いなく今年も沢村賞の筆頭候補だったであろう。

 累計で見ると、プロ11年目の今年で、239勝。

 年間に平均で、22勝はしているペースとなる。


 このままのペースで勝利し続けられるとは、とても思えない。一年目にそう言われた。

 だが七年目には26勝0敗と、昭和のピッチャーも真っ青な成績を残している。

 一人だけ人間をやめた、まさに鉄人。

 それが直史と大介の対決を見て、また本気になってしまっているのだが、他のチームにとってはいい迷惑だろう。


 上杉に勝たなくても、プレイオフを勝ち進む方法はある。

 簡単ではないが、引き分けに持ち込めばいいのだ。

 他のチームならともかく、レックスなら出来る。

 ただここでは金原が好投しながらも、上杉からは一点も取れず。

 むしろ浅野がヒット一本を打ったのと、樋口がフォアボールを選んだ二人以外は、走者も許さずに完封。

 レックスとしては、直史によってライガースが味わった敗北感の、10%ぐらいは感じてしまうことになった。


 プロ野球は、チームの総合力で決まる。そのはずだ。

 一人のエースがいても、他のピッチャーが勝てなければ、一つのカードを負け越してしまう。

 プレイオフは中三日などで投げることもあるが、それにもさすがに限界というものがある。

 だが上杉や大介、そして直史などの決戦兵器が登場してしまうと、その前提が崩れてしまう。

 レックスの首脳陣は考える。上杉に封じられるのは、もう仕方のないことだ。

 次の試合に切り替えて、シーズンのペナントレースを制すればいい。

 ただそれが上手く行かないと、選手たちの士気が落ちてしまうのだが。


 プレイオフのことを考えるなら、ライガースとスターズが潰しあい、そしてファイナルステージでどちらかと対決する。

 レックスの強力な投手陣を見れば、アドバンテージさえあれば勝てる。

 現在のゲーム差からして、ペナントレースを勝利するのは、それほど難しいことではないはずだ。

 首脳陣はそう思っているし、樋口などもそう考えている。

 ただ直史としては、どうせなら二位でもいいな、とは思っていた。

 もしそこから勝ち上がるとしたら、クライマックスシリーズのファイナルステージは、決戦は甲子園球場で行われる。

 あの場所で雌雄を決するというのも、悪くはないと考えているのが直史である。


 自分が、おそらく本当に、限界まで力を出し尽くした、あの場所。

 直史はいまだに、あのマウンドに登ってはいないのだ。

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