第45話 削る
前回のライガースとの対決では、完投も出来ずにその後のローテにも影響があった直史は、樋口とともに反省していた。
小手先の技を使ってでも、ライガースを、大介を封じないといけない。
点差がついたところで試してみたかった奇襲の、一つを使ってみた。
それがど真ん中へのストレート。
大介は反射で打つと言われているが、本当に打てるのかどうか。
樋口は自分自身が打席でそんなボールを投げられたら、ということを想像した。
そしてバッターとしてはアベレージヒッターであった直史も。
失投でど真ん中に行くというのは、それもまた珍しいものである。
本当のど真ん中というのは、狙わないと投げられないのだ。
それまでに緩急を散々意識させて、最後にただのストレート。
大介の対応するためのリソースは、そこには残っていなかった。
どういう神経をしているのか、と他には思われるかもしれないが、直史も樋口も、どっさりと背中に冷や汗をかいていた。
「三打席目に取っておきたかったけどな」
「どうしようもないだろ」
バッテリーの間にはまだ、ぴりぴりとした雰囲気が残っている。
あれは、色々と準備をした上で、一度だけ使えるものだと認識していた。
ただし、大介が完全に集中していた以上、ここではアレ以外に選択肢がなかった。
ベンチの片隅で監督たちをそっちのけで、最後の打席について話し合う。
そう、最後の打席だ。大介に四打席目は回さない。
四打席も大介と勝負する蛮勇さを、直史は持っていない。
ライガースのリリーフピッチャーは、実は勝っているパターンの時は確立しているが、負けている時は色々と試されている。
三点差であるなら普通は、まだワンチャンスで同点、あるいは逆転までも考えると、ここで結果を残せば勝ち星すらつく可能性がある。
それはないにしても、一軍の登板数、イニング数は、年俸の計算に直結している。
何よりローテでも勝ちパターンのリリーフでもないピッチャーにとっては、ここは絶対のアピールチャンスだ。
点を取られても粘り強く投げ続けられれば、敗戦処理や大量点差で勝っている時に、使われる可能性が高くなる。
四回の裏はレックスも五番からであったが、三者凡退で終了。
五回の表、ライガースの攻撃は、四番の西郷から。
大介ほどではないが、総合的にリーグでベスト10には入りそうな西郷。
三割40本を四年連続で続けているのは、これも超絶の力である。
だがこれだけの力があっても、大介を歩かせないことが、西郷の最大の仕事だ。
大学時代には直史の変化球でずっと練習をしたため、プロ入り一年目からプロの変化球にも対応出来た。
だが今、その直史の変化球に対応出来るのかどうか。
リードする樋口も、それに従う直史も、分かっている。
確かに西郷は個々の変化球には対応出来るだろう。
だが、コンビネーションの緩急には対応できない。
コースと変化と緩急で、ツーストライクまで追い込む。
そこから投げたのは、ストレートであった。
151km/hのストレートで、空振り三振となった。
直史のストレートは、回転軸が真っ直ぐで、回転数も多い。
だがそれ以上の特徴は、リリースポイントが前にあるということだ。
最後のギリギリまでボールを持っているということは、コントロールの良さにもつながる。
だがそれ以上に、軌道が変わるのだ。
ホップ成分は確かにあるが、それ以上にリリースポイントが低い。
そこからストライクのズーンに入ってくるのだから、よりホップする軌道に近い。
極端な言い方をすれば、充分にスピードのある球が、サイドスローなどの高さから投げられる。
この錯覚を意図的に利用しているのが、今の直史のストレートだ。
五回の表は三振、内野ゴロ、内野フライで三者凡退。
あっさりと終わらせてベンチに戻ってきたが、この裏にはまた、直史の打席が回ってくる。
だがここでは普段通り、バッターボックスの奥へ引っ込む。
今日はもうピッチングしかしないという宣言である。
六回の表、ここまでパーフェクトピッチングなので、当然ライガースの打線は、七番の孝司から。
直史はこれに対しても、ストレートを決め球にしてみた。
ほぼ真上に上がったキャッチャーフライで、樋口が無事に捕球。
続く八番と九番では、やや楽をさせてもらえた。
観客も視聴者も、気づいている。
もちろんグラウンドのプレイヤーたちも、ベンチの中も、
直史はここまで、ライガースをパーフェクトに抑えている。
七回には、大介の三打席目が回ってくる。
そこで途切れる可能性はあるが、まさかのライガース相手に六回までパーフェクトなのである。
大介との三度目の対決を前に、直史はアンダーシャツを交換し、水分とミネラルを補給する。
糖分を胃の中にぶち込んで、最後の打席にするため、入念に準備をする。
ベンチに戻ってみれば、レックスはさらに一点を追加していた。
4-0ともなれば、満塁ホームランを打たれない限りは、一人のバッターで同点に追いつくこともない。
「浅野さんが打ったのか」
「タイムリーでな」
緒方が出塁し、樋口は進塁打を打って、そこから浅野が深めのレフトに。
点差だけを見れば、一方的な展開になってきた。
ライガースはまたピッチャーを代えて、それ以上の追加点は許さない。
勝ちパターンのセットアッパーなどは完全に温存し、若手のピッチャーを試している。
レックスは上位打線でしっかりと点を取り、ここが最大の山場である。
七回の表。
大介の第三打席が回ってくる。
先頭の毛利の打ったゴロは、内野安打になる寸前であった。
ショートの緒方が強肩で、ここは素直に良かったと思う直史である。
大介の前にランナーが出ても、この点差ならばもうあまり意味はない。
だがランナーを気にしながら、大介と勝負はしたくなかった。
二番の大江はスプリットを空振りし、いよいよ大介の打順が回ってくる。
またしても、ツーアウトランナーなしという状況。
ここを抑えるなら、もうパーフェクトが見えてくる。
前回は西郷までを抑えて、パーフェクトながらリリーフに任せた。
よって世にも珍しい三者による継投パーフェクトになったのだが、この試合は正直、もうここから他のピッチャーに任せても、試合自体には勝てそうな気がする。
だが、単に勝つだけではダメなのだ。
大介を抑えるだけでもダメなのだ。
ライガースの打線に圧倒的な敗北感を植え付け、しばらくは不調に落とす。
それぐらいの覚悟をして、直史はこの試合を投げている。
バットを持って上体をひねり、筋肉を伸ばしてから大介はバッターボックスに入る。
構えたその姿は、わずかに普段よりもバットが寝ているか。
高めを警戒した構えであるが、おそらくそれは誘いだ。
分かった上で、直史は低めに投げる。
初球のスルーはボールであり、大介は見逃した。
大介はもう、スルーを打てるのだろうか。
おそらく単体で使えば、もう打てるのだろう。
しかしそれをまだ効果的に使うのが、コンビネーションというものだ。
(呼吸を意識しろ)
大介の様子を観察し、スイングのトップを作る瞬間を注視する。
そこから直史は、わずかに抜いたスプリットを投げる。
ダウンスイングで当てに行ったバットは、打球を一塁線のファールゾーンに運ぶ。
スルーの後にスプリットを投げれば、ややタイミングがずれるのも当たり前だろう。
とにかくこれでストライクカウント一つ。
あと一つファールを打たせるか、見送りにさせるか。
今日の主審のストライクゾーンにはクセがないので、それを利用するのは難しい。
だが大介自身は、どれだけ審判のことを信じているのだろう。
三球目は、それを意識した上でのピッチングであった。
アウトローをわずかに外れたストレートを、大介は打ってきた。
この日最速の152km/hは、レフトスタンドに飛んでいって、わずかにポールの左側に飛び込んだ。
ワンボールツーストライク。
大介は審判を信じていない。
だがこれまで出していなかった最速のストレートが、わずかに外れていてもスタンドにまでは持っていける。
(ボール球を二つ使う)
(分かってる)
最初はカーブを、外のギリギリへと。
次にシンカーを外のギリギリへと。
この両方に大介の体はピクリと反応したが、打ちに行ったりはしなかった。
フルカウントになった。
遅いボールを二つ続けたので、通常ならば速いボールで勝負してくる。
ストレートかスルーか、あるいは速い球と見せかけてチェンジアップか。
おおよその選択はその三つ。
だがそこから予想を裏切ってくることも、直史と樋口なら考えられる。
大介はチェンジアップを意識の隅に残しながらも、速球へ対応することを考える。
セットポジションから、直史の足が上がる。
力感のないゆったりとしたフォームから、体重移動が素早くなされる。
リリースの瞬間までは、速いボールのパターン。
大介もまた、己の力の爆発に備える。
ぎりぎりまで見て、そこからバットを一閃させる。
リリースされたボールは、スピードのあるストレート。
(高い!?)
大介の思考は、とても具体的なものではなかった。
だが本能は、その球を打てと言っていた。
高く浮いた、ボール球のストレートに、大介のバットは反応していた。
そのインパクトの瞬間、己のミスを大介は悟った。
ボールは高く上がり、そして思ったよりも伸びる。
前に出た西片は、その打球の伸びに、逆に後ろに下がる。
最後には正面を向いて、そのフライをキャッチした。
外野フライで、大介の三打席目は終わった。
大きく息を吐いて、大介はバットの先をホームベースに付けていた。
ここで怒りのあまりバットを折ってしまうような、そんな短慮は持たない大介である。
(騙された)
見逃していればボール球で、確実の出塁は出来た。
だが本能が、反応してしまったのだ。
普通のストレートなら、間違いなくバックスクリーンにぶち込んでいただろう。
だが直史のストレートの、ホップ成分にやられた。
球速は本日タイの152km/h。
だが問題は、そんなところではなかった。
フルカウントからボール球を投げて振らせるというのは、直史も昔はよくやっていたことだ。
スライダーやフォークなど、そういう振らせてストライクカウントを取る球は多い。直史の専売特許でもない。
だが高めのストレートで、そんなことをしてくるとは。
下手をしなくても、大介ならばスタンドに放り込めた。
それがわずかに上げすぎたのは、ホップ成分の見極めが不十分だったから。
打てると大介が思うと、あのバッテリーは見通していた。
(カットに出来ていればな)
今後の課題としながらも、ベンチに戻る大介であった。
頭を使いすぎた直史は、正直ここで次のピッチングまで休みたい気分であった。
だが打順が回ってくるため、バッターボックスには立たざるをえない。
完全に案山子となって三振。
意識をピッチングに向けたまま、八回の表のマウンドに登る。
四番西郷との対決も三度目。
スルーとチェンジアップの緩急を使ったが、それでも高々と外野フライを打ち上げられた。
ちょっとしたことで外野フライはポテンヒットになりやすいが、これはセンター西片の守備範囲内。
続く五番と六番で、三振と内野ゴロを奪う。
八回の表が終わり、打者24人に84球。
パーフェクトが具体的に見えてきた。
レックス監督の木山は確認する。
「今日は最後まで投げるんだな?」
「そうですね」
球数も、スタミナも、集中力も、今日は上手く配分できている。
ラストイニング、投げない理由はない。
直史はまた水分を少し補給すると、レックスの攻撃の行方を見つめる。
もうこれ以上のリードはいらないから、早く投げさせてほしい。
代打が出てくるだろうが、全てを終わらせる。
ランナーは出たが得点には至らず、九回の表が回ってきた。
ライガースは七番の孝司には代打を送らない。
これに対して直史は、変化球ばかりで三振を奪った。
八番に出された代打も、ボール球を振らせて三振に。
あと一人となる。
ラストバッターにも、左の代打が出された。
データの少ないバッターではあるが、それならそれで普通の組み立てが出来る。
フォームを警戒して、まずは外に外す。
緊張していたバッターは、それを盛大に空振りした。
無理もないな、と直史は返球されたボールをキャッチして、後ろの守りを見る。
外野はまだしも余裕がありそうだが、内野陣に緊張が見られる。
これは出来れば、バッターで三振を取りたい。
樋口がタイムをかけて、マウンドに歩み寄ってきた。
「歴史的な瞬間だな」
「まあ、打撃妨害がつかなければな」
「そのあたりも考えたんだ」
樋口は自分が打撃妨害をして、パーフェクトを逃させたことをあまり深刻に考えていない。
直史が深刻に考えていないからというのもあるが、自分まで深刻に考えてしまうと、村岡などにさらなるプレッシャーがかかるからだ。
カチコチのバッターを見て、代打の代打を出せばいいのに、と直史などは思う。
「ゾーン内に入れる球はいらないな」
「出来れば三振に取りたいんだけどな」
「それでワンバン後逸とかになったら、面白すぎるな」
その場合は自分のエラーなのだが、樋口は顔色も変えない。
「じゃあカーブでツーストライクめ、最後はシンカーでいいか」
「そうだな」
キャッチャーボックスに戻る樋口を見て、あいつも内心では緊張しているのかな、と思わないでもない直史である。
大学時代に、パーフェクトをしまくっていたことは、悪いことではなかった。
舞台は変わったといっても、同じパーフェクト。
プレッシャーは特に感じない。本当に感じない。
最悪ホームランを打たれても、負けることはないという意識が、直史を動かしているからだ。
落差のあるカーブを投げたら、このボール球をバッターは振ってきた。
ボテボテのゴロがサードに転がり、バッターは必死で走り出す。
悪い予感がしながらも、直史はボールの行方を確認する。
村岡が軽いステップで捕球し、そのままファーストに投げる。
暴投、ポロリ、色々と悪い予感ばかりが頭の中をよぎる。
だがボールはしっかりとファーストのミットに収まり、スリーアウトとなった。
佐藤直史、二度目のパーフェクトゲーム達成。
NPBの長い歴史の中でも最初の快挙を、プロ一年目の新人が達成したのであった。
なおこの瞬間、地上波で放送されている地域のテレビは、視聴率が50%を突破していたという。
ほっとした直史はその場にしゃがみこみ、ゆっくり歩いてくる樋口と、駆け寄ってくるナインを、疲れた表情で迎えるのであった。
×××
※ 今回の第三者視点は飛翔編18話となります。
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