第47話 失速
八月に入ってから、レックスは7勝6敗。
二位ライガースとの三連戦には勝ち越したものの、タイタンズとスターズに負け越し。
ライガースが9勝4敗だったので、少しゲーム差が縮んだ。
原因としては先発とリリーフが一枚ずつ抜けたこともあるが、それよりは得点力が少し下がったことだろうか。
負け越して貯金が少なくなったわけではないが、ライガースの迫ってくる足音が聞こえる。
スターズ戦で上杉相手に、あわやノーヒットノーランかという試合をさせられ、その次は同じ神宮でフェニックスと対戦する。
第一戦のピッチャーは武史で、ここは無難に勝ってほしいという期待がある。
実際に武史が順当に投げるなら、よほど打線の援護がない以外は、勝てる相手である。
八回までを投げた武史だが、少し球数が多くなった。
点差も三点あるということで、九回は鴨池に任せる。
一点を取られはしたものの、無事に逃げ切りに成功。
おそらく今年のセーブ王になる鴨池は、これで37セーブ目。
ただしボールを捕っていた樋口は、やや球威が落ちているのを感じた。
直史と武史が先発すれば、かなりの確率で完投してくれる。
そして点差が大量にあれば、他のピッチャーで負担を軽くさせることが出来る。
豊田を疲労から調整に回しても、他のピッチャーでどうにか回る。
だが鴨池が離脱すると、他のピッチャーにクローザーを任せることは難しい。
もちろん日本で一番、クローザー適性のありそうなピッチャーはいる。
だが直史をクローザーなどで使ってしまえば、ここから勝ち星を増やしてくる他のピッチャーが、沢村賞のより強力な候補となるであろう。
木山は監督としては、確かに直史をクローザーで使うことは有効だと認める。
だが今のレックスでそんなことをしようものなら、起用する自分へのバッシングがすさまじいものになるだろう。
幸いと言ってはなんだが、リリーフとして若手を試して、その適性も判明しつつある。
豊田戻ってきたら、もう少し間を空けて使うべきだろう。
リリーフピッチャーの運用が、現代のプロ野球では重要になる。
そしてピッチャーの調子については、樋口の方が監督たちよりも分かっている。
武史の先発した試合も、樋口であれば完投させただろう。
確かに球数は交代の基準に近かったが、それよりは鴨池を休ませるべきなのだ。
八月に入ってから、チームの連勝の勢いがなくなり、ライガースとのゲーム差が縮まっている。
しかしここで無理にリリーフ陣を酷使すれば、プレイオフに使えなくなる危険がある。
フェニックスとの第二戦、先発は吉村。
もう吉村はかなりの間、六回までのピッチャーとして起用されている。
ローテを回す重要なピッチャーではあるが、完投まで期待するのはかなり難しい。
つまり吉村の登板の時は、ほぼ間違いなく高い確率でリリーフ陣が必要になり、勝ちパターンの時ならそれは、鴨池が最後に投げる。
三点差ならば今日は、他のピッチャーに任せても良かったのだ。
樋口はそのあたりを、計算して考える。
冷静に考えれば、今日の鴨池はいらなかった。
だが勝ち星があまり先行しなくなったことで、首脳陣にあせりが見え始めている。
しかしそのためにピッチャーを消耗させるのは、時期的にまずいだろう。
夏場は体が柔らかく、限界近くまでパワーが上がっている。
そのためそこで無理をして、体を壊してしまうこともある。
リリーフ陣には、まだそこまで深刻な状態の者はいない。
だが、だからこそ休ませておくべきだ、と樋口は思うのだ。
フェニックスとの対戦は、二勝一敗で勝ち越した。
本来ならばそれで充分なのだが、ライガースがそれより高い勝率で追いかけてくる。
ただ、次のカップスとの三連戦、レックスは最強のピッチャーが戻ってくる。
あのパーフェクトの後遺症で、ローテを一度飛ばしていたものの、直史が戻ってきた。
アウェイの広島新市民球場で、カップスとの第一戦に先発する。
調子は戻ってきたのかと言われれば、完全にはまだ遠い。
だがここからは試合の中で、微調整していけばいい。
「今日は点を取られるかもな」
直史がそう言ったので、チームメイトは驚いたものである。
直史は慎重で、最悪の状態にも備える。
だが無意味に悲観的なことを言うわけではない。
その直史が点を取られるかもと言っているのだから、それは本当に完封する自信がないということなのだ。
ピッチャーに特有の、弱みを見せない我慢強さは、直史とは無縁だ。
今の状態を正確に知ってもらうことが、試合に勝つにおいては大切なのだ。
ただ直史は前の試合から二週間近くも空けているので、疲労などはたまっていない。
問題は一つ、コントロールがどこまで戻っているかだ。
機会でさえ、その都度の正しいメンテナンスをしなければ、狂ってしまう。
まして人間であれば、様々な要因がその、コントロールを乱すことは間違いない。
直史の現在の制球力については、当然ながら首脳陣も知っている。
だが完全ではない状態でも、直史に投げさせるのは、それでも充分だと考えているからだ。
先頭打者の西片は、弱みと言うよりは単に現状報告といった感じの直史を、援護するのは当然だと思っている。
上杉と12回を投げあったパーフェクトだとか、それを抜きにしても蓮池や本多を相手にして、味方の援護がない試合を、完封で延長まで完投した。
特に本多を相手に投げあった試合は、九回までに一点でも取っていれば、パーフェクトが成立していたのだ。
(ベテランとして、ここはしっかり援護してやらないとな)
レックスのリードオフマンは、初球からセーフティバントという奇襲で、まずは塁に出たのである。
カップスはこの試合、最初から勝利を諦めている気配がある。
打線はさすがにベストに近いが、それでも数人は若手を出してきた。
特に先発ピッチャーには、高卒二年目の新人を登板させてきたのだ。
負け試合であることは分かりきっているのだから、ピッチャーには負担をかけない。
そんな考えが透けて見えるから、西片のセーフティも決まる。
プロの長いシーズンの中では、捨ててかからないといけない試合もあるだろう。
特にカップスはこの数年暗黒時代で、どうにか最下位から抜け出したいと、負けそうな試合は完全に最初から捨ててかかる。
だからといってただ負けるのではなく、若手の育成にも使っていく。
とにかくプロの世界は、慣れなければ全体的なスピードとパワーに対応できないのだ。
二番の緒方は、初球のボール球を見逃して、相手の失投を待つ。
負けると決まっている試合と言ってもいいから、このルーキーは伸び伸びと投げられるだろう。
ただ西片がいきなり初球で塁に出たので、警戒してくることは分かっていた。
(ルーキーにボール球先行させることは厳しいだろうから、次は中よりに入ってでも、ストライクにはっきりと投げてくる)
そう読んだ緒方はどんぴしゃで、レフトの頭を越える長打を打つ。
西片は俊足を活かし、一気にホームに戻ってきた。
ノーアウトで先取点というのは、相手を圧倒する攻め方である。
しかも緒方は三塁まで進んでいて、さらなる得点のチャンス。
三番は頼れる男、樋口の登場である。
直史は弱音を吐いても、なんだかんだとどうにかこうにかしてしまう。
樋口は大学の四年間で、そんな直史を見てきたのだ。
敵として対決した高校時代や、国際試合においても、樋口は直史が限界まで力を尽くすとどうなるか、プロに入るまで見たことがなかった。
15回をパーフェクトで投げた翌日に、九回を完封する。
そんな甲子園での姿を見ていては、調子が悪いという自己申告も、あまりアテにはならない。
ただそれでも、ここは堅実に点を取っていくべきだろう。
三塁の緒方は、足はそれなりに速く、走塁にセンスがある。
ここで必要なのはクリーンヒットではなく、とにかくランナーをホームに帰すバッティングだ。
樋口は意識してダウンスイングをして、高くバウンドしたゴロを打つ。
セカンドがそれを堅実に捕球したが、ホームは間に合わない。
樋口はファーストでアウトになったが、これで二点目である。
二点を取られて、ようやくワンナウト。
もっと欲深く打っていくべきであったかとも思うが、それは他のバッターに任せよう。
自分は今日は、キャッチャーに専念する。
調子が悪いピッチャーでも、それなりのピッチングをさせてこそ、キャッチャーとしての手腕が問われるだろう。
四番の浅野がまたもヒットでランナーに出たが、さすがにこれ以上の追加点はなし。
だがカップスのまえに立ちふさがるのは、奇跡の防御率0のピッチャー。
終わったな、とあっさり思考を切り替える首脳陣は、バッターには好きに打てと言っておく。
個人成績にこだわって、せめてノーヒットノーランを防いでくれれば。
それぐらいの気持ちであって、かえって力が抜けてプレイが出来るカップスの選手たちであった。
現在の直史の状態であるが、確かにストレートのスピードも落ちているが、それよりは回転数が落ちているのが問題であろう。
簡単に言ってしまえば、棒球になっているのだ。
あの大介に投げた、ありえないとさえ言われる棒球ストレート。
150km/hに満たないそのストレートは、今日は決め球には使いにくい。
直史の場合はやはりストレートよりも、変化球の方が印象が強い。
普通のピッチャーの変化球は、緩急か変化量で、ストライクを取ったりファールを打たせたりする。
だが直史は、変化球でもコースが狙える。
ストレートならばともかく変化球でも、ストライクとボールを投げ分けるあたり、変態的なコントロールと言われても仕方のないところである。
アウトローの出し入れはピッチャーのコントロールにとって最も大事なコースであるが、直史はそれをインローでも行ったりする。
そして無理に打たせてファールでストライクカウントを稼いだり、内野ゴロを打たせたりする。
今日は最初から変化球主体で、初回の攻撃は三者凡退に済ませた。
「カーブは信頼して良さそうだな」
樋口の言葉に、直史も頷く。
「まあ、一番使ってきたボールだからな」
スピードや、変化量、角度や落差など、好き勝手に調整できる直史のカーブ。
これが使えればおおよそ、緩急の緩い方は問題がない。
あとはチェンジアップを低めに決めて、何か早い球種が一つはほしい。
そう思ってボール球で試したのだが、おそらくツーシームあたりがいいかもしれない。
伸びる球で内野フライを打たせるのは、今日の直史では難しいようだ。
二回の表、レックスはまたもランナーを出すが、直史に回ってきて自動アウト。
この回は西片が相手ピッチャーの球種を確認し、球数を増やさせて終わった。
四番から始まる二回の裏だが、樋口の考えていることは、とにかくゴロを打たせるということ。
普段の直史であれば、コンビネーションでもっと三振を奪っていけるが、今日は伸びる球が使いにくい。
四番には強力なゴロのボールを打たれて、内野を抜ける。
先頭打者を出してしまうという、直史にとっては珍しい事態だ。
まだしも鈍足の四番で良かった、と判断するのが樋口である。
五番打者はとにかくフライを打ち上げることが多いので、ここでだけは高めの釣り球を使い、センターフライ。
そして六番打者に内野ゴロを打たせるが、惜しくもダブルプレイは成立ならず。
ツーアウトからはバッター集中で、得点を許さなかった。
直史は打たせて取る技巧派だと思われていて、それは間違いではない。
だが三振奪取率も、リーグではトップ5に入っている。
緩急を使っても、三振は取れるのだ。
またスライダーやスプリットも、コンビネーションで空振りは取れる。
試合は直史が一つも三振を取らないまま、どんどんと進んでいった。
強いゴロが内野の間を抜いたり、ヘロヘロのフライがポテンと落ちたりと、そこそこのヒットは出てくる。
それでも失点しないのは、やはり沈む球を使っていることが重要なのだろう。
そしてもう一つは、フォアボールのランナーを出さないことだ。
無理にフライを打とうとしても、軌道が高くなりすぎて、どうにか外野までで収まってくれる。
だがいずれは、点に結びついてもおかしくはない。
カップスの首脳陣も、直史のピッチングスタイルが、大きく違うことには気づいていた。
パーフェクトの後にローテを一度飛ばしたりと、疲れているのだろうなとは思ったのだ。
だがこの試合を見る限り、ヒットの打てる配球をしている。
普段は投げている球種を、いくつも封印しているのも分かる。
これまでにも直史は、スタミナが不足しているような、大変な試合の後には、わずかに調子が落ちているようなところを見せてきた。
そして前の試合は、ライガースを相手にパーフェクトである。
その後遺症とでも言うべきものが、これだけはっきりと出ているのか。
中盤に入ってからカップスは、思考を切り替えた。
勝つことは難しい。それは間違いない。
だが一点を入れることは、どうにかなるのではないか。
このシーズン直史に、既に一度ノーヒットノーランに抑えられているカップス。
だがこの0の男から一点を取れば、それだけで記録に名前が残る。
好きに打てという指示が、何がなんでも一点を取れ、と変わる。
そして打線陣も、直史の不調には気づいている。
レックスも浅野のツーランホームランが出て、より直史を援護はしている。
だから単純に勝つだけならば、もうここでピッチャー交代をしてもいい。
首脳陣としては、リリーフを休ませるために、直史には投げてほしい。
だが野球人としては、この無失点記録を、どこまでも続けていってほしいとも思うのだ。
直史をどこまで投げさせるのか。
レックスの監督木山は、胃が痛くてたまらない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます