第42話 伝説の継続
直史は高校時代、参考パーフェクトやパーフェクトリリーフは何度も達成したが、本物のパーフェクトは達成していない。
逆に大学時代は、ごく普通にパーフェクトをしていた。リーグ戦だけでも、その数は四年間で11度。
フォアボールをめったに出さなかったため、ノーヒットノーランよりも完全試合の数の方が多いという、おかしなことになっていた。
38登板29勝0敗7セーブ。
全日本選手権、神宮大会、日米大学野球でも完全試合を達成。
まさに大学時代はミスターパーフェクトと呼ぶべき存在であった。
プロ入り後も初登板でパーフェクトリリーフ、初先発でパーフェクトと、派手なデビューをしている。
そしてここまで先発した試合で、負けが一度もない。
上杉と投げ合った12回パーフェクトの試合は、真なるパーフェクトなどとも呼ばれて、神格化されている。
実際には参考パーフェクト、パーフェクトリリーフ、事実上パーフェクトなど、惜しい試合が相当にある。
この試合もそれは、充分に起こりうるはずであった。
七回の裏、タイタンズの攻撃は、一番の須藤から。
今年は一番から三番までのどこかを打つことが多い、長打と俊足を備えた選手だ。
二打席連続で内野ゴロと、どうにかその足で出塁しようという意図は分かる。
だが直史の高速シンカーとカーブ数種類で、ここも内野ゴロを打ってしまう。
サード村岡へのゴロに謎の期待感が高まるが、まだ七回である。
さほどのプレッシャーも感じていなかった村岡は、普通にゴロを処理してアウト。
これでパーフェクトまでは残り八人となる。
これでまた何かが起こってパーフェクトが途切れたら、それはそれで美味しいな、と思う直史である。
ただこれまでの試合と比べて、守備陣もかなり緊張は少なくなってきていると思える。
慣れたのだ。パーフェクトやノーヒットノーランに。
137と三分の一イニングを投げて、打たれたヒットはわずかに17本。
無失点イニングの記録は、上杉のほぼ倍の長さになりつつある。
この試合でもし達成しなくても、おそらく今年中にはもう一度ぐらい、パーフェクトを達成するだろう。
そして来年もまた、何度かのノーヒットノーランを達成する。
上杉が更新した四回のノーヒットノーラン、うち一回はパーフェクトという記録に、わずか一年で並び、そして追い越そうとしている。
いくらチーム力に違いがあるとはいえ、あまりにも異質で超越した能力である。
八回の表、レックスの攻撃はそのラストバッターの直史から。
直史はこちらでも、記録を作るのかもしれない。
打順が回ってきたら、基本的にはバッターボックスの奥で何もしない。
すがすがしいほどの得点への無関心っぷりであるが、これが許されてしまう現状がある。
送りバントはしっかりと決めて、打とうと思えば打てるのではないか、と思われている。
だが投げることを優先し、ここまで一本のヒットもない。
防御率が0であると同時に、打率も0という、おかしすぎる記録が続いている。
この打席でもバットを持って、打席に立つのみ。
そして相手ピッチャーも、ど真ん中に投げて三振。
三振以外ではバントか、制球の定まらないピッチャーに構えてみたりと、出塁率自体は0ではない。
ただ、それでも一割も出塁していないが。
そもそも打席に立たないパではともかく、セはピッチャーもまたバッターの一人。
そんな直史がまだしも積極的にバットを出したのは、皮肉にも他にも誰も打てなかった、上杉との対決ぐらいである。
あっさりとベンチに戻ってきた直史の、投げるだけが仕事ですと言わんばかりの態度。
ただ実際はバッティング練習をすれば、マシンの球を普通にヒット性の当たりにはしている。
下手にバットに当てにいって、右手に痺れなどが残ることを恐れているのだ。
あとは万一にもデッドボールなどを受けて、投げられなくなったら困るのだ。
八回の裏、タイタンズの攻撃は四番の井口から。
ここを打ち取れば、一番怖いバッターはもういない。
だがベテランを複数抱えているタイタンズは、最後まで代打で困ることはないだろう。
樋口のサインに頷いて、スルーを投げ込む。
やや高めの位置から沈んでいくが、充分に打てるコース。
井口の食らいついた打球は、ファーストゴロとなる。
これで残りは五つ。
五番六番と、一発の狙えるバッター相手に、直史は確実に打たせて取っている。
パーフェクトまで残り三人で、球数もまだ90球に届かない。
このままで充分に、100球以内のパーフェクトが期待できる。
しかし九回の表、レックスの追加点はなし。
2-0のスコアのまま、タイタンズの最後の攻撃を迎える。
七番から後のバッターは、ある程度の打力はあるものの、守備の要のショートやセカンド。
大介や緒方のような、打てるショートは少ない。
ここまで来ればタイタンズも、一点を取ること、あるいはヒット一本を打つことに、全身全霊を賭ける。
出してくる面子が、代打にしては豪華すぎる。
この数年のタイタンズの集めた、各球団のクリーンナップである。
まず出てきたのが、千葉マリンズからFAで獲得した八乙女。
不振であったマリンズにおいては、織田と共に打線の爆発力を担っていた。
二度目のFA権を使ってタイタンズに移籍。
二桁ホームランは続いていたものの、ポジションの奪い合いによって現在は控えとしてベンチにいる。
36歳という年齢もあって、代打としては勝負強さを発揮しているものの、さすがに出場機会は減っている。
本人はまだやれるという意識があるので、このオフには移籍してでも出場機会を増やしたい。
だがそんな打算とは全く関係なく、ただここで打ちたい。
現在進行形で伝説を作っているこのピッチャーから、もしもホームランを打てたら。
記録を途絶えさせたというだけで、名前はずっと残る。
過去に獲得した打点王やMVPも、全てはこの時のため。
そう、ここで一本打てればそれでいい。
これまでに抑えてきたスタメンの打者とは、まとっている雰囲気が違う。
樋口は計算の男であるが、洞察力も優れている。
(読みと言うよりは、直感で打つんだろうな)
人生の半分をプロで送ってきて、打ったホームランの数は300本以上。そして2000安打まであと少し。
間違いなくレジェンドレベルの選手を、タイタンズはこんな感じで塩漬けにしている。
データは存在するが、最近のものではない。
構えなどを見ていると、やや前傾姿勢になっている。
(内角は打ちにくそうな気がするけど、元々インコースは強い人だしな)
ここは左バッターの外角、アウトローに遅いカーブを、ゾーンぎりぎりに投げてもらう。
おそらくはファールフライか、上手くいけば浅い左方向へのフライに終わるだろう。
直史はここでもサインに首を振らない。
ここでファールを打ってもらうか、上手く見逃してもらって、カウントを稼ぐ。
その意図は樋口と共有出来るものであった。
セットポジションからフォームが起動し、そしてボールがリリースされようとした瞬間。
(――ダメだ!)
ピッチャーとしての直感が働いた。
リリースポイントを変えて、暴投気味に投げる。
アウトローとはまるで真逆の、それこそ完全なボール球。
ランナーはいないし、暴投でも良かったのだ。
それなのに投げてはいけない方向に投げてしまった。
ベテラン八乙女は上手く回避したが、それがなければ頭に当たっていただろう。
そしてそのコースというのは、単純に言ってやばい。
審判の目が泳いだ。この試合は既に、タイタンズ側の宮路が、すっぽ抜けのデッドボールで警告を食らっている。
直史のそれは、デッドボールでもないので、本来ならばそこまで問題視はされない。
だが、タイミングが悪かった。
審判の動作は、退場コールである。
ドーム内が轟音で支配された。
反省すべきところは多々ある。
ランナーのいない初球なのだから、素直に暴投しておけば良かったのだ。
こういう時の直感は当たると思うが、それでも選択が間違っていた。
(少し気が抜けてたな)
集中していたなら、咄嗟に外せたはずなのだ。
それがこの事態なのだから、ベンチに入った直史は、頭を下げるしかない。
こいつでもコントロールミスするんだな、とベンチの人間は不思議そうに見てくるが、ブルペンの方は大忙しである。
直史はこれまで、ほとんどを完投してきた。
ライガース戦などは注意してリリーフも準備していたが、今日はここまで完投完封、パーフェクトのペースであった。
忙しくも準備をする中で、念のためにの準備をしていた越前がマウンドに登る。
左のサイドスローはまず八乙女を内野フライに打ち取る。
そして続いて、送られてきた代打がソロホームラン。
一点差となり、直史の勝ち星が初めて消えるか、という事態になる。
ここで準備が整った豊田が、今季五度目のセーブを狙ってマウンドへ。
ランナー一人を出すも、失点は許さずにスリーアウト。
一点差を守って、レックスは勝利した。
これで直史は今季15勝目。
しかしながら珍しくも、危ういピッチングをしてしまった。
当然ながら試合後、樋口の詰問はある。
「なんで暴投した?」
「投げる瞬間、打たれる気がしてな。外そうと思ったんだけど、上手く外せなかった」
小さくため息をつく樋口であるが、今日の試合はどう記録されるのか。
八回までを投げて、パーフェクトピッチング。だがそこで危険球降板。
もちろん勝利投手の権利はあるが、後続が打たれている。
ベンチの首脳陣としても、どう注意したらいいか分からないところである。
「まあお前はコントロールいいから、頭直撃のコースなら、危険球扱いになるかもな」
「よけてくれてよかったよ。あれは確実に当たるコースだったし」
だがこれで、やはりパーフェクトは未達成となった。
当てたわけでもないので、ランナーを出したわけではない。
記録上は九回の途中、ボール球を一つ投げたところで、交代となる。
「いかに珍しい参考パーフェクトを作るのに挑戦しているかの感じだな」
「まあ試合には勝ったんだからそれでいいだろ」
「いきなり暴投されたら、どこか痛めたのかと思ったぞ」
聞きづらいことを樋口が尋ねてくれたが、直史としては余裕のジェスチャーである。
肩をぐるぐると回して、健常であることをアピールした。
直史はこれまでアマチュア時代を合わせても、デッドボールを当てたことは10回もない。
内角を攻めて、ゾーンに入っていたのをデッドボール扱いされたことは何度かある。
ただ完全な失投で当てそうになったのは、極めて珍しいことだ。
四死球記録が途絶えなくて、本当に良かったとは球団の人間は思ったりもした。
もしもあのまま投げていたら、というのを直史はシミュレーションする。
外の球を振った八乙女の打球は、レフト方向へのフライとなっただろう。
スタンドインするか、切れてファールになるか、あるいはぎりぎりで捕球されるかは、かなり微妙なところである。
ともあれ結果は、ランナーも出さずにチームは勝利。
完投出来ずにリリーフ陣を消耗させてしまったのが、反省のポイントである。
翌日の新聞を見れば、あれは退場にするほどではないだろう、という論調の記事が目立った。
そもそも最初に頭部近くにデッドボールを投げたのは、宮路の方であった。
直史はパーフェクトピッチングを継続中で、あそこで故意に狙うことは考えられない。
ただ危険球の判断は、審判に任されている。
それでも普通なら、宮路が同じく頭部近くへのボールを投げたならともかく、直史の方にその判定が下るのはおかしいだろうというものだ。
直史自身は、危険球などを投げてしまえば、当たろうが当たるまいが、そこで退場でいいと思っている。
自分自身がコントロールに自信があるため、むしろ他のピッチャーにこそ、その制限は辛いものだと思うからだ。
結局のところ文句が出てくるのは、当たってもいない球で直史が退場になり、パーフェクトが閉ざされたことが問題なのだろう。
本人の意思とは関係なく、ファンは求めているのだ。
奇跡が達成されることを。
七月中にはあと一回、直史の先発の試合があった。
スターズとの16回戦、直史はボチボチと打たれてしまった。
しかしそれは全て単打で、ダブルプレイによってランナーを二塁に進めない。
これが上杉との対決であれば、また話も違っただろう。
だが直史は暑くなって来たこの時期、体力を温存させるピッチングをしている。
そこそこ打線も、一時期に比べると充実してきたスターズ。
だがむしろ打てるバッターこそ、ほどほどに打ち損じを狙って、ダブルプレイや内野ゴロで、球数の節約を考える。
下手にパーフェクトの期待などがかかってくると、色々とミスが出てしまうものだ。
ともあれ七月の全試合が終了した。
首位レックスはライガースに対して、4.5ゲーム差をつけている。
ライガースも例年であれば、余裕で優勝が見えている勝率なのだ。
ただそのライガース相手にだけは、負け越している。
自慢の投手陣が、ライガースの打線にだけは、いまいち通用していない。
この月は無敗であった武史にも黒星がつき、連勝記録も途切れた。
だがその後にも一度五連勝があり、相変わらずの勝率を誇っていある。
0.789の勝率など、五試合すれば四試合ほどは勝つ計算だ。
その19個の負けのうち、七つがライガースとなっている。
どれだけ相性が悪いのか、という話である。
七月の直史は5登板して4勝0敗の1セーブ。
38イニングを投げて出したランナーは7人と、比較的控えめの数字である。
だがいまだ無失点イニングは続き、二試合を完投完封。
158と三分の一イニングを投げて、無失点。
上杉の持っていた連続無失点記録を、既に倍ほども更新している。
この二年、レックスはシーズンではライガースを上回りながらも、プレイオフで敗退している。
自慢の投手力がライガースとの短期決戦では、打撃力で上まわれてしまうのだ。
だが、今年こそはと思える。
延々と続く無失点記録。
これがどこまで続くのか、あきれ返りながらも全日本のプロ野球ファンは注目している。
退場にはなったが勝ち星は増えた翌日、直史は調整のキャッチボールをしていた。
そこへやってきたのは、監督の木山である。
しばらくそのキャッチボールを見ていた木山は、直史がそのメニューを終えるのと同時に、声をかけた。
「佐藤、次の先発だけどな」
それはこれまでのローテを見ていたら、普通に予想出来ることである。
「ライガースとの第一戦、行ってもらうからな」
「分かりました」
直史としても否とは言わない。
圧倒的な勝率で首位を走りながらも、ライガースだけには負け越しているレックス。
直史で勝てなければ、おそらくペナントレースは優勝しても、クライマックスシリーズでは負ける。
ここ二年、そのパターンであったのだ。
八月と九月もこの調子でライガースに負ければ、ペナントレースの逆転すらありうる。
そのための最後の、そして最強の駒が直史である。
「八月六日か……」
元々そのつもりで、準備はしている。
ただ舞台は真夏の神宮球場なのである。
(あと何回、ライガース戦に投げるのかな)
直史が気にしているのは、まだ一度も甲子園でライガースに投げていないことだ。
出来れば甲子園が終わってから、まだ夏の気配が残っているうちに、あの球場で投げたい。
夏の匂い、そしてマウンドの土。
太陽の下でライガースに投げるなら、絶対勝てるという意思が湧いてくる。
(神宮球場だといまいち燃えないんだよな)
直史自身も、そしておそらくは大介も。
夏の名残が消えないうちに、甲子園で戦いたいと思っている。
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