第41話 安定
ボーナスタイムが終了した、とでも言えばいいのか。
オールスターで試合間隔が空いたのは、疲労回復という点では良かったのかもしれないが、それまでのルーチンを崩すことにもなってしまった。
具体的にはほぼ勝利を確定されていたリリーフ陣が、崩れてしまったのである。
首脳陣はこの時期、シーズン終盤を考えて、投手の運用を試行錯誤していく。
二位のライガースとの間に、相当の差がついていたからこそ出来ることである。
六回までを投げて一失点の佐竹を、七回から豊田がリリーフする。
今季はこれまで、利根が一度失敗した以外、ずっと成功してきた勝利の方程式。
それが豊田が一気に逆転されてしまって、黒星がつく。
続く金原の第三戦も、金原自身は球数こそ嵩んだものの、六回まで無失点。
だが昨日の印象を引きずったままだったのか、またも豊田が失点し、続く利根が追いつかれて勝ち投手の権利が消える。
引き分けた状態からはクローザーの鴨池にはつなげず、星がそこからを投げることになった。
星は序盤で大量得点をし、セットアッパーなどの必要がないぐらいの点数で、投げることが多い。
もしくは敗戦処理だが、星の場合は点を取られても大量失点にはならないという特徴を持つ。
野球は統計のスポーツなので、数字の偏りが出てきた時は、その大量失点にならないという特徴が生きてくる。
レックスの攻撃力は爆発的に大量点を取るというようなものではないが、チャンスを見逃さないしたたかさは持っている。
強力な先発陣に、吉村が復帰してさらに強力になったが、吉村は特に球数を制限して投げている。
六回まで投げればリリーフ陣でつないでいくことが多く、それでもこの数試合は勝ち星がついている。
特に19連勝目を達成した試合では、先発として登板した。
ただその次の日には、また肘の調子が悪くなったが。
第三戦は星が投げている間に、さらに勝ち越しに成功。
勝ちは星について、最後は鴨池がまたセーブを上げた。
リリーフ陣の中では鴨池は、一番多く投げているのだが、ここでもしっかりと投げた。
おそらく今季のオフには相当の年俸アップが待っているだろう。
もっとも今年は、ここまでで既に36登板。
クローザーの場面が多いとはいえ、投げさせすぎのような気もする樋口であった。
夏の甲子園が近づく七月の中旬、首位攻防のライガースとの三連戦が、甲子園球場で行われる。
そのはずだったが、一戦目は雨で中止。
第二戦の吉村は飛ばして、武史の次に古沢という順番で戦われる。
吉村は今年も開幕に間に合わなかったが、ローテに回ってしばらくしてから、完全に調子を上げてきた。
だが相変わらず肘の調子に不安が残るので、球数を抑えて長くても六回まで。
そして登板間隔が空けられる時には、確実に登板を避けるようにしている。
吉村はレックスに対して、こうやって少な目の登板をしてくれることは感謝している。
だがこれ以上に使いやすい先発が入ってくれば、出番が激減することも考えられる。
耐久力などでは先発のローテで、試合を作ることが出来ている。
ただ肩を作る早さなどからは、本来リリーフの方が向いているのだ。
現在のレックスは先発に左が他にもいるので、リリーフで左の多いところに出れば、そこで成績は残せる。
しかしそうすれば休養が取れないため、肩肘の回復が追いつかない。
レックスは現在、チームとしては絶好調である。
だが選手個人を見ていけば、こういった問題も発生しているのだ。
直史は生まれてから今までの間で、おそらく一番野球に没頭しやすい環境にある。
高校時代も本気でやってはいたが、それでも勉強の必要はあった。
大学に入ってからは、将来的な目標のために、チームには溶け込むことすらしなかった。
今でも孤高の存在ではあるが、周囲には自然と人が集まってくる。
巨大な星は近づけなくても、その引力があるゆえに離れられない。
そしてその選手としての絶対的な魅力ゆえに、飛び込んでしまう者もいる。
下手に近づきすぎれば、己の才能と比較して潰れてしまう。
そのあたりも重力や引力と似ているかもしれない。
直史はそのあたり無頓着なところがある。
能動的に誰かを傷つけることはないが、勝手に傷ついてしまったなら、それは仕方がないと考える。
人間誰しも、他人の勝手な感情にまでは責任は持てない。
寮に隣接した室内練習場では、雨の日でも投げ込みは行える。
なにかと直史にくっついてくる小此木には、バッターボックスで左右に立ってもらったりもする。
他にはキャッチャーは、二年に一人は取っているので、寮にもいることが多い。
とりあえず直史の変化球が全部取れれば、一軍の控えレベルにはなれる。
また小此木がキャッチャーをやってみて、視点を変えて変化球を見たりもする。
その間にキャッチャーをしている者がバッターボックスに入って、変化球の球筋を見る。
二日目の試合は、雨も上がって普通に開催される。
それを食堂で見ながら、どういう試合になるかを予想する。
学ぶということは、見ることである。
見て学んだことを、自分の肉体で表現する。
そして実際の試合を見ていれば、双方のチームがどういう考えで試合を進めているか分かる。
状況を見て、それに対処することはそれほど難しくない。
だが状況を把握した上で、試合の流れまでも、考えるのは難しい。
「ライガースのキャッチャーはもう、完全に赤尾に定着したな」
「高校の後輩なんですよね? どういうタイプのキャッチャーだったんですか?」
「インサイドワークは優れてたし、肩もバッティングも良かった。ただ全部のピッチャーに合わせられるタイプじゃなかったな」
基本的に直史は、自己主張するキャッチャーは苦手なのだ。
樋口などはアピールするのはバッティングで、キャッチャーとしては繊細なリードを行う。
ピッチャーによってそのリードを変えるのだ。
キャッチャーというポジションが難しいのは、自軍のピッチャー10人以上のことを把握し、対戦するチームのバッターの一軍の選手はほとんど頭の中に入れておかなければいけないところにある。
日本でのキャッチャーといえば頭脳職で、一番考えることが多い。
それに対してMLBなどは、配球やリードの基本的なことはミーティングで考え、投げる球も最終的にはピッチャーが判断する。
キャッチャーに求められるのは、壁と肩、そしてバッティング。
確かにキャッチャーというのは、他のポジションは出来ない、という人間がいないでもない。
直史は試合を見ながら、樋口が要求する球をことごとく当てた。
味方にしてもどうしてそれだけ当てられるのか、不思議に思われないはずがない。
ただ直史としては、自軍のチームのピッチャーが、今日は武史であるのだ。
樋口がそれをどうリードするぐらい、分かっていて当然なのである。
だが相手の真田の配球についても、おおよそ当てていける。
孝司の傾向が分かっているというのもあるが、真田がどういうピッチャーかも分かるからだ。
甲子園で死闘を繰り広げた相手であるが、大介でも攻略にてこずったバッター。
それと自チームのバッターのデータまであれば、予想することも出来るというわけだ。
「頭いい」
「キャッチャーも出来るんじゃないですか?」
「そういえばこの人、司法試験に受かった人だよ」
周囲はそう言うが、直史としてはもっと、他の選手も考えるべきなのだ。
考えてみれば孝司も、白富東にスポーツ推薦が出来る前の入学者だ。
そしてジンのインサイドワークを見て、秦野の指導も受けている。
スターズは若手から福沢が一気に正捕手になってしまったが、実力的には孝司を出すのはまずかっただろう。
ただし孝司としては、いつまでも出場機会が少ないなら、トレードに出してほしいという考えは当然のはずだ。
チームが変われば、活躍出来る選手はいる。
ポジションが変わればそれだけ、能力を発揮できる場所も違いのだ。
あれだけ育成が上手いと言われていたコンコルズだが、実城は結局他球団で輝いた。
だがそこまでの道のりを考えれば、もう少し選手が移籍できる環境を変えるべきか。
直史が散々に互いのチームの配球を当てるので、小此木はこんなことまで言い出す。
「なんだかナオさんって、キャッチャーも出来そうですよね」
「中学時代にはキャッチャーも経験していたからな」
「そういえばそうですね」
直史の過去については、瑞希の手によって、かなりの人間が知っていることになっているのだ。
武史と真田の対決は、やはり極端なロースコアとなった。
それでも九回までには点が入り、引き分けはつかない。
翌日の試合はレックスが古沢であるのに対し、ライガースは山田。
ここではピッチャーの能力は、大きくライガース側に傾く。
それでもまだまだゲーム差はレックスの有利。
レックスは東京ドームにて、タイタンズとの試合となるのだ。
三連戦のカードの第一戦は、直史が先発である。
そしてここで小此木は一軍に呼ばれることになった。
この数試合で、さらに成績を伸ばしていたドラフト四位の高校生野手が、いよいよベンチ入りである。
神宮ならば高校野球の東京大会で経験豊富な小此木であるが、ドームともなればそうはいかない。
寮に住んでいながらも、既に一軍で活躍している選手は、直史だけではない。
その車に一緒に乗せてもらって、二人は東京ドームに入る。
球場としては広いが、実はホームランは出やすい球場。
ただ直史としては野天型の球場に比べれば、風の影響などがないためありがたい。
小此木はスタメンではないが、どこかで代走として使われるかもしれない。
足が純粋に速いということもあるが、それ以上に走塁が上手いのだ。
タイタンズは先発をずらして、二年目の宮路を持ってきていた。
「スコアはあるけど画像データが少ないんだよな」
ミーティングにおいて、樋口はそんなことを言っている。
仙台育成出身の、高卒二年目のこの投手は、去年は一軍では三試合にだけ登板している。
その時の映像は残っていたのだが、普通に打てるピッチャーだという印象しかなかった。
二軍戦の映像が参考になるかは微妙なところだ。
「一つ上の年代では、ビッグ4って言われてましたね」
小此木は高校時代に対戦している。仙台育成相手では、練習試合も組まれていたので。
基本的には伸びのあるストレートに、手元で動くムービングボール、そしてカーブを二段階使うという、技巧派に近いピッチャーだ。
「あの年だと同じ関東の、小川さんとか山根さんの方が、印象は強いですけど」」
山根優也は直史にとって、高校の後輩に当たる。
もっとも直史はほとんど東京にいた頃なので、わずかに里帰りした時に面識があった程度だが。
ピッチャーの攻略は、首脳陣に任せる。
直史と樋口の仕事は、相手の打線を制圧することにある。
この間の試合では、直史に九回までパーフェクトに抑えられたタイタンズ。
今日は打線がかなり入れ替わっている。
その中でも井口だけは動かさないあたり、打線の軸がどこにあるかはもろ分かりである。
ドームで投げるのは、プロになってからは初めての直史である。
大学時代には国際試合で投げたことがあるが、プロになってからはオープン戦でも回ってきていない。
広い割にはホームランも出やすいという東京ドームは、空調や空気圧が関係しているのだという。
アウェイであるがゆえに、まずはレックスが攻撃。
西片は凡退したが、緒方がヒットで出塁。
三番の樋口があっさりと凡退と、四番の浅野まで回ってくる。
データがそろっていないのが、樋口の打てない理由である。
それでも決め打ちしていけば打てなくはないのだが、緒方を進塁させることだけを考えた。
打ってみた感想は、ゴロを打つことは出来そうだ、というものだった。
ただし浅野も内野ゴロでランナーは残塁。
スコアを見ても分かるとおり、手元で細かく動かして、内野ゴロを打たせることが上手い。
球速もMAXは150km/hを超えてくるのだが、どちらかというと技巧派に近い。
その裏の、タイタンズの攻撃。
前回の試合とはかなり選手が入れ替わっていて、よくもまあ潤沢に選手を揃えているなとは思うが、同時に固定できていないということでもある。
少し調子が悪かったぐらいで、そうそう打線をいじくり回すのは感心しないが、直史によって完全に抑えられてしまったバッターは、調子を落としているのでそれも無理はない。
ほとんど事実上のパーフェクトとなった前の試合から、直史の調子はどうなっているのか。
それは自然と、この裏の攻撃で明らかになった。
内野ゴロ二つと、内野フライ一つ。
スピードは抑え目であるがスライダーやシンカーで、打ち損じを狙う。
そんなピッチングにまんまと引っかかったあとの、ストレートを打ち上げてサードフライ。
ただの内野フライなのに、なぜか注目されてしまう村岡であったが、ここでは変なミスはなかった。
やはりと言うべきか、全く打てていない。
タイタンズ側のベンチは選手よりも、首脳陣の方が暗い顔をしている。
現在の順位が五位だけに、このままBクラスであると、また監督の顔が変わるのだろう。
ただし今のタイタンズの不振の原因は、監督にあるとは思えないのだが。
先制点はレックスであった。
二回の表、六番村岡のソロホームランで、一点を先制。
たったの一点であるが、一点あれば大丈夫。
もはやレックスファンにとって、それは信仰に近い。
そしてまた、直史もその期待を裏切らない。
ポンポンと早いテンポで投げて、その無失点記録を伸ばし続ける。
これはもう、自分には黒星がつくしかないのではと思う、タイタンズの先発宮路である。
だがまだ二年目の彼としては、自分の成績がチームの勝敗より重要だ。
割り切って考えて、ヒットを打たれても点につながらないよう、丁寧に投げていく。
それでも全く援護がないのに、いいかげんに嫌になってくるが。
エースの条件は、味方を勝たせることである。
たとえこちらが一点も取れなくても、一点も取られないのなら、少なくとも負けることはない。
この極致ともいえる試合が、直史と上杉の投げあった試合であった。
あれは直史のパーフェクトが達成されなかったことにばかり目が行くが、実際のところ上杉がパーフェクトを達成しても、史上初の複数パーフェクト達成者となっていたのだ。
実際にはプロの試合では、そこまでを求めるのは酷である。
統計的に二点以内に抑えれば、ピッチャーとしては充分だろう。
宮路のピッチングは、なかなか連打を許さない。
だが一発が出て、それによる失点というものはある。
小柄ながらパンチ力のある緒方のソロホームランが、二点目の援護。
これで2-0となり、六回が終わったところで、いまだに直史は一人のランナーも許していない。
残り三イニングを抑えれば、ようやく二度目の、参考ではない本物のパーフェクト。
レックスファンのみならずタイタンズファンさえも、その実現を待ちわびているような、そんな雰囲気がスタンドを支配していた。
×××
※ 真田VS武史、武史VS大介は飛翔編14話になります。
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