第40話 惜しい!

 試合数はともかく、オールスターの前後で、前半後半とシーズンを分けている人間はいるだろう。

 直史はオールスターの第一戦で投げたが、省エネの打たせて取るピッチングのため、肩肘の疲労はたまっていない。

 オールスター明けの15日から、さっそく先発として入っている。

 相手はタイタンズであり、先発ピッチャーは生え抜きのエース本多。

 武史との対戦はあるが、今年はまだ、直史と投げあったことはなかった。


 高校時代に、直史が関東ですごいと思ったのは、本多と玉縄の二人である。

 緻密なピッチングの玉縄と、パワーで圧倒する本多は、それでも共に本格派であった。

 とても自分の骨格では不可能だろうと思っていた、150km/hの大台に乗せることが出来た直史。

 だが本多はほとんど160km/hに近いほどの球速を持ち、ストレートとフォークで三振を奪いまくる。


 それでも勝つのは直史だ。


 神宮球場において、タイタンズの三番までを封じる直史。

 四番を打つ井口は、自分の前で当たり前のように切られた打線にも、ため息をつくことはない。

 そんな井口を見ていて、いまだにタイタンズは四番重視なんだな、と思うだけである。

 直史は最初はセイバーの影響から、そしてその後は実体験から、三番打者最強論の支持者である。

 

 井口はおそらく、このオフでMLBに行くのだろうな、と言われている。

 大介さえいなければ、打点王かホームラン王を、複数回取得できたはずだ。

 NPBの中の常識的な範囲内では、最も優れたバッターの一人。

 直史も慎重に外のボール球を使い、確実に打たせたつもりが、外野にまで運ばれてしまった。


 ストレートの伸びを予想されてしまったのだ。

 これまでであれば確実に内野フライであったろうに。


 井口の技術と肉体の精度は、おそらく今から数年がピークだろう。

 単純なパワーならもう少しピークは続くが、どうしても加齢による腱や靭帯、筋肉の硬直化は免れない。

 大介の場合はツインズのケアがあるので、かなりそのピークは長いだろうし、それに伴って選手生命も長くなる。

 だがどう頑張ってもバッターの選手寿命は、45歳ぐらいである。


 単純な肉体の筋肉や骨などは、まだもう少し実用に耐えるらしい。

 だが一番肝心の、ボールを追う目の筋肉がそのあたりで限界を迎えるのだ。

 ピッチャーの手元から、キャッチャーのミットに納まるまで。

 そのわずかな時間を、目の筋肉の収縮で、捉えきれなくなる。


 この理屈からすると、目の筋肉がさほど必要ないポジションであるはずのピッチャーは、選手生命はバッターより長くなる可能性がある。

 実際に日本のプロ野球において、一軍での戦力となった最高齢選手は、バッターではなくピッチャーである。

 単純な球速などは衰えていっても、駆け引きや変化球でバッターを惑わせる。

 それが出来るからこそ、ベテランのピッチャーは比較的選手寿命が長くなる。

 もっとも本来のプレイにおいては、肩や肘を酷使し、投げられなくなるピッチャーの方が断然に多い。

 このあたりはおそらく、上杉よりも武史が、武史よりも直史が、パワー要らずのピッチングをするため、選手寿命は長くなってもおかしくはない。




 一回の裏、レックスは先頭の西片がいつも通りの粘りで塁に出る。

 緒方がしっかりと送って、まずは二塁へ俊足の西片を進める。

 ここでチーム内打率一位の樋口の打順が回ってくる。

 しかし本多は樋口に対しては、駆け引きのないパワーピッチングで対応する。


 こういうタイプのピッチャーは、樋口は苦手なのだ。

 本多は確かにメジャーのピッチャーに比べても見劣りしないスピードは持っているが、本当に凄いのはそこではない。

 樋口から見ても、本多のボールは伸びるのだ。

 そしてこれに落ちるフォークを使われては、なかなか読みきって打つことは出来ない。

 他にカーブやツーシームもたまに使うが、基本的にはストレートを中心。

 フォークは決め球か、むしろ一球目で使ってくる。


 樋口の打った打球は、その伸びるストレートを捉えたものであった。

 ライトは後退してキャッチし、この間に西片は三塁へとタッチアップ。

 四番の浅野の前に、何があっても一点、という状況を作り出した。


 だがここで逆に、闘志を燃やすのが本多である。

 ストレートが気持ちよくアウトローに決まって、これには浅野も手が出せない。

 本多は失投もそれなりにするピッチャーなので、それを待って打つ。

 だが先頭の西片を相手にした時とは違い、本多のピッチングに揺らぎはない。

 浅野が見逃すしかないアウトローのストレートで、まずはピンチを逃れた。




 今日もロースコアかな、と思いつつ直史はマウンドに登る。

 本多の防御率は案外高いが、それは調子がいい時と悪い時で差があるからだ。

 劇場型のピッチャーだと、本多のことは思っている。

 追い詰められた時や、大切な試合ほど力を発揮する。

 少年マンガの主人公的な強さがあるが、それを現実で活用するのは、ちょっと難しい。


 メンタルがピッチングの内容に影響を与えるのなら、今のタイタンズの状態は、悪影響しか与えない。

 それでも今日は調子がいいのは、相手が直史だからである。

 相手が強ければ燃えるので、対戦する場合にはめんどくさい。

 前回に武史と対戦した時も、レックスが奪えた点は一点だけであった。


 一点あれば大丈夫。

 直史はとてもそんなことは言えない。

 タイタンズはバランスのいい選手の補強には失敗しているが、一発の打てる選手はそろっている。

 ホームランバッターだけをそろえても勝てないし、ホームランバッターだけだとなぜかホームランの数が減っていくわけだが、それでも潜在能力は恐ろしい。

 特に直史のボールを今打てば、それだけで歴史に名前が残る。

 

 そんな状況で直史は、アウトローのストレートと、高めに外したストレート、そしてカーブとシンカーを主に使っていく。

 カーブは便利だ。微調整が利くし、長打にはなりにくいし、緩急が取りやすい。

 スローカーブの後にストレートを投げれば、たいがいが空振りか内野フライを打ってくれる。

 だがタイタンズのバッターは井口以外も、外野にまで持っていく。

 ちょっと野手がいないところに飛べば、普通にヒットになってもおかしくない。

 すると今日は、ストレートは控えめにしていくべきか。


 三回を投げて打者一巡、一人もランナーを出さなかった。

 だが外野にまで運ばれることが三回。

 また本多のピッチングによって、レックスもヒットが出ていない。

 パーフェクトに対して、ノーヒットノーラン。

 本多は今日は調子が極めていいようである。




 直史が打者一巡パーフェクトなどというのは、別に珍しい話ではない。

 それでも今日こそはまたパーフェクトをしてくれるかと、期待されているのが分かる。

 ただパーフェクトなどというのは、打線の援護がないと出来ないものだ。

 今日の直史は打線を奮い立たせるほどには、圧倒的なピッチングが出来ていない。


 前回の試合から、ちゃんと間隔は空いている。

 だがクローザーをやってオールスターで投げてと、わずかだが感覚が狂っているのだ。

 今日の直史のピッチングは、工夫しているピッチングで、支配的なものではない。

 それでもヒットを打たせず、ボール球を振らせる技術は、優れたものではあるのだ。


 本多もまた、ノーヒットピッチングを続けている。

 西片や緒方が頑張って球数を増やさせても、甘い球が入ってはこない。

 せいぜいフォアボールで出塁ということになるのだが、ランナーが出てしまったら、また気合を入れて投げてくるのだ。

 自分でピンチを招いて、自分で解決する。

 まさにピッチャーらしいピッチャーである。


 ただ直史はともかく、周囲は少しずつピリピリしてくる。

 今季直史は一度パーフェクトを達成しているが、実際は開幕戦も実質的にはパーフェクトだし、上杉との投げあいもパーフェクトになったし、エラー一つでパーフェクトを逃したし、パーフェクトの状態から継投を任せたこともある。

 つまり本当ならもう何度もパーフェクトになっていてもおかしくないのだ。

 それが実際はパーフェクト一回に、ノーヒットノーランが二回。

 打線がしっかりと援護していれば、もっと楽に戦えるのだ。


 タイタンズはスタメンがコロコロと入れ替わっているため、樋口のデータベースも更新が頻繁になる。

 そして調子の良し悪しが分かるまでは、かなり注意してピッチングを組み立てなければいけない。

 比較的球数が多くなっている。

 直史は安全マージンの他に、スタミナも消耗しきらないように余裕をもって投げているが、それでも今日は球数が多くなりそうだ。

 その多い球数と言っても、130球程度なのだが。


 今季の直史はパーフェクトやノーノーに加え完封で、100球以内の球数で勝利した試合が、既に八回もある。

 球数を増やしてパーフェクトを目指すよりも、球数は抑えて完封をした方が、より継続的に質のいいピッチングを続けることが出来る。

 それに比べると今日は、樋口が相手を警戒しているということもあるが、球数を増やしてパーフェクトなピッチングとなっている。

 これは直史の主義に反する。

 ただ本多は、今季で一番いいといえるほどのピッチングをしている。

 上杉や蓮池と投げあった時のように、また延長戦に突入するのか。

 もっとも本多も直史と同じで投球間隔が短いため、時間的にはテンポよく進んでいる。


 なんとか点を取って、直史に楽をさせなければいけない。

 全員がそんなことを考えていたが、いざ本多から初めてのヒットを打ったのは、散々にネタにされている村岡であった。




 七回、ツーアウトから六番の村岡がセンター前へクリーンヒット。

 ガッツポーズをする村岡であるが、実際のところ見ている側としては、無安打の投手戦が終わってしまって、諦めのため息が出ていたりもした。

 美味しいところで美味しくない働きをする村岡である。

 それにツーアウトからでは、点に結びつく可能性も低い。

 実際に本多のノーノーは途絶したものの、後続が打てずに残塁してしまった。


 本多が打たれたことで、タイタンズの守備陣はむしろ肩の力が抜けた。

 だがレックス側は、まだ直史がパーフェクトを継続中である。

 八回の表のタイタンズの攻撃も終了し、残るは九回の表の守備のみ。

 ただしそれは味方が、しっかりと点を取ってくれればという話である。


 上杉と12回を投げきって、まさに0の伝説を作った直史である。

 だが個人的にはしっかりと勝ち星がほしいのだ。

 このまま両者無失点であると、九回が終わってもパーフェクトは成立しない。

 そして延長にもなれば、さすがに球数も増えてきて、直史のローテにも不安が出てくる。


 九回の表を直史は三人で終わらせて、これでまたも参考パーフェクト達成。

 そして九回の裏には、樋口の打席が回ってくる。




 サヨナラを打つ男樋口であるが、今日はスラッガー相手のリードで、脳細胞が疲労している。

 またこちらも完投している本多が、相変わらず読めないピッチングをしている。

 時折キャッチャーの求めるのとは逆球になり、それがむしろ樋口にとっては攻略が難しい球となる。

 ついに九回の裏にも点は入らず、0-0のまま延長に突入したのであった。


 また延長か、と直史は無表情の下で考える。

 上杉との投げ合い、蓮池との投げ合い、今年で三度目の延長突入である。

 これが普通に0-0だけなら別に交代してもいいのだが、なにせパーフェクトピッチング継続中である。

 直史もやや球数は多いが、それでもまだ128球。

 おおよそ150球までは球威が衰えないよう、直史は考えながら投げている。

 それでも失点しないことを重視して考えていると、球数に限界はやってくる。


 10回の表、ツーアウトまで追い込んでからの、134球目。

 その打球はポテンと飛んで、ショートの頭の上を抜く。

 小柄な緒方でなかったとしても、それは届かなかったであろう。

 30人目にして初のヒットは初の出塁となり、パーフェクトの記録は途絶えた。


 神宮を埋める大観衆のため息。

 だがそれを聞きながらも、直史のピッチングの精度は変わらない。

 四番の井口を内野ゴロに打ち取ってスリーアウト。

 10回の裏のレックスの攻撃が始まる。




 継投をどうするべきか、両軍の監督は考える。

 レックスの木山監督は、パーフェクトも途絶えてしまったし、これ以上の直史の無駄遣いは避けるべきかとも考える。

 だが直史はハーラーダービーのトップを走っているため、少しでも勝ち星は積み重ねておきたい。

 だが本多も本多で、ここまでフォアボール以外にはヒット一本で抑えている。

 直史と上杉の0の伝説ほどではないが、今季屈指の投手戦に入っているのだ。


 球数的には、あと一イニングは直史の許容範囲である。

 最後の回はリリーフも考えないとな、と木山が考えてブルペンに連絡しようとする。

 その時であった。


 コーンと強く響く音と共に、その打球は理想的な角度で、神宮のスタンドに消えていった。

 本多が腰に手を当てて、思わず点を仰ぐ。

 そう、本多は意外と、ホームランを打たれることが多い。

 一発病などとも言われるが、これは確実に狙っていたのだろう。

 サヨナラホームランを打った村岡は、ガッツポーズをしながら堂々と、ダイヤモンドを一周したのであった。


 この一発が九回までのどこかであれば。

 そう思った人間はかなり多かっただろう。

 10回の表に直史が打たれたのは、内野の間を抜けていくゴロではなく、普通に外野の前に落ちるクリーンヒット。

 あの一本がなければ、延長パーフェクトという、世にも珍しいパーフェクトが記録されていたはずだ。

 だが世の中というのは、どこかでバランスを取っているものらしい。

 ヒットを打たれたその裏に、まさかの勝ち越しサヨナラホームラン。

 村岡の今季10本目のソロホームランで、レックスはサヨナラ勝ちしたのである。


 直史はこれで、ハーラーダービー完全にトップとなる、14勝目。

 上杉に投げた延長引き分けと、クローザーを務めた一試合以外は、全ての試合で勝利している。

 同じ絶対的なピッチャーでも、上杉は今季既に敗北している。

 またこちらも無敗の武史も、まだ12勝0敗。

 シーズン序盤の足への打球が、まさに一歩及ばない成績になってしまっている。


 あまりにも惜しすぎる。

 延長がなければ、それこそ打線の援護が九回までにあれば、パーフェクトになっていたという試合が、これで二試合目。

 上杉の場合は全く点を取れる気配がなかったが、この試合は本多も、そこそこランナーは出していたのだ。

 だから上手くすれば、一点を取ってパーフェクト達成となっていたはずなのだ。


 既に一度達成しているため、直史がパーフェクトから見放されているとまではいかない。

 だがなんだかんだ惜しい試合が続いて、どうしてもパーフェクトは達成出来ていない。

 生涯に二度のパーフェクトを達成した選手はいない。

 しかしここで直史がその偉業を達成すれば、生涯に二度目どころか、一シーズンに二度目となる。

 またノーヒットノーランを含めれば、今シーズンで四度目。

 ノーヒットノーランの内容が、二つとも味方のエラーだと思えば、これがどれだけすごいことか。


「ところであいつ、いつになったらフォアボールでランナー出すんだろうな」

 ヒーローインタビューに、村岡と一緒になって立つ直史を、遠い目で見つめる木山たち首脳陣。

 今季11試合目の完封勝利を遂げた直史派、まだここまで一人も、自身の四球でランナーを出していないのであった。

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