第12話 同期の中で俺だけアラサー

 今年のレックスの新入団選手は、ドラフト八位までの八人で、育成では一人も取っていない。

 いきなり室内練習場を使い出す自由さは、むしろ寮長をびびらせるものであった。

 現役最強キャッチャーの呼び名も高い樋口も加わり、一日目から練習を始める。

 しかも直史の方は、かなり仕上がっていた。


 全員が集合し、寮の説明もしたが、直史の威圧感を察する。

 いやなんで寮の設備の説明などで、こんなプレッシャーを感じなければならんのだ。冷たい波動はなんなのだ。

 ちょっと泣きそうになりながらも、寮長は説明を終えた。


 レックスの選手寮は40人分の部屋があり、新入団の直史たちを含めると、今は32人が住んでいる。

「佐藤さん、社会人で妻帯者ですよね? 寮に入らなくても良かったんじゃないですか?」

 そう問いかけてきたのは、二位指名で入ってきた、畿内大の外野手関根であった。

 四年の春のリーグ戦ではホームランを三本も打ち、畿内大の優勝に貢献。

 全日本でも二回戦で敗れはしたが、二本のホームランを打っていた。 

 レックスの補強ポイントである、外野の強打者というものである。


 それでも、直史とは実績が違いすぎるし、それでなくても年長者だ。

「関根さん、佐藤さんは名字が多いから、ナオさんって呼べばいいって」

「へえ」

 小此木の言葉は、自分から言わなくて済んでありがたかったが、直史は最初の質問に答える。

「子供がまだ小さくて、妻の実家に戻ってるんだ。この仕事だと、一緒にいられる時間は限られるし。まあ慣れたら出て行く予定ではあるけど」

「ナオさんならすぐ呼ばれるでしょうね」

「呼ばれないと駄目なんだけどね」

 即戦力の社会人枠が、一年目は体力づくりなどと、のんびりしたことを言ってはいられない。

 待っている人間がいるのだ。

 そして今の自分が、それに相応しいかも考えなくてはいけない。


 入団の記者会見では、さほど話す時間もなかった。

 だがとりあえず一ヶ月はここで過ごすわけだし、ある程度の交流は必要である。

 そして直史自身は自覚していないが、他の新人のみならず、食堂の栄養士や調理師さえも、彼一人には注目しているのだ。

 野球ファンならば、誰だってあの甲子園のピッチングは見ているはずだ。

 さらにはWBCの決勝戦、アメリカを完封したMVPのピッチング。

 生きた伝説は、表舞台から去ったはずであった。

 だがそれが、自分と同期で入団している。

 大卒にとっては、中学一年生のときが、直史の二年の夏を見たタイミングである。

 つまり参考パーフェクト記録だ。

 ついでにその次の年は、15回パーフェクトの後に、九イニング無失点。

 間違いなく世代最強どころが、史上最高のピッチングであった。


 そしてついにアマチュア枠に収まらなくなったのが、WBCのあの試合。

 WBCの決勝。そこまでは大介の活躍の方が目立ったが、実質ほぼ一人で、決勝戦を終わらせてしまった。

 野球の神様は劇的な試合を好むらしいが、全く劇的な要素など見せずに、圧倒的な力で支配してしまう。

 その内容は神とかではなく、まさに支配と蹂躙。

 敵として対戦するなら、絶望して当然というレベルである。




「ナオさんの高校時代の、一日500球ってマジなんですか? どうやっても時間が足らないと思うんですけど」

 そう尋ねて来るのは、東亜細亜大学のピッチャー泊である。

 同じ関東ではあるが、彼と大日本体育大の月井は、もう一人の関東担当のスカウトである。

「あれ、どうしてちゃんと書いてるのに、間違える人多いのかな。キャッチボールとか遠投合わせて500球なんだけど」

「ても一時間投げっぱなしになったとして、200球ぐらいが限界じゃありません?」

「そうかな?」

 一時間というと、60分で3600秒。

 18秒に一球投げるとしたら、200球投げられる。

 ただキャッチボールや遠投などを含めたら、これも変わるだろう。

「俺は常時クイックで投げられるように考えてたからなあ」

 そのあたりもおかしい。


 直史の思考的には、ランナーが出たらクイックで投げる必要が出てくる。

 クイックで投げるとコントロールが乱れたり、スピードが落ちたりする。

 なら最初から全部、クイックで投げればいいじゃない、というのが直史の考え方である。

 それを聞いてピッチャー経験者はドン引きした。

 やっぱりこの人は普通ではないのだと。


 小此木の場合は直史と同じチームであった、ジンの指導も受けている。

 なのでやってることが違うなと、比べることが出来る。

「そんな無茶してて、コーチには止められませんでしたか?」

「止められたと言うよりは、なぜそんなメニューをやっているのかは聞かれたな」

 セイバーの手配したコーチ陣は、基本的に選手のメニューを否定することはなかった。

 だがそれにはこれこれが必要で、だから先にこれをする必要がある、と説明してくることは多かった。

 実は大介よりもアレクの方が、コーチ陣を悩ませる存在であったりもした。


 直史の場合でも500球も投げてくると、下半身や肩が重くなってくる。

 だがこれまでの野球人生で、無理をして症状が出たのは、高校一年の夏にやった肘ぐらいである。

 この全身が重くなった状態から、どれだけ球質を下げずに、ピッチングを続けていくことが出来るか。

 それがコントロールの秘密であるのだ。

「でもトルネードとかアンダースローでも投げてましたよね?」

「高校レベルだと初見殺しで使えるんだよ」

 五位で入った東北環境大の越前も、サイドスローなのだ。

 よってそのあたりには関心があった。

 直史にとってあれは、本当にただの初見殺しで、三年間でほとんど一度しか戦わない相手には、有効であったというだけだ。

 プロではおそらく、シーズンで一球でも使うか使わないかだろう。

「あのレベルでフォームが違うと、普段のフォームにも影響がないし」

 直史は今、一番体に負担のかからないフォームで投げているのだ。


「すると俺なんかもノーコン克服のためには、投げる回数増やした方がいいんですか?」

 その質問は七位で入った、高卒ピッチャー前原のものであった。

 甲子園に出場したが、ノーコンなところを攻められて、一回戦で敗退した。

 大学に行くのではと思われていたが、素材としての魅力を感じたのだろう。

「フォームを固めるのが目標であって、球数投げるのは手段だから、それはコーチが考えてくれるんじゃないか?」

 経営陣にセイバーがいるのだから、首脳陣のコーチやトレーナーにも、そういった人材を配置しているだろう。

「技術論じゃないんですけど、社会人野球の都市対抗、どうして出なかったんですか?」

 五位で指名された雉原は、立生館大学の出身で、高いアベレージを残すバッターであり、内野の守備に優れていた。

「だってあれ、別に出る責任ないから。あの頃は司法試験に向けて勉強もしてたし、体動かすために野球やってたからなあ」

 雉原はプロ入りしたが、もしドラフトにかからなかったら、社会人に進もうと思って、ある程度は調べていたのだ。

 直史の所属するマッスルソウルズは予選で敗退したが、そこから選手のレンタルが出来るはずだったのだ。

 敵であった選手が、今度は味方として加入する。

 直史はひそかにあれを、ジャンプ式戦力増加システムなどと呼んでいた。


 本当にこの人は、プロに来る気はなかったのだなあ、と不思議に感じる同期の面々。

 さすがに身内の病気について、詳しく知ろうとする者はいない。

「ナオさん、ひょっとして変化球が上手く打てるようになる方法とか知ってます?」

 そう問いかけたのは大日本体育大学から八位指名で入った月井で、変化球の打てないホームランバッターとして有名であった。

 なので打つときは、変化球は徹底的にカットし、辛抱できなくなったストレートを打つというスタイルであったのだ。


 パワーはあるが、さらに高度になるプロの変化球に、果たして対応できるのか。

 技術的には「知らんがな」で済ませたい直史であるが、意見がないわけでもない。

「来ると分かってる球でも打てないのかな?」

「いやそれはさすがに、事前に分かってたら打てますけど」

「じゃあ配球を読んでそのボールだけ待って、それ以外ならフルスイングで空振りでいいんじゃないかな」

 なぜか頷かれているが、そんな指導すら大学時代には受けてこなかったのだろうか。

 月井君の将来が不安になる直史であった。

 



 レックスの本格的な自主トレは、寮開きの翌日から始まる。

 初日は10時からが練習開始であったのだが、直史は当然のように事前に、トレーニングルームで体を動かしている。

 食事は朝食に加えて、補食をそろえてある。

 そしていざ、戸田球場に出陣である。

 徒歩でも歩いていける距離だが、寮の人間は基本まとまってバス移動。

 その二軍グラウンドにおいては、おそらく万に達するであろう見物客がいた。


 なんぞこれ、とビビる選手もいるが、普通にこれぐらいはいるんじゃないか、と大舞台の経験者は思う。

 つまるところ甲子園組だ。

 夏ならば確実に四万はいる球場に比べれば、どうということはない、かもしれない。

 ただ甲子園とは完全に、客層が違う気がするが。


 直史にはあまりアイドル的な人気はない。

 大介のような、小さいのに打てるというギャップや、上杉のような絶対的なカリスマ、樋口のようにイケメンでもないし、天然キャラならば武史がいる。

 それなのにどうして、ここまでの見物人を集めるのか。

 本人としても不思議なのだが、一つには書籍の影響があるだろう。

『白い軌跡』は群像劇であるが、その中心にいるのはおおよそ直史だ。

 全五作で興行収入が200億を超えたらしいのだから、見たものは大勢いただろう。

 そして映画を見た人間が、今度は元ネタを見に来る。

 変な循環が発生している。

 もっと簡単な理由はある。

 純粋に直史が、とんでもなく強いからだ。

 人はどうしても、強さには憧れるものだ。

 単純なスピードではなく、テクニックを含めたメンタル。

 佐藤直史のようなピッチャーは、過去にはいなかった。


 カシャカシャカシャと、直史を追うカメラ。

 肖像権の侵害だぞ、と直史は思わないでもないが、そこまで気にしてもいられない。

 新人の自主トレとはいえ、当然ながら一軍の首脳陣も集まっている。

 軽く体を動かした後、現在のレックスでは選手の身体能力を計測する。

 本人は分かっていたことだが、直史は体の柔軟性以外は、それほど傑出した身体能力を持ってはいない。

 パワーはまだ不足しているだろうが、おそらく総合的な一番は小此木である。

 さすがはレックスが素材枠で取っただけはある。


 この日は計測だけで、練習は終わり。

 とは言ってもまだ昼を過ぎたあたりなので、帰って室内練習場やトレーニングマシンを使うわけだが。

「ナオさんって、ほんとにウエイトやったことないんですか?」

 泊や越前といった大卒組は、当然ながらウエイトをやっていた。

「一度はやったんだが、それでコントロールがおかしくなってな」

 おそらく投げることこそが、一番投げる動作を鍛えるのにはいい。

 ただ投げ込みのしすぎは、故障の元となるのは、現代ならシニアでも常識である。


 室内練習場に移動し、一軍首脳陣の見る中、直史はピッチング練習を開始した。

 タイミングが取りにくいことで有名な直史のボールであるが、本日は基礎のおさらいでゆっくりと投げる。

「どれだけ出てる?」

「148km/hです」

「この季節にしては、かなり仕上げてきているな」

「球速よりもかなり速く感じるな」

 室内練習場であるので、リアルタイムでトラッキングのデータが分かる。

「スピン量がかなり多いな」

「それでも弟の方が、そこは上なのか」

 変化球が凄いので、そこは意外に感じる首脳陣である。




 フロントの独断による直史の獲得には、かなり不満を抱えていた首脳陣である。

 だがそもそもの要望である、右の即戦力というのは、おおよそ満たしている。

 いや、アマチュアでの実績を考えれば、むしろ12球団競合になってもおかしくない人材である。

 あとはブランクが問題であるが、ドラフトで指名が終わってからは、練習試合で登板する試合は見てきた。

 もちろんレベルが違うし、季節柄満足に投げるのは難しかったが、それでも企業チームの競合ぐらいなら、完封するというパフォーマンスを見せていた。


 今もまた、最初から148km/hを出しておいて、そこからさらに上げてくる。

 150km/hまでは出していたが、アマチュア時代の最高速度は154km/h。

 まだ全盛期には及ばないとはしながらも、それでも充分な戦力だ。

「キャンプから一軍だな」

 木山監督の言葉に、反論する者は誰もいなかった。


 それにしても、とピッチングコーチは思う。

 ストレートのコントロールは素晴らしい。キャッチャーが構えたところへ、確実に投げ込んでくる。

 アウトローの出し入れなどは、完全にミットが動いていない。

 そして変化球にしても、ものすごく曲がる。

「ちょっと向こうから見てきます」

 ワクワクとした顔で、ピッチングコーチが直史の背後に回る。

 その肉体の回転を、少しでも近くで見たいのだ。


 フォームは基本的には、アーム式とスクラッチ式の中間だろうか。

 一度肘を伸ばしてから、そこから急激に前に持ってきている。

(身長はそれほどでもないけど、手は割りと長いんだな。だけどこれは下手をすると、肩肘に負担がかかりやすい)

 そのあたりも考えて、変な遠心力がかからない投げ方にしている。

(歩幅は普通か。体幹で投げてる感じかな。股関節は相当柔らかい)

 現在のピッチングは、下半身で投げるとも言われている。

 それに逆の手も上手く使って、梃子の原理で投げるのだ。

 肘の抜き方は特徴的ではないので、そのあたりで故障のリスクは少ないだろう。


 キャッチャーの返してくる球を、体で移動してキャッチしている。

 これは普通にフィールディングも期待させるものだ。

(変化球でもフォームに変化はない)

 それは基本的なことだが、見ていてふと思った。

「佐藤、ひょっとして今もまだ、球速が出るのか?」

「出せますけど、今日はそこまで出すつもりはありません」

「いや、いいんだ。まだ仕上げる季節じゃないしな」

 社会人を経験しているだけあって、抑制が利いている。

 いや、年齢ではなく、その経験が、ピッチャーとしての自信を形成しているのか。

 ともあれ26歳というこの年齢からでも、プロで偉大な成績を残す選手はいる。

 技巧派であるから、その投手生命は長いのではないだろうか。

 ここから20年間投げるというのも、前例がないわけではない。

 遅咲きの選手であれば、このあたりから成績を残し始める者もいるのだ。

(開幕一軍に残っていてほしいな)

 最終的には監督が判断することであるが、ピッチングコーチにそう思わせるものを、直史は持っていた。



×××



 本年度レックス新人

 指名順:名前:出身:ポジション:年齢


1 佐藤直史 社会人 投手 26

2 関根 畿内大 外野手 22

3 泊 東亜大 投手 22

4 小此木 帝都一 内野手 18

5 越前 東北環境大 投手 22

6 雉原 立生館大 内野手 22

7 前原 津軽極星 投手 18

8 月井 大日大 外野手 22

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