第13話 キャンプの王子様

 二月になると各球団は、シーズンに向けてキャンプに入る。

 レックスは二軍は宮崎、一軍は沖縄でキャンプを張る。

 そしてルーキーからは直史を含む四人が、この一軍キャンプに帯同している。

 直史と二位指名された関根は、即戦力級として当然の扱いだったろう。

 だが四位の小此木と、五位の越前までが一緒なのは、チーム事情による。


 ルーキーの年からそうであったが、レックスのサウスポー吉村は、ほぼ毎年のように肘か肩を故障していた。

 それほど重大なものではなく、おおよそ休養で回復する程度のものではあったのだが、特にこの数年は、開幕に間に合わないことが多い。

 なのでサウスポーのピッチャーを一枚増やして連れて行くのだが、それが自主トレ中に故障したのである。

 全治一ヶ月と判断されたものは、その一ヶ月間で鈍った感覚も、回復するのにどれだけかかるか分からない。

 そんなわけでサウスポーは、急遽ルーキーまでが集められたのだ。特に越前は珍しい、左のサイドスローなのだし。


 小此木の場合は、主に代走と守備固めになるのではと思われている。

 これまた自主トレ中に無理をしたベテランが、ハムストリングスの肉離れを起こしたのだ。

 経験を重ねるごとに、技量もまた積み重なる。

 だが若さゆえの回復力だけは、ずっと衰えていくのだ。


 小此木一人が選ばれるなどという保証はない。

 だが合同自主トレの様子を見て、一軍のキャンプに放り込んでもいいか、と思わせるものがあったのだろう。

 直史には分からないが、プロという最も言い訳のきかない世界で、生きてきた指揮官たち。

 その判断の基準は、さすがに自分よりも上だろうと思う直史である。


 小此木の身体能力は自主トレ初日から明らかだったが、それ以上のものも持っている。

 俗に言う、センスというものだ。

 まるで野球のボールを扱うために、その手はあるように、吸い付いていく。

 ショートには緒方がいるが、その緒方は小柄ながらかなりパンチ力がある。

 ひょっとしたら緒方にはバッティングに集中してもらって、小此木をショートで使うつもりなのかもしれない。

 もっともショートに必要な俊敏性は、筋肉を付けたら失われるかもしれない。

 球団が必要としている形に育つか、自分の能力を完全に開花させるようになるか。

 鉄也がどういう意図で取ったのか、また一度聞いてみたいものである。




 沖縄へ到着。

 本土に比べれば格段に暖かいといっても、この季節では海には入れない。

 ドライスーツでも着て、スキューバダイビングでもするなら別だが。

 基本週に一度程度の休みはあるが、それ以外は全て野球漬け。

 もっとも練習とは別にちゃんと、基礎体力などのトレーニングはあるのだが。


 直史は作成されていた練習メニューとトレーニングメニューを首脳陣に提出。

 下手にいじられるのはたまらん、という意思表明である。

 レックス首脳陣として、少し投げすぎではないか、という判断である。

 ピッチャーの肩や肘は消耗品という考え。

 ただ投げなければ鍛えられないというのも、当たり前の話である。

 問題は無理なく負荷をかけることに、ぎりぎりの負荷を見極めること。

 直史の場合は初日からブルペンに入った。


 直史の肉体の特徴は柔軟性。

 野球選手としては、特に突出した身体能力を持つわけではない。

 だが柔軟性だけは、トップレベルである。

 

 立ち投げで慣らしてから、キャッチャーが座る。

 そのミットめがけて、ストレートが投げられる。

 150km/hオーバー。

「仕上がってるなあ」

 監督に合わせてピッチングコーチ、またトレーナーも集まってそれを見ている。

「佐藤さんはものすごくストイックですよ」

「らしいな。寮での暮らしも節制しているらしいし」

 酒も煙草もしないし、夜に遊びにも行かない。

 食事もバランスよく、肉ばかりを食べてはいない。

 おやつに煮干や昆布を食べているところを、よく見かけられている。

 完全に野球に特化した肉体にしようとしているのか、それとも昔からこんな食生活なのか。

 とりあえず食堂の栄養士などには評判がいい。


 天才にありがちな傲慢さがない。

 話に聞いたり、間接的な印象としては、もっと自己中心的だと思ったのだが。

 もっとも練習メニューなどを自分で作ってくるあたりは、確かに自己中心的というか、他人の意見を信じすぎない傾向にあると思う。

 だがそれは、欠点とは言えない。

 プロというのは柔軟に新しい考えを受け入れていく素直さも必要だが、なんでもかんでも受け入れていくのではなく、そこを明確に取捨選択しないといけない。

 その点では直史は、どうしてこれまでプロに来なかったのかと思えるぐらいにプロフェッショナルである。




 開幕一軍が決まっているピッチャーの球を受けてから、樋口がこちらにやってきた。

 ここにいるのはルーキーと、若手でまだ一軍定着とまではなっていない者である。

 直史が入団したことによって、一軍のピッチャーの人数の枠は減った。

 なので同期に比べると、ライバル意識が高そうである。

 直史には、はっきり言ってハングリー精神はない。

 いざとなれば本業に戻れるという、逃げ道が存在するのだ。

 だが直史には、モチベーションがある。

 大介との約束の五年間。

 その五年に、自分の全てを注ぐ。

 五年経過していたら、32歳になっている。

 ならばもう普通に、野球選手としては引退していてもおかしくない年齢だ。


 座った樋口がサインを出す。

 頷くことすらせずに、要求されたボールを投げる。

 自主トレ期間中も、樋口はかなりのペースで寮に隣接した室内練習場に来ていた。

 投げ込むペースも完全に、大学時代を取り戻している。


 自分の分のメニューが終わった武史が、ちょこんと監督たちの隣に来ていたりする。

「あ~、こんな感じか」

 その武史の言いざまが、監督である木山たちには気になった。

「こんな感じってなんだ?」

「いや、兄貴らしいなあって」

「その兄貴らしさを聞いてるんだが」

 武史との会話は、独特の理解力が必要になる。

 もっとも武史がそういった天然らしさを見せるのは、野球に関係することがほとんどだ。

 普段はむしろ論理的に思考し話す。

 野球に関するところは天然なのだが、それは狙っているとも思えない。


 とにかくこの時点で武史が言えることは、実体験に基づいたものだ。

「九割の力で100%のボールを投げてるってことです」

 また不思議な武史語録が追加されそうだ。




 直史は投げるとき、基本的に肉体に余裕を持って投げる。

 力がどこか一箇所に固まらないように、全身を使って投げれば、無理をしなくても充分なスピードが出る。

 それが武史の言う、九割の力で100%のボールを投げるということだ。

 もちろん投げてる本人としては、いざという時は120%のボールを投げる。

 エネルギーが充填されるのが100%を超えるのは、もう半世紀も昔から当たり前のことなのだ。


 カーブ系とスライダー系が、直史の変化球の中では多い。

 高速のスライダーやカットボールを身につけてから、ピッチングの幅はさらに広がった。

 あとはツーシームやシンカーもしっかりと曲げておく。

 スプリットがワンバンしても、樋口ならば捕ってくれるのだ。


 自主トレ期間中から直史に付き合っていた樋口としては、もう全盛期に戻ったどころか、全盛期を超えている感じさえする。

 やはりキャンプというのは、特別なのだろう。

 かといって飛ばしすぎとも思えない。

(先発が一枚増えたな)

 武史と二人で、35勝ぐらいは貯金を作ってくれそうである。

 そこまで貯金を作ってもらって負けるなら、それはもう確実に監督の責任だ。


 一日目はこのようにして終わった。

 そして先輩選手が、若手を食事に連れ出すわけである。

 そこで説教のような哀願のような話が始まったりする。

「佐藤はちゃんと満額で契約しろよ」

 直史の条件がかなり球団側に有利だったのは、既に報道されている。

 直史としては無茶な条件を付け加えるために、それぐらいは譲歩しようと思ったわけだ。

 しかし一位指名の直史がそれをすると、二位指名の選手の契約金などを、安く抑える言い訳が作られてしまうのだ。


 直史はこのプロ野球界の慣例ともなっている契約が、極めて納得できない。

 FA権や年俸調停なども調べたが、球団側に有利すぎるのだ。

 ただ参考までに調べたMLBの年俸の変化は、さらに球団に有利なものであった。

 正確には、若手選手に不利なものであったのだが。


 実際のところレックスは、選手の年俸査定は、かなりシステマチックに行っている。

 それでも樋口や武史などは、そこから外れた金額になっているが。

 また指名順位が高いから、年俸が高いとも限らない。

 過去には六位指名あたりで一位指名並の条件を得た者もいる。

 もっともそれは30年以上前の、ドラフトに強行指名などがあった時代の話であるが。




 キャンプも一週間ほどが経過して、首脳陣が選手の現状を把握してくると、紅白戦や練習試合が組まれてくる。

 オープン戦や開幕に合わせて仕上げていくのは、ピッチャーの方が早いと言われる。

 バッターの場合が遅いのは、別にさぼっているとかではなく、スピードに目がついていかないかららしい。

 それでも樋口などは、平気でスタンドに放り込む。

 レックスは主に、若い選手がバッティング面で引っ張ることが多い。

 だが一番打者はずっと、不動のセンター西片であったりする。


 ライガースから移籍してきて、既に二度目のFA権も得たが、行使せずに残留した。

 これだけ長い間球団に貢献していると、引退後の選択肢も見えてくるのだ。

 西片の場合はチーム内の年俸評価でも、おおよそAかBとなり、かなりの高給取りである。

 今年でもう39歳になるというのに、センターはずっと西片なのだ。

 打率はさすがに下がってきたが、選球眼で出塁することが出来る。

 そしてこの年齢でありながら、まだ積極的に盗塁なども狙ってくるのだ。


 そして開催される紅白戦。

 今年は例年よりはるかに、マスコミの取材陣が多い。

 樋口や武史が入ったときよりも、さらに多いのだ。

 主に新人や若手を見るものであり、ベテラン勢はまだ出番は先である。

 当然のように直史は、先発を仰せつかった。

 とりあえず五回ぐらいまでは投げろという指示で、まあそれぐらいなら、と納得する直史である。


 甘かった。

 もちろん甘かったのは、直史ではない。

 四回までを投げて、打者13人をノーヒットに抑えてしまったところで、ピッチャー交代である。

 キャッチャーがまだ樋口ではなく、一人ランナーを後逸して出してしまったところから、直史の三連続奪三振が決まった。

 それまでも打たせて取るタイプで、主に内野フライを打たせることが多かった。

 だがランナーが出てからは、完全に三振を狙って取った。


 若手がどうとか、試合間隔がどうとか、そういうレベルではない。

 直史としては正直、イニングではなく球数で、どれぐらい投げられるか試してみたかったのだが。

 未熟であるのは当たり前だ。

 選手たちの若手は、多くが直史よりも年下である。

 高校と大学時代の余力だけで、直史はこれらを封じることが出来る。

 ちゃんと去年から、半年以上も練習をいていれば、それを超えられてもおかしくはない。


 ピッチャーのピークというのは、バッターよりも早い年齢にくることが多い。

 それを考えれば直史は、もうピークを迎えていて当然の年齢だ。

 直史が投げ終わると、樋口がその隣に座る。

「どうだ、プロのバッターは」

「一軍でもないんだから、それほど変わらないだろ」

 直史はそんなことを言っているが、忘れているのだろうか。

 WBCの壮行試合で対戦したバッターは、球界でもトップクラスの者ばかりであった。

 時期的にまだ、調整が上手くいっていない者もいるだろうとは、直史も考えていたが。




 とりあえず紅白戦では、全く相手にならないことは判明した。

 だが直史は試合で投げて、感覚を戻したいのだ。

 他の人間には分からないだろうが、樋口ならば分かるはずである。

「オープン戦だな」

 しっかりと投げるとしたら、オープン戦で投げるべきだろう。

 三月に入ればベテランも、ちゃんとシーズンに備えて仕上げてくる。

 そこでの対決が、直史にとっては本当のプロの試合になるだろう。

 それでもまだ、給料には関係のない試合ではあるのだ。


 樋口としては正捕手として、ピッチャーの運用にはある程度口を出していかなければいけない。

 直史はもう、開幕のカードから使える。

 今年も本拠地の神宮で、タイタンズを相手に開幕三連戦を行う。

 開幕戦は武史に任せるとして、三戦目あたりに投げさせればいいのではないか。


 だが首脳陣の意見は違った。

 まだこの時点で決めるべきではなく、投げるのも最初はリリーフがいいだろうとの結論だ。

 有望な選手であるなら、いきなり開幕のカードのどこかで使ってもいいような気がするが、何かを不安に思っているのか。

 合理的な理由を考えた樋口であるが、これはそうではないな、と気づいた。

 首脳陣は合理的な理由ではなく、直史にいきなりインパクトのある活躍をさせたくないのだ。

 ドラフトの補強というのは、現場の要望を聞いて、フロントが判断するものだ。

 だが直史の獲得はフロント主導で、首脳陣の監督にさえ知らされていなかったという。

 樋口からすると、右で使える先発か、耐久力の高い右の中継ぎが、補強ポイントであった。

 それに適合する直史を取ったのだから、問題にするようなことではないと思うのだが。


 とは言っても、オープン戦は続くのだ。

 その中で直史が圧倒的なパフォーマンスを見せたら、開幕のローテには入れざるをえないだろう。

 今のレックスでローテが確定しているのは、武史、金原、佐竹の三人だ。

 先発経験者で実績もあるのだが、ここのところはリリーフで使われることが多かった者もいる。

 個人的な意見なら樋口は、一度星を先発として使ってみてほしいという希望はある。


 ともあれ、これはまだキャンプである。

 長いプロ野球のシーズンの、助走段階にすぎないのであった。

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