第5話 メジャーリーガー

 最初に話を聞いたときは、変なもんだと思った。

 取るかどうかを迷っている選手を、わざわざシーズン中のメジャーリーガーで試験するという。

 そんなことをする必要が、どうしてあるのか。

 取ってから3Aあたりで試せばいいことであるし、おおよそのメジャーリーガーはそうやって選抜されてきたのだ。


 特別、ということなのだろう。

 だがメジャーリーガーは、相当に才能のある将来有望な選手でも、ほぼ確実にマイナーからのスタートとなる。

 そこで試されるのだ。メジャーリーガーとしての資質を。

 それはハングリー精神とタフネスだ。

 年間160試合以上を行うくせに、MLBのレギュラーシーズンはNPBより短い。

 それだけ何連戦もするということで、メンタルのとフィジカルの両方の強さがないと、すぐに息切れしてマイナーに落とされるのだ。


 わざわざシーズン中にこんなテストをするということは、通常のドラフトで指名する選手ではない。

 MLBの本来のドラフトは、もう終わっているのだ。

 ならば国外のプロリーグからの選手か。年齢が高めと言うなら、この可能性が高い。

 それなら確かに、即戦力かどうかを試したいだろう。それにしても、


 気に入らない。

 アメリカ国内でドラフト指名された選手は、基本的にはルーキーリーグからの洗礼を受けて、段階を経てメジャーリーガーになる。

 そのメジャーデビューは実のところ、平均すれば24歳以上になっている。

 その過程において、ハードな環境で脱落していく者は多い。

 それが海外のプロリーグからやってきて、いきなりメジャーか3Aか?


 そんなものはどうでもいいだろう、とおおらかに構える選手もいる。

 だが同時に、そういうものを見てみたいという気分もあったりする。

 合格した場合、本当に戦力になるのかどうか。

 今のアナハイムは、優勝を目指すほどのチーム力はない。

 シーズンを下位で終えてドラフトでいい選手を取り、それを育成している段階だ。

 本気で優勝を目指すとしたら、三年後からになるだろう。

 ただ現在のオーナーが、本気で優勝を狙っているのかどうかは分からないが。


「そもそもどんなピッチャーなんだ?」

「球が速いってだけなら、テストする必要はないだろ」

「変化球らしいぞ」

「へえ、何が得意なんだ」

「全部だ」

 そう言った坂本の方に、チームメイトの視線が向かう。


 日本人、坂本天道は、だいたいガーディアンズの正捕手をすることが多い。

 ただ時々ローテが回らないと、ピッチャーをやる。

 キャッチャーで入っているやつの調子がいい時は、外野を守って打席にも入る。

 ユーティリティプレイヤーという言葉は存在するが、坂本ほど本当に、どのポジションも出来る選手も珍しい。と言うか、いない。


 日本人は器用だという認識は持っていたチームメイトだが、坂本を知ってからは、やっぱり日本にはニンジャがまだ残っていたんだ、とひそひそ噂話をしている。

 忍者をなんだと思っているのだろう?

 ともあれ坂本の方も、直史のことを全く説明しないわけではない。

 ストレートのスピードは、せいぜい95マイル程度であること。

 だが変化球の数が本当に多く、しかもコントロールもいいこと。

 フォーシームのストレートはスピードこそ突出してはいないが、スピンレートは高いことなどを説明する。


「日本人なのか?」

「人種が何か関係あるのか?」

「変な意味じゃない。お前の知り合いか?」

「そういうことも含めて、あんな格好なんじゃないのか?」

 サングラスをしているピッチャーは、別に珍しいわけではない。

 ただ肌の色を見る限りでは、東洋人ではないのかとは思えたのだ。


 手加減してやる理由も、逆にムキになって打ちに行く必要もない。

「10人用意して、三打席ずつ打つんだ」

「ホームラン打ったらどうなるんだ?」

「それで一打席。打たれたという数字が残る」

「ちょっと待て。30打席分も投げるのか?」

「休み休みだけどな」

「それでもクレイジーだろ」


 単純に力量を見るには、普通に10人ぐらいに投げればいいだろう。

 そんなに投げることの意味が、さっぱり分からない。

「まあこっちは変化球を投げる練習にすればいいんだけどな」

「俺はパスだな。休みたい」

「俺もだな。おい、ロイは日本にいたんだろ? 見たことあるピッチャーか?」

「いや、俺はまだ見てないんだ」

 以前には大阪ライガースにいたロイ・マッシュバーン。

 メジャーに昇格してからは、これが三チーム目になる。




 ロッカーからグラウンドに顔を出す選手たち。

 既に難しい顔をして、ヘッドコーチは出てきている。日本で言うならば監督である。

 その表情はまさに、不本意というものだろう。

 上からの指示でこんなことをやっているわけだが、いくら今年は戦力の建て直しをするシーズンとはいえ、疲労した八月に、こんな訳の分からないことを入れないでほしい。

「最初の10打席もヒットとホームランを打てば、もうあとはいらないだろ」

 不機嫌な声で、選手たちに指示を出す。


 確かに戦力を整えるのは、フロントの仕事である。

 だがそれに現場を利用するのは、ヘッドコーチの領分を侵している。

 なので茶番はさっさと終わらせようと、選手たちにも厳しい表情で向かう。


 まあシーズン中のメジャーでやることではないな、とは選手たちもやはり同意なのだ。

 実力を測るというだけなら、3Aに行けばいい。

 あそこはアピールをした人間の集団であるから、期待されているピッチャーに対して打ちたいという気持ちは、むしろメジャーの選手たちより高いと思う。

「よし、じゃあ早速ホームランでも打っていくか」

 主砲である三番ターナーが、さっさと練習を開始するべく、一番手に名乗りを上げた。




 一応は守備のポジションにも、ちゃんと入ってもらって、マウンドで坂本と話す。

「まあコーチとしてはそうやって考えちゅうが、ターナーが出てくるかあ」

「お前、訛りが戻ってるな」

「アシも最近は日本語喋っとらんきにな」

 バッターの情報などを確認している間に、坂本の言葉はどんどんと高知訛りが戻ってきていた。

 訛りのせいでもないのだが、直史はだんだんと昔の屈辱を思い出してくる。

 結果的には勝っているのに、器の小さいことである。


 坂本はほぼスタメンで、色々なポジションを変態的にこなしているが、それでもあまり日本ではニュースにならない。

 特に直史は、もうこんなポジションまで上がっているとは、聞かされていなかったのだ。

 普通なら大ニュースになるであろう活躍が、直史の耳にもほとんど入らなかった理由は、単純なものである。

 この数年間はMLBよりも、NPBの試合の方がはるかにエキサイティングであったからだ。


 上杉が、大介が、そして真田や西郷、樋口などというスター選手が揃っている。

 その気になれば見に行ける日本の野球と違い、MLBは大半が知らない選手である。

 それでもさすがに坂本のスタイルは注目されていたのだが、司法修習、妊娠、結婚、出産とイベントの続いた直史は、アメリカで頑張っている、程度の知識しかなかった。

 そんな直史であるが、坂本のキャッチャーには不満はない。

 人間的に嫌いであることと、一つの目的のために協力することとは、両立できることなのだ。




 昨年もガーディアンズの主砲として、35本のホームランを打っているターナー。

(右か)

 右打者ならばと直史は自分のコンビネーションを考えて組み立てて、それが坂本の出したサインと合致して苛立つ。

 だが、これでいいのだろう。

 心情的には同意しにくい相手と、サインが合う。

 それは理性的に見て、効果的だと判断できているからだ。


 初球のブラッシングボールと思われた球に、ターナーは後ろに倒れこんでよけた。

 だがボールは実際は、ちゃんとそこから斜めに落ちて、坂本のミットに納まった。

 ストライクである。


 これは確かにすごいカーブだ、とターナーを考えを改めた。

 そこに次は、アウトローにストレート。

(遠い)

 そう判断したが、審判をするコーチはストライクをコール。

 ターナーの腰がやや引けていた。

 コースもぎりぎり入っていたが、それ以上に坂本のフレーミングが上手い。

 MLBのキャッチャーは意外と、捕球した位置からミットを流してしまうことがあるのだ。


 ツーストライクと追い込まれたが、これは実戦形式のバッティング練習。

 ボール球を使ってくることも、充分に考えられる。

 しかしそう思ったところに、今度は明らかにゾーン内のアウトロー。

 これは打てると思って振ったバットの先を、ボールは通過した。

 高速スライダーで、まずは三振である。




「スピードはそれほどじゃあないが……」

 ターナーはそう言って、頭を振った。

 ストレートのスピードはそれほどではないが、最後のスライダーはそれなりにスピードがあった。

 変化量からすると、カットに近いスラッター分類になるのかもしれないが、アメリカの分類ではスライダーかカッターである。


 二番目に打席に入ったのは、日本でもプレイしたことのあるロイ。

 坂本と普通に話していたので、日本語も喋れるのかもしれない。

 ただ日本人で、こんな選手はいなかった気がする。

 もっともロイのプレイしたのは、もうそれなりに昔のことだ。


 向かい合ってみると、ピッチャーとしては線が細いかな、と感じる。

 そのあたりも日本人投手っぽいが、今はそれはどうでもいいだろう。

(さっさと打ち崩して練習をって、そんな簡単な相手じゃないのかな)

 そう考えいてロイはピッチャーを観察するが、そのピッチャーはずいぶんと、プレートの端を使って投げるらしい。

(さっきはあんなところだったか?)

 そう考えるロイに対して投げたのは、高速シンカーであった。

 ロイは空振りし、内心では感嘆する。

(すごいツーシームだ)

 いや、シンカーであるのだが。


 落差の大きなカーブの後に、高めのストレートを振らされて三振。

 少なくともこれは、3Aでも上位クラスの力はあるな、と余裕で評価をするロイである。

 だが余裕であったのはそこまでであった。

 続くバッターも、二人が連続で三振する。

 つまりこれで、最初から四人連続で三振だ。




 ストレートのスピードは、それほどでもない。

 だがフォームが柔らかく、リリースした瞬間が分かりにくい。

 そしてアウトロー一杯に入るか、アウトローに入ると見せかけた球を変化させて、ボール球で空振りを奪う。

 すごい。

 ある程度は坂本の、チームメイトの特徴を知る知識からも、ピッチングを組み立ててはいるのだろう。

 だがキャッチャーの指示に完璧に応えられるだけの、コントロールがある。

 これはコントロールの中でも特に、指定した一点に投げ込める、コマンドという能力である。


 バッターは五人目がキャッチャーフライを打ったが、一応は配置についている守備陣が、ひどく暇である。

 ボールが前に飛んでいかない。

 なるほどこれは、絶対にチームとしては獲得したいだろうなと思っても、こんなピッチャーが今まで無名だったのか、という疑問も湧く。

 外国人選手なら、普通に契約を結べばいいだけだろうに。

 何か理由があって、誰かを納得させる必要があるのだろう。

 あるいは30打席も勝負させることを考えると、長いイニングを投げるのに致命的な欠陥があるのか。


 ともあれこれは、さっさと終わらせることなど、出来ない相手であることは間違いない。

 10人がバッターボックスに立って、七人が三振で、残りは内野フライか内野ゴロ。これだけでも充分であろう。

 球速があまりないのが、ネックと考えられたのか。

 確かにこの球速であれば、シーズンが進むごとに、変化球へ対応されて打たれるかもしれないが。


 まずは10人が終わったので、少し休憩である。

 ホーム側のベンチに選手たちはいるのだが、ビジターのベンチにはバッテリー二人と、通訳かマネージャーかの東洋人女性が一人。

 おそらくは日本人なのだろう。

「このままじゃフェアじゃないな」

 ピッチャーの試験ということで、これまでは傍観者であったチームのエースが、コーチに声をかける。

「ボブ、休憩はせめて五人ごとにするべきだ。じゃないと本当の力なんて見られない」

 10人が完全に封じられたわけだが、それでもこれは言っておかなければいけない。


 ピッチャーが全力で投げるのは、一イニング15球が平均。

 25球を超えるなら、そこからは腕の寿命を削っていくようなピッチングになる。

 コーチは厳しい顔をしながらも、その公正さには賛成であった。

 ほとんど全力投球などしていなかった直史だが、この申し出はありがたく受けておくことにした。

 そして二巡目、またも主砲ターナーの打席である。




 落ちていくストレートだった。

 そうとしか言えない。ストレートよりも速いぐらいのボールが、明確に下に曲がった。

(スプリット……か?)

 空振りしたターナーであるが、坂本もこれを後逸。

 本気に近いスルーを、初見で捕るのは難しいのだ。


 やや球威を増したストレートの後に、スルーを振らせる。

 これで11個目のアウトであったが、もうメジャーリーガーたちの目は、余裕の色などはない。

 完全にこれは敵視、あるいは同格以上の者として認めた目だ。

 二打席目のロイも、今度は本気である。

 真剣であるのと同時に、笑みも浮いてくる。


 MLBは世界最高のリーグだ。

 今まで知らなかったこんな選手が、突然に現れるのだ。

 本当に無名なのか、そのスタイルから記憶を探る者もいる。

 ただオーソドックスな右のスリークォーターだ。

 スムーズなクセのないフォームなので、判別が難しい。

 これがトルネード投法などしてくれれば、誰だか瞬時に分かるのだろうが。


 三巡目、24打席目で、ようやく、内野を抜いていくヒットが出た。

 これも内野の守備員がスタメンの者であれば、アウトになっていた打球であろう。

 直史はこれで、ランナーが出たという設定にする。

 そしてここから、ただでさえセットから投げていた投球が、クイックで投げるようになった。


 クイックから投げても、スピードが変わらない。

 むしろそのタイミングが、より取りづらくなっている。

 25人目に投げた球のスピードは、明らかにそれまでよりも速かった。

 そしてここで、また休憩である。




 30打席を対決して、三振が15個。

 ヒット性の当たりは内野を抜けた二本であり、ほぼ一試合を投げたのにも関わらず、その呼吸に乱れはない。

 認める認めないではなく、ガーティアンズの選手たちは、もう呆れていた。


 MLBのシーズンは過酷だ。それは間違いない。

 だが少なくともこのピッチングを見て、獲得しないならそれはバカである。

 テストを終えた直史は、マウンドを降りて、ホーム側のベンチに歩いてきた。

 そしてそこで帽子を取って、深々と礼をする。

 こいつ絶対に日本人だと、とガーディアンズのメンバーは思った。


 立ち去る直史に選手たちは声をかける。

「HEY! 来年は待ってるからな!」

「一緒にプレイオフに行こうぜ!」

「いや、連れていってもらうか!」

 これらの英語にはスラングや特殊な言い回しもあって、直史に全てが理解できたわけではない。

 なので、サムズアップした直史は、一言だけ言った。

「アイルビーバック!」

 いやそれ、日本人が言う台詞か? と思った者も少しいたろうか。


 ともあれこれで、映像とデータは集められた。

 直史はこの日の夜には、もう日本行きの飛行機へ乗っていたのである。

 家に帰ったときは、まだ変装を解いていないので、瑞希にはたいそう驚かれたものである。

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