第6話 運命の選択

 鉄也にとっては、墓穴を掘ることになるかもしれない、そんな危険な仕事ではある。

 スカウトというのは同じ球団の者にさえ、自分が目をつけている人間を、あまり明らかにしないものである。

 本人がその気でなくとも、ぽろっと注目選手の情報を洩らしてしまったりするからだ。

 だが一位指名を他のスカウトには全く情報共有せず、上司との話だけで決めるのは難しい。


 どんなスカウトだって、一位指名になるような素材を担当したい。

 そしてそれがちゃんと、自軍の補強ポイントに一致すれば、全力で押すのがスカウトだ。

 プレゼン能力によって、他のスカウトとも比較してもらう。

 だが今回の場合は、そういった手順を踏まない。


 今回の球団側の、この件に関して知っている者は、相当に絞られている。

 まずは鉄也。話を持ち込まれたので当たり前だ。

 そしてスカウト部長と編成部長。この二人にはさすがに話は通さなければいけない。

 さらにはGMとセイバーの経営陣。

 データマンも必要なのだが、そこは機密漏洩を防ぐため、セイバーが自分で行っている。

 なお現場の人間は入れていないので、後で絶対に問題になると思われた。




 約一時間ばかりの、ノーカットの映像をまずは見せた。

 終わってからしばらくは、既に見ていたセイバーを除き、全員が絶句していた。

「これ、撮影したのは?」

「私の個人的秘書です。裏切ることは出来ません。あちらの元データは消してきました」

 子供二人を、家事に無関心なセイバーに預けて、アメリカまで行った早乙女である。さぞや心配だったろう。


 スタジアムを使ったので、機器のデータを全て記録することは出来ている。

「バッターが途中で代わった者もいますが、11人で30打席。15三振、内野ゴロ八つ、内野フライ五つ、内野を抜けたヒット性の当たり二つですね」

「球数は?」

「129球です。まあ見たとおり、ボール球はほとんどありませんね」

「30打席、まあランナーが出た時とかの対処は別として、先発で普通に七回までは投げられる数です」

「普通だったらヒット性の当たり二本だけだから、完封している計算だな」

「まあランナーがいる状態だとピッチングも変わるけど……その場面は」

 そこで少し、また場面を変える。

「ランナーが出た後は、三振を意図的に取ってるのか」

 途中から五人ごとに休憩を取ることにしているが、妥当なところだろう。

 普通ならば休憩時間はもっと長い。

「いや、この休憩時間で回復してたのか?」

 鉄也も平等にこれが初視聴なので、実際にピッチャーをやっていた立場からすると、直史のやっていることは無茶苦茶なのが分かる。


 ピッチャーというのは精密機械のようなものだ。

 そして精密であるほど、頑丈さは反比例すると言ってもいいだろう。

 一イニングあたり、15球までが、ピッチャーが確実に制御できる球数ではと言われている。

 また25球を超えると、その精度は落ちていくとも言われる。


 直史はまず、10人に投げた。

 そこからは五人ずつに減ったが、それでも休憩の時間などで、回復しきるとは思えない。

 導き出される解答は一つ。

 直史は本気で投げていなかったのだ。

「そもそもほとんどのボールは……マイル表示面倒だな」

 アメリカの記録であるので、表示がマイルになっている。

 直史の投げるボールは、ストレートでも90マイルを少し超えたあたり。

 150km/hオーバーと言えるストレートは、本当にほとんど投げていなかった。


 常にセーブして投げながら、いざとなればギアを変えてくる。

 かなり休憩の時間は短いのだが、その間に回復するのではなく、そもそもそこまで消耗しないようにしているのだ。

 最速は日本の表示にすれば153km/hか。

 完全にストレートを、決め球として使うことに成功している。

 そのくせカーブやスライダーも、大学時代よりパワーアップしているのではないか。

 鉄也が話を受けた五月から、ほぼ丸三ヶ月。

 その間に元のレベルにまで戻すどころか、さらに成長している?

 どこに成長するだけの余裕があったというのか。あれはもう完成形ではなかったのか。

 いや完成形のまま、純粋に出力を上げたのか。

 ……化け物め。


 フィジカルとテクニックは、全盛期のものと言ってもいいだろう。

 だが後一つ、メンタルの問題がある。

 精神的な強さではなく、実戦から遠ざかっていた期間だ。

 いくら相手がメジャーリーガーでも、これはしょせん試合ではない。

 実際の試合で投げさせたいが、さすがにそれは難しいだろう。




 ここまでで、決めなければいけない。

 いや、獲得するために指名することは、もう決まっている。

 年齢をネックにするなら、このぐらいの年齢で獲得する外国人を考えたらいい。

 最高契約金と出来高を考えても、これほどの存在はないだろう。


 積極的に一位指名を支持しているのはセイバー。

 やや消極的だが、意見を求められたら一位指名すべきだと言うのが鉄也。

 スカウト部長と編成部長は、消極的反対だ。

 理由は、これだけ隠匿して調査をしているのだから、他の球団は指名しないだろうと思えるからだ。

 貴重な一位指名、また二位指名など。

 はっきり言ってしまえば、向こうがこちらに接触してきたのだから、指名順位は八位でも、待遇は一位並にすればいいのではないか、という考えがある。


 一応今年の補強ポイントの、普通にピッチャーという条件には当てはまっている。

 高校から社会人まで、その経歴を見れば先発からクローザーまで、どのポジションも出来る。

 だがプロのリリーフやクローザーのように、半年を通じて毎週三回も投げるようなペースというのは、体験していない。

 基本は先発だが、状況によってはリリーフとして使えるので、便利ではあるだろう。

 高校や大学を含めて、今年のピッチャーでこれ以上の実績を持つ者はいない。

 ただそれを支配下登録で取れるなら、他のピッチャーを高い順位で指名したいというのが本音である。


 鉄也としては、直史は地雷になりうる。

 一応話を通したのは自分であるので、もし事故物件になったら、自分の責任だ。

 だから組織人としては、リスクを考えてあまり押しすぎない方がいいのだろう。

 ただ野球人としては、どうしてもこれに関わりたくなってしまう。


 スカウトの現場の意見として、これは言わなければいけないだろう。

「佐藤を指名するのが、本当にうちだけなのかが問題ですね」

 その言葉に、その場の全員が不思議そうな顔をする。

「確かにうちに一番に接触したのは間違いないでしょう。ですが佐藤の条件を考えると、うち以外にも話を持っていっている可能性がありますよ」

 直史の理由は、つまり金である。

 そして家族の状態から、在京球団を指定している。

 弟もいるしセイバーもいるし鉄也もいる。

 だから第一候補に持ってくるのは、間違いなくレックスであろう。

 しかし直史の金が必要という立場からすれば、他の球団、具体的にはタイタンズかマリンズにも、こっそり話を持っていっていてもおかしくないのだ。

「しかし、他の球団が接触した形跡はないのだろう?」

「タイタンズあたりなら上手く、隠れて接触することも出来ると思いますよ」

「直史君はそういう人間ではありません」

「山手さん、ここはナオの個人的な人間性ではなく、人の親としての立場の問題ですよ。重い手術を受けた娘、それに寄り添っていたいというのは普通の感情です。それこそ今まで避けていたプロの世界を、娘のためなら選択するように」

 この言葉は、子供を持つこの場の人間には、かなり響いた。セイバーでさえも。


 直史はああ見えて義理堅いが、優先順位は間違えないタイプだ。

「マリンズはともかく、タイタンズはFAや外国人で、タイタンズとしてのらしい補強が出来ますよ。一位でナオを指名してもね。それにタイタンズにも、ナオの指定する在京セ球団というのは完全に当てはまりますし、つながりもあります」

 タイタンズには高校時代、ダブルエースであった岩崎がいる。

 複数年契約でがっちり結びついているので、そこから話を通せなくもないだろう。

 家族のために在京球団、というのも条件を満たしているのだ。

 神奈川も満たしているが、やや勤務地が遠い。

 マリンズはもしも外した時のことを考えると、一位指名まではしないだろう可能性が高い。ただマリンズにも鬼塚がいる。そして引退してスカウトをしている梶原は、早稲谷時代の先輩である。


 レックスが一歩も二歩もリードしているのは間違いないだろう。

 だがタイタンズはドラフトで外した時の必殺技、FA、トレード、外国人の三つを選択する資金力を持っている。

 セイバーは沈黙した。

 直史が他の球団にも話を持っていったなどとは思わない。

 だが鉄也のこの説に乗った方が、直史を一位指名しやすいと察したのだ。


 さらに鉄也には、彼だけにしか見えない視点があった。

 レックスのフロントは、GMと編成部長は完全な企業人であり、スポーツ経験はあるがプロ野球の出身ではない。

 スカウト部長は元プロであるが野手出身だ。

「ナオにしてみればアメリカまで行ってあんな成績残して、それで八位指名とか、甘く見られたとかそういう思いを抱くこともあるかもしれませんよ。現場とはともかく、フロントとの年次の交渉で、上手くいかなくなる可能性もあります。あいつ弁護士なんですよ」

 この一言が利いた。


 ピッチャーとしてのプライドは、スカウト部長も言われて気が付いた。

 そして編成部長とGMは、その既に社会人として生活を送っているところから、甘く見てはいけない存在だと気が付いた。

 セイバーは最初から一位指名に賛成である。

「経営的なことを考えるなら、一位で一本釣りをするか、支配下登録の最下位で指名すれば、その注目度は高くなるでしょうね。イメージ的には一位指名の方がいいでしょう」

 野球の実力以前に、キャラクターとして既に商品価値がある。セイバーは広告的価値まで持ち出した。

 これで経営者としてのGMや、企業人としての編成部長も納得した。


 佐藤直史は一位指名。

 ただしドラフト当日まで、それを完全に隠すべし。

 胃が痛くなりそうな、秘密の共有が始まったのだった。

 セイバーだけは笑みを浮かべていたが。




 今年のレックスの補強ポイントは、まず上位でピッチャーとパンチ力のある右の外野を一人ずつ。

 全体的にはピッチャーを四人、外野を二人、守備力のある内野を一人、というところまでは決まっている。

 あとはもし他に指名されなくて残っていれば、打力方面の内野を一人か、打力のある捕手を一人取っておこうかというところである。


 レックスの嬉しい悩みは、正捕手が完全に樋口に固定していることだ。

 このトリプルスリーを達成している万能捕手は、本当に穴がないだけに、控えのキャッチャーに出番がない。

 しかも怪我もしないため、二軍でいくら頑張っても、出る機会がまずまずないのだ。

 あるとしたら二軍から上がってきたピッチャーに、合わせてキャッチャーも上がってきた時、コンビで使うぐらいであろうか。

 だがそんなものは、あっても年間に数試合だ。


 樋口はまだ若いし、意識も高いので怪我のリスクも少ない。

 だが事故というのは本当にどこで起こるか分からないし、その時のために控えのキャッチャーを用意しておくのは当たり前なのだ。

 それなのに全く出番がないと、年俸も上がらない。

 コンバートするかトレードするかという話になり、なかなか現場と編成で話し合って、その処遇を考えるのである。


 樋口はあれで、自分のポジションを狙う後輩にも、平気で技術指導をする。

 奪えるものなら奪ってみろという絶対的な自信があり、そしてその高すぎる壁を突破することが出来ない。

 樋口の育てたそれなりに使えるキャッチャーが、出場機会を求めてトレードを志願する。

 この二年それが続いていて、球団としては戦力の維持を考えると、悩ましいところなのである。

 他の球団のおいしそうな若手とトレードするという使い方も出来るが。

 本当に使えるキャッチャーは、どの球団でも貴重なのである。


 ピッチャーはどの球団でも、毎年絶対に取る。

 一年を通じてローテが完全に機能した球団など、かなり考えても一つぐらいしか思いつかないものである。

 サウスポーは吉村と金原がFA権を行使はしたが残ってくれていて、さらに武史もいるため充分である。

 ただリリーフにもう一人計算できるサウスポーは欲しいな、とは思っている。

 このあたりは中位ぐらいの指名で取りたい。


 左右を気にせず、主に先発で使える、ほぼ即戦力のピッチャー。

 長打力があり守備も標準以上の外野。

 この二人を上位二位で指名するというのが、今年のレックスの方針である。

 他に即戦力で欲しいのは、左の中継ぎ。

 あとは高卒などで育成するだけの余裕が、今のレックスにはある。


 


 夏の甲子園が終わると、いよいよ最終的なプレゼンに入る。

 各スカウトが球団の方針に合わせて、自分のスカウティング担当する地区から、選手を紹介していく。

 せっかく内野の打者で長打力があっても、レックスとしては優先順位が低くなる。

 もちろん上杉や大介のように、そんな前提を完全にひっくり返す、とんでもない選手がいたら別であるが。


 今年の即戦力と言えるのは、関東の大学には有望なピッチャーが二人ほどいた。

 だから鉄也は、まずは無難にそこを出してくるだろうと、他のスカウトは思っていた。

 鉄也は確かに掘り出し物を発掘してくる名人であるが、変にひねって逆張りの一位指名候補を出してくるわけでもない。

 実際に吉村あたりから、樋口と武史までは、かなり最初から向こうからラブコールがあったものの、一位指名して競合から勝ち取っている。


 しかし目の前の選手の才能に惚れても、それに目がくらまないのが鉄也である。

 金原、佐竹、青砥、星といったピッチャーは、中位から下位で上手く指名していた。

 野手でも引っ張ってくるが、自身がピッチャーだったということもあってか、ピッチャーの目利きが上手い。

 そんな鉄也が、有望なピッチャーを自分ではプレゼンしない。

 もちろんその二人のピッチャー以外はプレゼンしたが、この二人には一位指名の価値を見出さなかったということか。


 それが気になった他のスカウトは、真意を問うてみた。

「まあ、競合してまで取りにいくかっていうことと、それよりは一位で確実に野手を取ったほうがいいかなと思ったんでな」

 競合を避ければ、やや注目度の低い選手を一本釣り出来る。

 優先順位というのがドラフトではあるので、そのあたりを考えたということか。

 全てに関連している鉄也としては、二巡目では残っていないだろうと思っただけなのだが。


 実際のところレックスは今年も調子がいいため、ウェーバーも後ろの方になる可能性が高い。

 そこで上手く野手を取れるかが、問題になってくる。

 戦力均衡のために本当に重要なのは、競合がある一巡目より、確実に取れる二巡目以降と言ってもいい。

 運ではなく、計算して取る選手。

 ここでの優先順位は、かなり現場の声が大きくなる。

 一巡目だと球団は、経営への影響も考えて、スター選手を取りに行きたいと思うからだ。

 そこで冷静に戦力のことだけを考えられる、人気球団は強い。

 もっともタイタンズなどは、球団の強さに加えて、スター選手も取りに行ったりする。


 夏が終わっても、残暑が続く。

 その中でスカウトたちは、最後の見極めのために各地を忙しく回るのであった。

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