殺してやりたい

@ayukawa_jijin

殺してやりたい

 ゆかりは、なんの変哲もない平凡な人生を送ってきたと思っている。


 会社員の父とスーパーでレジ打ちのパートをしている母がおり、決して裕福とは言えないが、特に苦労をすることもない生活をしてきた。

 片田舎の2LDKのマンションに住んでいて、高校まで地元の学校に通い、友達も、日頃目にする風景も代わり映えすることなく、成績もごくごく普通だった。

 

 高校を卒業して二駅離れた専門学校で経理を学び、事務員として就職した会社で3年勤めた。

 そのうち会社で出逢った真面目で優しい男性と付き合うようになり、2年後プロポーズをされてそのまま結婚、会社は辞めた。


 なんの不満もなかった。


 夫は結婚後も変わらず優しかったし、夫婦生活も問題はなかった。しかし4年経っても子供には恵まれなかった。

 ゆかりも夫も、どうしても子供が欲しいとは思っていなかったし、両親も義父母にも何も言われることはなかった。


 いたって普通である。何もかも。

 いや、きっと他人から見れば幸せな人生なのだろう。


 それなのに。


 夜中に目が覚め、台所で水を飲んで寝室に戻ったとき、夫を〝殺そう〟と思った。理由は自分でもわからなかった。ただ殺してやりたかった。


 それからというもの、朝起きて朝食を用意し、会社へ行く夫を送り出した後、洗濯をしながら、昼食をとりながら、夕食のおかずを考えながら、買い物をしながら、どうやって夫を殺そうかと考えていた。

 不思議とそれが異常だとも怖いことだとも思わなかった。むしろ殺し方を考えているときは、とても静かな、穏やかな気持ちになるのである。


 ある日、中学の同窓会の便りが届いた。夫に行ってきなよと言われ、週末久々に二人でデパートに出かけた。夫が似合うと言ってくれた紺色のワンピースを買い、それに合うアクセサリーも買ってもらった。


 デパートのレストランで昼食をとりながら、ゆかりは何故だか随分と長いこと夫の顔を見ていなかったような感覚を覚えた。しばらくぼうっと夫の顔を観察した。切れ長の目で左の頬に小さなほくろがあり、少し低めの鼻、唇は薄く、皮膚は浅黒く日に焼けている。もう何年も見続けているいつも通りの顔。

 しかし初めて会う知らない男のような不思議な気持ちになった。

 夫がゆかりの視線に気づき、不思議そうに頬を撫でたので誤魔化すように微笑んでコーヒーを飲んだ。


 同窓会の日、早めに帰るから夕飯は何がいいかと尋ねると、一人で適当に済ませるからゆっくりしてきなよと言われた。ゆかりは夫の優しさに甘えようと思った。


 真新しいワンピースを着て普段より少しだけ派手な化粧をすると、まるで自分も新品になったような気がした。姿見の前でファッション誌のモデルになったような気持ちで笑顔を作っていると、後ろからよく似合うよ、と声がした。素直に嬉しかった。


 待ち合わせ場所には既に幼なじみの佳代がいた。会うのは久しぶりだったが時々連絡は取っていたので、互いに近況を話しながら会場のホテルへ向かうとエレベーターホールで「滝井?」と旧姓を呼ばれた。

 振り返ると、ひょろ長いといった感じの、しかしハンサムな男が立っていた。


「あ、やっぱり滝井だ。土居も久しぶりだなあ。大和田だけど覚えてる?」と男ははにかみながら言った。低音の、のんびりとした懐かしい響きの声だった。声と名前には覚えがあった。が、男の顔が記憶と一致しない。


「覚えてないかなあ、ああ、そうか。俺、中学のときは太ってて眼鏡かけてたんだ」

 そう言われてやっと思い出した。修学旅行で同じ班だったこと、最終日の夜に告白されたこと、恥ずかしくて断ってしまったこと。その後、なんとなく気まずくなり距離をおいたのだった。


「うわあ、久しぶり。滝井って呼ばれるのもなんだか懐かしいなあ」

「結婚したんだ?」

「うん、大和田くんは?」

「俺も結婚したけど、今は別居してるんだ。土居は?」

「私はまだ。大和田くんだいぶ雰囲気変わったからわからなかったよ」


 そんな会話をしているうちに宴会場に着いた。立食形式だったので自由に移動しながら、当時の担任や友達とお酒を飲みながら懐かしい話をした。

 大和田くんとも修学旅行のときの話をして笑いあった。話しているときに、夫と同じ位置にほくろがあることに気づいた。時々ちらりと見ると、何度か目があったような気がした。


 そのうち結婚している友達は配偶者の愚痴を言い始め、年収の話や生活の不満を話しだした。

 ゆかりにはそれが自慢に聞こえ、だんだん退屈になってきた。そしていつもの癖で夫を殺す方法を考えていたのだが、いつの間にか大和田くんと不倫をする想像をしていることに気がついて苦笑した。


 まさか、平凡な自分の人生にそんなこと起こるわけないじゃない。


 余興などのプログラムも終わって全体写真を撮り、何人かと連絡先を交換して帰路についた。久々に旧友と会えたのは楽しかったが、二次会にまで行く気分ではなかった。


帰宅すると夫はテレビを見ながらビールを飲んでいた。楽しかった?と聞かれたので友人の話をし、担任は元気そうだったなどと報告をして、風呂に入り二人とも眠りについた。


 久しぶりにお酒を飲んだせいか、眠りが浅く夢を見た。夫を殺して大和田くんと結婚し、二人の間にできた子供たちと幸せな生活をする夢だった。

 目が覚めるとまだ深夜の2時だった。夫は隣で静かな寝息を立てていた。しばらく夫の寝顔を眺めた。本当にいい人だ。優しく、気遣いもできて仕事の不満も言わない。

 同窓会で友達が話していた夫婦間の愚痴を思い出しながら、私は本当に恵まれていると思った。




 12年後、ゆかりは大きな門の側に立つ紺色の制服を着た女性に軽く会釈をし、無機質な高い塀沿いを歩きながらさあ、今晩のおかずは何にしようかと考えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

殺してやりたい @ayukawa_jijin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ