《研鑽せし冒険者》:戦闘③
世界が減速し、脳が過去の経験から死を逃れる方法を探すが何も見つからない。
棍棒に頭が潰されるか、剣に胸を貫かれるか、矢尻が頭を捉えるのか、そんな事を考えながらティルは運命に命を委ねた。
もはや、死を回避するのは不可能だ。
目を閉じ、いるかも分からない神に対して、ティルは速やかで痛みのない死を願った。
「抵抗しろ!」
その時、頭の中で大鐘楼が鳴り響いたかのような轟音と共に、知らない男の声が聞こえた。
「器を開花させろ!」
再び、男の声が脳内で木霊す。
「約束を思い出せ!」
もはや現実なのではないかと錯覚するほどの明確な声が三度、ティルの脳裏を支配した。
どこか懐かしいようでいて、思い出したくない過去を想起させる声音だ。
「『英雄』は挫けない!折れない!諦めない!」
「僕は『英雄』なんかじゃない」
徐々に痛みが薄れてゆく中、ティルが男に答えた。
「ああ、まだな」
まだ。
「ティル、約束を果たせ!成すべき事を成せ!」
ああ、そういえば約束したっけ、リンと。
出会ってからまだ一日も経っていない女の子と凄い約束を我ながらしたものだ。
半亜人である僕が『英雄』だなんて。
無理な話だ。
「嘆くな。哀れむな。お前の父親と母親の存在を誇れ」
父、そして母というワードはティルの興味を掻き立てるのに十分であった。
「僕のお父さんとお母さんを知ってるの?」
「君が求めている答えではない」
「どういうこと……」
男の返答はティルをいっそう混乱させた。
「お前は己が半亜人であるから『英雄』に向かないと考えている」
男が続ける。
「違う、逆だよ」
すると、先程までは厳しかった男の声が今までティルが感じた事のない程、愛に満ち溢れ、実の親が子に向けるような慈愛に溢れたものに変わった。
「半亜人だからこそ、君は相応しいんだ。君には価値があるんだ」
「僕が半亜人だから……」
「ああ、そうだ。誰が何を言おうと、私は君が次代の『英雄』に相応しいと信じている。だから、立つんだ。『英雄』たる資格がある事を世界に、天界に、外界に示すんだ」
ティルの心が震えた。
「期待に応えられるかは分かりません。あなたが誰なのかも分からない、でも……」
意識が覚醒し始め、目覚める最後の瞬間にティルが声を振り絞る。
「それでも、僕は『英雄』を目指します……いや、『英雄』になってやる!」
ティルを包み込むように温かいものがティルの中へ流れ落ちる。
それは形を変えながらも、ティルの心へと収まった。
一人の少年、半亜人の少年が『英雄』を目指したことにより、世界は希望を見出した。
「ああああああああああああああああああ!」
脳天を砕く勢いで振り下ろされた棍棒を既の所で受け止めたティルは使い物にならない左腕を更に犠牲にし、心臓を貫かんばかりの必殺の速度で繰り出されていた剣を受け止めた。
過負荷に耐えきれず悲鳴を上げている肋骨や軋む右腕が激しく痛む。
―――絶望するな!
ティルは己の心に叫びかけ、獅子奮迅の思いを胸に秘めて攻勢へと打って出た。
棍棒との鍔迫り合いはティルにとって一方的に不利だと判断し、流れるような動作で棍棒をいなして地面を転がる。
突然、反対する力を失った棍棒は地面に叩きつけられ、地中に深く埋まった。
【ゴブリン】がそれを引き抜こうとしている間、再び錆びた剣を振りかざした【ゴブリン】に対してティルは魔法を放つ。
「〈フラッシュ〉!」
一種の賭けだった。
もし、略式魔法に失敗していたらティルの命は一瞬の内に奪われていただろう。
だが、運命の女神はどうやらティルの味方をしたようだ
「ハァッ!」
ゼロ距離での閃光炸裂魔法は自爆に近い形だが、それを予期していたティルとしてないかった【ゴブリン】とでは大きな違いがあった。
剣を落とし、両目を押さえて悶えている【ゴブリン】の頭を手ごと突き通したティルは剣から手を離し、視界が潰れる前に確認した棍棒の【ゴブリン】へと慎重に歩み寄る。
錯乱状態に陥っていた【ゴブリン】は両腕を激しく振り回し、鳴き声でティルを威嚇しながら視界の回復を待っている。
この好機を逃さない手はない。
仮に【ゴブリン】の視界が回復したならば、それはティルの死を意味するのだ。
「〈イグニ〉」
見様見真似でリンの使っていた炎を拳に灯す魔法を使う。
硬化魔法を使用していないせいで肌が焼けるように痛み、ティルが呻き声を上げた。
敏感な耳でその声を拾った【ゴブリン】が、声のした方へと殴りかかる。
それと同時にティルも拳を握りしめ、渾身の一撃を【ゴブリン】の胸部へと叩きつけた。
「グガァァァァァッ!」
「〈インパクト〉!」
的確に【ゴブリン】のコア付近に打撃が入ったことを感じ取ったティルは、最後の魔力を振り絞り右腕全体に衝撃を加えた。
お互い肉が削げ落ちた肋骨と指の骨の間に生み出された軋轢音が、既にコアを完全に破壊されて静かになった【ゴブリン】がもたらす静寂によって、ティルの耳元まで聞こえた。
【ゴブリン】の胸から手を引き抜こうとするも、ティルは力果てて地面に崩れ落ちた。
―――あと、一匹。早く、倒さないと。
足に力を入れて立ち上がろうとするが、筋肉が激しく痙攣してそれを拒んだ。
ティルの左側に血溜まりが出来始め、初めて左腕の存在を思い出す。
既に肩から先の感覚は無くなり、もはや無いのも同然だ。
酷い有様になっているであろう左腕から目を背けると、再びティルは起き上がろうと懸命に足掻き、失敗する。
「【ゴブリン】とは……死にたくないな」
身体を横たえ、楽な姿勢になったティルは空を見上げてそう漏らした。
目端から涙が零れ落ち、視界をぼやけさせる。
いつ、最後の【ゴブリン】が飛び出してくるのか分からないのだ。
―――約束を果たせてない。
意識が混濁し、ティルは抗うことを止めた。
男に言われたよう、最後まで運命に抗おうとした結果がこれだと嘆く反面、【ゴブリン】を相手取り最後まで戦い抜いた事を誇らしく思う気持ちを胸にティルは意識を手放した。
いや、手放しかけた。
もはや光と闇の区別しかつかない視界の中に影が差し、自分の肩が揺さぶられている感覚が分かったティルは、その青藍色の瞳を精一杯見開いて何が起きているのかを確認する。
―――リンが来たのか。
鼻が触れ合いそうな近さまでリンが顔を近づけ、何かを言っている。
聞き取れないが、その目に涙を浮かべた姿がティルの心に火を灯した。
―――死ねない。
すると、その火は炎になり、体中を駆け巡った後、ティルの心に留まる。
温かい、と感じ、ティルは安心して眠るように、炎に身を委ねようとした時、リンの背後に忍び寄るもう一つの影を捉えた。
抗いようのない睡魔がティルを闇へと誘うまでの間、ティルは必死になってリンに危険が近づいている事を知らせようとしたが、それは叶わず、意識を失った。
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