《修行中の半亜人》:過去
ティル・ベイリーは南にある小さな農村の育ちだ。
村全体が貧しかったがその分、人々は助け合い、日々を生き抜いていた。
ティルの父親は八人の家族を養うために朝夕と畠を耕し、母親も内職をして会計を支えていた。
六人兄弟姉妹の末っ子として生まれたティルは家族から愛されて育ち、その無邪気さや整った顔立ちのため大勢の村人かも好かれていた。豊作の年も凶作の年も家庭には笑いがあり、誰も不平を漏らさずに懸命に生きていた。
そう、あの日までは。
その朝、ティルは毎日のごとく水瓶を持って川へ行き、母親が料理や家庭菜園に使う水を汲んでいた。
空は晴れ渡っており雲一つなく、川で洗濯をしていたシスターと立ち話をした後、家路についたのをよく覚えている。
帰り道、いつも村を訪れて必需品を販売している行商人の場所が道の泥濘に立ち往生しており、ティルは村でも珍しい程の強靭な肉体を使って馬車の救出を助けたのであった。そのお礼として母親が好む石鹸を少し貰い、喜び勇んで今度こそ家に帰る途中だった。
村に二つしかない鐘が辺りに鳴り響いた。
「あっれ、おかしいなぁ。こんな変な時間に鳴らすなんて、教会の鐘を鳴らす触れ役は寝惚けてるんかね!」
野良仕事に行く若い男がそう言うと、周りがどっと沸く。
しかし、二つ、三つ、四つと一向に鐘が鳴り止まないのに気味の悪さを感じ、次第に笑いは収まり、不安で顔を曇らせる。
するとティルの横に立っていた、村人の中で最高齢の生き字引と言われる爺が道端に崩れ落ちる。
「ガロウ爺、怪我はしていないか」
ティルは慌ててガロウを引き起こし、身体に以上がないのかを問う。
しかし、呆然とした表情で空を見上げているガロウが返事をすることはなく、頭を打ち脳震盪を起こしたと勘違いした若い連中がガロウの肩を揺さぶり、起こそうとする。
だが突然、ガロウが目を見開き大声で叫び始めた。
「逃げろぉ! ありゃ教会の鐘じゃねぇ! 半鐘じゃ!」
「半鐘って、火事かなんかか。貴重な木材を燃やすだけじゃなくて、家まで燃やしちまうとは大馬鹿者もいたもんだな」
ガロウがボケたのかと思い、肉屋の主人が冷やかす。
遂に持っていた杖を大きく振り回し、半狂乱にでも陥ったかのようにガロウが叫び始めた。
「黙れ!」
とうの昔に還暦を迎えたガロウはその年齢を忘れさせるほど声を張り上げる。
「わしゃ、忘れん! 六十年以上前にも同じように鐘が激しくなったぁ! その時、わしの家族は皆殺しにされたんだ!」
皆殺し、という不穏な言葉に周囲が狼狽を顕にする。
「な、なに言ってんだよガロウ爺。きょ、今日からはいつも話している英雄伝や神話じゃなくて、怖い話にでもするってんのかい」
ガロウから伝わる狂気、いや恐怖に伝染し、若者が声を震わせて訪れようとしている未来を否定する。
「早く、逃げろ! モンスターが! モンスターの大群がここを襲うぞ!」
ガロウが話し終わらない内に、ティルたちがいる真上を影が横切る。
それは民家の屋根に爆音と共に墜落する。もうもうと上がる土煙が徐々に晴れていき、大きな輪郭がティルたちを見下ろし、値踏みするかのように見回す。
「な、な、なんだあれは……」
ティルもよく知っている、皮なめし職人の息子が喘ぐ。
「これが……モンスター」
三つの角を額から生やし、全身を黒曜石のような石で覆われた何かが半壊した民家の上に立ち、左手に持っている棍棒を肩に乗せる。
角張った肩や胴に、関節部分以外が石など硬質な素材で形成されているモンスター。
その名を【ゴーレム】。
「た、たすけて!」
押し潰された家の中にいたのか、左足から血を流している女が声を上げた。
しかし、それを聞いたのはティル含めた村人だけではなく、家を潰した何かもまた同じ。
「ミーシャ!」
ゴーレムは見た目に反した素早い動きで棍棒を掲げると、女の上に突き落とした。
棍棒が上げられた後の血溜まりは見るに耐えれず、それを皮切りに村人たちが理性を失った。
「た、たすけてくれええええええええええ!!」
「きゃああああああああ!!!!」
「ライフィー! ジェイ! どこなの! 返事をして!」
「あぁ、神よ」
逃げ惑う者、恐怖に身を竦ませる者、誰かを探す者、死を受け入れる者。
様々だ。
しかし、その中で一人だけ、戸惑いを覚えている者がいた。
「な、なんで……身体が動かないんだ」
ティルは己の太腿に力一杯、拳を叩きつつけ動かそうと試みるも、持ち主の意思に反して足は動こうとしない。
「なんで! なんで! なんでだよ!」
また一人、人が目の前で殺されているというのにティルは何も感じず、ただ立っている。
恐怖も。
絶望も。
怒りも。
慄きも。
諦めも。
何も感じれないのだ。
だが、一つ心の奥底で渦巻こうとしている感情をティルは必死に抑えている。
「ぼ、ぼくは……」
ティルはモンスターに初めて出会い、感じてはならない感情を発露させていた。
「なん…で。ミーシャも、マタイも、ゲイルも……みんな、殺されてるっていうのに。僕は何で……喜んでいるんだ!」
恐怖が膨れ上がる度に喜びが増してしょうがない。
悲しみが増大すればする程、とめどなく喜びが溢れ出てくる。
「くそ! くそ!くそ!く そおおおおおおおおおおおおお! うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
既に脳裏からは逃げるという選択肢は消え去り、殺すか殺されるかの状況を選び取ったティルは、今感じている喜びが、何か課された義務を達成したときのような喜びに近いしい事を悟る。
言ってしまえば、誰かとの約束を果たしたときの感情だろうか。
そして遂に、ティルは【ゴーレム】に向けての一歩を踏み出した。
「ンオ゛ッ」
【ゴーレム】がその赤い眼でティルの姿を補足し、鈍重な歩みで近づいてくる。
棍棒は血に濡れ、肉片や臓物が先端部部にこぶりついている。
「何か、武器は!」
木造の家屋が大半をしめるこの村で、ティルの得物となるのは精々、農作業用の鎌や鍬、またはノコギリぐらいだろう。
その時、何かが足に当たり、ティルの進路を妨害する。
「ガロウ爺の……杖」
持ち主に忘れ去られた杖は道に転がっており、誰かに踏まれたのか普段、握りの部分が破損し、取れてしまっている。
「ただの木材よりかはマシかな……なんだろう、これ」
刻一刻と【ゴーレム】が迫ってくるにも関わらず、ティルは落ち着いた様子で杖を観察する。
杖の握り部分が壊れたためか、中に鉛色に輝く何かが見える。
「剣」
ガロウが持っていた杖は仕込み杖だったのだ。どこに、剣を一本隠し持った杖を持つほどの筋力があったのかは分からないが、実際に目の前に剣があるのだ。
簡素で一般的な剣ではあるが、鉄製の剣を購入するれかなりの金額になる。
この剣がどういった経緯でガロウの杖の中に入っていたかは分からないが、
「これで戦える」
剣など握ったことのない、しがない農夫の息子だ。
だが、背筋が伸び、正面に剣を構えているティルの姿は歴戦の騎士であるかのような雰囲気を漂わせ、低知能であるはずの【ゴーレム】の眼がティルを警戒してか、それとも始めて敵と認識してか、明滅する。
「いくぞ」
ティルの言葉と共に戦闘が開始する。
鈍重な分、分厚い装甲をしている【ゴーレム】に傷をつけるには生半可な攻撃では意味をなさない。
ハンマーや戦斧ならば着実にダメージを蓄積することもできるが、ティルにそれらを探している余裕はない。
ティルは【ゴーレム】との間合いを一呼吸の間に詰めると、左上半身から右下半身に向かい剣を走らせる。
やはり、剣が装甲に傷をつけることはできず、ティルの手に痺れが残る。
「ンオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!」
【ゴーレム】が拳の握られた左手を持ち上げ、振り下ろす。
直撃すれば即死だ。
ティルはステップを踏んで後方へ下がるが、真上に影を感じ見上げる。
「グギッ!」
最初の攻撃は【ゴーレム】のブラフ。
本名は右手に握られている棍棒の上段構えからの愚直な振り下ろし。
ティルはそれに剣を滑らせる事によって回避しようと試みるが、棍棒の勢いを削りきれずに左肩に棍棒が直撃する。
痛みが一瞬にして許容限界を超え、肩から先の感覚が一切ない。
だらりと垂れ下がった左腕を直視しないようにしつつ、ティルは右手に持っている剣で何ができるのかを必死に考える。
このまま、【ゴーレム】と殴り合えばティルの死は確実だ。
しかし、剣撃や剣技といったものを何ら知らないティルが【ゴーレム】を切り伏せることなど不可能に近い。
【ゴーレム】が二撃目を叩き込むべく棍棒を天高く持ち上げる。
非情なまでに、残酷な現実から意識を手放すようにティルは剣から手を話そうとした。
だが、
「助けられる、人になって」
懐かしい声。
ティルの身体を呪のように縛っていた喜びが綻び始め、代わりに義務感が沸き起こる。
それはティルの心を炎で燃やし、身体の器を昇華させる程に強いものだった。
剣を取る手に剣聖が宿ったのかごとく鋭い構えとなり、左手が使えないという状況にありながらも、【ゴーレム】に対峙する姿まるで『英雄』のようであった。
再び、【ゴーレム】が棍棒を必殺の速度で振り下ろし、ティルを剣ごとへし折ろうとする。
「うわあああああああああああ!」
怒りに任せ、義務感に駆られた若人の一撃。
万人がそこで起きたことを実際に見ない限り信じないだろう。
棍棒を捉えたティルの剣は棍棒を二刀し、そのままの勢いで【ゴーレム】の頭を切り落としたのだった。
暫くの間、赤黒く光っていた眼は最後にティルを見つめるとその光を消した。
「あぁ……」
ティルは自分が何をしたのか分からず、剣を握ったまま地面へと伏した。
だが、【ゴーレム】に殺された隣人を見た時、心の奥底から怒りと情けなさ、羞恥心、そして約束を守れなかった悲壮感に襲われる。
「……あぁ」
あの声の人物が誰なのかは分からない。
けれど、ティルはあの声の人物を悲しませてはいけないと直感していた。
少時、村には静寂が訪れていた
逃げ、怯え、隠れていた人々がティルの成し得た事を見て、ただ呆然としていた。
そして、そこに幻視したのだった。
新たなる『英雄』の誕生を。
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