《修行中の半亜人》:日常③

 「ここなら誰にも邪魔されずに朝ご飯が食べれると思うよ」


ティルと少女がいるのは要塞都市の南西に位置する果樹園。

城壁外を見渡せる数少ない場所の一つとなっており、東から昇る太陽の光が葡萄を照らしている。また、マグノ・ヴィアを行き交う冒険者、行商人、職員、露天商、婦人、騎士然とした男、老紳士が見渡せる。


普段は果樹園の関係者以外立ち入れないようになっているが、実をつける木がない今の季節は公園として解放されている。

周りには散歩を楽しむ夫妻や、自然で遊ぶ親子連れがいた。


「あそこに座ろう。陽が当たるから暖かそう」


大木の傍らに丁度良いサイズの切り株が二つ並んでおり、ティルと少女は腰を降ろした。

座るやいなや、ティルは手に持っていた紙袋からサンドウィッチを取り出す。

瞳を輝かせている少女に一つ渡した。


まずは、紙を濡らすほどに肉汁が滴っている厚切りベーコンを挟んだサンドウィッチをに口を目一杯開いてかぶりつく。

シャキッという歯ざわりにベーコンの甘い肉汁、鼻孔をつくパンの芳醇なパンの香気が脳天にまで響き渡る。

ソーイの店で食べた料理も絶品だったが、美しい景色を眺めながら食べるサンドウィッチもまた格別である。


「美味しい……」

「うん」


!?


「パン、美味しいの」

「うん」


昨夜から会話は一方通行でティルがひたすら話しかけているだけだった。

しかし、レスポンスが返ってきた。

たった一言だが、その一言がキッカケとなった。


「これ、なに」


少女の方から話しかけられ、ティルは大慌てで口の中に残っているサンドウィチを飲み込む。


「食パンに焦げ目をつけて、具材を中に挟んだ一般的なパンでサンドウィッチていうんだよ。今日はベーコンとキャベツだけど、卵とか他のお肉を具材にする事もあるんだ。僕が住んでいた村では苺ジャムとかを塗って食べたんだけど、すごく美味しくてさ」

「苺」

「えーと、苺っていうのは春頃の果物で、小さくて真っ赤なんだ。すごく甘くて、美味しんだよ」

「甘い」

「うん、とても甘いんだ」

「とても甘い」


すると少女が微笑み、小さい口でパンを齧る。


「……君はどこから来たの」


遠回しな話の切り出し方や上手く話を持っていく方法を知らないティルが、本題を切り出した。

暫くの間、少女はパンを食べ続けていたが、ささやくような声でティルに答える。


「白い…部屋」

「それはどこにある部屋なのかな」


白い部屋だけでは情報が少なすぎる。

この少女が何者かは分からないが、もしかしたら教皇庁が血眼になって探し出すほどの犯罪を犯している可能性もある。

レベルが世界を支配しているこの世で外見だけで人を判断するのは愚かなことだ。


「下にある」


下。

物理的に地面の下を指しているのだろうか。

あるいは、心理的なことなのだろうか。


「なんでそこから……そこから、出てきたんのかな」

「……言われた」

「誰かに言われたから出てきたってこと」

「夢の中に出てきた人に言われた。だから、出た」


意味が理解できない、ティルの率直な感想だ。

夢に現れた人物が現実世界のできごとに干渉したとでも言うのであろうか、それとも現実世界の人物が他人の夢に干渉したのだろうか。


「どういう人を夢で見たのか覚えてたり、はさすがにしないよね」


だが、


「白色のマスク……赤色の服」

「夢に見た人の姿を覚えているなんて記憶力がいいんだね……君」


そこでティルは少女の名前を聞いていなかった事を思い出した。

聞く機会を逃していたとはいえ、君という呼ぶ方を続けるのはあまりにも不便すぎる。


「君の名前はなに」

「なま、え」

「そう、名前。僕の名前はティル・ベイリー。ベイリー一家の一番下で、色々とあってここに来たんだ」

「ティル」


少女は暫く考える素振りを見せていたが、唐突にコロコロと転がるような声音で笑い始めた。


「な、なにかおかしいこといったかな」


名前を笑われ、顔を赤らめていたティルだが少女の屈託のない笑いにつられて笑い始めてしまう。


「な、まえ。なまえ。名前……あ、名前はリン。リン・ファウステス」

「リン・ファウステスか」


名前の性質は地方によって変わるものだと以前、シエラに聞いたことがあることをティルは思い出した。

遥か東の国、オリエンス共和国よりも向こうにある国からの出身者が大半を占めるギルド《桜華乱舞》のメンバーは、ここでは珍しい名前をしているらしい。

ティルは少なくともファウステスという名字の人を三人は知っている。


「じゃあ、リン。夢の中で見た人はリンの知っている人だったのかな。それとも、有名な人だったりするのかな」

「……分からない」


会話はそこで途切れてしまい、2つ目のパンを食べる頃までティルもリンも言葉を発さなかった。

日が完全に昇り、ティルが眩い光を遮ろうと手をかざしていると、リンがティルの身体を不自然なまでに見ていることに気が付いた。


「悲しいのに、喜んでる」

「え?」


予想外の言葉にティルが思わず苦笑いする。


「心は悲しんでるのに、ティルは喜んでる……」


出会ってから今まで無機質だったリンの瞳に芯が宿り、これまでにないほど言葉に熱が宿っている。全てを理解しているかのような口ぶりだ。


浮かべていた苦笑を凍りつかせ、ティルは次の言葉を待つ。


「喜んでるのに……何がそんなに怖いの。何に怯えてるの」

「怯えてなんかないよ」

「嘘。私には分かる。ティルの顔は喜んでるけど、心はずっと黒色に燃えてる。思いがぐちゃぐちゃになってるよ」


……


「僕の何を知っているっていうんだ!」


ティルが吠えた。

怒りに身を焼き、身体を震わせる。

唐突なティルの豹変ぶりに、リンが大いに戸惑いを覚えたのか顔を曇らせて。

頭では自分の行動が間違っていると理解しているが、心が追い付かない


「僕は何も怖がっていない! モンスターが僕の家族を目の前で噛み殺し、引き千切った時も! ここに来て初めてモンスターと殺し合いをした時も! 君を助けた時も! 恐怖じゃない…恐怖じゃない何かが僕の身体を満たすんだ。恐怖じゃない、何かが……僕を突き動かすんだ」

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