《駆け出しの半亜人》:パン屋Part1

 シエラから伝えられた言葉に衝撃を受け、ティルの思考回路は半停止状態だった。しかし、身体はいつものルーティーンを覚えていたのか、よく食事を買っているパン屋の前に気づいたら立っていた。

外周地域にある数少ない、安全な食品を提供している店だ。

身体を壊してまで安い食料を買うより、懐には痛いが体調を気遣うほうが大切だと幼い頃から教えられているティルにとってこのパン屋は生命線の一つになっていた。


「いらっしゃい……ボウズ、今日はやけに遅いから死んじまったのか思ったよ」


ワッハッハッ、と大柄で薄い口ひげを生やした店主が声をかける。

ティルをクオーターと軽蔑せず、気軽に接してくれる数少ない住民の一人だ。


「それで、手持ちは」


店の奥から出てきた店主がティルの真正面に立つ。

圧倒的な身長差がそこにはあったが、店主は人懐っこい笑みを浮かべているため、傍から見ればまるで親子のようだ。


「今日は......千ディネロです、ウォーロックさん」


ウォーロックと呼ばれた男は目を丸くし、大口を開けて唖然とする。


「いち、ぜろ、ぜろ、ぜろ。桁間違えてないよな、ボウズ」


全く信用されていないことを悟ったティルは銀貨一枚を胸ポケットから取り出し、ウォーロックの目の前に広げてみせた。


「【メヒモス】のドロップアイテムのお陰で諸々を引いても千ディネロも余りました」


すると、ウォーロックは顔をくしゃくしゃにして笑い、ティルの頭を右へ左へと激しく撫でる。

手放しに褒められた事にティルは思わず口元が綻ばせる。


「そりゃ、めでてーな! 今日は好きなパンを一つやるよ。俺からのお祝いだ」


さあ選べと言わんばかりにウォーロックが無骨な指でパンの陳列棚を指す。


「そ、そんな。いつも割引して頂いているのに、これ以上ウォーロックさんのご迷惑になるなんて……」


恐縮して縮こまっていると、ウォーロックが振り返り、怒りの含まれた声音でティルに答える。


「迷惑なんかじゃないって言ってるだろう。俺はボウズの中に可能性を見つけたんだよ。まだ、輝いちゃいねーが、宝石のような可能性だ。だからボウズ、これは先行投資だ。おめーさんが有名になったときには、俺の店がマグノ・ヴィアに出店できるよう、頼んだぜ」


だから今は俺を頼れ、と言わんばかりにティルの肩に手を置き、陳列棚の方へと促す。

まだ切られていない食パンに人の腕ほどの太さがあるバゲット、クロワッサンにシナモンロール、ウォーロックお手製の菓子パンなどが並んでいる。

危うく垂れかけたヨダレを辛うじて飲み込む。


「バ、バゲットでいいですか」


菓子パンに揺らぎそうになった心を必死に抑え込むと、一番食べ応えのあるであろうバゲットを選んだ。

ティルの心中を察してか、ウォーロックはニィっと笑いながらバゲットを袋に包む。


「後はいつものように”不出来”なやつを入れとくから、合計……らっしゃい」


治安の悪い街の夜にティル以外が店を訪れるのは珍しく、思わず振り返ってしまう。すると、そこには朝受付で押し問答を繰り広げていたエルフの少女と、その連れ添いと思われるヒューマンが店に入ってきた。


「リエースさんに嬢ちゃん、焼きたてのシナモンロールがお買い得だよ!」


連れの方がリーエスと言うらしい。エルフの方の名前は分からない。

エルフは革鎧と弓を装備している姿からして冒険者だろうか。長い青髪をゴムで結いており、邪魔にならないように工夫しているらしい。

翠緑色の瞳でティルを一瞥するが、すぐに興味を失ったのか、はたまた焼き立てパンの魅力に抗えなかったのか、夕食を選び始めた。


「あ、あの、ウォーロックさん…お会計は」

「ああ、すまん。合計……いらっしゃ……」


立て続けに二組も客が入ってくるなど、今世紀最大の驚きだ。

振り返ることはしなかったものの、横目で新しい客を伺うとティルは今世紀最大の驚きの記録を訂正することになった。


漆黒のローブ。

それ以外に形容のする事が困難なほど、まるで暗闇を切り取り、それをローブに貼り付けたのような黒さのローブは見つめていると吸い込まれそうな錯覚に陥る。

そのローブを目深く被った二人の人物の露出は顎の先端だけ。

怪しげな二人組が店の入り口に立っていれば、ウォーロックのように粗暴な客にも慣れた男が言葉を失うのも道理である。


二人組のうち、一人は非常に大柄で威圧感があり、ローブ越しからでも感じられるほどの魔力を蓄えているのをティルは感じた。

対して、大柄な方の半分ほどの背丈しかないローブの人物からは何も感じず、凪のようである。視認していなければ、見失ってしまいそうになるほど、揺らぎというものがなかった。

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