第十二話 …花こそ散らめ 根さえ枯れめや
宮城は周りに溝が掘られて、五メートルほどの高さの
南壁の真ん中にあるのが
朝堂院は、むかしは政治の中心だったが、いまは儀式に使われている。
ここも塀で囲まれて、北側に天皇の
朝堂院には、朝集院に入るために南壁に三門があるだけで、東西の壁には大きな門がない。その三門の中央が応天門で、東に
最近は途絶えているが、外国から国賓が訪れたときは、都域の南門の
中央の応天門を抜けて朝集院をとおり、朝廷に入ると北側に
応天門は、都の東西の中心線上にあり国力を誇示するための大切な門だ。
門といっても、幅約三十二メートル、奥行約十六メートルで
去年と今年は正月の
日常の清掃が行き届いているとはいえず、十数年まえになるが、男女いずれかさえ判別ができない白骨死体があるのを、修理に入った
さらに東西の真ん中に建っているから、左右の
官庁が閉まった夜の宮城が、完全に密閉されているかというと、そうでもない。
朱雀門をはじめ、大内裏の門を守る
それでも桜が散りはじめる季節の深夜、応天門のそばには火の気はない。空気は乾燥していたが、応天門だけでなく東西に造られた二つの楼まで、きれいに燃えてしまったのだから、通りすがりの人が捨てた
応天門炎上のつぎの日に、「
「くれぐれも慎重に行動なさってください」と是善。
「さきに手をあげると急所をさらすことになります。大納言さまは、この国に必要な方です。ご自分を大切にしてください」と音人。
まえにも、おなじようなことを、誰かにいわれたような気がする。
「左大臣さまの家人が放火したというのは、ただの噂です。庶民はいまの
「それだけならよいのですが、この噂は仕組まれて流されたのかも知れません。それなら相手は策を講じておりましょう。ご用心ください」と音人。善男は眼を細めて、うなずいた。それは、あるかも…。
源
正月に出された集合禁止令と禁酒令は、太政大臣の良房からの苦情がもとで清和天皇が発令したものだ。これで源信を追いつめられるとみて、善男は反対しなかった。
正月の叙位で、紀氏や伴氏は地方へ赴任することが多い。あちらこちらで送別会を開くが、集合禁止令のほうは事前に許可さえとれば問題はない。禁酒令は特例が病気のときと、神にささげるときになっていて、そのほかは認められない。
左大臣の源信は十代から父の嵯峨の帝の宴にでて、五十六歳になる今日まで酒を飲みつづけている。四十年も酒びたりの男に禁酒ができるとは思えない。飲酒を告発できれば、病気の治療だと辞表をだすだろう。大臣の辞表は受けとらないが、病気で辞表を出したら、二度と政治に口を挟むことができなくなるだろう。その程度に考えていた。
まさか応天門が燃えるとは思ってもいなかった。伴氏にとって応天門は思い入れのある門だ。奈良の都では、朝廷の南門は大伴門と佐伯門と呼ばれていた。伴氏や同族の佐伯氏は
桓武天皇が造った平安京では門氏族を使わなかったが、応天門がある南の門は大伴氏が
だから善男は、応天門の炎上は自分に対する嫌がらせだと思い、源信の家人が放火したという噂を信じかけていた。しかし源氏が放火したのなら、そんな噂を流すわけがない。これほど源氏放火の噂が高いということは、操作しているものがいる。
善男の背中がゾクリとする。
こちらは、
「放火と認めるなと言われましたのか?」と惟喬親王が聞きかえす。
「はい」と、いちど自邸にかえって、夜半になってから訪ねてきた
「放火でなければ、失火ですか。応天門のまわりに火の気はありません。それに下層階は、燃えづらい土塀と太い柱と厚い扉と石畳でできています。
どういう失火で、
「じゃあ、失火も認めなければよいでしょう」と業平。
「え…」
「親王。政治の世界で生き抜くこつは、問題をさけて静かにしていることです」と業平。
「
惟喬親王は
「えーっと、どなたでしたっけ。新しい弾正台の
「藤原
「どのような方ですか」と業平。
「
「それじゃ、すべてを大弼にお任せなさい。ほかに何人か人のいるところで、わたしは若く、なにごとも不慣れですので、お任せしますということです。
弾正台の報告は藤原なにがしどのが上手にまとめられましょう。
親王は、なにも分からずに、丸ごとお任せの立場にいましょう」と業平。
「冬緒どのも明言は避けられましょうな。
放火と決めたところで、火をつけている人を見とがめて捕えたわけではありませんから」と有常。
「わたしは、口だしするなというのですね」と惟喬。
「はい。黙っておいでなさい。とても、きな臭いでしょう」と業平。
「燃えてしまいましたからねえ」と有常。
「こういうときは目立ってはなりません。
すべてが過ぎるまで私情を捨てて、ひたすら無責任に人任せになさるべきです」と業平。
「それが
「そうです。幸いなことに親王は帝ではありません」と業平。
「父の帝のお気持ちを考えますと、なんと、ふがいない子だと、この身が情けなくなります。父の帝が、さぞ嘆かれるておられるでしょう」と惟喬。
「帝でなく、ただの父親であられたら、子の幸せだけを願われたでしょうよ。
嘆かれるどころか喜ばれます」と業平。
「どうして、そんなことが言えるのです」と惟喬。
「正しく生きることは立派です。そのためには、まず生きていなければなりません。いまの政治に不満を抱くものに担ぎ上げられて、政争にまきこまれても正しいことはできませんよ」と有常。
「そんなつもりはありませんが、馬のジイや紀のジイは
「身近にいる人の幸せを守れば、大きなことをしなくても、みんなの幸せに繋がるはずです」と業平。
「生きて、自分の手の届く範囲で、正しいと思うことをなさればよいのです」と有常。
「職務がありますので、わたしたちは伺えないことがあるかもしれませんが、亡くなった兄の仲平が、木挽きを連れてお邸に詰めてくれるそうです」と業平。
惟喬親王の顔が明るくなった。
業平と有常にとって、惟喬親王は出世のための道具ではなく、産まれたときから
善男は私情にとらわれて判断力が鈍っていた。二年ごしになる左大臣の源信との確執。信の手のものが放火したと、日に日に大きく広がる噂。応天門の再建には
感情的になる要素はまだある。
なにかをする年齢としては最後のほうだった。しかも、このときの
だが善男は、目先にとらわれて大変な人を見逃してしまった。
太政大臣は未成年の天皇の補佐をするが、天皇が成人すれば政治に関わることができない名誉職だ。だから善男の頭には、良房は存在しなかった。
放火犯もつかまえられず目撃者もいなかったが、左大臣の源信が応天門に放火したという噂が高いので、伴大納言は事情を聴くべきだと主張した。ずっと信は登庁していないから、太政官の最高位は右大臣の藤原
左右近衛に緊急命令が下ったのは、応天門が燃えて三日後の閏三月十四日だった。
近衛兵は、左大臣の源信の邸をとり囲んだ。
「右大臣さま。このたびの出動を、太政大臣さまはごぞんじでしょうか」と基経が聞く。
「太政大臣は政務にかかわる方でありませんので、報告の必要はありません」と良相の嫡男の
「しかし、現職の左大臣さまへの嫌疑という重大事です」と基経。
「登庁をうながしても、書面を送っても、左大臣さまからは応答がありません。
これほど放火のうわさが高くなりましては、このままにしておくと世情が不安になります」と常行。
「わたしが太政大臣さまに、お知らせいたしますまで、どうぞ源信さまへの執行をお待ちいただきたい」と基経もゆずらない。
左大臣の邸を右大臣が囲んで、連行して事情徴収しようという大事だ。これまで良房は、良相に政務を一任して口を出さなかったから「分かった」と良相は了承した。
東一条第で基経の報告をきいた良房は、
「
「は」と家令がさがる。
「ジュツ」と良房。
基経は、叔父の
だから良房の私用人は少ししか分からないが、側番舎人とよぶ静かな男たちがいるのは知っている。かれらは
「ジュツ」
もう一度名をよんで、なぜか良房は基経のほうを向いて言いつけた。
「屋根を修理させた者どもを、
ジュツの体に緊張が走るのを基経は目にした。その基経をながめて、基経に話すように良房が続ける。
「分かっているな。ジュツ。薬草園でつくっている茶色の小瓶に入っている例の水薬を、気づかれないように修理のものたちに飲ませるように、シに伝えて欲しい」
舎人たちに唐衣をもたせた家令がきて、良房の冠を外して唐衣を頭から掛けた。良房は醜悪な女装になった。
「基経」と良房。
「はい」
「参ろう」
良房が女装して内裏にむかったのは、違法だからだ。法令によって
女輿で内裏に入った良房は、
「急を要することですので参内いたしました。帝。帝が左大臣を
「捕縛ではない。応天門の炎上のことで左大臣に色々の噂がある。
それについて訊ねたいことがあるが、左大臣は参内もせず
「どのように答えられました」
「わかったと、答えた」
清和天皇は二年まえまで、この外祖父の良房に政務をまかせていた。ずっと良房や太政官たちの言うとおりにしてきたから、おなじことをしただけだ。
「左大臣の邸をとりかこむと聞いておられますか」と良房。
「……」
「
「細かいことは忘れた」と清和天皇。
「近衛兵を使って、左大臣の邸を囲むと聞いておられないということですか」と良房。
きっと不快な表情を浮かべているだろう。十六歳は
良房のように言葉尻をとらえて、ゆったりと、たたみかけるやりかたは、おもしろくないだろう。
清和天皇は答えない。太政大臣は政治に関与しないはずだとも、参内しない左大臣の態度はおかしいともいわなかった。
「帝。左大臣の邸を近衛の兵で包囲すると、はっきり説明されて了解されましたか」と良房が、おなじことを質した。
許しもなく右大臣の良相が近衛兵を動かしたという答えをえるまでは、良房はおなじ質問を繰かえすつもりだろう。
まだ自信のない清和天皇は、祖父の良房に押さえ込まれてしまうだろう。
広廂しに座っている
基経は、応天門が燃えた翌朝に、良房に東三条第に呼ばれた。
「源信が放火したいうと噂を広げろ。それに伴善男が食いついて良相が動いたら、豪族系の官人と源氏を押さえられる」と良房が言った。
右大臣が左大臣を追いつめれば、少年天皇の手に余る事態になる。
それをきっかけに、自分が政界に返り咲くつもりかと思ったが、基経は黙って従った。良房の後継者になれるチャンスだからだ。
それから先は、基経も加わって左大臣の源信の放火説を広めた。
放火直後に立った噂だったから、あっというまに広がって、応天門の放火犯は左大臣の源信だと、だれもがささやきはじめた。
そして伴善男が、信に事情を確かめようと言いだした。源信と反目したことがある右大臣の良相は、善男の告発を受けた。
基経は、そのあいだの善男たちの動きを見張って良房に報告し、近衛が信の邸をとり囲んだのをたしかめて、内裏に近い東一条第に移っていた良房に知らせた。
だか今日までは、応天門の炎上は源氏の仕業だろうと基経も思っていた。
源信と伴善男は対立している。源信なら国の建造物を焼くというバカな行動をとるかもしれない。だから応天門が焼けてすぐに、源信が焼いたという噂が自然に立った。それに油を注いで広げたのは、良房に命じられた基経だ。
でもいまは、応天門を焼いたのが源信だと思えなくなった。
さっきの
屋根の修理に集めたものは仕事が終わった。薬草園で作っている例のもの、茶色の小瓶に入っている水薬を、気づかれないように修理のものたちに飲ませるようにと良房が言うのを、基経は確かに聞いた。
どういう意味なのか。薬なら、気づかれないように飲ませる必要はない。
屋根の修理をする者たちは身が軽い。応天門は二階の方が火の周りが早かった。
かれらの仕事は終わった・・・。まさか、彼らを使って応天門を焼いたは良房なのか。そして口封じのために瓦職人を・・・。気づかれないように飲ます水薬とは、毒のことか?
例のものと言うからには、それは使われたことがあるのだろう。
文徳天皇・・・。文徳天皇は、食後に薬湯を飲んで急死した。その薬湯を入れた
文徳天皇も、良房が殺めたのか・・・。
そういえば、文徳天皇が亡くなったあとで、良房の妹の古子女御は一品に除位されたが、その古子女御は、いまどこにいる?
なぜ基経に聞こえるように水薬の話をした。
なぜ基経が簡単に推測できる話を聞かせた?
試されていると基経は思った。ここは
用済みにならないように、毒など盛られないように気を引き締めるのだ。
「近衛を動員することを、お聞きになっていないのですね」と部屋のなかでは、良房がおなじことを繰かえしている。
「……朕は知らぬ」と、疲れた清和天皇の声がきこえた。
そのあと基経は、右大臣の良相のもとに走って、天皇の
良房が出かけてから、ジュツは東三条第に帰った。慌ただしく良房が東一条第に移ったときに、シは三条第に残されていた。
「どうした」と、シが聞く。
側番舎人になってから、長いあいだ一緒に働いてきた先輩だ。二人とも口数が少ないので話をすることもなかったが、夜ごと息をひそめて良房のそばに控えていた。
あいての体の筋肉が動いても感じられる近さだったから、いつの間にか、互いの考えまで汲み取れるようになっている。シはジュツを気遣って、いつも見守ってくれていた。
「なにか、頼まれたか」とシ。
「…伝えろと」とジュツ。
「わたしに、なにを」
「
「ん」
「屋根の修理をした者たちに…」
「どうした。ジュツ」とシが聞いた。ジュツが震えている。
「例のものを、そっと与えよと…」とジュツ。
「……」
「茶色の小壺に入ったもの…あれは、なにでしょうか」とジュツ。
「知らない。何度か薬草園に取りにいったことはあるが、
「わたしも取りに行きました。そのあとで帝が…」とジュツ。
「われらは何も知らない。言われたことをしているだけだ。よけいなことは、なにも考えるな。忘れろ」とシが立ち上がって、自分の
「ジュツ。できるなら
どこか安らいだ目をして、ジュツの肩を励ますように握ると、シは寝泊まりしている小屋から自分の銭袋を抱えて出て行った。
つぎの朝、東三条第の裏の畑で草むしりをしていたジュツのところに、麻井という舎人がやってきた。
「家原さん。驚かれますな」と麻井。
邸の中で使われているジュツの名は、
「
刈田満好は、邸内で使われているシの名だ。ふつうの舎人の麻井は、東三条第に長く勤めている。シやジュツとちがって親も親戚も妻も子もいて、妻子が暮らす家もある。
「昨夜、刈田どのが亡くなりました」と麻井。
「‥…」
「屋根の補修工事のための職人が、
おそらく、まちがって毒のある葉物でも混じっていたのでしょうな。食当たりです。まじめな方でしたので残念です」と麻井。
ジュツは、足もとに目をやった。
「刈田どのは身寄りのない方で、
お邸で従者の
「あの、亡くなったのは…」とジュツが聞いた。
「刈田どのだけです。職人たちは、刈田どのが苦しまれていると告げにきたあと、怖くなったのか逃げたそうですよ。臨時
足もとにアリが行列している。体よりも大きな白いものを背負ったアリが、よろけながら歩いていく。職人たちに自分の貯えを与えて逃がしたのはシだ。ジュツは、アリの行列をいつまでも眺めていた。
放火犯の噂が高い左大臣の源信と、近衛兵をつれて源信の邸を包囲した右大臣の藤原良相のもとへ、天皇の
双方のいい分を聞き、双方の納得のいくように処理するためだ。
清和天皇の名をかりて、良房によって選ばれた勅使は、参議で
季節は、一月二月三月が春。四月五月六月が夏。七月八月九月が秋。十月十一月十二月が冬と呼ばれる。時間は
いまは夏の盛りの五月の末。
右京八条四坊の一角は、
外壁がまわる一町の内の三十二戸は、垣根などで区切っているだけで、小屋はうすい板張りなので、暮らしのようすが隣近所につつぬけだ。
その一戸に
「ですから、見学だけさせてください」と役人に頼み込んでいる男がいる。
着ているもので六位ぐらいの三十前後の男だ。
ここに住む人は七位や八位の下級官人で、勤務状態がよく能力を認められても正六位上が出世の限界で、五位以上にはなれない。役人に交渉している男は、六位を初位(最初の位)として五位以上の貴族になる人らしい。
おなじ六位でも、そこをスタートにする人と、ゴールにする人では見かけも違う。スタートにする人は、まず歳が若く、着物の布が上質で新しく、面立ちも整っていて、おっとりした物腰をしている。
「部外者は、立ち入り禁止です」と役人。
「あの友人に、世の中を案内しています。おねがいします」と若い男。
「
「いえ。言葉をまちがえました。都を案内しています」と数男と呼ばれた男。
「都を案内するなら、市にでも、お連れになったらどうですか。あれ、あれ。あんなところに座りこんで念仏を唱えようとしています。数男さま。ご友人を早く外に連れだしてください。ズウーッと離れて見ているだけ。いいですね」と役人。
京識の役人は、きげんが悪い。応天門が焼けてから忙しくて、ろくに休みをもらっていない。
そんなところに
「ジャマにならないように、向こうにいてください」と役人にしかられた数男は、経を唱えはじめた
「
「ええ。たしか十四歳とか」と数男。
「気の毒に。ご遺体は、まだあるのでしょうか。せめて経だけでも唱えさせていただきたいと、もう一度、たのんでもらえませんか」と登。この男も三十前後で、鼻筋の通った生まれの良さそうな顔立ちをしている。
「いいから、なにもしないで大人しくここにいてください。父が
「はじめから、遺体はありませんよ」と、そばで見物していた色の黒い中年の女が教えてくれた。
「遺体がない?」と登。
「ええ。鷹取さんは娘を殺されたとさわいでいますが、なぜ、いまになって騒ぐのか分かりません。このところ、おモトちゃんの姿を見ていませんからねえ」
「亡くなったのは、おモトちゃんという娘さんですか」と数男。
「あの鷹取の娘にしておくのが可哀想なぐらい、大人しい娘でしたがね。しばらく見かけていませんなあ。てっきり売られたのかと思っていましたがね」と、年をとった男が話に加わった。
「娘を売るって、自分の娘を売るのですか」と登。
「鷹取は、たちのよくない男でしてね。親も娘も売りかねないような奴ですから。
だいたい
「ほら。おモトちゃんは、二町先の町内の
それを鷹取が嫌って、ヨッちゃんを袋叩きにしたことが、あっただろう」と女。
「あった。あった。あの子は
十五やそこいらの子供を、大人が寄ってたかって殴らなくともいいものを…なあ」と血色のよくない中年男の野次馬も加わった。
体調を崩して
「おモトちゃんを見なくなったのも、あのころからだねえ」と中年の女。
「それって、いつのことです」と登が聞く。
「ンーっと、鷹取のところに、あの
「こんどは、日下部ですか。それ、だれです」と登。
「そう、そう。鷹取のような奴のところに間借りをして、けっこう仲よくやっているから、ふしぎに思ったのを覚えていますよ」と顔色の悪い男。
「だからですね。それはだれで、いつのことです」と登。
「なにが?」と、みんなが登を見た。
「いいですか。たった今、
でも、みなさんがおっしゃっているのは、こうです。
二町先の
そうですね。まちがいないですね。いいですか。
じゃあ、これは、いつのことですか。みんな、おなじころに起こったのですか」と登。
「そういえば、そうだ。みなおなじころ、火事のチョット前に起こった。
「応天門の火事の前というと、もう三ヶ月も、まえのことですよね。
みなさんは、おモトちゃんの姿を、そのころから見かけていないのですね」と登。
「ああ。見てないよ」「おなじ町内にくらしていれば、姿ぐらいは目につきますよ」「顔を合わせれば、挨拶ぐらいはしますからね」
「大宅鷹取さんは、備中の権史生だとおっしゃいましたね。生江常山さんは、なにをしている人ですか」と登。
「
「それじゃ、息子さんがおそわれて怪我をしたときに、届をだしていますよね」と登。
「いや。いや。えーっと、
えー。ところで見かけない顔だが、あなたは、どちらさまで」と顔色が悪い男が聞いた。
「わたしは……」と名乗ろうとした登を引っ張って、
「京識の
この人は、遠いトオーイ縁戚で、都のことを知りませんので案内しているところでして…。どうも、おじゃまいたしましたッ!」
「でね」と
六月に入ったばかりの昼下がり。暑いから、
「息子を襲われた生江恒山と、娘を殺されたという大宅鷹取は、いがみ合っていたらしいのです。
「そうですか」と業平。
「よけいなことに、首を突っこむのじゃありませんよ。あっちこっち嗅ぎまわると、ろくなことになりません。わたしは、それでしくじりました」と
「後宮から下げられたのは、そういうわけですか」と業平。
訪ねてきた登をつれて、妙信は隣の業平の邸でヒマつぶしをしている。登の父は、
最初の名は、
母の過失で宮中を出されて、
そのあと
「でも、母上」と登。
「登さん。あなたは
よけいなことに首をつっこまないで、まじめに勤めてください」と妙信。
「ン……」
「登さま。たとえ会うことができなくても、遠くから見守るだけでも、ほどほどの暮らしで、つつがなく健康に、日々を楽しく過ごしてくれることだけを親は子に願っています。妙信さんを心配させてはいけませんよ」と業平。
「あら、在五さま。いつになく父性的ですね。なにか、ございましたの?」と妙信。
「いいえ。ちょっと、疲れが…」
「
「いいなあ。馬ですか。わたしは、お坊さんをしてましたから騎乗できません」と登。
「よければ、うちの舎人と馬で練習なさったら?」と業平。
「いまからでも、おねがいできます?」と登。
「サンセイ。頼む」と業平が声をかける。
「登さま。こちらにおいでください」とサンセイが招く。
「あの子。やってゆけましょうか。今は、なんでも物珍しくて張り切っていますが、
「妙信さん。だいじょうぶだと思いましょうよ。子を信じることと、子のために祈ることしか、親にはできません」と業平が言った。
応天門の炎上のあとで、左大臣の源
「左大臣さま、右大臣さまともに、ご納得あらせられました」と音人。
「わかった」と清和天皇。
御簾のなかから香の香りがただよってくる。
それぞれ好みの香りを混ぜて、特別な香りをつくり着る物に炊きこむ。体温や体臭によっても匂いは変わるから一人一人が特別な香りをもっていて、それだけで相手を判別できる。
音人は、若い清和天皇とはちがう香りを利き別けた。
老いを隠す濃厚で高価な香りだ。太政大臣が
五月六月と各地から
高階岑緒は、音人が左小弁だったころの左中弁。直接の上司だった。文徳天皇と静子更衣のあいだに生まれた
音人が多忙なのは承知しているだろうし、それを
気になることというのは、病が流行っているから伊勢斎宮が六月の祭りを欠席するという報告を、五月に
調べてみたが、今のところ伊勢に病は流行っていない。それを一か月もまえに、大事な
長いあいだ伊勢権守だった岑緒なら、なにか知っているかもしれないと音人は思った。
「ご無沙汰しております」元の上司だが、いまの
「お忙しいでしょう」と
「なにかと」
「わざわざ、お招きしても酒もだせません。手間取ってはなりませんので用件だけをお伝えします」と岑緒。
「お察し、ありがとうございます」と音人。
「わたしに孫ができました」と岑緒。
「はい」
「息子の
「?」 …子といたしますとは、どういう意味だ? と音人が岑緒の目を見た。
「多くの気をうけた場所で生まれただけあって、元気な男子です。母子ともに
今後、いっさい、お関わりになりませんよう」と岑緒。
当家に任せろ。いっさい関わるな。弁官だった岑緒が、言葉使いを間違えるはずがない。多くの気を受けた場所。多くの気があつまるという
応天門が炎上したから世間の目がそれたが、静子が亡くなった直後に広がった業平の歌は・・・。あの歌で呼びかけた
夢かうつつか、寝てか覚めてかも覚えていないのに、子が生まれたァ~ッ!
業平が伊勢に行ったときから数えると、あの歌が流れたのは妊娠が分かったころだ。夢うつつとは 世人さだめよといい切ったのは、ことが
「岑緒さま。気つけ薬をいただきたい!」と音人。
「わたしも気つけ薬をご
「人は想定外のことは、ふれずにすまそうとします。しかし良くできていますな。
夢かうつつか。寝てか覚めてか。あのことばが、この世のことか、あの世のことか、わけもさだかではない方向に人の心を導いて、何もなかったと、のちの世に伝えてゆくでしょう」と岑緒。
このとき生まれた子は高階
東の
「これは、おまえさんの全財産じゃないのかい。病気ともみえないが、どうして、これを、いまアチャに渡す必要があるのだい。なにが、あったか」
「……」
「多少のことなら手をかせる。話しちゃくれないかい」と狛。
ジュツが、阿茶のもとに
律令が施行されてから、国は銭を使うことを
「アチャと
ジュツが、不安そうな目をする。
「もう亡くなってしまったが、わしの
アチャも若い
蝉丸のためにも、それがよかろうと思ってな。
おまえさんも一緒に行ったらどうだい。仕事はみつけてやれる」と狛。
「一緒に行こうよ。父ちゃん」と蝉丸が言った。ジュツの顔がゆるむ。
「すまない。父ちゃんは、ご用がある。いつか、蝉になって会いにいく。父ちゃん、来たぞと聞こえるように、うるさく鳴く。毎年、毎年、会いにいく。約束だ。蝉丸」とジュツ。
「おまえさん! いったい、どうしたんだい?」と阿茶。
ジュツは、阿茶と蝉丸を交互に見て立ちあがると二人に深々と頭を下げて、狛の小屋を出た。来るときに担いできた銭の入った麻袋が重かったので、帰り道は足が軽い。阿茶のもとに置いてきたのは銭ではなく、家原芳明でもジュツでもない、名の分からない本当の自分だった。
銭を使うことは奨励されたが、新銭がでると旧銭の価値が下がるような不安定なもので、このあと銭経済は
八月まで日照りがつづいたから、米の生育を心配して朝廷は雨乞いを熱心にやった。応天門は焼失したが五か月もまえのことなので、ふつうの日常がもどっている。
ところが八月三日。
どうじに鷹取は、娘が伴大納言の息子の従者の、
伴家の従者の殺人罪と、伴大納言親子の放火罪の二重の告訴だ。
鷹取は大初位下。最下位だが官人なので、正式に告訴してくれば取りあげない訳には行かない。まず告訴人として、鷹取を
放火事件は、八月七日から
大事件のばあいや被疑者が高官のときは、弁官局で左大弁と右大弁が事情聴衆をするのがふつうだが、右大弁の大枝音人が外されて、最初から右衛門督の藤原良縄が加わった。放火事件と殺人事件は別件で、殺人事件についての取調べは、このときはしていない。
伴善男は、告訴人の大宅鷹取が
源氏ならば見え透いた
善男のいい分は事実だったので筋が通っていて説得力があり、伴大納言は放火に関与していないと
善男と主義や政治理念を共有する右大臣の
ところが八月十九日になって、「天下の
そのあと八月末になってから、殺人事件で
さらに生江恒山の友人で、伴家に従僕として仕えている伴
取調べ官の藤原
つまり、なんでもかんでも「はい。そうです。やりました」と認めれば、地方で生きていられるが、認めなかったら寄ってたかって
殺されても
別件の殺人罪で捕えられた伴家の従者が放火を認めて、主人に命じられたと自供したから、これは証拠となる。かれらは中庸の従者だから、伴善男は息子の放火
九月二十二日に、応天門の放火事件の判決を良房が下した。
これで豪族系官僚の有力者、
この事件で、良房の弟で右大臣の
連座の罪で裁かれた
良吏、能吏をそろえて庶民を飢えや病気から救いたい、国を豊かにしたいと思う
事件は複雑に見えるが、仕掛けた方には簡単な仕組みだ。
善男と息子の仲庸の邸に勤めるものは、資人を加えれば三百人に近い。
そのなかから、性悪な男とのトラブルを抱えている気の弱そうな男を選ぶだけでいい。それが
人の心を持たず、人を物のように配置できれば、ごく単純な構造だ。
ここで
流刑地に罪人を送る車は、窓がない箱で換気がされない。罪人は木箱のなかに閉じこめられて、体をぶつけながら揺られつづける。生きていようが途中で死のうが、体を流刑地まで運べばよいのだから、あつかいはひどい。
車が止まって、しばらくして前の板が外された。光がまぶしく、そとの空気が気持ちよい。光に目がなれたときに、
冷えた水だ。飢えたように飲んでから、善男は尼僧に顔をむけた。
「
橘逸勢は、この逢坂山越えで
「道中に、少しずつ含んでください」
「
これからの道中、山道はとくに厳しいとぞんじます。
坂者ができるより、ずっとまえに、
物部氏や蘇我氏の権力者が、彼ら渡来系の技人を束ねて大王と結びつけていたが、両者がほろんだあとは、坂上氏や東漢氏や大伴氏と、束ねるものがはっきりしなくなった。
だが
そのころから部民は
ふだん部民は境界の外に住んでいて、庶民とは接触しない。地域の境界は坂の上だ。
一方、奈良坂と清水坂の
さらに朝廷はハンセン氏病の患者も坂に住まわせた。のちに規約ができるが、ハンセン氏病の患者は白い布で頭部を隠すことと、柿渋色の服を着るようにと指示されている。
それから、あっというまに各地の駅路の坂の上に坂者が現れて、汚れを
ともかく一般庶民は祓い清めてもらって、さっさとすり抜けたほうがよい人たちだ。
善男は、萎烏帽子に白い水干と袴を身につけた、ふつうの舎人姿をした老人が、流刑史たちに酒樽や紙包を渡しているのを見た。
「
身の汚れを善男に恥じさせないように、わざと離れて佇んでいた守平たちが無事を祈るように頭をさげた。
自らのことを考えず、百姓のために貯蔵米の蔵を四十棟も造った夏井は、任期が過ぎても国人たちが延期を申しでるほどに親しまれている。沿道には泣き叫ぶ人々や、拝む人々が国境まで絶えなかった。
夏井は流刑先の土佐で山野に入り、自ら薬草を摘んで薬をつくって村人たちを助けながら、その生涯を終える。
それを
天皇が、「太政大臣の良房に政を執政させる」という詔を出したあとで、良房は東一条第に戻ってきた。
「ここで子供のころから
まだ、十五、六歳の少年を見て、ジュツがうなずいた。
「身寄りがない子でな。孤児だ。口数は少ないが、まじめな子で口答えをしたことがない。
その夜、蚊帳史生は、良房から
良房は、内裏の中に
内裏に移る日が迫って来た夜に、「ジュツ。ビ」と良房が呼んだ。二人が几帳から出て控える。
「ジュツ。例のものを薬草園から取って来てほしい。ビも連れて行け。そのうちビは内裏で使おうとおもう。そのように心がけさせてほしい」
ジュツは、いつものように黙ってうなずいた。
舎人や書史たちが、部屋のなかで荷物を分けている。家令もいる。
「ジュツ、ビ」と良房が呼んだ。
昼なので部屋の隅にヒッソリと座っていたジュツが、まえに出た。良房が不振そうに周りを見まわす。
「ビは?」
「咳をしております」とジュツが答えた。二十年ちかくも側に仕えたジュツの声を、はじめて良房は耳にした。咳には
「ジュツ。こんなものが出てきた。いつ、だれに、もらったのか忘れてしまった。試飲してほしい」と良房が、昨日、ジュツが薬草園から持ってきた茶色の小壺を置いた。
ジュツは黙って小壺をとると
盛りをすぎた鉢植えの菊が残っている。そのまえに礼儀正しく座ったジュツは、小壺の封をはがして、いつも持っている
(植えておけば 秋がこないと枯れたように見えますが 根さえ枯れなければ 秋ごとに花が咲いて 花弁を散らすことでしょう)
菊によせて業平が詠んだ歌だ。
根がしっかり張っていれば、多少の霜にも日照りにもたえて、季節を迎えれば花を咲かせる菊は強く美しい花だ。
十月十五日に、
十二月になって、基経が従三位の中納言になった。
おなじ日から、右大臣の
伴大納言が流されたあとの十一月十八日に、
一連の事件のはじまりは、良相が田畑を踏み荒らすからと鷹狩を禁じたことから始まった。勅に名を借りた良房のいやがらせに、善政を夢みた良相の心は完全に壊れて、出家をねがうようになっていた。
八六六年(貞観八年)は、大江音人にとっても重く苦しく長かった。よく知っている能吏や良吏が消えてゆき、支柱となるはずの良相も傷ついて倒れた。
それにくらべれば業平がしでかしたことは、いっそ小気味よく
歳の瀬の十二月二十七日に、もう一度、音人は業平を意識することになる。
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