第十話 月やあらぬ 春やむかしの 春ならぬ…


八六一年(貞観じょうがん三年)三月十四日。

奈良の都は、にぎわっている。都が京に移ってから、はじめての盛況だ。

この日に、東大寺の大仏會だいぶつえが開かれた。朝廷は監修かんしゅうのために役人をだした。

遣わされたのは、二品治部卿じぶきょう賀陽かや親王。桓武かんむ天皇の第八皇子で皇族の長老株。業平の母の伊都いつ内親王とは、異母兄妹になる。つきあいはなかったのだが、落雷さわぎの日に近くにあった賀陽親王の邸にも雷が落ちた。それから互いに相手を認識して、季節のあいさつぐらいは届ける。

ほかには、三品中務卿なかつかさきょう時康ときやす親王。四品弾正尹だんじょういん元康もとやす親王。この二人は輿の中で急死した沢子女御さわこにょうごが遺した仁明天皇の皇子だ。



「みごとでございます。叔父上」と行平ゆきひらは、となりの椅子の真如しんにょにささやいた。

大仏殿の柱は錦の布でおおわれ、床には朱紫のジュウタンが敷きつめられている。

大盧舎那仏だいるしゃなぶつのまえに並べられた貴賓席に、賀陽親王らは腰をかけている。従四位下で左京大夫さきょうのかみの行平も、貴賓席にすわる朝廷が派遣した役人の一人だ。東大寺傳燈大法師とうだいじでんとうだいほっし安圓あんえんを中心にして百人をこえる僧が経を唱えるなかで、カゴに入った仏師が滑車で吊り上げられた。開眼式かいげんしきがはじまった。

めずらしく、きらびやかな袈裟けさをまとった総責任者の真如が、「行平」とささやいて、天井を目でしめした。その先を追った行平は、東のはりの上で仏師の乗るカゴを釣りあげる縄を、しっかり握ったサンセイを認めた。反対側の梁で、縄を握る男たちの先頭はモクミ。大仏の後ろのはりの上では仲平なかひらによく似た木挽こびきが東西南北の綱取りを指揮している。

行平は知らないが、カゴに入った仏師はサンセイの舅の慶行けいぎょうだ。

開眼式がすむと、大極殿のまえの庭につられた舞台で舞楽ぶがくがはじまった。庭には七色の宝石を実に見立てた二対の作り物の木が、東西におかれている。鮮やかな舞台の天蓋てんがいにも、みごとな造花が飾られている。

新嘗祭にいなめさいのときとおなじように、久米舞くめまいや倭舞やまとまいが、雅楽寮ががくりょうの踊り子や楽師や、宮中につかえる内舎人うとねりなどによって演じられた。それらが終わったあとで小休止があり、朝廷からの貴賓は控室にひっこんで大仏會が無事に終わるまで待つ。貴賓席が除かれて、かわりに庶民が、どっと大仏殿の前庭に入ってきた。

しばらくすると異国の音楽がかなでられて、衣装もめずらしい舞姫たちが舞台に登場した。それが次々に繰りだされる。残って立ち見していた行平は「あれ?」と眉をよせた。

楽人の出入りを差配している水干すいかん姿の男が業平に似ている?。梁の上にいた男は、仲平によく似た木挽きがいるものだなあ…と思ったが、業平に似た男がいるわけがない。業平は色白で、なよやかでつやっぽい特殊な容貌をしている。ということは水干姿の男は業平で、木挽きのような男も仲平。

人波を制御する東大寺の舎人たちのなかに、出家まえに生まれた真如の息子の安貞やすさだが見える。気分が悪くなった人を収容する救護所のなかには、やはり真如の息子の善淵よしふちがいる…朝廷は休みではないのに、ここで、なにを?

「行平どの!」と、肩がふれあうほどの人並みから声がかかった。見ると守平もりひらが、伊都とシャチ、妻の倫子りんこと子供たちと姑の元子、モクミの妻の小夜と子供たちを連れて、こちらへ向かってくる。

なぜだか行平は嬉しくなって、子供のように両手を振って歯が見えるほどの笑顔でジャンプした。


やはり朝遣使ちょうけんしとして来ている正三位の中納言で、民部郷みんぶのきょう皇太后大夫こうたいごうのかみを兼ねている伴善男とものよしおも、居残って行平の近くにいた。伴氏にとっても奈良の都は因縁が深い土地で、なんとなく避けている。

むかし奈良に都があったときに、伴氏は大伴氏と名乗って天皇につかえていた。

宮城の正門になる大伴門を作り、西に並ぶもう一つの正門の佐伯門を作る佐伯氏と共に両門を守る武人だった。大伴氏と佐伯氏が、大伴門と佐伯門に大盾おおだてを立てて、はじめて、そこが宮城となった。

善男は、参議で正三位の中納言。貴族の中でも公卿くぎょうとよばれる高い身分になった。最初に名を売ったのが上司を告訴した「法隆寺論争」なので、敬遠されることはあるが、善男はだれにも冤罪えんざいをきせていない。あの論争も不正をただしただけだから、その知性と知識と気力に信頼を寄せてくれる人たちも大勢いる。

このごろの善男は、伴氏と佐伯氏の縁者を都に移り住まわせている。散り散りになった一族に官人登用の機会を与えたいのだ。大伴氏が一族としてまとまっていた奈良の都。善男は甘酢っぱい思いを噛みしめていた。



祭りのあとの虚脱感と、興奮の余韻が残っている。

「それにしても、ずいぶん集めたな」と業平が言う。

東塔と西塔のまえに舞台をつくることはできなかったが、参道のそとに大道芸人と出店がでた。踊り子を集めて異国の音楽や踊りを指導してくれたのは、大山崎に住む白砥はくと青砥せいとだ。大道芸人は土師雄角はじのおづのと、舎人をやめて太秦うずまさに戻ったムカデこと秦能活はたのよしかつが集めてくれた。出店は、岡田狛おかだのこまの息子のごうえいが手配してくれた。

「なあ。ナーさま。ものは相談だが、ナーさまの歌を巫女みこたちに教えてもよいだろうか」と青砥が、業平に酒を注ぐ。

「わたしの歌を?」と業平。

「ああ。小野さまからは、歌を使ってもよいとお許しをもらったんだよ」と白砥。

「小野さまって、もしかしたら小野小町おののこまちさまのこと?」と業平。

「そうだよ。小町さまの恋歌を、巫女たちが歌って国中に広めるのさ」と青砥。

「わたしの歌なら使ってもよいよ」と業平。

「焼けましたよーう」とサンセイとモクミが、丸々太ったキジの丸焼きをもってきた。キジは味がうまいので、勝手に射て食べてはいけないことになっている。鮎も美味しいから庶民は食べてはいけない。子供が飢え死にしそうでも、鴨川でピチピチはねる鮎を取って食ってはいけない。

「キジを、何羽か焼く~ゥ!」と聞いて、場所は慶行けいぎょうたち奈良の仏師が歌垣山うたがきやまのうえに用意してくれた。このあたりは平城京をつくるときに瓦工房かわらこうぼうがあったので、瓦を焼くために木を伐って、いまだに木の生えない坊主の土地がある。南都は役人も少ないし、ここなら何をしようがだれにも見つからない。

小夜さよの幸せそうな顔が見れて、うれしかったよう。モクミどの」と白砥。

「モーさまのご家族にも、会えたの」と青砥。

「守平さまは、すっかり良いテテになんなすった」と雄角。

「守は、さっさと帰ったからな」と業平。

「楽しかったよ。みんな張り切っていた。これからは巫女や妓女に、歌や踊りをしっかり教えて広めるよう」と白砥。

「いつか妓女ぎじょの踊りや歌を、帝が御所望される日がくるかもしれないね」と青砥。

「天地がひっくりかえっても、そりゃないさ」という雄角の言葉に、みんなが笑う。

「みな、今夜は、うちの寺に泊まればよい」と業平。

「いいよ。わしらは、どこでも休めるさ」と青砥。

「つぎは、いつ会えるかな。おばさんさんたち。体を大切にして長生きしてよね」と業平。

「やさしいねえ。ナーさま。わしらのことなど気にするな」と白砥。

「わしらは、帝が御座なさる囲いの内を守るため、不浄ふじょうを外に追い出して、内と外の境をさすらう風の民でやすよ。いつかは人じゃあ無くなっちまうかも知れやせん。でも業さま。風のとおりがよいところなら、どこにでも、わしらの心はただよっておりやす」と雄角。跡継ぎだとつれてきた小鷹こたかが、飲みすぎの雄角の手から杯を取りあげた。

満月に近い春の月が、中天に輝いている。



大仏會が終わった三月の末。桜の花も盛りをすぎて散りはじめころの夜。

「シャチさま、みたいでしょう?」と睦子むつこが、袖をピンと張って見せた。

「なんと、いうか…」と守平は言葉につまった。

小袖をなかに入れて小袴こばかまをつけた、小柄でずんぐりした睦子の姿は珍妙ちんみょう。ヘンだ。

「守平さま。それじゃ盗賊ですよ。どこで暗色の表袴おもてばかまなどを、あつらえたのです?」と上下共に黒っぽい褐衣かちえ姿の守平をながめて、睦子のほうも首を傾げている。

「あれ。守も来てくれたの?」と出てきた業平は、薄い桜色の直衣のうしに冠を着けて、夜目にも鮮やかにはなやいで見える。足元だけは革の長靴をはいているのは逃げるときの用心だろう。

「鳴りものがいるだろう」と守平が、ふところから笛をのぞかせた。

「オッ。じゃあ、ひとさし舞えるかな」と業平が喜ぶ。

順子皇太后じゅんここうたいごうは、おられるのだな」と守平。

「昼に、たしかめた」と業平。

サンセイとモクミが、守平と業平に馬の手綱を渡す。それから睦子を馬の背に乗せるのに一苦労したが、結局一人ではムリだろうとサンセイが睦子を抱えて二人乗りをして、二つの袋を乗せた馬をモクミが引いた。

「なんだ。その荷物は」と守平が聞くと「花びらと灯明とうみょうですよ」とモクミが答えた。小道具まで用意したのか。

「睦子さま。蔀戸しとみどの上げ下ろしは手早くしてください」「分かっていますよ」とサンセイと睦子が、馬のうえで打ち合わせている。

「よい夜だなあ」と細い下弦かげんの月を仰いで、守平は言った。

「守さま。衛士えじにみとがめられないように静かにしてください」とモクミ。

「だいじょうぶだ。人が見たら百鬼夜行ひゃっきやこうと思うだろうさ」と守平が返す。

守平は三十八歳、業平は三十六歳、サンセイとモクミと睦子は四十に近いだろう。

富裕層ふゆうそうの死亡年齢が五十代の始めから中頃。人生を四季にみたてて、青春せいしゅん朱夏しゅか白秋はくしゅうげん(黒)とうに分けると、節度をもち世の模範もはんとなるべき白秋期の人々が、そろって、ほんとうに…バカだ。

「よい夜だ!」と守平は、もう一度、大きく声にだした。


その夜、伴善男とものよしお五条第ごじょうだいにいた。兼任している民部郷みんぶきょう(税務、財政局)の仕事が忙しく、順子皇太后とゆっくり会っていなかったから、ご機嫌うかがいにきて長居をしてしまった。

桜のころは雨が多い。今夜のように、さわやかな夜は珍しいからしとみを上げて酒をんでいる。

論陣を張れば向かうところ敵なしで、問われれば即答できる豊富な知識はあるが、このようなときの善男は口数が少ない。

尼僧になった順子も黙っている。二人で黙って細い月をみている。

「西の棟から物音がします」と、五条第を警備する刀帯舎人たちはきのとねりが庭にひかえた。どうじに笛の音が西の棟から聞こえてきた。

染殿そめどのほどではないが、五条第にも桜は咲いている。月と桜と笛の音。

皇太后の順子は五十四歳。息子をうばわれたいまは、怖いものなど、なにもない。

「さわがないように。わたくしのまわりを固めて、そのまま静かにひかえなさい」と舎人に命じる。順子のところから西の棟がよく見える。刀帯舎人が庭にならんでひかえた。

西の棟のしとみが、パタン、パタンとすばやく上る。部屋のなかには、すでに、たくさんの灯りが並べてある。白っぽい直衣姿の男がえりに桜の一枝をさして、笛の音に合わせて舞いだした。

どこから飛んできたのか風もないのに花弁が舞う。

「…在五さま?」と順子の女房がつぶやいた。

「あれが、在五どのですか」と順子。

「お会いしたことはございませんが、在五さまではないでしょうか。高子たかいこさまが暮らされていた西の棟で、あのように美しい殿方ですから」

舞い終えた男は、襟にさした桜の小枝を手にもって、真っすぐのばすと歌いあげた。


月やあらぬ 春やむかしの 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして

(月も違う 春も去年の 春ではない わたしだけが一人 去年と変わらない思いを 抱く身でいるというのに)


桜吹雪が一斉に舞い、素早くしとみがとじられる。

「……在五さま」「在五さま!」と西の棟に駆けだしそうな女房たち。

「まちがいないでしょう。わざわざ危険をおかして恋歌をみにくる男が、この世に何人もいるとは思えません。なかなかの余興よきょうです」と順子。

「怒らないのですか。こんどこそ、高子さまの入内がむずかしくなります」と善男。

「ここに高子はおりませんし、思いを絶てない男を払えと兄に頼まれておりません。高子の入内がどうなろうと知ったことではありません。大夫こそ、怒りもせずにみいっていらした」と順子。

「わたしにも歌人の血が、わずかながら流れております」

善男よしおは傍系だが、大伴氏には、大伴家持おおとものやかもち大伴旅人おおとものたびとの大歌人がいた。

「あらぬ、ならぬと、くりかえして、さいごに、ひっくり返す。在五さまは腕をあげられましたな。それにしても、わたしのように不細工な小男が歌ったら、気もち悪い。別れたあとまで未練がましいと、石でも投げられそうな歌ですな」と善男。

「ホホホ。でも、みごとに…心をつかみますねえ」

文徳天皇を亡くしてから、はじめて順子がほほ笑んだ。月日はうつり変わるが、わが身一人は元のままに、順子は息子をしのんで自分を責めつづけている。その順子に善男はやさしい目をむけた。五十歳になった善男も、仁明にんみょう天皇を忘れずにしたい続けている。


歌を流すときには、会っていたころの気持ちも業平はつけ足した。


人知れぬ わがかよい路の 関守せきもりは 宵々よいよいごとに うちもななむ

(人に隠れて わたしが通う道の 見張りは 夜になるたびに 眠っていればよいのに)


去年の「鬼一口」とちがって、つややかな大人の情愛の歌。いく夜もの逢瀬おうせをかさねた男女の歌だ。

このころから業平の歌は、わきあがる感情を表出ひょうしゅつしはじめる。特定の女人にむけて心をさらけだしたこの歌は、かえって大衆に支持されて口から口へと伝えられた。

高子たかいこがいる琵琶第びわだいには、兄の基経もとつねが怒りに顔をそめてとんできた。

「高子の耳には絶対入れるな!」と、さっそく箝口令かんこうれいがしかれる。

すでに高子は、わらべにたくして届けられた睦子むつこの文で、業平の歌はそらんじていて、自分の鏡をセッセと磨きあげていた。



大仏會が終わって、一か月も経たない四月のはじめ。真如しんにょの息子の善淵よしふちの邸に、在原氏の男たちが呼び集められた。

「叔父上。おつかれさまでした」と行平ゆきひら

「いやいや。仲平なかひら業平なりひら。みんな、ご苦労だった」と真如はごきげんだ。真如だけは精進の別膳だが、善淵がふんぱつして魚や肉を並べてくれている。

「なにも手伝わなかったわたしが、来てもよかったのかな」と遠慮なしに、自分で酒をそそぎながら守平もりひらが聞いた。

「大仏會の慰労会いろうかいではないぞ。わたしの送別会だ」と真如。

「送別会?」と守平。

「大仏會が、わたしの最後の仕事だと言ったはずだ」と真如。

「それは、まあ。聞きましたが…」と、竹串に刺した焼き魚をかじりながら、もぐもぐと業平が答える。

大枝おおえさまがみえました」と真如の、もう一人の息子の安貞やすさだが案内してくる。

大枝音人おおえのおとんどは、行平とおなじ従四位下だが役職がちがう。

音人は式部少輔しきぶのしょうすけ(文官の人事をする役所)で、権左中弁。そのうえ貞観格式じょうがんかくしき編纂へんさん者。貞観は年号。格式は実行したときに不備な法律を訂正し、改めて作る法律の細則のことだ。どれも実力者がする仕事で、それだけに忙しく在家の内輪の集まりに顔をみせることは、ほとんどなくなった。

「……こちらへ」と安貞が上座にうながすが、音人は端に陣どって頭を下げた。

「真如さま。ごぶさたしております」音人は五十歳。すでに上に立つ者の風格をにじませている。

「このたびは、南海道なんかいどう(四国)へ行かれると奏上そうじょうされて許可が下りたそうですな。空海くうかいさまの、ご足跡そくせきをたどられますのか」と音人。

「そのつもりだ」と真如。

「それだけのことで、別れの宴をされるような真如さまではないはずです」と音人。

「大枝さま」と善淵が改まって座りなおした。

「南海道をまわったあとで、父はとう(中国)に渡ると決めております。渡唐の許可をねがいでるのは、いかがなものかと止めておりますが。そしたら時期をみて、わたしと安貞に南海道で不明になったと奏上してくれといいます」

音人が怖い顔をして庭をにらんだ。闇が降りた庭に、若芽時の匂いがたまっている。

「安貞どの。酒を…」と、つがれた酒を一気に飲みほして、

「お一人で渡海されるつもりですか。叔父上」と音人。

「そのつもりだ」と真如。

「言葉も分からず、食も異なり、習慣もちがう。知る人もいない国へ、なぜ行かれます」と音人。

「仏の道をきわめたいからというのが、たてまえだ。じつはな。唐の国のことは師から聞かされて、ずっと、あこがれていた。橘逸勢たちばなのはやなりどのからも、いろいろ聞かせてもらった。それに、ほれ。守平の母上のシャチどのは、唐だけではなく天竺てんじゅく(インド)や羅越らえつ(シンガポール辺)もご存じだ。

聞けば聞くほど、この目で見たくなった。この国のほかに多くの国があり、多くの民がくらしている。行ってみたいのだ」と真如。

「お幾つになられました」と音人。

「六十二歳だ。今やらねば悔いをのこして死ぬことになる」と真如。

「空海さまが入定にゅうじょうされたお歳になられたからですか。一圓いちえんどのも連れずに行かれますのか」と音人。

「わたしの勝手で、一園を引きまわすことはできない」と真如。

音人は、手酌てじゃくで立てつづけに酒を飲んでから盃をおく。

「わたしは大枝に生まれて、大枝に育ち、大枝を名乗っております。まったく、あなたがた在家ざいけの方は……」と、右の拳で床をドン。

「どなたも、こなたも……」と、音人は肩を動かして息をついだ。芽生めばえのときの、モゾモゾ動きたくような香りが体の奥に広がる。音人は、その香りを味わった。

「善淵どのと安貞どのは了解されたのですか」と音人。

「父の、たっての望みです。反対したところであきらめる人ではありません。ほっておいたら勝手にいなくなりますから」

「ただ歳が歳ですから心配です」と口々に二人が言う。

新羅しらぎの情勢が、おだやかではありません」と音人。

新羅は半島の統一国だが、ずっと政情が安定していない。唐に行くには半島に上陸して陸路を通るほうがよいのだが、日本は新羅に関わらない姿勢をとっているので国交が断絶している。

「唐の商船ならだいじょうぶでしょう。乗船する船は決まっていますか。叔父上」と守平。

「いや。まだだ」

「伊勢氏のほうに頼まれますか。それとも母にさがさせましょうか」と守平。

「守平。叔父上を、そそののかすな」と音人。

「シャチどのは、まだ船党とつながりがあるのか」と真如のほうは、守平ににじりよる。

「母の兄たち。つまり、わたしの母方の伯父たちは陸に上がったようですが、わたしの従兄たちは海に生きていますしィ・・・」と守平が言葉をにごす。

「し…なんだ?」と聞く業平を無視して、

「南海道から帰られたら、母に連絡して下さい。船便をさがしておきます」と守平。

「出航の日が決まったら、善淵どのと安貞どのから、仏教修行のために渡海すると朝廷に奏上してください。そのほうが、あとの面倒がありません。わたしが、どうにかしましょう。ところで、仲平!」と音人は、はじめて目にする仲平の山人姿に向き合った。

「は…」と赤飯を口に入れたところで、仲平が頬をふくらませた顔をあげる。

「なぜかんむり束帯そくたいを……衣冠束帯いかんそくたいを身につけていない!」と音人。

「あ―」と飯を噛みながら、仲平は首を傾げてチョット考えた。

「兄上。わたしは病死したことにならないだろうか」と仲平。

音人は拳をにぎりしめたが床はたたかず、太いため息をついて手を開いた。

「死んで、おまえはどこに行くつもりだ。唐か。それとも天竺か」と音人。

「小野山の木挽こびきになる」と仲平。

「それは、また、ずいぶんと近い…なに、木挽き~ィ!」と音人。

「足を引っぱりあう宮仕えには向いていない。自然のなかで木を伐り、細工物を作ってくらしたい」と仲平。

「身分を捨てるつもりか。妻子はどうする。おまえの持っている田や邸は? まったく在家は…。仲平! 死亡届を出してしまうと復元はむりだ。よく考えてのことなのか?」と音人。

「何年も考えた。家族とも話し合った。考え抜いたすえに決めた」と仲平。

「…おまえが、どうしてもというのなら、保証人を立てて新籍をつくれ。仲平。小野山は京か近江か、どっちだ?」と音人。

「山は、またがっている」と仲平。

「氏と戸籍を申請するまえに知らせてくれ。その地の国守に声をかけておく」と音人。

「大変だな。音人も」と真如が同情する。

「言える立場ですか。父上。唐へ行ったと奏上する、息子の身にもなってください」と善淵。

「帰ってこられるかどうかも、分からないのですよ」と安貞。

「別れたときが最期だと思ってくれ。いつも、そのつもりで生きろ。わたしは、わたしの好きなことをする。心配せずに喜んでくれ」と真如。

「守平!」と音人。

「はい?」

「休んでばかりいると、職籍を失うぞ」と音人。

「子供が小さいから、しばらく育児のために休暇はとれませんか」と守平。

「そんな理由が通ると思うか」と音人。

「まあ、まあ。音兄。あまり熱くならないでください。ゆっくりしましょうよ。この一瞬も命のときです」と守平が、坊主のようなことを言って真如と顔を合わせた。

音人は頭を振りながら、胸のあたりに手を当てた。久しぶりに酔ったらしい。それを見た業平が、首から下げた自分の小袋のさきをチョイと出して微笑んだ。

「いちばんの困りものが、業平だ!」と音人の矛先ほこさきが変わる。

「ん?」

「人知れぬ 我が通い路だと。みんなが知っているぞ。なにを、どうすれば、藤家の姫との密会の歌を、都中の老若男女が大っぴらに口にして、おまえの通い路とやらを見物にいくのだ。わたしが、そそのかしたようにいわれてメイワクだ」と音人。

「太政大臣には、長良ながらどのが残した、あの姫しか入内じゅだいさせる娘がいない。右大臣の良相よしみどのには、もっと若い実の娘がおられる。母方は大枝氏だ。おまえ、すべてを計算して、あの娘にケチをつけただろう」と行平ゆきひらが、顔の片側だけで器用に笑ってみせた。

「わたしの切ない恋心が、ケチですか!」と業平。

守平が部屋のすみにおいてある琵琶をとって、ベロン、ベロンとつまびく。

「業平…わたしを訪ねるときは、表からではなく、やはり裏からしのんでこい」と、柱に寄りかかった音人は、つぶやきながら半ば夢のなか。

大枝氏の長者の音人が、怒鳴って酔いつぶれることができるのも、この血族と一緒のときだけだった。



九月一日。

二年まえに斎王さいおうに決まって野宮ののみや潔斎けっさいをしていた、恬子内親王やすこないしんのうが伊勢にむかった。恬子内親王は、文徳天皇と紀静子更衣の娘だ。

ふつう天皇一代につき一人の内親王が占定ぼくじょう(亀の甲羅を使った占い)で斎王に決められる。その多くは幼い。斎王は、伊勢神宮に奉る天照大御神あまてらすおおみかみ祭祀さいしを行う役目がある。

もともと内親王には婚姻の規制があって、斎王にならなくても独身のままで生涯をすごすことが多いのだが、とくに斎王さいおうは決まったときから家族とはなれ、身を清めて神につかえ、にんが解けたあとも静かに独居する人が多い。

幼い内親王が郡行ぐんこうして伊勢にむかうのだから、都の人たちは切なくおごそかかな気持ちで見送るためにあつまった。

千人に近い行列をひきいるのは、新しく伊勢権守いせごんのかみに任命されて、伊勢に赴任する高階岑雄たかしなのみねお。元の左中弁で音人の上司だった人で、右大臣の良相の娘の多可幾子たかいこ女御の葬儀のときに、業平も紹介されている。

はらい清められた朱雀大路すざくおうじに、静々と斎宮の行列が姿をあらわした。

十三歳の恬子やすこ内親王は、輿こしのなかで固く両手を組みあわせていた。十一歳の清和せいわ天皇が「都に戻られませんように」といってした別れのくしが頭に飾られている。

小さな窓に下げられた御簾みすを通して都の辻が見える。二条の角に来たときに、恬子は立てられた二台の車を認めて窓にしがみついた。見覚みおばえのある網代車あじろぐるまの横に、伯父の紀有常きのありつねが正装して立っている。輿のなかには、母の静子と姉妹たちがいるのだろう。再び会えるか分からない母が、そこにいる。

ならんだ新しい唐廂車からびさしぐるまの横に、正装した在原業平が立っているから、車のなかには兄の惟喬親王これたかしんのうと弟の惟条親王これえだしんのうがいるのだろう。

斎王の輿に同乗していた尚侍しょうじの源全姫またひめが、「ゆっくり」と外に声をかけて御簾みすをもちあげた。源全姫は、良房の妻の源潔姫きよひめの同母妹で、若いころから宮中に勤めている職業婦人だ。

十三歳の少女は、涙をあふれさせて見逃さないように、腹に力を入れて目を開いた。姿は見えないが、すぐそこに母や兄がいる…。二条の角はどんどん遠ざかり、やがて死角になってしまった。

赤いトンボが一羽、静子の車のほうから飛んできて、斎王の輿こし御簾みすにとまった。



「…あぶない…転びますよ」と伊都いつが、うわごとを言う。

「業平…ナリ‥ヒ‥」

「母上!」と業平。

業平が幼かったころの、夢をみているのだろう。業平は声をあげて泣いた。延々えんえんと泣いた。

九月十九日。住み暮らした長岡ながおかの別荘で、業平の母の伊都内親王いつないしんのうが五十六歳で亡くなった。桓武かんむ天皇の皇女だから、政務は三日間休みとなった。

葬儀も埋葬もおわってから、有名人として始めての四国巡礼の旅をおえて、南海道から帰ってきた真如しんにょが長岡をたずねてきた。

伊都の仏前で経を唱え終えた真如に、ゆで栗をもった皿をすすめながらシャチが伝える。

「難波の港に、唐渡とうわたりの商船が入っています」

「乗れるのでしょうか」と真如。

「はい。水も食べ物も変わります。ほんとうに、お一人でだいじょうぶですか」とシャチ。

「はい」

「内陸はわかりませんが、港には知るものもいます。いつでも頼ってください」とシャチ。その横で、業平がヨヨヨと泣き崩れて鼻をすすった。

「業平。そう、いつまでも落ちこむな。伊都さまは、じゅうぶんに生きられた。

命のあるものは滅びる。かならず別れのときがくる。おまえにも滅びのときは訪れる。木の葉が枯れて落ちるように、それを自然のことと受けとめよう。な」と真如。

「ここにも、在五さまをしたう方々が、よく見物にこられました。

伊都さまは、それを楽しまれておりました。良い息子をもった良い人生です。

遺髪いはつ阿保あぼさまのお墓に埋めにゆくと、約束なさいましたね。

さ。シャキッと、しっかりなさい! 業平さま」とシャチ。

「兄上の墓。いや考えていなかったが、兄上のほんとうの墓はどこにあります」と真如。

上総かみふさ(千葉県)にあります。

伊都さまは、阿保さまのご遺髪をご自分のお墓に、伊都さまのご遺髪を阿保さまのお墓に埋めることを望まれました。

わたしも剃髪ていはつしたいのですが、真如さま。おねがいできますか」とシャチ。

「シャチどのも髪を兄上の墓に埋めるのですか?」と真如。

「いいえ。真如さま。船から海に流してください。海で死ぬつもりでしたが、どうも守平のそばで旅立つことになりそうです」とシャチ。

「そういうことでしたら、はい。ついでに尼僧になる許しもとっておきましょう」

「格好だけじゃ、ダメですか?」とシャチ。

「まあ…。その気になったらで、手筈てはずだけはしておきます」と真如。

「それから、もし羅越らえつ(シンガポール辺)にいらっしゃることがありましたら、ここを、たずねてください」とシャチが、板の書付を押しやる。

「これは字でしょうか?」と板に書かれたノタウッタ模様を見て真如が聞く。

「はい。羅越で読み書きができる人に見せれば分かります。わたしの息子のところに案内してくれるでしょう」とシャチ。

「ヘッ!」「エッ!」と、真如と業平。

「息子って、シャチどの。守のほかに息子がおられたのですか?」と伊都が亡くなってから、後追あとおいしかねないほど落ち込んでいた業平が聞く。

「はい」

「守の兄君ですか、弟君ですか?」と業平。

「兄です」

「ってことは、わたしの異母兄の、異父兄?」と業平。

「日本の人ですか」と真如。

「羅越の人とのあいだに生まれた息子で、ずっとまえに守平も会ったことがあります。大家族の一人として育てられて、いまでは自分が大家族のおさになり、何人もの子供がいます。つまり、わたしの孫ですねえ」

ショックをいやすのは別のショックを与えるのが一番とばかり、涼しい眼差しでシャチは夕暮れの茜空あかねぞらをあおいだ。


けむりかすみになって、さまよいたいと願った奈良の帝の皇子で、高岳親王たかおかしんのうこと真如しんにょは、唐の商船で海を渡った。

外洋にでてから、シャチの髪は一房を残して海に流した。

むかしから、あこがれていた兄の妻だ。少しぐらい、もらってもよいだろう。

業平のように、秘めごとを、おおやけにするのも恋。…密かに一人であこがれつづけるのも恋・・・。

奈良の帝の孫の業平は、おなじころに喪中休暇もちゅうきゅうかをとった友達と連れだって、東下あずまくだりという関東旅行にでかける。

そのときに隅田川すみだがわの渡しで(東京都台東区業平、あるいは言問橋ことといばし付近)船を待つあいだに、カモメを小型にしたような都鳥みやこどりを見て、業平が詠んだといわれる歌。


名にしうはば いざことはむ 都鳥みやこどり わが思う人は ありやなしやと

(その名前を持つなら 聞いてみようか 都鳥よ 私の思う人は 都で生きているのか もういないのか)



つぎの年(八六二年・貞観じょうがん四年)の三月の除目じもくで、業平なりひらは従五位上に復帰した。散位なので週に三、四日ほど登庁して、あちこちに顔をだしていればよい。

大宰師だざいのそちの四品惟喬親王これたかしんのうは十九歳。大宰府には権師ごんのそちを派遣して、清和せいわ天皇の即位後にもらった左京二条三坊十六町の邸を改装中だ。

「お兄さま~。少しお休みください。白湯をおもちしました」と涼子りょうこが庭にむかって声を張りあげた。ふりむいた仲平なかひらが、両手を股でふきながらやってくる。

「まるで山で生まれて育ったようです」と業平。

「わたしはなにもできない。木地目きじめも読めなければ、かんなを平らにくこともできない」と仲平。

鉋は箱型ではなくヤリの穂先が曲がったようなものなので、平らに引くのがむずかしい。

「みかけだけは、立派な木挽こびきです」と業平。

仲平は、もとから建っている古い邸にあがらず、庭に座って仲間を呼んだ。

「業。おまえの引いた図面だが、どうもおぼえがある」と仲平。

「気がつきましたか」と業平。

「やはり内裏だいりをまねたのか」と仲平。

「一町に収まる形にしますが、もっと、まとまった良いものができるはずです。

いままでのように独立したむねがある邸とは、ちがうものになるでしょう。

ハレの場の西と東に対になる棟を建てる。ケの場はハレの場のうしろにおき、廂と渡り廊ですべてをつなぐ。屋根は檜皮葺ひわだぶきにして、大きさと反りぐあいの違うものを何層にも重ねたい」と業平が、身振りをつけて説明する。

「古邸に使われていた木材は、できるだけ使う。おまえや行平ゆきひら守平もりひらや、わたしのために、父上が初冠ういこうぶりを行ってくださった邸だからな」と仲平。

左京二条三坊十六町は、交換して官地になっていた元の阿保親王あぼしんのうの邸で、惟喬親王これたかしんのうは四品親王で大宰師。このつぎの年に弾正伊だんじょういんになって、阿保親王とおなじ軌跡を歩む。

「仲平どの。いまのくらしは楽しいですか」と惟喬これたか親王。

「性にあっているのでしょう。ほんの少しでもわざが上れば、それだけで達成感があります」と仲平。

「達成感ですか」と惟喬。

「子供のころは、昨日できなかったことが今日はできたという、喜びがありましたでしょう。あれとおなじものです。技人てひとは自分に向き合ってはげむだけで、にごりが腹にたまりません」と仲平。

「濁りがたまらないのは人柄ってやつで。わしらも人のわざねたんだりうらやんだりしておりやす」と木工の一人。

「うちの棟梁とうりょうは人をまとめるのが、うめえ」と、もう一人。

「棟梁とよんでいるのですか」と業平。

「へ」「日置ひおき棟梁とうりょうと呼んでおりやす」

「棟梁、ねえ。涼子りょうこどの。棟梁と書いてムネヤナと読むのはどうだろう」と業平が妻の涼子に話しかける。

いつまでも生活臭を感じさせない業平も、もうすぐ息子が元服する。

「もしかして、阿子の名ですか?」と静子。

「そうらしいですね。静子お姉さま。うちの歌よみは、切ない恋心は言葉になるらしいのですが、息子の名もひねりだせない甲斐性かいしょうなしです!」と元祖「山の神」の涼子が、意地の悪い表情をつくって業平をにらみつけた。

痩せて寂しげだが、くったくなく静子が笑った。

一方、真如しんにょの息子の善淵よしふちは、庵のあとに真如が建てた寺を直したいと許可をとって改装中だ。寺は超昇寺ちょうしょうじという。不退超昇。煙か霞か……退しりぞかずえてる。

息子や孫息子が造り、娘や孫娘が維持費にと田を寄付した不退寺と超昇寺に挟まれて、奈良の帝とよばれた平城へいぜい天皇の山桃陵やまももりょうがある。



八六三年(貞観じょうがん五年)。

清和せいわ天皇は十三歳。成人がせまってきた。

去年の暮れから、咳逆病がいぎゃくびょう(インフルエンザ)が流行り、正月早々に、源さだむと、源ひろむが亡くなった。

寒気がするので自邸にいる左大臣の源まことは、夢中になって馬の絵を描いている。好みは鷹狩と武芸だが、絵は馬の絵がうまい。のんびり歩く馬、走る馬、よく知っているから、見ないでも筋肉のうごきが描ける。

源氏の六郎のさだむは、百済王慶命くだらおうけいめいの子で嵯峨院で育ったが、十八歳で参議さんぎになってからは、信と行動を共にしていた。

源氏の二郎のひろむは、それこそ幼いころから、おなじ邸で育った弟だ。

つづけて二人を亡くした信は五十三歳。清和天皇が元服すれば良房よしふさは引退するはずだし、やっと左大臣が最高位になると思っていたのに弘と定という両翼を亡くした。二人は弟であり、左大臣の信を助ける大切な大納言だいなごんだった。

なぜ良房が病になって死ななかった。このままでは病にしろ暗殺にしろ、つぎに命を失うのは自分だろう。眼を血走らせて信は馬を描きつづける。



太政大臣だじょうだいじんという特別職を除くと、閣僚かんりょうの一番上は左大臣。つぎが右大臣。その下に大納言が二人。その下に中納言が三人いる。大臣は大納言から、大納言は中納言から選ぶ。中納言の下に三人の少納言がいるが、これは若く、侍従もかねていて八省の官人になることが多い。

この序列による階級とはべつに、参議さんぎがいる。

大納言の弘と定の死で、源氏の次期大臣候補がいなくなった。いまの中納言は、平高棟たいらのたかむね、藤原氏宗うじむね伴善男とものよしお。この三人の中から大納言が選ばれるはずだが、これが、なかなか決まらない。

インフルエンザで亡くなったのは弘や定だけではなく、栄養が悪く抵抗力のない庶民が多数亡くなった。官僚も何人か亡くなったので、二月の除目じもくは異動が目立った。

大枝音人は右大弁うだいべんになり、業平は左兵衛権佐さひょうえのごんのすけになった。若いころに仁明天皇の蔵人ころうどになってから、ずっと散位だった業平は、三十八歳ではじめて職務についた。



桜も散った四月のはじめ、細い月をながめながら、在原業平ありわらのなりひらと、在原善淵よしふちと、紀有常きのありつねは、侍従所じじゅうどころで世間話をしている。三人そろって次侍従じじじゅうになったからだ。

業平と紀有常は、清和天皇の対抗馬とみられていた惟喬これたか親王の親族で、惟喬親王と親しい。善淵は業平の従弟。有常は五十歳、善淵は四十一歳、業平は三十八歳。いわくつきの中高年を次侍従にしたのは、太政大臣の良房が、惟喬の取り巻きに不穏分子ふおんぶんしはいないと判断したいるからだ。

「お召だとうかがったのですが、ご下問かもんもないので、そろそろ引きあげてもよろしいでしょうかね」と善淵。

「せっかくの春ですから、ちょっと飲みたいですねえ」と業平。

「ここでは、いけませんでしょう」と善淵。

「ほんとうに、あったのですか?」と有常。

「なにが」と業平。

「鬼の足跡ですよ」と有常。

「はい。はい。見てはいませんが、人の三倍はある大きさだったそうです」と善淵。

「足跡だけなら、つくれましょうに」と業平。

正月に、侍従所の庭に鬼の足跡が残されていたそうだ。ただいま宮中では、たたりと、もののけが活性化している。

「見たかったですねえ」「ええ。見たかったです」

「ここに、朝まで居なければいけないのでしょうか。忘れられたのでは…」と業平。

「もうすこし待ってみましょう。業平どの。女房の壺などを、さまよわないでくださいよ」と善淵。

「叔父上から、便りはないのですか」と業平。

「唐を出て天竺てんじゅく(インド)にむかう途中で、羅越らえつ(シンガポール)に寄ったようです。そこまでは便りがありました」と善淵。

「羅越ねえ」と業平。

「帰ってくる気はないようです」と善淵。

「真如さまは、六十四歳になられますね。いまごろ南の国で夜空を見ておられるのでしょうか」と有常。

「先日、父に田をたまわりました。まだろく(給料)もいただいていますが、返上したほうがよいのでしょうか」と善淵。

「いけません」「いただけるものは、おとなしく、いただきましょう」

「叔父上がいらした大仏會だいぶつえのころが、なつかしいですね」と業平。

「庶民も参加できる祭りが、また、あればよいのですがねえ」と有常。

有常は、たくさんいる妹や娘や姪を藤原氏とむすびつけて、我が行く道は歌の道ときめている。善淵は「五十歳になったら出家しますから、それまでは官吏として働かせていただきます」と、はじめて位階をもらったときに奏上そうじょうしている。恋の歌詠みとして有名すぎる業平は、それが出世のじゃまになる。

する気やる気がない三人のおじさんを、宿直とのいの若い侍従や次侍従が遠くからながめている。きれいな絵が描かれた檜扇ひぷぎをパラリと開いて、業平がしなやかに身をひねって声をかけた。

「ねえ。そこのお若いかた。帝がお休みになられましたら退散しますので、知らせてくださいませーぇ」



庶民も加われる大きな催しがあればと、だれもが思っていたようで、五月十日に、天皇が花見やうたげに使っていた左京三条一坊にある神泉苑しんせんえんという八町の広さの庭園で、大々的な御霊會ごりょうえが行われた。

祟り神と恐れられる人々の魂をしずめる催しもので、祟り神は非業ひごうの最期をとげた貴人たちだ。

おめでたさや楽しさには欠けるが、ふだんは覗くこともできない神泉苑のなかに庶民を入れるという。

清和せいわ天皇が出御しゅつぎょし、花や果物で飾られた六つの霊座りょうざのまえで僧侶が経を唱える。そのあとで子供の舞いや歌が演じられた。

天皇と太政大臣と左右大臣と大納言や中納言などの公卿が引きあげたあとで、神泉苑の各門が開かれて下級官僚や庶民が入ってきた。

「大枝さま。どうして、この六霊ろくれいが選ばれたのか、ごぞんじですか」と真剣な眼をした青年がきいている。

道真みちざね音人おとんどどのはお忙しい」と菅原是善すがわらこれよしが息子をたしなめた。

従四位下で文章博士もんじょうはかせ弾正大輔だんじょうだいほをかねる菅原是善これよしは、いまや国で有数な学者だ。

五十二歳になった大枝音人おおえのおとんどは、従四位下で式部少輔しきぶのしょうすけ右大弁うだいべんをかねている。政治のかくをまとめている実力者だから、だれかれとなく引きとめられて、まだ残っていた。

「今回は、藤原基経もとつねさまと、藤原常行つねゆきさまが実行委員長ですから、わたしは、くわしいことを知りません」と音人。

基経は長良の三男で、太政大臣の良房の猶子ゆうしで、高子たかいこの実兄になる。常行は右大臣の良相よしみの嫡男で、二人は同じ二十七歳。つぎの時代の政治をになう若きエリートだ。

菅原道真が知りたがるように、このたび奉られた六霊は、いつもと一味ちがっている。

祟道すどう天皇(早良さわら親王)は常連で、謀反むほんの罪をきせられて投獄され断食して餓死した。祟道天皇を死においやった被疑者ひぎしゃは兄の桓武かんむ天皇だが、ほかの五霊は目新しい。


平城天皇の即位の後に、謀反の罪で投獄されて水と食を与えられずに餓死した伊予親王いよしんのうと母の吉子きちこの霊も奉られている。この母子に罪をきせて死なせた被疑者は、良房の祖父の内麻呂うとまろと父の冬嗣ふゆつぐだ。

近い霊では、流刑地に送られる途中で衰弱死した、橘逸勢たしばなのはやなりも奉られている。皇太子を入れ替えようとして逸勢を追いつめた被疑者は、いまの太政大臣の良房だ。

従者に訴えられた文屋宮田麻呂も奉られた。この御陵會から三か月後に、官に没収されていた宮田麻呂の財産は、なぜか藤原氏の菩提寺の貞観寺じょうがんじのものとされる。

もう一霊。古いがはじめてまつられた霊がある。平城へいぜい天皇をかばって投獄されて、射殺された藤原薬子くすこの兄の仲成なかなりで、平城天皇を退位に追いつめたのは、良房の父の冬嗣だ。

これらの霊が恨んでいるのは、内麻呂、冬嗣、良房とつづく藤原北家だ。良房の孫になる清和天皇に災いがおこらないようにと、天皇の成人のまえの厄払やくばらいに、この御霊會はひらかれた。

しかし現役の天皇が非業の死を遂げたと認められないから、一番先に祀って崇めるべき文徳天皇の霊基はない。霊基はないが、そのことは庶民でさえも知っていた。


藤原仲成の霊基れいきに目をやった音人は、そこに左兵衛さひょうえ業平なりひらを見つけた。左兵衛は天皇の警備をして内裏にもどったが、神泉苑しんせんえんを閉めるときのために一部は残ったのだろう。

背中に二十本の矢をさした「やなぐい」を背負い、太刀をつけて弓を持った武官の正装で、女たちがまわりを囲んでいる。

「おや。在五どのだ。おいくつになられました。かわらず妖しく美しい」と菅原是善が言う。

目線を感じたのか、業平がゆっくり体をしならせて、音人のほうに向きをかえた。

遠いので音は聞こえないが、業平が動くと、まわりの女の一人、二人が、ヘナっとしゃがむ。あのバカが!と眉をしかめるところだが、音人は目のまえの青年と業平を、ついつい比べてしまった。

去年、文章生試もんじょうしけんを及第した、是善の三男の菅原道真すがわらのみちざねは十八歳。まっすぐな眼をして音人を見ている。十八歳のころの業平は…。急に音人はストンとに落ちた。

神泉苑は、萌える若葉にいろどられている。枝は天にむかって広がり、いまは夏の香りを放って生き生きしているが、いずれ冬枯ふゆがれると広がりすぎた枝は折れるだろうし、木も倒れるかもしれない。

大池から流れでる曲水は、やがて江にたどりつき、大海の一滴になる。

道真は木で、業平は水。道真は直線で、業平は曲線。

「でも、この六霊をえらぶ基準はあったのでしょう」と、まだ道真が聞いてくる。

この子は遊びがなくて融通がきかない。右大臣の良相にも、そういうところがある。

チラッと音人に目礼をして、守平もりひらがそよ風のように橘逸勢たちばなのはやなり霊基れいきに近ずいた。

そこに一人の尼僧と守平の妻の倫子がいる。倫子は紹介してもらっているから、もしかすると連れの尼は話に聞いた玲心れいしん。逸勢の孫娘ではないだろうか。

ここに奉られている祟り神には、まだ身近な親族が生きている。

業平など、奈良の帝をかばった仲成だけでなく、伊予親王は伊都の母方の従弟。吉子は伊都の叔母だ。

そんな入り組んだ人間関係のなかで、ほとんどの祟り神を生みだした良房の血をつぐ幼帝が成人する。

神経質に理屈をならべる道真がうるくなって「お話は、いずれ、ゆっくりと」と音人は場所をかえた。

この青年が何十年かのちに日本屈指の祟り神となり、やがて学問の神の「天神さま」として奉られていくことなど、知るよしもなかった。



業平なりひら」と従四位下で大蔵大輔おおくらのたいふ・だいすけ(大蔵省次官)の行平ゆきひら左兵衛さひょうえに顔をみせた。

「なんでしょう。兄上」

右獄うごくで騒ぎがあったと聞いたが、どうなっている?」と行平。

ごくは刑務所で、左右検非違使庁さゆうけいびしちょうが治める左右の獄は宮城の外の二条にある。ここに兵衛が二人ずつ応援に入っている。

七月二十六日。右獄に配置された右兵衛の兵が囚人に傷つけられた。武官出身の行平は気になったのだろう。

「これから六衛府ろくえふが、内裏を固めます」と業平。

「どうも治安が悪すぎる。あの御霊會が、かえっていやな記憶をよみがえらせたのかもしれない」と行平。

警護していたにもかかわらず、七月二十九日に、三十人の囚人が集団脱獄をした。すぐに兵をだして追ったが一人もつかまえられなかった。治安が悪いのに、朝廷の警備は手薄で統制がとれていなかった。



十月末になって、清和天皇が太政大臣の良房の六十歳(満五十九歳)を祝う宴をひらいた。数々の祝いの品が天皇から良房に与えられる。

清和天皇の贈り物は六十にちなんだ六品そろえ。衣装も天皇が召されたものが六品。貴人が贈る祝いの品は、新品よりも身につけられていたものや、使われていた中古品のほうが、ずっと価値がある。

良房の私用人も贈位された。この宴には良相よしみの次女の多美子たみこも来ていて従四位下をもらった。入内させるつもりだった基経もとつねの妹の高子は、もともと年上だったし業平との恋の噂が知れ渡っている。

高子も多美子も良房にとってはおなじ姪で、弟の良相でも甥で猶子の基経でも、どちらが藤原北家をついでもいいような気に、このころの良房はなっていた。ただ不安なのが、良相が清く正しく、まじめにすぎるところだ。



十一月の新嘗祭にいなめさいのあとで、明子あきこが父の良房の六十歳の祝いのために染殿そめどので三日に渡る斎会さいえ(僧を集めて無病息災を祈る催し)をおこなった。主殿寮しゅでんりょうに狐の死骸があったので、この年の新嘗祭は地味だったが、明子の斎会には親王から五位以上の官人が参列して、出物でものをもらった。


十二月に中務省なかつかさしょうから出火した。火は広がらずにすんだが、帝がくらす東宮とうぐうに近い建物だ。失火か放火かは分からないが、ともかく警備はおろそかだ。仁明天皇が崩御され良房が実権を握ってから、十三年が経っている。その間に、太政官を始めとする朝廷の規律が緩んでしまっていた。


十二月の末に、明子は、こんどは良房の六十を祝う盛大な宴を染殿でもよおした。

親王や公卿くぎょうや主だった高官が祝いに訪れる。酒肴しゅこうが出て、音曲がかなでられる。今回も絹やふすま(ふとん)などの、豪華な祝い返しが用意されていた。自家の祝いごとに集まった貴族に、豪華な大盤おおばんふるまいをするのが良房流だ。貧者に炊きだしをするよりも、ずっと実利的だ。

夜もふけて人気がなくなった染殿に、良房はのこっていた。都の冬は底冷えがする。

「お父さま。おつかれになりましたか。横になられたらいかがです」と明子が言った。

「いや。あなたがお休みになるまで付いておりましょう」と良房。

「ご無理をなさらないでください。いつまでも、ご息災であられますように」

「ありがとう。明子さま。なにも思い悩まれませんように、安心してゆっくりおやすみください」と気遣いながら、良房はさりげなく明子の襟足えりあしを覗いた。白い肌に赤いみみずのような、ひっかき傷がふくらんでいる。

「お父さまも…」と片頭痛へんずつうをこらえて、明子が微笑みながら言う。

この二か月、明子は清和せいわ天皇の母后としてのつとめをはたした。

こんなに長く緊張を維持したのは、はじめてだ。ホッとしたとたんにこわれてしまうにちがいない。頭が痛い…吐きそうなほど頭が痛い。

スッーと壊れるのなら楽なのに…。壊れてしまえば鈍くなる。ダンゴムシのように丸くなって、ただ転がっていればいい。でも壊れるまえに、火がついたように気が高ぶったり、ドスンと落ちて死にたくなったりする…その揺れが怖い。いつから、こうなったのだろうか…母に似てきたのだろうか…痛い。頭が痛い。

「お父…」と明子。

「どうしました。明子さま」と良房。

「なんでもありません。大丈夫…すこし頭痛がして…」と明子。

「明子さま。明子さま。どうされました?」と良房。

「頭が…いたい。気持ちが…わるい…」と明子。

「桶を持って来なさい」と良房がそばの女房に言いつける。

「…だれ…わたしのお父さまは…だれ」と明子。

「さあ、吐きなさい。戻してしまえば楽になります」と良房が背中をなぜる。胃の中のものを吐き出すと、明子は肩で息をしている。

「…虫が」と明子。

「虫。どこに?」と良房。

「ここ。這ってる…何百も…何千も…アリが…イヤ。イヤ とって。たすけて…何万も…アリ…たすけて」と着物の上から自分の太ももを引っ掻いていた明子が、自分のむき出した腕や喉に爪を立てて掻き始める。

「皇太后さま。皇太后さま! しっかりなされ。気をしっかり持ちなされ。

お狐さまだ。暴れないように押えて。そっと傷つけないように」と良房。

女房が、明子の腕を押えようとした。明子が、それを払って立ち上がった。

「…古子こし。どうして、あなたが、いるのよ! 

お子もないあなたが、どうして正一位をいただいたの。帝に呼ばれもしなかった、あなたが、なぜ正一位になったの?」と明子。

「明子さま。だれもおりません。落ち着きなさい。この父が付いています。

気をしっかりお持ちなさい。コンなどという女狐なんかに惑わされてはいけません」と良房。

「なぜ、ご褒美をいただいたの? 古子。なにをしたご褒美なの? あなたが帝を殺したの? あなたが帝を殺したの? 出ていって。染殿から出ていって。でないと、あなたなんか壊してやる。ぶっ壊してやる! 何度も何度も叩いて壊してやる。叩いて、叩いて」と明子が、なにかをもちあげて振り下ろすような仕草をする。そしてフラッと倒れた。 

「気を失われた。皇太后さまを御寝所にお連れして、いつものように休ませてください。息を塞がないように、顔の向きを確かめてください」と良房が、染殿の女房たちに命じた。























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