第八話 抜き乱る 人こそあるらし 白玉の・・・


八五〇年(嘉祥かしょう三年)


三月二十五日。

仁明にんみょう天皇が崩御ほうぎょされて、四日しかたっていない。

良房の邸の側番舎人そばばんとねりで、良房にはジュツと呼ばれている家原芳明いえはらのよしあきは、左京北辺四坊にある染殿そめどのの舎人の控えどころにいた。


大臣の封戸ふうとは二千戸。いまは空席だが太上天皇だじょうてんのうの封戸も二千戸。太皇太后だいこうたいごう皇太后こうたいごうは千戸。

良房よしふさは右大臣だから国で一番の高給取りなのに、亡父の冬嗣ふゆつぐに与えられていた封戸や所領を、これまでの功績をみとめて自分のものにしてほしいと奏上そうじょうするほど強欲だ。

大きな邸を建てるのも好きで、いまは左京三条二坊の閑院かんいんのとなりの、左京三条三坊に東三条第ひがしさんじょうだいを作って、そこに住んでいる。

隣り合った閑院と東三条第は、東西に通る小路をつぶして、それぞれが二町(三万平方メートル弱。約九千坪弱)の広さがある。南北の縦路をつぶして邸を四町に広げないのは、大臣の邸の大きさは二町までという規制があるからだ。

このすぐ北西に嘉智子太皇太后が住んでいた冷泉院れいせいいんがあるが、これは天皇の後院ごいんだから南北の縦路もつぶして総面積が四町より広い。

そのほかに良房は、いままで住んでいた東小一条第こいちじょうだい染殿そめどの五条第ごじょうだいと一町の広さの邸を三件も所有している。このうち五条第は妹の順子が、染殿は娘の明子が使っている。


百本の桜を植えた染殿は花盛りだ。ほのかなはずの桜の香りが、ここでは密にする。ジュツは眼を閉じて花の香りを楽しんでいる。すでに一刻ほどまえから邸のなかが騒がしい。そろそろだろうと思ったときに、染殿の家令かれいが入って来た。

「皇子でございます。元気な皇子でございます。

母子ともに、お健やかです。さあ、はやく、お知らせください。

それぞれのお邸には、こちらから知らせをやります」と高揚こうようした家令が言う。

ジュツは黙って頭をさげた。それから古い麻布あさぬのを細くさいて編んだ手づくりのわらじをとりだした。それを足にくくりつけながら土にのびた影を見る。晴天の日は、影で時刻が分かるから便利だ。

今日は仁明にんみょう天皇を深草ふかくさ山陵さんりょうに埋葬する日だ。帝の葬列そうれつ朱雀大路すざくおおじをすぎて、都の外にでているころだろう。

染殿は都の最北東にある。ジュツは土御門大路門つちみかどおおじもんから都をでると駆けはじめた。伏見稲荷ふしみいなりまで約十キロ。そこで葬列を待つつもりだ。

在位のままで崩御した天皇は、平安京の桓武かんむ天皇と、平城京の称徳しょうとく天皇だけで、どちらも前後に事情があった。

だから称徳天皇のときは、皇太子の光仁こうにん天皇は葬列に参加しなかった。その先例があるので、道康皇太子みちやすこうたいしは加わっていないが、右大臣の良房は葬列に加わっている。

良房の供をしている昼の側番舎人で、シンと呼ばれている壬生久巳みぶのひさみが、伏見稲荷のまえにいるジュツに気がついて列を離れてきた。毎日、交代のときに顔を合わせている。

「皇子さまでございます。母子ともに、お健やかです」とジュツが伝えた。

輿こしのなかで知らせを受けた良房は、しばらくして腹をふるわした。

良房は、悲しい、苦しい、うれしいというような、もろもろの感情になれていない。必要に応じて笑みはつくるが、心から笑ったことも、怒ったこともないので、腹をよじって笑うことを知らない。それでも不思議なことに腹だけがヒクヒクとふるえる。

仁明天皇を深草の山陵に送る日に、明子が次期天皇の皇子を生んだ。

まさに天の配材だ…ツキがある。


葬列は深草まで行って法要をするから、良房が邸に戻ってくるのは遅くなるだろう。ジュツは昨日の昼から寝ておらず、夜は身じろぎもせずに良房のそばにひかえていた。十キロ余りを走って、五キロ近くを歩いてもどったから、帰りは七条から都に入り西洞院大路を北に上がる歩きやすい路を選んだ。

雑色ぞうしきのころ、くりやの買いだしの荷物持ちで東のいちに来たことがあるが、このあたりにくると、いつも気持ちが悪くなった。

いまも足が定まらない。場所が悪いのか、それとも疲れたからか、と思いながら下を向いて歩いていたので、前からきた男にぶつかってしまった。

「気をつけろい!」

「すいません」

たぶん六条あたりだ。あやまってから歩きだそうとしたら、足の感覚がなくなって動かない。ジュツは、その場にしゃがみこんだ。怒鳴った男がもどってきた。

「どうした。気分でも悪いのかい」

「大丈夫です。すいません」

「ひどい汗だ」

「すいません。大丈夫です」

「今日は、近衛このえ衛門えもん兵衛ひょうえ京職きょうしょくも出そろって警護をしている。怪しまれるといけない。店も閉めてるから、うちで休んでいっちゃどうだい」

「大丈夫です。どうぞ行ってください」

「来な!」と勝手に腕をとられたので、放そうと両手を振りまわしたが、空気をかきまわしただけだった。

「いやだ!」ともがいたが、空いている方の腕もだれかにつかまれて、しばらく引きずるように運ばれて、ジュツは暗い家の中につれ込まれた。

頭がボーッとして事情がよく分からない。

耳が走ったあとの心臓のようにドクドクして吐き気までする。

ひんやりした板のうえにころがされて、逃げだそうと思ったが体が動かない。

いきなりまぶたを指でつままれて老人の顔が映った。ジジイはジュツのあごに手をかけて口をこじ開けた。

「水を、たっぷりやってくれ、それから欲しがるだけ塩をやれ」とジジイが言った。

このジジイを知っているような気が…頭が混乱している。

ひしゃくで無理に水を飲まされた。半分は口からこぼれたが何回も水を飲ませようとする。そのあいまに口の中にザラっとしたものが突っこまれる。塩といっていたが塩っぽくない。なにを飲ませているのだろう。

「おい。阿茶あちゃ。寝かしてやれ」

アチャ。……あちゃ……かあちゃ……かあちゃん。そうだ。このジジイは、あのときのジジイだ。なんだ。夢のつづきなのか。

目覚めようともがいているつもりで、ジュツは気を失った。

「かあちゃん。かあちゃん……」

かあちゃんは答えてくれない。もう、ずっと、かあちゃんが動かない。ゆすっても、たたいても動かない。やわらかくて暖かい、かあちゃんの体が固く冷たくなってゆく。

ネズミがきた。最初は恐る恐るネズミが一匹、顔をだして、かあちゃんに近寄ろうとするので、手を振りまわして追い払った。でも一匹が二匹、二匹が三匹。追い払っても追い払ってもネズミがくる。かあちゃんを食おうとネズミがくる。ネズミが、かあちゃんをかじって、かあちゃんの顔をかじって……。

ジュツは、ときどきうめいて、そのときだけ目が覚めた。


「居合わせてくれて助かった」と岡田狛おかだのこまが、代書屋だいしょやのホウに言った。

「悪い病じゃないのかい?」と狛の息子のごうが聞く。

ジュツが、ぶつかった男だ。東の市の外町にある遊亀楼ゆうきろうという狛のもつ妓楼ぎろうのなかだ。帝を埋葬する日だから、もちろん商売はしていない。外町も人通りがなく静かなものだ。

「うつるような病じゃない。目を覚ましたら、さいごにションベンをしたのは、いつか聞いてみろ」とホウ。

「なんだい。そりゃ」と狛の次男のえい

狛には息子が三人いて、長男のごうは廓をまかされ、次男のえいは東の外町でめしやを、三男の犬丸いぬまるは在原家の牛飼うしかわらわをしている。

「おそらく飯も食わず水も飲まずに一日以上、働いたのだろう。水気が体から抜けている。こんどからは、ときどき塩をなめて水ぐらいは飲めと言ってやれ。

起きてションベンが出来るようになったら、帰して大丈夫だ」とホウ。

「上物の布でこしらえた水干すいかんはかまをつけているから、どこかの邸づとめだろうに、ひでえ使われかただな」と栧。

「もしかしたら…あの口元の傷を、まえに見たような気がする」とホウが思いだそうとする。

「知っている男かい」と狛。

「ン。あれは崩御ほうぎょされた帝が、即位されたころだったかな」とホウ。

「そりゃ、ずいぶんと古い。十四、五年も前だろう」と狛。

「あのころは世の中が、ひどかった」とホウ。

「いまだって、ひどいさ」と狛。

京識きょうしょくの役人が、口元と鼻をネズミにかじられたガキを抱いて来た。なんでも母親の遺骸いがいにすがりついて倒れていたそうだ。

まだ息があったので、しばらく面倒をみた」とホウ。

「ネズミにかじられたガキなぞ、めずらしくもない。たしかに、その子なのか」と狛。

「そう思ってみりゃ幼顔の面影がのこっている。阿茶あちゃ。あいつは寝たかい」とホウが、水を汲み代えにきた妓女ぎじょに声をかけた。

「ああ。うなされているがね」と妓女が答える。

きりょうは並だが、しっかり者で、琵琶びわを上手くだ。習いごとが上手くなるのは、しんがまじめな努力家なのだろう。

「寒がったら温めてやってくれ。人肌ひとはだがよかろう」とホウ。

「だれがだいを払ってくれるのさ」と阿茶。

「それ。看護代かんごだいとして十文だそう。女に手をだす元気はないさ。

どうせ、しばらく店は休みだろうが」とホウ。

「ケッ!」と言いながら阿茶が小銭を取って行ってしまうと、ホウがつづける。

「あの子なら、京職の役人が頼み込んで、ある邸の童雑色わらわぞうしきになったはずだ。その邸ってのが…」とホウは首筋をかいて目をこすった。

「どこだい?」と狛。

「十文」ホウが、すっと手をだす。

「チッ!」


うなされて覚醒かくせいしたときにジュツは阿茶あちゃを見た。

「かあちゃん」とジュツ。

「どうした」と阿茶。

「来てくれたの……」とジュツ。

「寒いかい」と阿茶。

「……かあちゃん。来てくれたの。来てくれたの。かあちゃん」

「さあ、ゆっくり休みな」

阿茶は横になってジュツを抱き寄せた。ジュツは子供のように阿茶の胸に顔を埋める。母ちゃんが冷たく固くなってから、はじめてジュツがふれた人肌の温もりだ。なつかしい母ちゃんの温もりだった。めずらしくジュツは深い眠りに落ちた。


「右大臣の邸か」と狛。

「とくに人使いが荒いとは聞いてないがな」と次男の栧。

「そういや、染殿そめどののお方が産み月を迎えられているから、生まれたとか」と長男の剛。

「右大臣は葬列に加わっているから、知らせに走ったか」とおやじの狛。

「一度、聞いてみたかったのだが、狛さんよ。おまえさん、だれのために噂をあつめている。帝が市籍人ししゃくにんを召されて噂の出処でどころを調べることなど、もう二度とないだろうによ。つぎの帝は右大臣の甥だ。なにかい。藤氏のために働く気かい」とホウ。

市場調査しじょうちょうさ、マーケティング・リサーチは聖武しょうむ天皇のころから重宝ちょうほうされている。民間の情報収集機関として、市籍人は租税を免除されて妓楼の営業を許可されている。

「わしらは帝のためにいる。藤氏のためじゃない。ただクセってやつが抜けねえのさ」と狛。

「それで、在五どのに入れ込んでいるってかい」とホウ。

「ありゃ別口だ。ただ楽しいのさ」と狛。


何日か後の昼に、ジュツは遊亀楼ゆうきろうへ礼にきた。

それから月に一度か二度、阿茶あちゃのもとに通うようになった。いつも来るのは昼で長くはいない。

「十文!」と阿茶が値切ってくれた。

「おのれを切り売りする気かい」と剛。

「どうせ、店が開くまえのチョンのの看護代だよう」

「いつから、おれっちが治療院ちりょういんになった」と剛。

「目くじら立てちゃ、男がくさるよ。おやっさん」と阿茶。

妓女ぎじょが相手だから自然と男と女の仲にはなったが、じっさいのところジュツは阿茶のもとに、いっときの安眠を求めてやってくる。阿茶はジュツを抱いて寝るうちに、ほんとうの子を産んでみたくなった。何度もきだしでいるからムリかもしれないが、こんどはらんだら産んでみよう…っか。

 


仁明天皇のご遺体をおき去りにしてまで、神璽しんじ)・宝剣ほうけん符節ふせつ鈴印れいいんなどの神器を押さえたから、道康皇太子の即位はゆるがないが、即位するまでのあいだは天皇が不在になる。

仁明天皇の初七日、二七日ふたなのか三七日みなのかは、七か所の寺(紀伊寺、寶皇寺、來定寺、拜志寺、深草寺、眞木尾寺、檜尾寺)に、皇嗣系こうしけい公卿くぎょう勅使ちょくしとしてだして供養をたのんだ。

左大臣、右大臣、大納言、中納言、参議の太政官たちは法要どころではない。皇太子が即位するまえに、決めなければならないことがある。

内裏も宮城もけがれをきらうから、仁明天皇が崩御された清涼殿せいりょうでんをどうするのか。道康皇太子が即位すると、どうじに発表したい皇后こうごう皇太子こうたいしは、だれにするのか。仁明天皇の四十九日の法要をしなければならないが、どこでするか。

「いままで皇太后こうたいごうとお呼びしたのは、皇后に立たれた方だけです」と小野篁おののたかむらが言った。道康みちやすが即位したあとの、母の藤原順子の呼び名を決めている。

「幾百年にもおよぶ長い皇室の歴史のなかには、皇后所生でない帝もいらしたのではないか。帝の母后を皇太后とするのに、なんのさわりがある」と源氏の一郎の源まことが、怒りの混じった声で反論した。

順子に肩入れをしているわけではない。異母弟で左大臣のときわが体調をこわして休みがちなので、源氏の代表としての権威けんいをしめしたいだけだ。

「皇后を名乗られたのは聖武しょうむ天皇妃の光明皇后こうにょうこうごうさまが最初で、百年と少しまえでしたかな」と、のんびりした口調で藤原長良ながらが言った。

良房の同母の兄だが、ずっと弟に先をこされている。それを気にしている風もない。良房との差は不動産を比べても、長良は琵琶第びわだいという一町の邸をもっているだけだから、はっきりしている。

「歴代の皇后と皇太后についてのご説明を。伴どの」と良房よしふさが指名した。

太政官の会議で、こんな初歩的なことに説明がいるのがおかしい。

ときわが源氏を代表していたときは、とどこおりなく進んだが、信が発言するようになってからは余計な手間がかかる。それを良房はとめようともしない。

伴善男とものよしおが疲れたような声をあげた。

「歴代の皇后は、聖武天皇の光明皇后を初代として、光仁こうにん天皇の井上いかみ皇后。この方は内親王ないしんのうでしたが廃されました。桓武かんむ天皇の藤原乙牟漏おとむれ皇后。若くして亡くなりました。平城へいぜい天皇の藤原帯子おびこ皇后。皇后位を賜ったときは、すでに故人で、お子もおられません。嵯峨さが天皇の橘嘉智子たちばなかちこ皇后。いまの太皇太后だいこうたいごうさまです。淳和じゅんな天皇の高志たかし皇后。内親王で、お子は多くありましたが、この方も故人となってからの遺贈ついぞうです。淳和天皇には、もう一人、正子まさこ皇后がいらっしゃいます。いまの皇太后です。

わが国で皇后になられた方は七名。その内のお二人は亡くなってからの遺贈で、お一人は廃されました。もうお一人は皇太子が即位なさるまえに亡くなられました。

唐律とうりつでは、皇后が天皇の母后となられたときに皇太后にします。

皇后に立ち天皇の母后となられたのは、光明皇后と嘉智子皇后のお二人だけです。

皇太后も光明皇太后をはじめてとします。これまで皇太后とよばれた方は、光明皇太后と、嘉智子皇太后と、正子皇太后の、お三方だけになります」と善男。

「正子皇太后は天皇の母后ではないのに、皇太后といっているのだろう」と信が突っ込んだ。

正子が皇太后になったときは、息子の恒貞親王つねさだしんのうが皇太子だった。それを廃太子にして、道康親王を皇太子に立てたことまで忘れたかと…うんざりした顔がならんだ。

「皇后ではない天皇の母后は、どうお呼びしましたか?」と良房がまことから話をそらす。

皇太夫人こうたふじんと、お呼びしております。ただし後宮こうきゅうで、夫人ふじんひんの規約が守られていたころのことです」と小野篁おののたかむら

「では皇太夫人とお呼びすることで、よろしいでしょう。まず親王を決めて、皇太子を立てなければなりません。そのまえに女御にょうご更衣こういの規約をつくっておいた方が良いと思います」と良房よしふさが言う。  

文章生もんじょうせい出身で、大内記だいないき東宮学士とうぐうがくしをつとめてきた小野篁おののたかむら対策試験たいさくしけんに及第して、東宮博士をつとめた滋野貞主しげののさだぬし、独学だが大内記だいないき弁官べんかんをつとめた英才の伴善男たちと、父の嵯峨の帝が参議にした源氏とは能力に大きな開きがあった。


仁明天皇の三七日みなのかがすんだ四月十七日に、二十三歳の道康皇太子が大極殿だいごくでんで即位した。のちの漢諡号かんしごうで、文徳天皇もんとくてんのうという帝だ。

これまで、藤原不比等の娘を母とする聖武天皇と孝謙天皇(称徳天皇)、藤原式家しきけの娘をを母とする平城天皇と嵯峨天皇と淳和天皇が即位しているが、文徳天皇は藤原北家ほっけの娘を母とする、はじめての天皇だ。

どれも藤原じゃないかと思うのは他人ごとだからで、良房よしふさにすれば、藤原式氏は自分から数えると五代もまえの、とうぜん会ったこともない、ひいお爺さんの、そのまたお爺さんが兄弟だったというだけの、よその藤原さんだ。

思えば、よその藤原さんの娘が生んだ嵯峨の帝を擁立ようりつして、よくぞ、ここまで来たものだ。仁明天皇にいたっては、よその藤原さんの娘の孫でしかない。

妹の子の文徳天皇の即位は、良房の大きな節目となった。

ただ、その文徳天皇が、第一皇子を親王にと望んでいるために、やっと天皇の外戚になれた良房とのあいだがこじれはじめた。



一か月のあいだに、息子の仁明天皇と娘の秀子内親王の二人に先立たれた橘嘉智子太皇太后は、娘の正子皇太后が住む淳和院じゅんないんに移っていたが、文徳天皇が即位したあとの五月四日に六十四歳で亡くなった。


翌日に葬送がおこなわれると聞いて、めずらしく倫子りんこが見送りたいと守平にワガママを言った。倫子は臨月で腹が突きでているから、守平はしぶった。

「父上は御存じでしたが、わたしは亡くなった淳和太上天皇じゅんなだじょうてんのうにも、正子皇太后まさここうたいごうにも、お目通りをしたことがない。もちろん嘉智子太皇太后かちこだいこうたいごうは、遠くからも拝謁はいえつしたことがない。心のなかで、お見送りするだけでよいではないか」と守平。

「生涯、わがままを言ってくれと、どなたの口がおっしゃいました?」と倫子。

体を心配しただけなのに倫子に睨まれた守平は、しかたなく網代車あじろぐるまに倫子をのせてソロリソロリと淳和院じゅんないんまでやってきた。

牛を引く牛飼い童の犬丸いぬまるは岡田狛の三男で、童とよぶが大人の男だ。犬丸は動物と話ができるのではないか思えるほど、牛や馬や犬や猫や鳥などを手なずける。牛は神経質で扱いずらい動物なので、腕のよい牛飼い童は貴族の邸で重宝される。ハレの場にきらびやかな牛車を乗りつけることのない、守平や業平のところでくすぶらせてもよいのかと、守平は狛に訊ねたことがある。

「いえねえ。守さまには、ぶっちゃけますが、牛飼い童は仲がよくてれんがあります。牛飼い連の世話役をするには守さまがたのように皇孫で、とてもヒマなお邸にまぎれこむのが一番です」と狛。 

大舎人寮おおとねりりょうからくる資人しじんは、派遣先の邸で見たこと聞いたことを、いちいち寮に報告する。牛飼い童も集まって、主人の話を交換するだろう…どうなっているの? と守平は思ったものだ。

車から降りて見送りたいと倫子がいうので、踏み箱を下りる倫子を守平は慎重に支え

た。つづいて車の中から妙信みょうしんが手をだして、

「守平さま」

「なぜ、ついていらしたのです。妙信さん」と妙信を降ろしながら、守平が聞く。

「倫子さまが心配だからと、言ったでしょう」と妙信。

「物見高いだけでしょうに!」と守平。

淳和院は、右京四条二坊に四町の広さをもつ邸だ。

淳和天皇が若いころに居住していて退位後もくらしていた。

淳和天皇が亡くなったあとは正子皇太后の住まいとなり、いまは息子の恒寂入道親王こうじゃくにゅうどうしんのうが、良祚尼りょうそにとなった正子皇太后と共にくらしている。

太皇太后だいこうたいごうの葬列なのに、朝廷から人が来てないね」と守平。

父の阿保親王の葬儀のときは、参議さんぎ右大弁うだいべん和気真綱わけのまつなが仁明天皇のみことのりを読みあげた。葬儀の監督や警備に官人が派遣されて、ものものしく近衛兵このえへいが辻に立った。

淳和院のまわりには官人の姿も近衛兵の姿もない。かわりに数百人のあかじみた浮浪者ふろうしゃが道端に座っている。

「あの人たちは、なにをしているのだろう」と守平が不思議そうにつぶやいた。

「正子皇太后さまの母上の葬列を送りにきたのですよ」と倫子。

「どうして」

「正子皇太后さまの炊きだしで命をつないでいるからです。暖かいものを食べることができれば、三日は命をのばせます。わたしも母も、どんなにお世話になったことか」と倫子。

「正子皇太后は、炊きだしを行っておられるのか」と守平。

「浮浪児や孤児をお邸に引きとって、養ってくださってもいます。

嘉智子太皇太后さまは存じませんが、正子さまの母上なら、正子さまのためにお見送りしたいのです」と倫子。

質素な葬列が門をでた。棺を乗せた輿こしのあとに二台の輿がつづく。恒寂入道と正子皇太后のものだろう。

痩せた浮浪者たちが、いっせいに手を合わせて大声で泣きだした。自分たちにできることは声を上げて泣いて、正子さまを慰めるだけ。ふだんは腹をすかして声をだす気力もないのだが、体中の力を集めて大声をしぼりだす。

その姿がいじらしいと守平は胸が熱くなった。

「わたしも炊きだしの、お手伝いをさせてもらおうかしらん」と妙信尼。

そのとき、門のまえで葬列を見送っている尼僧の一人に浮浪者が話しかけた。

愛玲あいれいさま。とうとう尼になられましたのですね」と、大声で泣いていたので、たががはずれて声が大きい。

「愛玲……?」と、耳ざとい妙信が反応して人を分けて動きだす。

「妙信さん! ・・・ったく。はぐれたら一人で帰ってくださいよ!

倫子。わたしにも、なにかできないだろうか。多少の米や銭なら出せるとおもうが」と守平が聞く。

「守さま。あなたって善い人だけど世間知らずのお調子者です。それじゃ良房さまのなさることと同じじゃありませんか。

米を配られてもナベもマキもありません。小銭を与えられたら襲われます。

少しの米や銭のかわりに、弱いものは命を落とすことがあります。

だから、そのときに食べてしまえる炊きだしが一番なのです。でも炊きだしは思いつきだけでは長つづきしませんよ。よく、お考えなさい」と倫子。

守平はシュンとなった。倫子が守平の手をとって指をからませる。

「ほら。そんな顔をしないで。たしか代書屋だいしょやのホウさんを、ごぞんじでしたね?」と倫子。

「うん。紹介されたことはある」と守平。

「なにかをしたいと思うのなら、ホウさんに寄付なさい。炊きだしや薬に使ってくれます」と倫子。

「へーえ。代書屋って、そんなにもうかるの?」と守平。

もう一度、倫子に怖い顔で睨まれた守平に、連れてきた舎人のムカデが声をかけた。

「あの・・守さま。若い尼さんをつかまえた、ウチの隣の尼さんが手をあげて呼んでいるみたいッスよ」

「なんだろう」と守平。

「さっき、どなたかが、あの方を愛玲あいれいさまと呼んでいましたね。

珍しい名ですが、なぜか聞き覚えがあるような気がします」と倫子。

「行ってみよう」と倫子をかばいながら、守平が近ずくと、

阿保親王あぼしんのうさまのご子息の在原守平ありわらのもりひらさまと、ご愛室あいしつ伴倫子とものりんこさまです」と妙信が、二十歳になるかならないかの顔立ちのはっきりした尼僧に、なれなれしく紹介してくれた。

玲心れいしんともうします。橘逸勢たちばなのはやなりの孫です」

「じゃあ、逸勢さまの護送車ごそうしゃのあとを追って歩かれたのは、あなた…」と倫子。

「はい。正子皇太后さまに引きとられまして、このたび得度とくどさせていただきました。伴水上とものみなかみさまの、お子でいらっしゃるとか。お会いできましたのも、ご縁でございます」と玲心が倫子の手をにぎった。

物見高くて、でしゃばりな隣の尼さんのお蔭だが、これを人と人をつなぐえにしというのかなと守平は思う。

仁明天皇の病気の恩赦おんしゃと、文徳天皇の即位の恩赦で「承和じょうわへん」で裁かれた人は、すべて罪を許された。この十日後には剥奪はくだつされた位階より一級うえの正五位下が、橘逸勢に追贈される。


嵯峨の帝と嘉智子皇后の娘として生まれた正子皇太后は、若いころは兄の仁明天皇より目立つハデで気の強い内親王だった。淳和の帝のもとに入内したときは十五歳。そのとき淳和の帝は四十歳だったから二十五歳の歳の差があった。

正子が入内したときに、すでに亡くなった高志たかし内親王に皇后位が遺贈されていた。正子の母の嘉智子の要望があり、若い妻を愛おしんでいた淳和の帝は正子を二人目の皇后として立后する。

淳和の帝と正子皇后は仲がよく、つぎつぎに子供も生まれたのだが、淳和帝が亡くなったあとはハデで気が強く頭の良い正子は表にでなくなった。淳和の帝の子が、つづいて夭折ようせつしたこともあるだろう。

先の高志皇后の子や孫が死去のときは、正子は朝廷に訃報ふほうを知らせて礼儀をつくさせたが、自分の子の死去のときは援助をことわり密葬にした。この姿勢は、ずっとかわらない。

息子の恒貞つねさだが皇太子を廃されて淳和院にもどされたときは、いっとき母の嘉智子を恨んだようだが、最期は引きとってとった。信仰心があつい正子は、貧者や弱者を保護することに熱心で、俸禄ほうろく〈収入〉の四割を救済きゅうさいのために使っている。

良房よしふさは、仁明天皇が北面した嘉智子を盛大に送りたくなかったし、できることなら無視したかったから、正子が密葬をのぞんだので、これ幸いとお任せにした。

この淳和院のある右京には、良房の弟の良相よしみが住む西二条第も、良相の妻の父である大枝乙枝おおえのおとえの邸も、小野篁おののたかむらの邸もある。音人おとんども邸を建設中だ。守平は皇孫だから、いつかは蔭位おんいの制で叙位されるだろうし、子が生まれるので右京四条三坊に邸を構えることにした。 

左京にある紀氏のとなりの邸は、丸ごと業平が使うことになっている。



蒸し暑い夏のあいだも、太政官たちは討論を続けていた。

伊勢の斎王さいおうと、加茂の斎院さいいんになる内親王ないしんのうを決め、その潔斎けっさいの日程を決め、使いを伊勢神宮と上賀茂神社に出す。光仁天皇からの天皇陵に、文徳天皇の即位の知らせを送る。これは天皇交代のときに、いつもすることだ。

通常でない仕事では、まず女御にょうごの規約をつくった。

仁明天皇が生前に、皇后について討論させたことがあった。そのときに皇后は、内親王と、藤原氏と、橘氏から選ぶという結論がでていた。それの内親王のところを皇女とかえて女御にあてた。この規約以後は、女御にょうごになるのは皇女と藤原氏と橘氏だけになった。

即位した文徳もんとく天皇の後宮では、東子女王、藤原明子(良房の娘)、藤原古子(良房の妹)、藤原年子、藤原多賀幾子(良相よしみの娘)、藤原是子が女御になり、そのほかは更衣こういになった。


しかし親王と内親王の選考がもめている。

良房以下の藤原氏と源氏の参議は、女御の子を親王と内親王に、更衣の子は臣籍降下させることを求めた。これが通ると思って、良房は先に女御の規約きやくをきめた。

女御の子は仁明天皇を御陵ごりょうに送った三月二十五日に誕生した、明子の赤子だけだ。女御の子を親王にすると規制されると、この赤子が第一親王になり皇太子に立てやすい。更衣は、紀静子が男子二人。伴江子が男子一人。滋野奥子が明子より早く正月に男子一人を出産している。

そこに文徳天皇が小野篁おののたかむらかいして、すでに誕生している皇子を親王にしたいと伝えてきた。幼児の死亡率が高いから誕生している皇子を親王にという天皇の意向も無理がない。

苦節数十年。やっと天皇の外戚になった良房よしふさは文徳天皇の要望が不愉快だ。良房の父の邸で生まれ、良房の邸で育ち、良房が奸計かんけいを用いて皇太子に立てて即位させた天皇が、なぜ良房のジャマをするのか。更衣こういの子まで親王と認めてしまえば、よけいな手間がかかるじゃないか。即位を急ぐのじゃなかった…と良房は後悔した。


太政官会議にあつまっている太政官は、十四人。

藤原北家ほっけからは、右大臣の良房よしふさ(四十六歳)、その兄の長良ながら(四十八歳)、弟の良相よしみ(三十三歳)、叔父のたすく(五十一歳)の四人。

源氏からは、左大臣のときわ(三十八歳)、まこと(四十歳)、ひろむ(三十八歳)、ただし(三十五歳)、あきら(三十八歳)の五人。彼らは明子の母の潔姫きよひめの異母兄弟になり、とくに信が生まれたばかりの明子の赤子に思い入れが深く、良房と足並みをそろえている。

ほかは、安部安仁あべのやすひと(五十七歳)、橘峯継たちばなのみねつぐ(三十六歳)、滋野貞主しげののざだぬし(六十五歳)、伴善男とものよしお(四十歳)、小野篁おののたかむら(四十八才)の五人。

こちらは亡き仁明天皇に実力を認められて、参議になった強者ぞろいだ。

すでに誕生している皇子の母は、この実力派参議の娘が多い。天皇の望みであれば、それに、かれらは賛同する。太政官の意見を一つにまとめるには、良房も賛同せざるをえない。



「目立たぬように…」と良房よしふさから誘い文がきて、迎えの牛車ぎっしゃまでよこされたので、伴善男とものよしおは舎人を二人だけ従えてやってきたが心細い。迎えの車が着いたところは閑院かんいんだ。

右大臣になってから良房が居住しているのは、路を挟んで東隣にある東三条第ひがしさんじょうだいで、閑院は使っていないと聞く。約九千坪はある人気のない広大な邸に牛車ごと運びこまれたのだから、善男は心細いどころか怖くなった。

ここで殺されて埋められても、だれも気がつかない。小柄だから、遺体を埋める穴だって小さくてすむし…。

迎えの従者たちに続いて、並べられた燭台しょくだいの灯りが映るほど磨きこまれた廊下をすすむ。どうやら、むかし嵯峨の帝が御幸ぎょうこうされたとかいうハレの場に向かっているようだ。

廊の途中で篝火かがりびに照らされた森のような庭の一部と、広いひさしをもつ家屋の影が見えた。デカいうえに生活感がない。

そこに案内された善男は廂で平伏した。参議として審議に加わっているときは、それが仕事だから意見もいうが、良房は従二位の右大臣で善男は従四位上の左大弁さだいべんだから身分がちがう。従二位と従四位上は七段階の差があり一階級を昇るのに五年から十年かかるから、生きているうちに追いつける可能性もない。

「そこでは話もできません。お進みください」と部屋のなかから良房が声をかけた。

一人で座っているが、奥に御簾みすを下した御座所ござしょがある。そこに、かすかな灯りがあって人の気配を感じた善男は、やっと少し安心した。体をすべらして良房の下手に近寄ると、もう一度、平伏する。

善男が参議になれたのは、仁明天皇と嘉智子太皇太后という後ろ盾があったからで、二人が亡くなってからは不安定な立場にいる。

「そう硬くなられると、さきに一こんというわけにもまいりませんな。じつは伴どの。おりいって、お頼みしたいことがあります」と良房が切りだした。

「はい」

皇太夫人こうたふじんのことですが」

「はい」

良房は、のどかに篝火かがりびをながめて言葉を断った。虫が火に飛び込むと、マキがはじけてジュっと虫が燃える音がする。

難航しているのは更衣所生こういしょせいの皇子を親王とするかどうかで、皇太夫人とは予想外だ。では御簾みすのなかの気配は、文徳もんとく天皇の母の順子なのだろう。

良房は良吏りょうりでも能吏のうりでもないが政治力は持っている。良吏は民を豊かにする善政を行える政治家のことで、能吏は実務能力の高い政治家のこと。良房の政治力は、いかなる手段を使っても自分の派閥はばつを広げて権力を握る政治力で、ほめられたものではないが、その力はある。

善男に考えるときを与えてから、良房は言葉をつづけた。

「皇太夫人には頼りとなる方がおりません。皇太夫人の力になってもらえるとありがたいのですが」

良房は、だれにたいしても偉ぶらない。おっとりしていて言葉づかいもていねいで、なにより感情的になることがない。そういう意味でも政治家といえる。

「わたくしでよろしければ、お仕えさせていただきたくぞんじます」と善男は平伏した。これで良房は伴善男を取り込んだ。

奥の御簾みすが巻き上げられた。

善男は御簾の方に向き変えて平伏した。女性の香のかおりが流れて、順子の女房が盃と酒を運んでくる音がする。校書殿こうしょでんから大内記だいないきへ、そして蔵人くろうどへと、善男は二十年ちかく内裏で仁明天皇の傍につかえていたから、二十年以上も仁明天皇の後宮にいた順子の姿は目にしている。地味で目立たない女御だった。顔をあげると、その順子が風格のある姿で座っている。

仁明天皇が亡くなられたことを、もう二度と、その声を聞くことも、その姿を見ることもないのを、体中に針が刺さるような寂しさで善男は実感した。



双岡ならびおかにある左大臣の源ときわの別荘で、廂に座って柱に背をあずけ常と弘は二人で酒を酌み交わしている。湿度が高く月にかさがかぶっている。

「…こうして夜を過ごされることはなかった」と常が言った。

二人の異母兄になる亡くなった仁明天皇のことだ。日帰りの御幸ぎょうこうだったが、仁明天皇は双岡が気に入って何度かきている。

「痩せられましたな。左大臣」と弘。

「二人だけだ。むかしのように、呼んでもらえないだろうか。ひろむ

左大臣の常と中納言の弘は同年の異母兄弟で、五歳から十六歳までは兄の信の邸で一緒に寝起きしていた。子供から成人するまでの大切なときを共有した仲だ。

「どこか悪いのか。ときわ

「つかれた……。このごろ、なぜか息苦しくて起きるのがだるくなった」と常。

「酒を飲んでもよいのか」と弘。

「少しぐらいなら……」

二十五歳で大納言に、二十八歳で右大臣に、三十二歳で左大臣になった常は、いつも源氏の兄弟の最高位にいて異母兄の仁明天皇を支えてきた。仁明天皇の崩御ほうぎょで燃えつきてしまったように弘には映る。

「……なあ。弘」と常。

「ん……」

「一郎どのと一姫は、とくべつの仲だったのか」と常。

一郎は二人の異母兄で大納言のまことのこと、一姫は良房の妻で明子の母の潔姫きよひめのことだ。仁明天皇と信と潔姫は、同年の異母兄弟姉妹だった。

「いまさら。おなじ邸で育って、ほんとうに気がつかなかったのか」と弘。

「そういうことに、うとい」と常。

「下世話ないいかたをすると、あの二人はできてたと思うよ。異母兄妹の婚姻が禁止されたのは、そんなに前じゃない、それまでは堂々とおこなわれていた。思春期の男と女をおなじ邸に住まわせて、恋をするなというほうが野暮やぼだろう」と弘。

「じゃあ明子女御は一郎どののお子だろうか」

「一姫が良房のもとに移ったあとのことだ。そこまでは知らない」と弘。

「どちらにしろ、一郎どのは思い入れは深いだろうな」と常。

「明子女御がもうけられた皇子を、皇太子に擁立ようりつするようにと、言ってきてないのか」と弘。

「なにも……」

「参議の定や明やわたしだけでなく、一郎どのは、ほかの源氏たちにも明子女御がもうけられた皇子を皇太子に押すように説いている。

なあ、常。いくら我ら源氏の姉妹の孫でも、生まれたばかりの赤子を皇太子にしてもよいのだろうか」と弘。

「外戚になる良房の独裁政治どくさいせいじがはじまるだろう。だから帝は第一皇子の立坊を望まれている。だが第一皇子は、後ろ盾となる外戚がいせきが弱い。源氏が帝のご要望に応えれば、第一皇子の擁立ようりつも可能かも知れないが、一郎どのが明子女御につくかぎりムリだ。

わたしが異をとなえれば、源氏の兄弟が二つに割れる」と常。

「だけど常。一郎どのは・・」と弘。

「弘。わたしは、もうまつりごとに口をはさまない」と弘の言葉を、常がおさえた。

「うん。そうか」と弘は、どんよりした空を見上げた。

源氏の一郎の信は、亡くなった仁明天皇や常のように深く考えられる人ではない。

嵯峨天皇は父で、仁明天皇は兄弟だった、文徳天皇にとって源氏は叔父だ。親や兄弟よりつながりは薄い。これからの源氏は、どうすればよいのだろう。

「……すまない。常。わたしは凡庸ぼんように生まれて、おまえ一人に苦労をかけた」と弘。

「わたしも、そうだ。弘。身の丈に合わない職を与えられて、なにもできなかった……」と常。

弘には成人を迎える源つつむという息子がいる。この包の母は阿保親王の娘。つまり在原の兄弟たちの異母姉妹になる。



小屋のなかから話し声が聞こえる。客がいるのだろう。

岡田狛おかだのこまは、守平と業平を暗いところにおしやって、うしろをむかせた。こんなにゴチャゴチャした人通りの多い左京の市の外町で、とくに業平は顔を見られると騒ぎになる。女装をさせて笠で顔をかくせばよいのだが、上背うわぜいがあるから、それもできない。

「いいかね」と狛がホウの小屋に声をかけると、「じゃあ」と切りあげて出てきた先客は、良房にジュツと呼ばれている家原芳明いえはらのよしあきだっだ。

狛はジュツの顔を知っているが、ジュツは狛の息子のごうえいは知っていても、会ったときは意識がもうろうとしていたし、それからは表に出ていない狛の顔を知らないはずだ。

守平たちのそばを通るときに、ジュツは足を止めて季節ははずれの金木犀きんもくせいの香りを不思議そうな顔をして吸いこんだ。それから足早に遠のくのを待って、狛が守平たちをなかへ入れた。

「あれ。まあ。在四どのと在五どの。それに見たことがある舎人の…」とホウ。

「サンセイともうします」「モクミでございます」

「ほう……」

「ムカデです」

「おまえさんは、たしか太秦うずまさのデカボンじゃないか。ますます大きくなったなあ」とホウ。

「在原家の事業じぎょう和仁蔵麿わにのくらまろでございます」

「こりゃまた…おそろいで。さあ…まあ、その辺のものをどかして、あがってくだされや。すまぬが舎人どの。かってに白湯などで、おもてなしをしてくださらんか」とホウ。

「いや。ゆっくりできない。これから白砥はくと青砥せいとのところに行く。在さまのお邸で送別会を開くわけにもゆかないから、土産をもって出張だ」と狛。

白砥と青砥が大山崎おおやまざきにうつることになった。男山おとこやまのふもとにくるわだけの町ができる。そこの株主の一人になって、妓女たちに踊りや歌を教える技芸所ぎげいじょを開くそうだ。

「ほう。で、わしのところに寄ったのは…」とホウ。

「在さまがたが、おまえさんの炊きだしに寄付をしてくださるそうだ」と狛。

「こりゃ、ありがたい。ご報謝ほうしゃしていただけるのか」とホウ。

「はい。これから毎月、わたしが届けさせてもらいます」と蔵麿。

「ありがたいことです。よろしく、おねがいします」とホウ。

このまま引きあげればよかったのだが、すこし引っかかったので狛は聞いてみた。

「ところでホウさん。さっき出ていった男だが、よく来るのかい?」と狛。

「おまえさんのところで倒れてから、わしのことを思いだしたらしい。あいつは、これを届けてくれる」とホウが荒い麻袋をしめした。

「なんだ」と狛。

「仕えている邸の畑で、あいつが育てた野菜だ。あいつが子供のころ、半年ぐらいだったか治療がてらあずかった。

ほんとうの餓鬼がきでな。背と腹がくっつくほどに痩せていた。

人嫌いな子だったから、食べ物を与えるときに安心して食えるように、いちいち、なにによいかを教えたものだ。

それを覚えていたのか、畑のすみで青菜などを作っている。

じつはな。あいつが、妙なことを……」と守平たちをチラッと見て、ホウが声をひそめる。

「なにをしゃべっても、だいじょうぶなのかい」とホウ。

「まずいことには、ならないだろう。見てのとおりだ。あれで皇孫さまだ」と狛。

ホウと狛が話しているあいだに、サンセイとモクミと守平が散らかったホウの小屋をセッセと片付けている。ムカデが井戸から汲んできたらしい水を水ガメに注ぐのを、蔵麿が見張っている。業平は物をよけてつくった空間に寝転んでいる。

「なじんでる…」とホウ。

「だろ」と狛。

「ふん。在五さまの和歌を広める手伝いが、楽しいか。おまえさんの目を信じよう。じつはな、あいつが言うには、おかしな薬草園があるらしい」とホウ。

「どこに」

「奴が勤めている邸の、西隣の邸だ」

「ああ…」と狛。

「あの邸は、ふだんは留守番だけをおいて使っていないらしい。

その奥まったところに高い塀で囲まれた薬草園があるそうだ。

奴は二、三度ほど、そこへ使いに行った」とホウ。

「使いってのは」と狛。

「主にいわれて、一度は水薬が入っている茶色い小瓶こびんを受けとった。

粉薬の包は二度とりにいったそうだ」とホウ。

「薬草園なら主の薬を作るだろうから、おかしくい話じゃないな」と狛。

「その薬は主が服用するものではないらしい。

それと薬草園の警戒が、ずいぶん厳しいそうだ。薬をとりに行っても畑が見えない小屋で待たされる。

人ってのは隠されると見たくなるものだろう。奴は天井近くの羽目板にすきまをみつけて覗いて見たそうだ。

一度は春先で淡い緑色の花が、たくさん咲いていたそうだ。

おい。そこの、サンセイどのとモクミどの。おまえさんたちは山育ちかい」とホウ。

「まだ都人にみえませんか」とサンセイ。「すぐに分かるとは、気落ちします」とモクミ。

「見えるさ。どう見ても、しゃれた都人だが、ただ名がな・・・」とホウ。

「名が、どうかしました?」とモクミ。

「いや、いいや。なんでもない。で、おまえさんたちは山育ちかい」とホウ。

ホウも、なじんでいるではないか…。

「はい。小椋谷おぐらだににおりました」とサンセイ。

「草木のことは分かるかい」とホウ。

「はい」「少々なら」

「では春先に咲く小さなつりがね型の花で、あわいミドリ色だ。花の内側だけに赤紫の細かい網目のような模様がある。そんな花を知っているかい」とホウ。

「ハハかな?」「そうだな。ハハクリでしょう」

「わしも、そう思った。ほかには思い当たらないよな」とホウ。

「はい」

「それは薬草か」と、そばにきた守平が聞く。

「はい。球根を干して粉にして、せき止めにつかいます」とサンセイ。

「多く飲むと呼吸ができなくなり、けいれんを起こして死にます」とモクミ。

「薬草は毒にも薬にもなるからな。そのときに河原藤かわらふじの花も見たらしい。これも薬として使うが、使い方を間違うと毒になる」とホウ。

「はい」とサンセイ。

「奴は口数が少ないが子供のころから花が好きで、花のことだけは楽しそうに話してくれるのだが…そのとき、下から立ち上がる河原藤と、百本はありそうなシキミの木に、いっせいに咲いた地味な小花が辺りを黄色に染めて、それは美しかったと話してくれた」とホウ。

「シキミ。神事につかうシキミか」と業平も加わってきた。

「あんな木を薬草園に植える邸があるのか。神官の邸かな?」と守平。

「線香をつくる家かもしれません。匂いをつけるために樹液を使うのでしょう」とモクミ。

「線香づくりが、薬草園をもつお邸に住むか?」とサンセイ。

「聞き捨てにならないのは、秋に使いに行って覗いたときに、シキミの実を収穫しているのを見たというのだ。どう思う。サンセイどの。モクミどの」とホウ」。

「……」

「そこは神主の邸でも線香屋でもない。留守番しか置かず、ふだんは使わない邸だ。その薬草園は塀で囲まれて、使いの者も中を覗くことができないほど警備されている」とホウ。

「どうした。サンセイ。モクミ」と守平。

「シキミの実は毒物です。薬には使いません」とモクミ。

「どこの邸?」と業平。

「…閑院かんいん」とホウ。サンセイとモクミが反応した。

「路からイチイの木が何本も見えます」とサンセイ。

「それも毒性があるのかい」と狛がたしかめる。

「はい」とサンセイ。

「あいつも、なにか感づいて、それで、わしに話したのだろう」とホウ。

「それ、だいじょうぶですか」とモクミが、ジュツが持ってきた麻袋をさす。

「あいつが持ってくるのは滋養になるものだ」とホウ。

「ホウの先祖は救済所きゅうさいじょを手伝っておりましてね。

資格はないが腕はたしかな医師や介護士を知っています」と狛が説明する。

「救済院って朝廷の?」と業平。

「いやいや。行基ぎょうきさまの救済院です」

「・・・?」

「じゃあ、蔵麿さん。在家に負担になってはいけませんが、ホウさんの炊きだしに、末永いご布施をねがいますよ」と狛。

「やりくりはまかせなさい」と蔵麿が胸をはる。

「青砥や白砥のとこに顔をだしてよ。ホウさん」と狛。

難波なにわ雄角おつのさんも来るのかい?」とホウ。

「忙しいからムリだろう」と狛。

「内裏の清涼殿せいりょうでんを移築するって、あれ、かい」とホウ。

「人の手配なら、すぐにできるだろうが、なんでも石灰で固めただんはつらず、そのまま移す算段さんだんに苦労しているそうだよ」と狛。

「新しく建てる清涼殿の木材や礎石の手配はしたのか」とホウ。

「いや。それが、どうも変なぐあいで…新築の依頼は受けてないそうだ」と狛。

「妙だな。移築のまえに、新材の手配をするものだろうが」とホウ。

「なにを話している? 清涼殿を移築するって言ったか?」と守平が聞いた。

「あれ。知らなかったのですか。

帝が亡くなられたから移築して寺の御堂みどうにするってことですよ」と狛。

「知らない。だれも知らないだろ。このごろ、わたしは休まずに登庁している。

だれも、そんな話をしていないよ」と業平。

「じゃあ、そのうちに発表されますよ」と狛。

「どうして知っているの。ねえ。どうして」と業平。

「おまえら何者?」と守平。

「マァ、マァ。さあ業さま。白砥と青砥が待ちかねています。

そのお顔を袖でかくしてサッサと参りましょう。

守さまも、いつまで腕を剥きだしにしているのです!」

やはり狛は楽しかった。



気候不順で大雨ばかり降る。雨水が川のように流れるから、朝廷はありがたそうに龍雨りゅううと呼んでみたものの、家が流れて餓死者がふえる庶民には、ただの水害だ。天罰が下ったとしか思えない。

太政官たちの話し合いも連日のように続いている。

「では、すでに誕生された皇子を親王にと奏上そうじょうしてよろしいでしょうか」と、小野篁おののたかむらが最終確認をとる。

「伴氏は宿禰すくねです。宿禰の子を、わたしは親王と認めません。

だいたい宿禰が、朝臣あそんと同列に参議さんぎになるのがおかしい」と、あきらめの悪い信が感情的になって、言わないでもよいことを言ってしまった。

昔からかばねという称号のようなものがあって、それぞれの出自しゅつじを示す。昔はもっと多かったが、今は、少しの真人まひと(臣籍降下した皇嗣に与えられる姓)を残して、臣下最高の姓が朝臣あそんで数も多い。五位以上の貴族は、ほとんどが朝臣だ。朝臣の下の姓が宿禰すくねで、宿禰で五位以上の貴族になっているのは、おそらく伴氏と坂之上田村麻呂さかのうえのたむらまろ将軍をだした坂上氏だけだろう。その下のむらじ忌寸いみききみの姓は五位以下の地下人に多い。土師氏や秦氏が、これになる。

亡き仁明天皇が残した十二人の太政官の中で、宿禰は伴善男だけ。姓の使いかたは、伴宿禰善男とものすくねよしおというように、氏と名の真ん中に入れる。

文徳天皇の更衣の伴江子が皇子を生んでいる。その皇子は親王と認めない。ついでに参議の伴善男も認めたくないと信は言ったのだ。

伴氏の皇子を親王に望むつもりのなかった善男よしおは、冷めた目で源まことをながめた。バカで無知なうえに、心のゆがんだヤな奴…!。



十月十六日に、出羽でわ(山形県、秋田県)で大地震が起こり多数の死者がでたという報告があった。

十一月十九日に、右大臣の良房によって侍従局じじゅうきょくで親王に禄《ろく

》が与えられた。

文徳天皇の親王と認められたのは、更衣こうい紀静子きのしずこを母とする第一子の惟喬これたか親王(満六歳)、おなじく静子を母とする第三子の惟条これえだ親王(四歳)、更衣の滋野奥子しげののおくこを母とする第四子の惟彦これひこ親王(一歳)、女御にょうごの藤原明子あきこを母とする惟仁これひと親王(満0歳)。

伴善男とものよしおの養女として入内した更衣の伴江子の生んだ第二皇子は、臣籍降下しんせきこうかして源氏となった。名は源能有ももありという。


十一月二十三日に、文徳天皇が出羽の地震の被害者救援のみことのりをだす。民荻みんてきを問わず…つまり朝廷に恭順している人も、していない人も、すべての被災者を救いだし、国蔵を開いて食料を与え租税を免除するという、とても人間味にあふれて、流れるような美しい文体で書かれた詔だ。

おなじ、この日に文徳天皇は皇太子を発表する詔もだす。

詔は、百官を並べて天皇が自らの思いを口で伝えることも、ごくまれにはあるが、ふつうは天皇が命じることを内記ないきに伝えて作文させ、それを太政官に伝えて署名をもらい、天皇の最終許可を得てから発表する。

それをせずに詔をだすと、奈良の帝のように太政官たちが辞表を上げて政務をとどこおらせる。

この十一月二十三日に、文徳天皇が発表しようとした皇太子は第一皇子の惟喬これたか親王だったが、藤原氏と源氏が多い太政官が認めるはずがない。詔は発表するという前触れだけで公示されなかった。

そして十一月二十五日に、右大臣の良房によって勅書ちょくしょが読みあげられる。勅のばあいは天皇の言葉を内記が起すまでは詔とおなじだが弁官べんかんが署名する。

良房が読み上げたのは「親王諸王、諸臣百官人など、公民もよく聞け。惟仁これひと親王を皇太子としたから、百官人など仕え奉れ」というもの。

良房の孫になる惟仁皇太子は三月二十五日に誕生したばかりで、この日から九か月目になるが生後二百二十四日。グレゴリオ暦では七ヵ月半の赤子だ。

文徳天皇は、まだ会ったこともない。いくら宣命体せんみょうたいという文体でも、二日まえに出された地震の被災者救助の詔と目線の高さもちがう。

良房と源氏に押し切られた文徳天皇にとっては不本意な立坊りつぼうだったが、良房も不本意だった。まったく、なにを考えて紀氏の娘の生んだ親王を皇太子にしようとしたのか。理解に苦しむと良房は思った。文徳天皇からは実権を奪って、そうそうに追放しよう。

赤ん坊の皇太子につく東宮傅とうぐうふには参議で大納言の源信。

この立坊に熱心だったから満足だろう。

皇太子の家政機関である春宮坊の一番上の春宮大夫しゅんぐうたいふは、参議の藤原良相よしみ。良房の同母弟だ。

そして皇太子の教師の東宮学士とうぐうがくし大枝音人おおえのおとんど。相手は赤ん坊なので、こっちは形だけの就任だ。

皇太子のことも東宮とか春宮というが、役職名も統一されていない。



翌年の八五一年(嘉祥かしょう四年・仁寿にんじゅ元年)の二月十三日に、大々的な改装をして九年しか経っていない内裏の清涼殿せいりょうでんが、嘉祥寺かしょうじ(京都市伏見区深草坊町)に移築されて堂となった。

内裏は宮城の中央東寄りに、二重の塀で囲まれて建っている。清涼殿の他にも紫宸殿や政務を執る場所や、後宮や、蔵人や女房が住むところなど多くの建物が建っている。天皇が住む清涼殿は、すぐに新築すべきなのだが良房が止めた。さいしょは一周忌が過ぎるまではという理由で、そのあとは、もう少し土地の霊鎮たましずめをしてからという理由だったが、このときには小野篁は病に倒れ、伴善男は皇太夫人の大傅だった。源氏と結託した良房に、抗える太政官はいなかった。

即位してからも東宮や梨下院しかいんを転々としていた文徳天皇は、天皇としての居住場所を失くした。



そのころ巷では、こんな歌が流行っていた。

大枝おおえを超えて 走り超えて 上がり踊り超えて 我や守る田にや さぐりあさりしぎや 雄々おおしい鷸や

(オオエをこえて 走って超えて 上に踊り上がって 我らが守る田を あさり食うシギは 強いシギだな)  

大枝は大兄おおえとおなじ音で、大兄は長兄のこと、しぎは田のカエルなどを食う鳥だが、おなじ音で仕儀しぎがあり、ことの次第や有りようという意味がある。

この歌には、惟喬親王をおさえて、この国をあさり食うとは、なんというやりかただという意味もある。それだけだと悪口になるから、さいごに「雄々しい鴫」をくっつけている。

わらべ歌やれ歌という節を付けて唄う歌だが、むかしから、ときどき世情を風刺ふうしするような歌が庶民のあいだに流行る。

子供でも歌えるこの歌を、つくって流行らせる人が、どこかにいた。



惟仁これひと皇太子の立坊のあとで、順調に出世しているかにみえた在原行平ありわらのゆきひら服喪休暇ふくもきゅうかをとっての国の蘆屋あしや(兵庫県芦屋市)にある別荘に暮しているという。瀬戸内海をのぞむ風光明媚ふうこうめいびな地だ。

「行こう!」と業平と近衛の兵たちが馬を並べておしかけた。都をはなれるときは許可がいるので、ちゃんと届けも出している。

「兄者。いったい、どなたが亡くなられた?」と砂浜にならんで座った業平が聞く。

「母だ」と行平。

「いつ?」と業平。

「十日まえに喪の届けをだした」と行平。

「一昨日、母君の礼子さまと、そっくりの方に、礼子さまが暮らされる深草ふかくさの荘でお会いしましたよ。手紙と土産をおあずかりして、さっき渡したでしょう。わたしが会ったのは生霊いきりょうですか。死霊しりょうですか。

どうして、そんなウソを」と業平。

「わたしにだって嫌になることはある。あれほど藤氏の台頭たいとうを嫌われた先帝を思うと、やりきれない気持ちにもなる。気持ちはあるが巻き込まれたくもない」と行平。

「それで怠けている」と業平。

「難を避けている。降格されるより復職しやすいだろ。おまえは好き勝手に生きていて、いいなあ」と行平。

「どこが」と業平。

「おまえが作ったろう」

「なにを」

「大枝を超えて 走り超えて……」

「ああ。シギの歌。歌風がちがいます。わたしじゃありませんよ」と業平。

「下手は上手に作れないが、上手は下手に作れるだろう。おまえの歌を広げているのと、おなじ宣伝媒体せんでんばいたいがうごいている」と行平。

「狛たちが?」

「帝は惟喬これたか親王を皇太子に望まれて、小野篁おののたかむらどのに託されていたそうだ。惟喬親王と親しい歌詠みといえば、おまえだろうに」と行平。

有常ありつねどのがいます」と業平。

しゅうとどのを、身代わりのするのか」と行平。

たかむらどのも…そういえば兄上。篁どのは、ほんとうに、ご病気ですか」と業平。

「倒れられたのは立坊りつぼうみことのりが出されだあとだから、お病気だろうと思うが、左大臣の源ときわさまも体調をこわされたようだ。正しいまつりごとができる方が病まれておられる。そして帝は政務から外されておられる」と行平。

「悪い奴ほど、強くて幸運ですねえ。いつか天罰があたるのでしょうか」と業平。

「いや。まあ、半々だろうなあ」

浜に打ちあげられた貝殻で、業平が砂をならして歌を書いた。


みだる 人こそあるらし 白玉の なくも散るか そでせまきに

(だれかが 白玉をつないでいた糸を 抜いて乱したらしい あっという間に    

 玉は散ってしまうのか 受けとめるには わたしの袖は狭すぎるのに)


「玉と玉座ぎょくざをかけたか。散る玉は第一皇子の惟喬親王か。それとも帝のことか。糸を抜いたのは良房か。業。この歌を名入りで流せ」と行平。

「兄者でさえ読みとける歌を名を入れて広めれば、わたしはどうなります。島流しにされたら、どうしてくれるのです。連座れんざで一緒に来てくれますか」と業平。

行平は手で業平の歌を消すと、

状況証拠じょうきょうしょうこをつくれば、和歌はどうにでも言い逃れができる。わたしや近衛の歌と並べてしまえば、風物を歌っただけだと言える」と行平。

行平は立ちあがって砂を払うと、大声で浜に遊ぶ近衛の友を集めた。

「オーイ。みんな。このさきに滝があるから見に行こうよー」

裏山にあるのは布引ぬのびきという滝で、幅十五メートルほど、長さは四十三メートルほど。滝の上のほうに岩が出ていて、そこに当たった水は大きなしずくとなって落ちてくる。

座興ざきょうに、みなで滝の歌を詠んでみよう。まずは、わたしが一つ」と滝口まで来ると行平が仕切った。


わが世をば 今日か明日かと 待つかいの 涙の滝と いづれたかけむ

(自分が出世する日を 今日か明日かと 待つかいがあるのだろうか 待ちながら流す涙と この滝に落ちる水と どちらの水量が多いだろうか)


セッコイ歌!…と業平が眉をひそめる。

行平は従五位上の貴族で、業平より一階級上だ。滝より多くの涙を流して出世をねがうほど最低最悪の身ではない。謙遜けんそんという礼儀があって、天皇まで能力がない。美徳もないと謙遜してみせる。謙遜して出世をねがえば、分かりやすい安全分子だとみなされる。

全国に四百人しかいない貴族が、貧しいの、位が低いの、みじめだの、あばら家に住んでいるのと歌っても、ぜったいに信用してはならない。

つづいて、業平が歌う。


抜き乱る 人こそあるらし 白玉の 間なくも散るか 袖の狭きに


行平の思惑が外れて、だれもあとに続かなかった。登ってくるときは騒がしかった近衛の若者がシーンとしている。着々と力をたくわえている実力者を、非難するような歌に続くほどの、お調子乗りはいない。なにしろ良房よしふさは金も力も運もあるし、暗殺だの疑獄ぎごく事件だの黒い噂につつまれたヤバイ男だ。

「帰ろか…」と、しょんぼりした行平。

「業。あの歌の責任は一人でとってくれ。おそらく出世がとまるだけだろう。万が一、おまえが駆除くじょされても、きっと忘れないでいるよ」と行平。

「自分だけ逃げる気ですか。それなら頼みがあります。兄上」と業平。

「ん?」

「噂では、美しい姉妹をはべらせておられるとか。今夜はぜひ、その、お二人に、お目にかかりたい」と業平。

「それで、ここまで来たのか。見せただけで汚れてしまう」と行平。

「姉君か妹君か、どちらかが琴などをたしなまれますか。せめて琴の音だけでも」と業平。

「口にするな。見るな。聞くな。寄るな。触るな。素泊まりだけはさせてやる」と行平。

「えっ。めしは?」と業平。

兄弟が家路をたどる山道から、木の間ごしに明石海峡あかしかいきょうが見える。沖合に夕日が沈みはじめ波の帯がキラキラのびていた。















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