第七話 大幣と 名にこそ立てれ 流れても…
八四七年。承和十三年。
五月の末から六月にかけて、台風や大雨がつづいた。
そして六月十六日に、正四位下の
六月も末の夜に、三条三坊にある紀氏の邸を、
「いや。兄上が好きなようにしてください」と答えたのは、有常のよこに座った
「
「
「本主どのは、お元気ですか」と仲平。
「すっかり年をとられました」と有常。
五十代が長寿になるかどうかの別れみちのようだ。
名虎のあとをついだ有常は、三十四歳で正六位上、まだ五位になっていない。
仲平は三十一歳で、従五位下の
行平は二十九歳で、従五位上で、
守平は二十四歳で無位。業平は二十二歳で正六位上の
三十六歳になった
「名虎どのは、心残りだったでしょう」と仲平。
「
「まったく、
「行平さま。父は寿命です。わたしは妹の縁に頼るだけが、紀氏の生きる道だとは思えません。この邸で育つ御子たちが、つつがなく過ごされることだけを願っています」と有常。
一族に強い影響力のある、その時の実力者を
「服喪で妹が戻っておりますが、お会いになりますか」と有常が仲平に聞いた。
「お目にかかれるのですか?」と仲平の声がはずむ。
在原氏を名乗る男子は、
「
「はい」
やがて
「阿保親王さまのお子の、在原仲平さまと守平さまです」と有常が妹の静子に紹介する。
「皇太子さまの、第三子になられます御子さまと、更衣の
「このたびは、
「仲平さま。聞いていましたとおりに、やさしげなお方ですね。わたしは名虎の娘で
このシャキシャキした尼さんに、どこかで行平は会ったことがあるような気がする。
「もしかして…
「はい。もとの三国の町、もとの紀
やはり名虎の姉娘のおせっかい種子だ。仁明天皇の更衣で一男一女をもうけたが、過失があって下げられたと聞いている。
「いまは、どちらに?」と行平。
「父が亡くなり、ここも寂しくなりましたので移ってこようかと思っています。
静子さまと呼んでいるが、種子が姉で静子が妹。
大宰府から帰って、しばらく深草の母の家に住んでいた行平の幼馴染だ。種子の娘の眞子内親王は、この名虎の邸にいるはずだが、体が弱いとかで行平も会ったことがない。
「それは、まあ…」と行平。
「
「この冬で一年です。可愛いですよ。一人で歩きまわるようになりますと手が掛かりますが」と妙信が答える。
そこへ女房の笑い声と子供の笑い声が近づいてきた。やがて四つ這いの
「阿子さま。もののけを見つけました。馬を降りて退治しましょう」と業平。
「どこ?」と背中の子。
「ほれ、その色の黒いの!」と業平。
「業! わたしに振るな」とチョンと座りなおした守平が、もののけのふりをして構えてみせる。
「天下の色男も形無しでございましょう。仲平お兄さま」と涼子。
「はい?」
「仲平どの。ご案内もせずに世間には伏せておりますが、あらためてご紹介します。わたしの娘の涼子と、娘婿の業平さまです」と有常。
「はい。え…なに?」と仲平。
「わたしも知ったばかりだ」と行平。
「有常どの。こんな男を婿にして…よいのでしょうか?」と仲平。
「よいはずがありません!」と涼子。
「え…なにかと、よろしくおねがいします。そして、こちらが?」と仲平。
「皇太子さまの第一子の御子さまです」と妙信。
母の里で生まれて育つ天皇や皇太子の子は、はじめて父に会うまで名がない。初謁は五歳から十歳ごろまでに行われるが、それまでは阿子とか阿殿とか小殿とか御子とか、てきとうに呼ばれている。
「ああ…膝が痛い。すりむけていたら、どこで励んだのかと疑われるかもしれない」と業平が
「わたしは疑いません。いったい、どこの、どなたに疑われるのです!」と涼子。
「聞こえた?」と業平。
「嫌でも耳に入るように言ったでしょう。蔵人には当番があると聞きます。どうして、あなただけは、夜ごと
「帝が、くつろがれたときに和歌の話をなさりたいだろうと、いつでも参じられるように心がけて、宿直を変わってもらっている」と業平。
「ああ言えば、こう言う。深草の邸には、とんと顔を見せてくださらないではありませんか。どうして、こんな方を婿にしてしまったの。お父さま」と涼子。
「在五どのの妻は、おまえにしか、つとまらない」と有常。
こりゃ駄目だ…と行平は失望した。
蔵人になった業平は、おおいに
ふつうは、従五位下以上の貴族でなければ
まだ規約がないが、天皇の妃は
これまでは里に帰っている女房や、庶民の女性を相手に恋をしてきた六位の業平も、内裏に宿直すれば女房の町を訪れることができる。業平が蔵人をしていたのは、二十二歳から二十三歳までのあいだだから、腹を空かした大食いの猫が魚屋に飛び込んだように恋をしまくった。
近ごろ、行平が耳にした業平の歌がある。
(大幣のように みんなが引き寄せようとしている方ですから 恋しいと思っても 頼りにすることはできません) 詠み人知れず
幣というのは、木に麻や紙の切り抜きを巻きつけた神官がお祓いに使う道具で、縁起物だから川に流されるのを奪いあってとった。特別な大幣は、ふつうの幣よりも奪いあいが激しい。そんな大幣のように女性がうばいあう人だから、あてにできないと、どこかの女房が詠みかけたのだ。この歌に業平が返したのが、
大幣と 名にこそ立てれ 流れても つひに寄る
(大幣と 名前を立てられて流れても いつかはどこかの瀬に 辿りつくでしょう それは あなたかも……) 在原業平
これを聞いたときに行平は頭に血がのぼって、近くにあった
それに詠み人知らずで歌いかけてくる女性が、どこのだれか分からないのに、歌が上手い。これだけの歌詠みなら、どこのだれか分かるだろうに…。もしかしたら、有常が女になって歌いかけたのでは…と行平は疑っている。
紀氏の存亡よりも、有常は業平の恋歌を広めることに熱心で、仲平は階級意識が欠落している。守平はゴロゴロなまけて登庁なぞ考えてもいないし、これじゃあ在家に未来はない。未来どころか、来年も、明日でさえもないかもしれない!
名虎の邸は有常が相続した。皇太子の子が育っているから一町の広さの邸は存続させなければならないというのに、ほんとうに、この先は大丈夫だろうか。
年の暮れに、
翌年(八四八年・
おなじ日の叙位で、良房の同母弟で従四位下の
左大臣は引き続き、源
仁明天皇の側近からは、正月に従四位下になった
そして大枝音人は従五位下の
六月十二日に、白い亀があらわれた
年号が変わってまもない、七月二十九日。
「ジイ! 母上のそばを、はなれるな! サンセイ。だれも残っていないか。家より人だ」と業平が叫ぶ。
「だいじょうぶです。業さま。すぐに雨が本降りになって火は消えます。女たちは
近くの邸からも
この日、
伊都を、無傷の棟に寝かせたあと、「
「みんなが」と業平。
「ああ。人手が多すぎるので、怪我人がいないのを確かめて引き返したそうだ。なんでも言ってこいとの伝言だ。音兄からは、すでに
「ここでしたか」と岡田
「狛。東の市にも落雷があったそうだが、ここにいて大丈夫なのか」と守平。
「あっちは息子たちがおりますから、なんとかしてましょう」と狛。
「いつも、ありがとう」と業平。
「こりゃ珍しい。礼をいわれちまった。いえね。ご門のまえには見舞客がつめかけています。そこで、こいつを一つ、お目にかけようと思いましてね」と狛が差しだしたのは、古くて小さな欠けた
「なに、これ」と業平。
「差し入れですよ。
「見えてる。でも、だれが」と業平。
「さあね。名乗ってゆきませんでしたが、貧しい身なりの若い娘で、どこかのお邸の下働きでしょう。そういうのが多いのですよ。おそらく、在五さま
酒と盃を運んで、サンセイとモクミが加わった。
「なんとも、いじらしいねえ。あの娘は今夜、なにを食うのでしょう。水を飲んで寝るつもりですかな」と狛。守平が手をのばして、粟餅を取った。
「守さま。知らないところからの差し入れは、毒が盛られているかも知れない」とモクミが止める。
「かまうものか」とかじりつきながら、
「とるな。わたしに届けられたものだ」と業平。業平が、さきにパクリと餅をかじって、残りをモクミの口に突っ込んだ。
「在五さま。おまえさまは年をとっちゃいけませんよ。いつまでも若い娘に、いや、それだけじゃない。老いた女や男にも甘い夢を見せてくださいよ」と狛。
「年をとるなとは、むずかしい注文だな。じつは、業。使いを出そうとしているときに落雷さわぎを聞いて、言いそびれていたが母が戻ってきた」と守平が、辺りを見まわす。サンセイが素早く周囲に人の有り無しを確かめて、うなずく。
「父上が亡くなった」と守平。
「ん・・・」と業平。
「おまえの色好みを面白がられて、つぎの歌が届くのを楽しみにしていらしたそうだ」と守平。
業平が、
「粟餅をくれた娘にとって、これが一番、見かけのよい器だったのだろう」と、業平は愛おしそうに、古びた小皿をふところに入れた。
つぎの日から、雨が少なくなる合間をみて、伊都たちは東山の別荘に移った。
娘のころに、伊都が母の平子と暮らしていたところだ。荷物も少しずつ運んだが、天気が回復しない。回復しないどころか、
東山の別荘には、守平の邸からシャチがきた。
火事太りというぐらい火事見舞いの品があつまるが、今回は雷でこわれた珍しい例で、普段は
阿保は地方豪族として自由に余生を楽しんで、東の地に土地の娘を母とする二人の幼子も遺して往生したらしい。
「公に認めることができなかった息子が、もっとも頼りになる息子だった。きっと後世に名を残すだろう」
音人が従五位下になったと聞いたときに阿保がそういって、祝い酒を近所に配ったとシャチから伝えられた音人は、胸がキュンとなって「ご遺髪を一房、別けていただけませんでしょうか」と、伊都の
「シャチどの。これからどうなさいます」と音人が聞く。
「はて…」とシャチが腕を組む。四十半ばになったはずだが、かわらずの
「一緒に、暮らしましょう」と伊都がさそう。
「それがよいとぞんじます。できれば、お二人で
「なぜです? 長岡は水害で、ひどいことになっているではありませんか」と伊都。
「別荘のあるところは高台で地盤も固く、これからも水害は起こりましょうが、水が上がることはないと存じます。今回も、はじめは放火かと疑いました。落雷と聞いてホッとしました」と音人。
「なにが、ホッとしたですか。音人どの。いきなり昼のように明るくなって、ドカン、グラグラですよ。耳はキーンとなるし変な匂いにセキこむし……」と伊都。
「伊都さま。まだ、はっきり伺っていませんが、雷はどこに落ちたのです」とシャチ。
「さあ…どこでしたっけ?」と伊都。
「銀杏の木が育ちましてね。母上」と守平。
「うちは放火されそうなのですか。兄上」と業平が聞く。
「いや、そういう情報はないが、用心するに越したことはない」と音人。
「どうして?」と業平。
「都の
「良くはならないのですか」と守平。
「上が乱れているから下も乱れる。帝が、ご政道を正そうとしておられる。藤氏や源氏の君たちにも、
帝は民政に心を配る立派な
「また、なにかが起こるとでも」と守平。
「善い人が黙ってしまうと悪がはびこるっていうでしょう。正しい人が立ちあがって藤氏や源氏を追い出して、帝の親政を助けたらよいではありませんか」と業平。
「源氏の君たちは帝のご兄弟。太政官の多くが良房さまの兄弟と源氏の君だ。
それに源氏や藤氏のなかにも、常識のある人格者はおられる」と音人。
「イガイと小心ですねえ。音兄」と守平。
「わたしは
善人が
そのうえ悪は敵対する者を始末するが、善は始末されるだけで手をださない。手をだしたら悪になってしまう」と音人。
「それって、救いようのないドウドウめぐり」と業平。
「今回の
わたしは学者畑の人間だから、公平な立場を貫いてゆきたい。
だが、わたしにできるのは、藤原
今年から参議に加わった良相は、
その妻が
だから音人と良相は姻戚関係で、年齢も音人が二歳上と近いので親しい。
「守平も業平も、自分の手の届く範囲で正しいと思うことをすればよい。くれぐれも政争に巻き込まれないようにしてほしい」と音人。
「ご心配なく」と業平。
「いわれなくても楽しくないことはしない主義です」と守平。
音人は、阿保の遺髪をおさめた胸のあたりに手をおいた。
「外では儀礼的な接しかたしかできないし、立場が対立するときが来るかも知れないが、わたしは、おなじ血をもつ弟たちを裏切らない。
伊都さま。長岡なら
「長岡に行ったら、業平と会えなくなります。業平」と伊都。
「はい?」
「女子のあいだを訪れるように、わたしのところにも来てくれますね」
「もちろん!」
「来ないと、わたしも歌を詠んで、岡田狛とやらに頼んで世に広めてもらいますよ!」と伊都が言う。
珍しい人も訪ねて来た。
「まあ…
伊都の叔父の藤原
「あらーぁ。大きくなって。いくつになりました。
「六歳になります」と睦子。
睦子の息子で伊都の従弟になる子は、すっかり少年らしくなっていた。
「大叔母さま」と業平。
「睦子でけっこうです」
「いまも
良房の兄の
「はい。すっかり住みなれてしまいました」と睦子。
「長良どのの姫も、邦雄どのと同じ歳ですよね」と業平。
「そうです。むかしから業平さまは、きれいな方だと思っていましたが、ますます
でも
菓子や飲みものを運ぶ女房と供に、シャチが来て座った。変わった姿に、すこし目を見開いたが睦子は動じない。
「兄の守平の母です」と業平。
「伊都さまの叔父の妻で、睦子ともうします」と睦子。
「シャチともうします」
「
「姉君が一人おられるのですが、ずいぶん前に
ですから高子さまは、六人の男兄弟のなかで育ったようなものですから、まあ、気が強いこと…」と睦子。
「枇杷第では、お子たちが一緒に住まわれているのですか」と伊都。
「はい。たしか、お二人は
「じゃあ
「そうらしいです。長良さまが穏やかな方なので、お邸はにぎやかで、あっちで喧嘩、こっちで悪戯。止めに入るのは、いつも
「その方は?」と業平。
「三男で十一歳になられます。しっかりして頭の良い、子供らしくないお子で・・・」と睦子。
「お嫌いですか」とシャチ。
「そう聞かれると…。子供らしくないので可愛いとは思いません。でも嫌うほど性根が曲がった子ではありません。しっかりしていて物事も理解しています。いずれ
良房さまは、この基経さまを、お気に入りのようすです」と睦子。
「右大臣が枇杷第に来られるのですか?」と業平。
「ええ。隣の
水害の被害が、おおよそ片付いて路が復旧してから、伊都はシャチと長岡の別荘に越していった。
落雷が落ちた邸は官に売った。これで左京二条三坊にあった阿保親王と伊都内親王の邸はなくなった。業平は蔵麿たちをつれて左京三条四坊の、守平の住居と背を合わす邸に移った。
「守平さまがみえました。外に来ていただきたいと申されています」と伊都の女房が伝えにきた。
長岡の別荘は、皇太子時代の
「伊都さま。母上」と足を洗っていた守平が、井戸のまえで手をふった。
「紹介します」と守平。
縦にも横にも大きな娘が、そばにいる。守平の妻…?と顔を見合わせた伊都とシャチに、娘の影になっていたモクミが出てきて頭をさげた。
「伊都さま。シャチさま。妻の
「あーァ。そうなの」と伊都。
「モクミの子が腹にいます。まえの勤めは、子供を育てる環境ではありません。伊都さま。母上。おねがいします」と守平。
「小夜には身寄りがありません。おねがいします」とモクミ。
「シャチどの。にぎやかになりそうですね」と伊都が、うれしそうにシャチを見た。
庶民は何人もの妻をやしなう
業平は家の造作を工夫するのが好きで、長岡の家の壁に、わざわざヒビを入れて隙間に花の種を植え、新しい垣根に古色をつけて、井戸の
だから、よく長岡に来て泊まるのだが、それでも一緒に暮らしていた一人息子が、少しでも
大晦日だから忙しいのを知っていて、伊都が送った歌。
(年を取ると 死別という避けられない別れがありますよ そう思うと会いたい 直ぐにでも会いに来て欲しい)
業平の返しは、
世の中に さらぬ別れの なくもなが
(世の中に死別なぞ無ければよいのに 千年も生きてほしいと祈る子供の為に)
翌年は、八四九年(嘉祥二年)。
右大臣の
在原業平も二十四歳で従五位下になり、貴族の仲間入りをした。守平より早い叙位は、母が内親王で蔵人として天皇のそばに仕えていたからで、叙位はされたが役職がない
従五位下なら、天皇に呼ばれても
登庁はするけれど職場も仕事もない。サンセイとモクミのどちらかを適当に連れてきているが、舎人の溜りに待たせている。宮城のなかでは一人きりで身を持て余す。
宮城には六千何百人かの経験豊かな
帝の四十歳の祝いに、右大臣の良房が
「
「お相手?」と業平。
「はい。後宮を
「それは、お相手といわずに見張りというのでは?」
「はい。しっかり見張らせていただきます」
「まだ昼前だというのに、なにを考えている。べつに用があるわけではないので…」と業平が腰を上げかけると、「やはり宗貞さまは、おられませんね」と一人の女房が供の小女房をつれて入ってきた。
「お借りしておりました書を、お返しにまいりました。おられましたら、ついでに、お話でもと思っておりましたが・・・おや。先客がおみえですか」と業平を見て首を傾げて、その女房が座りこんだ。
髪にいく筋が光るものが混じっているから、四十を三つか四つ、いや、もっと超えているかもしれない。
「もしや、
「あのう…。どこかで、お会いしましたか」と業平。
「いいえ。
妹に文をだした。さあて…。なにしろ女房たちに
「
シンシンと冷え込むので、気を利かせた宗貞の従者が聞いた。
「はい。おねがいします」と女房。
小野町。
「なるほど。みごとに美しいかたですね」と言う小野町の声の調子で、業平はけなされた気がした。
「正面を向いて、美しさの形を決めておられる。でも気を抜かれるときはありませんか。こんなところを人に見られたくないと、思われることはないですか。そういうときの姿まで自然に演じることができれば、その艶やかさに厚みが出るような気がします」と小野町。皮肉にも聞こえるが、適切な助言のような気もする。
「見た目がすべてですよ。あなたは、まだ形にとらわれておられるように見えます。形にとらわれると人間が小さくなります。
まあ生意気なことを言ってしまいました。ちょっと気が立っておりましてね。
漢学や漢詩を重用された嵯峨の帝から、妹や蔵人頭さまのような和歌よみ人を、帝は守ってこられました。その帝にむかって、
きっと人と共感できる感性が、欠如しておられるのですよ!」と小野町。
言いたいことを言ってくれたので、うれしくなった業平が笑った。
「あら。まあ。よい笑顔」と小野町は座り直し、
「在五さま。人の命は、はかないものですが、歌は人の心を活かしたままで後世に
在五さま。いつでも忍んでおいでなさいな。わたしは歳の差などは気にいたしませんよ」と小野町は立ち上がった。
「なにか…?」と、近衛兵の一人が声をかけてくれる。
「在原行平は、おりますでしょうか」と業平。
「
「もしかして?」と、もう一人が近づいてきて「在五どのですか?」
「はい」
「おい。在五どのだ」「お入りください」「少将をよんでまいります」と近衛兵。
「おじゃまでは、ないですか」と業平。
「近衛は
「まあ、どうぞ」「いやあ、実物に会えるとは…」
近衛兵は天皇の警護と儀式にでるが、戦闘に出向くことはない。それでも訓練はしている。乗馬、武闘、音楽、行進などが主な訓練内容だ。文官とちがって、冠の上につける
行平がやって来た。
「…じゃま?」と業平が聞く。
「いや、時間はある」と行平も、帰れとは言わない。
「わたしより大きい」と近づいてきた近衛。平均身長は一五十六,七センチで、一八十センチを超えると雲を突くような大男だ。一七二センチの業平は大きいほうだ。
「細くて折れそうな人だと思っていました。でも想像していたより色白で美しい」
「こんな弟がいるなんて、在少将がうらやましい」と近衛兵が口々に言う。
「でも、なにも知らないよ」と行平が小声でつぶやいた。
いつもはキンキンと文句ばかり聞かされるから、どうしたのかと顔をのぞいたら照れている。それが新鮮で、業平は行平に
「ウソでしょう。あんな歌をつくれるのに」
「和歌は詠めても漢詩は作れない。まず
「わたしも」「わたしも」「利口なら文官になっている」「いや、わたしは漢詩を詠める」と近衛兵たち。
そこへ見張っていたのだろう。「
近衛兵が、あっという間に整列した。外へでる機会をのがした業平は、目立たぬように隅にうつる。入って来たのは、すらりとした中将で、行平より若く業平より年上だろう。
「要請がでた。
「
「うけたまわりました。中将」と行平。
「ところで行平どの。
「はい。業平です」と行平。
中将は業平に向き合うと、「かすが野の 若紫の すり衣 しのぶの乱れ 限り知られず」と、いきなり業平の昔の歌を歌いあげて「文を届けても、よろしいな?」と聞く。
この人、なに? 恥じらいもなく成り切っているから、そこそこ
中将は軽くうなずいて、サッと
中将の姿が消えるのを待って「すごいものを見てしまった」「
「あの方は、どなたです」と業平。
「右近衛の中将の
「ミナモトってことは、源氏?」と業平。
「嵯峨の帝の第十二皇子。今上の
「フーン」と業平。
「内裏で元服されたのを知らないのか」と行平。
「
「あいにく
行平は右の眉を吊りあげ、業平に親近感をもったらしい近衛兵たちは笑った。
「しばらく忙しくなりそうだけれど、いつでも顔をだしてくださいよ。在五どの」
「家に帰ったら、在五どのを知っていると自慢します」と近衛兵。
しばらくして源
みちのくの 忍ぶもぢずり 誰ゆえに みだれむと思う 我ならなくに
(越後の国が作る 紫色の
六位以下の
業平は散位の生活にもなれてきた。顔見知りもできたし、近衛兵たちとは友達になった。
秋七月。
「どこから来る?」と音人。
「目立つと困るでしょう。狭いところを抜けるのは、なれているから。いつもは月明りでするけれどね」と
「
「兄上。父上の
自分の思いつきで頭がいっぱいになり、相手にかまわず話をする業平の癖は分かっているので、音人は懐から
「やっぱり肌身につけていた。これ使って」と業平が取りだしたのは小さな袋物。
「みごとな
「手先の器用な
「どなたかが作ってくださったのか。わたしのために心を込めて、一針一針を
十四歳も年下で、子供のころには勉強を教えていたから、つい音人は父親のような気持になってしまう。
「それは音兄のものだと言ってある。わたしのは、これ」と業平が首の紐をひいて、おなじような小袋をとりだした。そには
「そうか。おまえは、なにを入れている」と音人。
業平は袋口をゆるめて振り、
「皿を持ち歩けないから割って入れた。
これが生きていてもよいと、わたしの後を押してくれる。
ときどき生きているのか、いないのか……どうでもよくなって、
そんなときに、これを確かめる。これは、わたしの月の欠片だから」と業平。
「そうか」と音人はうなずいたが、まったく分からない。ただ生と死のあいだを
子供のころから、どこか危なっかしいところが、この子にはあった。頭は悪くないし勘もよいのだが、思考が不整理なのではないだろうか。なにを人生の一番にするかが決まっていないのだろう。それが不明だと、自分の立ち位置が決められない。
いや。自分の立ち位置が分からない人は大勢いる。それとは違う。
もしかしたら、なにをしたいかは決まっているが、立とうとしている場所が不安定なのか。
ちゃんと言ったでないか。生と死。
天明は夜明けまえの薄明かりだが、真夜中に日付が変わるのではなく夜明けが一日のはじまりになる。天明は昨日と今日の境目だ。
官人という現実と恋多き和歌の名手のはざまで、すたれた和歌の復活を、この子は
「兄者」と業平。
「ん」
「父上の車を
父の阿保は、生前は三品
「あれは
わたしが使うわけにはいかない」と音人。
「親王用の屋根を取っちゃえばいい。あの車を持つのは兄者のような気がする。
守とわたしは、もっと簡単な
「おい!」
止めようとしたが、業平は素早く書棚のうしろに身を隠してしまった。
どこかに忍び込んでは隠れるようなくらしをしているのか。足音がして咳払い。人影が差して
「起きておられましたか。大枝どの」と部屋に入った是善。
膝をついて円座に座ろうとして、鼻をクンクンさせる。
「これは、とんだ
「
「在原どの?」と是善が動きを止める。
「業平! 子供じゃないのだから、出てきて、ご挨拶をなさい!」と音人。
業平が座ったときには、すでに席についていた是善が笑顔で、
「花の香りがいたしましたので遠慮しようと思いましたが、これはまた、どこぞの女房よりも数段と色っぽい方を、曹司に引き入れておられたとは…。
是善の父の
「在原業平です」
「管どの。ご用でしたら席を外させます」と音人。
「いや。すぐに知れることです」と是善が、来た方向に人がいないかを確かめる。
そういうことには察しのよい業平が、潜り戸の外を確かめて、自分が脱いだ靴を中に入れた。是善が膝を寄せる。
「先月、明子さまが体の不調をうったえて
本日、ご
良房の娘の明子は、道康皇太子の
そのころ守平は、モクミと
大秦の本筋の次男だというムカデは十六歳だがデカい。
モクミがチョイと守平の袖を引っぱった。
「ん?」
モクミの目線のさきに、浮浪者らしい汚れた少年が、
キョロキョロと落ちているものをさがしながら、少年は市の西門から外にでる。門の周りにも物売りがいて、ここにも浮浪者がたまって手をさしだして
守平は少年のあとをつけはじめた。
都に住む人の数が足りずに、いまだに転居者を歓迎している。
家のない浮浪者は多いが、戸籍も住むところもないから人として数えていない。
浮浪者の利用施設もあるが、だれも使わないほどひどく、近々、とり壊しになるはずだ。
守平は少年が入った築地塀のすきまから、なかに入った。モクミもムカデもついてくる。庭に座っているだけの二人の男が、どんよりした目を向けた。
「
いつか教えられた浮浪者を束ねているという爺さんの名を、モクミが口にした。
「ホウの知り合いだ。通してくだされ」と、すっかり都なれしたモクミが言う。
大柄なムカデとモクミは、きれいな
少年がゴザをもって外に出てきので、守平たちは夏草の中に身を潜めた。
すり切れたゴザを
「お母さま。今夜は
やはりと守平は立ち上がった。少年のようにみえるが娘ではないかと感じて、どうしてか分からないが気になって、つけて来たのだ。
「だれ?」と娘も薄紫の
ずっと洗っていないのか、髪が地肌からでる油で房になっている。
「母者のぐあいでも悪いのか」と聞きながら守平が近づくと、すえた貧乏の臭いが鼻につく。
「来るな!」と足もとの石を拾って、娘が目を光らせる。
「どうしました」と小屋のムシロを上げて、骨が分かるほどに痩せた母親らしい女が
「病まれているのか」と守平。
「どなたです。何をしにまいられました」と苦しそうに母親。
「怪しいものではありません」と守平。
「
「こちらは
「おまえらが名乗ると、さらに怪しくならないか?」と守平。
「在原さまとおっしゃいますか。もしや亡くなられた
「はい。在四さまです」とモクミ。
「そのような、お方が、なんのご用でまいられました?」と母親。首を上げているだけで苦しそうだ。
「市で見かけて気になった」と守平。
「それで
怒鳴られて、娘を正面から見た守平の胸がドッキン!とする。鋭くにらんでいるが、切れ長できれいな目をしている。汚れているが面立ちがよい。
母親はやせているが、髪も
「困っているようだが、わたしの家で働く気はないか」と守平が聞く。
母と娘が黙って互いを見つめ合う。
「母者は
「医師に、みせてもらえるか?」と娘。
「ああ。みせよう」と守平。
「薬もくれるか」と娘。
「約束する」と守平。
「…なにを、すればよい」と娘。
「働く気があるのなら、まず連れて帰る。あとのことは家のものに聞け。名はなんという」と守平。
「このような暮らしをしているものに、名なぞ、ございません!」と母親が言った。
長年の栄養失調だったらしく、母親は一か月もすると起き上がれるようになった。
二十歳ぐらいの娘は、こざっぱりした
「
十月のはじめに母親と娘が、改まって守平のくらす
「用か」と蔵麿と
「お世話になりました」と母親。
「出てゆくのか」と守平。
「はい」と母親。
「あては、あるのか」と守平。母親が下を向く。
「では、ここに居ればよい」と守平。
「わたしは、
「リンコ。リンコ。どういう字を当てる?」と守平。
「それが、なにか?」と蔵麿が聞いた。
「お聞き覚えはございませんか?」と母の元子。
「いや、まったく。ぜんぜん。すまないが覚えがない。わたしの知り合いだろうか」と守平が蔵麿に助けを求める。
「うーん。伴氏…。
「はい。
「ああ。そうでございますか」と蔵麿。
「どなた。ジイの知り合いか?」と守平。
「
守さまが、のんびり船に乗って海の上におられたころのことです」と蔵麿。
「あれは父上が
「伴健岑さまが逮捕されましたときに、たまたま都をたずねていて健峯さまのお邸に滞在していたため、巻き込まれて裁かれた方がございます。その方が伊勢斎宮の主馬頭さまでした」と蔵麿。
「えっ。
「はい。それで
「では、わたしについて来たのは父を恨んでのことか。恨みを果たそうとしてか」と守平。
「いいえ。わたしたちも何があったのかを必死で調べました。事情は知っております。たまたま都に来ていた水上は、運が悪かっただけです。ただ働かないかと言われたときに、すがっても良いのではないかと思いました」と元子。
「じゃあ、なぜ出て行く」と守平。
「守平さまには良くしていただきました。わたしたちは罪人の家族です。これ以上お邸に留まってはいけません」と元子。
「たしか、
「尋問がきびしかったのでしょう。都を追われて、すぐに水上は亡くなりました。あのとき裁かれた方々の罪は許されましたが、なぜか水上の名はございません」と元子。
「巻き込まれだから、こんどは記載もれでは?」と古井。
「ここに居りますと、ご迷惑をおかけします」と元子。
「迷惑なら、かけてくれ。頼む。リンコ。リンコどの。一生、わたしに迷惑をかけつづけてくれないか」と守平。
「リンコさまをつけたときに、後ろ姿が、お若いころのシャチさまに似ていたとモクミが言ってました」と古井が、蔵麿にささやいた。
「そういうことですか。守さまは
「ん?」と守平。
「なるほど。そう言われれば、どことなくシャチさまに似ておられますな。
そういうことでしたら倫子さま。守さまは、あなたさまに会ったときから心を
守さまの気持ちがご迷惑なら、うとましいとはっきり言って、それはそれ。
わたしが目を光らせておりますから、
どうぞ安心して、この邸で過ごされませ。これから寒くなります。お母上のためにも、おとどまりくだされ」と蔵麿。
「ご負担になるでしょう」と倫子。
「守さまは、つくされるより、つくす方が好きですから、お気になさいますな」と蔵麿。
「伴水上さまのことは、
「承和の変から七年余りになりますか。ご苦労されましたな。元子さま。倫子さま」と蔵麿が小さな目を細くした。
十一月二十二日に、
皇太子になったころに、その梅の枝を折って仁明天皇に叱られたところだ。
この日の宴には、左右大臣、大納言、中納言、少納言、参議、各卿などの
日暮れが早く
弾き終ると「子らとの初謁は終えたか」と仁明天皇が皇太子に声をかけた。
道康が東宮から出るときは、公用でも私用でも右大臣の
その個人的な会話を、仁明天皇は公卿と五位以上の文官のまえで口にした。
「まだです」と道康。
「どのような皇子がいる」と仁明天皇。
「第一子は、紀名虎の娘の子で五歳になります。第二子は、伴氏の娘の子で四歳になります。第三子は、第一皇子とおなじ、紀名虎の娘の子で三歳になります」
お耳に入っているはずなのに、と思いながら道康が答える。
仁明天皇は周りを見まわした。声のとどくところに太政官がそろっている。
「
うれしい驚きで道康は緊張した。その喜びを、背後にいる良房に気取られたくないから、必死になって背中のこわばりをゆるめ、声が震えそうなので小さく一息で答える。
「うけたまわりました」
仁明天皇は玉座にもどり、やがて退出されて宴も終わった。
それから三日後に、良房にいわれて道康は仁明天皇に食事を届けた。調理した料理と、ほかにも新鮮な食材を、東宮から内裏にたくさんデリバリーしたのだ。
息子から食事を届けられたら、もてなさないわけにゆかないから、仁明天皇は住いとしている
道康にくっついて
ごく少人数で、一緒に楽しく飲み食いしたが、ほんとうは打ち解けられる
嵯峨の帝が亡くなってから、仁明天皇と良房は対立している。
仁明天皇が可愛がっている第二皇子の
それに先日の、皇太子の第一皇子を親王にいう発言だ。
道康の立太子のときに、嫡子相伝が正しいと言いはって太政官をまとめたのは良房だった。だが平安京で嫡子相伝が行われたのは、
仁明天皇が譲位をきめて、道康の皇太子に異母弟の宗康親王を立てるようにと望んでも不自然がない。
宗康親王は、良房の兄の長良の妻の妹の子だ。長良には甥にあたるが、良房との縁はない。食べて飲んで座がなごんだときに、良房は自分の娘の明子の妊娠をつたえて、早まったことをしないでほしいと言うつもりだったのに、くつろいだようすの仁明天皇が、さきに聞いた。
「
「は」
「いにしえの和歌では、どれを好むのか?」と仁明天皇。
「……」と良房は黙った。
和歌愛好家は古い歌も知っているが、まだ
そのあと深夜まで歓談したが、論争を聞くのが好きで自身も
「お疲れでございましょう」と客が引きあげたあとで、蔵人頭の
「嫡子相伝が正しいと、良房は皇太子を立てた。しかし、嫡子相伝をゆがめたのは、そもそも良房の父と祖父であろう。
皇位継承を藤氏にあやつられるなかで、藤氏の血をつぐ皇太子は、どうするかな。
あの皇太子は、
仁明天皇の目に光がある。宗貞が、ふと微笑んだ。
「どうした」と仁明天皇。
「いえ。ごゆっくり、お休みください」と宗貞。
チラッと宗貞は思ったのだ。
……そりゃない、ナイ!。天下国家のためにも、和歌の
八五〇年(
元日は雨だったので
ふだんは朝賀の儀式は
そして正月四日に、例年のように母の
冷泉院は距離は近いが宮城の外の左京二条三坊にある。親王や太政官たちが列をなして供をした。太皇太后の娘の子、つまり孫の恒貞親王を謀反の罪で廃して皇太子になった道康は
宴がもりあがり、そろそろ引きあげるころに、天皇は玉座の
笏を両手に持ってひざまずくのは正式な儀礼の形で、天皇に敬意をあらわすときにする。酔っぱらって庭をながめに行ったのではない。
階の下で南をむいて威儀を正した天皇は、左大臣の源
宮城が北に作られて都を見下ろすように、天皇の座は、いつも北の高いところにあり、北から南にいる臣下を見下ろす。臣下は南から北の天皇をあおぐ。
これは絶対の決まりだから、ちょうど酒がまわって寒さもしのげ、よい心持になっていた親王や貴族たちはうろたえた。かれらがいる部屋は、ひざまずいた仁明天皇と左右の大臣の北にあり庭より高い。
「
この日は北風が強く吹き、雪が舞っていた。
京の都は地下水源が豊富な盆地なので、緯度のわりには底冷えがする。秋の紅葉が山の
北風に
「親に対する礼は尊むべきもので、太皇太后のお望みをかなえるのが、よろしいでしょう」と
返事を聞いた天皇は、ゆっくりと立ち上がって階を登って部屋にもどり、太皇太后のいる
天皇が太皇太后に
良房が知るかぎり、臣下のように北を向いて座った天皇は
いま仁明天皇が北を向いて座ったのは、大いに口を出すにちがいない母の嘉智子だ。側近を参議にして、母の太皇太后に臣下の礼をとり発言力を強化する。
こんなことをつづけられたら、良房の夢は
やがて
乗るまえに動きをとめて太皇太后のほうに向き直る。重い雲にさえぎられた外は、光が閉ざされて
仁明天皇の背後で、風にあおられた雪が
二日後の一月六日に、仁明天皇が倒れた。
もともと高熱をだして寝込むことがある天皇だが、熱がでても二、三日で政務にもどった。ウイルス系の病気は、風が目にみえない
仁明天皇は、そういう病持ちで、自分で
七日と八日におこなわれた正月の叙位の式は欠席。十六日におこなわれた
二月一日に、
皇太子になるまで良房の邸にいた道康に、天皇は一度もふれたことがない。道康が恐る恐る手をのばしたときには、天皇の手は力なく下りていた。
心の思いを目にこめて道康は父を見る。仁明天皇は、かすかにうなずくと、良房を無視して宗貞に合図した。すでに書かれていた遺言書が、左大臣の常に渡された。
それから一か月半余りもあとの三月二十日ごろまでのあいだに、なにが起こったのか、父と対面したあとで東宮に戻った道康皇太子には分からない。内裏には僧侶が集められて、たえず経が読まれていた。二月十九日に、冷泉院の嘉智子太皇太后が心痛のあまりに倒れ、六日後の二月二十五日に、太皇太后の娘で仁明天皇の妹の秀子内親王が亡くなった。
三月十一日に、仁明天皇は
それを知った良房から、内裏に来てひかえるようにと道康皇太子は言われた。
三月二十一日に、仁明天皇の
臨終の父に会うこともなく、すぐに道康は
道康のうえに、重いものがのしかかってきた。
「お上がりください」
追いかえされると思ったのに、業平は
「お通夜とか、ご葬儀とかは?」と業平。
「みなさま。東宮にゆかれましたから、こちらには近臣しか残っておりません」と宗貞。
「
「ほったらかしです。
「奪われたとおっしゃいましたか?」と業平。
「わたしの
「病みつかれてからも頭はしっかりしておられました。良房は皇太子に
ですから崩御を知らせますと、スワッとばかりに、すぐに皇太子と神器を東宮に運びだしましたよ」と宗貞。
右大臣を呼びすてにしているのは、もちろん嫌っているからだが、この人は良房の従弟でもある。父親同士が、母をおなじくする異父兄弟なのだ。
「譲位なさらなかったのは、回復される見込みがあったからですか」と業平。
「死期は
「なら…」
「そもそものはじめは、良房が、でっちあげた
帝は
「今回も道康皇太子への譲位に応ぜず、宗康親王に譲位なさろうと…」
「いいえ。帝は頭の良いかたです。後ろ盾のない宗康親王の身を案じて出家をすすめられたのは帝です。帝は書いていない行間に意味をもたせたのですよ。譲位をせずに出家して内裏で崩御される。それが表です。
それを、どう読み解くかは人によってちがうでしょう。帝は、道康皇太子さまのことも心配されておりました」と宗貞。
「皇太子さまをですか」と業平。
「良房を
「は……」
「あなたの叔父上が、若い僧侶を伴なっておいでになっています。
仁明天皇の遺体を安置した清涼殿は、白い布でおおわれて、ようすが変わっていた。御遺体のそばの仏壇にむかって、数人の僧侶と尼僧が経を唱えている。そのまわりを大勢の僧が囲んでいる。
仁明天皇に仕えた蔵人や女房は、喪服を着て
僧の中心に、
「
ならば、その横で
宗貞が正子皇太后のそばにより、耳打ちした。正子皇太后が頭を巡らせて、業平を見た。この人も、兄の仁明天皇に似ている。太政官たちが東宮に移ってくれて、ほんとうに心ある葬儀になったと思いながら、業平は深く頭を下げた。
真如は
良岑宗貞は出家してからの遍照の名のほうが、のちの世に伝わって知られている和歌の名手だ。遍照は宮中を下げられた
そのころ東宮では、法要などほったらかして集まった太政官らが論議の最中だった。
討論好きの仁明天皇は、決着をつけなかったことで次代に大きな議案を、いくつものこした。
右大臣の妹を母とする皇太子に、
「まず親王さまですが、亡くなった帝の思し召しがありますので第一皇子に親王宣下をすることを、皇太子さまは強く望まれております」と仁明天皇の近臣で、元
「第一皇子の母は
小野の野の字をとって
「第一皇子の母の姉は、亡き帝のもとを下げられた更衣でした。過失を犯した更衣の妹の子を親王にすることに反対です」と源
「先ほども申しましたが、亡き帝の思し召しがあり新天皇となられる皇太子さまが望んでおられます」と篁はゆれがない。
良房は、自分は鳥のように空の上から人を観察できると思っている。たとえ本当に少しぐらい人を
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