第七話 大幣と 名にこそ立てれ 流れても…


八四七年。承和十三年。

五月の末から六月にかけて、台風や大雨がつづいた。

そして六月十六日に、正四位下の紀名虎きのなとらが亡くなった。

六月も末の夜に、三条三坊にある紀氏の邸を、仲平なかひらが訪ねてきた。仏前に手を合わせてから「葬儀のときは参列だけで申しわけなかった」と、名虎の息子の有常ありつねに向きなおって挨拶をする。

「いや。兄上が好きなようにしてください」と答えたのは、有常のよこに座った行平ゆきひら。仲平が来るという使いをもらって、さきに来て待っていた。

音兄おとにいは代参をたてられたから、気にしないでいいですよ」と守平もりひら。こっちは、名虎の邸の筋向いに住んでいるので、声をかけるとすぐに来る。

大枝本主おおえのもとぬしさまが、ずっと居てくださいました」と紀有常。

「本主どのは、お元気ですか」と仲平。

「すっかり年をとられました」と有常。

葛井三好ふじいのみよしも、かや御所ごしょ小木麻呂おぎまろも、すでに故人となっている。

五十代が長寿になるかどうかの別れみちのようだ。官僚かんりょうには定年がないから、うじの長者の寿命次第で残される一族の未来も変わる。

名虎のあとをついだ有常は、三十四歳で正六位上、まだ五位になっていない。

仲平は三十一歳で、従五位下の散位さんい

行平は二十九歳で、従五位上で、伊予権守いよごんのかみ右近衛うこのえ少将しょうじょうを兼任している。

守平は二十四歳で無位。業平は二十二歳で正六位上の蔵人くろうど

三十六歳になった大枝音人おおえのおとんどは、従五位下になっている。こちらは下から叩き上げて、実力で貴族と呼ばれる五位まで昇ってきた。

「名虎どのは、心残りだったでしょう」と仲平。

刑部卿ぎょうぶきょうをやめて、いずれ参議にという思いはありましたので、心残りだったでしょう」と有常。

「まったく、良房よしふささまにとっては都合の良いときに亡くなられた」と行平が眉を上げる。

「行平さま。父は寿命です。わたしは妹の縁に頼るだけが、紀氏の生きる道だとは思えません。この邸で育つ御子たちが、つつがなく過ごされることだけを願っています」と有常。

一族に強い影響力のある、その時の実力者をうじ長者ちょうじゃという。名虎は親分肌で、皇太子に娘を入内させてからは紀氏の長者とみられていた。三十を過ぎた名虎の息子が、じじむさいことを言ってよいのだろうかと、行平は物足りない。

「服喪で妹が戻っておりますが、お会いになりますか」と有常が仲平に聞いた。

「お目にかかれるのですか?」と仲平の声がはずむ。

在原氏を名乗る男子は、阿保あぼ家の四人と真如しんにょの息子二人だが、桓武かんむ天皇の娘を母にもつ業平を除いて母方の出自しゅつじが低い。阿保も真如も母の出自が低いから、奈良の帝系の在原氏は軽くあつかわれているように行平は感じている。だいたい長兄でありながら、在原氏をなんとかしようという気概きがいがなく、さきに弟の行平に出世されても、ノホホンとしている仲平も悪い。

涼子りょうこ。お伺いしてきてくれないか」と有常が娘の涼子に言った。

「はい」

やがて衣擦きぬずれの音がして、道康皇太子の更衣こういの静子と、赤子を抱いた乳母が上席についた。行平と近い年頃の尼と娘の涼子が有常のそばに座る。

「阿保親王さまのお子の、在原仲平さまと守平さまです」と有常が妹の静子に紹介する。

「皇太子さまの、第三子になられます御子さまと、更衣の紀静子きのしずこさまでございます」と、有常のよこから紹介したのは尼さんだ。

「このたびは、御愁傷ごしゅうしょうのことと存じます」と仲平が言い守平も一緒に頭をさげた。

「仲平さま。聞いていましたとおりに、やさしげなお方ですね。わたしは名虎の娘で妙信みょうしんともうします」と尼さん。

このシャキシャキした尼さんに、どこかで行平は会ったことがあるような気がする。

「もしかして…三国みくにまちさま?」と行平が聞く。

「はい。もとの三国の町、もとの紀種子たねこです。お久しぶりでございますね。行平さま。あなたさまが加冠かかんをなさるまえに、深草でお目にかかっておりますね」と妙信。

やはり名虎の姉娘のおせっかい種子だ。仁明天皇の更衣で一男一女をもうけたが、過失があって下げられたと聞いている。

「いまは、どちらに?」と行平。

「父が亡くなり、ここも寂しくなりましたので移ってこようかと思っています。

眞子内親王まこないしんのうさまも、そのほうが、お心強いでしょうし、静子さまの、お話し相手ぐらいはつとまりましょう」と妙信。

静子さまと呼んでいるが、種子が姉で静子が妹。

大宰府から帰って、しばらく深草の母の家に住んでいた行平の幼馴染だ。種子の娘の眞子内親王は、この名虎の邸にいるはずだが、体が弱いとかで行平も会ったことがない。

「それは、まあ…」と行平。

御子みこさまは、おいくつですか」と仲平が、聞いた。

「この冬で一年です。可愛いですよ。一人で歩きまわるようになりますと手が掛かりますが」と妙信が答える。

そこへ女房の笑い声と子供の笑い声が近づいてきた。やがて四つ這いの業平なりひらが、背中に三歳ぐらいの男の子を乗せてあらわれた。

「阿子さま。もののけを見つけました。馬を降りて退治しましょう」と業平。

「どこ?」と背中の子。

「ほれ、その色の黒いの!」と業平。

「業! わたしに振るな」とチョンと座りなおした守平が、もののけのふりをして構えてみせる。

「天下の色男も形無しでございましょう。仲平お兄さま」と涼子。

「はい?」

「仲平どの。ご案内もせずに世間には伏せておりますが、あらためてご紹介します。わたしの娘の涼子と、娘婿の業平さまです」と有常。

「はい。え…なに?」と仲平。

「わたしも知ったばかりだ」と行平。

「有常どの。こんな男を婿にして…よいのでしょうか?」と仲平。

「よいはずがありません!」と涼子。

「え…なにかと、よろしくおねがいします。そして、こちらが?」と仲平。

「皇太子さまの第一子の御子さまです」と妙信。

母の里で生まれて育つ天皇や皇太子の子は、はじめて父に会うまで名がない。初謁は五歳から十歳ごろまでに行われるが、それまでは阿子とか阿殿とか小殿とか御子とか、てきとうに呼ばれている。

「ああ…膝が痛い。すりむけていたら、どこで励んだのかと疑われるかもしれない」と業平が指貫さしぬきをたぐって白い膝をだした。指貫はふくらんだズボンで、生地を多く使うから貴族しか身に着けない。

「わたしは疑いません。いったい、どこの、どなたに疑われるのです!」と涼子。

「聞こえた?」と業平。

「嫌でも耳に入るように言ったでしょう。蔵人には当番があると聞きます。どうして、あなただけは、夜ごと宿直とのいをしなければならないのでしょうか」と涼子。

「帝が、くつろがれたときに和歌の話をなさりたいだろうと、いつでも参じられるように心がけて、宿直を変わってもらっている」と業平。

「ああ言えば、こう言う。深草の邸には、とんと顔を見せてくださらないではありませんか。どうして、こんな方を婿にしてしまったの。お父さま」と涼子。

「在五どのの妻は、おまえにしか、つとまらない」と有常。

こりゃ駄目だ…と行平は失望した。

蔵人になった業平は、おおいに艶名えんめいをはせている。宮城には多くの官庁があり多くの役職があるが、天皇の居住する内裏だいりのなかを職場とするのは蔵人くろうど侍従じじゅう内記ないきだけ。

ふつうは、従五位下以上の貴族でなければ昇殿しょうでんをゆるされないが、蔵人と侍従は五位以下でも天皇のそばに上がれる。宮城の官庁区は、女は下仕えの雑色ぞうしきだけの男の世界だが、内裏の中には天皇の後宮がある。

まだ規約がないが、天皇の妃は女御にょうご更衣こういに別けられている。女御は、藤壺ふじつぼ桐壺きりつぼなどの、つぼとよばれる一棟を居住に使うが、更衣は一部屋か几帳きちょうで区切った部屋の一画を居住に使う。女御や更衣に仕える女房にょうぼうも、宮中に仕える女房も、おなじような几帳で囲った一画を使う。これをまちとよぶ。

これまでは里に帰っている女房や、庶民の女性を相手に恋をしてきた六位の業平も、内裏に宿直すれば女房の町を訪れることができる。業平が蔵人をしていたのは、二十二歳から二十三歳までのあいだだから、腹を空かした大食いの猫が魚屋に飛び込んだように恋をしまくった。

近ごろ、行平が耳にした業平の歌がある。


大幣おおぬさの 引く手あまたに なりぬれば 思へどえこそ 頼まざりけり

(大幣のように みんなが引き寄せようとしている方ですから 恋しいと思っても 頼りにすることはできません) 詠み人知れず 


幣というのは、木に麻や紙の切り抜きを巻きつけた神官がお祓いに使う道具で、縁起物だから川に流されるのを奪いあってとった。特別な大幣は、ふつうの幣よりも奪いあいが激しい。そんな大幣のように女性がうばいあう人だから、あてにできないと、どこかの女房が詠みかけたのだ。この歌に業平が返したのが、


大幣と 名にこそ立てれ 流れても つひに寄るは ありてふものを

(大幣と 名前を立てられて流れても いつかはどこかの瀬に 辿りつくでしょう それは あなたかも……) 在原業平


これを聞いたときに行平は頭に血がのぼって、近くにあった香炉こうろを蹴とばして灰だらけになった。自分のことを大幣のように引く手あまたの男だと、名乗る奴がいるか!

それに詠み人知らずで歌いかけてくる女性が、どこのだれか分からないのに、歌が上手い。これだけの歌詠みなら、どこのだれか分かるだろうに…。もしかしたら、有常が女になって歌いかけたのでは…と行平は疑っている。

紀氏の存亡よりも、有常は業平の恋歌を広めることに熱心で、仲平は階級意識が欠落している。守平はゴロゴロなまけて登庁なぞ考えてもいないし、これじゃあ在家に未来はない。未来どころか、来年も、明日でさえもないかもしれない!

名虎の邸は有常が相続した。皇太子の子が育っているから一町の広さの邸は存続させなければならないというのに、ほんとうに、この先は大丈夫だろうか。


年の暮れに、嘉智子太皇太后かちこだいこうたいごうの弟で、右大臣の橘氏公たちばなのうじきみが亡くなった。皇嗣系の氏族なので地盤と厚みのない橘氏に、右大臣氏公の死は大きなダメージとなった。



翌年(八四八年・承和じょうわ十四年・嘉祥きしょう一年)の正月の叙位で、四十四歳の藤原良房が右大臣になった。

おなじ日の叙位で、良房の同母弟で従四位下の左近衛中将さこのえのちゅうじょう良相よしみ(三十五歳)が参議さんぎになる。すでに長兄の長良ながらが参議になっているから、源氏を除いて、おなじ一族から三人の太政官だじょうかんが立ったことになる。

左大臣は引き続き、源ときわ。良房が占めていた大納言になったのは、源まこと。信が占めていた中納言には、源ひろむがなった。

仁明天皇の側近からは、正月に従四位下になった伴善男とものよしおが、二月に参議になる。小野篁おののたかむらは、すでに参議。こちらも異例の昇進だ。

そして大枝音人は従五位下の大内記だいないきに、在原行平は右近衛少将うこのえのしょうじょうになった。

六月十二日に、白い亀があらわれた勝瑞しょうずいを祝って、年号は嘉祥かしょうにかわった。



年号が変わってまもない、七月二十九日。

「ジイ! 母上のそばを、はなれるな! サンセイ。だれも残っていないか。家より人だ」と業平が叫ぶ。

「だいじょうぶです。業さま。すぐに雨が本降りになって火は消えます。女たちは伊都いつさまと一緒に。男は馬を引き出して押えろ。残ったものは、西側の棟に荷物を運べ。ワレは火が回りそうなところを壊す」とサンセイ。

近くの邸からも舎人とねりたちが応援にきてくれて、サンセイの指示で家財を運びだすのを手伝ってくれる。噂をきいた守平とモクミが、三条の邸から従者をつれて駆けつける。ありがたいことに近くの在五ざいごフアンも、遠い六条からは岡田狛おかだのこまも人手をつれて来てくれた。


この日、伊都内親王いつないしんのうの邸に雷が落ちて火の手が上がった。家財を運び終わったあとで豪雨になり火災はたいしたことにならなかったが、伊都の住みくらしていた棟の半分がこわれてしまった。

伊都を、無傷の棟に寝かせたあと、「仲兄なかにいも、行兄ゆきにいも、音兄おとにいも、有常ありつねどのも来てくれたと、蔵磨くらまろ古井ふるいがいっていた」と荷物のあいだで、守平が業平に伝える。

「みんなが」と業平。

「ああ。人手が多すぎるので、怪我人がいないのを確かめて引き返したそうだ。なんでも言ってこいとの伝言だ。音兄からは、すでにちまきが山ほど届いている。ほかの兄たちからも、次々に見舞いの差し入れが届くぞ」と守平。

「ここでしたか」と岡田こまがやって来た。

「狛。東の市にも落雷があったそうだが、ここにいて大丈夫なのか」と守平。

「あっちは息子たちがおりますから、なんとかしてましょう」と狛。

「いつも、ありがとう」と業平。

「こりゃ珍しい。礼をいわれちまった。いえね。ご門のまえには見舞客がつめかけています。そこで、こいつを一つ、お目にかけようと思いましてね」と狛が差しだしたのは、古くて小さな欠けた土器かわらけだった。

「なに、これ」と業平。

「差し入れですよ。粟餅あわもちが二つ、のっています」と狛。

「見えてる。でも、だれが」と業平。

「さあね。名乗ってゆきませんでしたが、貧しい身なりの若い娘で、どこかのお邸の下働きでしょう。そういうのが多いのですよ。おそらく、在五さま贔屓ひいきでしょうな」と狛。

酒と盃を運んで、サンセイとモクミが加わった。

「なんとも、いじらしいねえ。あの娘は今夜、なにを食うのでしょう。水を飲んで寝るつもりですかな」と狛。守平が手をのばして、粟餅を取った。

「守さま。知らないところからの差し入れは、毒が盛られているかも知れない」とモクミが止める。

「かまうものか」とかじりつきながら、まぶたを閉じた守平のまつ毛に露がある。モクミが残りの粟餅に手をだした。

「とるな。わたしに届けられたものだ」と業平。業平が、さきにパクリと餅をかじって、残りをモクミの口に突っ込んだ。

「在五さま。おまえさまは年をとっちゃいけませんよ。いつまでも若い娘に、いや、それだけじゃない。老いた女や男にも甘い夢を見せてくださいよ」と狛。

「年をとるなとは、むずかしい注文だな。じつは、業。使いを出そうとしているときに落雷さわぎを聞いて、言いそびれていたが母が戻ってきた」と守平が、辺りを見まわす。サンセイが素早く周囲に人の有り無しを確かめて、うなずく。

「父上が亡くなった」と守平。

「ん・・・」と業平。

「おまえの色好みを面白がられて、つぎの歌が届くのを楽しみにしていらしたそうだ」と守平。

業平が、うれいをおびたつやのある目を守平に向ける。しばらく守平を見て、つぎに狛に目を移した。それから空になった欠けた小さな土器を見た。

「粟餅をくれた娘にとって、これが一番、見かけのよい器だったのだろう」と、業平は愛おしそうに、古びた小皿をふところに入れた。


つぎの日から、雨が少なくなる合間をみて、伊都たちは東山の別荘に移った。

娘のころに、伊都が母の平子と暮らしていたところだ。荷物も少しずつ運んだが、天気が回復しない。回復しないどころか、河内かわち平野を中心に雨が降りつづき、やがて川の水があふれて宇治橋うじばしまで流されてしまった。

東山の別荘には、守平の邸からシャチがきた。

火事太りというぐらい火事見舞いの品があつまるが、今回は雷でこわれた珍しい例で、普段は疎遠そえんになっていた人までが思い出して見舞いをくれる。蔵麿と古居は、見舞い返しや、近隣へのおわびや、お礼の名簿を作るのに大忙しだ。

阿保あぼ訃報ふほうを聞いても今さらなにもできないから、兄たちは、それぞれに東山の別荘を訪れてシャチから話を聞いた。

阿保は地方豪族として自由に余生を楽しんで、東の地に土地の娘を母とする二人の幼子も遺して往生したらしい。



大枝音人おおえのおとんども東山の伊都を訪ねてきた。

「公に認めることができなかった息子が、もっとも頼りになる息子だった。きっと後世に名を残すだろう」

音人が従五位下になったと聞いたときに阿保がそういって、祝い酒を近所に配ったとシャチから伝えられた音人は、胸がキュンとなって「ご遺髪を一房、別けていただけませんでしょうか」と、伊都の念侍仏ねんじぶつのまえに置かれた半白の髪をねだった。阿保の子で遺髪を欲しがったのは音人だけなので、伊都は喜んで、きれいな袱紗ふくさに一房を包んだ。それを押しいただいて懐にしまったあと、

「シャチどの。これからどうなさいます」と音人が聞く。

「はて…」とシャチが腕を組む。四十半ばになったはずだが、かわらずの男伊達おとこだてなので、ちょっと華奢でひげのない、おっさんにしかみえない。

「一緒に、暮らしましょう」と伊都がさそう。

「それがよいとぞんじます。できれば、お二人で長岡ながおかの別荘に住まわれますように」と音人がすすめる。

「なぜです? 長岡は水害で、ひどいことになっているではありませんか」と伊都。

「別荘のあるところは高台で地盤も固く、これからも水害は起こりましょうが、水が上がることはないと存じます。今回も、はじめは放火かと疑いました。落雷と聞いてホッとしました」と音人。

「なにが、ホッとしたですか。音人どの。いきなり昼のように明るくなって、ドカン、グラグラですよ。耳はキーンとなるし変な匂いにセキこむし……」と伊都。

「伊都さま。まだ、はっきり伺っていませんが、雷はどこに落ちたのです」とシャチ。

「さあ…どこでしたっけ?」と伊都。

「銀杏の木が育ちましてね。母上」と守平。

「うちは放火されそうなのですか。兄上」と業平が聞く。

「いや、そういう情報はないが、用心するに越したことはない」と音人。

「どうして?」と業平。

「都の治安ちあんが悪すぎる。内親王ないしんのうのお邸は狙いやすいかも知れない」と音人。

「良くはならないのですか」と守平。

「上が乱れているから下も乱れる。帝が、ご政道を正そうとしておられる。藤氏や源氏の君たちにも、廷臣ていしんとして仕えることを望まれている。

帝は民政に心を配る立派な治世者ちせいしゃだが、すでに奸計かんけいを巡らせて恒貞親王を廃して道康皇太子を立てた良房さまが、帝の親政しんせいに従うとは思えない」と音人。

「また、なにかが起こるとでも」と守平。

「善い人が黙ってしまうと悪がはびこるっていうでしょう。正しい人が立ちあがって藤氏や源氏を追い出して、帝の親政を助けたらよいではありませんか」と業平。

「源氏の君たちは帝のご兄弟。太政官の多くが良房さまの兄弟と源氏の君だ。

それに源氏や藤氏のなかにも、常識のある人格者はおられる」と音人。

「イガイと小心ですねえ。音兄」と守平。

「わたしは微力びりょくな小心者だ。だがな。守。わたし一人で済むなら、政道批判もできるだろうよ。でも、それが断罪されるときに、裁かれるのは、わたしだけではない。連座れんざの制で、わたしを育ててくれた大枝氏が滅ぼされる。

善人が傍観ぼうかんすると悪が栄えるというが、傍観せざるをえない。

そのうえ悪は敵対する者を始末するが、善は始末されるだけで手をださない。手をだしたら悪になってしまう」と音人。

「それって、救いようのないドウドウめぐり」と業平。

「今回の改元かいげんで、帝は嘉智子かちこ太皇太后の嘉の字を年号に使われて、太皇太后の御祖父の奈良麻呂ならまろさまに太政大臣を追贈ついぞうされた。橘氏を重用され過ぎているようで気にかかる。

わたしは学者畑の人間だから、公平な立場を貫いてゆきたい。

だが、わたしにできるのは、藤原良相よしみさまに正しい政治のあり方を説くことぐらいだろう」と音人。

今年から参議に加わった良相は、長良ながら、良房、順子の同母弟だ。良相は仏教への帰依が深く、正妻が亡くなったあとは独り身でいる。

その妻が広江乙枝ひろえのおつえの娘で、数年まえに乙枝はうじを母方の大枝に変えている。

だから音人と良相は姻戚関係で、年齢も音人が二歳上と近いので親しい。

「守平も業平も、自分の手の届く範囲で正しいと思うことをすればよい。くれぐれも政争に巻き込まれないようにしてほしい」と音人。

「ご心配なく」と業平。

「いわれなくても楽しくないことはしない主義です」と守平。

音人は、阿保の遺髪をおさめた胸のあたりに手をおいた。

「外では儀礼的な接しかたしかできないし、立場が対立するときが来るかも知れないが、わたしは、おなじ血をもつ弟たちを裏切らない。

伊都さま。長岡なら難波なにわ土師はじ氏に目を配るように手配できます。なにとぞ、シャチどのとご一緒に長岡へ移られませ」と音人。

「長岡に行ったら、業平と会えなくなります。業平」と伊都。

「はい?」

「女子のあいだを訪れるように、わたしのところにも来てくれますね」

「もちろん!」

「来ないと、わたしも歌を詠んで、岡田狛とやらに頼んで世に広めてもらいますよ!」と伊都が言う。


珍しい人も訪ねて来た。

「まあ…睦子むつこどの」と伊都が迎えた。

伊都の叔父の藤原貞雄さだおの妻の睦子だ。三年まえに貞雄は老齢で亡くなった。その葬儀のときいらいで、睦子は相変わらずドンとしてデンとしている。

「あらーぁ。大きくなって。いくつになりました。邦雄くにおさん」と伊都。

「六歳になります」と睦子。

睦子の息子で伊都の従弟になる子は、すっかり少年らしくなっていた。

「大叔母さま」と業平。

「睦子でけっこうです」

「いまも枇杷第びわだいにおられるのですか」と業平。

良房の兄の長良ながらの邸を琵琶第という。そこで睦子は、長良の娘の乳母をしている。

「はい。すっかり住みなれてしまいました」と睦子。

「長良どのの姫も、邦雄どのと同じ歳ですよね」と業平。

「そうです。むかしから業平さまは、きれいな方だと思っていましたが、ますますあでやかになられましたねえ。わたしの耳にも歌や噂は聞こえてきます。

でも高子たかいこさまは、まだ六歳。恋のお相手には幼すぎますよ」と睦子。

菓子や飲みものを運ぶ女房と供に、シャチが来て座った。変わった姿に、すこし目を見開いたが睦子は動じない。

「兄の守平の母です」と業平。

「伊都さまの叔父の妻で、睦子ともうします」と睦子。

「シャチともうします」

高子たかいこどのとは、どのような姫君ですか」と業平。

「姉君が一人おられるのですが、ずいぶん前に平高棟たいらのたかむねさまの室になられて別のお邸に暮しておられます。

ですから高子さまは、六人の男兄弟のなかで育ったようなものですから、まあ、気が強いこと…」と睦子。

「枇杷第では、お子たちが一緒に住まわれているのですか」と伊都。

「はい。たしか、お二人は外腹そとばらで生まれて、すぐに引き取られたと聞きますが、いまじゃそれが、どのお子か分からないぐらいです」と睦子。

「じゃあ乙春おつはるさまは、お子を五人も産まれたのですか」と伊都。

「そうらしいです。長良さまが穏やかな方なので、お邸はにぎやかで、あっちで喧嘩、こっちで悪戯。止めに入るのは、いつも基経もとつねさまです」と睦子。

「その方は?」と業平。

「三男で十一歳になられます。しっかりして頭の良い、子供らしくないお子で・・・」と睦子。

「お嫌いですか」とシャチ。

「そう聞かれると…。子供らしくないので可愛いとは思いません。でも嫌うほど性根が曲がった子ではありません。しっかりしていて物事も理解しています。いずれ入内じゅだいする日が来るからと、高子さまを説教するのが腹立たしいだけですよ。子供は好きに遊んでもよいと、わたしは思いますからね。

良房さまは、この基経さまを、お気に入りのようすです」と睦子。

「右大臣が枇杷第に来られるのですか?」と業平。

「ええ。隣の小一条第こいちじょうだいに住んでおられますから来られますよ。シャチさま。これは、はっきり言えます。わたしは、あの方は大嫌いです」と、だされた白湯さゆを睦子はゆっくり飲んだ。



嘉祥元年かしょうと改元した直後の落雷と洪水。

水害の被害が、おおよそ片付いて路が復旧してから、伊都はシャチと長岡の別荘に越していった。

落雷が落ちた邸は官に売った。これで左京二条三坊にあった阿保親王と伊都内親王の邸はなくなった。業平は蔵麿たちをつれて左京三条四坊の、守平の住居と背を合わす邸に移った。


「守平さまがみえました。外に来ていただきたいと申されています」と伊都の女房が伝えにきた。

長岡の別荘は、皇太子時代の平城へいぜい天皇の邸跡に建てられた田舎屋だ。周辺の土地を阿保が買って田畑にしていたから、小作人こさくにんも大勢いる。赤松だらけの東山より明るく都に住むより気楽だが、伊都もシャチもヒマをもてあましていたから「どこに?」と勢いつけて庭にでた。

「伊都さま。母上」と足を洗っていた守平が、井戸のまえで手をふった。

「紹介します」と守平。

縦にも横にも大きな娘が、そばにいる。守平の妻…?と顔を見合わせた伊都とシャチに、娘の影になっていたモクミが出てきて頭をさげた。

「伊都さま。シャチさま。妻の小夜さよです。ここに置いていただけないでしょうか。よく働きます」とモクミ。

「あーァ。そうなの」と伊都。

「モクミの子が腹にいます。まえの勤めは、子供を育てる環境ではありません。伊都さま。母上。おねがいします」と守平。

「小夜には身寄りがありません。おねがいします」とモクミ。

「シャチどの。にぎやかになりそうですね」と伊都が、うれしそうにシャチを見た。


庶民は何人もの妻をやしなう甲斐性かいしょうがないので、一人で子沢山の女が多いが、上流階級は一夫多妻。多くの子を産む妻のほうが少ない。伊都内親王には業平しか子がいない。

業平は家の造作を工夫するのが好きで、長岡の家の壁に、わざわざヒビを入れて隙間に花の種を植え、新しい垣根に古色をつけて、井戸の釣瓶つるべにつる草を巻きつけ、茅葺かやぶき屋根にもこけや花を植えて楽しんでいる。

だから、よく長岡に来て泊まるのだが、それでも一緒に暮らしていた一人息子が、少しでも間遠まどうくなると、伊都は寂しくて催促した。


大晦日だから忙しいのを知っていて、伊都が送った歌。

いぬれば さらぬ別れの ありといえば いよいよましく 欲しき君かな

(年を取ると 死別という避けられない別れがありますよ そう思うと会いたい 直ぐにでも会いに来て欲しい)


業平の返しは、

世の中に さらぬ別れの なくもなが 千代ちよもと祈る 人の子のため

(世の中に死別なぞ無ければよいのに 千年も生きてほしいと祈る子供の為に)



翌年は、八四九年(嘉祥二年)。

仁明にんみょう天皇の四十歳(満三十九歳)の祝いで、正月の叙位も大盤振おおばんぶるまいだった。

右大臣の良房よしふさは従二位になった。左大臣の源ときわは良房よりも年下だが、今までは位が上だったが、これでおなじになった。

在原業平も二十四歳で従五位下になり、貴族の仲間入りをした。守平より早い叙位は、母が内親王で蔵人として天皇のそばに仕えていたからで、叙位はされたが役職がない散位さんいだ。

従五位下なら、天皇に呼ばれても参内さんだいできる。遅刻ばかりして、片っ端から内裏の女房を口説く蔵人にするより、このほうが被害が少ないと、蔵人頭の良岑宗貞よしむねのむねさだが進言でもしたのだろう。

登庁はするけれど職場も仕事もない。サンセイとモクミのどちらかを適当に連れてきているが、舎人の溜りに待たせている。宮城のなかでは一人きりで身を持て余す。

宮城には六千何百人かの経験豊かな地下人じげにん(六位から八位の官人。昇殿できない)と、四百人ほどの貴族が勤めているが、忙しくて、だれも相手をしてくれない。


帝の四十歳の祝いに、右大臣の良房が興福寺こうふくじの僧にたのんで、四十体の観音菩薩と経や長歌ちょうか献上けんじょうして、「倭歌やまとうたは人を感動させる」と言ったと聞いた業平は、内裏のなかの良岑宗貞の曹司ぞうしをたずねてみた。曹司は休息所で、下位のものは大部屋だがかみは個室を与えられている。

蔵人頭くろうどのかみさまは、お忙しくて、いつ戻られるかわかりません。お待ちになるのでしたら、わたしが、お相手します」と留守番をしていた宗貞の従者がいう。

「お相手?」と業平。

「はい。後宮を彷徨さまよわれると困りますので」

「それは、お相手といわずに見張りというのでは?」

「はい。しっかり見張らせていただきます」

「まだ昼前だというのに、なにを考えている。べつに用があるわけではないので…」と業平が腰を上げかけると、「やはり宗貞さまは、おられませんね」と一人の女房が供の小女房をつれて入ってきた。

「お借りしておりました書を、お返しにまいりました。おられましたら、ついでに、お話でもと思っておりましたが・・・おや。先客がおみえですか」と業平を見て首を傾げて、その女房が座りこんだ。

髪にいく筋が光るものが混じっているから、四十を三つか四つ、いや、もっと超えているかもしれない。

「もしや、在五ざいごさまでいらっしゃいますか」と女房が聞く。

ひたいのでた理知的な顔立ちの女房だが、暗くて顔は見えないことが多いのであてにできない。声と香りが頼りだが、いくら思い出そうとしてもなじみがない。忍んだことは、ないはず。たぶん…ない。

「あのう…。どこかで、お会いしましたか」と業平。

「いいえ。現世げんせでも前世ぜんせでも、お会いしたことはございませんが、妹から文を見せてもらいました」と女房。

妹に文をだした。さあて…。なにしろ女房たちに争奪戦そうだつせんを起こさせた大幣おおぬさだから、恋文もまめに出したので見当がつかない。

小野町おののまちさま。もっと手焙てあぶりを用意いたしましょうか」

シンシンと冷え込むので、気を利かせた宗貞の従者が聞いた。

「はい。おねがいします」と女房。

小野町。小野小町おののこまちの姉で、姉妹で仁明天皇に仕えていると聞いている。うわさに高い小野小町には、たしかに文を出した。恋文ではない。歌の指南しなんをねがった文だが返事はなかった。

「なるほど。みごとに美しいかたですね」と言う小野町の声の調子で、業平はけなされた気がした。

「正面を向いて、美しさの形を決めておられる。でも気を抜かれるときはありませんか。こんなところを人に見られたくないと、思われることはないですか。そういうときの姿まで自然に演じることができれば、その艶やかさに厚みが出るような気がします」と小野町。皮肉にも聞こえるが、適切な助言のような気もする。

「見た目がすべてですよ。あなたは、まだ形にとらわれておられるように見えます。形にとらわれると人間が小さくなります。

まあ生意気なことを言ってしまいました。ちょっと気が立っておりましてね。

漢学や漢詩を重用された嵯峨の帝から、妹や蔵人頭さまのような和歌よみ人を、帝は守ってこられました。その帝にむかって、倭歌やまとうたは人を感動させると右大臣さまがおっしゃったと聞いて、カーッとしましてね。自分は歌の一つも詠めずに、お金をだしてお坊さんたちに作ってもらって、なんでしょうか。あの方は。

きっと人と共感できる感性が、欠如しておられるのですよ!」と小野町。

言いたいことを言ってくれたので、うれしくなった業平が笑った。

「あら。まあ。よい笑顔」と小野町は座り直し、

「在五さま。人の命は、はかないものですが、歌は人の心を活かしたままで後世につないでいくことができます。言葉にしていない言葉をみとれるような歌を、あなたならつくってくださるだろうと、蔵人頭さまや妹が話しておりました。まあ、まあ、すっかり一人で話しこんでしまって。

在五さま。いつでも忍んでおいでなさいな。わたしは歳の差などは気にいたしませんよ」と小野町は立ち上がった。



右近衛うこのえにも顔をだしてみた。

「なにか…?」と、近衛兵の一人が声をかけてくれる。

「在原行平は、おりますでしょうか」と業平。

在少将ざいしょうじょうですか?」

「もしかして?」と、もう一人が近づいてきて「在五どのですか?」

「はい」

「おい。在五どのだ」「お入りください」「少将をよんでまいります」と近衛兵。

「おじゃまでは、ないですか」と業平。

「近衛は要請ようせいがでるまでヒマですよ」

「まあ、どうぞ」「いやあ、実物に会えるとは…」

近衛兵は天皇の警護と儀式にでるが、戦闘に出向くことはない。それでも訓練はしている。乗馬、武闘、音楽、行進などが主な訓練内容だ。文官とちがって、冠の上につけるえいという細長い飾りは巻いたもので、正装するときは馬の毛で作った丸い耳当てのようなものをつける。靴は革のブーツ。実戦兵ではないから家柄が良くて、身長が高く見た目のよい若者が多い。

行平がやって来た。

「…じゃま?」と業平が聞く。

「いや、時間はある」と行平も、帰れとは言わない。

「わたしより大きい」と近づいてきた近衛。平均身長は一五十六,七センチで、一八十センチを超えると雲を突くような大男だ。一七二センチの業平は大きいほうだ。

「細くて折れそうな人だと思っていました。でも想像していたより色白で美しい」

「こんな弟がいるなんて、在少将がうらやましい」と近衛兵が口々に言う。

「でも、なにも知らないよ」と行平が小声でつぶやいた。

いつもはキンキンと文句ばかり聞かされるから、どうしたのかと顔をのぞいたら照れている。それが新鮮で、業平は行平に身内感みうちかんをもった。

「ウソでしょう。あんな歌をつくれるのに」

「和歌は詠めても漢詩は作れない。まず漢籍かんせきを覚えようとしない」と行平。

「わたしも」「わたしも」「利口なら文官になっている」「いや、わたしは漢詩を詠める」と近衛兵たち。

そこへ見張っていたのだろう。「中将ちゅうじょうが来た!」と一人が駆け込んできた。

近衛兵が、あっという間に整列した。外へでる機会をのがした業平は、目立たぬように隅にうつる。入って来たのは、すらりとした中将で、行平より若く業平より年上だろう。

「要請がでた。渤海国ぼっかいこくの使者を迎える」と伝えてから、中将は業平に目を止めて眉をしかめた。不審から疑問へ、そして見当をつけて好奇心をそそられた顔をする。感情がそのまま顔にでる男だ。

儀礼ぎれいの訓練と、がくの練習をしておくように。帝と使者のまえで楽奏がくそうする。使者が都につくのは、この月の終りか五月の初めになるだろう。儀礼服や持ち物もしらべるように。以上。散れ」と命令してから、中将は行平のそばに寄って「在少将。よろしくたのむ」と言った。

「うけたまわりました。中将」と行平。

「ところで行平どの。弟御おとうとごか」

「はい。業平です」と行平。

中将は業平に向き合うと、「かすが野の 若紫の すり衣 しのぶの乱れ 限り知られず」と、いきなり業平の昔の歌を歌いあげて「文を届けても、よろしいな?」と聞く。

この人、なに? 恥じらいもなく成り切っているから、そこそこさまにはなっているが、人前で断わりもなく自分の歌を歌われてカチンときた業平は、手を広げて優美ゆうびな礼を返した。

青砥せいと白砥はくとに踊りをきたえられたから、即興の表現力には自信がある。

中将は軽くうなずいて、サッときびすを返して出て行った。

中将の姿が消えるのを待って「すごいものを見てしまった」「とおると在五か」と近衛兵たちが騒ぎだす。

「あの方は、どなたです」と業平。

「右近衛の中将の源融みなもとのとおるどのだ」と行平。

「ミナモトってことは、源氏?」と業平。

「嵯峨の帝の第十二皇子。今上の猶子ゆうし(養子)になられている」と行平。

「フーン」と業平。

「内裏で元服されたのを知らないのか」と行平。

承和じょうわへんで」で廃太子となった恒貞親王つねさだしんのうと、おなじ日に、おなじ内裏で源融は元服した。父の嵯峨天皇は息子たちの貴種性きしゅせいを、さまざまな形で示してきた。そのために親王意識が抜けない源氏もいる。一郎のまこととおるは、勘違い源氏の双璧そうへきだった。

「あいにく寡聞かぶんでして」と業平。

行平は右の眉を吊りあげ、業平に親近感をもったらしい近衛兵たちは笑った。

「しばらく忙しくなりそうだけれど、いつでも顔をだしてくださいよ。在五どの」

「家に帰ったら、在五どのを知っていると自慢します」と近衛兵。

しばらくして源とおるから届いた文には、ほかで詠んだものですがと断って、こう書かれていた。


みちのくの 忍ぶもぢずり 誰ゆえに みだれむと思う 我ならなくに

(越後の国が作る 紫色の文字摺もじずりは 誰の為のものでしょう 乱れたいと思う わたしのためでしょうか)


六位以下の散位さんいは、散位寮さんいりょうという職安のような役所に顔をだして、一家を養うために臨時の職をさがそうと必死だ。業平のように五位以上の階位をもつ散位は、二日に一度ほど登庁とうちょうしていれば、散位の登庁義務日数を満たせる。それで庶民の税金をあつめた国費から位階相当の給与をもらう。職給や季節給はつかないが六位以下にくらべれば高給とりで、そのうえ蔭位おんいで叙位される者は、もともと私財をもっているから生活にも困らない。

業平は散位の生活にもなれてきた。顔見知りもできたし、近衛兵たちとは友達になった。



秋七月。内記ないき曹司ぞうし肘枕ひじまくらをして、疲れをいやしていた大枝音人おおえのおとんどは、部屋の隅のくぐり戸が開く音で目が覚めた。使っていない狭い隙間から業平がもぐり込んでくる。

「どこから来る?」と音人。

「目立つと困るでしょう。狭いところを抜けるのは、なれているから。いつもは月明りでするけれどね」とかんむりを直して音人の横に座った業平が「起こした?」

表敬訪問ひょうけいほうもんなら、名乗って表からこい」と音人。

「兄上。父上の遺髪いはつはどうされた?」と業平。

自分の思いつきで頭がいっぱいになり、相手にかまわず話をする業平の癖は分かっているので、音人は懐から袱紗ふくさに包んだ遺髪をだした。

「やっぱり肌身につけていた。これ使って」と業平が取りだしたのは小さな袋物。

ひもがついて首にかけられるようになっている。どうやら、これを届けに来たらしい。

「みごとな刺繍ししゅうだな」と音人が手にとって見ると、青竜せいりゅうが縫ってある。

「手先の器用なひとでしょう?」と業平。

「どなたかが作ってくださったのか。わたしのために心を込めて、一針一針をしたわけではないだろうに…」と音人。

十四歳も年下で、子供のころには勉強を教えていたから、つい音人は父親のような気持になってしまう。

「それは音兄のものだと言ってある。わたしのは、これ」と業平が首の紐をひいて、おなじような小袋をとりだした。そには朱雀すざくが縫いとられている。

「そうか。おまえは、なにを入れている」と音人。

業平は袋口をゆるめて振り、土器かわらけ欠片かけらを手にのせた。

「皿を持ち歩けないから割って入れた。

これが生きていてもよいと、わたしの後を押してくれる。

ときどき生きているのか、いないのか……どうでもよくなって、天明てんめいけたくなる。

そんなときに、これを確かめる。これは、わたしの月の欠片だから」と業平。

「そうか」と音人はうなずいたが、まったく分からない。ただ生と死のあいだを彷徨さまよっているようなもろさと、安物の土器の欠片を大切にしていることは分かった。

子供のころから、どこか危なっかしいところが、この子にはあった。頭は悪くないし勘もよいのだが、思考が不整理なのではないだろうか。なにを人生の一番にするかが決まっていないのだろう。それが不明だと、自分の立ち位置が決められない。

いや。自分の立ち位置が分からない人は大勢いる。それとは違う。

もしかしたら、なにをしたいかは決まっているが、立とうとしている場所が不安定なのか。

ちゃんと言ったでないか。生と死。うつつまぼろし。そして夜と朝とのさかいの天明にとけたいと。

天明は夜明けまえの薄明かりだが、真夜中に日付が変わるのではなく夜明けが一日のはじまりになる。天明は昨日と今日の境目だ。

官人という現実と恋多き和歌の名手のはざまで、すたれた和歌の復活を、この子はになっている。

「兄者」と業平。

「ん」

「父上の車をもらってくれぬか」

父の阿保は、生前は三品親王しんのうだった。位によって乗り物の形が決められている。

「あれは在家ざいけのもの。それに公卿くぎょうの乗り物だ。

わたしが使うわけにはいかない」と音人。

「親王用の屋根を取っちゃえばいい。あの車を持つのは兄者のような気がする。

守とわたしは、もっと簡単な網代車あじろぐるまをあつらえることに、シッ…。だれか来た」と業平。

「おい!」

止めようとしたが、業平は素早く書棚のうしろに身を隠してしまった。

どこかに忍び込んでは隠れるようなくらしをしているのか。足音がして咳払い。人影が差して菅原是善すがわらのこれよしが顔を出した。

「起きておられましたか。大枝どの」と部屋に入った是善。

膝をついて円座に座ろうとして、鼻をクンクンさせる。

「これは、とんだ野暮やぼをしたようで…」と立ち上がった是善に、

かんどの。お待ちください。在原ありわらどの。おでましなされ」と音人が声をあげた。

「在原どの?」と是善が動きを止める。

「業平! 子供じゃないのだから、出てきて、ご挨拶をなさい!」と音人。

業平が座ったときには、すでに席についていた是善が笑顔で、

「花の香りがいたしましたので遠慮しようと思いましたが、これはまた、どこぞの女房よりも数段と色っぽい方を、曹司に引き入れておられたとは…。

菅原是善すがわらのこれよしともうします」と挨拶をする。

土師はじ氏から分かれた菅原すがわら氏と大枝おおえ氏は同族だ。

是善の父の清公きよきみが音人の師だったから、音人は子供のころから是善これきみと親しいが、業平は始めて是善と会う。

「在原業平です」

「管どの。ご用でしたら席を外させます」と音人。

「いや。すぐに知れることです」と是善が、来た方向に人がいないかを確かめる。

そういうことには察しのよい業平が、潜り戸の外を確かめて、自分が脱いだ靴を中に入れた。是善が膝を寄せる。

「先月、明子さまが体の不調をうったえて宿下やどさがりをなさいました。

本日、ご懐妊かいにんの報告が東宮とうぐうにとどけられました」と小さな声で是善が伝える。

良房の娘の明子は、道康皇太子の女御にょうごだ。文章博士もんじょうはかせの是善は、参議さんぎになった小野篁おののたかむらにかわって、道康皇太子の学問の師となっているから、たしかな速報だ。



そのころ守平は、モクミと大秦おおはたのムカデを連れて、西市をほっつき歩いていた。土師雄角はじのおづの岡田狛おかだのこまと、家を建てるときに縁ができた秦正和はたのまさかずが、一族の青年たちを守平と業平の従者としてよこしてくれている。

大秦の本筋の次男だというムカデは十六歳だがデカい。

モクミがチョイと守平の袖を引っぱった。

「ん?」

モクミの目線のさきに、浮浪者らしい汚れた少年が、雑穀ざっこくを商うたなに集まった人の足元で、こぼれた麦やあわをすくって汚い麻袋に入れている。市ではよく見かける光景だ。

棚主たなぬしの目を盗みながら穀物を拾ったあとは、野菜を商っている棚の下に落ちている色の変わった葉ものを拾った。

キョロキョロと落ちているものをさがしながら、少年は市の西門から外にでる。門の周りにも物売りがいて、ここにも浮浪者がたまって手をさしだして物乞ものごいをしている。

守平は少年のあとをつけはじめた。

西堀川小路にしほりかわこうじを南に下りて梅小路うめこうじを西に行き、右京八条三坊あたりの壊れた築地塀ついじべいのすきまに少年はもぐり込んだ。のぞいてみると、そまつな手作りの小さな掘っ立て小屋が、夏草の茂みの中に点在している。廃屋となった邸に浮浪者たちが小屋をたてて住みついているのだろう。

槿むくげの古木のそばの、ムシロでおおわれた小屋に少年は入った。

都に住む人の数が足りずに、いまだに転居者を歓迎している。京識きょうしきに戸籍を届けて租税をおさめる人は多いほどいい。

家のない浮浪者は多いが、戸籍も住むところもないから人として数えていない。

浮浪者の利用施設もあるが、だれも使わないほどひどく、近々、とり壊しになるはずだ。

守平は少年が入った築地塀のすきまから、なかに入った。モクミもムカデもついてくる。庭に座っているだけの二人の男が、どんよりした目を向けた。

代書屋だいしょやのホウを知っているか?」

いつか教えられた浮浪者を束ねているという爺さんの名を、モクミが口にした。

「ホウの知り合いだ。通してくだされ」と、すっかり都なれしたモクミが言う。

大柄なムカデとモクミは、きれいな水干すいかん烏帽子えぼし舎人とねり姿。守平は狩衣かりぎぬ烏帽子えぼしをつけているから場違いだが、男二人は反応がない。口をきくのも動くのも、おっくうなのだろう。

少年がゴザをもって外に出てきので、守平たちは夏草の中に身を潜めた。

すり切れたゴザを日向ひなたに広げて袋の中のものをだし、ザルをふるって粟や菜についた小石などを選り分けてながら、少年が小屋に向かって声をかける。

「お母さま。今夜は雑炊ぞうすいが食べられますよ。少しは元気がでるでしょう」

やはりと守平は立ち上がった。少年のようにみえるが娘ではないかと感じて、どうしてか分からないが気になって、つけて来たのだ。

「だれ?」と娘も薄紫の槿むくげの花のまえに立ち上がった。

ずっと洗っていないのか、髪が地肌からでる油で房になっている。

「母者のぐあいでも悪いのか」と聞きながら守平が近づくと、すえた貧乏の臭いが鼻につく。

「来るな!」と足もとの石を拾って、娘が目を光らせる。

「どうしました」と小屋のムシロを上げて、骨が分かるほどに痩せた母親らしい女がって来た。

「病まれているのか」と守平。

「どなたです。何をしにまいられました」と苦しそうに母親。

「怪しいものではありません」と守平。

いちからつけてきたのだから、充分に怪しいでしょう」とモクミが片膝を土につけて、

「こちらは在原守平ありわらのもりひらさまでございます。わたしは従者のモクミ。大きいのも従者でムカデともうします」と名乗った。

「おまえらが名乗ると、さらに怪しくならないか?」と守平。

「在原さまとおっしゃいますか。もしや亡くなられた阿保親王あぼしんのうさまの…」と、やっとの息づかいで地べたに座った母親が聞く。

「はい。在四さまです」とモクミ。

「そのような、お方が、なんのご用でまいられました?」と母親。首を上げているだけで苦しそうだ。

「市で見かけて気になった」と守平。

「それでほどこしでもして、自分は善人だと自惚うぬぼれたいのか!」と娘が言う。

怒鳴られて、娘を正面から見た守平の胸がドッキン!とする。鋭くにらんでいるが、切れ長できれいな目をしている。汚れているが面立ちがよい。

母親はやせているが、髪もき体も拭いてもらっているのか、さっぱりとしている。それに母親の言葉遣いが上品だ。娘はわざと身を汚して乱暴な口をきいている。

「困っているようだが、わたしの家で働く気はないか」と守平が聞く。

母と娘が黙って互いを見つめ合う。

「母者は衰弱すいじゃくしている。疫病えきびょうが流行ったらどうする。わたしの家で働けば、じゅうぶんに食べさせられる。ゆっくり休ませることもできる」と守平。

「医師に、みせてもらえるか?」と娘。

「ああ。みせよう」と守平。

「薬もくれるか」と娘。

「約束する」と守平。

「…なにを、すればよい」と娘。

「働く気があるのなら、まず連れて帰る。あとのことは家のものに聞け。名はなんという」と守平。

「このような暮らしをしているものに、名なぞ、ございません!」と母親が言った。


長年の栄養失調だったらしく、母親は一か月もすると起き上がれるようになった。

二十歳ぐらいの娘は、こざっぱりしたなりになると、きりっとした美貌の持ち主だったが人に慣れようとしない。よく働くのだが、話しかけても黙りこんでいる。

素性すじょうの分からないものを…」と、伊都が長岡に移ってから、守平の邸に住んでいる蔵麿くらまろが気を許さずに目を光らせている。

十月のはじめに母親と娘が、改まって守平のくらすむねにきた。

「用か」と蔵麿と古井ふるいを相手に、昼から笛を吹いていた守平が聞く。

「お世話になりました」と母親。

「出てゆくのか」と守平。

「はい」と母親。

「あては、あるのか」と守平。母親が下を向く。

「では、ここに居ればよい」と守平。

「わたしは、伴水上とものみなかみの妻で元子もとこと申します。この娘は伴倫子りんこです」

「リンコ。リンコ。どういう字を当てる?」と守平。

「それが、なにか?」と蔵麿が聞いた。

「お聞き覚えはございませんか?」と母の元子。

「いや、まったく。ぜんぜん。すまないが覚えがない。わたしの知り合いだろうか」と守平が蔵麿に助けを求める。

「うーん。伴氏…。水上みなかみどのですねえ。そういえば、たしか守さまを思いだした、水っぽい名でございましたな。もしかして伊勢の?」と蔵麿。

「はい。伊勢斎宮いせのさいぐう主馬頭しゅめのかみだった伴水上です」と元子。

「ああ。そうでございますか」と蔵麿。

「どなた。ジイの知り合いか?」と守平。

阿保あぼさまが謀反むほんを報告されて、橘逸勢たちばなのはやなりさまと伴健岑とものこわむねさまが裁かれたことは、ご存知ですね。

守さまが、のんびり船に乗って海の上におられたころのことです」と蔵麿。

「あれは父上が逸勢いつなりどのに頼まれて、恒貞つねさだ皇太子と正子皇太后まさここうたいごうを守るために告訴したと聞いているが…」と守平。

「伴健岑さまが逮捕されましたときに、たまたま都をたずねていて健峯さまのお邸に滞在していたため、巻き込まれて裁かれた方がございます。その方が伊勢斎宮の主馬頭さまでした」と蔵麿。

「えっ。道康皇太子みちやすこうたいしを立てるために、良房よしふさがでっちあげようとした冤罪えんざいを、かわすための告訴に、罪のない人が巻き込まれた?」と守平。

「はい。それで連座れんざの罪で裁かれた方がおられるのです」と蔵麿。

「では、わたしについて来たのは父を恨んでのことか。恨みを果たそうとしてか」と守平。

「いいえ。わたしたちも何があったのかを必死で調べました。事情は知っております。たまたま都に来ていた水上は、運が悪かっただけです。ただ働かないかと言われたときに、すがっても良いのではないかと思いました」と元子。

「じゃあ、なぜ出て行く」と守平。

「守平さまには良くしていただきました。わたしたちは罪人の家族です。これ以上お邸に留まってはいけません」と元子。

「たしか、承和じょうわへんにかかわった方は、すでに罪を許されたはずです」と古井ふるい

「尋問がきびしかったのでしょう。都を追われて、すぐに水上は亡くなりました。あのとき裁かれた方々の罪は許されましたが、なぜか水上の名はございません」と元子。

「巻き込まれだから、こんどは記載もれでは?」と古井。

「ここに居りますと、ご迷惑をおかけします」と元子。

「迷惑なら、かけてくれ。頼む。リンコ。リンコどの。一生、わたしに迷惑をかけつづけてくれないか」と守平。

「リンコさまをつけたときに、後ろ姿が、お若いころのシャチさまに似ていたとモクミが言ってました」と古井が、蔵麿にささやいた。

「そういうことですか。守さまは乳離ちばなれができとりませんから、自分の気持ちも分からないのでしょう」と蔵麿。

「ん?」と守平。

「なるほど。そう言われれば、どことなくシャチさまに似ておられますな。

そういうことでしたら倫子さま。守さまは、あなたさまに会ったときから心をかれたようです。一目ぼれでございますな。

守さまの気持ちがご迷惑なら、うとましいとはっきり言って、それはそれ。

わたしが目を光らせておりますから、無体むたいな真似はさせません。

どうぞ安心して、この邸で過ごされませ。これから寒くなります。お母上のためにも、おとどまりくだされ」と蔵麿。

「ご負担になるでしょう」と倫子。

「守さまは、つくされるより、つくす方が好きですから、お気になさいますな」と蔵麿。

「伴水上さまのことは、恩赦おんしゃに記載漏れがあるのではないかと、わたしが申し立ててまいります」と古井。

「承和の変から七年余りになりますか。ご苦労されましたな。元子さま。倫子さま」と蔵麿が小さな目を細くした。



十一月二十二日に、道康みちやす皇太子が仁明天皇の四十歳を祝って数々の品を贈り、自分のことを「しん」と言って祝いを述べた。皇太子も天皇の臣下であることを強調したのだ。

紫宸殿ししんでんで道康と会った仁明天皇は、うたげの席をもうけた。天皇が居住する内裏の中にある紫宸殿は、天皇家の儀式や宴などに使われる正殿で、ひさし近くに梅とたちばなの木が植えられている。

皇太子になったころに、その梅の枝を折って仁明天皇に叱られたところだ。

この日の宴には、左右大臣、大納言、中納言、少納言、参議、各卿などの公卿くぎょうたちと、五位以上の文官ぶんかんが集っていた。

日暮れが早く黄昏たそがれはじめたころに、皇太子が琵琶びわを演奏した。喜んだ天皇が、玉座ぎょくざからはなれた場所に和琴わごんを用意させて演奏した。仁明天皇が玉座を離れて和琴を演奏されるのは、はじめてだから、みなは興奮した。

弾き終ると「子らとの初謁は終えたか」と仁明天皇が皇太子に声をかけた。

道康が東宮から出るときは、公用でも私用でも右大臣の良房よしふさがピッタリとついてくる。道康は父である天皇と二人っきりで、個人的な会話を交わしたことがない。

その個人的な会話を、仁明天皇は公卿と五位以上の文官のまえで口にした。

「まだです」と道康。

「どのような皇子がいる」と仁明天皇。

「第一子は、紀名虎の娘の子で五歳になります。第二子は、伴氏の娘の子で四歳になります。第三子は、第一皇子とおなじ、紀名虎の娘の子で三歳になります」

お耳に入っているはずなのに、と思いながら道康が答える。

仁明天皇は周りを見まわした。声のとどくところに太政官がそろっている。

光仁こうにん天皇の母后が氏であるから、即位されたあかつきには、第一皇子を親王とされるがよい」と光仁天皇が言った。

嫡子相伝ちゃくしそうでんが正しいと道康皇太子を立てた太政官たちに向かって、仁明天皇は紀氏所生の第一皇子を親王にするようにと命じたのだ。光仁天皇の母が紀氏であったと加えているから、第一親王が嫡子だと認めたのも同じだ。

うれしい驚きで道康は緊張した。その喜びを、背後にいる良房に気取られたくないから、必死になって背中のこわばりをゆるめ、声が震えそうなので小さく一息で答える。

「うけたまわりました」

仁明天皇は玉座にもどり、やがて退出されて宴も終わった。



それから三日後に、良房にいわれて道康は仁明天皇に食事を届けた。調理した料理と、ほかにも新鮮な食材を、東宮から内裏にたくさんデリバリーしたのだ。

息子から食事を届けられたら、もてなさないわけにゆかないから、仁明天皇は住いとしている清涼殿せいりょうでんに道康らを招いた。

道康にくっついて内宴ないえんに加わったのは、良房よしふさ長良ながら、源まことと源ひろむ。仁明天皇が信頼する左大臣の源ときわが入っていない。

ごく少人数で、一緒に楽しく飲み食いしたが、ほんとうは打ち解けられる面子めんつではない。

嵯峨の帝が亡くなってから、仁明天皇と良房は対立している。

仁明天皇が可愛がっている第二皇子の宗康むねやす親王が、正月の叙位で中務卿なかつかさきょうになった。中務卿は、桓武天皇が皇太子になるまえについた職だから良房は警戒心をたかめている。

それに先日の、皇太子の第一皇子を親王にいう発言だ。

道康の立太子のときに、嫡子相伝が正しいと言いはって太政官をまとめたのは良房だった。だが平安京で嫡子相伝が行われたのは、桓武かんむ天皇から平城へいぜい天皇(奈良の帝)への一例だけで、あとは兄弟間と叔父から甥への譲位じょういしか行われていない。譲位を操ったのは、良房の父と祖父だ。

仁明天皇が譲位をきめて、道康の皇太子に異母弟の宗康親王を立てるようにと望んでも不自然がない。嵯峨さがの帝の立坊りつぼうが、まさにそれだった。

宗康親王は、良房の兄の長良の妻の妹の子だ。長良には甥にあたるが、良房との縁はない。食べて飲んで座がなごんだときに、良房は自分の娘の明子の妊娠をつたえて、早まったことをしないでほしいと言うつもりだったのに、くつろいだようすの仁明天皇が、さきに聞いた。

倭歌やまとうたは人を感動させると、右大臣は長歌を献上けんじょうしてちんにいったが、大臣のいう倭歌には和歌もふくまれるのか」

「は」

「いにしえの和歌では、どれを好むのか?」と仁明天皇。

「……」と良房は黙った。

和歌愛好家は古い歌も知っているが、まだ万葉集なんようしゅうばん氏の手元にあって公開されていない。和歌の素養がない良房に答えられるわけがない。

そのあと深夜まで歓談したが、論争を聞くのが好きで自身も論客ろんきゃくである天皇の、芸術や宗教や政治への観念を聞くに終始して、良房は娘の妊娠などという話をもちだせなかった。

「お疲れでございましょう」と客が引きあげたあとで、蔵人頭の良岑宗貞よしむねのむねさだが仁明天皇をいたわる。

「嫡子相伝が正しいと、良房は皇太子を立てた。しかし、嫡子相伝をゆがめたのは、そもそも良房の父と祖父であろう。

皇位継承を藤氏にあやつられるなかで、藤氏の血をつぐ皇太子は、どうするかな。

あの皇太子は、ちんの意を汲もうとしている。まちがいなく、朕の子だ」

仁明天皇の目に光がある。宗貞が、ふと微笑んだ。

「どうした」と仁明天皇。

「いえ。ごゆっくり、お休みください」と宗貞。

チラッと宗貞は思ったのだ。桓武かんむ天皇から正しい嫡子相伝ちゃくしそうでんをしたならば、平城へいぜい天皇のあとは、母に従五位下を贈られた第一皇子の阿保親王あぼしんのう、阿保親王のあとは、内親王を母とする、あの大幣おおぬさどの。

……そりゃない、ナイ!。天下国家のためにも、和歌の再隆盛さいりゅうせいのためにも、ぜったいナイ。



八五〇年(嘉祥かしょう三年)は、正月から宮中が揺れた。

元日は雨だったので朝賀ちょうがは行われずに、天皇は紫宸殿ししんでんに五位以上の官人をあつめて宴をした。

ふだんは朝賀の儀式は朝堂院ちょうどういんで行われ、五位以下の六位から八位までの地下の官人が庭に並ぶ。紫宸殿は内裏の中にある建物だから五位以上の者しか入れない。

そして正月四日に、例年のように母の嘉智子太皇太后かちこだいこうたいごうに正月の挨拶をするために、仁明天皇は冷泉院れいせんいんにでかけた。

冷泉院は距離は近いが宮城の外の左京二条三坊にある。親王や太政官たちが列をなして供をした。太皇太后の娘の子、つまり孫の恒貞親王を謀反の罪で廃して皇太子になった道康は供奉ぐぶしていない。

宴がもりあがり、そろそろ引きあげるころに、天皇は玉座の御簾みすをでて、南側のきざはしの下におりて、しゃくを両手に持ってひざまずいた。 

笏を両手に持ってひざまずくのは正式な儀礼の形で、天皇に敬意をあらわすときにする。酔っぱらって庭をながめに行ったのではない。

階の下で南をむいて威儀を正した天皇は、左大臣の源ときわと、右大臣の藤原良房よしふさをまねいた。

きざはしは庭に下りるための階段で、その下でひざまずいた天皇に呼ばれた左右の大臣は、湿った庭に下りてひざまずくしかない。

宮城が北に作られて都を見下ろすように、天皇の座は、いつも北の高いところにあり、北から南にいる臣下を見下ろす。臣下は南から北の天皇をあおぐ。

これは絶対の決まりだから、ちょうど酒がまわって寒さもしのげ、よい心持になっていた親王や貴族たちはうろたえた。かれらがいる部屋は、ひざまずいた仁明天皇と左右の大臣の北にあり庭より高い。

太皇太后だいこうたいごうは宮中深くにいて、朕が輿こしに乗るところを見られたことがない。今日は輿に乗るところを見たいと望まれている。ちんはことわったが、大臣はどう思うか」ときざはしの下で威儀いぎを正したままで、天皇は左右の大臣にたずねた。

この日は北風が強く吹き、雪が舞っていた。

京の都は地下水源が豊富な盆地なので、緯度のわりには底冷えがする。秋の紅葉が山の裾野すそのから山頂にむかって色づくほどに、地べたが冷たい。上空の寒気は強くないので、雪は水分の多いベタ雪だ。

北風に烏帽子えぼしをあおられ、雪で湿った軒下にひざをついて、良房はアングリした。そんなことを訊ねるために、階の下まで降りて威儀いぎを正したのか。御簾みすの中から、招けばよいではないか。

「親に対する礼は尊むべきもので、太皇太后のお望みをかなえるのが、よろしいでしょう」とときわが答えた。打ち合わせていたのかと、良房は常の顔をうかがったが凍りついている。寒さだけではないだろう。太皇太后の目前で、その望みを無視なさいとは、だれも言えない。

返事を聞いた天皇は、ゆっくりと立ち上がって階を登って部屋にもどり、太皇太后のいる御簾みすのまえに座った。天皇と太皇太后の座は北側にある。御簾の中の嘉智子太皇太后は南を向いて座っている。その御簾に向かって、仁明天皇は北を向いて座った。

天皇が太皇太后に臣下しんかの礼をとった。階の下までおりて左右大臣を招いたのも「太皇太后が輿に乗るところを見たいといっておられる」と質問したのも、すべては嘉智子かちこのまえに北面して座るための流れだと、良房は気がついた。こんなに濡れそぼった服を着ていては「まずは玉座に」と先導することも出来ない。

良房が知るかぎり、臣下のように北を向いて座った天皇は孝謙こうけん天皇しかいないはずだ。百年ほどまえにに、孝謙天皇は父の聖武太上天皇しょうむだじょうてんのうと母の光明皇太后こうみょうこうたいごうと共に大仏に向かって北面した。そのときも天皇が北面したということで騒ぎになったそうだが、相手は大仏だから政治や人事に口だしをしない。

いま仁明天皇が北を向いて座ったのは、大いに口を出すにちがいない母の嘉智子だ。側近を参議にして、母の太皇太后に臣下の礼をとり発言力を強化する。

こんなことをつづけられたら、良房の夢は成就じょうじゅできなくなる。もう、待っていられない。

やがてきざはしの上まで輿こしが運びこまれた。仁明天皇は太皇太后の御簾みすに向かって、うやうやしく礼をして輿に歩みよった。

乗るまえに動きをとめて太皇太后のほうに向き直る。重い雲にさえぎられた外は、光が閉ざされて墨絵すみえのようだ。

仁明天皇の背後で、風にあおられた雪がりゅうのように渦を巻いた。



二日後の一月六日に、仁明天皇が倒れた。

もともと高熱をだして寝込むことがある天皇だが、熱がでても二、三日で政務にもどった。ウイルス系の病気は、風が目にみえないよこしまなものを運んでくるので風邪という。人から人への空気感染だけでなく、媒体ばいたいがなにか分からない…たとえば蚊が運ぶマラリアなども風邪という。

仁明天皇は、そういう病持ちで、自分で調薬ちょうやくするほど病になじんでいた。

七日と八日におこなわれた正月の叙位の式は欠席。十六日におこなわれた踏歌とうかと、二十日の舞妓まいぎの舞は御簾みすの中からみて、二十六日と二十七日に盗賊の追捕と、お経にかんするみことのりをだしたが、冷泉院で輿に乗ったときを最後に仁明天皇は姿をみせなくなった。



二月一日に、道康皇太子みちやすこうたいしや太政官たちは、仁明天皇がくらす清涼殿せいりょうでんのそばにあつまった。二月五日に皇太子と左右大臣が、天皇のそばによばれた。

蔵人頭くろうどのかみ良岑宗貞よしむねのむねさだに支えられて座った天皇は、眼を真っ赤にした異母弟で左大臣のときわに目をやったあとで、道康皇太子をみた。藤原北家の血をひく我が子だ。道康は目を凝らしている。そっと天皇が手をのばした。

皇太子になるまで良房の邸にいた道康に、天皇は一度もふれたことがない。道康が恐る恐る手をのばしたときには、天皇の手は力なく下りていた。

心の思いを目にこめて道康は父を見る。仁明天皇は、かすかにうなずくと、良房を無視して宗貞に合図した。すでに書かれていた遺言書が、左大臣の常に渡された。

それから一か月半余りもあとの三月二十日ごろまでのあいだに、なにが起こったのか、父と対面したあとで東宮に戻った道康皇太子には分からない。内裏には僧侶が集められて、たえず経が読まれていた。二月十九日に、冷泉院の嘉智子太皇太后が心痛のあまりに倒れ、六日後の二月二十五日に、太皇太后の娘で仁明天皇の妹の秀子内親王が亡くなった。  

三月十一日に、仁明天皇は受戒じゅかいを受け、三月十九日には、第二皇子の宗康親王むねやすしんのうと、臣籍降下した息子の源まさると供に出家して、戒律かいりつ誓受せいじゅしたと伝えられた。


それを知った良房から、内裏に来てひかえるようにと道康皇太子は言われた。

三月二十一日に、仁明天皇の崩御ほうぎょが伝えられた。

臨終の父に会うこともなく、すぐに道康は輿こしにのせられて東宮にむかった。六衛府ろくえふが物々しく居並ぶなかを、神璽しんじ勾玉まがたま)・宝剣ほうけん(草薙の剣)・鈴印れいいん(天皇御璽てんのうぎょじ駅鈴えきれい)などを納めたひつが近衛の少将たちに守られてとおり、そのあとを道康をのせた輿が行く。つづいて左右の大臣をはじめとした公卿くぎょうがつづく。

道康のうえに、重いものがのしかかってきた。



「お上がりください」

追いかえされると思ったのに、業平は良岑宗貞よしむねのむねさだ曹司ぞうしに通された。内裏のなかは線香の匂いがして読経の声が遠くに聞こえる。しばらく待つと宗貞が顔をだした。

「お通夜とか、ご葬儀とかは?」と業平。

「みなさま。東宮にゆかれましたから、こちらには近臣しか残っておりません」と宗貞。

崩御ほうぎょされたばかりなのに?」と業平。

「ほったらかしです。けがれれをきらってか、太政官たちはお別れにもこられておりません。良房は、神璽しんじや宝剣などを押さえることしか考えておりませんのでね。神器じんきを頂くのが帝ですから、それを奪われたご遺体は帝ではないということでしょう」と宗貞。

「奪われたとおっしゃいましたか?」と業平。

「わたしの心象しんしょうです」と宗貞が膝を指で叩いた。

「病みつかれてからも頭はしっかりしておられました。良房は皇太子に生前譲位せいぜんじょういをするようにと言ってきたのですが、帝は応じられませんでした。譲位されないかぎり、神璽・宝剣・鈴印などの神器は帝のものです。

ですから崩御を知らせますと、スワッとばかりに、すぐに皇太子と神器を東宮に運びだしましたよ」と宗貞。

右大臣を呼びすてにしているのは、もちろん嫌っているからだが、この人は良房の従弟でもある。父親同士が、母をおなじくする異父兄弟なのだ。

「譲位なさらなかったのは、回復される見込みがあったからですか」と業平。

「死期はさとっておられました」と宗貞。

「なら…」

「そもそものはじめは、良房が、でっちあげた承和じょうわへんです。

帝は恒貞親王つねさだしんのうを廃して、道康皇太子みちやすこうたいしを立てるおつもりはありませんでした。恒貞親王は嘉智子さまの外孫で、幼いころから皇太子として帝のそばに仕えておられましたし、それに、もし、ご実子を立てるならば、可愛がっておられる宗康親王むねやすしんのうを、恒貞親王の皇太子にと思っておられました」と宗貞。

「今回も道康皇太子への譲位に応ぜず、宗康親王に譲位なさろうと…」

「いいえ。帝は頭の良いかたです。後ろ盾のない宗康親王の身を案じて出家をすすめられたのは帝です。帝は書いていない行間に意味をもたせたのですよ。譲位をせずに出家して内裏で崩御される。それが表です。

それを、どう読み解くかは人によってちがうでしょう。帝は、道康皇太子さまのことも心配されておりました」と宗貞。

「皇太子さまをですか」と業平。

「良房を外戚がいせきに持っていても、道康皇太子が大切な帝のお子に変わりはございません。

七七日しちなのかがおわりましたら、わたしは、ここをでて出家するつもりでおります。出家しますと恋の歌はめなくなるでしょう。あとは、あなたにたくしますよ」

「は……」

「あなたの叔父上が、若い僧侶を伴なっておいでになっています。清涼殿せいりょうでんに上がられませ」


仁明天皇の遺体を安置した清涼殿は、白い布でおおわれて、ようすが変わっていた。御遺体のそばの仏壇にむかって、数人の僧侶と尼僧が経を唱えている。そのまわりを大勢の僧が囲んでいる。

仁明天皇に仕えた蔵人や女房は、喪服を着てひさしに静かにならんでいた。業平は末席で手を合わせる。

僧の中心に、袈裟けさをつけた叔父の真如しんにょの姿があった。真如の横に座って経を唱える立派な袈裟けさをつけた年若い僧の姿を見て、業平はびっくりした。仁明天皇かと思ったのだ。

恒寂入道親王こうじゃくにゅうどうしんのうさまと良祚尼りょうそにさま。もとの皇太子の恒貞つねさだ親王と、正子皇太后さまです」と宗貞がささやく。

ならば、その横で合掌がっしょうだけしているりたての青い頭の青年僧が、仁明天皇と一緒に出家した第二皇子の宗康むねやす親王と源まさるだろう。

宗貞が正子皇太后のそばにより、耳打ちした。正子皇太后が頭を巡らせて、業平を見た。この人も、兄の仁明天皇に似ている。太政官たちが東宮に移ってくれて、ほんとうに心ある葬儀になったと思いながら、業平は深く頭を下げた。

真如は平城へいぜい天皇の子。恒寂入道は淳和じゅんな天皇の子。良祚尼こと正子皇太后は嵯峨さが天皇の娘で淳和じゅんな天皇の皇后。業平は平城へいぜい天皇の孫。蔵人頭の良岑宗貞は桓武かんむ天皇の孫で、のちに出家して遍昭へんじょうと名乗る。

良岑宗貞は出家してからの遍照の名のほうが、のちの世に伝わって知られている和歌の名手だ。遍照は宮中を下げられた紀名虎きのなとらの姉娘で、仁明天皇の更衣こうい三国町みくにのまちと、その子の常康親王つねやすしんのうを、ずっと気にして世話をし続ける。



そのころ東宮では、法要などほったらかして集まった太政官らが論議の最中だった。

討論好きの仁明天皇は、決着をつけなかったことで次代に大きな議案を、いくつものこした。

右大臣の妹を母とする皇太子に、生前譲位せいぜんじょういをしなかったこと。生涯、皇后を立てなかったこと。死期をさとりながら居を移さずに、内裏で崩御ほうぎょしたこと。一刻をあらそって決めなければならない難題ばかりがのこされた。

「まず親王さまですが、亡くなった帝の思し召しがありますので第一皇子に親王宣下をすることを、皇太子さまは強く望まれております」と仁明天皇の近臣で、元東宮博士とうぐうはかせだった小野篁おののたかむらが、新天皇となる道康の意向を伝える。

「第一皇子の母は紀朝臣きのあそんです。紀橡姫きのとちひめ光仁こうにん天皇の母后であり、桓武天皇の祖母后になります。第一皇子を親王とすることに問題はないとぞんじます」と、これも仁明天皇の忠臣の伴善男とものよしおがつづける。

小野の野の字をとって野宰相やさいしょうとよばれるたかむらは、当代一の論客で皇太子の信頼もあつい。そのうえ体が大きくて迫力満点だ。ほかにも決めることがあるのに、親王宣下を一番にもちだしたのは篁の知恵だろう。良房の娘の明子が臨月を迎えている。

「第一皇子の母の姉は、亡き帝のもとを下げられた更衣でした。過失を犯した更衣の妹の子を親王にすることに反対です」と源まことが異議をとなえる。

「先ほども申しましたが、亡き帝の思し召しがあり新天皇となられる皇太子さまが望んでおられます」と篁はゆれがない。


硬骨漢こうこつかんで正論を口にする篁を、論争でやりこめるのはむずかしい。ようすをみている良房よしふさには、異母兄の仁明天皇に寄りそって生きてきた左大臣の源ときわが、疲れて切って顔色が悪いのが分かった。常さえいなくなれば源氏は思うままにできる。

良房は、自分は鳥のように空の上から人を観察できると思っている。たとえ本当に少しぐらい人を鳥観ちょうかんできる能力をもっていたとしても、その目に見えない人がいた。良房自身だ。











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