第六話…世の中の 人はこれをや 恋と言うらむ
おなじ八四六年(承和十三年)。
元服したばかりの
早々と入内してきた冬嗣の娘は、さっそく道康皇太子を身ごもった。だが道康を出産するまえに父の冬嗣が亡くなった。母の
母が亡くなったとき、同母兄弟で長兄の
そのころは皇太子だった仁明天皇のもとには、次々と若い娘たちが入内してきた。
両親を亡くして後ろ盾がなくなった順子は、後宮で忘れられた。
即位したあとに、仁明天皇は
仁明天皇には子をもうける力がある。だから天皇に愛された出産能力のある妃たちは後宮を離れることが多い。出産は里でするから、妊娠三か月目から出産のあと一、二か月の、およそ一年近くを里ですごす決まりがあるからだ。この別離があるから天皇の愛もいよいよ深まるのだろうが、ひっそりとくらしている順子は身ごもることもないから、里で過ごすことも少なかった。
どうして、いてもいなくても変わらない
仁明天皇は、皇后の規定を太政官たちに論議させたが、皇太子の母の順子を皇后にする気はなく、嵯峨の帝の一周忌のときに「三
それに順子は、好きなときに東宮にくらす一人息子に会えるようになったから、それだけで充分だ。
池のはしに植えられた若い
明子に目をとめた順子は、内心で首をひねる。人形のような面立ち。人形のように開いているだけで感情がない下がり目。その目が兄の良房に似ているように見えた。
……やはり明子は、兄の娘なのかしらん?
皇太子になって四年がたち、道康も十九歳になっている。去年、道康のもとに藤原明子が入内してきた。
良房が
ただ順子でさえ、不思議に思うことがある。良房は四十二歳になるが、子供は娘の明子しかいない。妻は潔姫だけだが明子が産まれたのだから潔姫に次の子が生まれてもよいはずなのに、いない。
いまの良房は、藤原北家の
その良房に、跡継ぎとなる男児がいないのだ。これは、とても変なことだ。
子供は明子だけで跡継ぎがいないのは確かに不思議で、良房は子がつくれないという噂が後宮でも立った。だったら明子の父親は、他にいるのではないだろうか。
潔姫は十六歳まで源
でも明子が、良房の娘でないともいい切れない。
順子は、息子の道康と姪の明子とのあいだに、早く子が誕生することを
「皇太子さま。明子さま。はやく皇子がお授かりになりますことを待っております」とだけ、順子は二人に言った。
道康は黙っている。あれ…? どうしたのかしら。
今、仁明天皇は、収穫ができなくなった荒田を測量して新たな耕作人をえらび、ふたたび収穫をあげる田にしようと試みている。十九歳になった道康は、民のくらしを案じて
そして父は、
父は道康を嫌っているのではなく、道康の後ろにいる良房を警戒している。
民の暮らしを考える父。藤原氏のために早く明子に皇子をと、せがむ伯父と母。
十九歳の道康は、皇太子として伯父に
すでに四人の藤原氏の娘が入内しているが、道康は、だれもそばに寄せていない。道康が愛しているのは第一皇子を産んだ
藤氏の娘は避けているが、明子だけは、どうすればよいのかわからない。
幼い頃から明子は周りの大人の言うことを聞き、自分を抑える子だった。好きな食べ物や、嫌いな食べ物があるのに、すべてに少しだけ手をつけて残すようにとしつけられたら、好きなものも少しだけ箸をつけて残す。刺繍をしているときも、遊んでいるときも、お時間ですと止められると名残おしそうにやめてしまう。そういうときに道康が立ち会うと、すがるように悲しげな目をする。
同じように、すべてを管理されている道康なら、分かってくれると訴えているのだ。
道康に嫁いで男子を産むように育てられた明子を、遠ざけるのは可哀想な気がする。
ため息もつけない道康は、ボーッと遠くに目をやった。
優しい子だと順子は思う。やっと会えるようになった息子に、順子は母性愛をふくらませている。家のために生きてきた順子が、はじめて人への強い
何でもしてやりたいのに、望みをかなえてやりたいのに…心がすれ違っているような気持の悪さがある。男の子って、そんなものなのかしら…。
迷ったけれど、順子は妹の
「まあ、お姉さま。よくいらっしゃいました。すてきな、お召し物ですね。ここに使われているのは金糸でしょう。お似合いですわ。お姉さまは、なにを召されても
「お変わりなくおすごしですか」と言いながら、来るのではなかったと順子はくやんだ。古子も、順子が入内してから生まれたので馴染みもないし、このハイ・テンションも話題も苦手だ。
「変わりはございません。でも、お姉さま。変わりがないのは皇太子さまのせいです」と古子は片手を順子の耳のそばに立てて身を寄せた。
「夜の、お招きがないのです」古子の息がふれた耳が鳥肌立つ。
「お姉さまから、お口添えしてください。お姉さまにしかできないことでしょう。北家の後ろ盾がどれほど大切か、皇太子さまは、お分かりになっておられません。明子さまか、わたくしかが、はやく皇子をもうけなければいけませんわ」
苦手ではなく、この娘は嫌いだと順子は思う。不自然に高い声も、早口も、愛想笑いも、みんなキライ。道康にも、選ぶ権利はある!
「では古子さま。わたくしは、そろそろ……」と順子が腰をあげた。
これから藤氏の娘を入内させるときは、気の利いた話ができる教養と知性をもった
「あら、そんな…。まだ、いらしたばかりじゃありませんか。
茶? お茶は輸入品で、めったに手に入らない。良房が届けたのだろうか、なぜ?
「まあ、めずらしい。どちらからかの頂き物ですか」と順子。
「良房お兄さまからです。ときどき、届けてくださいますの。この玉も、いただきました」と古子が腕につけた
「仲が、およろしいのね。お顔を拝見して安心しまして元気がでました。貴重なお茶は、またの日にいただきます。では」と順子。
「もう少しよろしいでしょう。せっかくですのにィ……」と古子。
立ち去りぎわに、わたしが嫌っているから、古子もわたしを嫌っているだろうと順子は気がついた。わたしは、どんな表情で古子を見ていたのだろう。これまで、どんな顔をして暮してきたのだろう。
帝は、どのように、わたしを、ご覧になっておられたのか。
道康は…。わたしは道康の身になって、気持ちを汲んだことがあっただろうか。
九月の末。
正四位上で
そのハレの場で、
男が女のもとに通う婚姻では、三日間つづけて通ってから三日夜の
この日、花嫁の祖父の紀名虎は、息子の
「業平さま。いく久しく涼子をおねがいします」と名虎が身を伏せた。若いころより太って、少し体を動かすだけで息切れがしている。
「おひきうけしました」と業平が応じる。
あの頃…。奈良の帝の三回忌で、
「ホント?」と
「涼子!」と花嫁の父の有常がたしなめた。
「お父さま。この方は、この世で一番、長く久しくつき合うことができない方だと、よくご存じでしょう。この方は婿ではなく、そのときかぎりの恋人むきでしょうに。あちらの花、こちらの花と舞い飛んで、血筋は良くても階位も仕事もありません。
お爺さまも、なぜ婿とみとめて、都のお宅で
「なかなかの娘でしょう」と有常が業平にささやく。
「涼子さんは、業平さまがお嫌いなの?」と、涼子の叔母になる
一か月まえに、静子は道康皇太子の皇子を出産した。
静子と涼子は叔母と姪だが年が近いので、小さいころから姉妹のように仲がよくて面差しも似ている。業平が
「嫌いならいいけど、好きになりそう。それって、いやな予感でしょう。静子姉さま。好きになったら一方的に傷つくのは、わたしよ。
業平さま。この世の女性は、だれでも、あなたを好きになると思っているでしょう?」と涼子。
「いえ、さすがに、そこまでは」と業平。
「ほら。少しはそうかと考えた。業平さま。わたしとお父さまと、どっちが好き?」
「涼子さんは、ご自分の父君を
「言うこと、なすこと芝居っぽい!」と涼子。
「この席に、お招きできるものなら……」と静子がつぶやいた。
若者たちの話を聞きながら、むかしを思いだしていた名虎が娘に目をむける。二児の母となった静子は、落ち着いて
「皇太子さまのことか」と名虎が聞いた。
「……言いたいことを、口にされたこともないでしょう」と静子。
妊娠と出産の別離を寂しがって、道康皇太子からは、たびたび文が届いている。娘を入内させて紀氏の生き残りを
静子が皇太子の想われ人となって、はじめて名虎は一人の父として祖父として宮中に生きる娘や、幼い孫たちの行く末が不安になった。
もうすぐ二人の皇子を名虎のもとに残して、静子は東宮にもどる。二歳半になった上の皇子が、乳母や女房につきそわれて入ってきた。片言を話しはじめて、走ったり飛んだりが楽しい可愛いさかりだ。
「これは、お目がさめましたかな」と名虎が
中性的で
涼子がツンケンしているので、昼間は訪ねてくるけれど夜は帰ってしまうという嫌味な行動を、業平が三日も繰り返した。業平が住む
そのときに、涼子が
(空や雲のような 遠い存在に なってしまうつもりなの? わたしの目には 来ているのが見えるのに しょうこりもなく!)
業平の返しは、
天雲の よそにのみして
(わたしが空や雲のような 遠い存在に なってしまうのは 落ちつくはずの山の 風が激しくて 近づけないからでしょうに!)
べつのときに喧嘩をして、もういい。別れよう!と、業平が詠んだ歌。
年を
(長い間 住み暮らしたこの深草の里を わたしが出て行ってしまえば もっと草深い ただの野原になってしまうだろうよ!)
涼子の返しは、
野とならば
(ただの野原となったら 鶉になって鳴く(泣く)わよ! あなたは狩り(仮り)にでも きっと来てくれるわよね!)
別れ話の最中に、この歌を返す妻と業平は別れなかった。この機知、鋭く返すくせに、邪気のない、この感性。別れられるわけがない。
涼子との婚姻で、舅となった
君により 思ひならひぬ 世の中の 人はこれをや 恋と言うらむ
(あなたから教えられましたよ 世の中の人は こうして待ち
恋多き男のくせに、業平は女の返事を待ち暮らしたことがなかったらしい。
有常の返しは、
(教えてくださいよ 世間では何をもって 恋と言うのか 私の方があなたに聞きたいですから)
まえの年(八四五年)の十月に、奈良の法隆寺の僧
訴えを受理したのは
今年(八四六年・
審議にあたる弁官のなかに、仁明天皇の
「あのう…この
僧
「受付日を記入しないと、不備な書類になりませんか」と自信がなさそうに善男が言う。
「そうだな」と一人が答えたが書類はそのままになった。
太政官に直結して各庁を束ねて、書類を作成する弁官は忙しい。
左弁は、
生まれ育ちで選ばれる太政官や各省の長官とちがって、政治の中核で下書きをつくるので、学識の高い有能な人が
訴えられた
登美氏も
「僧侶は弁官局でなく、
善男は背が低く痩せているので、みかけが地味だ。うつむいて肩を落としていると存在感が
若いころから登庁している善男だが、天皇に関わる
だが少納言の登美氏と善男は面識があってもおかしくないし、仁明天皇は近習する登美氏が訴訟されたことを知っていてもおかしくない。
審議の日に、弁官たちは僧
「あれ? 囚獄しないと、いけないのではありませんか。それに僧服ですね。平服着用が義務でしょう」と上司全員がそろったときに、善男は全員の耳に届くように、すこし声を張り上げて異議をとなえた。
僧が訴えをおこすときは、俗業(普通の服装)でなければならない。訴訟人は、その訴訟が嘘の場合があるから、訴訟の日から判決がでるまで囚獄すると決められている。ただ日常の業務のなかではウヤムヤにして、知り合いに
これまで何か言ってもムシすれば終わったから、全員が善男の言い分をシラーッと聞き流した。
義男にとって難しかったのは、ここまでだった。
弁官たちの審議の結果、膳愷の訴えには嘘がなく、壇越で少納言の登美直名が法隆寺の私有財産を売りはらい、その金を自分のものにしていることがあきらかになった。
伴善男が動いたのは、そのあとだ。
さあ、こっちも始まった。
膳愷が勝訴したあとで、右少弁の伴善男は、上司である五人の弁官を、手続きに不備があったと
一人を相手にするだけで、うんざりするような有識者で弁論の達人を、新入りが、ひっくるめて訴えたのだ。ダメな上司なら、宮中には掃いて捨てるほどいる。それを部下が訴えていたら、きっと、だれもいなくなる日がくる。
官人たちは、びっくりした。
弁官たちが不備な書類を受けとり、僧服の告訴人を囚獄せずに、法規に反したあつかいをしたのは明白だったので、善男の訴えが正しいことは、すぐに判明した。
ただ、その弁官たちがしたことが公罪か私罪かを決めるために、このあと延々と論議がつづく。
公罪は、うっかりミスで違約金を払えばすむ。私罪は自己認識がありながら目的をもって行った行為で、犯罪として
弁官たちに判決をだすまえに、公罪か私罪かを決めなければならない。法律の権威者の
訴えられた右大弁の和気真綱は、「チリ、ホコリの立つ道は人の目をさえぎる。このような場で一人だけ正しいことを言ってもムダだ。辞職して、さっさと
和気氏は清い生き方をしてきた氏族で、真綱も真っ直ぐな気性だった。
「私罪です。公罪でしたら、わたしが注意したときに、改めることができたはずです。すべての問題点を、わたしは事前に弁官全員に
残った四人の上司を相手に、善男は一人でまくしたてる。
伴善男は、存在感のない気の弱い小男ではなかった。鋭い目をした、弁の立つ切れ者だった。
「日付が記載されていない書類は不備だと注意しました。そのときに日付を記入することはできましたね」と善男。
「それは……」
「わたしの言葉をおぼえておられますか。わたしはどう申しました。言葉にしてください。まちがいを知っていて正さないのは、私情があったからではありませんか!」
これほど強気な男が、上司のまちがいに気がついたときに、なぜ、もっとはっきり正せと直言しなかったのか。なぜ、あとになって、弁官全員を
はじめのうちは裁かれた登美氏を知っているから、復讐しているのだろうという見方もあった。ただ罪科が明らかな登美氏のために、こんなことをしてなんになるのか。
だが五月の末に、道康皇太子の学士である
小野篁は骨っぽい正義漢で仁明天皇の側近だ。最初から、これは弁官全員の罷免が目的で、善男を潜入させ小野篁を
邸に閉じこもっていた右大弁の和気真綱は、九月に六十三歳で亡くなった。
二代まえの嵯峨の帝が残した若い源氏と、娘婿の良房が代表する大政官の下で、まじめに草案を起こして誇り高く生きたつもりの
真綱が亡くなると、小野篁が左中弁になった。明法博士の報告書をうけて、十一月になって太政官たちは善男の訴えを認めた。
半年をついやして論議された「
伴善男は、いちやく有名になった。人は善男のことを、
戦うのは気の強い雄鶏で、足の爪でける。くちばしでつつく。十メートルや十五メートルは飛ぶ荒々しさだから、闘鶏といわれた善男は頭の良さと強気と、弁論の巧みさを評価されたのだ。
仁明天皇は、真っ向から良房に対抗する姿勢を見せた。源氏がどっちに付くかが、これからの政情の鍵になった。
八四七年(承和十三年)。
正月の叙位で、従四位下の
代わりに皇太子の学士になったのは、従五位下で
仁明天皇は、母の
冷泉院は、宮城の東南に隣接しているが城外にある。天皇がでかけるのだから
二十代のころのように、仁明天皇は
淀川をはさんで山崎の
多くの医学書を読み、薬にも通じていた仁明天皇は、胸に痛みを抱えているので
祟りには、恨みをだいて亡くなった祟る者がいる。怪異は妖しいことやモノノケが現れることをいう。鳥の群れが宮城に集まっても、キツネが内裏に迷い込んでも怪しい。夜の宮城は官庁が閉まると、天皇が居住する内裏と、皇太子が居住する東宮をのぞいて人気が少なくなる。光源も弱いので、得体のしれない人影があるだけで怖い。怪しい。おぞましい。
仁明天皇は、民のくらしが豊かで安全であることをねがって、内裏に僧をあつめて経を読ませた。少ないときで四,五十人ほど、多いときは八百人もの僧があつまって、三日ぐらい続けて読経をする。ひんぱんにやるから内裏のなかは
その僧のなかに、仁明天皇が
そして無位の在原業平が、蔵人として仁明天皇のそばに召された。
「
「はい」
「
「はい」
「
「はい」
「蔵人は帝の私生活に仕えます。蔵人にとって一番大切なことは、見聞きしたことを外にもらさないことです。心して
「……」と業平は、頭を伏せて丸くなっている。
「在五どの。いつまで顔を伏せていらっしゃいます。わたしは熊ではありませんから、死んだふりをしてもムダです。起きてください。在五どの!」と宗貞。
「……ん」
「ほう。噂にたがわず、なまめかしい。いわゆる女顔で怪しげな色気をお持ちですな。ところで
「いえ」
「蔵人と侍従には
「宿直ですか。じゃあ、
「はい?」
「蔵人頭さま。わたしは遅番専門でおねがいします」
「在五どの。帝は、あなたと和歌の話をなさりたいと思っておられます。帝は、なにごとにも深い知識をもたれていて、おなじように深い知識をもつ方と語りあうことを好まれます。あなたは和歌をつくる才能をお持ちですが、すこし、あれーぇ?。その
「いいえ。蔵人頭さま。それは眼の
「ホッ、ホッ、ホッ。わたしの目は、わたしに断わりもせず、かってに錯覚したりいたしません」と宗貞が笑ってつづけた。
「桜の枝を、
「ん…いま、なんと申されました?」と業平。
「桜の枝を襟にさしたことはありますかと、うかがいました。在五さま。まだ寝てます?」
「残念ながら、起きているみたいです。ああ。ネコヤナギの枝ならさしたことが…」と業平。
「どうでした?」
「浅くさして動くと落ちてしまいます。深くさすと枝の先が背中にあたって、チクチクして痛くって」と業平。
「でしょう。わたしの父は、桜の枝を襟にさして舞ったといいます。襟の内側に枝を深くさしこむために、綿入りの布でできた袋を仕掛けていたそうです」と宗貞。
「へーえ。そうでうか」
「父は美しく華やかな人でしたが、それなりの努力や、しかけをしておりましたよ。
あなたの
「さあ、どんなものでしょうか。遅刻せずに出仕しろといわれても、なかなかに…ねえ」と業平。
「ムリですね。在五どの。おなじ和歌を好むものとして、あなたの出世に役立つように、宮仕えのこころえを教えるつもりだった、わたしが
「どうぞ、お気を落とされませんように」と業平。
「
「べつに…」
「政道に関心がありますか」と宗貞。
「すこしは」
「どのように」
「権力争いで、非道なことが行われるのは腹がたちます」と業平。
「人ならば誰でも、それぐらいのことは思います。だからといって小野篁どののように、政道を批判する歌を詠むと島流しにされます。漢詩は詠まれますか」
「いえ。漢文が、そのう、ちょっと…」
「ならば今のまま、恋の和歌をつくって過ごされませ。和歌は、ことばに表さない思いまで伝える力があります。女性でしくじっても、たぶん島流しにはされません」と宗貞。
「ほんとですか?」
「たぶんですよ。たしか
「それで?」
「そのときは、それだけです。とくにお
「よかった」
「ただ、別件の
「えっ…!」
「あなたは皇位には、かかわらないでしょう?」
「はい。親王さまなら限り知らずにおられますから」と業平。
「すると女性
業平は
「見てください。
「どれ…」と身をのりだした良岑宗貞が、「ああ…小野小町どのの歌ですねえ」といいながら紙をめくる。
「おかしいです。ありません」
「なにが、ないのです」
「どうして、わたしの歌が、この中にないのですか。納得がゆきません!」と宗貞。
「申し訳ありません」
「
「ん…。コウニン…ですか? 詔勅ねえ。あれって漢字が多いでしょう?」と業平。
「分かっているのですか。光仁天皇は、あなたのおじいさまの、おじいさま。わたしの曾おじいさまです。光仁天皇の詔勅はみごとです。わたしには無理ですが、あなたなら生かせるかも知れません。漢字がなんです! 心して読み込まれませ。でないと服の違反を取り締まります!」と宗貞。
三十一歳になる
業平の祖父の
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