第五話 行く蛍 雲のうへまで 往ぬべくは…


「イテ!」とモクミ。

「動くからだ!」とサンセイ。

「よーっく見てごらん。ほれ。こう、かたむけるのさ。剃刀かみそりをつかうと肌が痛むし、そった毛がこくなる。絹糸でそるのが一番だ」と白砥が、両手の指で絹糸を張って、業平の体をつかって体毛処理を教えている。

守平と業平。サンセイとモクミは、白砥はくと青砥せいとの家を、蔵麿の予想を上回るほどに訪れている。妓楼ぎろうが忙しいときは放っておかれるが、それでも守平は楽しい。この雑然とした居住区も、雑然とした人間関係も好きなのだ。今日は貴族たちが化粧をはじめたという話を、白砥と青砥にひろうした。

「ケッ! 男が眉をそって白練しろねりをぬるのか」

業平の背中の産毛を、絹糸で器用にそりながら白砥がきいた。サンセイは白砥をまねて、モクミの背中をそっている。

「みながみなでは、ないらしいが、白練をぬったあとに墨で眉をかいて、唇に紅をさすらしい」と守平。

「どんなふうに眉をかく」と青砥がきく。

「山形や俸形や、点みたいに丸いのだってさ」守平も実物は見たことがない。聞きかじりだ。

ちょっと想像して「へんだろ」と青砥が切り捨てた。

「歯には鉄漿かねをぬる」と守平はウンチクをかたむける。

「カネ?」

「酢や茶で鉄釘をびさせてつくった黒い液をぬる」と守平。

「歯を黒くするのか。どうしてさ?」と白砥。

「虫歯が多くて欠けているから、全部黒くしてしまったほうが、まだ見れるからだろうな」と守平。

本当のところは知らないが、守平のとぼしい知識では、貴族とよばれる人は歯が悪い。青砥が守平のあごをとらえて、「アーンしてごらん」といった。

「白くてきれいな歯並はならびだ。うん。口の匂いもよい」と青砥。

皇孫だけど守平はシャチの息子だから、こういう扱いをされるのが好きだ。

「サンセイとモクミが作る、黒文字くろもじのヒゴの先が細かい房になったもので、まいにち掃除している」と守平がいう。

「じゃあ殿上人でんじょうびとも、そうすれば、よいじゃないか」と白砥。

暦注れきちゅうにしたがうから、そうも、いかないらしい」と守平。

暦博士こよみはかせがだすという暦の注意事項かい。そのとおりにすると歯をなくすのか。あほらしい」と青砥。

「モーさま。薬湯ができたよ」と小夜さよが桶を運んできた。

「その痛んだ肌に湿布をするから着物を脱がすよ」と小夜が守平の着物を脱がそうとすると、サンセイを放り投げて、糸剃いとそりの実験台になっていたモクミが飛んできた。

「さわるな! 我がやる」とモクミ。

「なんだ。モクミ。おまえ…もしかしたら、小夜に男の体をさわらせたくないとか? ん…ホレたのか…?」と頬杖をついて寝転んだ守平がモクミの顔を見あげ、図星ずぼしだとエツにいる。

「あれ。そうなのか。わしにホレたか。モクミ」と小夜がうれしそうに、一回り小柄なモクミの背中を片手でドスンとたたいた。つんのめりそうなモクミを、みながはやし立てる。

青砥が薬研やげんをだしてきた。「なんだ。それ」とサンセイがきく。

白練しろねりは使うな。あれには毒がある。

むかし乳まで白練りを塗っている母に赤子がいた。

母がいないときに、さびしくて乳が恋しかったのだろうよ。

白練りを入れておいた小箱をあけて、なめてしまった。

…苦しんで死んだよ」 と青砥。

化粧品として売られている練り白粉おしろいは、水銀すいぎんなまりで練っている。どちらも毒性が強い。白砥が手をとめて気遣きづかうように青砥をながめた。おそらく青砥自身の身の上話だろうと、白砥のようすで守平は見当をつける。

生薬生薬は即効性がないのに、毒性の強いものなら、そこいらじゅうにあふれている。

「ナーさまには、いらないだろうが白粉を使うなら、この薬研やげんで白米をすって作れ。そのまま刷毛はけでたたいてもよいし、椿の油か海藻のぬめりを入れて練ればよい。髪を絡めるのも椿の油か海藻のぬめりがいいぞ」と青砥が教える。

米は赤米のほうが多いから、白米を粉にするとは思わなかったと守平。

「にぎやかそうだな」と、となりの漆塗うるしぬりのジイサンが顔をだす。

「亀ジイ。いっしょに夕餉ゆうげを食ってゆかないか」と白砥がさそう。

守平たちがいるときは、在原ありわら家が食費をあとで清算してくれる。

「いいのかい」

「かまうものかい。なあ。モーさま」と青砥。

「いっしょに食おう。多いほど楽しい」と招きながら守平は業平をみた。

白い背中をみせながら、業平は気持ちよく寝入っている。まったくどこでも、よく寝る男だ。

「ナーさまは体臭が甘い。香をかずに、花のかおりをつけられないか?」と青砥が思いついた。

「花は枯れると香らないよ」と小夜がいう。

「いや。干し草は香る」とサンセイ。

「枯れるまえに乾燥かんそうさせれば、花の香りが残るかもしれない」とモクミ。

「楽しそうじゃのう。どれ、わしも知恵をかそうか」とジイサンが口をはさんだ。

うるしは乾燥に気をつかう。唐渡とうわたりの薬草は乾燥しているが、ただ干すだけではなく薬能やくのうを残す手だてがあるのだろう。いろいろ試みてみよう」

それまで書きためていた業平の和歌を、紀有常が恋の歌に見立てて詞書ことばがきを考えているころに、まだ位階のない三代前の天皇の孫の守平と業平の兄弟は、西のいちの外町で、歌や踊りやエステや色の道などにはげんで、色男をつくろうとしていた。



秋の虫が鳴いている。穂先が白くなったすすきが揺れる。

茜色あかねいろを少し残して濃紺のうこんが広がった空に月がかかる。

業平と守平とサンセイは、三条四坊六町にある邸の塀のまえにいる。

この邸に仁明天皇の女房にょうぼうの一人が、いみで里帰りしている。

女房は内裏に勤める女性官僚かんりょうで、昔、女官と呼ばれたころは、しっかり仕事をした。昨今では宮中に勤める女性も、貴族の家に仕える女性も女房と呼ぶようになり、その女房のもとに通う男が現れて、かなり色っぽい存在に変わりつつある。ただし宮中につとめる女房のもとに通うには、男のほうも、それなりの位が必要で、無位の業平には手の届かない存在だ。

だから里帰り中で、しかも色好みと評判の女房なら願ったりかなったりの人なので、聞きこんできた守平が業平をそそのかした。

昼まえに業平が送った歌に、しばらくして色よい返事がきた。

これは業平の歌が良かったからで、色好みと噂のある女房ほど相手を厳選げんせんする。色好みは蔑称べっしょうでなく、ほめ言葉だ。

「あまりにも、近くないか」と業平が心配そうな表情をした。

この邸のまえの小路をへだてたところが阿保の邸と買い代えた三条四坊三町で、そこに建っていた古いい邸をとりこわして、守平と業平のために新居を建設中だ。だから里帰り中の女房のことも知ったのだ。

「通うのに楽だろう」と守平。

「別のところに通うときには、わずらわしいだろう」と業平はグスグスしている。

「いまさら尻込みして、どうする! 通うところなぞ、どこにもないじゃないか。それに忌があけば内裏だいりに戻るさ。

いいか、業。双砥楼そうとろうねえさんたちが教えてくれたように、うまくやれよ」と守平。

青砥と白砥は双砥楼のおばさんで、姐さんたちは若い娼妓しょうぎのことだ。性技や口説くどきの手ほどきを、業平は充分に伝授してもらっている。

業平は十九歳になる。十五、六歳で妻問つまどいをするから、十九歳なら子がいてもおかしくない。それなのに守平も業平も、決まった相手がなくて子もいない。守平の場合は、いまは、いないだけの話だが、業平はズーッといない。いままで女性に夢中になったことがない。人を愛せない男ではなく、情が深くて親にも兄弟にも家人にも愛情をもっているから、女のように美しい弟の下半身に問題があるのではないかと守平は少し疑っていた。娼妓たちから大丈夫と保障されてホッとしたことがある。

「どんな人?」と心細そうに業平が聞く。

「年上なのは、たしかだ」と守平。

「美しい。カンペキです!」とサンセイ。

「ホント?」と業平。

「イヤー、我ながら見惚みほれるほどのできばえです。これぞ都一の色男です」と業平の身づくろいをしていたサンセイが、一歩下がって腰に手をあて業平を見ている。

「業。気おくれがするなら鳴りものでも入れてやろうか」と守平。

父に手ほどきをうけた守平は音曲が得意で、いまも笛をもっている。

「やめてください。守さま。もうすぐモクミがきます」とサンセイがいい終わらないうちに、細い松明でかどのようなものを照らしながらモクミがやってきた。

「さあ。行きますよ。この崩れた壁から入って西側にある棟です。ほれ、灯りが、ともっています」とモクミ。そっと忍びこんだのだが、庭の虫の声が消えた。

「なんだ。それ」と歩きながら守平がモクミにささやく。

「鈴虫を集めました。これからは、いつでも使えるように飼っておきます」

紫苑しおんと黄菊と薄の植えこみのうしろの闇に、しゃがみながらモクミがささやく。

「業さま。あの月明かりがとどく紅葉のそばに、薄の穂を背にして、左側の顔を見せてたたづんでください」とサンセイが指示をした。

「もう一歩まえ。顔をチョイ上。目線を少し右へ。ようし。いいです」とサンセイ。

モクミが松明たいまつを消した。しばらくすると、リンリンリンリン、耳を圧するように鈴虫が鳴きだした。

目指す女房がいる棟のひさしに、女人が姿をあらわした。女房に仕える下仕えの女だろう。ときならぬ鈴虫の大合唱に外のようすをのぞきにでたのだろうが、月明かりに佇む業平を見てひざを立てたまま固まってしまった。

心もち上を向いて佇んでいた業平が、ゆっくりと目を流してから体の向きを変えた。そして静かに歩きはじめる。

さあ、はじまりだ!



ゆとりのある成人した貴族の男子は、父親の邸をはなれて自分の邸をもつ。守平は二十一歳になるから、はやく独立しなければならない。母親は子といっしょに住むことがあるので業平は伊都いつの邸にいてもよいのだが、そのうち自分の邸が必要になるので、三条四坊に業平と守平のための邸を建てている。

邸の大きさはりつで決められているが、貴族は従わずに子弟に一町の邸を持たすことが多い。そのうち五位以上になることが分かっているからだ。ただ邸を維持するには人手がいるから、守平と業平は半町ずつに分けて使えるようにした。これなら無位でも、なんとかなる。

昨日の夜は、守平たちは三条四坊三町の竣工しゅんこうまじかな邸に泊まった。明け方に帰ってきた業平は、ひとしきり考えて女房にあてた和歌をつくると、サンセイに届けさせて眠ってしまった。

午後になってから、仲平なかひらがやってきた。大工と檜皮葺ひはだぶきの屋根の工事に、仲平は妻の小野氏にたのんで小野山人おのさんじんをよこしてくれた。それだけでなく暇さえあるとやってきて、工人たちに混じってけずり方を習いながら手伝っている。手先は器用だが性格が朴訥ぼくとつだから、あんがい向いているのかもしれない。今日も袖をくくりあげて、仕上がった柱や床を、たんねんに調べている。

「うまいこと上がりやしたな」と、やはり検分けんぶんにきていた土師雄角はじもおづの秦正和はたのまさかずが寄ってきた。

かべは難波の土師氏が手配してくれた。一町の北を業平、南を守平の宅とするから、築地塀ついじべいの内側に、もう一巡り塀をつくった。

伏見の稲荷山に住む秦正和は、柱の基石きせきや井戸や肥溜こえだめの石組みを指揮してくれた。

はた氏は聖徳太子しょうとくたいしの側近だったが、すでに幻の氏族となっている。官位は高くても外従五位下止まりで貴族ではない。しかし宮城のある場所は、もともと秦氏の邸があったところだから、秦氏の協力がなければ平安遷都はなかった。

むかしはたおりり方を教えるために全国に派遣されたから、津々浦々つつうらうらまで広がる支族をもち、その中心が太秦うずまさの大秦氏だ。秦氏や土師氏はインフラ工事専門業者だから、ふつうは個人の家の工事に出てこない。

「仲平さまの腕が上がったのには、おどろきました」と小野山の惟熊いくま

小野山人おのさんじんは、一人の親方がまとめる十五、六人の集団がいくつもある。檜の皮をいだりいたりする組と木工をする組があり、双方がきてくれている。

「正月は、新しいお邸で迎えられましょう」と秦正和はたのまさかずが言った。

「使用人は、どうなさるおつもりですかい」と土師雄角はじのおづの

蔵麿くらまろどのから、わたしが、ここに住むように言いつかりました。当分、業平さまは伊都さまと同居されるでしょうし、蔵麿どのも伊都さまのお邸に住まわれます」と叫古居さけびのふるいが答える。

「そういや古居ふるいどのは、書生しょせいとして官に推薦するって話を、ことわっちまったとか。そりゃ、またどうして?」と雄角。

「父は大舎人寮おおとねりりょうに属する官人でしたが、配属先が一定しませんでした。サンセイとモクミをみておりますので、気楽な従者として、生涯、守さまたちに、お仕えするのもよいかと考えました。

守さまたちが、お役をしくじって庶民に落とされても、わたしは読み書きや計算ができますので、多少の面倒もみれると思います」と古居。

「アン!」と守平。信用されているのか、いないのか、どっちだ? 

「一人じゃ、庭の掃除もできないでしょう」と秦正和。

「飯の支度や、馬や牛の世話もしなくちゃならねえだろうし、着物を洗ったり張ったり縫ったりする下仕したづかえの手もいりやしょう」と雄角。

「わたしは無位だ。できるだけ人を少なくして、なるべくなら男だけがいいな」と守平。

「従者をやとえる資金はあります」と古居。

舎人を連れた行平が、庭をぬけてくるのが見えた。

業平とは絶縁したきりで兄弟とも会わず、ここへ顔をだすのもはじめてだ。

「なにを話していた? チラッと従者とか聞こえたが、めったな人をやとうでないぞ。文屋宮田麻呂ふんやのみやたまろのことは聞いただろう」と挨拶もせずに行平は、新しいひさしに腰をおろした。



文屋宮田麻呂ふんたのみやたまろが、謀反むほんの罪で収監されたのが五日まえ。訴えたのは宮田麻呂の邸につかえる従者の陽侯氏雄やこのうじおだった。

誣告ぶここくがあったあとで、家宅捜査をして押収された武具は、弓が十三枝。弓を入れて背負う器(やぐない)が三具。矢が百六十隻。剣が六口。

一か所にあったのではなく、宮田麻呂が所有する数件の家にあるものを、まとめた数だ。武具の携帯は、武官と帯刀舎人のほかは許されていないが、これぐらいの数なら、練習用や護身用として守平も家においている。十三枝の弓と六口の剣で、国をあいてに、どうやって謀反を起こせるのか?

宮田麻呂は少しまえまで筑紫守つくしのかみ(北九州の知事)をしていて、新羅しらぎの使からワイロを受け取ったからともいわれる。新羅(半島の国)は戦乱の嵐が吹きまくっている。もともと相性が悪い国だから、朝廷は新羅にかかわらない方針をとっていた。それに逆らったからというけれと、いまいち、はっきりしない内部告発によって、宮田麻呂は裁かれて有罪。斬首ざんしゅにあたるが、罪一等を減じて財産を没収して流刑にされる。

文屋ふんや氏は、称徳しょうとく天皇のときに文室浄三きよみという大納言をだした天武てんむ天皇の血を受けつぐ皇嗣系こうしけい官人の名門で、「承和しょうわへん」で連座した、恒貞つねさだ廃太子の側近の文屋秋津ふんやのあきつと同族だった。


「身元のしっかりした、気の利いたものを探してみやしょう。正和まさかずどのにも頼んではどうですかい」と雄角が、守平に申しでる。

「若いものでよいのでしたら、太秦うずまさに声をかけてみましょう」と正和も言ってくれた。

こまどのにも頼んでおきやす」と雄角。

もり!」と行平が眉根を寄せた。

「ん?」

「この者たちは信用できるのか?」

「行兄。土師雄角はじのおづのどのは、音兄おとにいの親族ですよ。あのとき世話になったでしょう」と守平。

「…ン」

「それより、なにか、ご用ですか」と守平。

「ああ、なりに会ったら渡してもらいらい」と行平。

「業なら、そこに転がっているから自分で起こして渡したらどうです」と守平。

部屋のなかで紅葉色の狩衣かりぎぬを着て、寝乱れている業平を、どうやっても目に入る派手で大きなかたまりを、行平は見えぬふりをした。

「いつでもよいから、業に会ったときに渡してくれ」と舎人が抱えている文箱から、束ねた紙をだして行平がひさしにおく。

仲平が寄ってきて、それを手にとって読みはじめた。袖をまくり上げた仲平をみて、行平は眉根をよせて立ち上がった。

「では…帰る!」と行平。

「ありがとう。ゆき」と仲平が、去ってゆく背に声をかけた。

「なにしに来たんだか。やさしいなあ。仲兄は」と守平が口をとがらせた。

「やさしいのは行平だよ。守。見ろ。小野小町おののこまちどのの歌だ」と仲平が広げた紙を見せる。

行平が持って来たのは、小野小町おののこまちの和歌の書き写しだった。届けるだけなら伊都の邸に置けばよいものを、業平の所在を確かめて手渡すつもりで来たらしい。

「でも、この歌も…この歌も、仲兄が小野氏から聞いて、すでに業に渡されたものでしょうに…」と紙をめくりながら守平が言うと、仲平が笑いだした。

侍従じじゅうをしていて頼んだのだろうが、どんな顔をして頼んだか。

守。わたしは人づきあいも上手くないし、気の利いた話もできない。世渡りが下手だ。だが本当に不器用なのは、うまく立ちまわっている行平のほうかも知れないなあ」と仲平。

どこかで落ち葉をきあつめて、たき火をしているのだろう。しみじみと人恋しくなるけむい匂いを嗅ぎながら、守平は暖かくなった。



さかのぼるが、この年の四月二十二日に、参議さんぎ三原春上みはらのはるかみが辞表を出して退職した。六月十日には、参議の朝野鹿取あさののかとりが七十歳で病死。七月二十二日には、左大臣の藤原緒嗣おつぐも七十歳で死亡している。だから左大臣の席と、参議の二席が空いていた。


明けて八四四年(承和十一年)の正月の叙位で、良房の兄の長良ながらが従四位上の参議。良房と長良の妹で、道康皇太子の生母の順子じゅんこは従三位。末の同母弟の良相よしみは従五位上で、内蔵頭くらのかみ左近衛少将さこのえのしょうじょうになった。

七月に、右大臣の源ときわが左大臣になり、常の移動で空いた右大臣に、嘉智子太皇太后かちこだいこうたいごうの弟で正三位の橘氏公たちばなのうじきみがなった。

大臣は大納言から選ぶ。このときの大納言は橘氏公と藤原良房。良房は一年前に大納言になったばかりで、氏公は大納言になって長いし年もずっと上だった。

氏公を右大臣にするのは順当なはずが、仁明天皇は自分の近親だからとみことのりで述べた。先の恒貞皇太子をはいするときの詔と、この詔で仁明天皇は橘氏が母方の外戚であることを強調した。

二度の遣唐使船の派遣も国政にひびいたが、嵯峨の帝の贅沢なくらしや、多くの女御にょうご更衣こういと四十九人の子供の存在は、さらに国の財を圧迫させた。

庶民に餓死者が多いことを心配して、環境に強いソバや麦を育てることを奨励しょうれいしている仁明天皇は、自分の代で非常時に備えて国費を貯めようとしていた。しかし仁明天皇の意にこたえて動く官僚は少なかった。

桓武天皇から平城天皇とつがれた政治機構改革せいじきこうかいかくは、嵯峨の帝の治世の後半に藤原冬嗣ふゆつぐが大臣となってからつぶされて、権門けんもんに権力と財が集まる仕組みになっている。

政治の中枢を握るのは内麻呂うちまろ冬嗣ふゆつぐ良房よしふさとつづく権門の藤原氏だからだから、この流れに逆らってまで庶民を救う官人はいない。

良房は、一刻も早い道康皇太子の即位を望んでいるし、源まことは源氏の優遇がつづくことを望んでいる。

これが国政?…と思う官人がいても、太政官は良房の一族と源氏が占めているから、なにも言えない。

都は、火つけ、盗賊、人さらいが絶えない。宮城の中にある内裏でさえ、一か月に二回も盗賊に入られた。

明日の光が見えない世情は、すさんで荒れている。



昇位したときに職を辞退してみせて、断られるという慣習がある。

「わたしには重すぎます」「あなたでなければ務まりません。受けてください」というやりとりをして、その地位につく正当性を周囲に認めさせる。

左大臣になった源ときわが、俸禄ほうろく(給料)の辞退を申しでたのは、仁明天皇に止めるための詔をださせるためだ。

仁明天皇は常の辞退に対して、このように答えた。

ちんと左大臣は兄弟だが、君主と臣下の間柄だ。親族としての思いと公の間で、一方にかたよれば公平で正しい見解にはならない。私情では辞退する気持ちを理解できるが、公の立場で判断すると、俸禄の返上を受け入れることはできない」

仁明天皇は源氏は臣下であると明言したのだが、源まことは、こんなことで意識が変わる人では無かった。。

八四四年七月からの政府高官は、左大臣に源ときわ(三十四歳)、右大臣に橘氏公たちばなのうじきみ(六十一歳)、太政官は、藤原長良ながら(四十二歳)、橘峰継みねつぎ(四十歳)、阿部安仁やすひと(五十一歳)、和気真綱わけのまつな(六十一歳)、正躬王まさみおう(四十五歳)、源ひろむ(三十二歳)、滋野貞主しげののさだぬし(五十九歳)、藤原たすく(六十歳)。大納言の良房よしふさ(四十歳)。中納言の源まこと(三十六歳)と源さだむ(二十九歳)。

仁明天皇が信頼する一派と、良房の一派と、源信の一派に分けられる。



十七歳になった道康皇太子みちやすこうたいしは変わった。

皇太子になって父と接する機会がふえた。仁明天皇は青ざめた顔色をした痩せた人だが、病のせいで白目が塑像そぞうのように白く、眼光が鋭くて近寄りがたい威厳いげんがある。道康が皇太子になったことを喜んでいるようにみえないが、嫌われているようにも感じない。

一月に母の順子が従三位になった感謝に、ふたたび道康は仁明天皇のまえで拝舞はいぶをした。

二月には紫宸殿ししんでん内宴ないえんに招かれて、酔って庭に踊りだして梅の枝を折ってえりにさした。私的な宴に親しくよばれて嬉しかったからだが、紫宸殿ししんでんは内裏の真ん中にある正殿で、きざはしのそばの東に梅が、西にたちばなが植えられている。のちに洪水で梅の木が倒れて枯れてしまい、代わりに桜が植えられる。右近うこんの桜、左近さこんの橘とよばれる大切な木だ。

その木の枝を折ったのだから叱られた。仁明天皇は罰として、内裏の射場で弓技きゅうぎもよおしをさせ、その懸賞品を道康に提供させた。

叔父の良房は、すべてを管理しながらつかえてくれた。はじめて叱って罰をあたえたのが父だった。道康は、仁明天皇に父の愛を感じた。

そして道康も父親になった。紀静子きのしずこが第一皇子を生んだからだ。



それから二年が経過した、八四六年(承和十三年)の春。

伊都いつ内親王の邸の東門から業平は町に出た。

西門の前にへんな女が立っているというので、東門から出てしばらく歩くと頬被ほおかむりをした男がツッと寄ってきた。

ふところの刀の柄をにぎって、モクミが腰を落とす。

岡田狛おかだのこまでございますよ」と男が布を取る。

「狛さん! あれ、土師雄角はじのおづのさんも?」とモクミ。

「なにか用ですか。邸を訪ねてくればよいのに」と二十一歳になった業平が、形を決めて立ち止まった。相変わらず色白で女性のようなつややかな顔立ちだが、業平は百七十センチをこす大柄だ。骨も筋肉も、しっかりしている。

「なにがあったのか、お分かりじゃねえのですかい。業平さま」と烏帽子えぼしかむった業平を見あげるようにして雄角が聞いた。

「これから、どちらへ」と狛。

「守の風邪が治ったから、久しぶりに西の京のおばさんたちのところに行く約束だけど、用があるならもどるよ」と業平。

白砥はくと青砥せいとのとこへ?」と狛。

「よがす。おともしやす」と雄角。

昼まえで人が少ないころあいだが、それでも南へのびる東洞院大路とうどういんおうじには、チラホラ人影がある。伊都の邸のある二条三坊のあたりは高級住宅地だが、大邸宅だけが並んでいるわけではなく一町のなかを区切った庶民の住居もある。近くの邸が借りて従者を住まわせたり、通勤に便利なので下級官人が部屋借りをして住んでいる。

だから人の往来がある。業平たちが通ると、その多くが姿を追う。連れのいるものは通り過ぎるの待ったあとで、ヒソヒソと話しはじめる。

「いつも、こうか?」と怖い顔をして、雄角がモクミに聞いた。

「こうって?」とモクミ。

雄角や狛は六条あたりにいて、三条にある守平の邸には顔をだすことがあるが、伊都の邸を訪ねて来たことはない。待ち伏せをされたようでモクミは不愉快だ。

「人の目が集まるのかってことだ」と狛。

「殺気は見逃しません。ご安心ください」と舎人になって七年もたち、伊都や守平や業平をしっかり守っているモクミが、すげなく言った。

「そんなことを聞いちゃいねえ」と雄角がつぶやく。

守平とサンセイが合流して歩きはじめると、さらに衆目がそそがれる。

「お邸に牛車はねえのですかい?」と雄角が業平に聞いた。

「母上の車と、父上が使っていらした車はある」と業平。

「どうして牛車を、おつかいにならない?」と狛。

「あわれにも、父上の牛たちは年を取って儚(はかな)くなってしまった。母上は出かけないから、そのままにしている」と業平。

「牛がいない? 牛と牛飼うしかいのわらわは、三条のお邸に紹介したでしょう」と狛。

「たしかに牛と、こまの三男の犬丸と、ほかに一人の牛飼いはいるが、うちには牛車ぎっしゃがない」と守平が笑う。

「ウダウダいわずに、牛車をおつかいください!」と歩きながら、狛が声を大きくした。

「なぜ? わたしは位階がない。無位の者は牛車をつかうのを禁止されている」と業平が答えているときに、二人の若い娘が行きすぎた。

下級官人の娘か妻だろう。すれちがってから立ち止まり話しながら振り返る若い娘に、業平も立ち止まって振り返り形を決めて流し目を送った。

「なにをしているのです。業さま! 止まらずに歩いて!」と狛が怒っている。

「どうしたのですか。狛どの。守さまと業さまに危険でもせまっているのでしょうか」とモクミも、狛と雄角の二人が待ち伏せしていたことを不安に思いはじめた。

「四条大路のさきの、綾小路あやのこうじを西に曲がってくだされ。朱雀大路すざくおおじは、一気に右京に渡りやすよ」と雄角が言う。

「よし! 朱雀大路を一気に駆ければよいのだな」と守平が冠のひもを結びなおす。二十三歳になった守平も任官されていない。嵯峨の帝に十七人の源氏の男子がいる。仁明天皇も、更衣がもうけた皇子を源氏姓にして臣下に降ろしはじめた。

源氏は近い天皇の一世王で、在原氏は遠い天皇の二世王だから、皇嗣系の叙位枠じょいわくに入るのはむずかしい。しばらく無位のままで過ごしそうだ。

「守さま! 走っちゃいけません。目立ちます。業さま! 女子おなごに袖などふらずに、その袖で顔を隠して、トットと歩いてください!」と狛が叱り飛ばした。


朱雀大路をわたると、狛と雄角は小路だけをえらんで、西の市の東側の外町にある小さな代書屋だいしょやに立ち寄った。痩せた老爺ろうやが目をあげる。

在四ざいしさまと在五ざいごさまだ」と狛が紹介をする。

「これが…。いやあ。狛さん。難波なにわの。思っていたより、実物のほうが数段すうだんと良いねえ。じかに拝めるとは、ありがたや。ありがたや」と老爺が筆を耳にはさんで手を打った。

「縁起でもねえ。ホウジイさん。在さまがたは、まだ、お陀仏だぶつしちゃいねえ」と雄角。

「手だし無用にたのむ」と狛。

東の市の市籍人しじゃくにんだがはた氏と付き合いがあるので、西の市でも狛は顔が利くらしい。

「こころえた」と爺。

「だれ?」と業平が聞いた。

「代書屋のホウという死にそこないで、都の浮浪者や乞食をたばねておりやす。西の京も、この先は空き家が多く浮浪者が勝手に住みついていて、危険なところもごぜえやす。おぼえておいてくだせえ」と雄角が答える。

「この二人は、ざいさまの舎人衆だ。見知りおいてくれ」と狛が、サンセイとモクミをまえに押した。やはり、ただならないことが起こったと、モクミはサンセイと顔を見合わせる。


「外町の住人や、浮浪者や乞食は、裏でつながっております。じっさいに鼠の溝のように敷地もつながっていますから、大路小路をよぎるときだけ注意をすれば、人目に立たずに、どこへでもゆけます」と白砥はくとたちの住まいで、だされた白酒をあおりながら狛がいう。

「困ったときは、どこかのたなに飛びこみなせえ。どこへでも通してくれやす」と雄角。

「おもしろそうだけれど、どうして?」と守平。

「在五さまの評判が、まだ届いてねえのですかい」と雄角が聞き返した。

在五(ざいご)というのは、在原家の五男のことをさす。一夫多妻で子の多い貴族たちは名まで覚えるのがたいへんで、藤原家は藤、清原家は清、小野家は野と姓をあらわす漢字一文字に、一番目、二番目の生まれ順をつけて呼ぶことがある。

阿保親王の男子は五人。在一は大枝音人なので永久欠番。在二が仲平、在三が行平、在四が守平。なかでも業平は、在五として人気がふっとうした。

せん紀有常きのありつねさまにたのまれて、いちで業さまの歌を流しました」と狛。

「わしらもくるわで流したよ。もう二年も、まえになるか…」と白砥が、なつかしそうな顔をする。

「さりげなく自然に広がるようにというご要望でしたので、大げさにせずに伝えていたので、文盲もんもうばかりですからねえ。耳でいて覚えるのに、すこし時がとられました。それでも歌の心は伝わるのでしょう。いまでは業平さまの歌は、だれでも知っております。

それが、ここにきて、急にべつの反響がでてきましてね。まあ一月ひとつきばかりまえからボチボチ噂になっておりましたが、この十日ほどは、すさまじい勢いです。業平さまをじかに見たものがあおったのでしょう。歌を詠まれた在五さまが、華やかで美しい女とみまがうばかりの若い貴公子だと、そりゃ、もう大さわぎで。女子おなごの多い市のなかで、ここに在五さまがおられると怒鳴ったら踏みつぶされますよ」と狛。

「業が、桜として咲いたということか」と守平。

「米の値は上がる。租税は高え。疫病が流行れば、家族に病をうつさねえように、自分を捨ててくれと頼むものが出てきやす。生きづれえ世でごぜえますから、なにか、こう、パッと楽しいことに浮かれてぇんで」と雄角。

「尊い血筋の若くてきれいな在五さまが、恋をしなさる。その恋の歌を、まるで自分にあててて詠まれたように女子おなごたちは受けとるんでしょうな」と狛。

「夢でやすよ。夢を見てェんで。いやねぇ。歌なんぞ、とんと分からねえが、こう胸がギュンとしやす。人が人を想うってのは良いもんでやすな」と雄角が、しみじみと呟いた。

業平の歌は市井しせいから広まった。

業平は宮中のうたげによばれて、歌を献上けんじょうできる立場ではない。ただ恋をして、あいてを想う恋歌が詞書ことばがきとともに広まり、それが妖艶ようえんな美貌と重なって、生きることに疲れ、ささくれた庶民の心の小さな明星みょうじょうとなった。

のちになってだが、こんな話もささやかれている。


いつかきっと優しい男と結ばれるという、夢をみている女がいた。成人した息子が三人もいる女なので、苦労して子たちを育てあげ、はかない夢をみることで辛い現実を忘れようとしていたのだろう。母親思いの末の息子が、ある日、狩りに出かけた在五の馬の口取りをした。そして母の夢の話をした。

在五は息子の気持ちを愛でて、その母と一夜を過ごす。それっきりのはずだったが女は忘れられずに、こっそり在五のようすを覗きにきた。老いた姿をきらった在五だが、女心を哀しくおもい別れの一夜を重ねる。

相手は生活に疲れた初老の庶民の女だ。こういう噂につながる夢を、業平は庶民に与えた。


こんな話もある。大事に育てた病弱な娘が、いよいよ危なくなったときに、在五と一夜をすごしたかったと親に語った。伝え聞いた在五が、娘のところにやってくるが、すでにこと切れている。自分を好いてくれた娘の忌に服して、夏のさかりに在五がんだと伝えられている歌。


いくほたる 雲の上まで いぬべくは 秋風吹くと かりに告げこせ


(飛ぶ蛍よ 雲の上までいけるのなら ここには秋風が吹きはじめたから 帰っておいでと伝えておくれ)


暮れがたき 夏のひぐらし ながむれば そのこととなく ものぞかなしき


(なかなか暮れない 夏の黄昏たそがれを ながめていると なにがということではなく 切なくてたまらない)

























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