第四話 仇なりと 名にこそ立てれ 桜花…
阿保の弟の
親王の誠意のおかげで、先ごろの謀反を、国が乱れることなく治めることができた。遺族には恩恵をあたえよう。残ったもののことを心配することなく
阿保親王は遺贈されて、一品親王になった。
堂のなかに読経の声と、参列者の
「最期のお別れに、お顔を拝見させていただきたい」
母の身分からすれば、末っ子の業平が阿保の
棺のうしろにひかえている、白い
阿保親王、五十歳。頬の肉がそげているが、通った鼻すじや、額やあごの線が生前をしのばせる。
「長く伏せっておられたときいております。おやつれになりました。おう。おう」と真綱が声をあげて泣いた。堂内の挙哀も、ひときわ大きくなった。
在原の四人兄弟が、そろって人前に並ぶのははじめてだ。十九歳の守平と十七歳の業平は登庁前なので、おおやけの場に出たことがない。
阿保親王が整った顔立ちの大柄な貴公子だったから、四人の遺児は、いずれも体格のよい青年だ。有常は四人の姿を後ろから斜めに見ている。
眉をととのえた貴族顔の
すこし体を
参列者が通りゆくときに業平の姿に目を止めるのを確かめて、有常は口のはしを少し上げた。
父の名虎が、雄角の目をとらえて招いた。そっと雄角が寄ってくる。
「どこから工面した」と扇で口元をかくしながら、名虎がささやく。
「京識を手伝って鴨川などをさらって、収めたドクロが五千個あまり」と
「そんなに」と名虎。
「へ。まじないに使わねぇようにドクロを集めろってお達しでやしたが、日ごと現れる
「
「日に何人か」
「餓死か」
「多くはそうでやんしょう。紀さま。民は飢えておりやす。生きている間に一瞬なりとも
「どうだ?」
難波の港をでた大船のうえで、風になびく髪を手ではらってシャチが聞いた。
「頭が冷たい」
「どうしても東北に行くのか。もっと寒いぞ。いまからでも航路は変えられる」とシャチ。
「
「もっと南へ行けばよい。この国のことさえ知らぬものばかりだ」とシャチ。
「国は離れぬ。おのれが影を落とす存在になったから離れるが、子らの行く末は風の便りに知りたいからな」
「
「まずは佐原へ行く。
「死んだはずの
「亡くなった乳母の縁族で、阿保氏という
「アテになるものか。行っても知らぬと追い払われるぞ」
「それならシャチ。おまえが面倒をみてくれ」
冠を脱いでシャチとおなじような姿をした
十二月に入ると木立も
遠くのほうに小さく見える騎乗の二人を待ちかねて、
有常は、ふつうに女性が好きだ。妻もいるし子供もいる。断じて少年を愛したりはしないと言い切れる。それでも、きれいな蝶をみつけたように、みごとな陶磁器に
職場が宮中で歩いて通勤するには宮城のそばが楽なので、父の
「オーイ」有常を見つけたのだろう。
「早くーゥ。みなさんがお待ちかねで~す」と有常。
守平と
都のような
部屋には父の喪中休職中の
「寒かったろう。まず腹から温めろ」と仲平が
異母兄弟は母方で育つから、一族意識だけでつながっていることが多い。
しかし在原の異母兄弟は、阿保が
末の業平だけは都生まれだが、守平が業平と仲よく育ったので四人と、もう一人の
「邸は売れたのか」と二十四歳の行平が聞く。
都に帰ってから行平の母は、この深草の庄の有常の家のとなりに住んでいる。
「はい。父上が官地と交換するように手をまわしておられました」と白湯を飲みほした守平が答える。
「伊都さまは、いかがですか」と有常も聞いた。
「いっしょに行きたかったと悔しがりながら、心細がっています」と椀をフーフー吹きながら、業平がすくうような眼差しを有常に向ける。
「心細いのは守も業も一緒だろう。おまえたちには支えてくれる縁族がない。わたしは出世もしないだろうし大した力もないが、話相手にはなる。困ったときや寂しいときは遠慮なくこいよ」と仲平が真っ直ぐな声をだした。
仲平は思ったことを、そのまま口にできる。仲平に会うたびに、相手の求める答えをさがして会話する自分を、有常は反省する。
仲平がいうように、守平は宮中での後ろ
「これから、どうなるのかな…」と守平がつぶやいた。
阿保親王が財産を残しているから、くらしには困らないだろうが、まだ二人は十代だ。痛ましい気持になりながら、有常は立って棚の
「おぼえて、おられますか?」と有常。
「かすが野の 若紫のすり衣 しのぶのみだれ 限り知らずとも この歌は?」と行平が聞く。
「早いもので、もう二年ちかくも経ちますか…。わたしの妹の
「業平どの。あのときに、お目にとまった妹の静子ですが、嵯峨太上天皇の喪があけましたら
「
「はい」と有常。
「それはまた、どうして?」と行平は、器用に右の眉だけを上げてみせた。
名虎の娘に、
そんな、いわくつきの更衣の妹を、無礼なことをされた順子が息子で皇太子の妻に迎えるだろうか。だれが
「知りません」と有常。声に力が入らないが本当に知らない。名虎から聞いてないし、有常は静子の入内に反対している。
「皇太子さまが召されたのでは?」と守平が言った。
「八月に立坊されるまで、
「だったら帝が決められたのでしょう」と業平が言った。
「そんなバカな…」と否定しかかって、「あるな」と行平が眉間を寄せた。
嵯峨の帝が亡くなって道康皇太子が立坊してから、太政官の顔ぶれが変わった。
大方の人の予想のように、道康の外叔父になる
左大臣が休職中なので、臣下の最高位にいるのは仁明天皇の異母弟で右大臣の源
仁明天皇は、嵯峨の帝が亡くなったあとで、
仁明天皇は能力のあるものを登用する、
紀氏は三百年以上もつづいた氏族なので人数が多い。数年まえまでは参議をだして政治の
天皇自身が政務をとる
「もしも帝が決められたのならば、静子どのにとっても、紀氏にとっても幸いなことです」と行平が言った。父の名虎の考えとおなじだ。
「さて、どうなのでしょう」と有常は流した。
ちょうど酒や、油の乗ったウズラの丸焼きなどの田舎料理が運ばれてきた。干した野菜や米を入れた鉄なべも
「わたしは人間が小さくできております。与えられた仕事を、しっかり勤めたいと思っていますが自信も野望もありません。わたしは目立たず役立たずの下級官人として生涯を終えるでしょう」と有常がいう。自己否定から話しはじめるのは、我ながら、いやらしいクセだと分かっているが、けっこう効き目はある。
「そんな、わたしですが、それでも、やってみたい夢があります」と有常は言葉をとめて、まわりを見まわした。
「なにを?」と行平が聞いてくれる。
「わたしは和歌が好きです。少々ですが和歌をたしなみます」
ホオーッというような目を、みなが向けてくれる。
「仲平さま。小野氏の女房が帝のもとで恋の歌を詠んで、評判になっているのをごぞんじでしょうか?」と有常が聞く。
仲平の妻は小野氏の娘で、この深草の庄の北にある小野の庄に住んでいる。手にした
「聞いている。たまたま、わたしが知っている二、三の歌が、別れた男をしたう歌だったからか
仲平は素直でやさしい。ありのままで向きあってくれる。ぶれない強い心を持っているのだろう。
「みごとに心に染みいる歌です。生涯をかけても、わたしには作れません。業平さま」と有常。ここからが
「ん?」とウズラの手羽をかじっていた業平が、油のついた口元を手でぬぐって有常に目をむけた。
「恋の歌を詠んでみませんか。業平さまなら小野の女房のように、人の心を動かすような歌を詠まれるでしょう」と有常。
反応がない。みんな、ぎこちなく静まっている。有常は文箱をとりにいって薄い紙をとりだした。
「業平さまが
これはウソだ。阿保親王の喪中で私邸にいる在原の兄弟を、田舎家で一夜をすごされませんかと使いをだして、四人が来てくれると分かってから詠んだ。ただ思いつきは二年まえの春から持っていたから、完全なウソではない。
有常は自分の歌を詠み上げた。
(浮気者だと 評判を立てましょうよ 桜の花 一年に一度しか会えない人たちも あなたが咲くのを待っているでしょう)
在原の兄弟はだまっている。
守平がヒョイと腰をあげて、いろりの
「こいつを、
有常は二十七歳で守平は十九歳。業平は十七歳だ。歳の差があるからか、有常は二人のことが良く分からない。
身軽に席にもどった守平が、こんどは
「その小野の女房は、桜の花のように
「歌の
わたしは考えて歌をつくりますので、どんなに努力を重ねても、ある程度の歌人で止まってしまいます。業平さまは心のままに言葉をつらねて、情にうったえます。
やる気がないので、だれに先を越されようと傷つかず、そこそこの地位で満足できる。父からは
「気はたしかか。有常どの」と、行平が眉をよせて険しい顔をした。
「和歌が好きなら勝手につくればよい。業に、つぎつぎに恋をする歌人になれと? 冗談じゃない。ジョウダンじゃあ、ありませんよ! いずれ業平は官人として出仕する。桜ですか。パッと咲いてパッと散る、まったく縁起でもない。
「まあまあ、
酒に酔っての冗談です。忘れてくださいとあやまろうかと、有常は業平に目をやった。業平は黙りこくって、
「
「まやかしの桜…まやかしの恋。好きあう二人が白髪になるまで寄りそうのは、人と人の愛でしょう。パッと咲いてパッと散る。かぎりあるから、せつなく狂う恋ならば、まやかしでも本気でも、変わらないのではありませんか」とだれにともなく言ってから、業平は有常の歌が書かれた紙の、仇の文字を白い指でなぞった。
それから文箱から新しい紙をだして筆を走らせた。
今日
(今日こなければ 明日は雪のように 降り散るでしょう 消え残った雪があっても 花と見えるかどうか……今日きてしまったのが なにかのご縁でしょう)
「業! 有常の口車にのって、その、なんだ……桜とか、花吹雪とか妙なものになるつもりならば、今日をかぎりに兄弟の縁を切る。
有常どの。我々の友情もおしまいだ。二度と、お目にかかることもないだろう」と行平は立ち上がったが、したたか酔っているので足元が定まらない。有常の郎党がよばれて体を支えた。
「申しわけございません」と有常が、行平に向かって頭を低く下げる。
「帰る!」と郎党に抱えられて行平は出ていったが、小雪の降るなかを都まで帰ったのではない。母の住む隣の家の暖められた寝所に運ばれて眠ってしまった。
「業。おまえ、まさか…。
父上は自分の判断で動かれた。父上の
「うん」
「それとも、おじいさまの
みんな会ったこともない方だぞ。忘れろ」と仲平。
「うん」
「では、なぜ仇の文字をなぞった」と仲平。
「なんとなく」と業平。
「
「歌で
そんなことはしないと、わたしに誓えるか」と仲平。
「誓う。仲兄を悲しませたりしない」と業平。
「有常どのが言われたことを理解して、返歌をよんだのか」と仲平。
「うん」
「和歌をつくるのが好きなのか」
「うん」
「和歌で名をあげたいのか」と仲平。
「うん」
「恋の歌を詠むだけだな」と仲平。
「風景や心に湧き上がる思いも詠むかも知れない」と業平。
「ようするに、ふつうの和歌を詠むだけだな。おまえが
「しない」
「それなら、好きでおまえが決めたのなら、わたしは反対しない。
だが宮中には臣籍降下した源氏が大勢いる。われらの祖父は四代もまえの帝で、在位期間も短かいから、わたしもそうだが、漢学が苦手なおまえの出世の道は限られている。おそらく五位になるころには老いているかもしれない。
帝の
歌で名を上げるのは容易ではないぞ。
有常どの。どうやって無位で無名の業平が、華やかな歌人になれるのか」と仲平に問われて、有常は身をのりだした。
「宴で詠まれる漢詩は、はじめから題がきまっています。歌人は、いくども
もっと自由に、心のままに感じた言葉を連ねてこそ、わたしは人の心を打つことができると思います。和歌は、そうであって欲しいのです。
わたしは業平さまに、宮中歌人のような枠におさまって欲しくありません。
漢詩とちがって和歌は、庶民にも受けいれられるはずです。それが恋歌ならば、きっとよろこばれます。
そして恋の歌は、どのような相手に、どのような状況で詠んだかという
「市井に流す? 庶民に広げるってことですか?」と守平。
「はい。狭い宮中のなかではなく、多くの人に和歌を広めたいのです。紀氏は中級官人を抱えています。
「それって、こいつの容姿も利用しようってことですか。それで桜花ですか。
小さいころから女の子のように可愛いといわれてきたから、こいつは人に見られるのが好きですが…」と守平が、いたずらっ子のような目つきをして言い足した。
「有常どの。
「大枝の
「おもしろそうだ。わたしも、できることは手を貸そう。
ただ、業平。仇討ちなどと危険なことは、ゼッタイにしないでくれよ」と仲平。
「うん。約束する」と業平。
本当に、おもしろくなりそうだ。思い切って口にして、よかったと有常が「業平さま。まず書きとめられた歌を、わたしに見せてください」と、さっそく
年が明けて八四三年(承和十年)。
嵯峨の帝の喪中なので、正月の
叙位は、正月と十一月の
法的には五位以上の官人の昇級を決めるのは天皇で、六位以下の官人の昇級は
一階でも上がりたい官人は、推薦されるために
恒例の叙位から少し遅れた一月二十三日に、
紀氏と伴氏は古代豪族系官人を代表する氏族で、この日に叙位されたのは二人だけだった。
五十三歳の名虎は大柄で、すこし
三十三歳の善男は小柄で、眼のくぼんだ痩せた男だ。
この二人の叙位は、仁明天皇自らの人選だった。
二月の中頃になって、やっと
「ずいぶん楽しそうな、お顔をしていらっしゃいますこと」と
「そう見えますか」と有常。
「ええ。眼が生き返っております。ねえ、容子」と成子。
有常の盃に酒を満たしながら、成子につかえる女房の容子が「あまり若返って、差をつけられませんように」と笑った。
有常の妻は多くない。元服した十六歳で婚姻した紀氏の妻が深草の庄にいる。子供もいて、
成子のもとには五年まえから通うようになった。五年まえに有常は二十三歳で、成子は三十二歳だった。この痛恨も珍しい。年上の女性に通うのが珍しいのではなく、成子が奈良の帝のときの右大臣、藤原
つまり成子は
娘に恵まれず、天皇の外戚になることができなかった藤原北家は、そのために、いろいろな
血のつながらない嵯峨の帝を
成子が幼いころに父の内麻呂は亡くなった。母の身分は低いが、数少ない北家の娘の成子は異母兄で右大臣の
つぎの
有常が成子のもとに通いはじめたのは、北家と縁を結べと名虎に尻をおされたからだが、通ってみると話があう。同性でも異性でも、知識と知力と見解が近い知己と呼べる人に会えるのは
「名虎さまと伴氏の善男さまの叙位は、帝が指示されたのでしょう?」と成子が聞いた。
「そう思います」と有常。
「
皇太子に入内する娘の親の位階を、さきに進めることがある。今回の名虎に対する叙位は、そのためだろうと有常も思っている。
「帝の側近の娘が、皇太子の妃となられるのでしょう。北家が立てるのは、
「古子さま?」と有常。
明子は良房の娘だ。入内させるだろうと、だれもが思っている。だが古子は知らない。成子が、ちょっと得意げな顔をした。
「兄の冬嗣の娘で、長良や良房や順子の異母妹になります。兄が亡くなる少しまえに産まれましたから、すくなくとも十八歳になるでしょう。良房の娘の明子は、まだ十四歳です。明子が
「明子さまや古子さまに、会われたことは」
「あります」
「どのような、おかたです」
「明子さまは、ご自分の意志を抑えるようにと育てられた方です。古子は…若い人を色々悪くいうのは好みません」と成子。
「色々ですか。なるほど」と有常。
「よいのでしょうかねえ。帝は、ご自分で
「まさか帝の
「いいえ。はばむつもりはありませんよ。良房は正しいことをするつもりです。すでに汚いことをした者にとっては、人の道に反することでも、すべては大儀のもとの正義なのです。良房は人格の中心にある核が、狂っておりますもの」と成子。
成子は有常のことを、小心で上昇志向がなく和歌が好きで
有常は成子をおろそかにせずに、仇な桜の計画や、それから先のできごとも、あれこれ伝えて、四十五歳で亡くなるまでの成子のくらしを楽しませた。
人が行きかって、売りものの古着が風になびく。うまそうなのか、くさいのか分からない匂いもする。守平と業平は、
来てしまってからでは遅いが、
西の市の外町にある
「なんだねえ。朝っぱらから……」と、しばらく待つと白砥が首を
「ほれ。
「ああ。
官人は日の出とともに仕事をして、多くは昼に仕事を終える。そろそろ官庁が閉まるころなのに、目のまえにいるのは寝起きの水商売丸出しの中年女だ。
こんなつもりじゃなかったと再び反省したが、わざわざ来てしまったから、守平は
「だから、妓楼は、まだだよ」とうるさそうに首を掻きながら、白砥がくり返す。
「いや、そうではなくて教えていただけるだろうか」と守平。
「なんだ。そうかい。道に迷ったのかい。どれ。どこへ行きたい」と白砥が、大きなあくびをした。
「ん…」どう言えばよいのだ?と、守平が首をひねる。
「たとえば、この弟を、パッと咲いてパッと散る桜のような男にしてもらえるだろうか」と守平。
「アン?」と白砥が眼をこすった。通じていない。
「つまり弟が恋の上手になれるように、教えを乞うことができないだろうか」と守平。
「小夜…。この子、なんといった?」と、ボーッとしながら、それでも目が覚めたらしい白砥が、小女の腕を引っ張った。
「よく分からねえが、サクラとか恋のジョウズとか言ったな」と小夜。
「…もしかして、おまえさんの弟が、どこかの姫君をみそめたのかい。それが、うまくゆかないから、どうすりゃよいかと聞きにきたのかい」と白砥が、守平の顔をのぞく。
「そうじゃない。次から次に
「からかっているのかい。いいかげんに、おし!」と白砥。
「業。このおばさんが、恋の上手に仕立てると本当に言ったのか?」と、これ以上、怒らせるまえに帰ろかナと、守平は業平にささやいた。
「言った!」と業平が、芝居がかった身振りをそえて口真似をする。
「幻の恋を承知の商売だよう。これだけの玉なら磨きあげて、都一の流行りっ子。恋の上手に仕立てあげたいところだが、おしいねえ…って、言ったよね。おばさん!」と業平。
「母さんたちなら、言いそうだ」と小夜が笑う。
「小夜。おまえ、だれに喰わせてもらっている! 殿上人の子だか、なんだか知らないが、おまえさんがたの遊びにつき合うほど、わしらはヒマじゃない。人に教えを
礼金? 守平は、そんなことは考えてもいなかった。
「えー。後学のためにうかがいますが、ちなみに色男の
「で、どうなりました」と
守平たちが、白砥と青砥を訪ねた日の夜だ。蔵麿は、
阿保親王の邸は一町、隣接する伊都内親王の邸も一町の広さがあった。伊都の邸の半分には、使用人の小屋が何軒か建っていて蔵や馬屋や牛小屋や畑がある。一町の半分でも二千坪以上だから敷地は広い。
守平は、阿保のくらす邸に自分の棟を与えられていた。都にきたのが三歳でシャチがいないことが多かったので、守平は
守平より二歳上で二十二歳になる。
阿保がいなくなって、いろいろなことが変わった。
生前は三品親王で
伊都は無品だから国からでる
阿保は相続できる私財として、伊都には
守平には和歌山や伊勢に田畑と、シャチのために作った
仲平や行平も、暮らしに困らないようにしてくれている。
しかし一町の邸を二つも維持できない。
だから
蔵麿は、財産の投資や管理に優れている。初めは大舎人寮から派遣された
今のところ守平は、伊都の
「つまり
「西の京の、なんという
「聞いてどうする」と守平。
「かけあってまいります」と蔵麿。
「いや。ジイ。あれは見込みちがいだ。妓楼を営んでいるのだから、少しは物わかりのよい女たちかと思ったが、ムリだ」と守平は止めた。
「だから顔を見て、たしかめます」ドッコイショと、蔵麿が立ちあがる。
「ジイ。営業中だから白砥さんも青砥さんも忙しいだろう。あれは見込み違いだから、かけあう必要もないよ」と守平。
「ハクトとセイト。西の京の市の外町のソウトロウですね」と蔵麿。
「相手は二人だから、こちらも二人の方がよいでしょう。
「家令は親王家に仕えるもの。いまのわたしは違いましょう」と蔵麿。
「伊都さまは内親王ですから、家令のままで…待って。蔵麿さまァ。連れていってくださいよ」と古居。
「尊いお方ですが無品であられるから…はて、さて。守さまも業さまも無位ですから、わたしは従者ですか…」
「肩書きが無いと、さえないと…」
二人の声が遠のいてから、もしかしたら妓楼に上がって白砥と青砥を呼ぶつもりかと守平は気がついた。
「良いのかな。店を人まかせにして」と
「なにかあったら呼びにくるよ」
「てっきり、文句をつけにきたと思ったに…」と、住居にしている小屋に蔵麿と
蔵麿が想像していたより質素な身なりで、化粧も薄い。伊都が着ている
「業平さまは、それほど歌がうまいのか」と蔵麿に酒をすすめながら、青砥が聞いた。
「わたしには分からないが、
「あれから青砥と話していたのだが、わしらはゴミを
「まあ、わしらで間に合うことなら手をかしてもよいが、だけど蔵麿さん。いま一つ、分からないよ。業平さまは歌がうまい。その歌を、わしらの間にも広めたいと、そこまでは分かったよ。なら勝手に、やりゃ、良いじゃないか」と言う青砥の
「広めたいのは恋歌らしい」と、蔵麿は説明を
「恋の歌なら、わしらにも分かりやすい。恋の歌と決めているのは、
「それで次々と恋をする仇な桜かい。浮いては消える
「あの若さじゃ、歌のために恋をするのか、恋のために歌を詠むのか、自分を見失うかもしれないよう。なんのために生きているかを見失うと、生き
「お二人は、なんのために生きてござる」と蔵麿は聞いてみた。そんなことを、考えたことがなかったのだ。
「わしらは、かんたんだ。ただ生きるために、生きている」と言って青砥が笑った。
「流行り病や飢えで、子供や若いものが、たくさん死んでしまった。生きのびたわしらは、地を這ってでも生きていなきゃ申し訳がないだろうよ」と白砥。
「目が覚めて、ああ、まだ生きていたと思うとありがたいのさ。生きているだけで、おまんまが喰えるだけで、わしらは幸せじゃないか」と青砥。
蔵麿の父親は従七位下で終わった下級官人だった。漢字の読み書きができるので、
家族を失うのが怖くて、だから蔵麿には家族がいない。阿保親王が残した在原家の人々が、蔵麿が仕えて守りたい家族だ。それでも毎日を忙しくすごしているから、あまり悩むこともない。置かれたところで、蔵麿も精一杯、今を生きるために生きている。
「業平さまと守平さまを、遊びにこさせてもよいかの」と蔵麿は、白砥と青砥に頼むことにした。なにを頼むのか、いま一つ分からないが、なんとなく良いじゃないか。
「そりゃ」と白砥が、「かまわないが……」と青砥が答える。
「では報酬のことだが、えー。飲み食いに灯り……米も油も
「遊びにくるだけなら、銭はもらえないよ」と白砥。
「わしは在原家の財務管理を任されている」と蔵麿はいばった。
「だとうな金額を月に二度、ここにいる
「ご案内させていただきます」と
阿保新王の服喪休暇が終わって、行平は天皇に近侍する
清涼殿は天皇が暮らすところで、臣下との対面には東廂をつかう。部屋の中まで入れてもらえる人は少ない。右大臣の源常は、仁明天皇の異母弟で三十一歳、大納言の藤原良房は異母妹の夫で、皇太子の叔父の三十九歳。政府の最高官であり近親者である二人は、なぜ天皇に召されたのか、すでに分かっている。
もうすぐ嵯峨の帝の一周忌になる。正確な
それにたいして源
訴えの内容が問題なのではない。皇太子の交代を
「信の奏上をきいた」と、
嘉智子皇后の皇子として皇后殿で育ち、十三歳で叔父の
右大臣の常が静かに頭を下げた。それいがいに、できることがない。
訴えた信と弘は異母兄弟だ。幼いころから案じていたとおり、源
源氏の一郎の信は、仁明天皇とおなじ三十三歳。弘は常とおなじ三十一歳。能力も性格も抜きんでている常が右大臣をしているが、信の邸で育っているから長兄をいさめきれない。
嵯峨の帝の一周忌を前倒しに決めた太政官会議に、中納言の信も
故太上天皇の法事を、たった一日だけ前倒しにするぐらい目くじらをたてるようことではない。会議では信も弘も発言をしなかったから、そのままにしておけばよいものを、いまになって天皇に
嵯峨の帝がした特別扱いを維持しようとして、すでに嘉智子が許可した日程に不服を申し立てている。そんなことをすれば、幼稚さだけが知れわたってしまう。
「それにつきましては…」と良房が言う。
鼻が高く大きく、濃い眉も眼も下がり気味で、あごの下に肉がついた育ちのよさそうな上品なノッペリ顔だ。良房が声を張りあげるのを常は聞いたことがない。
女性的な声で舌たらずな話しかたをするが、話はうまい。おっとりとしているから受け流しそうになるが、内容を聞きもらすと、とんでもないことになる。
「太皇太后、皇太后、皇后の三后のお生まれになった年の日に、忌を避けるのは長く宮中につづいた
表情を変えないように気をくばって、常は忙しく考える。先の太政官会議の席では、良房は天皇と太皇太后の生まれ年と同じ日だから、一周忌を一日まえにしたほうがよいといったのに、こんどは三后をもちだした。
そんな
漢書によれば、太皇太后は今生天皇の祖母。皇太后は母。皇后は妻のことだが、これまで、この三后がそろったことがない。いまは嘉智子太皇太后と、出家した正子皇太后が息災だが皇后はいない。
三后を尊めば、力を増すのは嘉智子だ。
恒貞皇太子が呪詛をしていると仁明天皇に告げて、橘氏を落としいれようとした良房と、橘嘉智子のあいだに手を組むような密約が交わされたのか。
それとも良房の妹で道康皇太子の母の順子を、皇太子の即位とどうじに皇后に立てたいのか。
「右大臣に意見は?」と仁明天皇が聞いた。
「
天皇の目を見てはいけないのだが、兄である帝の目を捕らえて、わたしは臣下として帝に従いますと、常は思いのたけを目に込めた。
清涼殿と呼ぶわりに、ちっとも涼しくない。
源
そして長らく病の床にいた、左大臣の藤原
若いころは、桓武天皇の政治革命に
「どうなさいました」
机の上の筆や
「…つとまるだろうか」と
正道批判の歌を
「だいじょうぶです。皇太子さま」と、やさしいシワを眼尻に刻んで、元気づけるように篁はうなずく。
「
「立派な帝になられませ」
隠岐に流されるまえは、廃太子の
篁にとっては、恒貞親王も真面目でかわいい生徒だった。幼いころから懸命に学び、成人してからは仁明天皇に仕えていた恒貞親王は、いまは母の正子皇太后と淳和院でくらしていて仏教修行中だ。
「人に優れるところのない身には、すべてが重すぎる」と道康皇太子。
隠岐の島に流されていたころ、篁は海をへだて五十キロ先にかすむ本土をながめてくらした。海人の釣り船が沖にこぎでる自由を
二人の少年は、自分がなにかを企んだわけでも望んだわけでもない。
そして十五歳の道康皇太子は、大人になるための意識の
物心がついたころから
母方の祖父は、右大臣の藤原
六歳の春に、それまで会ったことのない父の
拝舞というのは、儀礼のための特別なおじぎのことだ。
大人が居並ぶなかで一人で庭に出て、一人で行うのだから度胸がいる。袖の振りかたも美しくなければならない。
一番の難物は、笏をもち膝をついての一回転で、ずるずる回ってはいけない。もっとも美しいのは飛ぶらしい。手にものを持って立って一回転するのもむずかしいのに、膝立ちの一回転だ。かなりの身体能力が必要で、大人の貴族は拝舞の心得はあるがほとんどしない。でも飛ぶのは上級者なので一回転を美しくやればよい。
七月に、はじめて良房の邸を出て、道康は内裏に上って父に会った。
天皇である父は、
拝舞は見物していた大人たちが感嘆するほど、うまくできた。ホッとしたときに、見物人の「皇太子もおみごとでしたが、道康親王もおみごとでございます」という声が耳に入った。六歳だから、その意味を考えたり言葉をさぐろうとはしなかったが、あとになって思いだすことができたのは、なにか違和感を感じて
それからも道康は良房の邸のなかだけで成長した。良房は最高級のあつかいをしてくれた。起きてから寝るまで、身のまわりのことは自分でしない。着がえさせてもらい、顔や手を洗ってもらい、髪を結ってもらい、尿意や便意を感じたら便器をもってきてもらい、尻も拭いてもらう。食事は朝と夕の二回で、飯を高く盛りあげた器と、菜の小皿がならぶ。小皿の数がおおいほど高級だから、菜のことをおかず(お数)という。道康だけでなく、貴族は似たようなくらしをしている。
道康のもとへは、良房がえらんだ家庭教師がやってくる。鷹を放つことや、騎馬なども教えられる。裕福ですべてを管理されて、雑音が耳に入らない単調なくらしだった。
十五歳の二月に、ふたたび道康は良房の邸をでて、元服のために
十五歳になっていたので、道康は仁明天皇の欠席を不思議に思った。式のあとで百数十人が出席した
この日の道康は最後まで宴の席にいた。これも生まれてはじめての経験だ。そのときに酒のまわった客が、「
こんどは大きな
元服から六か月後に、太政官たちを従えた良房に
そのあいだに行われた皇太子交代の事情は、なにも知らなかった。
「恒貞親王は、どういう方ですか。おいくつです。どなたのお子です」という問いに答えてくれたのは、皇太子となってからの学士の
道康は幼いころから、桓武天皇から嵯峨天皇へ、そして仁明天皇へと皇位がつがれたと教えられていた。篁は、
それでも道康皇太子は、これまで持っていた知識をひっくり返された。その
じゃあ、なぜ自分は…恒貞皇太子が謀反を起こすよりまえから、ずっと幼いころから、皇太子になると良房に言われて来たのか…?。
良房の邸で育った
伯父の良房が恒貞皇太子に罪をきせて廃し、権力を
嵯峨の帝の喪があけたので、十六歳の道康皇太子の元に娘たちが
良房の妹にあたる藤原
紀静子の入内には、父の名虎がつき添ってきた。
一通りの
「どうしました」と名虎。
「赤トンボ!」と静子。
「これ!」と名虎がギョロ目で叱った。
「指を、こうしてクルクルまわすと、トンボが目をまわすからつかまえやすいのですって」と静子も身を乗りだす。
「え…こうですか?」と道康。
廂のうえのトンボの目をまわすのなら…皇太子は左手を床について、右手の人差し指をクルクルさせながら近づいたが、トンボは逃げてしまった。
「あっ!」
「あっ!」おなじように
「広いお庭。歩いても、よいのでしょうか?」と静子。
新装された
東宮は宮城のなかの皇太子が住む塀で囲まれた一画で、
「ごあんないします」と道康が笑みをうかべた。
この日から、十六歳の皇太子の恋がはじまった。皇太子のもとには、美しく性格もよく頭もよい娘たちが、それからも続々と送りこまれて来るのだが、
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