Lv1

目の前には、本当に異世界が広がっていた。




 街の大通りの真ん中に、俺は立っていた。


 コンクリートのジャングルのような日本の風景とは違い、石畳や石壁でできた町並みが広がっている。


「本当に異世界に来たんだ」




 その時、うぉぉとどこからか歓声のような物が上がった。


 大通りの人間が、突然その歓声が聞こえてきた方向へと走り出した。


 気になって、すぐ近くにいるおっさんに話し掛ける。


「何かあったんですか、これ」


 するとそのおっさんは「知らねえのか。裏山に住み着いていたドラゴンの討伐隊が帰ってきたんだよ」と言った。


 それだけ言うと、おっさんも同じ方向へ走って、ドンドンと先に行ってしまう。


まるでスプリンターのようなスピードで走って行く。


「速いな、流石異世界の人間なのか?それにしても、ドラゴンがいるってことは本当に俺のいた世界とは違うんだな」


 ドラゴン討伐なんて、凄い事を成し遂げたらモテモテなんだろうな。


 自分が女の子に迫られている妄想を軽くしてから、すぐに近くの店の店番をしているたばこみたいなものを吸っているおばさんに話し掛けた。




「おばさん、ドラゴンを討伐してきた人達ってどこにいるの?」


「ギルドじゃねえか?それよりも、リンゴを買ってけ」


 そう言って、俺の知っているのと全く同じ赤いりんごを手にとって押しつけてきた。


「いや、今俺お腹減ってないし」


「ちっ、さっさと消えな」


ぶすっと愛想悪くリンゴを元の箱の中に戻した。


とりあえず、ゲームでは定番となっているギルドに行く事にしよう。




 そして道を聞きながら歩くこと十分、そこに少しボロいながらも立派な石造りの建物があった。これが、冒険者達が所属するギルドの建物だ。


 横幅は三十メートルほどあり、三階建ての周りの家と比べてみても三倍は大きい。


「日本の建物に比べたら、小さいけど」


高層ビルと比べては失礼か。


 扉を開けて、ギルドの中に入ると、中はお祭り騒ぎだった。


 長テーブルの上には大量の料理が所狭しと並べられ、沢山の人達がテーブルを囲み、酒らしき物を煽っている。まるで宴会のように騒がしい。




 俺が入っても、誰一人気付く様子はない。


 近寄りがたいので、比較的人がいない壁を伝って反対側に見えるカウンターへと向かう。そこに座っている女性が、受付だと思ったから。


 こそこそと歩きながら話しを聞いてみるに、この騒がしさは本当に宴会で、先ほどのドラゴン退治の打ち上げ兼祝勝会らしい。


 中心部の席に座っている装備が特に豪華な五人の冒険者が、今回の功労者らしい。王都と呼ばれる所で活躍していて、ドラゴンの話を聞いてわざわざ来てくれていたらしい。




 俺も活躍すればこんな宴会を開いて貰えたりするんだろうな。


 頑張ろう。


 心を新たにして、カウンターに座っているふわふわとウェーブのかかった茶髪で制服を着た優しそうな受付の女性に話し掛けた。




「こ、こんにちは」


 俺の声に気付いて、女性は髪を揺らして「見ない顔ですね。どうされましたか?」と応えた。


「えっと、冒険者になりたくて」


「分りました。では、こちらのシートに記入をお願いします」


 手慣れた様子で、一枚の紙とペンを俺に手渡してきた。


 そう言えばこの国の言葉を知らないぞと思ったけど、幸いにも日本語だった。考えてみれば、今までの会話は全て日本語だったと気付いた。


 氏名と年齢をかいた後に、住所という文字が目に入りカウンターの女性に尋ねた。


「住所がまだ決まっていない場合はどうしたら良いですか?」


「はい。こちらに来たばかりと言うことですか?宿泊先でも結構ですよ」


「そういうのもまだ、決まっていなくて」


 というか、停まる所ってあるのか。いや、その前にお金は使えるのか。いや待て、その前に財布は?




 気になって、自分の服のポケットを探ってみたけど、何も持っていなかった。


 完全な身一つ状態だった。服と女神から貰った剣以外一切何も無し、ゲームの初期装備よりも酷い。流石にお金くらい用意してしかるべきじゃ。




「こちらで宿を取りましょうか?」


「えっと、お金がないんですが、大丈夫ですか?」


「え?」


 女性は浮かべていた笑みを凍らせた。


「俺、今一文無しで冒険者として何とか稼ぎたいと思っていまして」




 周りの喧噪とは一転して、俺と女性の間には沈黙が下りた。


 俺の表情はどうなっているか分らないけど、女性は完全に引いている顔をしている。


 これは完全に終わった。


 冒険者にすらなれずに、このまま行き倒れになる未来しか見えない。




 その時、「どうしたんですか?」と背後から声をかけられた。


「ユートさん」と女性がその男性の人の名前らしき物を言った。


「こちらの方が、冒険者になりたいと仰っているのですが、今現在一文無しらしく停まる所すらないと。それで冒険者登録出来ないのです」


「なるほど」とうんうん頷いている男性は、ドラゴン退治のパーティの一人だった。


 背が俺よりもずっと高く190位はありそうだ。白い髪と黒い目をしていて、外見は二十代前半なのに落ち着いた雰囲気を醸し出していた。身につけている黒い鎧はいかにも高そうで、腰に差している剣もまた同じだった。




「分かった。なら、僕が出してあげるよ。一週間分くらいなら軽いものさ」


「良いんですか」


 俺は飛び上がりそうになりながら言った。


「あぁ、良いよ。所で、その剣は?」


 突然俺の剣を指差して、曖昧な言い方で聞いてきた。しかし考えてみたら、女神の存在を公にして良いのか迷った。


「えっと、もらい物です」とぼかして答えると、「そうか」と一言だけ言ってそれ以上は追求してこなかった。




「今僕達が泊まっている宿で良いかな」


「はい。もう今はどこだって大丈夫です」


 ユートさんがさらさらと住所欄に書き込んでくれて、全ての項目が埋まった。


「僕の方で、宿に行っておく。いや、ギルドの方で手続きして貰って良いかな。酒を飲み過ぎたら、忘れてしまいそうだ」


「はい。そのように、取りはからっておきます」


 これでなんとか住む所も決まった。なんとか、最初の関門は乗り越えたようだ。




「ありがとうございました」


 助けてくれたユートさんに頭を下げて、お礼を言う。


「こういう時は、お互い様だからね」


 そう言うと俺の肩をパンパンと軽く叩いて、宴会へ戻って行った。


 戻っていく後ろ姿だけでもとても様になっていて、かっこよく見える




「すげぇ、格好いい」


 俺が女だったら、絶対に惚れているだろうイケメン具合だ。


 どんな冒険をすれば、あんなに懐が深い人間になれるのだろうか。本当に不思議だ。




「こほん。では、改めて冒険者登録を進めます」


 女性は定期券ぐらいの大きさのカードを手渡してきた。


「それが冒険者を示すカードとなります。まずはそれに魔力を注ぎ込んで下さい」


「ま、魔力?」


 突然非現実的な単語を言われてうろたえる。更に言えば、どうやって魔力を注ぎ込むのかも分らない。


 とりあえず、カードに力を込める感じで良いのかな。


 試しにカードに力を込めてみると、カードが微かに光を帯びる。




 上手くいったみたいだと胸をなで下ろして、そのまま続けた。


 受付の女性もなれているようで、今俺が提出した書類の作業をしていてこちらを一切見ない。


 しばらく見続けていると、1分もしないうちにカードが放っていた光が消える。


 光らなくなったカードを見てみたが、最初とあまり変わっていない。


「これで良いんですか」


 受付の女性にカードを見せると、「はい」と一言答えて、カードを取られた。




 そしてカードの表面をまるでタッチパネルのように操作し始める。


 そんな事が出来るのかと感心しながら見ていると、突然「はぁ!?」とすっとんきょうな声を上げた。


 突然声を上げられて、心臓が止まるかと思った。


 女性の声は宴会の喧噪にかき消されて周りには聞こえなかったようで、周囲を見回しても誰も気付いた様子はない。


「どうしたんですか」


 女性は俺の顔とカードを交互に見て、信じられないものを見るかのような顔をする。




「こんなのって……」


 女性はカードを見ながら、がくがくと震えていた。


「いや、だから何が……」


 あまりにももったいぶるので、いらいらしてくる。




 そして女性は遂にその信じられないものを口にした。


「レベルが……1!?」


「はあ?」




 余りにももったいぶるので何かと思えば、そりゃあ冒険者になったばかり何だから1なのは当たり前だろう。


「あり得ません。こんなに低いなんて、どんな生活をしていたのですか」


「いや、普通でしょ。冒険者にもまだなっていないのに」


 女性は首を横に振った。


「赤ちゃんのレベルですよ、これは。あなたぐらいの年なら、普通に生活していてもレベル30になっています。なのに、こんな1だなんて……」




「俺、魔獣とか倒したことないし……」


「魔獣なんて、そんな……。普通に生活していれば、Expくらい貯まりますよ。魔獣を倒すのに比べれば微々たるものですけど、力仕事とか勉強とかをしていれば」


 受付の女性の説明を聞くと、レベルは身近なものらしい。


 じゃあ、俺は今、この世界の一般人よりも下って言うことか?


 その状態で冒険者になろうなんて、流石に無茶な気がしてきた。これで冒険者を始めろとか、女神も無茶苦茶言いすぎじゃないか?女神は分かっているのか?




 この人の反応を見る限り、どう考えてもレベル1で始めるのは普通じゃないみたいだし、レベルを上げ直すのにどれ位時間がかかるんだ?


 いや、魔獣を倒した時と生活の中でのExpの取得量は違うみたいだし、冒険者としてやっていけば出来るものなのか。




「レベル1で始めた場合って、どうなりますか?」


 かなりアバウトな質問をしてしまう。


「レベル1なんて、私は見たことがないので分かりませんが、この近くにいる魔獣の攻撃でも当たったら致命傷になるかと……」


 致命傷って、ここってゲームの『始まりの街』みたいな所だよな。そんな所の魔獣で致命傷って、どれだけこの世界のレベルは高いんだ。


 俺みたいな素人がそんな高難易度のステージに上がるなんて、自殺行為だ。


「て、手軽にレベルが上げられる所ってありますか?出来れば、お金も稼げれば良いなと思います」


「レベル1のレベル上げなんて、初めてですし……。レベル1で力仕事は流石に無理ですよね。最低でも、レベル30いえ、レベル15位の力は欲しいです。魔力を使う所もダメですし、道具を使う所も……」




 そんなに悩むことなのかと思うってしまうほど、女性は腕組みをして考え出した。


 嘘だろ。そんなに俺はあり得ない存在なのか。


 この世界の住人はどんな凄い人間なんだ。




 そしてパンと手を叩いた女性は、「皿洗いなんてどうでしょう」と子どものお手伝いみたいな事を言い出した。


「いや、俺としては楽で良いですけど、それでレベルが上がるんですか?」


「はい。身体や頭、魔力を使う事なら、どんな事でもレベルは上がりますよ。皿洗いなら、そんなに力はいりませんし、食堂なら日雇いもあり得ます」


「身体を使うって、例えばランニングみたいな事でも?」


「はい。もちろん、どんな事でも。剣術道場で修行してレベル50くらいになって冒険者になる方もいますから」




 そっちの方が良いかもと思ったけど、俺は無一文だった。


 剣術道場とかは、余裕が出てからだな。




「ところでここにいる冒険者のレベルの平均は?」


「大体レベル100という所です。ここら辺はまだ魔獣も弱いので、向上心のある方は130越えた当たりで旅に出るのが普通です。魔獣を倒せば、最初はサクサクとレベルも上がりますから、100は余裕でいけます」


「なるほど。割と簡単に上がるんですね。じゃあ、例えばパーティを組んでそこでレベル上げさせてもらうなんて事は?」


「出来なくもありませんが、魔獣を殺せる力があるかどうか……。レベル30でも弱い魔獣を仕留めるのも大変らしいですよ。基本的に自分が貢献した分だけExpが貰えるので……」


 魔獣の皮膚を武器で貫通させるのに、レベルの力が必要なのか。さらに自分が倒さないと、レベルは上がらないと。




 今は無理ゲーか。


「分かりました。さっきの皿洗いをやってみます。皿洗いの出来る所を教えてくれませんか」


「それはギルドの仕事じゃないんですが……。私の叔母が食堂をしているので、私の口義気で入れてあげましょう。その後の交渉はご自分でなさって下さい」


「ありがとうございます」


 親切な受付の女性に、直角になるくらいのお辞儀をする。




 何とか、異世界で最初の困難を乗り越えられた。


 後は、レベルを上げて、冒険者になるだけだ。




 そう俺は楽観的に考えていた。


 だが、それは大いなる間違いだった。

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