皿洗い

 ギルドの女性に渡された地図に従って街の中を歩き、辿り着いたのはユートさんに紹介して貰った宿だ。




「ここなのかよ」


 そこには、立派な旅館だった。


 門構えですら豪華で、覗いてみると庭には噴水がある。奥の方に建物があり、その建物は黒や金の装飾がなされていてとても見栄えしていて、周りの町並みと比べても異彩を放っていた。


「高そう。こっちでの金銭感覚は分かんないけど、絶対に高いのは分かる」




 こんな所を見ず知らずの俺のために一週間も滞在させてくれるユートさんには、本当に頭が上がらない。


 後で、お礼を言いに言った方が良いよな。


 門の前で警備している人に、自分の名前を伝えるとすんなりと通してくれて、美人の仲居さんに部屋に案内して貰った。




 部屋の中は驚くことに和室だった。


 八畳の和室に内風呂とトイレつきの一部屋だ。


 この異世界では、かなり上等な部類の部屋なのでは?


 町並みはヨーロッパ風なのに、この旅館の中は日本風だ。布団もあり、夕食は鍋だった。


 鍋にはふんだんに野菜が使われていて、お肉もボリュームがあっておいしかった。毒々しい色のキノコが入っていたが、食べてみると普通に椎茸のような風味で驚いた。


 体感的には数時間しか経っていないのに、懐かしく感じてしまう。




 しかし何か違和感がある。


 ドアやお皿が少し重く感じてしまうのだ。


 何もしていないけれど、やはり突然変な場所に飛ばされて、疲れているのだろうか。


一晩寝れば、明日には疲れは取れるだろう。




「いやー、満足満足」


 布団に寝っ転がって、お腹を休める。


「温泉もあるって言うし、そっちに入ろうかな」


 その時、ガタガタと隣の部屋に誰かが入っていくような音が聞こえた。ばたばたと慌ただしい感じだ。


「そう言えば、ユートさんは隣の部屋だって言っていたな。もしかして帰ってきたのか?」


 しかしすぐに静かになってしまう。




「もう寝たのか?」


 隣の部屋との壁に耳を押し当てて、聞き耳を立ててみるがまるで誰もいないかのような静かさだった。


「ドラゴン退治と宴会で疲れているんだろうな……。明日の朝に、お礼を言いに行くか」


 明日の朝の予定を立てて、温泉に行く準備をする。


 温泉は残念ながら、露天風呂ではなかったが、とても今日起こった出来事の疲れを吹き飛ばしてしまうほど気持ち良かった。




 *




 コンコン。




 起きて朝食を取った後、隣の部屋をノックした。


 しかし中から人の声がしない。


 もう一度、ノックしてみるがまた返事はない。


「まだ寝ているのかな」


 このまま中からユートさんが出てくるのを待とうか考えていると、「すいません」と背後から声がかかった。




「はい?」


 後ろを振り返ると、この旅館の店員さんらしき浴衣を着た女性がいた。


「どうかしましたか?」と聞かれたので、「この部屋に泊まっているユートさんにお礼がしたいのですが、まだ寝ているみたいなので……」と答える。


 すると「あら、もうあの方々は朝一番に王都へ出発なさいましたよ」と言った。




 朝から隣の音が聞こえないと思ったら、そんなに早くに行ってしまったのか。


「分かりました。ありがとうございます」とお礼を言って、部屋に戻った。


 布団に寝っ転がって、「お礼を言う暇無かったな。やっぱり昨日の内に言っておくべきだったな」と独り言を言う。


 この世界の冒険者はそんなに忙しいのだろうか。


「切羽詰まっているような世界なら、ちょっと嫌だな。俺はそこまで強くもないし、度胸もないし」


 なんとなく愚痴っていて、それとなく時計を見てみると約束の時間がせまっていた。




「皿洗いかぁ……」


 異世界に来て、まさか皿洗いをやらされるとは思わなかった。


 だけど今の俺はこの世界のどんな人間よりも弱いのだから、頑張ってレベルを上げていかないと一生何の役にもならない人間になってしまう。折角の与えられた二度目の人生なのだから、頑張っていかないと。


「よしっ!」と気合いを入れ直し、ギルドへと向かった。




 *




 ギルドの昨日の受付の人に、地図を渡されて辿り着いたのは、大衆食堂らしき建物。


 外で客引きをしていた女の子に話しを通して貰って、女将のいる厨房に案内された。


 ガチャガチャと料理器具を振り回す人達の中で、一番目立っているのが横にも縦にも大きい女将だった。


 単純に俺と比べても二回りほど大きい。


まるでオークのようだとは口が裂けても言えない。




「お前が皿洗いでレベルを上げたいって子かい。皿洗いだけをやるのは良いが、皿を割ったら承知しないよ」


 女将と会話をしたのは、これだけだった。それから端の方に連れられて、桶の中に入れられた皿を洗うように他の店員に指示された。




 既に開店していることもあり、結構な量の皿が貯まっていた。


「よし、頑張るぞ」


 気合いを入れ直し、桶の中二手を入れて皿を一枚持ってみた。


 ずしっ。


「あれっ?」


 皿らしからぬ重さが、手に伝わってきた。半径十センチほどの小さめな皿のはずなのに、目測より遙かに重かった。まるで鉛で出来ているかのような重さが、その白磁の皿に感じた。




「こんなものなのか……?いや、でも重すぎるような……」


 やっぱり普通の皿とは何かが違うような。そう思いながら同じような皿を洗っていると、その皿を何枚も重ねて持っている上に二回りほど大きい皿を手に持った女性の店員が桶の中に手に持っている皿を突っ込んできた。




「これもお願いします」


 一気に増えた仕事にげんなりとすると同時に、あの皿を何枚も重ねて持っている女性店員の腕力の強さに驚いた。


 やはりこれがレベル差というものなのだろうか。


 はっきりと違いを見せつけられると、心に来るモノがある。今の俺は、店員の女性よりも腕力が低い。


 こんな皿にさえも重さを感じてしまうとか。昨日は鍋に、取り皿だけだったからあまり気付かなかった。


 ここまで差が出るとは思わなかった。




 だけどレベルを上げれば、追いつける。


 それは簡単で一番のやる気の源だ。目標も努力の仕方が分かる。地球には無い、やり方だ。




 そしてひぃひぃとなりながら、約8時間くらい皿洗いをし続けた。


 夜も更けた頃に、やっと解放された。


 ずっと重い皿を上下させ続けたせいで、腕が痛くなっている。


 でもこれだけでレベルが上がっているのだから、本当に簡単だ。




 ギルドは夜中でも明かりがついていた。


 中に入ると、受付の人と数人の冒険者がいるだけだ。


「こんばんは。どうでしたか、おばさんの店は」


「大変だったよ。でも鍛えられたと思う」


 レベルだけで無く、筋肉も。




「そうですか。ならレベルを確認しましたか?」


「いや。どうやれば、更新されるのか分からなくて」


 昨日貰った冒険者カードを受付に出して、レベルが1のままのカードを見せる。


 僕のカードを受け取って、不思議な顔をした。


「変ですね。レベルが上がれば、カードの表示も自動で変わるはずなんですが。レベル1のままですね。こちらでも、更新してみますね」


 ぼそぼそと呪文を唱えると、冒険者カードが光り始める。そして呪文が終わると、カードの光が収まった。




 再び冒険者カードを見て、同じように不審な顔をした。


「レベルが上がってませんね」


「はぁ?ど、どういう事だよ。レベルが上がっていないって、どういう事なんだよ」


「私にだって分かりませんよ」


 言い方が荒くなってしまう。


 受付のお姉さんは困惑したような表情で言った。




「ちゃんと皿洗いしてきましたか?」


「やったよ。しっかりと半日」


「だとしたら、上がっていてもおかしくない。いえ、上がっていなければおかしいと思いますよ」


「でもさ、上がっていないんだろ」


 受付のお姉さんは俺の冒険者カードを弄りながら、「そうなんですよね」と不思議そうに言う。




「原因は分かりませんが、レベルが1なのは確実ですね」


 そう言いながら、冒険者カードを返される。


 受け取った冒険者カードを見て、レベル1とかかれているのを確認する。


 その世界の底辺を示す数字を。




「もう一日、皿洗いをやってみますか?」


「それでレベルが上がると思いますか?」


「何度も言いますが、上がらなければおかしいです。レベルは日常生活で上がり続けるものですから」


 そう言われても、一日頑張ってきた俺のレベルが上がっていないから信頼性がないんだけど。本当に上がるのだろうか。




「じゃあ、もう一日だけ」


「叔母には連絡しておきますね。また同じ所で」


「はい。でも、迷惑じゃないですか?」


「それはないと思いますけど、正式に雇うなら多分レベルが足りないと言われると思います」


「こんな所でも、レベル不足が」




 この世界では、どんな事でもレベルが関わってくるのか。食堂ですらレベルが必要とか、俺はレベルが上がらなかったらそんな仕事すら出来ないらしい。




 次の日も、食堂で必死になって働いた。昨日からの仕事でなれたこともあり、昨日よりも沢山の皿を洗うことが出来たので手応えがある。


 レベルも確実に上がっているはずだ。




 しかし仕事が終わって、期待を持って冒険者カードを見てみた。


「なんで……」


 思わずそんな声が漏れてしまった。




 幽鬼のようにふらふらとした足取りで、ギルドに向かった。


 ギルドの扉をくぐり、また居残りをしている同じ受付の人の前に座る。


「どうでしたか」


 受付の方が優しく話し掛けてくれた。




「見れば分かるでしょう……」


 カウンターに身を投げたままで、曖昧に答える。


「またレベルが上がらなかったのですか?」


 冒険者カードを取り出して、彼女に見せる。


 そこには紛れもなく、1という輝かしい数字が描かれているはずだ。




「確かに、レベルが上がっていないですね」


 昨日と同じように更新のための魔法を使っているような声が聞こえる。そして「変わりませんね」と言った。


「レベルって、本当に上がるんですか」


「上がりますよ。私でも、レベル50ですから」


 受付のお姉さんよりも下。いや、この世界の誰よりも俺は弱い。




「割と高いんですね」


「書類仕事とか魔法とかも使いますからね。流石に冒険者のようにハイペースでレベルは上がりませんが、普通よりもちょっと高いかも知れませんね」


「そうですか。魔法……。レベル1で使える魔法はありますか?」


「魔法でレベルアップしようって言う事ですか。レベル1で使える魔法なんて、ほとんどありませんよ。そですね、『レベルック』という魔法があります」


『レベルック』という魔法の名前に興味を引かれる。何か、レベルが上がりそうな気がする。


「どんな魔法ですか」




「説明するよりも、実際に使ってみる方が早いです。掌に力を込めるような感じで、呪文はなしで私に向かって『レベルック』と唱えてみて下さい」


 お姉さんに促されるまま、手に力を溜めて『レベルック』とお姉さんに向かって言った。


 するとお姉さんの胸の辺りに、『Lv50』と黒いマジックで書かれたように表示された。




 俺がポカンとしていると、お姉さんは俺の反応を見て成功を確認したようで説明を再開させた。


「『レベルック』は対象のレベルを表示させるだけの魔法です。ちなみに『アナライズ』という上位互換の魔法があります。こちらはレベルだけで無く、スキルやステータスまで見ることが出来ます」


 完全に劣化魔法じゃねえか。




「レベルが分かった所で、な」


「レベルが分かれば、闘って大丈夫かどうか位は分かりますよ」


「俺の場合は重要ですね。他にありますか、俺でも使えそうな魔法」


「あはは。『レベルック』以外は魔力が必要ですから、流石にこの魔力値では初等魔法すら使えませんね。学校で習いませんでしたか?」


 この世界では教育機関もあるのか。こっちの学校では何を習うんだろう。数学とか科学とかも教わるんだろうか。


 嘘でも学校に行ったと言うべきか。それともちゃんとこちらの学校に行ったことはないと答えるべきか。


 というか、今俺はどんな人間として見られているんだ?


 ここは上手く答えられなくても、学校に行っていたふりはしておいた方が良いのかもな。




「学校に行ってましたけど、頭は悪くて。授業中は寝てばかりで、ね。だから、教えて貰いたいんだけど」


 地球では俺は真面目な方だし、寝たこと無いけど。


「しょうがないわね。魔法を使うには、魔力が必要です。その魔力の大きさを、冒険者カードのステータス欄の魔力値で表されています。魔力値が大きいほど、魔法を使う回数や必要魔力が大きい魔法を使えるようになります。『レベルック』という魔法は、魔力を使わない特殊な魔法です。唯一のといって良いほど、特殊な魔法です。が、あまり有用性はありませんから、使われることはほとんどないです」


 なるほど、冒険者カードのステータスに魔力値というのがある。数値は3だけど。




「この数値で使える魔法は……」


「ないです。最低は魔力値の初等魔法の『ウォーターボール』で10は必要ですね。球体の水を相手にぶつけるだけの魔法で、あまり殺傷能力はないですけど」


「そうですか」


 カウンターにぐったりと倒れ込む。


 ゲームでも弱いような魔法も使えないのか。




 普通の仕事でもレベルが足りず、冒険者でもレベルが足りずレベルが足りない。魔法という手段も使えない。唯一使えるのは、腰に差したままになっている剣と今教わった『レベルック』の魔法だけか。


「難易度高いなぁ……」


 ついぼやきが漏れてしまう。




「難易度とは?」


「いや、何でも無い。あっ、そうだ。例えば、レベルを上げる以外でステータスを上げる方法って無いんですか?そうすれば……」


 我ながらナイスアイデアに思える。


「あるには、ありますが」


 声を低くして続けた。




「高いですよ」


 その言葉だけで、無理なのだと分かった。


「ステノ実と呼ばれる希少な木から採れる木の実を食べると、ステータスは上がります。あるいはその木の実を使った薬を飲んだりですね。その木の実は市場に出ることはあっても、すぐに売れるか高価すぎて誰も手を出せません。一般的に売られる場所も、もっと前線の方か王都ですから。こんな所に来る事はありません」


「そうですか。そうですよね、そんなものはこんな所に来ませんよね」




 僕がそう言うと、受付のお姉さんは「いえ」と否定した。


「最近、こちらに王都の高価なものが流れてくるようになっているんです。理由は分かりませんが」


「そうなんですか?」


 受付のお姉さんは何かを気にしているように、周りを見渡して誰もいないことを確認した。




「ええ、ここだけの話、王都やその周りの街を拠点にしている商社がこちらに出張所を置いているらしいんです。それに何故か、ここら辺の人では買えないものを売っていまして、何をしているのか分からないんですよ」


「そこなら、買えると?」


 神妙な顔で受付のお姉さんは頷いた。




「ただ買えるかどうかはあなた次第です。お金も無いみたいですし、ステノ実の効果も実の出来によって違いますから」


「そうだよなぁ。今なんて、ユートさんにお金出して貰っているような状態だしな。お金も二日分の皿洗い分くらいだからな。最低でもどれ位必要だと思いますか」




「一千万ね、一粒で」


「一千万か。無理だなぁ」


 手が届くような金額では無い。




「でも、行ってみるよ。買えなくても、そう言うものがあるって知っておくのも良いと思うし」


「そうですか。そう言う考えなら、私は止めません。ですが、くれぐれも問題は起こさないようにして下さいね」


 そして俺の耳元に口を寄せてきた。




「相手は貴族相手の商人ですから、首が飛ぶくらいは覚悟して下さいね」




 こちらの世界の金持ちは危険な存在らしい。

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