信頼関係の逆

 最近ずっと形にしようと思っていることの一つ。

 AとBという二人の人がいる。AがBに何かをやらせようとするのだが、Bはイヤだと断る。しかしAはBの言うことを聞かず強引に話を進め、Bは押し切られてやってしまう。その結果Aの思い通りにならなくなって、AはBを責める。

 AはBのことを考えなかった結果自分が損しているのだが、それに全く気付くことができない上にBだけを責める。

 BはBで、自分が嫌な目に遭っているというのにAの言うことを聞いてしまうのをやめることができない。


 こういう状況で実際誰が悪いかと言うと、AもBも両方、ということになるのだろう。仮にBの気持ちを全く考えないAの方が悪いとして、断らないBにも問題があるからだ。


 じゃあ逆にだが、Bはなぜ自分の不利益になってまで頼まれたことを断らない(厳密には断れない)のか。Bの立場に立った説明をしてみようと思う。


 私の経験から話すと、私はBの立場に立つことが多かったように思う。

 私は私なりに断っているはずなのだが、相手が私の話を全く聞いていない。多く無視したり、イヤだと言ってもなかったことにしようとする。

 そうやって自分の意見をないがしろにされると私はひどくイライラするのだが、同時になんだか参ってしまい、相手の言うことを聞いてしまうのだ。

 健全な精神を持った方なら私の認知の歪みに気づくはずだ。

 こういう場合普通なら言うことを聞かずにどこかへ逃げてしまうはずだ、と。


 私はここには虐待を受けた人にありがちな思考回路、おそらく「リスクを回避したい」というのが関わっていると考えている。


 例えばあなたが巨人に囚われて監禁されているとしよう。

 巨人たちは全てを自分たちの機嫌で物事を決め、それに従わなかったら容赦なくあなたを殴る。癇癪を起こして泣き叫び、物を壊し、飯を取り上げる。

 彼らとあなたでは圧倒的な体格差があり、言葉が通じない巨人に対してあなたは次第に抵抗をやめる。

 「今ここで殴られるかもしれない」という恐怖が体を支配し、あなたは目先の暴力に耐えかねて、もはや長期的な自分自身への不利益を考えられなくなる。

 こうして巨人たちが何かを命令すればうんうんと頷くだけの人形が出来上がる。

 一見バカにも見える彼らはそういう環境にしたにすぎない。

(巨人たちからすれば、最初に一回ひどく脅せばあとは多少殴るそぶりを見せるだけで言うことを聞くのだからカンタンなものだ)

 

 一度こういう思考回路が習慣として身についた人は、例え巨人たちから解放されても他の人間に対しても隷属的・迎合的にふるまうようになる。

 この辺が虐待児が人間関係で苦しんだり、社会生活がうまくいかなかったりする原因になっていると思うが、いかがだろうか。


 つまり、そもそも自分の意思に反して人の言うことを聞いてしまうところに実はかなり病的な思考回路が隠れている。

 しかし経験者でなければ当然そんなことは分からず、Bが「ただのお人よしのバカ」にしか見えないのである。

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