第8話 ロザリンダ嬢の心

 突然、現れたフィリップ殿下は尋ねた。


 殿下が書いた手紙にどうして返事を出さなかったのかと。


「いつ頃、お手紙は出されたのでしょうか?」


 殿下はためらった。覚えてらっしゃらないのか。


「いつ……と言われても……」


「覚えておられないのでしょう。さあ、姉様……」


「いいえ。わたくしはお手紙があるのなら読みたいですわ」


 この家の不行き届きになるかもしれない。

 でも、もし、手紙が来ていたと言うなら、それは、どんなに励みになったことだろう。


 フィリップ殿下は優しかった。


 いつでも優しかった。


 身内以外で、あんなあたたかな心を寄せられたことは一度もない。


 決して嘘の気持ちでないことは知っていた。


 だけど、彼には立場がある。

 だから、諦めていた。


 でも、もし、私を思いやってくださるお手紙だったのなら……。


 それだけで、私は、一生生きていける。


 純な宝石をいただいたようなものだ。


 これから、公爵家はクリスを中心に栄えていくだろう。


 彼はきっと結婚して子どもも生まれ、幸せな一生を送ることだろう。それは、私の心からの願いだ。

 そして、私はいない方がいい。

 殿下に婚約破棄された日陰の身ですもの。

 どこの貴族も貰い手はないでしょう。

 クリスの妻がよほど気の合ういい人なら、置いてもらえるかもしれないけど、そうでなければ、修道院に入りましょう。


 でも、生涯に一度だけでも、あたたかな想いを持ってくれた人、そして自分も想いを寄せた方がいることは、きっと私の宝物になることでしょう。


「手紙は残っていないのですか?」


 私は聞いた。


「いつのことかもわからないのでしたら、仕方ないですね」


 クリスが冷たい口調で簡単に答えて、言った。


「さあ、姉様……」


「日付の件は、つまり……」


 殿下は言いかけたが、クリスがさえぎった。


「覚えていないものは仕方ございません。そのような出したかどうかも記憶に残らぬような手紙……」


 そう。そうね。


 そんなものでしょう。


「返事の件は、平に申し訳ございません。私ごとではございますが、葬儀や事業の引き継ぎなどで取り込みが多かった時期でしたので……」


 クリスが言った。


 そうか。そんな前の話なのね。


「誠に申し訳もございません」


 私も一緒になって殿下に謝った。


「さあ、姉様は部屋に……」


 クリスが私の手を取って、部屋の外へ出るよう促した。


 そうね。これ以上ここにいたら、公爵家の立場がさらに悪くなるかも。


 私は立ち上がった。


「違う! 手紙がないと言うのは解せぬ。私は……」


 殿下はソファから腰を上げてなにか言い出した。


「あ、あのっ」


 執事のセバスが、口を挟んだ。


「なんだ」


 クリスがいつもと違う口調でセバスに向き直った。クリスがなんだか怖いわ。


「お叱りは重々承知でございます! 私のような者が、口を挟みますことが不敬であることも! ですが、王太子殿下が、当家までおみ足を運んでくださったと言うのは、婚約の解消のためでしょうか?」


 クリスが凍った。


「違う!」


 殿下が叫んだ。


「ロザリンダ嬢、結婚してほしい」


「そんな付け焼き刃のような!」


 クリスが答えた。


「丸一年も捨て置いて」


「だから、言ったろう。伝言もした。手紙も書いた」


 クリスは黙っていた。


「あのっ」


 セバスがまた叫んだ。


「私のような者が、このような場面で口を挟むことは、不敬であると重々承知でございますが、しかし、実のところ……」


「要点だけ言え」


 殿下が気短に反応した。


「そっ、そのあの、わたくし、殿下のお手紙は全部保存しておりまして……」


「全部?」


 クリスも私も殿下も、一斉にセバスを見た。


「私のような者がこの場で発言しますのは、不敬と言うのは重々承知でございますが、実は、私……」


「要件だけ言え」


 殿下が話をぶった切った。


「私、切手コレクターでございまして!」


 なんの話?


「王宮からの手紙には、王家専用の貴重な切手が使われておりまして! 執事特権で」


「切手だけ取っておいたのか?」


「万一売る場合のために、封書も中身も全部……」


「お前は個人情報漏洩の罪でクビだ」


 クリスは宣言したが、殿下が押し留めた。


「待て。セバスと言ったな。僕がお前を雇おう。心配するな。全部持ってこい」


 全部? 一通だけじゃないの?

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