金の少女と、その肋骨

秋来一年

金の少女と、その肋骨

 呪われた子だと母は言った。それは呪われた、許されざる力なのだと。

 お前を生んだのは間違いだった。父と兄が死んだのもお前のせいだ。お前はこの世に居ていい存在ではない。と。

 村を追われ、行く当ても、生きる気力もなくなっていた私に姫様は言った。


「ねえあなた、私の肋骨になってくださらない?」


 その日から、私は姫様の肋骨となった。姫様は私にたくさんのものを与えてくださった。ふかふかのベッド、柔らかなパン、温かいお言葉、そして、生きる希望も。

 だから。


 この命尽き果てるまで、否、たとえ尽き果てようとも。

 永遠に、あなたにお仕えし続けます。



 部屋の中に二人の少女がいた。

 一方は、まるでそれそのものが光り輝いているかのような、眩い金の髪を持つ少女。長く滑らかな髪が白いシーツの上で広がり、金の川を描いている。


 そしてその髪をかしているのは、黒い髪を持つ少女。

 上等な絹の糸を夜闇で染め上げればそうなるだろうか。一片の光さえも許さぬ黒い髪が、腰のあたりで揺れている。


「こんなに星が綺麗なのに、散歩にも行けないだなんて」

 金の少女が唇を尖らせて言った。


「星がよく見えるのは、新月だからでしょう。新月の日は魔の者が力を増します。それに、夜は寝る時間ですよ」

 黒の少女が、宥めるように言った。


「外の空気だけでも、お吸いになられますか?」

 バルコニーに視線をやりながら黒の少女が言うと、金の少女は首を横に振る。


「遠慮しておくわ。だって、面倒でしょう?」

 言いながら、金の少女は足下に視線を落とす。

 ベッドの上に投げ出された、己の脚へと。


「……姫様」

 黒の少女は小さく呟くと、金の少女の髪を梳かしていた手を止めた。

 そして、自らの髪を一束掴む。かと思えば、いつも袖口に忍ばせている短刀を取り出して、おもむろにくしけずった。


 ふっ、と息を吹きかけると、その髪束はまるでベルトのように金の少女の腰に巻き付き、


「ひゃっ」

 金の少女の身体を持ち上げるやいなや、ベッドの隣にあった車輪つきの椅子に、すとん、とその身を落とした。


 カラカラカラ、と車輪が乾いた音をたてる。

 黒の少女に押され、バルコニーに出た金の少女は、頭上の星々を見上げながら言った。


「リブ、ありがとう」

「姫様のお望みとあらば、なんなりと」

 リブと呼ばれた黒の少女は、恭しく腰を折って言った。


「あっ、星が流れたわ!」

 金の少女が言う。

「リブ知ってる? 流れる星に願いを唱えると、叶うんだそうよ」


 黒の少女が生まれた村では、星流れは凶兆とされていた。しかし、無邪気にはしゃぐ姫様の笑顔を翳らせるなどという大罪を犯すわけにはいかない。そう判断した黒の少女は、別の言葉を口にする。


「……姫様は、星に何を願うのですか?」

 少しだけ言い淀んだ後、金の少女は恥ずかしげに、内緒話をするように囁いた。


「あの、ね。私の願いは、夢は……リブ、あなたと並んで歩くことよ」

 金の少女の答えに、黒の少女は目を見開きそして、端正なその顔を喜色に染める。


「叶いますよ。もうすぐ」

「そうよね。兄様が車を作ってくださったとはいえ、やっぱり自分で歩けないのは不便だもの。本当は兄上の決定を待たずに、旅に出たいくらいだけれど……」


 金の少女には、二人の兄が居る。

 上の兄は、厳しいところがありつつも、優秀で疑り深く、政に長けている。


 一方二番目の兄は、物作りが好きで、おっとりしたところがありつつも、心優しく、民からも慕われている。


 金の少女は、上の兄を兄上、二番目の兄を兄様と呼んで区別していた。


「今晩の話し合いで、カイン殿下が次期国王になられると正式に決まれば、悪魔契りの儀はすぐに執り行われるでしょう。それまでは、私が姫様の脚となります。不出来な脚で申し訳ありませんが、今しばらくご辛抱くださいませ」


 通常、王家に生まれた姫は他国の王族や有力貴族など、国の益となる相手の下へ嫁いでいく。

 しかし、この国では違う。悪魔契りの儀があるからだ。


 王族の直系に生まれた女は、悪魔との交渉権を得る。

 その交渉はただ一度のみ可能とされており、儀式は南の果てにある泉で行われる。


 悪魔の望みは――人の身体を得ること。


 故に交渉権を持つ姫は、自分の身体の一部と悪魔の身体の一部を取り替えることができる。

 そうして、身体の一部に人為らざる強大な力を有した姫は、王の下、国の最高軍事力として君臨するのだ。


 政の道具として、その身が生きる場所を定められてしまうのは、他国と変わらない。添い遂げる相手を自由に選べるとは言え、どちらがマシなのか、黒の少女には判断がつかなかった。それに、


「姫様は、その……悪魔契りの儀が恐ろしくないのですか?」

 思わず問いかけると、金の少女は何かを飲み込むようにしてから、一人納得するように頷いて、言った。


「悪魔の脚だって、この役立たずの木偶よりましよ」


 金の少女の脚は動かない。生まれつきだ。

 だからこそ、金の少女は願うのだ。神ではなく悪魔に。

 どうかこの地に立てる脚をください、と。


 もっとも、その願いを悪魔の下へ届けるには、南の果ての泉に行く必要があるのだが。


「それに、悪魔の脚があれば兄上のお役に立てるのでしょう? 兄上が政を行って、兄様と私がそれを支えるの。そうやって、三人仲良く、国を治めることが出来れば、それはとっても素敵なことだわ」


 夜闇の中でもきらきらと光り輝いて、金の少女が言った。

 ああ、なんと尊く、眩いのだろう。黒の少女はそれだけで膝をつき、頭を垂れたくなったが、金の少女を困らせると思って、ただ微笑むに留めた。


「兄様たちの話し合い、まだ終わらないのかしら……っくしゅんっ」

「夜風で冷えてしまいましたか? そろそろベッドに、」


 言いかけた言葉を飲み込み、黒の少女は耳を澄ませる。

 外で何か、音が。騒がしい? 夜も遅いのに?


――黒の少女の育った村では、星流れは凶兆である。


「姫様ぁああああ、お逃げくだ、ガッ、」

 扉の向こうで叫び声が聞こえたのと、扉が乱暴に開かれるのは同時だった。


 現れたのは、今まさに、王位継承について話し合いを行っているはずの、一番上の兄で。

 しかし、普通の人よりも常に低い視線で生きる金の少女と目が合ったのは、別の人物だった。


「あに、さ、ま?」

 金の少女を見つめる白く濁った瞳。頭を一番上の兄に鷲掴まれ、首から下は血が滴るばかりで何もない。

 車輪付きの椅子を作ってくれた大きな手も、何度も抱き上げてくれた分厚い胸も、何も。どこにも。


「姫様」

 黒の少女が、金の少女を庇うように立ち、鋭く呟く。

 その言葉にかろうじて引き戻され、焦点の合わなかった金の少女の視線が、長兄を捉えた。


「兄上……なぜですか?」

 射貫くような視線を受け、長兄カインはわなわなと唇を震わせながら口を開く。


「父上が悪いのです。土壇場になって、アベルを、弟を王にするだなどと言うからッ」


――新月の日は、魔の者が力を増す。


 普段の冷静さは欠片ほども感じられず、血走った目は返り血と同じ赤だ。


「コル、あなたの身柄も確保します」


 剣を手に近づいてくる兄に、金と黒の少女はぎゅっと身を寄せ合う。そして。

 金の少女を抱きかかえ、黒の少女がベランダから身を躍らせた。

 金の髪と黒の髪が、風を受けて布のようにはためく。


「させるか――痛ッ?!」

 少女たちを追おうとした一番上の兄が、思わず脚を止める。その手に掴んでいた弟の生首に、腿を噛まれたのだ。


 金の少女は二人の兄から視線を外し、今度は上半身ごと馬小屋の方を向いた。そして、黒の少女に抱かれながら、いつも肌身離さず持っている弓をつがえる。この弓も、脚が動かぬ金の少女が自分の身を守れるようにと、優しい兄が作ってくれたものだった。


「ごめんね」

 呟き、放つ。

 矢は鋭く飛び、耳を立てて城の喧噪を聞いていた馬の首を、貫いた。


 馬は嘶いて、パニックを起こし身体をあちこちにぶつけ、やがてその場に頽れる。もう永遠に立ち上がることはない。

 立ち上がることはない、はずだった。


 数秒の空の旅を終え、着地せんとする少女たち。その少女たちを迎えるように、馬小屋から飛び出した馬が落下地点に滑り込む。

 黒の少女は見事に馬の背に着地すると、「掴まっていてくださいね」と声をかけてから、金の少女に回していた腕を手綱に握り替えた。

 二人の少女を乗せた馬は、夜の闇に溶けるように消えていった。



 あばらは、元々は暴れ屋と呼ばれていたのだという。

 この国の皇女は悪魔との交渉権を持つ唯一無二の存在である。そのため、警護も厳重にしなければならない。


 皇女を守るため集められた、腕が立つ十二人の者たち。数百年前、最初に集められた頃は傭兵崩れのような集団で、暴れ屋などと呼ばれていた。それがいつしか〝国の心臓を守る十二本の骨〟として、肋と呼ばれるようになった。


「第一肋骨から第七肋骨まで、少なくとも真肋は全滅のようですね。この様子では、城に居たほかの肋たちももう……」


「そう……」

 黒の少女の報告を受け、金の少女は唇を噛みしめ俯く。


 悪夢のような一夜も、もうじき明けようかという刻。

 夜更けまで馬を走らせた二人の少女は、第十二肋骨の親族が営んでいる小さな宿屋で、つかの間の休息を得ていた。


 肋の全員に持たせていた、黒の少女の遣い蟲。

 甲虫の死骸であるそれは、主の元に帰ることで仲間の死を教えてくれる。

 屍体を用いた武器の生成は、黒の少女の十八番だ。


 一見生きているようにも見える遣い蟲は、中がくり抜かれ、小さな巻紙を仕込めるようになっている。この宿のことも、運良く非番で街に出ていた十二肋骨が、遣い蟲をつかって教えてくれた。どこかのタイミングで合流したいが、今は追っ手を撒くのが先だ。


「……このあとは、どういたしましょう」

 黒の少女が短く問いかける。


 金の少女は、ほんの数時間前に大好きな兄を失ったばかりだ。本当ならその細い肩を抱いて、一晩でも二晩でも慰めて差し上げたい。黒の少女はそう思ったが、状況がそれを許してくれない。


 そして、そんなことは金の少女も分かっている。

 分かっているから、彼女の唇は、噛みしめられすぎて血が滲んでいた。


「南の果てを、目指しましょう。兄上は私を殺すか、そうでなくても儀式の日まで幽閉するつもりでしょう。私たちは、対抗手段を得る必要があります」

 金の少女の言葉に、黒の少女も頷く。


「私も、それしかないと考えていました。ここが見つかるのも時間の問題です。すぐに出発しましょう」


 かなり過酷な旅路となる。本当なら誰も二人を知らない地まで逃げてしまいたいが、それを許してくれる相手ではないだろう。

 黒の少女の気遣わしげな視線に気づいたのか、金の少女は微笑んで言った。


「そんな顔しないで、リブ。夢を叶えるための旅に出るのが、早まったと思えばいいのよ」

「そう、ですね。姫様が歩けるようになったら、色んなところに遊びに行きましょうね」


 そこで会話は途切れ、二人は出立の準備を始める。

 宿の者に頼み、真水や携行食糧、毛布、新しい馬など、旅をするのに最低限必要なものを揃えて貰った。謝礼として、馬具についていた金の飾りボタンを渡すと、金と黒の少女は、まだ日も昇り切らぬうちに宿を出ようとする。


「一晩中馬を走らせてきたのでしょう。もう少しゆっくりされていっては?」

 宿屋の主人がそう言った。確かに、次いつ屋根のあるところで寝られるとも分からない。魅力的な提案である、が。


「それは、もう少しで包囲が完成するからですか?」

 黒の少女が鋭く言う。その隣で、金の少女が弓に矢をつがえた。


「……はい?」

「準備がよすぎます。まだ明け方ですよ? どこの店も開いていないのに、どうして宿屋が旅の準備を即座に済ませられるんです?」


「そ、それは……第十二肋骨が、事前に知らせてくれたからで」

 金の少女が、きりりと弦を引いた。


「遣い蟲は一匹しか渡していません。その一匹は私の元へ帰ってきている。ご主人、第十二肋骨は、いつどうやってあなたに情報を?」


 姫様。目を伏せて、黒の少女が囁くと、金の少女は矢を掴んでいた手を離した。

 胸に矢を受けた宿屋の主人が倒れるのと、宿屋の外から火矢が飛んでくるのは同時だった。


「……腕自慢の真肋たちがあっさりやられるなんて、何かあるとは思っていました。裏切り者が肋の中にいたとは」

 火矢がカーテンに当たり、窓際から炎が燃え上がる。


「姫様……いつも辛いお役目をお任せして、申し訳ありません」

 消えてしまいたい、とでも言いたげな表情で、黒の少女が言う。

 安心させるように微笑んで、金の少女は言った。


「気にしないで。だって――屍を創り出せば、あとはリブが守ってくれるでしょう?」

 返事の代わりに、黒の少女は今し方屍となった宿屋の主人を立ち上がらせた。


「ええ。御身は私がお守りします」

 屍を先頭にして矢を防ぎつつ、二人は燃えさかる宿屋を脱出する。


 金の少女が矢を放ち、増えた屍を黒の少女が操った。

 先ほどまで仲間だった者の屍と、刃を交える敵たち。彼らを置き去りに、二人の少女は再び駆けていく。



 黒の少女が初めて操った屍は、自らの父と兄だった。

 恐ろしい魔物に襲われ、二人の家族があっという間に死んで、気づいたら二つの屍体を思いのままに操っていた。

 どうにか魔物を撃退した少女は、唯一守ることのできた母にこう言われた。


「お前の力は呪われている」「そんな力を持っているから、魔物が現れたのだ」「お前を産んだのが間違いだった」「今すぐにこの村から出て行け」


 少女の母は教会信者であり、屍術は神への冒涜――禁忌とされていた。。


 行き場も生きる気力も失った少女は、それでも自ら命を絶つだけの度胸も無くて、偶然見つけた獣の死骸を使役しながら、森でひっそりと暮らしていた。

 孤独だった。黒の少女には何も無かった。その身を助けたはずの力を、今は憎んですらいた。


 いっそのこと、あの場で死んでしまえたらよかったのに。


 少女の元に天使が現れたのはそんな時だった。

 街道の方が騒がしかったので様子を見に行ったら、一台の馬車が襲われていた。血の臭いと凄惨な光景に、黒の少女は思わず嘔吐きそうになって手で口を覆う。


 馬車を囲うのは五人の男たち。馬車の中には女の子が一人、腰が抜けてしまったのだろうか、逃げる様子も無く座っていた。


 美しい、あまりにも美しい少女だった。

 少女を守るはずの騎士たちは、屍体となって辺りに散らばっている。


 私が守らなければ、と黒の少女は思った。

 なぜそう思ったのか、本人にも説明がつかないけれど。ただ、守らなければ。守らなければ、とそう思って。


 森の中から、状況を確認する。

 転がっている屍体は四。どれもが魂を失ったばかりで、細く長い金の糸を天に向けて伸ばしている。


 その糸に意識を合わせ、強引に結合した。

 試しに指先を動かす。屍体の指が動いた。ならば。


 そこからはもう、一方的な蹂躙だった。

 倒したはずの敵に殴られ、斬りつけられ、突き刺されて、味方だったはずの者にすら攻撃をされ。

 あっという間に、屍体の数は九になった。


 自分たち以外の生者が居なくなったのを確認すると、黒の少女は馬車に近づいていく。


「――っ」


 そこに、天使が居た。

 まるで自らが光を発しているかのような、輝く金の髪。肌は白く、瞳は大きくて、見定めるように黒の少女をじっと見つめていた。


 大丈夫ですか、と言いたかったのに、喉は震えるばかりで声が出ない。 

 だから、先に口を開いたのは金の少女の方だった。


「貴女が助けてくれたの?」

 黒の少女がこくこく頷くと、金の少女は手を差し伸べ、言った。


「ねえあなた、私の肋骨になってくださらない?」


「けど、わ、わたしの力は呪われています……!」

 黒の少女は、馬車に描かれた紋章から、目の前にいるこの天使のような少女が、王家の血を引く者だと気づいていた。


 自分なんかと関わったら、きっとこの人も不幸になる。そんな思いから出た言葉に、しかし、金の少女は笑みを浮かべて返す。


 あら、それならお揃いね。私は近い将来――悪魔と契る女よ」

 貴女、名前は? 金の少女の問いに、黒の少女は逡巡の後に答える。


「……肋骨リブ、と。そうお呼びください」


 こうして、黒の少女は金の少女の肋骨となった。

 そして、二人の呪われた少女は、共に生きることを決めたのだった。

 


「こうしていると、あの時を思い出すわね」

 馬車に揺られながら、金の少女が呟く。


 死んだ馬に引かせているので、御者はいない。馬車に乗っているのはあの日と同じ、金と黒の少女だけ。


 宿屋を出てから、もう幾日も過ぎていた。

 殺されかけては殺し、操ってまた殺して。

 数えるのも馬鹿々々しいほどの屍を積み上げ、どうにか今日まで生き延びてきた。

 

 幸か不幸か、刺客の多くは城で寝食を共にしていた顔見知りだ。

 すでにえにしが結ばれた相手だったので、黒の少女にとって、屍体を操るのは造作もなかった。


「ええ。なんだか、もう何十年も前のことみたいです」

 黒の少女が言う。その髪は肩の辺りでざっくりと切れ、おかっぱになっていた。長かった髪は全て、旅の途中で敵の首を絞めるのに使ってしまったのだ。


 黒の少女が使う屍術しじゅつは、魂と切り離されたばかりの屍肉にしか使うことが出来ない。

 髪も爪も、切り離しさえすれば一定の時間は意のままに操れるが、次に同じことをするには、それらが伸びるのを待たねば為らなかった。


「何十年だなんて。そんなに長く生きていたら、私たち二人ともおばあちゃんよ」

 黒の少女の言を受け、金の少女はころころと笑う。


 金の少女もまた、髪をばっさりと切っていた。路銀にするため、旅の途中で売りに出してしまったのだ。

 そこまでして得た路銀も、何日か前に尽きてしまった。


 だが、金と黒、二対の瞳からはまだ光が失われていない。

 希望があったから。


「ねえ、あれじゃない?」

 金の少女の声が弾む。

 黒の少女の胸もまた、どくん、と大きく弾んだ。


「あれが……悪魔と契約できるという……」

 まだ小さくしか見えないが、確かに泉がそこにあった。


「よかった。これでようやく――」

 言葉の代わりに口から零れたのは――真っ赤な血。


「リブ!?」

 金の少女が目を見開く。傷の具合を確かめようと近づけた顔を、黒の少女が自分の腿に押しつける。


「狙撃されています。姿勢を低く。このまま走り抜けます」

 自らも姿勢を落とそうとして、黒の少女は思わずうめき声を上げる。

 見れば、黒の少女の腹には、矢が深々と刺さっていた。


 この襲撃は正直なところ、事前に予測の出来るものであった。

 二人の少女が悪魔契りを行うため、南の果ての泉を目指すことは、相手方にとっても明白である。であるならば、目的地の側で待ち伏せをすればいい。逆の立場なら自分だってそうする、と黒の少女は思う。


 けれど、事前に予測が出来ようとも、どうしようもなかったのだ。

 だって、二人の少女にはもう何もない。

 あるのはお互いの身と、城から持ってきた弓矢だけ。


「リブ。リブしなないでッ……リブ、リブ……!」

 自分の名を呼ぶ主の声が聞こえ、黒の少女は痛みに塗りつぶされそうな頭を必死で回転させる。


――どうにかして、姫様を泉に届けなければ。


――もう少しで、彼女は脚を得られる。積年の夢を叶えることが出来るのだから。 


 馬車を狙う矢が止んだ。かと思うと、馬車ががたがたと揺れ始める。

 揺れが傷に響き、ごぼり、と血を吐きながら黒の少女は気づいた。

 

これは、……馬を狙撃されているのか。


 馬車を引く馬は屍だ。痛みに暴れることは無いが、物理的に脚を破壊されれば走ることが出来なくなる。


 そしてついに、その時が来た。

 ガクン、と何か致命的な音がして。内臓を襲う浮遊感。


 咄嗟に愛しい人の身を庇うように抱き、黒の少女は横転した馬車から投げ出され、地面に叩きつけられた。


「ガッ、かは……」

 背中を叩きつけられ、肺から空気が抜ける。それでも意地で、金の少女を抱いたまま転がり、倒れた馬の影に隠れた。ここなら矢を打たれても、馬の屍が遮ってくれる。


 とはいえ、敵が近づいてきたら何の意味も無い。こんなのは数秒の時間稼ぎにしか過ぎないのだ。何か手は無いか。何か。この御身を守れる何か。


 視線を巡らせ、見つけた。

 森の方。血の臭いをかぎつけたか、二頭の痩せた狼が身を低くしてこちらを伺っている。


「姫様」

 囁きは、ほとんど空気を漏らしているに過ぎないような小さなもので。けれど、胸の中の金の少女は、真っ赤に泣きはらした意志の強い瞳で、黒の少女をしっかりと見つめていた。


「あそこに、狼が見えますか? あの狼を射ってください」

 一言発する度に、口の端から血が零れる。


「私は狼を操り、敵を引きつけます。その間に、姫様は泉を目指してください。少し大変でしょうが、この距離なら這っていけるでしょう」

 泉はもう目と鼻の先だ。全速力で走れば、二十秒も要らないだろう。


 けれど、その泉が今は遙か遠い。


 金の少女は力強く頷くと、黒の少女の腕から抜け出る。

 黒の少女は、正直なところほっとしていた。


 これできっと、姫様の身だけは守ることが出来る。

 それだけで、他には何も要らないから。例え、自分の命でさえも。 

 けれど、神というのはどこまでも残酷なもので。


――バキンッ


 何か聞いてはいけない音を聞いた気がして、黒の少女は金の少女を見遣る。

 そこには目を見開き、呆然としている金の少女と。

 その少女の手の中で、真っ二つに折れた弓があった。


「あは」


 そんなことがあるか。そんな、ここまできて。あと一歩なのに。

 もう少しで、私の大切な人の夢が叶うのに。

 悲しくて悔しくてああ私はやはり呪われていたのだと思って、黒の少女は泣きながら笑った。


 笑いながら、いつも袖に忍ばせている短刀を自らの腹に突き立てた。


「リブ?! な、何して……!」

 元々白い顔を更に真っ青にして、金の少女が這い寄ってくる。

 それを視線だけで制し、黒の少女は短刀を横に引いた。


「ぐ、……は、はぁ……ッ」

 そして、おもむろに両の手を、今切り拓いた己の腹部に突っ込む。


 弓なら、ここに在るだろう。


 人体の構造なら、そこいらの町医者よりよっぽど分かっている。腹の中を手でまさぐり、骨をなぞるように指を滑らす。そして、骨と骨を繋ぐ魔力の筋を一つずつ丁寧に解体して、黒の少女はそれを採りだした。そして、既に裂けている内臓を細長く切り取り、骨の両端に繋ぐ。


「……が、ば」

 口を開いたら一際大きく血が零れ、言葉が遮られる。

 それでももう一度口を開くと、もう迫り上がるほどの血も失われたのか、今度は言うことが出来た。


「……肋骨弓、に、ございます。あとは、作戦通りに」


 黒の少女は屍術師である。

 髪や爪なども、一度身体から切り離せば、自由に操ることが出来る。ある程度は形状の変化も可能だ。

 術は、屍体が新鮮であればあるほど、術者である黒の少女と縁が深ければ深いほど、強力なものとなる。


 つまり。

 採りだしたばかりの、それも黒の少女そのものと言える肋骨は、今この場で用意できる最強の武器。


 最初、金の少女はまるで幼女のように、泣きながら首を横に振っていやいやとした。


 しかし、黒の少女が引かないのを見ると、袖で強引に涙を拭い、差し出された肋骨弓に矢を二本同時につがえ、射った。

 矢は違えずの狼の眉間を貫き、二頭の狼は絶命する。


 刺客の足音が近づいてくる。黒の少女は、もう首を動かすこともできない。音だけを頼りに狼の屍を敵にけしかけた。


 金の少女が、泉に向かって這っていく音が聞こえる。少しずつ、少しずつ、愛しい人の気配が遠ざかっていく。


 ああ。それでも黒の少女は幸せだった。

 守ると、誓ったのだ。

 かつての名を捨て、金の少女の肋骨として生きると決めたその日。


 例え自らの命が尽き果てても、否。

 身が尽きたその後も、永遠にその身を守る、と。


 生き物が死んでも死骸は残るように、術者が死んでも屍術で生み出した武器は消えない。


 遠くで、水の音がした。

 よかった。これで姫様の夢が叶う。立ち上がるための脚を、手に入れることが出来る。

 満ち足りた気分で意識を手放そうとした黒の少女の元に、愛しい人の声が響いた。


「悪魔よ。我の肋骨をもって汝の肋骨と替えよ」


……いま、姫様はなんと言った。


 黒の少女は最初、もう自分の耳か頭がおかしくなって、聞き間違えたのかと思った。

 だって、悪魔契りは一回きりだ。姫様は、脚を手に入れたいはずなのに。

 黒の少女の困惑を置き去りに、悪魔契りの儀式は続く。


「否。悪魔が交換するのはお前の身だけ。他の者の身体とは替えられん」

 銀の皿を銀のフォークで引っ掻くような、不快な声。


 その声に、金の少女は毅然とした態度で言う。

「これは、私の肋。私の身体。私のもの。私の一部よ」


「……ふんッ。まあよい。我も動かぬ脚などより、そちらの方が都合が良い」


 なんで。どうして。

 満足げな悪魔の声と裏腹に、黒の少女は頭の中が戸惑いでいっぱいだった。

 大切な人を守り抜いて、夢を果たすところまで導き、満足して逝けると、そう思っていたのに。


 視界が滲むのは、血を失いすぎたからばかりではなかった。

 黒の少女は泣いていた。自分の身を犠牲にして大切な人を守ったつもりでいたのに。自分なんかを助けるために、その大切な人が、夢を叶える唯一の機会を逸してしまうというのだから。

 黒の少女の様子に気づいたのか、否か。金の少女が言う。


「ねえ、リブ。私の夢は

――貴女と並んで歩くこと、よ」


 どくん。黒の少女の身体が跳ね上がる。ほとんど止まりかけていた心臓が再び動き出し、綻びかけていた魂と身体を結ぶ金糸が、どす黒い別の糸によって補強され、結び留められる。身体が熱い。熱い熱い熱い! 失われていた肋骨弓に、別の何者かが収まるのを黒の少女は感じる。


 世界に音が、視界が、匂いが、全てが戻る。戻りすぎる。

 鋭敏になった聴覚は、狼の屍体をついに破壊し尽くした敵を捕らえた。


「喰らえ」


 未だ地に伏したまま、黒の少女が命ずる。

 がばり。と。

 先ほど自ら切り拓いた腹の裂け目から、巨大な、あまりにも巨大な闇が吹き出した。


 大樹にも見えるそれは、遠目に見るとようやく手の形だと分かる。黒の少女の腹から、大きな手が生えている。


 巨大な闇の手は新たな主に応えるように、その見た目通りの質量と威力でもって敵を叩き潰した。

 そして、手のひらについた血やその他色々なものを振り払うように手を振ってから、しゅるしゅると黒の少女の腹の中に戻っていく。

 


 あるところに、二人の少女がいた。

 一方は、黒い髪を持つ少女。

 上等な絹の糸を夜闇で染め上げればそうなるだろうか。一片の光さえも許さぬ黒い髪が、腰のあたりで揺れている。


 その少女の隣にいるのは、金の髪を持つ少女。

 まるでそれそのものが光り輝いているかのような眩い金の髪を持ち、の光を思わせる微笑みを浮かべていた。


 金の少女の両脚は長いスカートに覆われ、外からはその中を伺うことは出来ない。が、その中を覗けば、両の脚はまるで闇そのもののような漆黒のブーツに腿まで覆われているのが見て取れるだろう。


 そのブーツから影を辿ると、黒の少女の影に繋がっている。

 それは何時に、どこにいてもそうで。太陽の傾きも、満月の方向も関係なく、二人の影は寄り添うように繋がっていた。

 けれど、その異様さに気づく者は今のところいない。


「リブ、次はどこに行きましょうか」

 二人手を取って歩きながら、金の少女が黒の少女にたずねる。


 二人の少女がどこへ向かうのか、それは誰にも分からない。

 けれど。


「姫様の隣でしたら、どこへまででも」


 いつまでもいつまでも。金の少女は黒の少女の、黒の少女は金の少女の隣にいるであろうことだけは、はっきりしていた。

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金の少女と、その肋骨 秋来一年 @akiraikazutoshi

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