第423話 名誉会長エリザベータ
今後の話を詰めるためということもあり、リズは新たな手下ヴィクトリクスを連れ立って執務室を後にした。
屋外へ出て、二人並んで官庁街を歩いていく。すれ違う官吏から視線を向けられるも、変に身構えられたりしないあたり、味方の魔族として認識されているようだ。
「ところで、"雇用契約"は?」
ヴィクトリクスの裏切りを防ぐための契約について、怪しまれない表現を用いたリズに、彼は懐から一枚の紙を取り出した。
「君への説明が必要だろうということで、写しの用意があってね」と手渡された紙に、リズは目を落として読み込んでいく。
契約については、「許可なく人を傷つけるな」「嘘をつくな」「裏切りを企てるな」といったところ。罰則として、魔力を奪われるペナルティーがある。
「……で、今のところ罰は受けてないんでしょ?」
「そうだけど……どうして?」
早くも信用した様子を見せるリズに、彼が真顔で尋ねてくる。
「だって……兄さんとはお互いに信頼した様子だったし。それに、信用できない配下を、私の下につけるなんて……いえ、ありえないこともないか」
最後に付け足された、ポツリとつぶやくような言葉に、ヴィクトリクスは含み笑いを漏らした。
彼については、リズの仲間たちもすでに認識しているという話だった。
だが、実際にどのように思われていることか、少なからず身構える思いのあるリズだが……
皆が待つ建物へ戻ると、なんともあっさりしたものだった。「よう」と声をかけるマルクを筆頭に、なんとも気安い感じである。
これはこれで良いことなのだろうが……拍子抜け感はある。それに、腹の中では何かしらの葛藤があるかもしれない。
さすがに気になって、リズはちょいちょいとマルクを手招きした。話が早い彼は苦笑いし、何も言わず《
『言いたいことは、なんとなくわかる。ヴィクトリクスのこと、本当はどう思ってるのかってところだろ?』
『そうだけど』
『お前が敵視していないなら、それで十分じゃないか?』
実際、別の時間軸で死にまくったのはリズ一人である。他の仲間たちは、あくまで彼女から聞かされたに過ぎない。直接対面したのは、つい3ヶ月前のことだ。
それにしても割り切った様子のマルクだが……他にも理由があった。
『元はと言えば、俺たちだってリズの敵だったしな』
『……すっかり忘れてたわ』
古い親友たちとはハーディング革命以来の仲だが、元々は革命勢力に対する敵対者、あるいは日和見的な敵といったポジションであった。
それに……彼らばかりでなく、リズにとっては兄弟もまた、かつては敵だったのだ。
相争う仲も結局は手を取り合う事となり、味方からは決して裏切られることはなく。まだまだ若い時分ながら色々あった人生、巡り合わせに振り回されはしたもののの、良いところに落ちつくことのできた幸運を、彼女は今一度深く感謝した。
それと、自分自身に対しても。
『ま、これも私の人徳ってものかしら?』
少し得意げに笑うリズは、横にチラリと視線を向けた。思考を読んでいるのではないかと、考えていたのだが、ヴィクトリクスは真顔で
「……? ああ、内密の件かと思って読んでなかったよ」
「そう……なんか、本当に調子狂うわ」
読んだり読まなかったり、彼なりに気を遣ったのか自重したのか……強力には違いないが、扱いづらそうにも感じられる新戦力に、リズは小さくため息をついた。
☆
各国巡ってのお礼参りも大詰めとなり、リズは妹を引き連れてマルシエルへ飛んだ。転移先は、彼女にとっての隠れ家でもある、喫茶店の店長室である。
さすがに、誰かが代理として使っていてもおかしくはないところだが……
転移で飛んでみると、店長室は3年の月日を感じさせない程きれいなままであった。むしろ、自分が使っていたときよりも整っているかもしれない。
一方、見覚えのない私物は見当たらない。おそらく、誰かが代わりに使うといったことはなく、その上で不在時も欠かさず掃除してもらえたのだろう。しんみりする思いのリズだったが……
「……お姉様?」
遠慮がちに呼びかける妹に、リズは唇に指を当てて静かにするよう求めた。
自分の部屋から出る、ただそれだけのことに、ついつい抵抗感のようなものを覚えてしまう。
実のところ、マルシエルにおける喫茶店経営は、世を忍ぶ仮の姿での事業であった。従業員の大半は、リズの正体を知らされていなかった。
これは、情報漏洩を防ぐ他にも、継承競争が正式には終わっていなかった当時、従業員に累が及ぶのを防ぐための措置でもある。
しかし、今となってはリズの正体が世界中に知れ渡っている。この店の従業員が、知らされていないということがあろうか?
隠し事を続けてきたこと、自分の口で明かさなかったこと。申し訳無さが募るも腹を
リズは恐る恐るドアを開けてみた。
すると、目の前には時が止まったような従業員の姿が。見覚えのある若い女性だ――というより、自分で面接して雇った間柄でもある。
「ご、ご無沙汰してます」
店長らしかぬ腰の低さで声をかけるリズに、第一発見者の店員は……目元を勢いよく拭った。若干赤味のある顔を近づけてくる。
「おかえりなさい、店長!」
場所を変えれば色々と身分も変わるリズだが、ここでは相変わらず店長である。その程度のことでも、自分自身に異物感を覚えかねない今のリズにとっては重大事であった。
その後、他の従業員にも帰還が知れ渡り、順繰りに再会を分かち合うことに。客を追い出して歓迎会を――のような案が出なかったことに、リズは安堵した。
「ところで」
「はい」
3年前から副店長の座にあった、メガネ姿の女性店員に、リズは尋ねた。
「マルシエル前議長閣下のことだけど、こちらにも関わっておられる?」
「はい。よく、お客様として来店されます。ですが、経営の方にはあまり口を出されませんね。飲食は未経験とのことで……茶葉や豆等、仕入れ関係の情報は迅速ですが」
「なるほど……」
これまでに聞いた話どおり、例の閣下は第二の人生をエンジョイしている様子だ。
そちらへの挨拶回りをということで、リズは立ち上がった。
「じゃ、お店の方はよろしくね。また来るから」
「相変わらず、お店にいらっしゃらない店長さまですこと」
チクリと刺す頼もしい副店長に、リズは苦笑いを返した。
☆
「……ここであってる?」
「はい。何度も来てますので、間違いありません」
もらった地図に従って足を運んでみれば、港湾の一角に見慣れない事務所があった。
リズが海運業に関わっていた頃は、使う船そのものが事務所といった感じであり、陸の拠点は間借りした部屋程度のものであった。
それが今では、建物ひとつを自社物件としているではないか。さして巨大な建物というわけではないが、いつの間にか財産となっていた社屋に、リズは感慨よりも戸惑いを覚えた。
半ば、ネファーレアに手を引っ張られるようにして建物の中へ。
中には慌ただしく仕事する従業員たちがいたが、ネファーレアのことは認識しているらしく、彼女の来訪にパッと手が止まる。
そして……彼女が連れてきた娘に、一同は早くも察しがついたらしい。
「殿下、そちらのお方は……」
「はい。お姉様です」
名前を言わずとも、この紹介で十分であった。リズからすれば初対面の従業員ばかりだが、従業員にとってのリズは、あまりにもよく知られていた。
しばしの間、伝説的な経営者の帰還を歓喜で迎えた後、ネファーレアの案内で事務所の奥へ。
奥の執務室にいたのは、例の前議長であった。「まぁっ!」と表情を緩め、彼女は小走りになって近づいてくる。
「お久しぶりですわ、殿下」
「長らくご無沙汰しておりました、閣下」
「閣下だなんて、嫌ですわ。今となっては、殿下が会長で、私は顧問に過ぎませんもの」
(……ん?)
何やら引っかかるものがあって、リズは妹へ視線を向けた。
どうやら、組織運営上の諸々があって、リズは会長職へ押し上げられたらしい。手広く手掛けた事業の上にあると考えれば、腑に落ちるところではあるが。
そして、彼女を象徴的な名誉職に据えることで、各事業に携わる各従業員の帰属意識を高め――
「顧問として、私の下に就かれたと」
「はい」
リズの2倍以上生きている元閣下が、にこやかに笑う。
「見上げたところに誰もいないというのも、中々窮屈なものでして……」
「……左様ですか」
恩人が、肩書上は下にいるというのも、どことなく落ち着かない思いはあるが……
ともあれ、自分がいない間、事業をうまく回してもらえたらしい。素直に感謝するリズに対し、当人は「差し出がましかったかも」と苦笑いしたのだが。
「ただ……殿下のこれからを思えば、後方支援も必要でしょう。その一翼を担えれば、と思いますわ」
「『これから』ということは、ご存知なのですね」
「ええ」
朗らかな微笑を浮かべていたリズの恩人は、どこか困ったような顔になって言った。
「中々、落ち着く暇もありませんわね」
「……お互い様では?」
「そういう国民性なもので」
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