第419話 ささやかな酒宴

「……ちょっと照れくさいわね」


 しばし抱き合った後、アスタレーナはリズから体をそっと離した。彼女の視線は、少し離れたところで見守っていたネファーレアへ。


「今更ァ?」


 少し意地悪そうな笑みを向けてくるリズに顔を合わせ、アスタレーナは含み笑いを漏らした。


「変わってなさそうで、安心したわ……おかえりなさい」


「ただいま……他国で言うことじゃないけどね」


 何の気無しに口にしたリズだが、彼女の言葉に姉の表情が、なんとも言えない味のある苦笑いに。リズの対面に腰を落ち着け、アスタレーナはゆったりと背を預けて伸びをした。


「ここ最近、ずっとサンレーヌに滞在していて。一年の間、ラヴェリアにいる時間の方が短いわ」


「……他の皆も、そんな感じ?」


 少し重い話題というのを承知の上で尋ねるリズに、アスタレーナは身を起こし、表情を引き締めてうなずいた。


「兄さん二人とファルは、ルブルスクにいることが多いわ。さすがに、陛下は国へ戻ることも相応にあるけど……」


「アクセルは?」


「あら? まだ知らなかったの?」


 心底不思議そうにするアスタレーナは、無言でいるネファーレアに視線を向けた。「後で話します」と困ったように苦笑いする妹に、「そう」と短く答え、話題を戻した。


「今日は、ルブルスク王都にいけば、後の皆にすぐ会えるはずよ。あなたが目覚めた特別な日ぐらい、本当は全員で迎えたかったものだけど……」


「それも悪いでしょ。必要とされているところで働いてもらわないと」


「……それもそうね」


 人一倍頑張った身としては、無理に気遣われて問題が起きる方が、よほど心苦しくある。

 さすがに、アスタレーナもそういった意識はしっかりあって、割り切った様子だ。湿っぽさを引きずらないでいる。

 そんな彼女は、天井あたりへ視線を泳がせた後、ふと思い出したように口を開いた。


「リズ、あなたと革命に励んだ友人のみなさんだけど」


「何か?」


「いえ、彼らと一緒に飲みに行くことが結構あってね」


(……ん?)


 どうやら、リズが思っている以上に自由に動けているらしい。他国に詰める王族として、何かと気遣われて不自由があるのではと考えていたところだが。

 ともあれ、アスタレーナにとって、ここでの生活は充実したものらしい。穏やかな微笑を浮かべ、彼女は続けた。


「卓を囲むと、あの革命のこととか、これからの世の中のこととか語らうのだけど……一番話題になるのは、やっぱりあなたのことかしら?」


「ネタにしやすいって?」


「よくわかってるじゃない」


 そういって含み笑いを漏らした後、アスタレーナは妹二人に問いかけた。


「今夜、一緒にどうかしら? もちろん、お忍びで……ね?」



 今や世界中から要人を集める特別な街となったサンレーヌは、そういった歴々のニーズを満たすための受け皿ができていた。

 つまり、人目に煩わされず、コッソリと羽根を伸ばす一時を送れる……お忍び向けの店である。


 とっぷり日が暮れた頃合い、彼女の案内で足を運んでみれば、官庁街近くの閑静な街並みの中、老舗の風格漂うホテルが。


「ここの中にあるの」


「へぇ……酒浸りになってないでしょうね」


「まさか」と思いつつ、冗談半分で尋ねるリズに、アスタレーナは鼻で笑った。


たしなみ程度よ……食べる量は、少し増えたかも」


 とはいうものの、姉妹三人で並んでみると、彼女が一番細身である。「もっと食べなさいよ」とリズは笑った。


 妹を案内するアスタレーナだが、実際に相当の上得意客なのだろう。彼女を先頭にホテルへ入るなり、入口にたたずむ、いかにもといった風情のある老紳士が恭しく頭を下げた。

 その後、彼の案内に従ってホテルの奥へ。エントランスに併設する形のレストランは、内装が黒基調で整えられ、控えめだが温かみのある照明が灯っている。

 そうした中、三人はかなりゆとりのあるボックス席へと通された。


「あまり内密の話はできないけど、そういう話はしないでしょ?」


「そうね」


 個室の用意もあるのだが、そこまですることもないのでは……というのが、三人共通の見立てであった。

 実際、人目をはばかるような事態にはならなかった。

 久方ぶりに会う、あの革命の同志クリストフと、クロード。彼ら二人を始めとする革命指導層に加え、傭兵として参加していたダミアン、マルグリットら。

 いずれも、リズとの再会の喜びを、表情と握手でありありと示しはするが、抱きつくようなところはではいかない。


(ま、そこまでいったらスキャンダラスだし……)


 実のところ、革命指導層は、今ではサンレーヌ都政やハーディング領政に関わる立場にまで出世している。当時の傭兵部隊も、世界中からこの地に要人集まる今、警護として重用されているという話だ。


「まー、食いっぱぐれなくって良かったわ」


 料理をつつきながら、マルグリットがにこやかに笑う。

 ぞれぞれがかつてよりも高い地位を得、それに相応しい振る舞いをするようになった。

 それでも、こうした場ではあまり遠慮なく構ってくれることに、リズはありがたく思った。

 とはいえ、同席するラヴェリア王族が三人ともなると、相応にプレッシャーはあるようだが。

「さすがに、緊張しますね」と、サンレーヌ側で一番立場のあるクリストフが、やや困り気味の微笑を浮かべる。


「俺たちも、結構揉まれてきたと思うんだけど……さすがにな」


「そう?」


 少し落ち着かない様子のクロードらに、リズは優しく微笑みかけた。


「この街に来るのも久しぶりだし……よかったら、あなたたちの口から、色々と聞かせてくれない?」


「……うーん、苦労話が長くなるな」


「そうですね」


 相槌を打つアスタレーナに、苦笑いで応えるサンレーヌの面々。

 さすがに王族相手の遠慮というものはあるのだろうが、決して拒絶感はない。程よい距離感の付き合いができているように見える。


 普段は話す側になることが多いリズだが、この席においては、人に酒を勧めては話を促し、聞き役に回った。三年間寝ていた身としては、特に話すこともないというのもあるが……

 あの戦いが終わった後、皆がいかに世の中の発展に励んできたか。耳を傾けるだけで、大いに満たされる思いだった。



 充実した食事会の後、ちょうどいいからとアスタレーナが投宿する部屋で就寝し、翌日。


「もう行くの?」


「姉さんだって仕事でしょうに」


「それはそうだけど」


 朝早くに発とうとするリズに、アスタレーナは少し名残惜しそうな顔を見せた。


「あなたが慌ただしいのは、いつものことだけど……もう、ゆっくりしていいんじゃない?」


 優しい言葉を投げかけてくる姉を前に、リズはふと、ロディアンであの竜にかけられた言葉を思い出した。


「そうは言ってもね。ご挨拶回りは早くしたいし」


「そう言われると弱いわ」


 困ったような笑みをで応じる姉に、リズはニコリと微笑んだ。「またね」と声をかけ、絨毯の上に魔法陣を展開していく。


「だからって……普通に《ゲート》使わせてもらえば」


「私も言いました」


 苦笑いして答えるネファーレア。「まったく」と短く口にして、アスタレーナは小さくため息をついた。


「次はどこへ?」


「マルシエルのつもりだけど」


「……あなたのお友達なら、ほとんど全員、ルブルスクにいるけど? レア、その辺の話って、まだしてなかった?」


「ええっと、話すタイミングが……」


 二人のやり取りに、詳しい状況が読めないリズだが、悪友連中がルブルスクにいるというのは納得できる話だ。世界は完全に平和になったわけではなく、まだやるべきことが残っているのだから。


(ルブルスク王家からも評価されているでしょうし……)


 もちろん、友人たちがいないからといって、マルシエルへ行かなくても良いわけではない。半分マルシエル国民といっても差し支えないくらいに、あの国とは深く関わってきたのだ。議長への生還報告の必要もある。

 ただ、まずはルブルスクへ寄って仲間たちと合流してから、改めてマルシエルへ向かうのが、色々と手間が少ないかもしれない。


「じゃ、先にルブルスクへ向かうわ」


「そう。行ってらっしゃい」


 にこやかな笑みを浮かべて手を振り合った後、リズとネファーレアの二人は、次元の《門》を越えて姿を消した。

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