第418話 勇者の帰還

 執務室を出た後、リズはネファーレアが待つ応接室へ向かった。合流するなり、「何の話を?」という問いかけが。

 さすがにバカ正直に答えるわけにもいかないが、下手な嘘では勘ぐられる恐れも。それなりに話し込んでいたという事実もある。

 素早く思考を巡らせ、リズは答えた。


「継承競争が正式にどうなったのか、聞いておきたくてね」


「ああ、なるほど……」


 実際には「これからの」継承競争について尋ねていたのだが、取りようによっては嘘になっていない。

 ネファーレアとしても、あえて細かく確認する意味もないのだろう。彼女は深く追及することはなかった。


「それで、この後どうする?」


「ええっと……お姉様に従います」


 今日はこの妹がエスコートしてくれるものと、無意識の内に認識していたリズだが、早くもアテが外れてしまった。

「寝起きなんだから、あなたが案内しなさいよ~」と小突くも、ネファーレアは困ったように苦笑いするばかりだ。


「むしろ、お姉様が私を引っ張るものとばかり……」


「いや、腹案ぐらい……」


 とツッコミを入れるリズだが、「まぁいいわ」とすぐに発言を改めて笑った。


「じゃ、行きたいところへ適当に行こうかしら。付いて来てくれるんでしょ?」


 にこやかに尋ねるリズに、ネファーレアは嬉しそうに顔を綻ばせた。

 以前よりも大人びて見える妹だが、自分の前では実に可愛らしい。自然と顔が優しくなるのを実感するリズであった。



 さて、色々と足を運びたいところではあるが、実際にどこへ行くべきか。王城を出て、人気のない庭園の一角で、リズは少し考えた。


(ま、順繰りでいっか)


 優先順位を考えるのももどかしく、彼女はさっそく転移の準備に入った。3年強という長い眠りの後ではあるが、酷使してきた体が思った通りに応え、魔法陣を展開していく。

 妹とともに飛んだ先は、ラヴェリアを追われて最初にたどり着いた異郷、ロディアンの町である。


 実のところ、この町の皆からどのように思われているものかと、少し懸念もあった。


(世界中に、私のことが知られてるって話だったけど……)


 一応、世界中で魔族が動き出した時点で、あの町の者にはある程度のことを明かしている。

 当時の事を踏まえれば、さほどよそよそしくされることもあるまいが……


「お姉様?」


 やはり、尻込みする気持ちが行動に現れているらしい。普段より歩幅が小さく、控えめなリズに、ネファーレアが不思議そうな目を向けてくる。

 転移先も、遠慮するように町から少し遠目であった。

 それでも、足はまっすぐあの町に向かっている。


 小さくため息をついた後、リズは意を決した。自分自身に踏ん切りつけるように「行きましょう」と口にし、妹の手を優しくつかんで大股で進んでいく。

 町に近づいて視界に入ったのは、町の中心にいる竜の姿だった。ロディアンが魔獣に襲われた際、あの竜がリズの不在をカバーするといった話だったが……


(お気に召されたのかしら?)


 あの竜はもともと、自身が棲まう山への客人を心待ちにしている節があった。町人側には遠慮する気持ちもあったことだろうが、見たところ中々馴染んでいる様子だ。

 そして……どうやら、先方に気づかれたらしい。町までまだまだ距離があるが、リズは竜から向けられる視線を感じた。

 かと思えば、町の中央ににわかに人が集まり始め、顔がこちらに向いてくる。大股で歩いていたリズも、さすがに……


「ちょっと、恥ずかしいわね」


「何言ってるんですか、お姉様ったら!」


 少し歩調を緩めようとしたところ、ネファーレアがかえって活気づき、背中をグイグイ押してくる。

 結局、彼女に押されるようにして町の入口につき、リズの到着を待たずして町人がワッと駆け寄ってくる。

 3年寝ていたリズだが、この町はあまり変わっていない。大きく変わったのは、遊び相手になってやった子どもたちぐらいだろうか。わんぱく小僧たちも、どこか落ち着いて礼儀正しくなっている。


 久しぶりの再会に、心地よい喜びの感情あらわに迎えてくれる町人たち。

 すっかり偉人扱いされているように思っていたリズだが、この町の皆の温かさは何よりであった。

 そうした一行の中から、一人の女性が歩み寄ってくる。メガネを掛けた、若い女性だ。記憶の中の彼女よりも大人びているが、リズには見間違えようがない。


「フィーネさん」


 彼女の呼びかけに、フィーネは瞳を潤ませながら飛び込んできた。無言で抱きしめられ、抱き返すリズの脳裏に、ひとつの疑問が湧いてくる。


(フィーネさんも、私のために命を……?)


 しかし、心に思っても問えるはずもない。真相を知りたくもあるのは確かだが、再び会えただけで十分だ。

 少しの間、静かに抱きしめあった後、フィーネは少し恥ずかしそうに体を離した。


「すみません、つい……」


「いえいえ、いいのよ。今日はこういう日だから……おチビちゃんたちも、遠慮しなくていいのよ?」


 在りし日に比べれば、すっかり背が伸びてしまった子たちに、ニコニコ顔で手招きするリズ。さすがに照れが勝ったのか、ガキ大将だった少年が苦笑いで軽口を叩いてくる。


「まったく、相変わらずで何よりだよ、勇者のねーちゃん」


「ふふ。しおらしくして、ビックリさせた方が良かったかしら?」


「できもしねーくせに……」


 世界的英雄を相手取っての、この憎まれ口。彼の将来に期待する気持ちを覚えつつ、リズは軽く頭をチョップしてやった。

 そんな一幕の後、町人をぞろぞろ引き連れて、リズは町の中央に。


「ご無沙汰しております」


「ふむ。かれこれ3年といったところか」


 久しぶりに言葉を交わす竜だが、感傷的なところは特になく、単に旧友と再会した程度の感覚のようだ。


(ま、スケールの大きな方でいらっしゃるし……)


 さて、声をかけたはいいものの、何を話したものか。ノープランだったリズが考えあぐねるも、幸いというべきか、竜の方から話題を振ってきた。


「世界の現状は、耳にしておるか?」


「ある程度は」


「ふむ。おぬしの眠りを妨げない程度には、世の中うまく回っとるようだのう」


 色々と含みを感じないでもない発言だが、実際、この竜としても思うところはあるようだ。


「ようやく、好きに生きられるようになったのではないか? もっとも、その気になれば、いくらでも首を突っ込む事柄はあろうが……」


 そこでリズは、向けられている言葉の含みを悟った。無言で見つめる町人からの、期待や不安入り交じる視線。


――ここで、平和に暮らしてほしいのでは。


 それもいいなと思ったことは、実際に幾度もあった。母国から追われる毎日の中、煩わしいあれやこれやに悩まされる一方、果たし得ない夢想に心和ませていたものだ。

 ただ……後ろ髪引かれるものを覚えつつ、リズは口を開いた。


「好きにといっても、どうにも移り気なたちですから……結局、野放図に生きることになりそうです」


「そうか。らしいと言えばらしいのう」


「まぁ……たまの機会に土いじりというのもいいですね」


 そういってリズは、周囲を見回した。


「皆さんさえよろしければ」


 聞くまでもないとわかっていながら、あえて付け足した問いかけに、非の声はやはり上がらなかった。



 ロディアンで軽く食事した後、リズは町人の皆に囲まれる中、再び転移した。

 次に向かったのは、ルグラード王国サンレーヌ。ハーディング領における革命の後も、何かと縁がある地だ。

 領都サンレーヌと城を前に、リズは小高い丘から周囲へ視線を巡らせた。


「お姉様。正規の《門》を用いれば良かったのでは……?」


「いや、なんか騒がしくなりそうだし……せっかく元気に起きれたんだから、自分の力を使ってみたくて」


 正直に答えるリズに、「そういうことなら」とネファーレアは表情を柔らかくした。


 ロディアンにおいては、赤子を除く町人全員に面が割れているといっても過言ではないリズだが、さすがにサンレーヌまでは――

 若干の懸念もある中、街へと足を踏み入れるリズだが、彼女の予想通りであった。そこらの町娘同然に思われている様子だ。

 思えば、この地で革命が終われば、その翌年には魔族による全世界での騒動が生じた。住民にとっては気が休まらなかったことだろう。


 ただ、今の街並みは活気づいており、住民が皆いきいきとしている。

 魔族が世界中で動き出した折、この地は大きな被害には見舞われなかった。とはいえ、人類側諸国から要人が集まる、一大拠点という形であの戦いに大きく関わってきた。

 為政者たちにとっても大きな負担だったことだろうが、今の街の様子を見る限り、うまいことやって行けているようだ。

 あの革命を率いた友人たちも、きっと。


 すでに満足を覚えるリズだが、しみじみしながら歩いていくと、徐々に足が重くなっていく。


「お姉様?」


「……いや、あまり騒がしくしたくないっていうか。お仕事の邪魔になるんじゃないかって」


「もう、仕方ないんだから」


 とは言いつつも、「自分の仕事が増えた」とばかりに、ネファーレアは喜び勇んで、遠慮がちなリズを引っ張っていく。

 向かった先は、サンレーヌ中枢にある議会講堂である。


 実のところ、今回の訪問はこの街の旧友ばかりでなく、実姉アスタレーナとの再会を企図したものでもあった。

 しかし……忙しいだろうから、こちらから会いに行くことに決めはしたものの、人前で……という遠慮が今になってわいてくる。


 どうにも煮え切らない感情を胸に、リズは妹ともに講堂内へ足を踏み入れた。

 受付によれば、定常的な会合が開かれている最中であり、少し待てば会が終わるという話だ。

 そこで、ネファーレアはリズの存在を伏せた上で、自身の身分を明かした。ラヴェリア王族の依頼となれば話は早く、応接室で待たせてもらう運びに。


「会が終わり次第、アスタレーナ殿下にお声がけ致します」


「ありがとう」


 余裕のある態度で、職員を見送るネファーレア。それに比べると、今や自分の方が落ち着きが無いように思われ、リズは浮かない顔になった。

 ゆったりとしたソファーに身を沈め、ぼんやりとした視線は天井へ。


「ねえ。姉さんに、何話せばいいと思う?」


「別に、何も言わなくったって……」


「……そうね」


 それからリズは、妹へ視線を向けた。マジマジと見つめるも、ネファーレアの方は不思議そうにするのみだ。


(別に、外してもらう必要なんてないか)


 二人きりにこだわることもないだろう。気にするような姉とも思えない。

 後は、その時を待つだけ。

 レリエルとの面会よりも、よほど緊張しながらリズは待った。早く会いたいような、そうでもないような――


 やがて、ドアが遠慮がちにノックされ、リズはソファからバネ仕掛けじみた動きで跳ね起きた。その様子に、ネファーレアがクスリと笑みをこぼす。


「ネファーレア殿下。姉君をご案内いたしました」


「ありがとう。どうぞ、入っていただいて」


「かしこまりました……では」


 手短なやり取りの後、ドアがスッと開いていき――

 職員の前では自重していたのだろう。ドアが目隠しとして機能し始めた途端、アスタレーナが駆け込んでくる。

 見た目は大して変わっておらず、何なら動きも予想の範疇はんちゅうである。懐かしい温かさを感じさせてくれる姉と、リズはしばしの間、言葉もなく抱擁を交わした。

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