エピローグ
第415話 ただいま
――誰かが呼ぶ声がする……?
暗闇の中、何人もの声を足し合わせたような、聞き覚えはなくとも懐かしさを感じさせる不思議な声が響き渡る。
呼びかけてくる言葉は判然としないが、どこか温かみがあって、それでいて思い詰めたような叫びのようにも聞こえてくる。
響き渡る声に耳を澄ませば、全てを塗り潰す黒い闇に、ほのかな色が灯っていく。黒に呑まれそうな暗い色が、徐々に明るみを増していって――
(いつまで寝てるの?)
自分に向けた声が聞こえた気がして、体が跳ね起きる。
棺の中で跳ね起きたリズは、目を開けて周囲を見回した。
少なくとも、あの世とかそういう場所ではない。見覚えのある、あのラヴェリア王城の庭園である。
どれだけ眠っていたのかは定かではないが、相応の時間は経っているのだろう。彼女は、眠りについた日のことを思い出した。あれは冬の日の夜であった。
一方、今は春を迎えているらしい。おそらくは昼前といったところか。肌寒くはない、心地よい陽気に満ちる中、うららかな陽光が優しく辺りを照らしている。
ただ、あの眠りに入った時とは違う点もいくつかあった。
というのも、当時とは違って棺の上には屋根があるのだ。
(ま、野ざらしってのもね……)
また、眠りについてから棺に被せられたはずの透明の蓋が、どういうわけか無くなっている。起き上がってくるものと期待し、取り外したのだろうか。
そしてもう一つ、気がかりな点が。
リズは棺の横へと目を向けた。
知らない、若い女性がイスに座り、うつらうつらとしているのだ。
年の頃はリズとほぼ同じか、少し上のようにも見える。整った顔立ちは、落ち着いた気品がある一方で、程よく日焼けして健康美も感じさせる。つややかで黒い髪は、肩辺りまで伸ばしたセミロング。
知らないと言い切るのは、早計だったかもしれない。彼女の顔立ちに、リズはどことなく見覚えがあった。
とはいえ、あの時の彼女はもっと色白で、髪はロングだったのだが。
あの後色々とあったのかもしれない。彼女の膝に置かれた本の存在もまた、今まで彼女がどうしていたのかを想起させるもので……
胸に去来した温かな思いに満たされるリズの前で、彼女は「うう~ん」と可愛げのある声を漏らした。
(もしかしたら、私よりもお姉さんになってるかもしれないってのに)
イイものを見たと思いつつ、ニヤニヤするリズの前で、彼女は目を開け――真顔になり、目を見開いた。そして、潤んだ瞳、体が小さく揺れる。
「どちら様?」とイジワルしようかとも思ったリズだが、それはさすがにやめておいた。記憶喪失とでも思われたら、さすがに気の毒だからだ。
もっとも、向こうから名乗ってきたわけではないが……外す気はしない。ここまで骨を折ってきてくれたであろう彼女に、リズはにこやかな笑みを向けた。
「ネファーレア、ありがとね」
この言葉に感極まったネファーレアは、久々に目を覚ました姉に抱きついた。
――今度のリズの体は、しっかりと人の温もりが伝わってくる。
改めて、生者になった自覚を確かにし、リズは小さく言った。
「ただいま」
☆
「……お、お恥ずかしいところを」
「いや、いいんじゃない? 別に」
結局、ネファーレアが泣き止むまでは、相応の時間を要した。これはこれで、かわいらしく思えて良かったのだが……当人としては、やはり恥ずかしいのも本音であろう。
ただ、あまり突っついてやるのもかわいそうなので、リズは控えておくことにした。
さて、積もる話はあるのだが……棺の中では何だからと、彼女は一度腰を上げた。
(それにしても……)
「……何か?」
マジマジと見つめてくる視線に、ネファーレアは不思議そうに首を傾げた。
かつての彼女はかなり細身で、儚げな印象を与えていたのだが……今は肉付きが良くなって人並み程度になったように映る。
試しに、リズは彼女の二の腕に手を伸ばしてみた。
「ひゃっ!」
「おっ? 鍛えた?」
「えっ? ええ、まぁ……」
どうやら、思っていた以上に色々とあったのだろう。詳細を聞くのを楽しみにしつつ、リズは妹を解放した。
例の棺を離れ、二人で静かな庭園を歩いていく。周囲を見ても、他に人影はない。
眠りにつく前、リズの亡骸を政治利用のための見せ物にする――そんな話もあったのだが、そういった観光客は見当たらない。
もっとも、棺を囲む形でちょっとした小屋のような屋根ができていたことを思えば、きちんと名所としての整備はしていたように思われる。
(ということは、私を生き返らせる準備を整えた後、気を利かせて人払いしてもらえた、ってところかしら)
聞けばすぐにわかる話だが、聞く前に自然と思考が巡る。こういう相変わらずな自分がいることに気づき、リズは顔を綻ばせた。
実際、読みは当たっていたらしい。庭園の出口には衛兵が二人ほど。定常的な見張りのようにも見えるが、人払い要員のようにも感じられる。
さて、粛々と任務に勤めているかのような二人だが――近づいてくる気配に振り向き、そして膝をついた。感激に打ち震える顔を目にし、リズは驚きと戸惑いを覚えずにはいられなかった。
「お、おお……殿下!」
「お目覚めになられたのですね!」
「え、ええ、まぁ……おはようございます」
崇敬の念を前に、どうしていいかわからず、妙に礼儀正しくなってしまう。そんな彼女に、ネファーレアが含み笑いを漏らした。
しかし、庭園はある意味、まだ
城内における皆々の反応は、予想して然るべきものであった。それぞれ立場ある存在に違いなかろうが、そんな自身の有り様を忘れたように、いずれもがリズの姿を見るなりひざまずき、心からの敬愛を口にする。
これにはさすがのリズも面食らい、大いに戸惑った。
「なんか、別世界ってカンジだわ……」
周囲に誰もいない回廊に入るなり、つい口からポロッと出た言葉に、ネファーレアがクスリと笑った。
そうして二人が向かった先は、法務部門の区画である。
「レリエルのとこ?」
「はい。諸事情ありまして、説明係はあの子にと」
その諸事情とやらも、すぐに知れることであろう。
やがてレリエルの執務室前につき、ネファーレアがノックした。「お連れしたわ」との声に、すかさず「どうぞ!」と弾んだ声が返ってくる。
それだけでも愛おしさを感じるリズの前で、ドアが開かれ……
久方ぶりに見るレリエルは、ネファーレアほどには大きく変わっていなかった。強いて言えば、少し背が伸びて大人っぽくなったというところか。
とはいえ、大人っぽくなった彼女も、今は可愛い妹の一人であった。居ても経っても居られずといった様子でリズに近づき、両手をギュッと握りしめてくる。
「お姉様、またお会いできて嬉しく思います!」
やはり、感極まった表情で瞳を潤ませ……しかし、ネファーレアと比べると立ち直りは早い。目元をスッと指で拭い、彼女は二人の姉にイスを勧めた。
「どうぞおかけください」
「ありがとう……やっぱ、あなたってタフよね~」
泣き止むまで長かった妹を見ながらの余計な言葉に、彼女はフッと苦笑いした。
「ここに来るまで、お姉様もさぞや大変だったことと思って、自制しているのです」
感情を表に出してくれたのとはまた違う、これも親愛のひとつの形であろう。愛すべき妹ふたりを軽くなでてやった後、リズはイスに腰を落ち着けた。
さて、積もる話は多いが、最初に聞くべきは決まってる。
「私、どれだけ寝てた?」
生き返ったという重い表現を意図的に避けるリズに、レリエルは「3年ほどです」と即答した。
「とはいえ……」
「何?」
「いえ……
「……なるほどね」
言われてリズは、傍らに座るネファーレアに目を向けた。
おそらく、彼女は禁呪を用いてから本当にリズが目覚めるまで、
そう思うと、この妹がなおさらに可愛らしくてならなかった。
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