第414話 おやすみなさい

 大魔王ロドキエル討伐という大目標を達成した人類だが、それで万事解決という訳にはいかない。依然としてヴィシオス国内のほとんどは魔族の手に落ちている。

 また、かの国における情報統制のあり方が、大魔王崩御という一大事の伝播を妨げている。統治者の死をきっかけに反旗を――そういった流れを防げているのは、魔族たちにとって不幸中の幸いといったところであろうか。

 仮に、ヴィシオス全土から魔族を掃滅したとしても、この国と他の諸国の間にあった亀裂が解消されるわけではない。

 人類としては、まだまだやるべきことが山積みなのだ。


 それでも、一つの節目を乗り越えたことには変わりない。未だ戦いは終わっていないという認識はそのままに、大魔王討伐という大業をねぎらうべく、この作戦に関わった者たちの間で、ささやかな祝宴が開かれる運びとなった。

 もっとも、ここまでうまくいくと考えていた者はごくわずかであり、慌ただしく間に合わせで宴を開く格好になったのだが。


 リズがまず参席したのは、ルブルスクで開かれた祝宴である。

 対ヴィシオス最前線の国家ということもあり、大魔王を始末できたことの喜びはひとしおだ。城の大ホールを用いての祝宴は、この戦いを知る者の歓喜で満たされている。

 そうした宴席の中には、かねてよりのリズの仲間たちに加え、彼女の兄弟もいた。

「やや場違い感があるかも」と、グラスワイン片手に苦笑いするマルク。リズの弟妹、ネファーレアとファルマーズもまた、どこか落ち着かない様子であった。


「ふたりとも、これはこれで公務みたいなものだからな。シャンとしておけよ」


 いつになく真面目そうな顔で、ベルハルトが弟妹をたしなめる。リズが見る限りでも、相当量の酒を呑んだり呑まされたりといった様子だが、彼は顔色一つ変えていない。

 実のところ、彼の指摘はまっとうなものだ。今後の展開を考えるならば、この国とラヴェリアが強く結びつくことに大きな意味がある。

 さっそく王様らしいところを見せてくれた兄に、リズは安心を覚えて微笑みを向けた。


「……何だよ、ニヤニヤして」


「別に?」


 わざわざ口にするのも野暮と思い、リズは笑顔ではぐらかした。


 と、そこへ「少々、いいかな」と声をかけてくる一人の青年。ルブルスク第二王子、ヴァレリーである。彼に着いてくるように、後ろにはエリシアの姿も。

 立場柄、この場でも大勢と言葉を交わしたであろう彼は、ようやくフリーになったといった様子であった。やや疲れ気味の笑みを見せている。


「約束、守ってくれたね」


 彼の言葉に、リズは(そういえば)と思い出した。この国を発つ直前、大魔王を倒して茶の一席でも――という約束を交わしていたのだ。

 彼としては、約束を守った形になっているらしい。茶の云々というのは口実で、勝って無事に帰れというのが本音であろう。


(それにしても……)


 一緒にお茶をという約束だったのだが、この現状は。周囲を見回し、リズは苦笑いした。


「二人きりが良かったですかしら?」


 少し意地悪く声をかけつつ、リズはヴァレリーとエリシアへと交互に視線を向けた。色々な含みを感じたのであろう、エリシアが少し頬を赤らめる。

 すると、リズは頭に軽い衝撃を覚えた。脳天にやんわりとチョップを食らったのだ。


「まったく、コイツは……」


 呆れたような笑みを浮かべるベルハルトに、ヴァレリーは少し困ったような微笑を返した。

「相変わらずで安心、といったところかな」と口にした後、彼は少し真面目に表情を引き締め、続けた。


「私と二人きりというのも、もったいないように思ってね。なんというか……」


 そこで言葉を区切り、彼は周囲を見回した。参席する各々が、口々に言葉を交わしているようでもあるが、その実、多くの視線がリズたち一行に向けられてもいる。

 この状況を踏まえ、彼は言った。


「君を独り占めにするのは、贅沢が過ぎるかな」



 実際、今回の作戦成功が知れ渡ると、リズは引っ張りだこの状態となった。世界各所の宴席へと、参加要請が舞い込んだのだ。

 とはいえ、今の彼女に"時間制限"があるというのは、各国指導層には知れた話である。お呼びの声は、実際には「一目でもお目にかけられたら」といった、かなり遠慮したものが大半であった。


 こうした声に答えるのも、仕掛け人としての責任と思い、リズは応諾した。

 彼女としても気がかりだったのは、ネファーレアの力がどれだけ持つかという一点だったが……確証など持ち得ないものの、大魔王を倒してから後一日程度は持つだろうという話であった。

 そこで、大半の国へは顔見せに留めつつ、関わりの深い国へはきちんと宴席に参加することに。ルブルスク以外では、ルグラード、マルシエル――

 そしてラヴェリアへ。



 大魔王を倒してからも、実に慌ただしい時間であった。文字通り、世界を股にかけて盃を傾け、様々な人々と言葉を――

 最後の言葉を交わし合ってきた。


 そうして、残る務めを果たし終え、リズはいよいよ最後の時を迎えようとしていた。

 場所はラヴェリア王城敷地内の庭園である。俗世間から切り離された感のあるこの場所は、夜ということもあって静謐そのものであった。

 彼女の傍らには、最後の見送り役として兄弟七人が付き従っている。いずれも神妙な顔をしており、これから眠りにつくリズ当人としては、強い罪悪感を覚えるばかりだ。


 一行は静かに歩を進め、中庭中央へ向かった。そこにあるのは、透明な棺である。この中で、リズは眠りにつくこととなる。

 見覚えのある棺を前に、どことなく感慨のようなものを覚えるリズだが、彼女の様子を怪訝けげんそうに見つめ、ファルマーズが口を開いた。


「驚かないね……」


「えっ?」


「いや、姉さんのことだから、透明な棺なんて珍しいものを見たら、それなりの反応をするんじゃないかって」


「……確かにな。見せもんじゃねーのよとか、苦笑しながらいいそうなもんだが」


 実際、これが初見であれば、言ってもおかしくないかもしれない。思わず顔を渋くしたリズは、今更取り繕うのにも抵抗を覚え、正直に暴露した。


「ラヴェリア大聖廟へ忍び込んだことがあってね。その時に……」


 と、そこまで何のためらいもなく口にした後、彼女は急に思い止まって口をつぐんだ。

 大聖廟の地下に、こういうものがあると、言ってしまってよかったのだろうか?

 恐る恐る振り返ってみると、法務と祭祀の要人であるレリエルが、何か言いたそうに目を細めて無言の抗議を投げかけ……フッと力を抜いて微笑んだ。


「聞かなかったことにしましょう。ね?」


 こういった点においては兄姉に劣らない圧力のある彼女に提案され、兄弟は皆無言でうなずいた。


「……なんか、ごめんなさいね」


「何も聞いてませんよ?」


 取り付く島もないレリエルだが……彼女は急に、申し訳無さそうな顔になった。


「兄上から先程ご指摘がありましたが、見せ物という側面は確かにあります。この戦いの真相が知れたなら、お姉様に一目でもと、そういった声は引きも切らないでしょうから」


「でしょうね。今日も色々忙しかったし」


「打算的で申し訳ありませんが……お姉様の亡骸をさらすことで、我が国の貢献を知らしめる意図も、ないわけではありません」


 言いづらいでろうことを、こうもハッキリと。誠実にして仕事熱心な妹に、リズは手を伸ばして肩を何度か優しく叩いた。


「寝てるだけで平和のためににらみを効かせられるなんて、願ったり叶ったりだわ」


 思えば、あの大聖廟で眠る大英雄もまた、その亡骸で以って一仕事しているのだ。期せずして同じ道を歩めた事実に、リズは誇らしい気持ちをいだいた。

 それはそれとして――やはり、別れは身を切られるような思いがあるのだが。


 湿っぽい視線に囲まれながら、リズは透明な棺の中に横たわった。

 見上げた空には、満天の星が視界いっぱいに広がっている。実に良い夜だった。


 これから、この棺の中で眠る彼女は……その時を迎える前に、リラックスした姿勢を取ってみせた。腕は頭の後ろで組み、両脚は少し曲げて組み、上になった右脚が棺の縁から少しはみ出る格好だ。


「このままってのは、ダメ?」


「ダメに決まってんだろ」


「せめて、棺の中に収めないと……」


 ベルハルト、レリエル両名からほぼ同時にツッコミが入る。


「お姉様であればお察しかと思われますが、この棺にかけられた魔法は、亡くなった当時の姿を保つ力がありますから……」


「わかってる。行儀良い格好で寝るわ」


 とはいえ、すぐには姿勢を改めないリズ。彼女は星空を見上げたまま、ネファーレアに問いかけた。


「レア、まだ持つ?」


「は、はい……お姉様のご要望がでしたら、まだ持たせてみせます……」


 言葉を途切れさせながらも、健気な言葉を向けてくれる妹に、リズは軽く手招きした。「ありがとね」と柔らかく声をかけ、寝そべったまま手を伸ばして頭を撫で回していく。

 ネファーレアはやる気だが、それでも時間は有限である。リズはフッと息を吐き、遺言を口にしていく決意を固めた。


「継承の儀の時、私や母の名誉回復なんて考えるなって言ったでしょ?」


 誰に向けたでもない、つぶやきのような言葉に、ルキウスが「ああ」と答えた。


「でも……こうなったら隠しきれないでしょ? ラヴェリア一国の一存で決めるわけにもいかないでしょうしね。世界が平和になれるのなら、私の名前はうまく使ってもらえれば、それでいいわ」


 リズ一個人としては、自分の扱いについてさほどこだわりなかったのだが……残される側の心情は、また違ったものであろう。

 彼女の宣言を皆が神妙な顔で受け止める中、アスタレーナが棺の傍らに膝をついた。リズの手を両手でそっと包みこむ。


「約束するわ」


「……姉さんは、もう少し楽に生きてほしいんだけど」


「そ、そうは言われても……」


 リズがこうして命がけで戦ってきた以上、自分も――といった意識があるに違いない。

 それでも、新王陛下に比してかなり重いところのあるこの姉に、リズはなんとも言えない微笑を向けた。


陛下・・ァ」


 妹からのぞんざいな呼びかけに、少し芝居っぽく「申せ」と答えるベルハルト。彼ににこやかな笑みを向け、リズはハリのある声で申し付けた。


「いくら頼りにしてるからって、姉さんに無理させちゃダメだからね」


「……耳が痛いな、まったく」


「ま、ルキウス兄さんがいるから、私はあまり心配してないけど」


 兄弟のまとめ役である長兄も、彼なりに色々と気苦労あることだろうが……彼は「仕方ないな」と、苦笑いながらも余裕のある態度で答えてみせた。

 国や世界のことは、この兄弟たちがいる。他の国に目を向けても、今まで知り合ってきた人々がいる。実のところ、リズはあまり心配していなかった。

 より肝心なのは、自分自身のことである。


――彼女本人にとってばかりではなく、きっと兄弟と仲間たちにとっても。


 最後のお願いを口にする前に、リズは軽くため息をつき、口を開いた。


「レア、私を蘇らせるような禁呪があれば……みたいな話をしてたでしょ?」


「はい……も、もしかして!」


 何か早合点したらしいネファーレアだが、彼女が想像しているものは、半分くらい当たっているかもしれない。妹に少し寂しそうな笑みを向け、リズは続けた。


「もし、そんなものがあれば……とは私も思ってる。だけど、そういう禁呪を求める過程で、あなたに何かあったら……とも思うの。あなたにできる範囲で頑張ってもらえれば、私はそれでいいわ」


「お姉様……」


「あとね……誰かの命を犠牲に、他者を蘇らせるようなネクラな禁呪だったら、使わなくていいから」


「……他に選択肢がなかったとしても、ですか?」


 食い下がってくる妹を目にして、リズは過去のいきさつを思い返した。

 この妹がロディアンで仕掛けてきた際、おそらくは死刑囚であろう囚人に魔剣を持たせていた。

 もう、そのような事をする妹ではないと信じたいところだが……思い詰めてという可能性も否定できない。

 彼女を傷つけないよう、過去のことには触れず、リズはやんわりと嗜め瑠葉に言った。


「犠牲になったのが罪人だろうと、私がスッキリしないの……ワガママかしら?」


 生き返らせるべき対象に、こうまで言われると、返す言葉もないのだろう。音ファーレはただ、「わかりました」とだけ答えた。


 蘇生に関しては、これでいい。あるかどうかもわからない禁呪だが、リズとしては「あればいいな」ぐらいの手立てのために、兄弟に無理させたくはないのだ。

 この件について言うべきを伝え、彼女はついに、皆が見守る前で姿勢を整えた。

「こんな行儀良い格好で眠るなんて、最初で最後だわ」などと軽口を飛ばすも、さすがに笑ってくれる者はいない。

 そんな中、兄弟たちにせめてできることと言えば、本当に生き返る気があること、蘇らせる禁呪を使われた時、その努力を無にしない気持ちがあると示すことだった。

 棺の中で目を閉じ、リズは何気ない口調で言った。


「おやすみなさい」


 すると、彼女は自分の意識が徐々に希薄になっていくのを感じた。

 交わすべき言葉を交わし、これで最期だとネファーレアも腹をくくったのかもしれない。

 あるいは、重すぎる肩の荷がようやく降りたのかも。


 今になって妹にかけていた負担を感じたリズだが、この後も妹には迷惑をかけてしまうかもしれない。

 より正確に言えば、妹の方が何かしらの責任や使命感を覚えて、自分のために動くのでは、と。

 薄まりゆく意識の中、リズはせめてもの悪あがきにと、窮余の一策を講じることにした。かねてより考えていたことでもあるが。意識を集中させ、ひとつの魔法陣を思い描く。

 かつて、ネファーレアによるものであろう呪いをかけられた際、自身に用いた禁呪、《遅滞スロウ》である。

 生前の姿を留めるという棺だが、いっそのこと自分の方でも時を遅らせ、今の自分を全力で留めようというわけである。

 無論、棺との相互効果など知れたものではない。


 しかし、うまくいく保証はなくとも、うまくいくだろうという直感はあった。

 リズは、その直感を――自分を信じることにした。


 徐々に自分という存在が揮発するように感じられる中、外界との時間のズレは感じられなくなる。

 それでいて、自分に働きかけてくる魔法の力はなんとなくわかる。

 意識が広大無辺な闇に飲み込まれようとする、その最後の瞬間が目の前に迫っているはずなのに、いつまでも引き伸ばされてやってこない。

 まるで、寝付けない夜に考え事をするのに似ている。


 意識の消滅という、最期の瞬間を迎えつつあるというのに、それさえもある程度干渉し、日常に重ねて見ている。そんな自分のふてぶてしさに、リズは笑いが漏れそうであった。

 徐々に迫る最期を感じながらも、心は落ち着いている。心に巡るのは、国を追い出されてからの、本当に色々とあった冒険の日々のこと。関わり合ってきた皆々との思い出。

 結局のところ、生き返るための強い目的がなくとも、蘇らせる声にはあっさりと答えられるような気がする。やりとげた満足はある。しかし、それはそれとして――


(また、みんなに会いたいな……)


 最後の最後に思い描いた暖かな思いが胸を満たす中、彼女の意識は黒い闇に呑み込まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る