第10話 はじめてのお仕事①
長老に会いに行くため、エリザベータ――改め、リズは身支度を始めた。
まずは着替え。今のガウン同様に、次の服も宿側が提供する考えであり、彼女は深く感謝した。
提供する側としては、いかにも育ちが良さそうな彼女に不釣り合いではないかと、恐縮する様子を見せたが。
そうして出されたのは、町娘が着るような地味な服だ。
リズの顔には見劣りする感があるのは否めないが、着心地の良さと機能性の高さに、彼女自身は好感触を覚えた。
「仕事着として申し分ありません、ありがとうございます」
「そりゃ何よりなんですが……」
服はともかく、問題は仕事道具の方である。リズの主治医が、横から口を挟んで言及した。
「お持ちだった本、魔導書ですよね? なんだか刺し傷みたいなのがありましたし、完全に水浸しで……」
「使い物にはなりませんね。残念ですが……」
リズが口にしたところ、同行する者たちの多くは、残念そうな顔になった。魔法使いとしての彼女がどれほどのものか、期待していたのだろう。
そうした空気を汲み取り、彼女は表情を柔らかくして言葉を続けた。
「よろしければ、杖か棒の一本をお貸し願えますか?」
「安物でもよければ」
それから、宿の従業員は物置から引っ張り出した棒切れを、リズにおずおずと手渡した。お叱りでも受けるのではないかと言わんばかりの恐縮ぶりで、彼女の顔には思わず苦笑いが浮かぶ。
さて、手にした棒の感触だが……まぁ、普通の木の棒である。女性の手でも余裕で持てる程度の太さ、長さは成人女性の背丈よりも少し短め。
仕事がどれほどのものになるか、未知数な部分はある。
だが、張り切り過ぎなければ、この棒でも問題はないものとリズは考えた。
(ちょっとくらい、いいところを見ていただきたくはあるけど……)
一通りの支度も済んだところで、長老へと会いに行く一行は、宿の外に出た。
この町ロディアンは、農耕と酪農を主軸の産業としている。
町並みは土地を広くゆったりと使う形になっていて、活気があるというよりは、穏やかで落ち着いた雰囲気に寄った印象だ。取り立てて特徴があるというものではない。
しかし、リズにしてみれば、初めて見る異国の町だ。刺激のない町並みですら、彼女には刺激的な新鮮味として感じられる。
また、宿の中からある程度想像できていたことではあるが、町人はどことなく“ふんわり”した気質を持つ者が多いようだ。母国の王都で見られるような、あくせくとした感じや、ギラついた熱気がほとんど見受けられない。
もっとも、どちらが良いとまで断ずる彼女ではない。
ただ、町並みと人々が似合うその様には、不思議と関心の念が沸き起こった。
町の仕切りは腰程度の高さの、木の柵が担っている。やや退屈そうな見張りに、一行の代表が話しかけ、さして確認作業するでもなくすんなりと町の外へ。
こういった、外界との接点のユルさもまた、町の味わいのように感じられる。
(とはいえ……実質的には、外の方が本当の領地ってところかしら)
町の境界線は、おそらくは、仕事上や生活上での区切りなのだろうとリズは考えた。
彼女が考える本当の領地は、町並みの外に広々と存在している。人の手が加わった、緑豊かな田園の連なり。
町の雰囲気はゆったりしている一方で、こちらには、あくせくと働く大勢の人間がいる。
「珍しいですか?」と不意に尋ねられた彼女は、不躾な目をしていたかどうか少し気にした後で、口を開いた。
「都会暮らしでしたので、こういった風景は新鮮です」
「ま、生まれ育ち良さそうですしね」
「そんなに良いものでもありませんわ」
含みを持たせるように、彼女は意味深な笑みを浮かべて言葉を返した。周囲の若者たちは、なんとなくわかったような、そうでもないような、微妙な顔をしている。
実のところ、彼女の生まれ育ちについて、そんなに良いものでもないという自己申告は、色々な意味で相当に控えめな表現ではある。
さて、街を離れてしばらくの間、切れ目なく続く田畑の間を一行は歩き続けた。
そして、リズの目がおおむね道の外に注がれ続ける一方、同行者たちは気遣わしげに彼女を見つめていた。
「大丈夫ですか?」
「えっ?」
「いや、病み上がりなんじゃないかと……普通に動けるようなので、心配いらないかもですが」
「ご心配なく。稼ぎもしないで厄介になり続けたのでは、かえって気が病んでしまいますもの」
リズが朗らかに言い放つと、若者たちは「そこまで言うなら」といった感じで、彼女に向ける心配の度合いを、変化が分かる程度には抑えていった。
確かに、急流下りで水と格闘を続けた彼女の体は、普段よりは疲弊している。いつも通りとはいかない。
だが、それもちょうどいい枷になるかと、彼女は考えた。あまり頑張りすぎても、周囲からは浮きすぎてしまう。多少の旅銀を稼ぐまでは、それを避けたいのだ。
そして、疲労を押してまで動いている理由は、旅銀にこそある。うっすらとした懸念があって、彼女はあの町に長居できないものと考えていた。
(私の現在地、何かしらの方法で特定できているのではないかしら……)
山中での逃亡劇において、彼女はもともと尾行されているのでは……と考えていたが、別の可能性も考えた。偽金の中に潜ませた、金貨状の発信器のように。
仮に、その推測が正しければ、異国の町にいるという状況は、なかなか微妙なところがある。国内の罪人に手を下すならともかく、異国の地で、あまり直接的なことはできないだろう。
現状、次の王位を巡り異母兄弟たちは、彼女の首を失われし
彼らに向けたそういう信頼が、リズの中にはある。
おそらく、標的が異国にいると知ったなら、彼らは相応の準備をして行動に移るだろう。
その準備期間の間に、旅銀を稼いで移動して……追われながらも、何か事態を好転させる手立てを考え、整える。
それが、当面の方針である。相手と違い、組織的に動けない現状、対応する側としてアドリブを重ねていくしかない。
人知れず剣呑な思考を巡らせる彼女だが、ふとした拍子に我に返り、周囲の
と同時に、ちょっとした疑問も。彼女は同行者たちに尋ねた。
「この辺りには、魔獣の類が出現するのですか?」
「たまにですね。月に2,3回ってぐらいですか」
「そんなとこかな。そのたびに多少のケガ人は出ますけど……まぁ、そんなに深刻なことにはならないってぐらいで」
「なるほど……」
穏やかで、戦いとは縁遠い雰囲気の付近一帯だが、そういう機会はあるようだ。
リズがどれだけやれるのかといった点に、若者たちが興味を示していたように見えていたのも、戦いとは無縁ではないからだろう。
そうして歩くこと1時間強。田園の区切りらしき川が見えてきた。川の向こう側には森と、背が低いちょっとした小山。
その川には橋がかけられ――橋を渡ったちょうどその先、森の切れ目、道のど真ん中に、不自然な山状の巨岩が。
「イタズラでしょうか?」と口にしたリズだが、同行する若者たちはというと、微妙な表情を浮かべて首を横に振った。
うち一人が、道を塞ぐそれについて、正体を口にした。
「あれが、『長老』なんです」
「あちらが?」
それから一行は歩を進め、長老の御前に着いた。
その長老は、見上げるほどの大きさを持つ、巨大なリクガメであった。
全高3mほどもあるだろうか。ゴツゴツとした甲羅はヒビ割れ、遠くから見たとおり巨岩のような風貌をしている。
さて、この長老様を相手に何をしようというのか……名付けて扱うあたり、血なまぐさい感じはなさそうだが、それでいて各自は武器を携えている。
果たしてどのような仕事になるものやら――周囲からそれとなく興味や関心の視線が寄せられるのを自覚しつつ、リズもまた、向き合う初めてのお仕事に対し、好奇心で胸を高鳴らせるのであった。
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