第9話 初名乗り
町長との会話の後、エリザベータは立ち上がった。
普段よりも体が重い感じはあるが、身動きするのに支障と言うほどのものはない。
彼女は、町長と共有する懸念事の一つとして、偽金への対応を行うことを申し出た。
これを町長は、ちょっとした
「病み上がりの方を動かすようで、申し訳ありませんが」
「いえ、わたくしどもの不手際ですもの」
それから、町長の案内で、エリザベータは部屋を出て階下へ降りた。
この建物は街の宿屋である。珍妙な客に引き寄せられたのか、エントランスには昼間から見物客が多い。特に若者が。
下に降りるや、亭主に声をかけた町長は、偽金を広げてあるという部屋にエリザベータを案内にしようとした。
しかし、彼女は町長に耳打ちし……それを受け入れた町長が、事態をソワソワした様子で見守る観衆たちに告げた。
「みんなもついてきなさい」
そうしてぞろぞろと一行が入ったのは、偽金という事前情報が無ければ――いや、それがあっても、逆に壮観な一室であった。夢はまるでないが。
大きなテーブルの上にはびっしりと金貨が並べられ、それを囲うように実直そうな男性が三人、女性が二人。
おそらくは、町長の言う信用のおける人間として選ばれた者であろう。見張りたちは町長に頭を下げ、その後、エリザベータにも軽く頭を下げた。
さて、部屋に入ってきた若者たちは、初めて見るであろう金色の輝きを前に、興奮を通り越して言葉を失っている。
話の流れを掌握するには、もってこいだ。町長は人を用事に遣わせつつ、事のあらましを告げた。
とはいえ、いきなり「これが全部偽金」と言われても、信じない者はいることだろう。貴重な甘味を独り占めにしようと、それを毒薬だと言って
そこで、エリザベータが歩み出て、偽金の見分け方を解説する運びとなった。
町長の遣いが持ってきた、正規のラヴェリア金貨一枚と天秤を机に置き、彼女は講釈を始めていく。
「さあさあ、近くによって御覧になって。偽金の方は、細かい部分が潰れているでしょう? それに、色もややくすんでいます」
実際、横に並べて指で示されれば、素人目にもそれとわかる差があった。「へえ」だの「ほう」だの、感心の声を上げる町人たち。
金色の上に映える、エリザベータの白く細い指先に、何を考えたのか頬を染める奴もいるが。
偽金を暴く極めつけは、天秤である。片側に正規の金貨、もう片方に偽金を置くと、天秤はすぐに正しい側へと傾いた。
「御覧の通り、正しい物の方が重くなってますわ。天秤には金の重みがわかるのね」
エリザベータの冗談に、若者中心の観衆はちょっとした笑い声を上げた。
そんな中から、一人の青年が手を挙げ、彼女にややためらいがちになって疑問を投げかける。
「もし、その偽物を使ったら……っていうか、バレたら、どうなります?」
「極刑ですね」
「きょっ」
「ラヴェリアへの反逆罪になります。他の国でも、通貨偽造は大罪でしょうけど……ラヴェリア相手の反逆が、一番重い罪になるでしょうね」
怖じる聴衆を前に、国から追われる身の彼女は、他人ごとのように涼やかな口調で言った。
こうして偽金の講習が終わると、聴衆たちの態度が一変した。
最初はテーブルの上に広がる輝きに、少なからぬ興味や憧れが注がれていたのだが……今や呪物でも見るが如しである。
ラヴェリアの名を用いた脅しが、相当効いたのだろう。
この様子では、この町で偽金が使われる心配もなさそうだ。エリザベータは人知れず、内心でホッと安堵した。
ただ、彼女にはまだまだ重大事がある。去りかけの聴衆を引き止めるように、彼女は口を開いた。
「お時間がある方、よろしければお待ちいただけませんか?」
すると、観衆は立ち止って部屋に入りなおした。
偽金にまつわる彼女の冒険劇は、町長の口からすでに語られている。どこまで信じたかはともかく……何かしら、特別な人物だとは感じたのだろう。観衆は興味ありげな目を向けている。
それに、なんといっても彼女は美人である。
そんな、誰もが羨む美貌の彼女は、あっけらかんとした様子で自身の情けない現状を公表した。
「こちらが、私の全財産です」
そう言って彼女が指さしたのは、テーブルいっぱいの偽金である。
この全財産の価値をどのように算定するかは人それぞれだろうが、彼女は続けた。
「人生何回分かしら」
これを血なまぐさいジョークと受け取った者からは、盛大な笑い声が上がる。
一方、心底心配そうにする者も。
そんな中、落ち着いた様子の若者が声を上げた。
「実質、文無しってことですか?」
「ええ、お恥ずかしながら。そこで、今後の旅銀を稼げればと……何か私でもなしえるお仕事をご提案いただければ、大変ありがたく存じます」
そこで、町人たちは互いに顔を見合わせ……すぐに、判断材料の少なさに気がついた。
「お姉さん、何か特技は?」
「そうですね……人並み程度の技量ですが、剣術・棒術・杖術・槍術、それと弓術に拳術……」
「物騒っスね……」
「ええ、イヤになっちゃう」
苦笑いした彼女は、和やかな聴衆の反応を認めてから、言葉を続けた。
「後は魔術に……家政術ってところですかしら」
どれだけ真に受けたかは定かではないが、町人たちは彼女へ興味有りげな視線を続けてはいる。彼女としては、良い傾向だ。
さらに、彼女にとって幸いだったのは、この宿という場所だった。恰幅の良い宿屋の亭主が、観衆から歩み出て声を上げる。
「武器の扱いができるってんなら、ウチで斡旋できる仕事がありますよ」
「……こちらの宿屋で、そういった話を扱っていらっしゃるのですか?」
すると、よそ者である彼女の事情を察してか、亭主は簡潔に説明した。
曰く、急を要さない困りごとは、まず町役場へと集められる。そこで情報を集積、町の人手や予算を勘案の上、ものによっては宿屋へと委託。
そして、この宿屋で、外からやってきた旅人などに仕事を紹介するというわけだ。
宮廷の外の世界については伝聞や書物でしか知らないエリザベータにとって、こういった実世界の生の話は、新鮮で楽しくもあった。
一方、この程度の常識・習慣でも興味深そうにうなずきながら聴く彼女に、町人たちのいくらかは奇異の目を向けている。
話した当人の亭主は、むしろ彼女に対して好印象を得たようだが。
さて、システムが分かったのはいいが、今ひとつ勝手や加減がわからない部分はある。どういった仕事があるのか以前に、エリザベータとしては、どこまで力を出して良いものかという問題も。
そこで、町長が割って入って助言を入れた。
「確か、今期はまだ『長老』の元へ行ってないのでは?」
「ああ、そういやそうだっけな。それなりに人手がいるから、後回しにしてたんだが……」
長老というフレーズに耳を動かしたエリザベータ。彼女は亭主の返事の後に言葉をつないだ。
「私も、ご挨拶に伺った方が?」
すると、町人たちの何人かが含み笑いを漏らした。「挨拶を聞いてくれりゃなぁ……」と、やや困り気味に言う者も。
結局、エリザベータの初仕事は、その長老への訪問ということに決まった。
「ただ、結構骨が折れる仕事になると思うんで……片付かなかったら、そんときゃそん時ですわ。あんま気にしないで下さい」
「はい。微力を尽くします」
仕事が決まったところで、人手が必要ということもあり、その場で参加者を募る流れになった。
ただ、普段よりも希望者が多いのか、上がった手の数に亭主は少なからぬ驚きを示した。町長も似たようなものである。
それだけ、エリザベータに興味を持つ者が多かったということだ。
この場の雰囲気から、自身の立ち位置を察した彼女は、慣れない感覚に少し戸惑いと……ワクワクするような高揚を覚えた。
さて、参加者の選定も済み、後は身支度をして仕事へ……というところであるが、亭主は歯に何か挟まったような顔をした。何か忘れていることを思い出しているような。
やがて彼は、口を開いて尋ねた。
「ところで、お名前は?」
「あら……大変失礼いたしました」
生まれて以来、悪い意味で有名人だったエリザベータは、人に名乗るという機会がほとんどと言っていいほどになかった。
――というより、名乗るほどの名と思うこと自体が、異母兄弟の大半からは無礼と思われていた。
幼くも強大な力を持つ彼ら王族に、周囲の廷臣も迎合し、エリザベータという名を口にするのもはばかったほどだ。
そのため、自己紹介という行為一つにも、内心で少し戸惑うものを覚えつつ、彼女は落ち着きを保って口を開いた。
「エリザベータと申します。家名については……面倒な事情がございますので、ご容赦を」
「ああ、それはもちろん」
「リズ、あるいはリーザなどと呼ばれていました。よろしければ、そのように」
無論、呼ばれていたというのは嘘である。彼女を愛称で呼ぶ者など、生まれて以来皆無であった。
しかし、これまで愛称で呼ばれた試しがないという事実を、彼女はむしろ好ましく思った。さほど愛着のなかった自分の名も、新天地で血が通ったものになるのなら――
今まで以上に、自分のことを好きになれるかもしれない。
結局、町長や亭主を始めとする年配は、愛称で呼ぶことをためらった。
一方、若い連中には、遠慮を見せる者もいたが……
「リズさん」
「はい」
だいたいは、彼女のことを、新たな名で呼ぶことになった。
この新たな名の響きを、彼女は予想以上に気に入った。
(もう、今後はこちらで通してしまおうかしら)
……と考えるくらいに。
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