第8話 どんぶら娘

 つややかな緑が染め上げる、のどかな田園地帯。緩やかな起伏がまばらにあるその中で、一人の牧童が低い丘陵の上に立った。

 彼は別段の目的があって、そうしているわけではない。単に少し見晴らしがよいからと、付近一帯を歩く時はそのようにしているという、日課のような習慣だ。

 草原を駆け抜ける風が、揺れる草の波に形を残し、しかしすぐさま消え去っていく。

 慣れ親しんでも飽きることのない風景を、彼はぼんやりと眺め、心地良い春風をその身で味わった。


 ひとしきり自然を楽しんだところ、彼は川の方にも目を向け……

 仰天して腰を抜かした。

 蛇行する幅広な川は、日の光を受けてきらめいている。それだけ見れば、これもまた美しい光景ではあるのだが……

 川に何かが流れている。人らしき大きさの、人のような形の何かが。

 少年は戸惑い、周囲を見回し、誰もいないことを思い出した。

 やがて、覚悟を決めた彼は――



 柔らかなものに包まれている感触を覚えたエリザベータは、目覚めてすぐに、何者かに保護されたことを察した。

 宮殿に比べれば、この部屋の天井は低いが、かつての自室に比べれば広い。

 それに、心地よい温もりがある。落ち着く色合いの木材でできた天井と壁、家財道具も似たような材質。値が張るものではないだろうが、周辺の雑貨と同様に空間と溶け込み、居心地の良い雰囲気を醸し出している。


 そして、この場にいる他の人間もまた、部屋の雰囲気に似つかわしい素朴さがある。

 エリザベータが目覚めたことに気づき、彼女が寝かされたベッドに駆け寄る三人は、それぞれ安堵や心配を顔に出した。


「あ~良かった、気がついて! お加減大丈夫ですか?」


「もう少し落ち着いて」


 この中では一番地位があると思われる初老程度の男性が、慌てた様子の女性をやんわりと優しくたしなめた。

 すると、白い厚手のローブをまとうその若い女性は、恥ずかしそうに咳払いした後、改めて問いかけた。


「お加減、どうですか?」


 声を向けられ、エリザベータは脳裏でそれまでの小旅行を思い出しつつ、全身の感覚に意識を傾けていく。


「全身の節々に軽度の痛みが……倦怠感もあります」


「そ、それだけですか?」


「そうですね、他には……」


 エリザベータが言葉を続けようとしたところ、布団の中から、彼女の腹の虫が現状を訴えた。


「……厚かましい限りとは思いますが、何か食べ物を恵んでいただければ……」


「ちょっと待っててくださいね」


 ローブの女性がにこやかに笑って答えると、それまで黙っていた少年が動き出し、部屋の外へと消えていった。

 やがて、軽快な足音を立てて戻ってきた彼の手に、湯気が立つ両手大ほどの器が。


「どーぞ、召し上がれ!」


「ありがとうございます」


 ベッドから上半身を起こしたエリザベータは、手触りの良い木製の器を受け取り、スプーンでかき混ぜてみた。

 根菜類をクズグスになるまで煮溶かしたと思われる、ベージュ色のボタージュだ。実もバランスよく入っている。野菜や肉類がコロコロと。それぞれの大きさが揃えられていないのは、作り手の性格によるものだろうか。

 ともあれ、中々美味しそうではある。どことなく、三人が心配そうに見守る中、エリザベータはスプーンを口に含んだ。


「どうです?」


「おいしいです。それに、温まりますね」


「そうですか、良かった」


 朗らかな笑みを見せる女性に対し、エリザベータも自然な笑みで返した。

 これまで雑草や獣肉主体だったエリザベータからすれば、久しぶりに食べる人間的な料理である。そういった事情抜きにしても、心安らぐ気取らない料理であり――

 ふと窓の外を眺めた彼女は、ポツリとこぼすように言った。


「いいところですね」


「えっ、いやぁ、何もありませんよ~」


――実際には、何もないところに、何かが来てしまったというところであろうか。

 皮肉めいた考えが脳裏に浮かんだエリザベータだが、彼女は黙って食事を続けた。


 食事を終えたエリザベータは、頭を下げて礼を示した後、見守る三人に目を向けた。

 さあ会話……というわけでもなく、どことなくソワソワした雰囲気が漂っている。

 そこで彼女は、まず少年を、丁寧に指を揃えた手で指し示した。その所作に少し驚き、やや勢いづいて背を真っ直ぐにする少年。

 彼の反応に微笑ましい笑いが起きる中、エリザベータは言った。


「第一発見者さん」


 言葉に対する少年の反応は、見るからに、言い当てられたことを示すものだった。

 続き、滑らせるように手を動かし、ローブの女性を指し示して……


「主治医様」


「あ、あら~、やだ、そんな、うふふ」


 女性は照れ臭そうにはにかみつつ、かすかに身をよじった。やや持ち上げたような表現を気に入ったようだ。

 最後に、エリザベータは、一番立場が上と思われる男性を指し示し……


「偉いお方」


「ざっくり!」


 冗談めかした物言いに、少年が正直な感想を覆い重ね、朗らかな笑い声が続く。

 少しして場が落ち着いた頃合いに、その偉いお方が口を開き、改まって身分を名乗った。


「私は、この町の町長です」


「町長様。保護を受けておきながらの先程の物言い、失礼にあたるかもと存じますが……無知ゆえの戯言とご容赦いただければ」


 かしこまった後、エリザベータはベッドの上で、深く身を折り曲げて陳謝した。

 一方、三人には思わぬ行動のようで、いずれも大なり小なり戸惑いを見せている。

 さすがに、町長は落ち着きを保ってもいたが。彼は二人に穏やかな表情を向け、「少し話があるから、下がりなさい」と柔らかな口調で言った。

 町長の指示に対し、少年は興味ありげな視線をエリザベータと町長に向けながらも、素直に応じた。

 ローブのお医者様は、部屋に残る二人に深々と一礼。空になった昼食の器を携え、部屋を後に。

 こうして町長と残る形となったところ、エリザベータが先手を打った。


「いくつか、お伺いしたいことが」


「何でしょうか」


「まず……着替えまでご手配いただき、ありがとうございました。他にも荷物があったことと存じますが、そちらは?」


「はい。着ていらした服とともに、日にさらして乾かしているところです」


「あの、旅銀が入った袋は……無事でしたでしょうか?」


 リュックサックの中にしまっていた金貨袋は、まず間違いなく紛失はしていないはずである。

 だが、疑いの目を向けるような表現を避け、彼女はあえて川で「無くした可能性」をほのめかす表現を用いた。不安をそれとなく表に出す顔で。

 すると、やや気まずさを感じさせる沈黙の後、町長は「それは見ましたね」と返した。


(おそらく、中もご覧になったわね……)


 今、こうしてお世話になっている身のエリザベータとしては、町長を名乗る男性の物腰が気にかかるところであった。

 先の二人とのやり取りと雰囲気から察するに、当たりの柔らかい人物ではあるのだろうが、よそ者でその上若いエリザベータに対して、妙に腰が低い。

 そして、あの金貨袋を見たとなれば……エリザベータのことを、何か特殊な立場の者と見たのではないか、と。

 会話の切れ目に思考を高速回転させるエリザベータは、続く流れをシミュレートし、あまり間を置かずに口火を切った。


「中身は、御覧になりましたか?」


「はい……間違いが起きぬよう、それなりの地位にある者を集め、数をあらためました。信じていただけるものかどうかは」


「いえ、いいのです。アレ自体が間違いの産物ですので」


 かぶせるように口にしたエリザベータに、いぶかむような視線を投げかける町長。

 続く「偽金ですの」という、あっけらかんとした告白には、愕然として腰を抜かす彼であった。

 これを演技でないと見たエリザベータは、偽金を持っていた理由を口にした。この場で考えたものだが。


「さる貴族の、犯罪の証拠として押収したものですが、告発の前に同僚が裏切り……逃走の末、急流に飛び込んで……後はご推察の通りです」


「さ、左様でしたか」


 恩人に対し、ウソをつく抵抗感を覚えたエリザベータではあるが、正直に言ったところで誰が信じるだろうか。

 それよりは、信じてもらえるウソで事を収めるのを選んだ。

 幸い、町長の方から追及するような言葉はない。エリザベータは、念のために言葉を重ねた。


「もしかすると、川の流れに乗って、何枚か散らばっているかもしれません。この辺りで拾っても、決して使わないよう、お触れを出していただけませんか?」


「そうですな……今日中にでも。正式な金貨との比較で、偽物の特徴を示せば」


「はい、それがよろしいかと……それにしても、お手を煩わせてしまい、申し訳ありません。ですが、拾い物でご不幸が起きては、あまりに忍びありませんので……」


「いえ、お気遣いありがとうございます」


 実際、面倒に巻き込んでいる自覚と、世話になっている負い目のある彼女は、この辺りの住民のことを案じていた。

 また、この地の民が所持金をかすめ取ったという、疑いの目を向けたくもなかったし、そういう目で見ていると思われたくもなかった。

 偽金を巡ってのトラブルなど、つかまされた彼女としては、あまりにもバカげている。

――いつかの意趣返しにと、偽金を捨てられない彼女にも非はあるのだが。


 とりあえずのところ、この町の中において偽金周りで苦労することは、おそらくないだろう。彼女は安堵し……一つ思い出した。


「今更な話ですが」


「何でしょうか」


「こちらは、どこでしょうか?」


 すると、真剣な話続きで緊迫感のある顔をしていた町長は、虚をつかれた後に破顔一笑した。


「お伝えするのが遅れましたね。アルレフィム王国サンプール領、ロディアンという町です」


 アルレフィムというと、ラヴェリアとは山河で隔てられた隣国である。

 その名を聞いた彼女は、地図をイメージするとともに、あの逃避行を思い出して苦笑いした。

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