第7話 不毛の山脈④
「なにやってんだ、お前ら!」
エリザベータに向けた時よりも、はるかに強い怒気を込めて声を張り上げる隊長だが、斜面を登る四人が止まる気配はない。
一人は首筋に刃物を突きつけられ、もう一人は人質の背に隠れ、じりじりと斜面を上っていき……そんな二人組が、両翼から2ペア。
これまで容赦のない攻めを見せていたエリザベータだが、この蛮行には手を下さないでいる。
他方、他の隊員たちは、攻撃が止んだこの機に立ち上がった。悔しさや恥で顔を強く歪めながら、ぞろぞろと斜面を上がっていく。
この異様な光景と状況に、隊長は強く歯ぎしりした後、盾の構えを解いて標的と正対することを選んだ。
すると、沈む夕日が茜に染める中、静かに
目が合った瞬間、彼の心が空白になり……エリザベータの口が開いて、時が動き出す。
「私のこと、よくご理解いただけたようで何よりだわ」
呆れたような、感心したような……それでいて侮蔑の念も感じさせる、複雑な苦笑いを浮かべた彼女は、言葉を続けていく。
「私の弱点は、人を殺せないことよ。ま、単にやりたくないというだけのこと。それに、自殺までは止めはしないわ。不愉快ではあるけどね」
「勝手に死ぬなら止めない」といった含みのある言に、登坂を続ける四人は一瞬震えた。首元のナイフがかすかに触れたのか、抑えられた悲鳴が兵たちの耳を打つ。
そんな一幕があったものの、気を取り直したように、四人の兵は命を盾にし斜面を登っていく。
やがて斜面を登り終え、彼らは平らな天辺に至った。
が、突きつけた刃のみでは飽き足らないとでもいうのか、彼らはさらに歩を進め、切り立った断崖の端の方へ。
すると、彼ら四人に冷ややかな目を向けた後、エリザベータは軽く首を横に振って深くため息をついた。
「自殺
呆れよりは、むしろ優しさを感じさせる声音で彼女は言った。
その後、飛び降りをほのめかす男たちを、彼女は心底煩わしそうに手で追い払った。
しかし、その場を定位置と決めたようで、男たちは動かない。
彼らの有様に軽く鼻を鳴らしたエリザベータは、結局、死に物狂いたちを好きにさせた。彼ら含む兵たちが事態を静観する中、彼女自身は――断崖の方へと後ろ向きに歩いていく。
背にした崖のギリギリに立った彼女は、両手を広げた。茜の空を背負う十字を、兵たちは声もなく、ただ見つめている。
すると、エリザベータは出し抜けに笑って言った。
「メソメソといじましく、生きるも死ぬも哀れで汚らしいお前たち。私が死ぬお手本ってものを見せてやるわ」
その、あまりに勇ましい態度に、兵たちからは返す言葉もない。
……が、彼女は飛び降りず、何かを思い出したような顔になった。
「最後に一つ、お願いがあるの。いいかしら」
「聞くだけ聞きましょう」
口を開いて応対するだけのことにも、強い抵抗感を覚えつつ、隊長は答えた。
彼に向けてエリザベータは微笑みかけ……すぐに、他の下々へと挑発的な笑みを浮かべて朗々と言い放つ。
「今日のこの光景、目に焼き付けておきなさい。王都に戻ったら、画家に描かせて飾りなさい。これこそ国賊の末路、そして、輝かしき祖国の勝利の図だとね!」
彼女の表現とは裏腹の皮肉な状況に、兵たちは打ちひしがれ、失意の中に沈んだ。
一方で、隊長の中には、かすかな違和感があった。それが思考とともに、少しずつ形を成していく。
笑いながらの戦いに、享楽的なものを感じ取れはしたが、一方で殺しをしたくないというのは本心だろう。
自分のせいで死なれるのを避けたいというのも、本音のように思われる。
――だが、本気で死ぬつもりだろうか。いや、死ぬのが怖くないのかだとか、そういう話ではなく……
飛び降り程度で死ねるのか?
やがて、多くの視線が釘付けになる中、ついにエリザベータは行動を起こした。やや弾みをつけて後ろに跳ね飛び、背から身投げする形に。
その時、隊長は矢のように駆けだした。見届けなければという思いから、彼はそうした。
追い詰めた罪悪感などというものはなく、本当にこの程度で死ぬものかと。
斜面を駆け上がり、醜態をさらす部下を一瞬にらみつけ、彼は断崖の方へ。後もう少しで、先端につく。
その時、彼の脳裏と全身に走った悪寒が、彼に剣を抜かせて構えさせた。
駆けていく勢いを殺しつつ、断崖の下を覗き込もうとすると――彼の顔目掛けて《
衝撃に大きく身をのけそりぞうになるも、腹から込めた力でふんばると、下からは矢の嵐。
1発1発の威力は軽いが、それは相手の疲労が原因と言うよりは、一種の挑発のように感じられた。
そして、エリザベータが落ちていくその先には、この山脈を削り続けてきた激流が見える。
落下までの距離はかなりある。そもそも、人の身を委ねられるような流れでもない。
しかし、隊長の目には、単なる逃走経路としか映らなかった。
☆
断崖の上にいる男は、向けられる《魔法の矢》を、見事な剣さばきで打ち払い続けている。バランスを取りづらいであろう体勢にも関わらず。
それを可能にする、鍛えられた肉体や技芸もさることながら、こんなになってまで闘志を絶やさない精神面のタフさに、エリザベータは確かな敬意を抱いた。
もっとも、気を向けるべきはもっと別にもあるのだが。
左手で攻撃を続ける彼女は、自身の背に隠す形で、右手から魔法陣を展開していた。空間系に属する魔法の一つ《
右手で維持するそれとは別に、指先から飛ばした魔力の線で、水面までの距離をおおざっぱに計測。
彼女は崖上の男とやり取りしつつ、次の動きのタイミングを計っていく。
大きなリュックサックを背負っているおかげで、これがクッションになる可能性はある――
だが、彼女が本気で心配したのは、むしろ荷物がダメになることである。これからも逃亡は長く続くのだから。
それこそ、彼女が死ぬまでは。
やがて彼女は、次の行動に移った。上に向けた攻撃をやめ、左手も後方へと向け、大出力の魔弾を一射。衝撃で舞い上がった水が柱となって、落下する彼女を包み込む。
夕闇濃くなりつつある今なら、彼女が落ちたことによる水柱との誤解を招くことができる……だろうか?
(うーん、あの人には通じないかも……)
思わず身を縮めてしまう冷水のお迎えに包まれながら、彼女は、なおも視界の先にいる男の姿を認めた。
死んだと思わせるには、まだまだ色々と努力が必要そうである。
激流に飲まれた彼女は、わずかな間に大きく息を吸い込み、相当な時間は水中に身を潜める決心を固めた。
そして、川下りの間は外に出ない腹積もりも。
こうなると、水中の両岸までもが牙をむき、一時の油断もならない状況になるが……相手を変えての連戦に、エリザベータは沸き立つようなものを覚えた。
母国、それも世界最強の大国が敵に回ったのだ。この程度の激流、相手として何のことがあろうか。
☆
エリザベータが川に落ちるところまでは見届けた隊長だが……やはり、あれで死んだようには思えない。
彼にとって都合が悪いのは、仮に相手が死んだとしても、日は沈んでいく上にあの流れの速さでは、亡骸の確認もままならないことだ。
となれば、この部隊の出る幕ではない。本当に、事態が自分たちの手を離れた実感に、彼は全身の力が抜け落ちる思いだった。
そして、今も生かされていることを、彼は幸運に思った。
それが、力持つ者の気まぐれやわがままか、あるいは形を変えた慈悲によるものか……いずれにせよ、見逃されたような恥を意識せずにはいられないが。
彼は気を取り直し、断崖から腰を上げた。
だが、部下たちがいる斜面の方は、
盾はヘこんでひしゃげ、砕かれてさえいるものも。槍は磨かれた新品の如き穂先が、むしろ哀愁を漂わせ、柄は無残に折れたり千切れたり。弓も杖も同様である。
そして、武具以上に折られたのは、兵の方かもしれない。耳を澄ませば、心地良い山風の音に混ざって、すすり泣きの合唱が――
「メソメソしてんじゃねえ!」
隊長は激怒した。普段は見せない態度に驚く部下たちへ、彼は軽い咳払いの後、和らげた口調で指示を出していく。
「作戦は失敗。負傷の確認が済み次第、撤収する」
彼の命令に、部下たちは不揃いに「了解」と返した。当然のように、声には張りがない。
大列強の精兵にして、この意気消沈ぶりである。
今回の作戦について、失敗してもその責を問われない性質のものではあった。
なにしろ、標的の情報には謎が多く、特に実戦能力については、国家上層部も掴みきれていない。
ゆえに、何かしら情報を得られれば上等、命を果たせれば
むしろ、この苦戦ぶりを耳にすれば、心からの
賞罰はともかくとして、隊長は部下たちの今後に、暗い気持ちを抱かずにはいられなくなった。立ち直るまでにどれだけかかるか、いや、そもそも何人立ち直れるか。
かつてないほど動きの悪い部下たちを目に、
あの、けたたましくも勇ましい敵が去った空は、ただただ暗い。
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