第6話 不毛の山脈③

 事態は隊長の懸念通りのものとなった。

 撃ち込んだ魔法使いたちにとって幸か不幸か、《火球ファイアボール》の列はエリザベータの足元に届きもしなかった。標的向けて殺到したそれらは、踊り場と斜面の境目あたりの空中で、仲良く一直線に爆ぜて散る結果に。


「第二射!」


 と隊長は後ろに叱咤し、やや遅れて列なす《火球》第二陣が放たれた。

 物量で押せばという望みが、わずかばかりにあるとはいえ、隊長の目論見はまた別にある。

 観察し、情報を持ち帰らなければならないのだ。

 巻き込まれない程度の距離しか離れていない《火球》の群れを、彼は凝視し続けた。

 結局、第二射も帯状の何かに阻まれて散ったところで、隊長は手勢に向かって声を張り上げた。


「系統を散らせ! 火炎だけではだめだ!」


 魔法の始まりは自然の模倣にあるとされ、魔法の分類法としてポピュラーなのが、自然現象をモチーフとするものである。火炎、水、風、雷のような。

 こうした魔法の各系統には、相性や相互作用があり、特定系統に対して有効な専用の対抗手段というものもある。


 エリザベータが、そういった専用の対応を用意して可能性はあると、隊長は考えた。宙で阻まれて爆発した《火球》たちだが、その火勢が弱かったからだ。

 もしかすると、彼女には見抜かれていたのかもしれない。《魔法の矢マジックアロー》でダメなら次は《火球》と。そう推測して待ち構えていた。

 あるいは、《火球》の飛来を見てから対応したという可能性も――


 いずれにせよ、エリザベータは火炎向けの対抗手段を用いていると考えた隊長は、別系統も交えての攻撃を命じたというわけだ。

 火炎が一番わかりやすく、使いやすい攻撃系ではあるのだが……効かないのでは、どうしようもない。


 しかし、系統を散らして色とりどりの炸裂弾を放つも、それは力の差を露呈するだけに終わった。

 相も変わらず魔法をせき止められた隊長は、標的を守る防壁が、特定の系統に合わせたものでないことを視認した。

 展開されている魔力の防壁は、ごくこくありきたりな初歩の魔法、《防盾シールド》だ。

 これは、魔法使い一年生の必修ともいえる初等魔法だ。魔力の爆炎を伴う《火球》をせき止めるには、やや荷が勝ちすぎるが……標的はその弱い壁を、幾重にも重ねて展開している。

 つまり、ただ単に、物量に物量で対抗しているだけなのだ。


 そして、恐ろしいのは、魔法陣の書き方である。

 勇敢にも炸裂の瞬間を注視していた隊長は、爆ぜ散る魔力が《防盾》の魔法陣へと流れ、書き込まれていくように感じ取った。

 つまり、術者の手を離れて飛んだ《火球》が爆散するなり、エリザベータは、その飛び散った魔力をも巻き込む勢いで、新たに魔法陣を書きなぐっているわけだ。

 それも、役目を果たして消えゆく《防盾》の魔法陣が、完全に消えてしまう前に上書きする形で。

 例えるならば、戦いが終わったばかりの敵の敗残兵を、号令一つで糾合し、次なる連戦の最前列で戦わせるようなものである。


 あまりにも、格が違う。


 隊長のみならず、魔法使いたちも、力の差を痛感したようだ。攻撃の勢いが、にわかに弱まっていく。

 そして、お互い見計らったように、不意に攻撃が止んで静寂が訪れた。


 背に夕日を負うエリザベータは、矢を完全には避けきれなかったようで、服にはところどころ損傷がみられる。加えて、白い布地に朱色の線も。

 だが、そうした有り様は、隊長の罪悪感を引き起こしはしなかった。

 彼はむしろ、エリザベータが立つ踊り場に刺さった矢の本数に戸惑った。


(あれだけ撃たれて、なぜ生きていられるんだ?)


 別に、彼女は生存だけに注力していたわけではない。それは盾持ちの兵たちが大声で主張することだろう。戦闘開始以来、彼女は攻撃の手を緩めなかった。

 それでいて、あの矢の密度に対し、かすかな戦傷。

 すると、その傑物は口を開いた。


「だんだん、バカらしくなってきたわ。このまま続けたって、私に得るものはないじゃない」


「……得るものなどとは、御冗談を。国賊としての立場を、まるでご理解なさってないと見える」


「……国賊? 私が?」


「でなければ何と?」


 すると、エリザベータは真顔で固まった。

 ただ……次の行動は、その場にいる者たちの度肝を抜いた。


「……プッ、クッククク、アーハッハッハ!」


――彼女はこらえきれなくなって、バカ笑いを始めた。

 隙を突いて放たれた魔法には、きっちり迎撃で相殺しつつも、よく通る笑い声を上げ続けている。

 現実を突きつけられ、正気を失ったのではない。彼女は、現実を笑った。

 いや、作り物の現実を奉じる者たちをも、彼女は嘲笑あざわらった。

 唖然とする兵も少なくない中、彼女はこみ上げる笑いで息苦しそうになりながら、喜色に満ちた顔で言い放つ。


「わ、私が国賊だなんて……王家のアホどもの、私闘のダシでしかないでしょうが! そ、それを本気に、受け取っちゃって……法を私物化してるあいつらを野放しに、あなた、真顔の訳知り顔で、ブッ、くくく」


「撃ち方始め!」


「せ、政治も、正義も、信念も! 何もかも人任せにしてる奴は、やっぱり一味違うわね!」


 彼女の声をかき消すように、一糸乱れぬ足並みの魔法が放たれていく。


 その場の全員に向けられた罵倒が、最初から引き下がりようのなかった戦いに、再び火をつけた。

 もとより気乗りしない戦いであった。元王族へ手を挙げる抵抗感、返り討ちに遭うのではないかという確かな恐れ、そしてうら若き少女に多勢でかかる罪悪感……


 だが、そうした一切合切を、彼女は一笑に付した。


 そうするだけの権利が、実際にはあるのだろう。わかっていながら、兵たちはすすがねばならない恥を抱えて立ち向かった。

 倒せないと薄々勘付いても、彼らにはそうするしかなかった。


 そして、撃たれる側の少女には、もっと別の手立てがある。

 戦闘再開から、列をなす《火球》の2射目が放たれた頃。早くも状況に変化が現れた。構えた盾が激しく打ち付けられ、衝撃に耐え続ける前列の後ろで、うめき声と人が倒れて転げ落ちる音が相次ぐ。

 エリザベータへ向けられる攻撃が少なくなっていくことからも、何が起きているかは明白だ。

 だが……盾という遮薇があって、どうやって斜面の兵を狙い撃ちに?


 疑問に思った隊長だが、答えはすぐ頭上にあった。

 エリザベータへ向けられる、曲射軌道の魔法の軌跡が、術者のありかを明るみにしている。

 こちらの兵が魔法を放ったその隙を突き、すれ違う魔法を道標と隠れ蓑にして、狙い撃っている。

 疑う余地はなかった。理屈を聞かされても大半の魔法使いは首を横に振るような技を、彼女は軽々と使いこなす。

 それも、楽しそうにまくしたてながら。


「祖国が定めたというのなら、私は本当の国賊になっちゃおうじゃないの! そうすれば、お前たちの半端な良心も、こんな戦いで傷つかずに済むでしょ? フッ、フフフ、ア~ッハッハッハ!」


「この……物狂いめ!」


「せ、せいぜい頑張るがいい、勇者諸君! 私を殺したその暁には……ふふッ、きゅ、宮殿に、もっとロクでもない、屑の群れが……ウッく、アハハ!」


 国に忠を尽くし、その任を果たそうとする者たちは、苦々しい思いを抱くばかりであった。


 一方で――エリザベータは、だいぶ気持ちよくなっていた。

 彼女は、こういう日の到来を予期していた。その生命を的に、いくつもの魔手が忍び寄るようになる日を。

 そして、ただ生き残るために、彼女は人知れず力を磨き続けてきた。

 しかし――磨き上げた力の一端を開放するのは、これまで力を潜めてきた彼女にとって、得も言われぬ快感だった。


 もっとも、必要以上の力を解き放ちはしない、冷徹な思考も同時に機能している。

 相手に知られても構わない初等魔法だけを用い、彼女は戦い続けている。

 目の前の敵よりも、もっと先のものを見据えながら。


 彼女はバカ笑いを続け、笑いで指先を震わせつつも、魔法のコントロールには冷徹で偏執的なまでの冴えを見せた。

 相手が見えない状況にもかかわらず、向けられる射線を逆にたどっての曲射。

 慌てて相手の魔導士たちが張った防御膜の類も気にせず、《魔法の矢》が重なって見えるほどの連打。

 後衛を押し続ける一方で、彼女は前衛を押さえつける力を弱めもしない。


 隊長にとって、恐ろしくも歯がゆかったのは、初等魔法での力押しでこうなっているということだ。

 いや、力押しというには、使いこなす技量の上でも隔絶の感があるが。

 エリザベータは、手の内を明かさないように振舞っている。隊長はそう確信した。

 もはや、偵察としての任もなし得ない。


 やがて――後方からの攻撃が途絶えたことに気づき、隊長は身を強張こわばらせた。

 早速とばかりに、これまで以上の波濤が盾を叩きつけてくる。耐えかね、前線の各所で脱落者が続出。ひしゃげた盾が衷心を誘う音を立てて転げ落ち、構えていた兵たちも砂埃を巻き上げながら、下へと転がされていく。

 前で耐える兵が減るほどに、残った者への仕打ちは苛烈なものに。

 それでも、隊長は踏ん張った。ともに盾を構える配下は、見たこともない表情に歪んでいる。


「悪いな、つき合わせちまって」


「……ぶッ、ふへへへ」


「何だ」


「国を敵に回したあの姫さんの方が、よっぽどお辛い立場じゃないですか? それなのに、あんなに笑い飛ばしてまあ……こっちが恥ずかしいたらありゃしねえ」


「フッ、そうだな……まったく! なんだよ、このザマは……」


 先ほどの問答で、それぞれの立場を喝破して見せたあの元王女が、この先について盲目であるはずがない。笑いに享楽の色は見え隠れするが、ヤケっぱちには感じられない。

 おそらく、彼女は次のことを考えている。いつまで続くかもわからない、”次”のことを。

 腹立たしい敵には違いないが、エリザベータの色々な意味での強さに、隊長はほのかな敬意を覚えずにはいられなかった。


 怒涛の攻撃に耐え続けてきた前線の二人だが、いつしか攻撃が止んだ。

 何かしらのブラフと思わないでもない隊長だが、彼はまた別の違和感を覚えた。ふと、斜面の下に目を向ける彼。

 転がされた兵たちは、手当てが必要な者もいるが、大半は打撲か軽度の擦過傷程度のようだ。斜面の緩やかさもあり、大事に至った様子はまったくない。

――殺せたはずだ。それも、造作もなく。

 しかしながら、配下が生かされている現実に、隊長は安堵と共に疑念を覚えていた。


 だが、より一層不可解なものを、彼は目の当たりにすることとなる。


 下方斜面から視線を戻していく最中、彼は斜面を登る配下を見た。

 登っていくのは二人。前後に重なるその二人組は、前の者が完全に盾となっており――その首には、ナイフがつきつけられている。

 隊長が逆サイドに目を向けると、同様の二人組が、斜面をじりじりと登っている。

 敵に対し、同僚を盾と人質にして。

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