第5話 不毛の山脈②
静かに包囲を進める追跡部隊は斜面を進み、最上部の踊り場近くで、エリザベータと対峙した。
仕掛ければ届く間合いではあるが、双方に動きはない。
逃亡者と追跡者という関係を踏まえれば、追い詰められたのはエリザベータの方だ。
だが、平然とした風の彼女に比べ、緊張に固まる包囲陣の顔色は冴えない。顔だけ見れば、互いの力関係は逆である。
と、そこで、部隊を取り仕切る男が一歩進み出た。腰に長剣を携え、服装は他よりも少し華美。装いに相応しく、顔も中々の美男子である。
その堂々たる風格の彼は、良く響く声で言った。
「エリザベータ殿下。理由は申し上げかねますが、お国のため、御身を捕縛させていただきます」
「人違いよ」
「異なことを……」
「殿下じゃないわ」
すると、隊長は笑って右手を上げ、宙で小さく遊ばせた。ハンドサインからわずかに遅れ、じりじりと動き出して包囲を狭める兵たち。
最前列に盾持ち、その少し後方に槍兵。前二列の間隙を射線で縫うように魔導士と弓兵。射撃部隊は前列から少し離れ、身を隠すように前衛と斜面を利用している。
地形を利用しつつも無駄な
後ろを見もせずに配下を動かし、隊長は「言葉遊びに参ったのではないのですよ」と言った。心地良ささえある声の響きはそのままだが、次への意識があるのか、顔の緊張が強まった感がある。
その変化を見て取ったエリザベータは、敵勢を見下すように
「捕縛理由は」
「あなたにお伝えするものではない」
「知らないんでしょう?」
隊長は無視した。それを挑発、あるいは皮肉と取ったのだろうか。
だが、続く「教えてあげましょうか」という発言に、彼はわずかにたじろいで身構えた。
「あのアホどもの、継承争いのためでしょう? 私一人の首を競争の的にできれば、連中が”直接“やり合う事態は避けられる。それが国の安寧のためだとね」
隊長は、何も答えなかった。
山肌を駆けるささやかな風の音の他には、今もわずかににじり寄る兵たちの、ジリジリというすり足の音ばかり。
出し抜けに、エリザベータは叫んだ。
「私のこと、かわいそうだとは思わないの?」
それでも男たちは、言葉を返さない。ただ、顔には押し殺したような感情が、かすかににじみ出ている。
わずかな情動の起こりを見て取り、エリザベータは長いため息の後、毅然とした口調で言い放った。
「では、お前たちが国士というのなら、せめて手にかける者の顔くらいは直視なさい。いかに下賤の血を引こうとも、礼節もない下郎にくれてやる首ではないわ」
夕日を背負う、やや汚れたメイド服の少女。取り囲む男たちの目に、彼女は見せかけを遥かに超えて神々しく映った。
堂々たるその有り様と自分たち、さらにはその上に立つ者との対比に、感じ入るものがあるのだろう。
超然とした少女の振る舞いに、彼らはその命令通り、目を離せなくなった。
隊長もまた、そうあるべきだと思い――その一方で、どことなく嫌な予感をも覚えた。
そんな彼らに、続く言葉が向けられる。先ほどよりも、やや大声で、朗々と。
「私の裸はどうだった?」
彼女の顔に視線を向け続けた者の多くは、その言葉に多少なりとも身を
それから数瞬の後、ハッとした隊長は、がなり立てるような号令を放ち――
「かかれッ!」
その言葉にかぶせるように、閃光が走った。
エリザベータの言葉に反応した、“不埒者”と思われる男たちの隙を突いて《
瞬く間に数人が、仰向けに倒れた。
この、おおよそありえないであろう戦闘の幕開けと失態に、強く歯噛みする隊長。
(ああやって言われれば、呑まれて当然とはいえ……!)
半分流れる卑しき血ゆえに、国を追い出されたとはいえ、もう半分は王の血を引く相手である。
王族同士で貴賤の差はあれど、平民からすれば王族には違いない。
そうした認識を手玉に取られ、主導権を掌握された形である。
だが、一度戦いの口火が切られると、兵の中の畏れは払拭された。
もっとも……覚悟が決まったからというよりは、戦わなければ倒されるからだ。最初に撃ち抜かれた不埒者たちは、ある意味では幸せだったのかもしれない。
第一波の攻撃の後、彼女は瞬く間に陣を展開していった。いくつもの魔法陣からなる、防壁と射手の陣である。
立ち向かう兵の側からも、間髪入れず矢が乱れ飛び……双方の射撃が一瞬のうちに交錯、ぶつかり合う魔力が周囲を光で染め上げた。
光が去っていけば、今度は地面に撃ち込まれた魔力が砂埃を巻き上げ、双方の視界を妨げていく。
だが、音は如実に戦局を表した。人が少しずつ倒れていく音、うめき声。それらは一方の側からしか聞こえない。
多勢に狙われる側は健在だ。光るカーテンに守られながら、尽きる様子のない《魔法の矢》を乱射し続けている。
戦闘開始から十数秒後。少しずつ落ち着いてきた国軍の側は、早くも当初の兵力の1割程度を失ったことを知った。
倒れた者は死んだわけではないし、後遺症が残るほどでもなさそうだが、この戦いでは役に立たない。
そして、討たれた兵には偏りがある。地に伏せて倒れ込むのは弓兵ばかりだ。
隊長は盾持ち同士の間を詰め、防御を固める号令を下した。そうして配下を動かしつつ、考えを巡らせていく。
魔法の展開速度の理由は、わからないでもない。エリザベータが小脇に抱えていた本が、その一因だろう。魔法陣を持ち運べる魔導書であれば、必要に応じて即座に引き出せる。
それにしても、バカげた展開能力ではあるが。
盾持ちが倒されていないのも理解できる。盾を構えていれば、《魔法の矢》で倒すのは難しいからだ。相手が王族であろうと、それは変わらない。
だが、同じ飛び道具を操る兵でも、魔法使いと弓兵の被害には顕著な差がある。
これは、エリザベータがきちんと相手を狙って仕留めていることを示唆しており、隊長は慄然とした。
彼女が張り巡らせた魔法陣のカーテンは、円を並べただけの平面に見せかけて、微妙に動いている。これが、術者の意志を反映して狙いを定めているのであろう。
だが、狙いの正確さ以外にも、恐るべきものはある。
盾による防御の構えを整えたところ、撃ち込まれる攻撃の勢いが一層強まった。
人数で勝るはずの国軍側を優に上回るこの火勢は、もはや人間技ではない。
ただ、この事態にも冷静さを保つ隊長は、とっさの判断で兵に叫んだ。
「槍を捨てろ! 二人で盾を構えるんだ!」
「しかし、攻め手が」
「槍のリーチで近づける相手か!」
彼の指摘と、怒涛の攻勢が、反論の余地をかき消した。隊長も率先し、盾持ちの列に加わって防備を固める格好に。
そして彼は、より相手に近いところで、その攻防の様子を注視した。
魔法陣がその力を発揮し、矢を放って消えゆくその瞬間、消え去る前に追加の記述がなされている。
こうすれば、使用済みの魔力にもう一仕事――いや、連鎖が続く限りはロスなく撃ち続けられる。消えかけに書き込む分、時間短縮も見込めるだろう。
しかし、それは理論上の話だ。修練を積んだ魔法使いであっても容易にはなしえないその妙技を、エリザベータは途切れることもなく、このような実戦の場で行使し続けている。
この、圧倒的火勢を前に押されかけた国軍だが、隊長の指示は奏功した。
防御を重視して立て直しを図ったことで戦線を維持、後方の魔法使い部隊は前衛から距離を取り、緩急つけて反撃に転じる機会を得た。
緩やかな斜面ではあるが、前方で構える盾の列が、ちょうどいい遮蔽となっている。
これを利用し、魔法使いたちは――少しばかりのためらいを見せた後――ほぼ同時に動き出した。
彼らの指先が、期せずして一糸乱れぬ同期した動きに。同一の文が宙に刻まれたその様は、狂気じみた繰り言のようだ。
それら、魔力がこもった成句が、赤い火の玉へ。整列した《
これまで互いに放ってきた《魔法の矢》が、単に相手を倒すための魔法とするなら、今度の《火球》は殺すための魔法だ。人間相手の利用は、よほどのことがない限りは承認されない。
今作戦においては、王家と国家中枢の枢密院会議がそれを承認している。
だが、頭上を飛んでいく《火球》の列を見ても、隊長は勝てる気がしなかった。
この程度で倒せるものだろうか、と。
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