第4話 不毛の山脈①
最初の刺客を撃退して1週間後。
エリザベータは国境にある山岳地帯に到着した。ここを超えて隣国へ、という考えである。
彼女が受けた処分は、名目上では廃嫡と除籍、国外追放だが……馬鹿正直に関所を通過して国外に出るわけにはいかなかった。
なにしろ、王都を出るや、さっそく刺客がやってきたのだ。敵にとっては王都近辺がスタートラインだと、彼女は考えた。国を出るのを、”敵”が待つわけはないとも。
となれば、関所へ向かえば殺し合いになるのは想像に難くない。
そこで、この山岳地帯だ。褐色に近い黄色の砂礫が覆うこの地は、草木がまばらで、鉱物にも乏しい不毛の地である。
加えて、この地で隔てられた二か国の国力には大きな差がある。おかげで、ラヴェリアからすれば、付近一帯は安心して放置できる要害となっている。
また、この山岳地帯には怪鳥が生息している。生気の薄い静けさに安住し、腹を空かせば遠出をして、人畜問わずにツマミのごとくついばむという。
このように、実りなくその上で危険には富むというこの地は、まともな人間は近寄りもしない。
だからこそ、まともではないエリザベータにとっては、好都合な脱走経路であった。
一度高所を取れば、遮蔽物になり得る植生の少なさから、視界が良く通るというのもいい。追われる立場の彼女にとっては、ありがたい話だ。
それに、人々に恐れられる怪鳥とやらも、雑草食ばかりの身には、貴重な肉を提供するかもしれないし……追手と鳥がやり合う羽目ともなれば、それはそれで好ましい。
だが、エリザベータがひそかに期待していたような展開には、中々ならなかった。
音に聞く怪鳥は、一応は遠くに見えるものの……目立ってまで会いに行こうという気は起きず、向こうもこちらには気づいていないようだ。
それに、本当に何もないこの山脈地帯は、歩き続ければすぐに砂埃に体が巻かれる。それが彼女には、なんとも煩わしくあった。
宮廷内で冷遇されてきた彼女の生活は、公共性と公衆衛生の観念から、非常に清潔なものではあった。
そんな彼女は、ジワリとにじむ汗と砂の連携に
高所ゆえの冷涼な大気も、体内から弾むようにせりあがる熱気の前には頼りない。
(これも、自由の対価ってものかしら……)
彼女にとって幸いだったのは、この山岳地帯を流れる川の存在だ。激しく流れるその勢いは、この険しい山脈地帯の作り主であったことをうかがわせる。
激流に近づくのは、彼女にとっても中々面倒な事態になりかねないが、魔法を使えばどうとでもなる。
そこで彼女は、切り立った崖から、追手の確認ついでに水流を確認した。比較的近づきやすい地点を確認し、そちらへ向かって歩を進めていく。
彼女がアタリをつけたそこは、実際、他よりは随分と使いやすい場所であった。
何らかの理由で山肌が大きく崩れ、水面にかなり近づいたのだろう。山肌から水面までの掘りは、さほど深くない。成人男性一個分といったところか。川幅はそれなりにあるが、勢いは他の個所と同程度に強い。
ここをちょうどよい選択場所と見定めた彼女は、リュックサックから着替えを取り出した。
着替えを見られていたら――と、彼女は思わないでもない。
ただ、こんなところまでわざわざ追いかけてくる連中のことを思えば、目の保養をくれてやるのも、上に立つ者としての慈悲であろう。ちょっとした施しぐらいに彼女は考えた。
それに、さんさんと注ぐ陽光の温かさ、山肌を駆け抜ける心地良い涼の風。汗と砂埃に塗れた装いを取り払い、この開放感に身を委ねられたら……
魅力的な囁きの前に、彼女は素直になった。汚れた衣類を脱ぎ捨て――
しかし、山風が思っていたよりは冷たかったので、体に長布を巻きつけるエリザベータであった。
それから、彼女は洗濯物を相手に魔法を行使していく。それぞれの布地にピタリとくっついた魔法陣が、彼女の指先の動きに合わせて宙を踊り、洗濯物もろとも激流の中へ。
彼女が使った魔法は、物体操作と空間固定の力を併せ持つ魔法、《
この魔法の力により、洗濯物はどこかへ流されることなく、彼女の近くにとどまり続けている。川の流れが手の代わりとなり、汚れをすすぎ落としていく。
魔法に長けた身としては、中々便利である。
後は頃合いを見計らって引き上げるだけだ。
しかし……激流の中でひらひら踊るメイド服の姿が、彼女の挑戦心と好奇心を、無駄に刺激した。
いや、できないわけはないのだ。単に、やる必要がないというだけである。
そして、彼女の「やってみたい」という気持ちを押しとどめるものは、この場にはなかった。
長布を解いて生まれたままの姿になった彼女は、川に飛び――こむ前に、長布を川べりに畳んで重しを置いた。
その後、改めて彼女は川に向き直り、手足に魔法陣を展開して川に飛び込んだ。空間固定・物質操作・空中浮遊等の魔法を色々と工夫して使いこなし、どうにか安定を得られる格好に。
冷たい水が容赦なく流れる中で横になるその様は、水平方向の滝行といったところだ。
快適には程遠く、一種の訓練か修行といった感じである。
それでも、彼女には大変楽しく感じられた。
☆
魔力の風と熱で服を乾かし、エリザベータは再び歩き出した。
だが、今回の川遊びという突発的な遊興に身を委ねる間、彼女の
彼女の予想を超えて、追手は優秀だった。元より精強で鳴る大強国、ラヴェリアの国軍である。地形と怪鳥任せという合理的な国境防備の構えを取っていても、その地勢の把握に抜かりはない。
加えて、彼女の行き先を知る術のある追手の一団は、彼女の一手先を行った。
――標的が早期発見のために視界が通る高所を選ぶのなら、自分たちは相手が見えない場所を通ればいい。圧迫感を感じるほどに
そうした、見破られにくい経路の存在を、追手は知り抜いている。
さらに相互で連絡も取り合い、国軍の追跡部隊は多方向から、影を縫って音もなく近寄っていった。
☆
やや日が傾きだしたころ、エリザベータは初めて追手の存在に気づいた。視界に入るや、すぐに消えた人影は、まさしく追手らしい反応である。
しかし……追跡の気配に気づいた彼女の中で、思考はより大局へと向かっていく。
(今まで、まったく見えてなかった。そして今、見られたと悟って、相手はすぐに身を隠した。そうやって隠れられるルートをたどっているなら……他にも、そういうのを知ってる?)
(でも、お互いに見えない位置関係なら、この山岳地帯で追いまわすなんて徒労に終わるはず。あてずっぼうで、うまくいった? それとも、動員量でカバー?)
(だけど……山へ入った確信があるなら、向こう側で待ち伏せるか、飛行船で空から見ればいい。それができない、あるいは、地の利を生かそうとしての追跡?)
(いや、そもそも、私の動向を把握できてなければ、こんな追跡は不合理。最初から
それから彼女は、行水の件を思い出した。
(私の水浴び、実は見られてたんじゃないかしら。だったら、まともな金でも徴収するところだけど……)
……などと考えながら、彼女は山の上へと歩いていった。
相手の側に土地勘がある以上、入り組んだ低地へ戻る道理はない。迎え撃つならば上の方が、事はシンプルである。
それに、彼女ほどの魔法使いともなれば、高さは恐怖にも障害にもならない。相対的に利するとさえ言える。
やがて彼女は、切り立った断崖の頂上に立った。踊り場状の台地はそれなりの広さがあり、前方にはなだらかに続く幅広で緩やかな斜面。
包囲するにはお
そして、追手には先の暗殺者から、話が伝わっているのだろう。夜陰に乗じてどうにかなる相手ではないと。
日が沈むのを待たず、追跡部隊は現れた。槍、弓、盾、杖――それぞれ装備を構えた兵が、斜面脇の陰からぞろぞろと。
総勢100は下らないであろう兵の集団を前に、しかし、エリザベータはまったく
夕日を背に彼女は逃げも隠れもせず、ただ静かに敵を迎え撃つ。
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