第2話 森の中の暗闘①
ラヴェリア聖王国の王位は、伝統的に生前譲位で継承されていった。王が死んでからでは、混乱を避けられないから……というのもあるが、王の目が光っているうちに子を競わせることで、安定して強い指導者をという考えもある。
継承順を繰り上げるための仕組みも、王家の中には存在する。平和裏に終わるものから、血なまぐさいものまで、多種多様な形で。
そのような国にあっては、時として父王を食いかねないほどの力を見せる後継者も出てくる。だが、禅譲を迫るほどの新王ならば、国としては安泰であろう。
聖王暦612年、春。齢50を迎えた現国王は、今もなお壮健な様子を見せている。治世にも障り無く、国内は安定している。
だが、栄光の時を刻み続ける国家の水面下で、すでに継承者の争いは進行している。
一人の少女を中心にして。
☆
うっそうと茂る暗い森を前に、小高い丘を背に、小さな焚き火を囲う男が三人。
取り立てて目立った特徴のない外見の男たちが、周囲には油断なく視線を巡らせて警戒の糸を張っている。
彼らの周りには、岩に立てかけられた弓、手槍等の装備。森を前に、神経質そうな雰囲気を漂わせる彼らを見れば、通りすがりの多くは狩人と見るであろう。
実際、彼らは狩る側の存在ではある。
小声で何やら話し合う彼らは、ほぼ同時にカップへ手を伸ばし、一息ついた。
やがて、一人が話の続きを口にする。
「だが、後ろ盾のない王女を殺す意味は?」
問いかけた彼は、落ち着いた中にも緊張感をにじませている。追放されたとはいえ王族、それも年若い少女を手にかけることへの抵抗感は、見たところ感じられない。
彼はただ、この先のことを案じているようだ。
すると、質問者よりもやや年上に見える男が、その問いに答えた。
「あの王女は、放っておくとどう転ぶかわからん。覇を競い合う王子たちからすれば、決して飼いならせない魔神のようなものだ。それに……」
「それに?」
「操れないあの王女を、担ぎ出す者が出るかもしれん。まかり間違って一大勢力ともなると、余計に厄介だ。万一にも、娼婦の子などに権力はやれぬと。市井や国外へ存在が明るみになるだけでも、国としては恥だからな」
とはいえ、口にする男の顔と声音に、苦々しい感情は見え隠れする。ターゲットに対する同情が、かすかにでも残っているのだろうか。
次いで、先の質問者とはまた別に、一人の男が問いを発した。
「強いのか?」
「わからん」
「おいおい……」
「それを知るのも仕事だろうが」
問いかけた男は、肩をすくめて苦笑を浮かべた。
もっとも、それは強がりに過ぎない態度かもしれない。残る二人が、彼の態度に応じず硬い調子でいるのを認めるや、彼も似たような態度になっていった。
場が静まり、安い茶器の音だけが寂しそうに響く。
ややあって、リーダー格の男が口を利いた。
「
「まぁ、生まれからすれば近しい存在ではある」
「ただ……誰の下に就かせるかで、パワーバランスが崩れかねないからな。幼いうちに計画は頓挫したようだ」
「で、メイドになったわけか」
「他の兄弟が、相争わないようにとな……他にも、いざという時の身代わりにしようという話もあったそうだ。いずれにせよ、武芸や魔法の覚えはあるはずだが、どの程度かはわからん」
その後、彼はカップに残る気つけのような薬湯を飲み干すと、抑揚のない声で二人に言った。
「日没後、森に入る。気をつけろよ」
「ああ」
「了解」
やがて、完全に日が沈んだ頃、狩人然とした男たちは動き出した。
通りすがりにもさほど気に留められなかった彼らは、森に入ってしばらくの間、そのままの装いで暗い森の中を進んでいく。
森へ入って1時間ほど経過したころ、一人が片手にどうにか収まる大きさの円盤を取り出した。
つややかでなめらかな白い板の上には、同心円と、中心を通って円を分割する8本の線が刻まれている。
そして、円の上には小さな赤い点も。ごくごく小さいそれは、中心からはさほど離れていない。
すると、リーダー格の男は、二人に指で指示を出した。
三人はその場で上着を脱ぎ始め、ややゆったりしていた狩人の装いから、黒く引き締まった出で立ちへ。
布ずれの音もほとんどなく着替え終わった男たちは、円盤を頼りに再び動き出した。
彼らが静かに、ゆっくり進むにつれ、円盤状の赤い点も中央に徐々に近づいていく。
やがて、前方にかすかな明かりを認め、リーダーは二人に向けて指を動かした。
指示を受けた同僚は円盤をしまい、全員で身を低くして動き出す。足元は若干宙に浮き、小枝を踏む音すらなく、灯りの方へ。
その灯りは、焚き火であった――それも、結構な大きさの。
森の中でも少し開けた円形の広場で、一人のメイド少女が、中々盛大にキャンプファイヤーしている。
標的の彼女は、その大きな火の傍らで、リュックサックに背を預けて本を読んでいるところだ。
思いがけない光景に、かすかながら驚きが漏れる暗殺者たちだが、彼らはすぐに気を引き締めた。
相手が、この襲来を察知あるいは想定していたというのは、あり得ない話ではない。国を挙げて殺しにかかるほどなのだ。油断は禁物である。
ただ、この大きな焚き火は、ヤケクソや威嚇以外の意図もありそうだ。
焚き火を中心とする円形のエリアのそこかしこで、木々の根元に魔力の痕跡が見受けられる。
刺客たちは、それを魔獣除けに使われるものと認識した。
実際、近辺にそういう獣が出現するという報はある。あわよくば、まだ見ぬ追手に対し、魔獣をかち合わせようという腹であったのかも……
しかし、膨れ上がりそうになる警戒の念を、リーダーは一度抑え込んだ。思わぬ用意に、少し戸惑っただけのこと。敵の認識を誤ってはならない。
息を潜めて三人は、しばらくの間、エリザベータの様子を注視し続けた。
彼女が寝静まり、いくらか経ってからが勝負である。
すると、ターゲットが動き出した。立ち上がり、焚き火の上に魔力を刻んで魔法陣を展開していく。
青色の光を放つそれは、水に関わりの深いものである。焚き火を消すためだろうと、リーダーは考えた。
しかし……彼の胸裏で、ささやかな違和感が浮上していく。耳を澄ませてみれば、聞こえてくるのは虫の音。それと、ごくわずかではあるが、自分たちの呼気。
――目の前の、それなりに大きな焚き火からは、火花が爆ぜる音が聞こえてこない。
警戒に警戒を重ね、距離を十二分に取っているからだろうか。それとも……
彼が考え事を瞬時に巡らした時、魔法陣が青い光を放ち――焚き火は一層火勢を増して、瞬く間に少女を呑み込んだ。リーダーの脳裏に、様々な可能性が浮かび上がる。
が、研ぎ澄まされた知覚と思考、そして経験が、可能性を一つに集約していく。
引っ掛けだ。少女を呑んだように見えた大火の中から、瞬時にして光り輝く《
驚くほどに正確な狙いのそれは、暗殺者三人の内、一人の額を射貫いた。苦悶の声とともに昏倒する男。
不意打ちを受ける形になった同僚に対し、しかし、いかなる非難の声もリーダーの脳裏には上がって来ない。
これは、もう暗殺ではない。殺されるだけのターゲットではなく、殺し合う敵だ。
それも、おそらくは格上の。
息もつかせぬ間に始まった戦闘において、リーダーの男はとっさに後ろへと身を引いた。まずは、森の夜陰に紛れなくては。
しかし一方、配下の一人は、敢然と焚き火の方へ。
その選択にかすかな苦いものを覚えたリーダーは、前を行く配下の背に紛れるように、投げナイフを放った。
それぞれのコースがそのままであれば、ターゲットを脅かすであろう、絶妙の一撃である。
だが――焚き火の中で青い閃光が生じたかと思うと、次いで水の奔流が現れ、光源は一気にかき消えた。
直後、かすかな魔力の光とともに、人型大の重量物が倒れ込む音。すぐに途絶えたうめき声。
戦いは完全に、エリザベータのペースである。残った彼は思わず歯噛みした。
さすがに、夜目の優位はあるだろうが……それがどこまで役立つことか。
だが、この場を逃げようという気は、毛頭起きなかった。前方から目を離せば、それで終わりだとも。
男は覚悟を決め、無音の疾走を始めた。標的の姿は見えている。闇の中、構えるでもなく、ただまっすぐに立つ一人の少女が。
男は光沢のない黒い刃を抜いた。これまで幾度も成果を挙げ、そして自身を助けてきた一番の相棒だ。
手に馴染む――いや、手の一部とさえ言える短い凶刃を正中に構え、標的の元へ。
仮に彼女が魔法で迎撃しようにも、この勢いならば刺さる。たとえ相打ちになろうとも、始末さえできれば勝利だ。
凝縮された時間の中、早くも最後の一手を打つ男の脳裏で、思考は淀みなく流れていく。
――標的に動きはない。対応できていない? 見えていないのか? いや、そう見せかけているだけ? 疑念がいくつも湧いて出る。
しかし、疑いようのない現実は、刃を突き立てようとする自分が、もう間近に迫っているということだけだ。
そして、刃が到達した。勢いよく入り込む刃先と、それを拒もうとするかすかな――
(いや、刃の入りが鈍い?)
男の中で違和感が走り、言い知れない悪寒が全身を覆う。
そして、一瞬の閃光が男の意識を吹き飛ばした。次いで後部を打ち付ける衝撃により、男は完全に闇の中へと沈んだ。
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