第2話 森の中の暗闘①

 ラヴェリア聖王国の王位は、伝統的に生前譲位で継承されていった。王が死んでからでは、混乱を避けられないから……というのもあるが、王の目が光っているうちに子を競わせることで、安定して強い指導者をという考えもある。

 継承順を繰り上げるための仕組みも、王家の中には存在する。平和裏に終わるものから、血なまぐさいものまで、多種多様な形で。

 そのような国にあっては、時として父王を食いかねないほどの力を見せる後継者も出てくる。だが、禅譲を迫るほどの新王ならば、国としては安泰であろう。


 聖王暦612年、春。齢50を迎えた現国王は、今もなお壮健な様子を見せている。治世にも障り無く、国内は安定している。

 だが、栄光の時を刻み続ける国家の水面下で、すでに継承者の争いは進行している。

 一人の少女を中心にして。



 うっそうと茂る暗い森を前に、小高い丘を背に、小さな焚き火を囲う男が三人。

 取り立てて目立った特徴のない外見の男たちが、周囲には油断なく視線を巡らせて警戒の糸を張っている。

 彼らの周りには、岩に立てかけられた弓、手槍等の装備。森を前に、神経質そうな雰囲気を漂わせる彼らを見れば、通りすがりの多くは狩人と見るであろう。

 実際、彼らは狩る側の存在ではある。


 小声で何やら話し合う彼らは、ほぼ同時にカップへ手を伸ばし、一息ついた。

 やがて、一人が話の続きを口にする。


「だが、後ろ盾のない王女を殺す意味は?」


 問いかけた彼は、落ち着いた中にも緊張感をにじませている。追放されたとはいえ王族、それも年若い少女を手にかけることへの抵抗感は、見たところ感じられない。

 彼はただ、この先のことを案じているようだ。

 すると、質問者よりもやや年上に見える男が、その問いに答えた。


「あの王女は、放っておくとどう転ぶかわからん。覇を競い合う王子たちからすれば、決して飼いならせない魔神のようなものだ。それに……」


「それに?」


「操れないあの王女を、担ぎ出す者が出るかもしれん。まかり間違って一大勢力ともなると、余計に厄介だ。万一にも、娼婦の子などに権力はやれぬと。市井や国外へ存在が明るみになるだけでも、国としては恥だからな」


 とはいえ、口にする男の顔と声音に、苦々しい感情は見え隠れする。ターゲットに対する同情が、かすかにでも残っているのだろうか。

 次いで、先の質問者とはまた別に、一人の男が問いを発した。


「強いのか?」


「わからん」


「おいおい……」


「それを知るのも仕事だろうが」


 問いかけた男は、肩をすくめて苦笑を浮かべた。

 もっとも、それは強がりに過ぎない態度かもしれない。残る二人が、彼の態度に応じず硬い調子でいるのを認めるや、彼も似たような態度になっていった。

 場が静まり、安い茶器の音だけが寂しそうに響く。

 ややあって、リーダー格の男が口を利いた。


近衛兵ロイヤルガードにしようという計画はあったようだ」


「まぁ、生まれからすれば近しい存在ではある」


「ただ……誰の下に就かせるかで、パワーバランスが崩れかねないからな。幼いうちに計画は頓挫したようだ」


「で、メイドになったわけか」


「他の兄弟が、相争わないようにとな……他にも、いざという時の身代わりにしようという話もあったそうだ。いずれにせよ、武芸や魔法の覚えはあるはずだが、どの程度かはわからん」


 その後、彼はカップに残る気つけのような薬湯を飲み干すと、抑揚のない声で二人に言った。


「日没後、森に入る。気をつけろよ」


「ああ」


「了解」


 やがて、完全に日が沈んだ頃、狩人然とした男たちは動き出した。

 通りすがりにもさほど気に留められなかった彼らは、森に入ってしばらくの間、そのままの装いで暗い森の中を進んでいく。


 森へ入って1時間ほど経過したころ、一人が片手にどうにか収まる大きさの円盤を取り出した。

 つややかでなめらかな白い板の上には、同心円と、中心を通って円を分割する8本の線が刻まれている。

 そして、円の上には小さな赤い点も。ごくごく小さいそれは、中心からはさほど離れていない。


 すると、リーダー格の男は、二人に指で指示を出した。

 三人はその場で上着を脱ぎ始め、ややゆったりしていた狩人の装いから、黒く引き締まった出で立ちへ。

 布ずれの音もほとんどなく着替え終わった男たちは、円盤を頼りに再び動き出した。

 彼らが静かに、ゆっくり進むにつれ、円盤状の赤い点も中央に徐々に近づいていく。


 やがて、前方にかすかな明かりを認め、リーダーは二人に向けて指を動かした。

 指示を受けた同僚は円盤をしまい、全員で身を低くして動き出す。足元は若干宙に浮き、小枝を踏む音すらなく、灯りの方へ。


 その灯りは、焚き火であった――それも、結構な大きさの。

 森の中でも少し開けた円形の広場で、一人のメイド少女が、中々盛大にキャンプファイヤーしている。

 標的の彼女は、その大きな火の傍らで、リュックサックに背を預けて本を読んでいるところだ。


 思いがけない光景に、かすかながら驚きが漏れる暗殺者たちだが、彼らはすぐに気を引き締めた。

 相手が、この襲来を察知あるいは想定していたというのは、あり得ない話ではない。国を挙げて殺しにかかるほどなのだ。油断は禁物である。


 ただ、この大きな焚き火は、ヤケクソや威嚇以外の意図もありそうだ。

 焚き火を中心とする円形のエリアのそこかしこで、木々の根元に魔力の痕跡が見受けられる。

 刺客たちは、それを魔獣除けに使われるものと認識した。

 実際、近辺にそういう獣が出現するという報はある。あわよくば、まだ見ぬ追手に対し、魔獣をかち合わせようという腹であったのかも……


 しかし、膨れ上がりそうになる警戒の念を、リーダーは一度抑え込んだ。思わぬ用意に、少し戸惑っただけのこと。敵の認識を誤ってはならない。

 息を潜めて三人は、しばらくの間、エリザベータの様子を注視し続けた。

 彼女が寝静まり、いくらか経ってからが勝負である。


 すると、ターゲットが動き出した。立ち上がり、焚き火の上に魔力を刻んで魔法陣を展開していく。

 青色の光を放つそれは、水に関わりの深いものである。焚き火を消すためだろうと、リーダーは考えた。

 しかし……彼の胸裏で、ささやかな違和感が浮上していく。耳を澄ませてみれば、聞こえてくるのは虫の音。それと、ごくわずかではあるが、自分たちの呼気。


――目の前の、それなりに大きな焚き火からは、火花が爆ぜる音が聞こえてこない。

 警戒に警戒を重ね、距離を十二分に取っているからだろうか。それとも……


 彼が考え事を瞬時に巡らした時、魔法陣が青い光を放ち――焚き火は一層火勢を増して、瞬く間に少女を呑み込んだ。リーダーの脳裏に、様々な可能性が浮かび上がる。

 が、研ぎ澄まされた知覚と思考、そして経験が、可能性を一つに集約していく。

 引っ掛けだ。少女を呑んだように見えた大火の中から、瞬時にして光り輝く《魔法の矢マジックアロー》が投射された。矢は3本。

 驚くほどに正確な狙いのそれは、暗殺者三人の内、一人の額を射貫いた。苦悶の声とともに昏倒する男。


 不意打ちを受ける形になった同僚に対し、しかし、いかなる非難の声もリーダーの脳裏には上がって来ない。

 これは、もう暗殺ではない。殺されるだけのターゲットではなく、殺し合う敵だ。

 それも、おそらくは格上の。


 息もつかせぬ間に始まった戦闘において、リーダーの男はとっさに後ろへと身を引いた。まずは、森の夜陰に紛れなくては。

 しかし一方、配下の一人は、敢然と焚き火の方へ。

 その選択にかすかな苦いものを覚えたリーダーは、前を行く配下の背に紛れるように、投げナイフを放った。

 それぞれのコースがそのままであれば、ターゲットを脅かすであろう、絶妙の一撃である。


 だが――焚き火の中で青い閃光が生じたかと思うと、次いで水の奔流が現れ、光源は一気にかき消えた。

 直後、かすかな魔力の光とともに、人型大の重量物が倒れ込む音。すぐに途絶えたうめき声。


 戦いは完全に、エリザベータのペースである。残った彼は思わず歯噛みした。

 さすがに、夜目の優位はあるだろうが……それがどこまで役立つことか。

 だが、この場を逃げようという気は、毛頭起きなかった。前方から目を離せば、それで終わりだとも。


 男は覚悟を決め、無音の疾走を始めた。標的の姿は見えている。闇の中、構えるでもなく、ただまっすぐに立つ一人の少女が。

 男は光沢のない黒い刃を抜いた。これまで幾度も成果を挙げ、そして自身を助けてきた一番の相棒だ。

 手に馴染む――いや、手の一部とさえ言える短い凶刃を正中に構え、標的の元へ。

 仮に彼女が魔法で迎撃しようにも、この勢いならば刺さる。たとえ相打ちになろうとも、始末さえできれば勝利だ。


 凝縮された時間の中、早くも最後の一手を打つ男の脳裏で、思考は淀みなく流れていく。

――標的に動きはない。対応できていない? 見えていないのか? いや、そう見せかけているだけ? 疑念がいくつも湧いて出る。

 しかし、疑いようのない現実は、刃を突き立てようとする自分が、もう間近に迫っているということだけだ。


 そして、刃が到達した。勢いよく入り込む刃先と、それを拒もうとするかすかな――


(いや、刃の入りが鈍い?)


 男の中で違和感が走り、言い知れない悪寒が全身を覆う。

 そして、一瞬の閃光が男の意識を吹き飛ばした。次いで後部を打ち付ける衝撃により、男は完全に闇の中へと沈んだ。

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