第1話 旅立ちの日

 世界4大大陸、その中でも一際広大なルーグラン大陸過半を占めるラヴェリア聖王国は、飛び抜けた力を誇る大強国である。

 その頂点に座す国王は当然のこととして、各地の領主・国家機関の要職にある王子王女も、国内に留まらない絶大な権限を有する。

 国力の強大さに加え、かつて世界を救ったという英雄の血を王侯が引くとなれば、彼らが力を持つのは当然のことだ。

 しかし、そういった権威があるのも、王族の内に数えられている場合に限る。いかに輝かしき血統を誇ろうとも、国から追い出されればそれまでだ。


 ましてや、流れる尊貴な血に穢れが混ざる身となれば――



 王城ラナリアは、王都中心にある人工湖に直接つながり、そこから門を通って大海へと結ぶ雄大な河が続いている。

 その湖の中、ボートを漕ぐ一人の少女がいた。国を追い出されたエリザベータである。


 雪解けを迎えた初春の候、うららかな日差しが照らす下で、クリーム色のロングヘアが風にたなびく。キリッと凛々しく整った顔立ちは、端的に言えば美形だ。

 ただ、その装いは、顔に相応しいとは言い難い。白と黒基調のメイド服は、みすぼらしくはないが垢抜けたところがなく、かなり地味。さらには色気のない無骨なリュックサック。

 そして、見目麗しき彼女は、重労働に額を汗で濡らしている。


 一般――とはいえ、富裕層向け――に解放されている湖の中、他にもボートは何艘かある。

 しかし、遊興目的の他の客と違って、半ばヤケクソ気味に力強くオールを漕ぐ彼女。

 そうした、この場に不釣り合いな様相の、ともすれば無風流で不調法な彼女へと、周囲からは冷ややかな目が向けられ……それが一層、彼女の心血に火を注ぐ。


 と、その時、上空からゴウンと低い唸り声が響いた。

 湖に影を落とすそれは、魔法技術の粋を尽くして建造された飛行船だ。下から見れば、その大きな船の腹が視界を圧倒する。

 ごく限られた存在しか乗れないそれは、一般庶民にとっては羨望の的であり、国力を示す誇りでもある。


 だが、苛立ちながらボートを漕ぐエリザベータにとっては、単なる日陰の提供者でしかない。

 それも、すぐに立ち去ってしまう、だいぶ薄情な。

 案の定、束の間の陰だけ残して去っていった船を、彼女は恨みがましい目で見つめ……一つ思い至った。


(一応、手切れ金はもらったわね……)


 オールを止めた彼女は、ズシリと重みのある袋を取り出した。

 中からはチャリチャリと、軽快さのある金色の音が耳をくすぐる。これがあれば運賃にできるだろう。

 しかし、彼女は――あまり期待するでもなく、無表情に袋を少し開け、中の一枚を取り出した。

 出てきたのは金貨である。これ一枚を得るために、下々はあくせく汗水たらしているわけだが……

 彼女は大きなため息をついて、身を前へと屈めた。思わず呆れたような声が口から出ていく。


「バッカじゃないの?」


 その金貨は、文字や装飾の細部の出来が甘く、潰れている箇所がいくつか。それに、輝きもややくすんでいて、あるべき重量よりも少し軽い。

 慣れていない者なら、これでもだませるであろう。しかし、普段から大金を操る者に通用するとは思えない。

 それこそ、金貨に縁のあるほどの商いを行う者相手には。

 つまるところ、これは……いや袋の中身は、ただの偽造硬貨である。


 国として追い出しておきながら、当座の生活費に偽金を寄こすとは。

 エリザベータは思わずひきつった笑みを浮かべた後、何の気なしに金貨を空に掲げて眺めてみた。

 金貨正面に彫られているのは、救世の英雄にして建国の太祖、マティウス・エル・ラヴェリアその人である。


 その血を、だいぶ薄まったものながら、彼女も引いている。


 しかし一方、こうして城を追い出されてもいる。その有り様は、それらしいようで本物とは認められない、まさにこの偽金そのもの――

 そんな、自嘲気味のことを、彼女は……まぁ、思わないでもなかった。

 もっとも、真に彼女の脳裏を占めたのは、別の事項である。


(今の財政担当は……ブルウィッジ卿だったかしら?)


 重臣の中から、それらしい者の名前を思い出した彼女は、取り出したメモに名を書き留めた。

 後で、何かしらやり返すためだ。

 とはいえ、ここ数週間で一気に名が連なった復讐リストは、もはや王侯貴族と重臣の目録といった風ではあるが。

 そんな、国と自身の有り様にもため息をつき……メモを閉じて、ボートを漕ぎ出した。


 やがて彼女のボートは、王都の入り口の一つでもある、湖の門に着いた。船の大きさに合わせていくつか門衛の台座があり、そこで確認を行う仕組みである。

 本来ならば、こうした小舟は、それなりに恵まれた立場の人間が乗るものだ。商用にしても、観光にしても。

 それなのに、一人でボートに乗るメイド娘を、門衛たちはいぶかった。

 しかし、その日の公用を思い出した門衛の一人が、同僚たちを肘で突いて思い出させた。


「エリザベータ殿下、ご出立の日でございますね」


「ええ、ご精勤お疲れ様です」


 湖の上ではキレ気味にボートを操っていた”殿下”だが、門衛には涼やかな態度で応じた。

 そうした対応に、門衛たちは戸惑った。王家の者が取る態度にしては、随分と恭しいからだ。

 彼らの戸惑いを、王女――いや、”元”王女――の方はすでに察しており、彼女は自身の振る舞いの理由を口にした。


「廃嫡されて追い出されたわけですもの。あなた方に対し、偉そうに振る舞う理由はないわ」


「いえ、そのような……毅然としてあらせられるお姿、大変ご立派かと」


「そうでもないけどね」


 会話相手から視線を外したエリザベータは、水面に映る自身の顔を眺めた。

 整った顔立ちも、揺らぐ水面に映せば形無しだが、どことなく愛嬌があるようには見える。水面を鏡代わりにして微笑み、そのままの顔を門衛たちへ。

 その後、彼女はふと何かを思い出し、重みのある例の小袋に手を入れた。


「あなたたち、通行客からチップをもらうことは?」


「いえ」


 肯定すれば、収賄を匂わせかねない。追い出される者が言いふらしたところで……といったところではあるが、彼らの職業倫理は、金銭の授受を即座に否定した。

 そこで彼女は、例の金貨をまじまじと見つめ、口にした。


「これでも、祖国への愛はあるの。これは門の設備維持に充当しなさい」


「いえ、しかし……」


「いいからいいから。これは私のポケットマネーではなく、あくまで・・・・国庫からの支出・・・・・・・だから。最後の最後だけれど、私は施政の真似事だけでも残して去りたいの」


 懇願するように金貨を押し付けようとするエリザベータの、なんとも不思議な情熱の前に、謹厳実直な門衛たちはついに折れた。


「そういうことでしたら……」


「よろしい」


 エリザベータは、軽く手招きして門衛を近くに呼び寄せ、その手に偽金を置き……彼の手を包み込むように両手で握った。


「で、殿下?」


「あ、イヤだった?」


「いえ、そのようなことは決して!」


「ま、顔見ればわかるわ……フフ」


 落ち着いた口調でエリザベータが指摘すると、恥じらう門衛の同僚たちは、微笑ましそうに笑い声を上げた。

 その中で一層、顔を朱に染める彼に、エリザベータは優しげに語り掛ける。


「宮廷だと、私に触れるだけで大勢が嫌がったの。喜んでもらえたみたいで、自信が湧いたわ……これは本当よ」


 と、素直に口にした彼女は、ハッとして口元を手で覆った。

 これは、感情をあらわにしたことへの恥じらいから来る反応――のような、微笑ましいものではない。「これは本当」というフレーズを、ネタバラシにつながりかねない余計な一言と捉えたためだ。

 もっとも、彼女の懸念とは裏腹に、門衛たちは神妙な顔つきで、これから去っていく元王女を見つめている。

 それはそれで、ささやかな罪悪感を引き起こしかねない状況ではあるが。


 さて、誰が監視しているかもわからない状況。あまり長居するのもということで、エリザベータは再びボートをこぎ出した。

 実のところ、問題はすでに起きているのだが。追放者からの金銭授受、しかも偽造硬貨。門衛たるものがそれを見抜けずにいる――彼らには困難が降り注ぐかもしれない。

 とはいえ、偽金の出所をたどっていけば、最終的には関連部署同士で仲たがいすることだろう。

 庶民を巻き込んだことに、少しばかり罪悪感が後ろ髪を引く感覚はあるが、エリザベータは振り返らずに進んだ。

 国が偽金を作って寄越したのなら、これも国が負うべき身の錆であろう。


 ある程度河を進んだところで、彼女は初めて故郷を振り返った。

 王都も湖も門も、十分に大きなものではあるが、門の外の世界に比べれば、呆れるほどに些末だ。少なくとも、彼女はそう感じた。

 白く高い城門の威容も、青く広大な空の下では、どこか滑稽こっけいで愛らしくさえある。養われるわらべが、家で自身の領地を我が物顔で、しかも本気で主張するような。


 汗ばむ春の陽気も、どこか心地よくなってきたところ。額の汗を拭った彼女は再びボートをこぎ出し、河を大海へと下っていく。

 彼女は、監獄のごとき宮中を追い出され、人生で初めての自由を手にしつつある。

 いつまで続くかもわからない、先行き不透明な自由を。

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