猫と傘、蜃に会う

 この町の雨は、止むことがない。と思っていたのだが。その日空は晴れていた。高い高いビルのずっと上の隙間に青い空が見え、ドローンやらバルーンやらのさらに上の方には超上層特急のレールまで見える。バルーンからは天気予報がクリアに流れている。降水確率は0%らしい。

「おかしなこともあるもんだねぇ」

 和装に二本差し、頭は青灰色の猫。畳んだ和傘を手に持ちながら、ひげをつまんで弄っている。いつもと違って重さを感じないヒゲに違和感しかない。

「とうとう俺もお役御免か?」

 空は青いがビルは深く、その谷底では日傘が必要になることもない。

「いやいや攻守兼備のチート武器がなにをおっしゃるのやら」

 どこかで覚えたチートという言葉を使ってみる猫。和装の侍のような風体ではその言葉遣いは奇妙に見える。

「雨具だから!武器じゃねぇから!ていうかこの際だから言っとくが、敵に向かって投げるときはせめて一言言ってからにしろ!」

 納得がいかない様子の傘。掴まれたその手の中で精一杯に反駁してみせる。

「おやおや投擲武器だったかね、それは済まなかったね」

 しかし、それに対して猫はわざとらしく目を見開いてみせる。

「武器じゃない!ただ、急に投げられるとびっくりするからやめろと言ってんだ!」

 話の通じない猫にムキになる傘。

「あれ、猫の人じゃん、何してんの」

 騒いでいる猫に、後ろから声がかかった。

「人ではないというのに」

 そうは言うが声はいささか柔らかい。後ろには数人のメタル者達。

「子供達はまた悪さをしているのかい?」

「その子供達とか悪さとか言うの、やめてほしいなぁ」

「俺達一応ワルなのよ。猫の人みたいに圧倒的な強さはないけどさ」

「これでも見栄と暴力でやってんのよ」

 肩をいからせるメタル者達。

「暴力……ねぇ」

 猫の視線は完全に子供を見るそれである。ただ、実際この町においてメタル者による人的被害は無視できない。猫にとってそれが些細なことすぎて、目に入っていないだけなのだ。

「まあ、ヤンチャはほどほどにな」

「なあ、なんなんこいつ」

 面発光の後ろにいた、複雑な模様のエッチングの入ったメタル者が前にでる。きっとコーティングを程良くはがして雨に晒したのだろう。

「あ、よせ」

 面発光が止めようとした。が、エッチングの伸ばしたその手はすでに手首から先がなくなっている。チン、という音がして、猫が刀を納めたのだと気付いた頃には、猫の手に乗せられたメタル者の手が差し出されていた。

「ほれ、ドクターの所でつけてもらいなさいよ」

「あれ?」

 エッチングが気の抜けた声を出し、先のなくなった手首と、猫の手の中にある、本来ならその先についているはずのものを交互に見る。油圧か何かの油が手首から垂れ、切れた配線が火花を飛ばしている。

「あーあ……」

 間に合わなかった面発光が、肩を落とした。

「仕方ねぇ、先生のとこ行くか……猫の人と遊ぼうと思ったのになぁ」

「遊んでやるとは言ってないが」


「なんだろうね、晴れているとやはり子供達も元気になるのかね」

 猫が空を見上げる。その視界を横切る何か。

「あれは……??」

 猫の目が細くなる。

「そんなはずはないのだけどねぇ」

 その姿は、以前空に送ったとどめを刺した天使の姿に似ているように思えた。

「化かされている、というのとも違う気がするんだよねぇ」

「何が?」

「いないはずのものがいるとか、見えないはずのものが見えるとかさ」

「ふむ…………ちょっとさしてみてくれ」

「それは構わないけどね」

 猫が傘をさす。

「よっ」

 傘が自分で自分をふるわせた。張られた紙が小気味よい音を立て、その衝撃が周囲へと広がる。

「ああ、なるほど、言いたいことはわかった」

 猫の目が細くなる。ヒゲをはじいて

「……夢かねやっぱり」

「どうもそんな感じなんだが……すっきりしねぇなぁ。変にさらっとしてるというか、あっさりしてるというか……」

「誰かの……というか、人ではない何かの夢かねぇ、しかし、何だろうね一体……」

 今度はヒゲをまとめてねじる。

「そういえば、上の方に線路が見えたねぇ」

「ああ、なるほど。アレを知ってるのは、上の住人か、それこそ雨が降るより前から地べたを這ってる奴だよなぁ」

「とはいえ、心当たりは全くないのだがねぇ」

とりあえず、あてもなく歩き回ることにした。つまりはいつも通りということだ。


「はて。前に来たときには、ここは空になっていたと思ったがねぇ」

 いろいろな場所を回ってみた後にたどり着いたのは、猫の記憶にある、かつて寺だった場所。そこにはちゃんと、寺があった。傘を外の傘立てに放り込み、ろくな挨拶もせずに入ったそこには、本尊のアンドロ釈尊もピカピカに磨き上げられ、七色に光るロータスランプも飾られていた。

「縁起でもないことを言う化け猫だねぇ」

 本尊の前にいた住職が振り返りもせずに言う。

「なんだい、元気そうじゃないか」

 猫が背後から住職に近付く。とはいえ、住職には猫の姿が見えているはずだ。

「まあ体の大半が機械だからね、元気も元気じゃないもないよ。頼まれれば経を上げるロボットみたいなものさ」

「人はロボットに経を上げてくれとは頼まないだろう?」

 袈裟の下は機械らしく、動くと駆動音のようなものが聞こえる。この住職は律儀に木魚を自分の手で叩くし、数珠も指で繰る。そういう動きが人に与える影響を、彼はよく知っていた。

「それが不思議なもんで、案外頼まれるんだよなぁ。おかげで食いっぱぐれずに済む」

「じゃあやはりロボットじゃないんだろうよ」

 猫の顔が一瞬懐かしそうになり、すぐ険しくなる。

「そういうもんかねぇ」

 猫が刀を抜く。住職が身体ごと振り返った。

「まあ待て。そう焦らずとも良かろう?」

「さすがに悪趣味がすぎるのでね、ちょっと気分が悪くなってね」

「もう……何がいけないのかしら」

 いつのまにか住職は少女の姿になっていた。

「何がいけないって、住職があまりにも、知っているそのままの住職だったんでねぇ。知ってるかい?人間ってのは時とともに変化するんだよ」

 アンドロ釈尊も、ロータスランプも、寺の内装もすべてが溶けて消え、何もない部屋になる。

「わざわざ出てきてくれるとは思わなかったよ。どういう風の吹き回しだい?」

「明らかな異物があれば、直接見に来たくもなるでしょう?」

「異物というのはひどくないかね」

 そう言いながら、刀を鞘に納める。

「まあそれはいい。それで……夢を見るのをやめるつもりはないかね」

 相手が何者かはわからない。が、この少女がこの異変の中心だろうとあたりをつけ、猫は訊く。

「だめ、だってみんな、雨に飽きてるでしょう?」

 それに対し、少女は何もない天井を見上げて歌うように言った。

「大雨が続けば怖くなるでしょう?」

それを聞いて猫がほとんど聞き取れない声でぼそぼそと言う。

「なるほど、届かなくていいところに、届かなくていい祈りが届いてしまっていたというわけだ」

 それを気にもとめず、少女は続ける。

「ここなら誰も怖くないもの」

 手を広げ、くるりと回ってみせる。

「みんな私の夢の中。もしも世界が雨に沈んでも、ずっと醒めない夢の中」

 部屋の壁に、荒れ狂う水のイメージが投影される。

「すてきなことだと思わない?」

 目をきらきらさせて、少女が語りかける。

「ふむ……」

 しかし猫はそれにさほど興味がもてぬ風で、ヒゲをいじっている。

「みんな夢の中で、何が悪いの」

 今度は少女の方が少し不機嫌そうになり、頬を膨らませた。

「悪いことはないんだがねぇ」

こいつは、それじゃあつまらんってさ」

 いつのまにか、外の傘立てに放り込まれていたはずの傘が猫の手の中にあった。

「それはつまり、みんなずっと寝たきり、ということだろう?」

 猫が確かめるように言う。が、少女は

「かまわないじゃない、寝たきりだって」

 何が問題なのか、という風に言葉を続ける。

「私はもう一つの現実を見せてあげられる」

 世界をその夢の内側に作り上げて。

「わたしにはその力があるもの。みんなが見る夢はほんものよ」

 そこに人の意識を取り込んで。

「わたしの力は意識に干渉するのだから」

 そして、誰もがそこで本当に生きている仮想世界。

「なるほど、そういう類の存在モノかね」

 人の精神に働きかける、古い機械。猫が長い時を生きて猫又になり、器物もまたあやかしになるならば。機械、まして人の精神に干渉するような機械が、長い時の末に化けたところで何も不思議はないのかもしれない。そのあやかしが見る夢。

「そうしたい人間が、自分でそれを選ぶというなら止めはしないんだがねぇ。昔からそういうあそび、そういうおもちゃはあるだろう?」

 おもちゃ、という言葉に少女は少し眉を動かしたようだったが、すぐに元の表情に戻った。それを見て猫が刀を抜く。少女は目だけを動かして刀を視界に入れ、変わらずにこにこしている。

「でも、みんなをそこに入れてしまおうってのは」

 刀を真横にふるう。

「どうも趣味じゃないんだよねぇ」

 刀は確かに少女の首をはね、少女の首は地面に落ちた。しかし、血は一滴も流れない。平然とその頭を拾うと少女は首の断面を合わせた。くすくすと笑いながら

「バカみたい。夢の中で夢の主を斬れる訳がないじゃない」

 そう言い放つ少女。首には傷もないようだ。しかし猫は、

「そうかねぇ?」

 気にしていない様子で刀を納め、脇差しに手をかける。

「何度やっても、武器を変えても、結果が変わるわけないのにね」

「そうだな、結果は変わらないな」

 少女の上に、開いた傘がいつのまにか浮いている。

「お前が刺されて、血を吐いて、でもそれだけだ」

「え?」

 猫の身体が少女と重なる。少女の口の端から血が流れる。

「え、なんで?」

 自分の口から流れるものを、受け入れられない少女。

「でも、ここはお前の夢の中だ、そうだな?」

「あ、あれ?え?」

 困惑のあまり、傘の言葉が少女の頭を素通りしていく。しかし傘は気にせず続ける。

「ああ、お前がその体を自分だと思っているなら、その刃はお前に届く。そういう存在モノなんだよ、その脇差そいつは」

 猫の身体が離れる。少女の胸に、血の華が咲いている。傘が少女の上でパンッと音を鳴らす。

「ただ、それだけでは足りねぇ。だよな。ここは夢の中だから」

 そして傘はふわふわと漂い、猫の手に収まる。たとえ夢を見ている身体が死んでも、夢の主が夢の中に逃げ込めば、その夢は終わりを迎えない。

「さて。ここからは、こいつも知らねぇ、オレも知らねぇ、ただ夢の中の戯言ってやつだ」

 猫が傘を畳み、鞘のように持つ。

オレの柄は、仕込み刀になっていて」

 その柄を掴み、ゆっくりと引き抜く。

「その刃は、夢が斬れる」

 そこに現れた刃は、まさに夢の中で夢を斬る刃の色をしていた。少なくとも少女はそう認識した。

「だから、な」

 猫の目が細くなる。少女の首に赤い線が走った。

「さよならだ」

 目を見開いた顔のままその首が落ち、血が吹き上がる。世界にひびが入り、ガラスに描いた一枚の絵が粉々になって落ちるように、世界の破片がゆっくりと降り始めた。いつの間にか傘をさした猫の周りにだけは、それが積もらない。


 壁にもたれた猫が目を開ける。そこはなにもない部屋。ただ、ざーっという激しい雨の音だけが聞こえている。

「……面白い夢を見た気がするねぇ」

 そう言いながら、猫は手に持った傘の柄だけを軽く引っ張ってみた。

「何をするんでい」

 勿論、その柄が抜けたりはしない。

「いえ、おもしろい夢を見た気がするな、と思ってね」

「お前が寝るとか、珍しいこともあるじゃねぇの」

 傘がからかうように言う。どこかで静かに機能を停止した機械のことなど、誰も知りはしない。みんな、晴れ間の夢を見て。でも、外は相変わらずのひどい土砂降りで。

 この町の雨は、止むことがない。

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