猫と傘、猫鬼に会う

 この町の雨は、止むことがない。常に空を覆う雨雲は、太陽も月も星も隠す一方で、昼からはまぶしさを、夜からは暗闇を奪っていた。地下は雨水を通す場所で、空は雨水が降りてくる場所。わずかな隙間で行われる人の営み。そのさらに狭い合間を縫って、人ならざるものや人を捨てたもの、あるいは忘れ去られたものも、ひっそりと、あるいは当たり前に人に混じって存在していた。


「どうもね、ヒゲがね……」

和傘をさし雨の中を音もなく歩く、和装に二本差しの猫。笠を持っていない方の手は、ヒゲをしきりに触っているようだ。

「そんなに気になるなら剃ってしまったらどうだ?」

和傘が雑に返す。どちらも所謂妖怪である。猫又と、唐傘お化け。最近はもののけもハイテク化してしまったこの町では珍しい存在である。

「むちゃくちゃを言うねぇ。ネコが髭を剃っちまったら……」

そこで猫が言いよどむ。

「どうした?」

傘が心配そうな声で聞いた。

「いや、ネコが髭を剃っちまったら、どうなるんだろうと思ってね」

「……知らないのか」

ため息のような音とともに、傘の声がふつうのトーンに戻った。

「剃る機会もなかったからねぇ」

そう言いながらもやはり気になるのか、ヒゲをつまんでいる。そうしながらも、猫は足下の悪さをものともせず、白い足袋は汚れることなく、雪駄は音も立てず水も跳ね上げず、ただすいすいと歩いていく。そうこうしてるうちに、周囲の看板もまばらになり、人通りもほとんどないエリアにたどり着いた。

「剃ってもこういうのは感じるのかね」

「どうだろうねぇ、ってまだその話は続いていたのかい?」

つい顔をおさえる猫。もっとも、傘には手も足もないので力ずくで剃ったりできるわけもない。

「あれ?足はないんだったかね?」

「人を脅かすときには柄を男の脚にしたり、目を出したりも出来るけどな、この町でそんなことしてもだれも驚かねぇだろ?」

「まあ、みんな自由に形変えるんだものねぇ……っと、こっちだね」

ひょいっとビルとビルの隙間に入る。奥で、メキメキという音がしている。雨のせいで暗がりにいるそれははっきりとは見えないが、たっている人影と、足元にわだかまる何かの影。それを見た猫の目が細くなる。

「これはまた、えらく珍しいモノに逢うじゃないか」

立っている人影が、ゆっくりと猫の方を向いた。足元の何かからは液体が流れ出て、雨とは違う水たまりを作っていた。オイルだけではない、生身の体から流れ出た液体の、鼻腔をくすぐるにおい。この町の雨にも紛れない、濃いにおい。足元の影は微動だにしない。

「まだ仕事を続けていたのかい?」

猫がゆっくり近寄りながら声をかける。

「ああ、まあな……」

少し歯切れが悪い返事。声の主のシルエットもまた、猫のような顔をしていた。その影が、振り返らないまま薄くなる。用が済んだとばかりに遠ざかり薄くなるその影を、猫は追わなかった。


「昔の知り合いにちょっと会ってね……」

油をちびちびと舐めながら猫が、愚痴とも独り言ともとれる口調で話している。マスターは特に返事をするでもなくそこに居るだけだ。薄暗い店内で、マスターの大きなレンズがわずかな光を反射している。

「長い間あってなかったんだけどね」

独り言は続く。

「まだ昔の仕事に縛られてるみたいだったんだよねぇ」

油を舐める音も、続いている。

「そういえばおもしろいものが手に入ったんだがね」

黙って聞いていたマスターが、脈絡無く話し始めた。

「なんだいおもしろいものって」

「イリドミルメシン」

「……聞いたこと無いね」

猫が怪訝そうな声を出す。

「別名マタタビラクトン。君に効くのかどうかはわからないがね」

猫が片目を釣り上げ、マスターの方をみる。感情の乗らないマスターの声では、どんなつもりでその話をしているのか全く読めない。

「確かに面白そうだが、次の機会にしようかね。酔いたくてたまらなくなったらお願いするよ」

猫はそう言うと視線を下に戻した。まだまだ油はたっぷりある。


雨の中で、猫は後ろから、その人影に声をかけていた。

「一度会うと、会いやすくなるのかね」

「さあ……どうだろうな……」

人影の頭は猫の形。

「仕事かい?」

大陸風の服を着た、猫の頭を持つ何者かが、雨に濡れて佇んでいる。足元にはやはり破壊し尽くされた何者かの残骸と、オイルだまり。

「仕事……そう、仕事だ……人を殺すのが仕事だ……」

猫鬼。人が人を呪うために生み出された存在。

「もう仕事なんかしなくてもいいんじゃないのかい?」

猫鬼がゆっくりと振り返る。その目は太い糸で縫い合わされていた。

「それが楽しみだと言うなら止めはしないんだがね」

雨がざあざあと降っている。傘に当たる雨粒が小気味よい音を立てる。

「昔に比べて随分辛そうじゃないかい?」

猫鬼が返事をする前に、猫のさらに後ろから発砲音。飛来する何かを猫は傘で弾いた。

「昔話でもしようかというところに、無粋な邪魔が入ったねぇ」

モーター音とともに、黒いバー状のアンテナを回転させながら現れる狩衣風デザインのロボット。

「なるほど……」

大陸から来た妖怪と、大陸風のコードを持つロボット。

「妖気だ。おまえらはどちらも妖気をまとっている」

「知ってるさ、自分のことだからねぇ」

右袖から精巧な手がくるくると回転しながら出てくる。ガシャン、という音とともに回転が止まる。人差し指と中指を伸ばした形をとると、ブゥンという音とともにその指先に光の玉が生まれた。

「……仕事は終わった」

猫鬼の影が薄くなり、立ち去ろうとする。しかし陰陽師ロボが打ち上げた数本の何かが地面に刺さり、それに縫い止められた札が光ると猫鬼の動きが止まった。

「逃げられると思うな」

そう声を出しながら同時に何かぶつぶつと呪文のようなものも唱える陰陽師ロボ。

「便利そうでいいなぁ」

呑気な傘。

「後で練習するかねぇ。それはともかく、止めてくれたのは助かるね」

猫も口調は呑気である。が、目は鋭いままだ。

「わかってる」

立ち去ろうとしていた猫鬼が何かをあきらめたような声を出し、体ごと振り返った。

「仕事じゃない。わかってるんだ。俺を使ってた人間はとっくにいなくなってる」

全身を雨で濡らしながら、陰鬱な声は続く。

「今の俺は、たまに陰の気が濃くなると現れて、殺して、消える。そういうモノだ」

「妖怪は滅する。どのようなモノであろうとも、だ」

「うるさいねぇ、空気を読むんだよ」

猫が睨む。次の瞬間、猫は陰陽師ロボの目の前に立っていた。ロボの右手は地面に落ちて、水たまりに半分沈んでいる。

「滅する、か……それも良いのかもな」

札の結界が効力を失い、猫鬼の影が薄くなる。陰陽師ロボの左袖があがる。手がない替わりに、袖の中には縦に三つ並んだ銃口。

「このっ」

刀でそれを縦に貫く。無理に撃てばロボもただでは済まないはずだ。

「待て」

体をロボに向けたまま顔だけを後ろに向ける。同時に脇差しでロボを正面から刺し貫いておく。しかし、振り向いた視線の先にはすでに猫鬼の姿はなかった。

「しまった」

ロボの結界を残せばよかった、と思っても後の祭りである。

「また壊されてしまったネ」

突然陰陽師ロボが全く違う口調で喋りだした。


「断る理由とおなじくらい、協力する理由も特にないのだけどねぇ」

「アレはもう壊れてるネ。でも君は何とかしてやりたい、違う?」

図星なのか、猫がヒゲをさわっている。

「ワタシの卦によれば、次は新月の日に現れるネ」

猫の片目が大きく開く。

「……月なんて見えないだろう?」

驚いたことを誤魔化すように言ってみる。実際には次の出現を予測できるらしいことに驚いたのだが。

「ワタシだって見えないね。でもカレンダーってものがあるネ」

声の主はおどけた調子で猫のごまかしに乗った。

「次の新月は四日後ネ。それまでにわたしたいものがあるョ。どこなら受け取れるネ?」

「サ……お日様ビーチという店は?」

一瞬お気に入りの店の名前を言い掛けた猫は、思い直して、迷惑をかけようが最悪出禁になろうが気にならない店の名前を告げた。

「ちょっと待つネ。ああ、うん、わかるヨ。そこに届けておくネ」

猫はちょっと考えてから、付け足した。

「ギアオイルの猫にと言っておけば伝わるはずさね」

「変なあだ名だネ」


四日後。お日様ビーチで受け取った道具を袂に入れ、添えられたメモで指定された場所に向かう。

「気が進まないねぇ」

心なしか、猫の歩く速度がいつもより遅い。

「じゃあ行かなきゃいいだろうに」

「それもそうなんだけどねぇ」

猫自身、よくわからないという風に首を傾げてから

「なんか、行ってやらなきゃいけない気がするのさ」

袂に入れたものの重みを確かめる。

「そういうものかねぇ」

「そういうものなんだよ、きっとね」

きっと、猫にも本当のところはわからない。


「遅かったね、今回も被害者が出たヨ」

陰陽師ロボからは前とおなじ大陸訛りの男の声がしている。

「そこまで何とかする筋合いはないねぇ」

それに、急いでも急がなくても、猫鬼は仕事を終わらせていただろう。

「冷たいんだネ」

「文句があるなら得意のからくりで何とかしたら良かったろうに」

「壊したのは君だがネ」

声が不機嫌そうに言う。

「とりあえず、足止めのためだけに君が壊した機甲陰陽師を出したんだヨ。後はなんとかしてヨ」

猫鬼が消えずにそこにいるのは実際この陰陽師ロボの結界のおかげなのだろう。猫は傘の下で肩をすくめた。

「何とか……なるかねぇ」

ゆっくりと猫鬼に近付く。結界は消えるのを防ぎ、外にでるのを防いではいるが、それ以上でもそれ以下でもない。結界の内側で、猫も猫鬼も、動きを妨げられはしない。

「また殺した。仕事でもないのに」

低く暗いところから出ているような声。大陸風の服の裾が揺らぎ、横薙ぎに襲いかかる脚を、いつの間にか畳んだ傘で受ける。その傘を左手で後ろに投げ、右手で刀を抜く。

「仕事でも仕事でなくても」

猫が刀を振るう。

「気にすることはないだろうに」

猫鬼はそれをかわし、爪をのばす。

「疲れたんだよ」

腕を袈裟懸けに振り下ろしながら言う。

「在り方そのものに疲れたんだ」

言葉と裏腹に、動きからは疲れを感じさせない。

「楽しめないんだ」

左、右、左。煌めく爪が猫を襲う。

「壊すのも、殺すのも」

下がってかわす猫

「ただ、そのように造られたから、そのように在る」

追いすがる猫鬼。

「それだけの、単なる呪いの器だからな」

猫鬼の意志も、疲れも

「だから」

関係なく体は動く。

「せめて」

きっと、滅びない限り。それが、数多の猫から生まれた呪い。

「おまえの手で終わらせてくれ」

びくん、と猫の体が動いた。

「……わかったよ」

刀では終わらせることはできない。刀を振って水滴をとばし、鞘に収める。かわりに袂から取り出したのは、古臭い、銃口が二つ並んだ護身用の拳銃。込められているのは、妖怪を滅することのできる特殊な弾らしい。それが、二発。まずは狙いをつけ、一発。当然のようにそれをかわして跳んだ猫鬼を追って跳び、空中で抱き止める猫。

「……」

何かを囁くと、銃口を密着させ、引き金を引いた。猫鬼の身体に吸い込まれた弾丸は、その体内で効力を発揮する。妖怪の存在そのものに働きかけ、しゅを打ち消し、無へと返す。猫の腕の中でそれは確実に行われた。抱き止めて着地した姿勢のまま、猫は一人になる。

「……やはり、こういうのは似合わないよねぇ……」

手の中に残った拳銃を見てそう呟くと、振り返りもせず、腹いせのように陰陽師ロボに向かって投げた。雨でずぶぬれの猫に、跳ねてきた傘が乗って、猫の表情はだれにも伺うことができない。


「マスター、前に言ってた奴、頼むよ」

バー「サイクロプス一つ目小僧」。いつものように油を舐めている猫だったが、突然マスターに声をかけた。マスターもなにとは聞かず、猫の前の器を下げると、中身を入れ替えたのか足したのか、猫の前に器を置き直す。それを舐めているうちに、猫はくったりと力が抜けてしまった。しばらくそのまま、油を舐める音だけがしていたのだが。

「なんだい、やっぱり酔わないねぇ……」

そう言いながらも、猫は顔を上げない。マスターは何も言わない。

外の傘立てには、和傘が一本。

この町の雨は、止むことがない。

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